【第125節】
レ ッ ド バ ロ ン
呉の国の歴史は浅い。その呉の国内にーー
《君主死す!》の震撼が走った。
多種多様な者達が寄せ集まって、急速に誕生したばかりの国で
ある。中には未まだに、〔国〕と云う意識の無い者達さえ居る。
今、その中核を失って、人々は大きく動揺し、己の身の処し方に思いを巡らせ初めていた。
《果して、このまま呉の国は、国家として存続し得るのだろうか?》
《僅か18歳の、何の実績も無い若様に、
一体君主が務まるのだろうか?》
《今まで通り、皆は孫氏に忠誠を誓い、付き従うであろうか?》
《・・・・誰か、新しい王が生まれるのではないだろうか?》
《次が確定する迄は、ヘタに動かぬ方が善いのではなかろうか?》
《・・・・”その時”が来たら、儂はどっちに着くべきか!?》
もっと能動的な考えを持ち始める者も出て来る。
《いや待て、俺にだって〔そのチャンス〕が有るのかも知れんぞ!》
《俺一人では無理でも、アイツとアイツと手を組めば、
何とか成るかも知れんぞ!?》
更には、元々から、漢民族の支配に抵抗し続けて来ていた者達の思いも在った。
「よし、此の機を捉え、我等は我等だけの独立国を樹立しよう!」
「少なくとも、もう此れ以上の侵害を受けぬだけの力を結集した、
連合国を構築してしまおう!」
・・・・夫れ夫れが右顧左眄し、様々な思惑と野望とが頭を擡げ様としていた。 だが、そんな中でも、此の突然の事態の出現を、最も
恐れ慄いて居たのは、行き場も無く、日々の安寧だけを願う多くの庶民・農民達であった。
「又戦争が起きて、ただ逃げ惑う日々がやって来るのだろうか?」
「もう、戦争はコリゴリじゃ。」
「貧しくても、親兄弟と安心して暮らせる方がエエ。」
「ワシ等にとっちゃあ、どなたが王様でも構わねえ。ただ一刻も早く
ワシ等を安心させて下さる御方が出て欲しいだけじゃ・・・・。」
−−新興国としての、最も危険な幾日間かが
始まろうとしていた。ヘタをすれば四分五裂、空中分解して5年前に逆戻り・・・・と云う事態も充分に在り得る。 正に、
呉国崩壊の危機が始まった!
と言えるのだ。
今の処、かろうじて、其れを内部から押し止どめているのは・・・・各人夫れ夫れの利害関係が明確では無い、と謂うだけの、極めてあやふやな現状維持が続いているに過ぎ無い。取り逢えず、既得権益の保持だけはして措こうとして、事態の流動化を望まない、各自の心理的自己抑制だけに依存していたに留まる。
又、不幸中の幸いとも言えるべきは、外敵が直ぐ近くに存在して居無いと云う、時局の端境期に当たっていたいる事だった。北に袁術・呂布亡く、西の黄祖は大敗したばかり。最も危険な曹操は、官渡で袁紹と死闘を展開中である。
だが、こうした無風状態も長くは有るまい。官渡戦の勝者(恐らく袁紹)は、大勢力と成って江東の地を襲って来よう。 黄祖も復活して侵攻して来るだろう。 先住の異民族・「山越」が一斉蜂起したらどうなる・・・・!?
