第 7 章





            タ             宇宙ニ垂ル 人物
          


     孔明の登場 と 出会い



      プロローグ




        詠懐えいかい古跡こせき    (五首) 其之五
 
                   杜甫とほ

 諸葛大名垂宇宙
  諸葛しょかつ大名たいめいは 宇宙に 
 宗臣遺像粛清高  宗臣そうしん遺像いぞうしゅくとして清高せいこう 
 三分割據紆籌策
  三分さんぶん 割據かっきょして 籌策はかりごとめぐらす
 萬古雲霄一羽毛  萬古ばんこ 雲霄うんしょう 一羽毛いちうもう(雲霄=空の涯て)
 伯仲之間見伊呂
  伯仲はくちゅうかんに りょを見る 
 指揮若定失蕭曹
   指揮 し定まらばしょうそうしっせん
 運移漢祚終難復  うん移りて 漢祚かんそ ついふくがた
 志決身殲軍務勞  こころざしは決するも身はほろぶ 
                               軍務のろう


     (※註解)
      
宗臣・・・重臣  伯仲・・・良く似た兄弟
       伊・呂・・・伊は伊尹いいん  呂は太公望たいこうぼう呂尚りょしょうで共に古代の名宰相
      
蕭・曹・・・蕭は蕭何しょうか  曹は曹参そうさんで共に前漢・草創期の大功臣
     〔通釈〕
      ああ、諸葛亮孔明の名声は、時空を超えて、天地にあまねく知れ渡り、
      人々が仰ぎ尊ぶ孔明の像は、今もこうして、厳粛で清らかな気品を
      たたえている・・・・孔明は、
劉備の為に「天下三分の籌策はかりごと」をめぐらし、
      永遠に大空を飛ぶ霊鳥おおとりの様な才能を示した。孔明と優劣を定め難い
      人物としては、伊尹と呂尚が居るだけであり、孔明の指揮がきちんと
      行なわれていたならば、蕭何も曹参も必要では無いであろう程だった。
      嗚呼ああそれなのに、運命は移ろい、漢の正当の帝位はついに再興できず
      魏を伐つ決意はしたものの、軍務の苦労が重なって、とうとう孔明
      帰らぬ人となってしまうとは・・・・・





         隆 中りゅうちゅう 
                               【蘇軾そしょく

    諸葛來西國 諸葛しょかつ 西国さいこくに来たり
    千年愛未衰 千年 あい いまだ衰えず
    今朝遊故里 今朝こんちょう 故里こりに遊べば
    蜀客不勝悲 蜀客しょっかく 悲しみにえず
    誰言襄陽野 たれか言わん 襄陽じょうよう
    生此萬乘師 万乗ばんじょうを生まんとは
    山中有遺貌 山中さんちゅうに 遺貌いぼう有り
    矯矯龍之姿 矯々きょうきょうとして りゅうの姿なり
    龍蟠山水秀 龍 わだかまれば 山水さんすい ひい
    龍去淵潭移 龍 去れば 淵潭えんたん 移ろう
    空餘蜿蜒迹 むなしく 蜿蜒えんえんあとを余し      
    使我寒涕垂 我をして 寒涕かんてい れしむ

            (通釈)
            諸葛孔明は、西蜀さいしょくの地に来て名声高く、千年にもわたり、土地の人々に敬愛され
            続けている。今朝いま、そのゆかりの地、隆中りゅうちゅうに来てみると、蜀からのたびびと・・・・私は、
            悲しみの思いに耐え難い。  ああ、誰が予想したであろうか。この襄陽じょうよう田野でんや
            万乗ばんじょうの天子の師たるべき、此の孔明が出ようとは。
             周囲の山々には、孔明をしのぶ面影おもかげが有り、その有様ありよう矯々きょうきょうと連なって、飛び
            立つ龍の様である。臥龍がりゅう・孔明が居た時には周囲の山水も秀麗うるわしかったが、臥龍・
            孔明
が去ってしまうと、深い淵潭ふちさえ水がれたかの様だ。今はむなしく、蜒々えんえんと続く
            山並だけがのこり、この私に、かなしみの涙を流させるのだ・・・・。





