第87節
2郎、2喬を娶る
                               噂のツィンカップル



夏の終わり・・・・石城に機を伺っていた孫策の元に、上流方面に放ってあった忍びから、次々と連絡(つなぎ)が入った。
「ーーフフ、まんまと引っ掛かりおったわ・・・・」 
劉勲はこちらの思惑通り、全軍を率いて〔海昏〕へ向かったとの確報であった。
「よし作戦通り、ここで軍を
2手に分ける。儂と公瑾ら本軍は、まっしぐらにに向かう。孫賁と孫輔(従兄)には精兵8千を率いて彭沢ほうたく(海昏への中間点)に向かって貰う。其処で劉勲の帰途を待ち伏せ、不意を突いてこれを側背から急襲、潰滅させる
蓋し、用兵の常識から観ると、その本軍と別動軍との兵力バランスは異例なものであった。今、全軍体制とは言え、江東を無防備にしてきた訳ではないから、石城の孫策軍の総兵力はおよそ3万であった。 そのうち2万余を皖城占拠に向け、残り8千を以って、 劉勲本軍の待ち伏せに当てる、というのだ。どう観ても、空き城乗っ取りに2万は多過ぎる。いや、そもそも本軍が劉勲本隊に当たるべきであって蛻の殻の城の乗っ取りなど小兵力の支軍に任せればよいのである(城の守備要員が必要であったとしてもである)又2方面作戦である場合、孫策と周喩とは夫れ夫れ一方の総司令官となるのが望ましく、2人ともが1方面だけに揃ってしまうのも不自然である。−−と云う事は・・・・全幕僚も、孫策と周瑜の”花嫁取り”を事前に快諾していたと云う事である。万が一にも姉妹が傷ついたり、拉致されたり、逃げ去ったりしない様に、万全の措置を構じたのだ。
「今回の作戦の生命線は迅速な行軍スピードにある
江夏郡太守・中護軍・建威中郎将となった【周瑜】が、将兵に訓示した。
「皖城は今、蛻の殻だ。敵兵は居無い。だから、向うでは戦さは無い。その代り、皖城に着く迄のこれからの3日間は、不眠不休の死に物狂いで突っ走って欲しい
蕩寇中郎将程普が締めくくる。
「皖城を陥したら直ちに反転、次は彭沢の友軍と合流して劉勲を追撃する。この折、必ずや荊州から黄祖軍が救援に駆けつけて来よう。この黄祖こそは先君・破虜将軍(孫堅)さまの仇である
これを誅滅する事こそが、この作戦の使命である。従って皆、過酷な進軍とはなろうが、先君の怨みを雪ぎ、我らの仇を晴らす慷慨の志と意気とを持って臨むのじゃ
よいな、途中で決して顎を出すんではないぞ。全軍、然と心して掛かれィ〜!!

尚、周瑜の肩書となった中護軍ちゅうごぐんとは司令官を指す呉軍独自☆☆★★の職制であるが、注目すべきは、
         《江夏郡太守》の肩書きの方である。
江夏とは現代の武漢市であり、当時も長江中流の重要拠点であった。問題なのは、その〔江夏郡〕は、孫策の版図内には無く、荊州を治める劉表の領土内に在る事なのだ。当然の事ながら、今も劉表が任命した本物の江夏郡太守黄祖が存在している。
つまり、孫策は、それを承知で敢えて周喩を江夏太守に任じ、
劉表に対して"宣戦を布告"していたのであるそして、その侵攻の総司令官は周瑜公瑾である!と、天下に知らしめたのであった。
さて訓示が終わると、さあそれからが大変であった。 騎馬は全て待ち伏せ攻撃の別動軍に渡し、君主タル孫策スラ徒歩トナッタ。道なき道をまっしぐら、2万余の将兵は全て己の足で山を越え、湖沼や川を渡り、谷を下り、眠る間も惜しんで驀進した。その過酷さは生半かな ものではなかった。かつてどの軍も体験した事の無い歩兵軍団の行軍スピードであり、通常の4倍にも達する凄まじさだった。2日目には多くの将兵が、半ば意識朦朧となっていった。だが、主君と総司令官の2人が、自ずから全軍の先頭に立って進むのだから、その家臣たる将兵が遅れる訳にはゆかない。2人の若さが全軍を引っ張った。いかに肉体が悲鳴を上げようとも若い2人の胸の裡には、燃え立つ如き、〔未来の妻への想い〕が有る。−−3日後劉勲の拠城である
に、突如2万余の大軍勢が現われた。抵抗も何もあったものではない。城内に在ったのは、ただ非戦闘用員の者達だけであった。
皖城ハ即座ニ降伏シ、其ノ捕虜ノ中ニハ、袁術ヤ劉勲ノ妻子モ居タ。工芸者ヤ軍楽隊モ含メ、其ノ数ハ実ニ、3万人ヲ超エタ・・・・のである。孫策は直ちに汝南の「李術」を《盧江太守》に任じ、兵3千を置いて皖城を守らせると、捕虜にした者達全員を江東(呉のまち)へ護送させた。劉勲の妻子への処分は不明だが、袁術の妻子は終生手厚く遇されたようだ。袁術の娘は、のち孫権の後宮に入り、その子の袁曜は郎中に任命され、又その娘は、孫権の子の孫奮に娶わされていく。



