

「昔、服喪の法を定めたのは周公でした。然し、その子の伯禽は、服喪中に外敵が侵入して来るや、父の定めた法を破り、出陣したのですぞ。何も父に背向こうとしたのでは無く、已むを得ぬ状況に迫られたからなのです。」
ーー処で・・・・先程の場面で、
【孫権仲謀の評価】は、呉王・呉帝と成る迄の
−−先ず、彼の綽名とされる『碧眼児』についてだが・・・・
次はーー『正史』の劈頭、孫権15〜16歳の頃。
やがて、兄の盛り立てによって、彼の名が世間に知られる
いよいよ新君主と成った若き孫権。その彼を盛り立て売り出す為に、”超重臣”は相手を説得して、熱っぽく孫仲謀を語る。先ず、【周瑜】が、「魯粛」を説得する。
−−年譜では、この後・・・・
【第124節】 遙かなる旅路 (知られざる孫権像) →へ