−−事実既に、不穏な情報が、至る地域から聞こえ始めていた。「番卩陽」では【彭虎】らが、6万もの仲間を結集して叛旗を翻した。この動きは忽ちにして周辺諸地域に伝播し、「新都郡」や「丹陽郡」・「会稽郡」、更にはお膝元の「呉郡」の一部ですら、孫氏政権への不服従が火を吹き始めたのである!・・・・新君主の決定・承認が、1日遅れればーー制圧に100日を要する
”異変”が、1つずつ増えてゆく。その異変が10を越えたら其の時は、完全に呉国崩壊の時であろう。
更に剣呑な事には・・・・同じ孫氏一族の中から、「ワシこそ年齢的に相応しい!」 だの、「ワシこそ其の器量に適っている!」 だのと言い出し、水面下では実際に勢力争いが動き出している事実であった。 ーーこんな混乱に直面した、母親の『呉夫人』にしてからが、未熟な我が子・孫権仲謀の行く先が心配でならなかった様だ。 『正史・董襲伝』にはーー
太妃(呉夫人)ハ是レヲ心配シテ、張昭ヤ董襲ラヲ
招クト、江東ノ地ハ守リ切ッテ行ク事ガ出来ルデ有ロウカと尋ネタ・・・・との記述が有る。
そんな人々の動揺を抑え、呉国の命運を握る
【超大物】が居た。
家柄・人望・才能・実績・軍事力・そして風貌を含めたカリスマ性、
どれを取っても、18歳の『孫権』の遙か上をゆく存在であった。
★すぐれて俊敏で非凡であり、広く物事に通じて聡明であった
が為に、性向を同じくする者達が其れに惹かれて一緒になり
志を同じくする者達が其の気質に感じて集まって来て、江東
の地に多くの優れた人物が輩出する事になったのである。
★若いうちから英邁闊達の気風が有った。大らかな性格で度量
が広く、多くの人々の心を掴んだ。他人の意見に惑わされる
事無く、明確な見通しを立て、人に抜きん出た存在を示したと
云うのは、誠に非凡な才能によるものである。
★大きな度量と高い精神的風貌が具わっており
強固な意志を持つ。
★長江・淮水地域の英傑である。
★事を成さんとする大きな気概を持ち、胆力と才略とは人に
勝っている。その気宇の壮大さとは、なかなかに及び難い
ものである。
★彼は英俊にして、異才!
★内に入りては心や腕となり、外に出ては爪や牙となり、出征
すれば自ら矢石を身に受け、死ぬ事さえ、自分が元いた場所
に帰って行くかの様に考えていた。
★文武両面の才略を備えて、万人に勝る英傑である。その器量
の大きさから考えて、いつ迄も
人の下に仕えている様な事は有るまい。
−−【その男】・・・・友の葬儀の為、今、全軍を率いて長江上の軍船の内に在った。愛用の赤いマントが、時折、
川風を浴びて、その方向に翻っている。
初めは、孫策が死んだとは、どうしても思え無かった。ヒョイと其処から顔を出して、「ヤア!」と景気の好い笑顔で、ニコニコ手を差し伸べて来る気がする。”死”に実体が伴わず、実感が無いのだった。 ーーだが・・・・あの人懐っこく活気に満ちた笑顔が、もう此の世には無いのか・・・!! と思った瞬間、堰き止められていた哀しみの奔流が、ドッと涙になって溢れ出した。
《もう2度と再び、肩を叩き合い、語り合う事も無いのか・・・・》と思うと、切無さがト胸を突いて、嗚咽となった。同瞬、思い出の数々が次々と脳裡を駆け巡り、その限り無い哀愁が、止め処なく流れ出る涙を、何時までも補充し続けた。
この世の中で、孫策の死を最も深く悼み嘆き哀しんだのは、この男であったろう。だから、”断金の友”の為に、彼は有りっ丈の涙で流し尽くそうとした・・・・。男が哭くとは、そう云う事なのだ。
愛妻の【小喬夫人】と雖も近寄り難く、只そっと後から、夫の広い背中を見守るだけであった・・・・。
互いが互いの分身であった。身こそ2つに分かれていたが、常に心は通い合い、疑うと云う事や、不愉快と云う事には全く無縁な、澄み切った関係で在り続けた。
人の世に於いて、〔友情〕の真の意味を、また其の心地良さを、そして其の幸福せを、しみじみと実感させて呉れる人間であった。
自分が此の世に人として生まれ、男として生きる歓びを得たのも、思えば全て、孫策との出会いが在ってからこそであった。