ーーさあ〜、その時が来た・・・・
軍装を脱ぎ去り、目一杯にめかしこんだ孫策と周瑜の2人だけが待ち侘びる、皖城接見の間・・・・ついに噂さの〔2人の乙女〕が招し出されるのだ!その間2人はいつもの彼等らしくもなく、妙にそわそわと落ち着きがない。
「なあ、2人ともが揃って噂さ通りであって欲しいな。」
「万が一どちらかが不美人であっても、互いに恨みっこ無しだぞ」
「いや、その時は、縁談は無かった事としよう。我等の一方でも気に入らねば、話しは無しだ。」

「それより一目見て、どちらが姉でどちらが妹か、直ぐ判るかな?ぶっちゃけた話、兄が必ずしも姉の方を気に入るとは限らんからな。弟も同じだが・・・・。」
「内々には、橋公に話しが通じてあるのだ。姉妹の方でそれとなく我等の前に立つであろうさ。」
「でも、もし、あちらがこちらを取り違えたら何うする?互いに初対面なんだからな。」
「そうだな。ま、カッコつけずに、互いに自己紹介した方が無難かな?」
孫策も周瑜も、お互い気もそぞろ、殆んど上の空の、たわいもない会話が続いた・・・・と一瞬、部屋全体がサッと目のめる様ないろどりに明るんだ
「−−おお、これは・・・・

「−−まさに・・・・
余りの美しさに絶句する2人・・・・。孫策などは、危うく手にした扇を取り落としそうになった。大喬・小喬と呼ばれるその姉妹は、いずれ劣らぬ、極めつけの美貌であったのだ。今や、さっきの会話などふっ飛んでいた。
可憐かれんにして清艶せいえん・・・・心臓が跳び出す程の、
           くっきりした美形・美貌 であった。
一瞬にして心の眼を射抜かれた孫策も周瑜も、最早この運命的出会いの前には、何ら抗う術とて無かった。ただ只管に、魅惑され尽すばかりであった・・・・・。

 
の方は一枝濃艶いっしのうえん露花ろかこらが如く
     

もまた梨花一枝りかいっし春雨しゅんう風情ふぜい・・・・
     
であった。単に容姿が麗わしいだけではない。その楚々とした立居振舞の1つ1つが、深い教養と、慎ましやかな気品とに満ちており、隠しても自ずと現われる清らかな内面の輝きをたゆとわせていた。又、呼ばれて答えたその声が、何の屈託も無く、澄んだ鈴の音の様に美しい。
何せ、
正史に・・・・トモニ絶世ノ美人デアッタと、堂々と書かれているのは、この姉妹しか居無いのだ!!
曹丕が奪った『甄氏しんし』すら、正史には容貌についての形容は無くかろうじて補註の〔世語〕なる書に「類いまれなる美貌であった」と在るだけであり、曹操が溺れた『鄒氏すうし』に至っては「張済の妻」とだけしかないのだ。
ーー・・・・だからこの 
橋姉妹 (大喬と小喬)は、
正真正銘、折り紙付きの超美人であった!と、言ってよいのである。とは言え、孫策・周瑜の兄弟とて、こちらも亦、男前を世に知られる超美男子である。世の美女を見る眼は十二分に肥えているとの、些かの自負も有った。だが、そんなチャチな自信は完璧に打ち砕かれた。
「・・・・おい!!」思わず伯符・公瑾の2人は互いに顔を見合わせ、そしてウンと強く頷き合った。・・・・のちに孫策は、この時の、男としての狼狽ぶりを照れ隠しする為に、
橋公の2人のむすめは、美貌であるとは言え、我々2人を婿むこに出来たのだから、喜んでよいのではないかな。』 −−江表伝ーー
などと周瑜に強がって見せる。だが、その本心は、両者ともに、例えてみれば、
 
