【第108節】
じゃぼう せいりゅう えんげつとう
この108節では、諸葛孔明の力を借りた事にして、後世に於ける【関羽】と【張飛】の、国民的ヒーロー像を列挙してみようと思う。無論、虚構であるが、此の世には、『正史・三国志』とは別の、〔もう一つの現実〕が在ると云う事をしみじみ感じさせられる故である。
特に『関羽』は別格である。関羽の場合は、ひとり三国志に
限らず、十八史略を超えた中国全史的ヒーローである。
現代に於いてさえ、世界各地の中国系社会では、《関帝廟》が祀られ、21世紀の今この瞬間でも「神」として、15億人の信心の対象となっている。こう云う歴史上の人物は極めて稀れであり、武人としては尚更である。
−−では、なぜ関羽なのか?張飛や趙雲ではなく、また劉備でもなく、諸葛孔明でもないのは何故か?
その答えは、おそらく『三国志演義の世界』の中に見い出し得ると言えよう。演義を読んだ人は、十中八九「関羽贔屓」に成ること請け合いだ。
(※諸葛孔明は完璧すぎて、最初から現人神扱いである。)
それにしても、関帝廟が「商売繁盛の神様」として崇められている事を思う時・・・・
庶民のヒーロー伝説と云うものは、時代を追う毎に、あれもこれもと次々に願望や憧れが積み重ねられ、勝手に独り歩きしていくものである事が偲ばれる。(関羽の出身地は、岩塩の大産地であり、全国的な取引をする大商人の居た”解県”ではあったにしても。)
それならいっそ、この際に、全ての虚構を大集合させてしまって、スッキリさせて措こうではないか・・・と云う逆転の発想に基づく、《虚構の歴史・オンパレード》である。
諸葛亮は、この上もない聴き上手、語らせ上手でもあった。呑む程に、酔う程に、関羽も張飛も、懐かしさを込めながら、劉備の合いの手とあわせて、3人の最初の出会いからを、ガヤガヤと楽しげに語り始めた。こごごもに、笑い合ったり、苦虫を噛み潰した様な顔になったり、互いを褒め合ったり、けなし合ったり、3人の義兄弟の歴史の全貌が、次第に明らかになってゆく・・・・・。
それは、とても一晩や二晩で語り尽くせるものでは無かった。そうなると聴く諸葛亮は勿論、語る関羽・張飛の方も愉しくなって来る己の来し方を、親身になって聴いて呉れる人が居て呉れる事は、中年と成った人間にとっては嬉しいものだ。己の存在価値を認めて呉れる他者が在ると云う事は人間の幸せの一つである。
ところで、ニコニコしながら座持ち役をこなして居る諸葛亮は、ただ親睦の為に話を聴いている訳では無かった。彼等から語られる事実を基に、《生ける英雄伝説》を創出せんとしているのであった。事実上、1国の王である『魏の曹操』や『呉の孫権』と比べると、今の『劉備玄徳』に唯1つ勝っているものが在る。
それは、《有徳の人》・《善の具現者》と云う、半ば判官贔屓の、庶民の声であった。ーーそれを建国の原動力にしてゆく・・・・・
その為には、君主たる劉備は勿論のこと、その股肱の臣でもあり義兄弟でもある【関羽】と【張飛】にも、庶民うけする〔我等の英雄〕に成って貰う必要があるのだった。諸葛亮としては、民が主君を慕う国の姿にしたい。その為には、その家臣も亦、民から慕われ尊敬される対象にならねばならないのだ。
−−先ず、民に受け容れられ易い様に、両者の個性を誇大に強調し、単純明快なものとする作業が必要となる。近寄り難い英雄の一面と、自分と同じ要素を持つ人間臭い一面を持たせる。更には、思わず入れ込みたくなる様な、ハラハラドキドキする歴史を持たせる。民は心情的に、弱い者の味方である。危なっかしくて、儚い者を応援したくなる。曹操は強過ぎて、面白味に欠ける。その点、劉備は、創作の必要も無い程に、波乱万丈の生涯に満ちている。”大放浪記”などは、放って置いても庶民が大好きな話しだ。だが今は、その民の声も、単なる個々人の話題の範疇に留まっており、政治的な集団の力には成っていない。それを組織化して、国の基いとするのだ。何故なら、此の世に、民の居無い国は存在しないからだ。たとえ今は寸土の領地も持たずと雖も、多くの民の心を掴み、慕われれば、それは立派に、「ひとつの国の原形」と見做せるであろう・・・・・。土地は動かせないが、民は移動してでも付いて来て呉れる。いずれ、《蜀》建国の暁には、そうした多くの民が国を支えて呉れる。国の力は、民の数だ。より多くの民が集まる国家が、豊かで強い国と成ろう・・・・。戦力の無い今こそ軍師として為し得る事は、その人民の支持を得ておく事なのだ。人民の支持はカリスマを求め、より刺激的な英雄像を求める。