人として生まれたからには、斯く在りたいと願う至高の友であった。最初から定まっていたかの如く、ピッタリ相性・ウマが合った。互いが互いで在る事で、互いが高め合って来られた。何でも語り、ズケズケ言い合った。それは肉親では無い故にこそ、却ってカラッと明るく、サッパリと深く、純粋で在り得たのだと思う。
その熱い思いや、生きる歓びをぶつけ合う相手が、今や此の世には居無いと謂う・・・・。
・・・・然しーーやがて・・・・哀しみの底から身を起こすと、その男は一段と巨きく成ろうとしていた。
「伯符よ、貴様、なぜ死んだ・・・・。」
今、船べりに独り佇み、その男は天を仰いで問い掛けた。 今はもう、不思議と涙も出ない。いや、泣かぬと妻に誓ったのだ。
「お前はきっと、充分生きたんだよな?やるべき事はさっさと遣って俺に少しだけ遣るべき目当てを残していって呉れたんだよな!?」
だからもう、俺は泣かぬ。そして、不意に思った。
《孫策の奴は・・・・俺がよく生きる為に、
天が与えて呉れた贈り物だったのではないだろうか・・・?》
2人の友愛は、其処で思考を止めさせ無かった。
《では、よく生きるとは、どう云う事なのだ・・・・?》
”友の死”と云う尊厳な事実を、今生きて居る己の中に
昇華させたかった。
《おい、お前よ!己はどう生きて来たのだ!?そして、
どう生きようとして居るのだ!?》
その男は友の死を、己の新たな力としたい。
《お前自身が今、為すべき事は何なのだ?
今、何を一番大事に考えるべきなのだ・・・!?》
朋友の死の瞬間、たまたま彼は、遙か遠方の地に在った。その事は、彼が世の雑音の圏外に居られたと云う事でもあった。冷静に己を取り戻すには、絶好の位置であったかも知れ無い・・・・。
2人が巡り合って以来、 常に互いの心に熱く煮え滾らせ、命を張って追い求めて来たもの・・・・それは、〔呉の国の建設〕であり、《天下を望む事》であった!!此の地に覇権を成し、安寧をもたらす為の戦いであった!・・・・思えば、【孫策】と云う人間は、それにピッタリの人物であった。果敢に戦いに挑み続け、倦む事を知らぬ闘争心の塊りであった。領土を拡張させ、国としての基盤をドンドン押し広げてゆく時期には、打って付けの個性であった。正に創業者に必要な、リスクを恐れぬ、猛々しくも逞しい、〔攻めの姿勢に徹した〕生き様であった・・・・。
然し同時に、自分は常に、そんな友の後姿に、何処か危うさを
感じ続けていた。その事も思い出された。・・・そして彼が死ぬ迄はその危うさとは、孫策個人の命の危うさであると思っていた。だが現実に友が命を落とした今、それはどうも違っていた気がする。
漠然と感じていた友の危うさの意味とはーー個人の生命の危うさでは無く、もっと広い意味での、〔政治的危うさ〕であったのだ!
攻勢一点張りの、外征的覇権姿勢に対する限界点・・・・其れが近づきつつ有る事への危惧であったのだ!・・・・と思える。
ほぼ国の版図が確定し、時節の要求が、内なる政事に向かい始めた時、そのリスクの多い、攻めだけの姿勢は、寧ろマイナスに成り始めるであろう・・・・その事への危惧であったのだ。
哀悼の涙が乾いた今、その男は私人としてでは無く、合理的な軍政家としての本領を、その明晰な頭脳の中に取り戻しつつあった。
《冷静に大局を俯瞰して観れば・・・・孫策伯符の使命は、正に
終わろうとして居たのかも知れ無い。これからは寧ろ、内政の時代へと向う転換期に成るであろう・・・・。 天は孫策に、呉国建国の使命と其の個性を与え、その使命が果たされるや、天に召し返したと観るべきなのかも知れ無い・・・・。》
真の友で在ったればこそ、その本質をズバリと言い切る事も許されるであろう。
《伯符の死は、呉にとっては寧ろ、時宜に適した天の処遇で
あったのかも知れ無いな・・・・》
ーーでは、それでは一体、今の呉国をガッチリと束ね掌握し、更に充実させるべき人物は居るか?・・・・建国されたばかりの呉国の人心を導く君主たる人物は居るか?・・・寄り合い所帯を纏め上げ外圧にも対応出来る様な人物は居るか?
