

「さて”長江”とは一体、どの様な佇まいなのであろうか?」

処が、そんな仲達でさえも気付かぬ遠方で、曹操の覇者の気は、〔人知れぬ地味な努力〕を生んでいたのである。

−−北に向かいて南を忘れず・・・・
さて、【高幹】が立て籠もった《壺関城》・・・・。
「城を包囲した場合には、必ず生きる為の出口を示してやるものです。と申しますのは、彼等に生存の道を開いてやる為です。処が今、公は彼等に必殺を布告して居られます故、将兵に自分から進んで守りに就いているのです。その上、城壁は堅固で食糧は豊富に在りますから、攻撃すれば我が方の士卒を傷付ける事になり、包囲を続ければ、更に長い日数を掛ける事になります。今、堅固な城壁の下で軍兵を据え置き、必死の敵軍を攻撃するのは、良策ではありません!」
中国大陸の懐は、途方も無く深く、そして広大無辺である。曹操の戦いも亦、未だ涯てし無く続く・・・・そして
曹操は、本拠地「業卩城」へ帰還した。
たった1年間に