         蜀 相しょくしょう 
                                
  丞相祠堂何處尋 丞相じょうしょう祠堂しどう いずれのところにかたずねん
  錦官城外柏森森  錦官城外きんかんじょうがい はく 森森しんしん
  映階碧草自春色  かいに映ずる碧草へきそうおのずか春色しゅんしょく
  融葉黄麗鳥空好音 へだつるこう麗鳥は むなしく好音こういん
  三顧頻煩天下計  三顧さんこ 頻煩ひんぱんなり 天下の計
  兩朝開濟老臣心 両朝りょうちょう 開済かいさいす 老臣のこころ
  出師未捷身先死 いだしていまたざるに先ず死し
  長使英雄涙滿襟 とこしえに英雄をして なみだ きんに満たしむ
  (通釈)
       丞相じょうしょう諸葛武候しょかつぶこう祠堂みたまやは、何処いずくたずねたらよいのだろうか。それは此処、錦官城外きんかんじょうがいの、
       柏樹はくじゅ森々しんしんと茂る所にある。きざはしから眺めるあたり一面には、青草が広がり、おのずと春の
       気配があふれ、葉影はかげに隠れ飛ぶ黄麗鳥うぐいすは、むなしくも美しい声で鳴いている。
       そのいにしえ
劉備は孔明の草盧そうろを三たびまでも訪れて、天下の大計を求め、感激した孔明は、
       
先主せんしゅ(劉備)・後主こうしゅ(劉禅)の両朝を開きたすけて、老臣の心を尽くし傾けたのだ。だが、北伐の
       軍を興したものの、勝利を得るを見ないまま、その身は先ず戦陣に没し、後世の英傑達に
       今もなお、痛恨の涙でえりらさずにはまないのだ・・・・。




 讀諸葛武候傅 書懐 
        贈長安崔少府叔封昆季

      (諸葛武候の伝を読み、おもいを書し、長安の崔少府さいしょうふ叔封昆季こんきに贈る)
                                 ーー「李白りはく」−−


    漢道昔云李   漢道 昔 ここすえとなり
    群雄方戦争   群雄 まさに 戦い争う
    覇圖各未立  覇図はと 各々おのおの いまだ立たず
    割據資豪英  割拠かっきょして 豪英ごうえいたすけとす
    赤伏起頽運    赤伏せきふくもて 頽運たいうんを起こし
    臥龍得孔明   臥龍がりゅうもて 孔明を得たり
    當其南陽時   其の南陽なんようの時に当たりては
    隴畝躬自耕   隴畝ろうほ躬自みずから耕す
    魚水三顧合    魚水ぎょすい 三顧さんこしてがっ
    風雲四海生    風雲 四海しかいしょう
    武候立岷蜀    武候 岷蜀びんしょくに立ち
    壯志呑咸京    壮志 咸京かんけい(長安)を呑む
    何人先見許    何人なんぴとにか 先ず許されし
    但有崔州平    だ 崔州平さいしゅうへい 有るのみ

    余亦草間人   われまた 草間そうかんの人
    頗懐拯物情    すこぶいだく 物をすくうの情
    晩途値子玉    晩途ばんとに 子玉しぎょく
    華髪同衰榮    華髪かはつまで すいえいとを同じくせんとす
    託意在經濟   意をたくするは 経済に在り
    結交爲弟兄   交わりを結んで弟兄と
    毋令管與鮑    かんほうとをして
    千載獨知名    千載せんざいに ひとり名を知らしむかれ