この時、【孫権】を念頭に浮かべて自問すれば・・・・答えは《否!!》である。
−−居無い・・・・!!
《いっそ、俺がやるか!?》 と、真剣に考えて試る。私欲に拠っては居無い。ーー今、大艦隊・大軍を擁している。反対しそうな人間は居るか?張昭あたりが道義を言うか?程普も一言あるかも知れぬ。・・・・だが、理を説けば、恐らく了解するであろう。彼等とて、建業の礎と成って半生以上を過ぎている。折角育て上げたものを潰したく無い筈だ・・・・。少なくとも、今率いている大軍の将士達は俺に従う。多少の出血さえ覚悟すれば、俺が孫策の跡を継ぐ事は可能だな・・・・と確信できる【周瑜公瑾】であった。
「ーー貴方様がおやり為されませ・・・・。」
天使の声かと聞き違う様な、澄んで柔らかい声だった。
「−−・・・・!?」
小喬夫人であった。 何時の間にやら、孤影の夫の、その思索を邪魔せぬ近さに、寄り添って居て呉れたのだ。
「そなたには、私の心が分かるのか!?」
「分かりますとも・・・・。」 貴方の妻ですもの・・・とは言わぬのが、
女性の嗜みであった。
「そうか、嬉しく思うぞ。」
俺の傍らに来て呉れと手を差し伸べ、肩を抱くと、暫し無言で、
2人は長江の水面を吹き渡る風に身を委ねるのだった・・・・。
夫の瞳の底には濁った光が無い。澄んだ儘、静かであった。又、寄り添う妻の眼差しには、未亡人となった姉の大喬と同じ、毅然とした従容の覚悟が滲み出ていた。
《−−いや、駄目だな・・・・。》
俺は孫策と、余りにも似た点が多過ぎる。殊に、外征的で攻撃精神の強さ、外圧に屈する事への心的拒絶反応は、丸でそっくりだ。今でも”打倒曹操!”の気概は、赫々と燃え滾っている。
《今の天下の情勢に在っては、呉の君主たる者は、それでは
駄目だ。時には敵に膝を屈して見せる事も必要になろう。
俺にはそれが出来るとは言い難い・・・・。》
第一、常に軍の先頭に立たざるを得無い周瑜であってみれば、
孫策の姿と全く変わらぬではないか。だが呉の現状からすれば、俺が軍を率いるしかあるまい。後方でデンと座り続けて居る事は不可能だ。やはり俺は当分の間は、野戦軍の総司令官で在らざるを得まい。基本的に戦国乱世に在っては、国とは軍事力そのものなのだから・・・・。
《そうだ!創ればいいのだ!居無ければ、創り出すしかない!》
そう思い定めて、もう1度見廻せば・・・・居る!若く、未知で、これから何うにでも成長し得る逸材が居るではないか!!
《−−やはり、孫権だ・・・・。》
周瑜は改めて、色眼鏡なしに「孫権」の人物を再チェックして試る。飽まで客観的に、私情は捨てて懸らねばならない。
「−−お心に”揺れ”が無くなられましたわね・・・・。」
「ウム、どうやら定まったようだ。」
「貴方様は元より、そうした佇まいの御方で在られると、
信じて居りましたわ・・・・。」
「分かって居て態と先程の様な言葉を掛けて寄越したのじゃな?」
「いえ、私はただ、貴方様をお慕い申し上げて居るだけで
御座居ます。」
「愛い奴め。それでこそ、我が妻と謂うものだ。」
ーー【孫権仲謀】・・・・初代・孫堅の次男。孫策の弟だけあり、兄に似た面も多い。
外見は兄程の華やかさは無いが、1度在ったら忘れ難い、特異な風貌であった。力強くエラが張った顔で、遠慮無しに口が大きかった。印象深いのは、その瞳の輝きである。碧いのではないかと思う程、異様に深く光っていた記憶が有る。兄の孫策は時々、からかい半分に『碧眼児』と呼んでいた。
然し何と言っても、外見上で最も特徴的なのは、騎乗した時の姿である。普段は袍衣により判らぬが、馬に乗ると其れがバレてしまうのだった。思いっきり短足胴長なのである。それも度肝を抜かれる程に短い!自分独りでは乗れぬ程だ。だが、それが少しも滑稽では無い処に、彼の真価が有ろうと言うものだ。