直接当人の口から語られる話を傾聴しながら、諸葛亮の頭の中に、《生ける英雄像》が、次第に明らかな姿となって現われ始めていた。
【関羽】は・・・・・・天下随一の『義の人』・・・・・
義兄弟として主君・劉備に付き従い、信義の為に生きる沈着剛毅な知的武将。金銭や名誉には潔白で、もっぱら「義」にこそ名を惜しむ武人の鑑。兄貴分として、時に張飛を諭す。
【張飛】は・・・・・・滅法強い『豪の人』・・・・・
後先考えずに猪突猛進してしまう直情径行型人物で、己の感情をストレートに出してしまう為、失敗も多い。無学だが、その心根は無垢で純粋な、愛すべき忠義心を持つ。酒豪だが、時として乱暴者の素顔が出てしまう。難しい理屈は大嫌いで、単純明快な豪傑の典型。
−−次には両者の風貌をデフォルメする。
【関羽】は・・・身の丈九尺(207cm)、これは人間界に於ける最大の巨体である。 当時の成人男子の平均身長は六尺五寸
(150cm)位だったろうから、これはもう神の領域の数値である。
その巨神は均整のとれた肉体と、凛々しい赤ら顔を持つ。そして更に、この時代の「男の象徴」である髭の豊かさも尋常ではない。黒光りする美しい髯は、何と胸の鳩尾までたわわに蓄えられている。それを〔美髯公〕と称しよう。
【張飛】は・・・・次兄の関羽より少し低目の身長で、
身の丈八尺余(190cm)とする。こちらも巨神一族に属する。但し、関羽の様なシャープな印象ではなく、巨漢太躯の〔豪傑型〕である。髭は顔中に剛毛が密生するトラヒゲで、その真ん中には虎の如き眼の玉が光る。愛敬のあるのは顎で、燕の様に先が尖っている。
それを〔燕人〕と称して、鈍重なイメージを払拭する。又、その声は割れ鐘の如き大音響で、大喝すれば天地も震え、地中の龍が眼を醒ます。気の小さい将兵などは、その一喝でショック死してしまう。百万の大軍中に在っても、袋から物を取り出す如くに大将首を挙げてしまう男・・・・・
※だが事実は・・・張飛の娘は二人ともが、「大張后」・「小張后」と呼ばれ、後主『劉禅』の正妻と成るのである。美女好みの君主が受け容れたのだから、たぶん美人であったろうと想われる。その美形の娘の父親だけが、まるで野獣と云う事は無いであろうし、オカチメンコの娘を次々と父親・張飛が無理矢理おしつけたとも考えずらい。だからきっと、真実の張飛像は、我々がイメージしがちな、『無教養でガサツな野生児』の風貌とは、かなり掛け離れたものの可能性が高い。実は、読書に親しみ、書の道では一廉の大家であった・・・・と、見て来た様に記す史書も存在する。但し、「名士・劉巴」から会話を拒否された事実からすると、その文化・教養程度は庶民レベルに毛が生えた程度のものだったのだろうか?本人なりには独学で努力をしたではあろうが、ついに世の評判・風説は、張飛をして《無学無垢》のイメージを選択し、定着させていくのである。民と等身大である為には、学問があってはならないのだ。
又、民衆が喜び、大向こう受けする《英雄伝説》には、彼等の専売特許となる、カッコイイ独特なアイテム(武器)を持たせる事が、絶対不可欠な条件となる。
日々営々と辛い人生を送らざるを得無い民草の憂さを吹き飛ばしスカッと胸のすく様な大活躍をし得る、特殊ウエポンが必要なのだ。それは今後、関羽と張飛の代名詞と成るであろう。如何にも
其れらしいネーミングも、重大な要素である。
関羽にはーー『青龍偃月刀』 が似合う。