       (通釈)
    ーー諸葛武候なる孔明の伝記を読み、胸中のおもいを書きしるし、長安県の県尉・叔封兄弟に贈るーー

       その昔、漢の政道は衰えて、すえの世を迎え、群雄は戦い争う日々となった。天下の覇者
       たらんとする彼等の野望は、互いに未だ実現されず、豪傑・英雄の力をたすけとして、各地に
       割拠して居た。  後漢の光武帝は、赤伏符せきふくふ瑞祥ずいしょうの予言によって、漢の衰運を建て直し、
       蜀漢の昭烈帝(劉備)は、臥龍なる人物評によって、諸葛孔明を得たのだった。孔明は南陽
       に隠棲いんせいして居た頃、田畑に出ては、みずから耕作していたものだ。魚(劉備)と水(孔明)とは、
       草盧三顧そうろさんこの礼によって合体し、新たな風雲が四海に生ずる事になったのだ。諸葛武候
       岷蜀びんしょくの地に拠って立ち、その壮志は、魏の西都・長安をも呑み込む程だった。 
       孔明の才能を最初に認めて呉れたのは、一体誰だったのだろうか。それは唯、博陵出身
       の名士、州平だけであった。私もまた、当時の孔明と同じ在野の士だが、天下の万物を
       救い助けようと云う自負は、人並以上に抱いている・・・・。







      遊諸葛武候書臺 
                     (諸葛武候の書台に遊ぶ)   陸 游りくゆう

      シ正陽道中草離離  シ正べんよう道中どうちゅう 草 離々りりたり
      臥龍往矣空遺祠  臥龍がりゅうけり 空しくのこして
      當時典午稱猾賊  当時 典午てんご 猾賊かつぞくかな
      氣喪不敢當王師  気 うしなわれて 敢えて 王師おうしに当らず
      定軍山前寒食路  定軍山ていぐんさん ぜん 寒食かんしょくみち
      至今人祠丞相墓  今に至るも 人はまつる 丞相じょうしょうの墓
      松風想像梁甫吟  松風しょうふうに想像す 梁甫吟りょうほぎん
      尚憶幡然答三顧  なお おもう 幡然はんぜんとして三顧に答えしを
      出師一表千載無  出師すいし一表いっぴょう 千載せんざいに無し
      遠此管樂蓋有餘  遠く かんがくに比するも けだし余り有り
      世上俗儒寧辨此  世上せじょう俗儒ぞくじゅ なんぞ 此れをべんぜん
      高臺當日讀何書  高台こうだい 当日とうじつ なんの書をか読める


        ※後主・劉禅は、諸葛孔明の生涯の忠節に感じ、死後に『忠武候』の諡号しごう(おくりな)を与えた。

      (通釈)  ーー諸葛武候の読書台を訪れてーー

       ここシ正陽べんようの道すじには、草が離々りりとしてい茂る。臥龍がりょう・孔明は遠く去って、空しくやしろ
       だけがのこされた。当時、典午てんごなる司馬懿仲達★★★★★は、狡猾こうかつ賊将ぞくしょうにふさわしく、勇気も
       したまま、正義の蜀軍と戦おうとしなかった。ああ、定軍山ていぐんさんのふもと、寒食かんしょくの季節のみちよ、
       今に至るまで、人々は諸葛丞相の墓をまつっている。
       吹き渡る松風の音には、かの「梁甫吟」のうたを想い、いま尚 憶い出されるのは、孔明が
       幡然きっぱりと起ち上がって 劉備の三顧に答えたこと。  『出師すいしひょう』のような文章は、千年来、
       書かれていない。遠く 管仲かんちゅう楽毅がっきに比べても、孔明はさらにすぐれていよう。世間の俗儒
       たちには、その事が分からない。
       この読書台で、当時、孔明は、どんな書物を読み、何を考えて居たのだろうか・・・・・。



    


             星落秋風五丈原せいらくしゅうふうごじょうげん 
                         「土井どい 晩翠ばんすい
                                   ( 原詩1〜7の全文は、別章にて紹介予定)
                 (1)
            祁山きざん 悲秋ひしゅうの風 けて
            陣雲 暗し 五丈原ごじょうげん
            零露れいろあやしげくして
            草れ 馬は肥ゆれども
            しょく軍のはた 光無く
            鼓角こかくの音も 今しづか。

