

真夏とは言え、長城を吹き抜ける山岳の風は、其処に立つ者達に涼しかった。曹操の青いマントが、心地良く歴史の風を孕んでは、後方に居流れる諸将の前で翻った。
「見よ、歴史は我々の足下に在る。この大いなる作業、人の手に拠る大工事の跡を、然と己の眼と心に刻むのじゃ!・・・・そして、此処から先の1歩1歩は、我ら中国人にとっては、新たなる歴史を刻む1歩1歩と成ってゆくのだ!即ち、是れから始まる我等の行軍は、正に未知への挑戦なのじゃ!皆、心して征こうぞ!!」
だがーー其処から先に道は無かった。曹操が通る所が道になるのであった。眼の前に在るのは・・・・只、山また山、谷また谷の、涯し無き200キロであった・・・・。
曹操軍が〔無終〕から完全撤退して行った光景を、己の眼で確認したカッパ頭の斥候騎兵が、〔柳城〕に在るトウ屯頁の元へ駆け戻って来た。彼等の技量を以ってすれば、単騎で海岸沿いの洪水など屁でも無かった。ちなみに斥候騎兵は、高札の文字自体を判読できなかった。だから引っこ抜いて持ち帰った。
前人未到の悪戦苦闘の末、曹操率いる30万の強行軍は、何とか〔平岡〕に至り、ついに200キロの軍道は貫通した!!
実に以って大胆かつ細心な男ではある!!お陰でーー春3月・勇躍、業卩を発してから早6ヶ月が過ぎ去り、時は既に8月に入っていた・・・・。
「ね、聞こえるでしょう?」
「おお、あれが白狼山か・・・・!」
−−と、その時であった。
 白狼山中に全軍を折り敷かせた【トウ屯頁】は、密かに長老達を呼び寄せていた。楼班や若い世代には内緒の、一見、世間話しでもするかの如き、立った儘の会談であった。
観るや今し、白狼山頂から駆け下った烏丸騎兵の軍団は曹軍の先頭歩兵集団めがけて襲い掛かっている最中であった。逃げ戻ろうとする歩兵達が、丸で蟻の子の様に蹴散らされ、薙ぎ倒されている。

柳城からの帰途、曹操は生まれて初めて『海』と云うものを見た。曹操ばかりでは無い。内陸育ちの大多数の将兵にとっても、其れは初めての体験であった。
〔・・・壮き心の已む事は無し・・・〕で有名な、『歩出夏門行』と題する彼の詩賦は、この北伐を歌ったものである。抜粋して措く。後半部には「存在と無」・「存在と時間」・「死に至る病い」・「ツァラトウストラは斯く語りき」に共通する死生観・人生哲学すら覗える、味わい深い逸作である。
【第119節】 独裁官・《丞相》 誕生! →へ