重さ八十ニ斤(18kg)一丈(230cm)の太柄の先に、長大な青龍刀を嵌め込んだ豪薙刀・・・・馬の首ごと斬り落とす、凄絶な切れ味を持つ。名馬・『赤兎』の馬上で、颯爽と青龍偃月刀を引っ下げる其の姿は、戦場の華である。
張飛にはーー『蛇矛』 がふさわしい。
一丈八尺(4m)の超大型の矛。刃に宿る光が蛇の這う形を示す豪快な矛・・・・両刃にして、鎧ごと胴を断ち、刺し貫かれた敵は、中空に跳ね上がられて飛んでゆく。丸太の様な張飛の膂力が有ってこそ扱える、天下の名矛・蛇矛が唸る時、万余の敵兵も後退りするであろう。
ついでに此の際、『趙雲』にもアイテムを持たせよう。
趙雲にはーー『青訌の剣』・・・・
兜ごと唐竹割りに斬り下げる宝刀。曹操が秘蔵していると言われる「青訌・倚天の剣」のうち、敵将との戦闘中に奪い取った事にしよう。但し、剣は集団戦闘では主武器とは成り得無いから、趙雲は『朱槍の名手』となって貰う・・・・。
何回もの談笑の後、関羽と張飛の2将は、諸葛亮の手から、
夫れ夫れに紙片(レジメ)を渡された。
「お読み下され。其処に書かれてあるのが『美髯公・関羽雲長』と
『燕人・張飛益徳』の来歴で御座る。かなり脚色してありまするが、お二人は、この様に世の人々から親われるので御座るヨ。」
〔関羽〕の来歴書には、こう記されている。
《桃園義盟》
桃の花園にて、劉備・張飛と、生涯兄弟の血盟を誓い合う。
・・・・『生まれた日は異なれど、死ぬ日は一緒!』・・・・・
の名句が世に知られている。
《悲死貂蝉》
曹操が関羽を臣従させる為に与えた絶世の美女「貂蝉」・・・・関羽は初めのうち、外面の美貌だけの女だと見向きも呉れなかったが、彼女の才能豊かな内面を識り、一旦は心を奪われる。
然し主君・劉備との再開を果たして悟され、義の為には不要な存在と気付き、別れを告げる。それを嘆いて貂蝉は自死する。
《名馬赤兎》
全長一丈(2.3m)、馬高八尺(184cm)の巨馬で、
全身が炭火の如く赤い。一日千里を走破する力を
秘め、八百斤(180s)の荷を背にしてさえ水上を渡り切る。
関羽とは、まさに人馬一体の友である。
《降漢不降曹》
曹操に包囲されるも降るを肯ぜないが、義理の兄嫁達(糜夫人・甘夫人)の為に、礼遇を取り付け、尚かつ、自分は曹操に降るのではなく、漢王室 (曹操が擁立している献帝) に降るのであると言い放ち、2君に仕えず、必ず主君(劉備)の元へ帰る事を承諾させる。
《温酒斬顔良》
曹操に厚遇された返礼として、官渡戦に従軍し白馬の戦いで、敵将・顔良の首を、衆人環視の中、唯一騎で取りにいく。出撃に際し、曹操が注いだ酒盃を置き、いとも鮮やかに首を挙げて還るや未だ温かい酒を飲み干して見せる。
《誅文醜》
白馬の戦いで顔良の首級を挙げたのに引き続き、延津の戦いでも敵将・文醜を討ち取って、敵の追撃を喰い止める。官渡戦の前哨戦は、関羽の活躍によってこそ、曹操軍は勝利を得られたのである。
《義勇辞金掛印》
曹営を去るに当り、それ迄に贈られた恩賞五千両の黄金を封印して置き残し、封領の認印も門に掛けて辞去する。立つ鳥あとを濁さず、チリひとつ無く掃き清めた身辺整理の見事さは、関羽の人柄の清廉さを示している。
《千里独行》
赤兎に乗り、独り千里を駆け、主君・劉備の元へと帰っていく。
《過五関斬六将》
途中、曹操の「見逃しに致せ!」と云う温情命令が届いて居無かった為、已む無く6将を斬りつつ、五つの関を突破していく。
《古城聚義》
「古城」にて、はぐれた張飛と再会するも、その忠節を疑われ、心ならずも敵将を斬って疑念を晴らす。その結果、二人揃って晴れて劉備の元へと帰り着く。
《刮骨療毒》
流れ矢による傷が膿み、伝説上の名医・『華陀』から、腕を切開し骨を削る(刮骨)治療を受けるが、麻酔処置を断わり、平然として囲碁を打ち続けて眉ひとつ動かさない。その心胆の強靭さは、かくの如し。
〔関雲長・大破蚩尤〕