                *    *    *    *
            丞相じょうしょう やまいあつかりき。

                 (2)
            嗚呼ああ 南陽の旧草盧きゅうそうろ
            二十年の いにしへの
            ゆめ はた いかに 安かりし、
            光を包み をかくし
            隴畝ろうほに 民と交われば
            王佐おうさの才に 富める身も
            ただ一曲の 梁父吟りょうほぎん


            閑雲かんうん 野鶴やかく 空闊そらひろ
            風にうそぶく身はひとり、
            月を湖上にくだきては
            ゆくえ波間の 舟ひと
            ゆうべ 暮鐘ぼしょうに誘われて
            うは 山寺さんじの 松の影。


            江山こうざんさむる あけぼのの
            雪にる 道の上
            寒梅かんばい せて 春早み、
            幽林ゆうりん 風を穿うがつとき
            ともは 野鳥のくれの歌、
            紫雲しうんたなびくほらうち
            そや 棊局ききょくの友の身は。


            その 隆中りゅうちゅうの 別天地
            空のあなたをながむれば
            大盗だいとう そい はびこりて
            あらびて 栄華 さながらに
            風の 枯葉こようはらうごと
            治乱興亡ちらんこうぼう おもほえば
            世は 一局のなりけり。


            その 世を治め 世を救う
            経綸けいりん 胸にあふるれど
            栄利えいりを俗に求めねば
            岡も臥竜がりょうの名をいつ、
            乱れしにも花は咲き
            花 また散りて 春秋しゅんじゅう
            うつりは ここに 二十七


            高眠こうみん ついに ながからず
            信義 四海しかいに あふれたる
            君が三たびの音づれおとずれ
            そむき はてめや 知己ちきの恩
            羽扇うせん 糸侖巾かんきん かぜ軽き
            姿はえで 立ちいずる
            草盧そうろ あしたの ぬしや たれ。


            古琴こきんの友よ さらば いざ、
            あかつき さむる西窓さいそう
            残月ざんげつの影よ さらば いざ
            白鶴はっかく 帰れ 嶺の松
            蒼猿そうえん 眠れ 谷の橋
            岡も替えよや 臥竜がりょうの名
            草盧そうろ あしたは ぬしも なし。


            成算せいさん 胸におさまりて
            乾坤けんこん ここに一局
            ただ掌上しょうじょうすがごと、
            三分さんぶんけい はや成れば
            見よ 九天きゅうてんの雲は
            四海しかいの水は 皆 たち
            蛟竜こうりゅう 飛びぬ ふちの外。


                   ※ (3)〜(7)は割愛
              (原詩の最終章)
        

            嗚呼ああ 五丈原ごじょうげん 秋の夜半よわ
            あらしは叫び つゆは泣き
            銀漢ぎんかん 清く 星高く
            神秘しんぴの色につつまれて
            天地 かすかに光るとき
            無量のおもい もたらして
            「無限のふち」に立てる見よ、
            功名こうみょう いずれ 夢のあと
            消えざるものは ただまこと
            心をつくし 身をいた
            成否を天にゆだねては
            たましい 遠く 離れゆく。




            高き き たぐいなき
            「悲運」を 君よ 天にしゃせ、
            青史せいしの 照らし 見るところ
            管仲かんちゅう 楽毅がっき たぞや彼、
            伊呂いりょ伯仲はくちゅう 眺むれば
            「万古ばんこそら一羽毛いちうもう
            千仭翔せんじんかくる ほうの影、
            草盧そうろにありて 竜と
            四海しかいでて 竜と飛ぶ

            
千載せんざいまつ 今もなお
       
名は かんばしき 諸葛亮しょかつりょう
            
      【第99節】 嵐を呼ぶエルドラド(黄金境)  →へ