性格は、孫一族の男系資質を受け継ぎ、兄同様あけっぴろげで明るい青年であった。是れは先天的なものであろう。 ーーそして半ば後天的に獲得しつつあるのは、兄を手本として見習い、おのずと学び取ったのであろう、人への接し方や其の態度である。
人々に対する思い遣りが有り、部下への包容力が認められる。是れは、兄が弟へ残した遺産の1つと言えるだろう。
・・・だが、兄に観られた直感的閃きや、天才的な鋭さは無い様に思われる。兄が持っていた火の玉の様な攻撃精神・全軍を率いて陣頭に立つ様なイメージでは無い。寧ろ、一見おっとりして、どちらかと言えば、面白味には欠ける地味な若者であった。だが其の分兄に優る忍耐強さを秘めて居る風にも思われる。又、決して文弱では無いし、堂々とした処も有る。天才では無いが、賢い。軍議では屡々、兄が感心する様な意見さえ述べていた。
攻撃一本槍では無く、これからの呉国に必要な、〔守勢の君主〕として観た時ーー是れ等の資質は、充分プラスに為るのではなかろうか・・・・。
「うん、いいぞ、好いではないか。是れなら遣っていけるだろう。」
「−−宜しゅう御座いましたわね・・・・。」
「哀しいけれど、光が見えて来た。」
〔孫権〕の姿を想い浮かべ、その内在する資質を検証してゆくに連れ、周瑜には希望が湧いて来た。
それに加えて、何と言っても魅力的な事は・・・・【未完】!と云う要素であろうか?
18歳と云う白紙の今でなら、父と兄の創業を受け継ぎ、その名に恥じぬ名君たらんとして、真摯に人々の意見を聴けるであろう。幼な過ぎず、老成でも無い。ちょうど好い年齢である。謙虚で居られる事が許され、又求められる。 謙虚と云う事は、己を殺す事である。殺すべき己を持った其の時こそ、彼の真価が問われよう。
周瑜が観るに、孫権は自身の裡で健気にも、
〔俺は2流と呼ばれる1流でよい〕と考えて居るフシが有るようだ。スネて居るのでは無く、兄が偉大である事実を認め得る、大らかさ故であろう。
『”創業”と”守勢”とは、孰れが難き哉?』・・・・目立たなくて良い。地味で結構。堅実さこそが1番である。
無論、孫策の実子である『孫紹』の擁立や、3男・『孫翊』、
4男・『孫』も想起してみたが、いずれも年齢的に幼な過ぎた。
−−孫氏が代を継いでゆく・・・・それが最も在るべき正統な、国としての姿ではある。だが然し、朋友であり義兄弟の弟だからの1点で盛り立てるのでは無い。断金の友と一緒に築いて来た国を守り育て上げるに相応しい可能性として選ぶのである。私情を抜いて考察した末、結果として【孫権】を認める事になったのである。
「姉上を呼んで、一緒に暮らすがよい。悲しみを分かち合えば、
辛さも半分に減るやも知れぬ。」
「お優しい御方・・・・。」
「今急に、そなたの唇が欲しくなった。」
友の”死”に対する、”生”の証が欲しかった。いつ、戦陣に滅びるかも知れぬ夫の実感が欲しかった・・・。だから互いに求め合った。
ちなみに、此の当時は未だ、臣下と雖も、賢明なる主君を求めて選択移行する事は、当然の権利と観られる時節であった。
君主たるの資格無きと判断されれば、人は去り、国は亡びるの時流に在った。況してや、やっと国の姿が形造られんとしている
江東の地に在っては、新しい指導者に誰が成るのかは、深刻な
大問題であったのだ。
だが今、この長江船上で、周瑜公瑾は己に断を下した。
呉国の君主は、己ではなく、孫権こそが、それに相応しい”位置”に在ると・・・・。
決まれば、それに命を賭ける。ーーそれが
レッド・バロン、周瑜公瑾の
潔さであった。
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