かつて黄帝(最古の伝説皇帝)は、蚩尤(最古の破壊神)を殺したが鎮魂の廟を建ててやらなかった為、再び此の世に復活した。
朝廷は関羽に蚩尤を討つよう依頼する。
関羽は玉帝(天界の統率者)の許しを受け、五岳四涜 (5大名山と4大河)の神兵を率いて蚩尤を捕え、ついに討つ。
その功によって、”聖人”に列せられる・・・・・・
〔張飛〕 の来歴はかくの如しーー
《桃園義盟》
《鞭督郵》 義兄弟デビューの頃、未だ軽んぜられていた為、得たばかりの官職を剥奪に廻って来た巡察使(督郵)を縛り上げ、杖を鞭代わりにして200回も叩きのめし、晒し者にする。張飛はカッと来ると前後の見境も無い暴れ者なのである。それを止めさせて殺害にまで至らなかったのは劉備であった。
※御主君・劉備殿を仁徳の士とする為に、悪役に廻って戴くが
了解して欲しい。
《大破杏林荘》
黄巾党討伐戦では、敵の3首領をおびき出し、みごと3者ともを
斬り去った。張飛にも智略は有るのだ。
《単刀劈四寇》
董卓の残党4将に対し、曹操は曹仁・許チョ・曹覇・曹璋に討伐を命ずるも、逆に破れて敗走。敵の4将 (四寇) が追って来るのを張飛が遮り、次々に4将を片づけてしまう。目茶苦茶強い張飛であった。その功のより車騎将軍と成る。
《率袁襄》 ・・・・・・・(率の正字は「てへん」が付く。投げ飛ばすの意。)
袁術の息子・袁襄は会談の席で、武力を背景に、劉備に徐州を差し出せと迫る。頭に来た張飛は頑として拒絶する。すると袁襄は主君・劉備を面罵し始めた。張飛も袁術を罵ると、息子の袁襄は張飛に殴り掛かって来た。それに対し張飛は、何を小癪な青二才め!とばかりに、むんずと袁襄の胸倉を掴むや、石亭に率ち(投げ飛ばして)殺してしまう。張飛は人間離れした怪力の持主であり、喧嘩なら張飛にお任せと云う訳である。
《単戦呂布》
董卓討伐の為、18諸侯軍は虎牢関にて呂布と対陣。劉備・関羽・張飛は激戦の末、呂布軍を敗走せしめる。連合軍の盟主・袁紹は、祝いの席で、監軍(軍目付)の孫堅に、3人の功績を労うよう命ずるが、孫堅は従わず。それ処か、監軍の牌印を賭けて、張飛に呂布との一騎打ちをせよとの命令書を出す。張飛は天下無双と謂われる呂布を再び破り、虎牢関に突入して大暴れする。賭けに勝った張飛は、牌印を孫堅から取り上げ、蛇矛の先に引っ掛けて辱める。一触即発の危ない両者を袁紹が取り成している処へ使者が訪れ、劉備は「破呂布関前大将」に封じられて、一件落着する。張飛は呂布よりも強くなくてはならないのだ。かくて、天下無双の栄誉は、張飛が引き継ぐのである。
《夜襲徐州》
酒豪ゆえに泥酔してしまった夜、呂布に夜襲を掛けられ、不覚にも徐州城を奪われてしまう。この一件に象徴される如く、義兄弟の失策は、あれもこれも、全て張飛の所為と云う訳である。而して、酒の上の失敗は、庶民にもよく有る事だ。「・・・・ったく、しょうが無えナア」と、我が事の様に親しみが持てると云う次第となる。
《三出小沛》
徐州を呂布に奪われ、小沛城に駐屯している時の事。張飛は盗賊を殺すが、実は呂布の部下だった。怒った呂布は、張飛の身柄引き渡しを求めて小沛城を包囲。
張飛は単騎脱出して、曹操に面会の上、救援の依頼を申し込むが、主君・劉備の正式な書面を要求される。そこで小沛に戻り書状を得て再度小沛城を出るが、粗忽にも手紙を落としてしまいまた戻る羽目になる。
書き直して貰い、3たび小沛を出る。この時、包囲中の呂布は
張飛の姿を認めたが、シラフの張飛に恐れをなし、旗で顔を隠して一騎打ちを避け、その通過を見逃してしまう。為に、救援に来た曹操軍と城内軍とに挟み撃ちされる結果を招き、敗走の憂き目に遭う。張飛は強いが、オッチョコチョイでもあるのだ。
《大鬧石榴園》
雷鳴に劉備が箸を落とした『論英会』の時の事ーー
曹操は張遼・許チョ・夏侯惇らと謀り、義兄弟全員の抹殺を図る。会場となる石榴園の凝翠楼に劉備を誘き出して拘束。助に来る関羽・張飛ともども一網打尽にしてしまおうとした。然しその異様な空気を察知した関羽は、逆に石榴園を包囲し、奔き張飛は凝翠楼上に暴れ込み、大鬧ぎを演じて主君を助け出し、曹操の謀略を水泡に帰さしめた。
《古城聚義》
〔力扶雷安天〕・・・・冥界の王が天界に戦いを挑んだ。天界の玉帝は、張飛に来援を求める。張飛は大喝して地中の龍を目醒めさせ、雷の化身と成って龍に乗り、天界に至る。そこで張飛は思う存分暴れまくり、冥界軍の諸将を次々と撃破して天界を安んずる。その功によって”烈士”に叙される・・・・・・
「・・・・いぁ〜、これは・・・・!!」
読み終えた2将とも、二の句が継げない。根は関羽も張飛も、人に認められ、褒められるのが大好き人間である。 ま、人間誰しもそうであるが、流石にこの内容には呆れ果てる。
「・・・・チト、面映ゆいのう・・・・!!」
一寸どころでは無い。最後には天界にまで出張って、
【神】にまで成っているではないか・・・・。
然し、当人が照れて居る様では【生ける伝説】にはならない。
傲然として受け容れ、それとして振舞うよう、軍師・諸葛亮から両将に、厳しい要請がなされた。この内容を人口に膾炙させるのは名士界のプリンスである諸葛亮には、お手の物の事である。
やがて他人から聞かされ、自分でも語る事を繰り返す事によって錯覚は自己暗示となり、ついには自身、そうであったかの様な栄誉と自尊心と成って、人格化していく。
また其れを見て、人々は更に我等のカリスマとして、2将を慕う事と成ろう・・・・。
ーーこうして・・・・
関羽・張飛の「伝説の原形」は出来上がった。
だが諸葛亮の目論見からしてみれば、2将は飽くまで脇役に過ぎない。肝腎なのは、何と言っても・・・・
主君・劉備玄徳の【仁徳伝説】の方であった。
《劉備は善!!曹操は悪!!》
−−・・・・・この単純明快な構図の明確化である。
曹操はーー漢室(献帝)を蔑ろにし、
漢王朝を簒奪しようとの下心を持つ極悪人!
劉備はーー漢室の血をひく末裔として、漢王朝の復興に赤心を
捧げる正統的な有徳・善意の英雄!
事実、劉備は10年前に、献帝から『皇叔』の呼び名を貰い、「左将軍」の官位に在る。世間は未まだに、形骸化した漢王朝・漢王室の正当性・権威を懐かしみ、その虚構にしがみ付こうとしている。世間が虚構を認めたがっているのなら、その虚構は強ち嘘とは謂えなくなる。それを最大限に利用しない手はない。劉備玄徳こそが、その人々の待望する唯独りの、善政の具現者と成り得るのだ。
世の人士よ、
正義の使者・劉備玄徳の下に集え!!
この喧伝こそが、自軍を増強していくのだ。幸いにして劉備の名声・人望は、勝手に独り歩きして、いまさら手を加える迄も無い程に増殖し続けている。 打ち続く戦乱に喘ぐ人々は・・・・「仁徳」「有情の為政者」の出現を渇望しているのだ。
民を慈しむこと海より深い「善の指導者」・劉備玄徳、
「義の人」・関羽・・・・そして「豪勇」・張飛・・・・
諸葛亮孔明の眼の前に、今その3人の義兄弟達が、
【生ける英雄伝説】として、
新たな命を吹き込まれて、雄飛を誓い合っているーー。
・・・・と、まあ、数ある虚構・美化(講談・雑劇の類)のうち、
現時点(207年)までに関わる有名なものだけを列挙してみた。
(当然、後半生も山盛りではある。)
天界の部分は御愛敬だが、他のものはどれも「演義世界」では、
”事実”として描かれており、爾来、其れは殆んどのファンに、
『史実』だと信じられて来ている。
そして、その事は、
『演義が史実として、圧倒的に支持されて来た
長い歴史が在る』・・・・と云う、もう一つの「事実」として存在している・・・・と云う『史実』なのである。
其れは其れで非常に興味深い「もう一つの歴史」ではあるが、
我々は此処で再び、現実のシビアな世界へ戻る事にしよう。
ーー時は・・・・207年・・・・・
孔明と劉備ファミリーは、生きるか死ぬか、破滅直前の最大の危機・最悪の試練に
直面しようとして居たのである・・・・・・!!
【第109節】未熟なり孔明、大失態デビュー!!