に在っては 願わくば 比翼ひよくに鳥とならん
 
に在っては 願わくば 連理れんりの枝とならん
              ・・・・(白楽天・長恨歌)・・・・であったろう。
一方、姉妹の方も驚いた。《絶世の美男》と云う言葉は無いが、眼の前に立つ2人ともが、キリリと彫りが深く、そしてズシリと存在感があった。家を出る時、父は娘達にこう言い伝えてあった。
線が太く野性的な凛々しさをお持ちのお方が孫伯符様・・・涼やかな気品が有って、理智の輝きをお持ちの方が周公瑾さま・・・お2人ともに、父から見ても、それはそれは、惚れ惚れするような、男が董り立つ方々じゃ」 と。ーーそんな”男の中の男”が今、2人そろって自分達を求めていた。ギラギラした男の情欲の対象としてではなく、その生涯を共にすべき【愛の伴侶】として、真剣そのものの心で向かい会っている
《−−こんなお方が、この世には居られるのか・・・・

息が詰まる様な、乙女として生まれて初めての、眼の眩むような異性体験であった。じっと自分を凝視める、海の様に深い眼差し
・・・と不意に、予想もしなかった異変が、彼女達の身に起こった。カッと全身が熱くなり、耳の先までが真っ赤になってしまったのだ
転瞬、胸が張り裂けんばかりに激しく高鳴り出していた。
《ーーまあ、はしたないこと・・・・
!?
と、我が身に狼狽する処に追い討ちが掛かった。
「−−可愛ゆいのう・・・・
!!
伯符が思わず感嘆の声を浴びせたのだ。

−−・・・・!?」言われて益々紅潮する頬・・・・己の肉体が、勝手にこんな風に反応してしまっている事に、更に驚き恥じらう姉妹息苦しい様な甘い困惑と幸福感・・・・・
2世紀の世界にも、【青年処女】が居た。
「我等はズッと、そなた達を妻に迎えたいと願い続けていた

ーー・・・・・。」
「ふつう結婚とは、一対の男女が夫婦となるものだ。だが、私と彼とは、生まれた後から兄弟となった、特別の親友なのだ。 だから2人ともが同時に妻を娶りたい。」
「然も、同じ血を持つそなた達姉妹から、 その愛と血とを分けて貰い、本物以上の兄弟に成りたいと願っているのです。」
「だからと言って、姉妹なら誰でもよいと云う訳では決してない。今こうして直接会ってみて、私は確信した。これは天が、既に決めておかれた、互いの結婚相手なのだと
!」
「・・・・・
「一人対一人ではない。二人対二人なのです。だが、だからこそ余計に真の愛が欲しいのです。偽りの無い、生涯不変の誓いを立てたいのです。この四人のうち、一人でもが相手に愛を感ぜず少しでも不安や不信を覚えるのであれば、私達はそれを尊重し、無理強いはしたくない。」
「俺は今、天に感謝している。公瑾はどうだ
!?
「俺も、このひとしか居無い
と強く感じている。」
「そなた達も真実を言ってくれ。それぞれ生涯を共にしてよい相手と思おうてくれるか?」
そこに、処女おとめの恥じらいこそ有れ、相手を忖度そんたくする如き躊躇ためらいや感性に反する様な拒みの感情は、微塵の生じようも無かった。

「−−はい、お誓い出来まする・・・・!」
姉の【大喬は、真っすぐ伯符の眼の中に、己の宿命を受け容れて、その美わしき面をあげた。

「−−はい、嬉しゅうございまする・・・・・!」
妹の【小喬にも何の不満・不服が在ろうや。
                        
「ーーよかった!!よかったな公瑾!」
「うん、よかった!嬉しい日となったな!」

「・・・・・だが、済まぬ。戦時の折ゆえ、此処ではきちんとした式は挙げられぬ。気の効いた贈り物とて渡せない。いずれ国を挙げての華燭の典を行なおう。今はそれで許してくれ。」
「・・・・済まぬなどと、勿体のうございます。形など何うでも宜しゅうございます。私達は唯、永遠に変らぬそのお心の外に、一体何を望みましょうか・・・・。」

かくて孫策伯符と周瑜公瑾の義兄弟は、これ以上望めぬ真にふさわしい伴侶を皖城に得たのである。
ーーその夜・・・・、角枕かくちん さんとして錦衾きんきん らんたる真新しい寝室で、伯符と大喬・公瑾と小喬とは惜しみなく、もっぱら 夜を夜にした。
(※こんなイイ場面なのに、些か興醒つやけしで申し訳ないが、翌年4月には、既に孫策は第一子(孫紹)を設けている事から、この皖城で初夜の床入りを果していないと”計算が合わなく”なる・・・・。)
                        ↑↑野暮の極みスミマセヌ
ーーちなみに、この・・・・
【2郎と2喬のツィン・ウェディングに 対する世の評判は、非常なる好感で受け容れられた。略奪した人妻ではなく、初々しい処女である点が、世に更なる好感度を高めた。(その対極には、中年となった好き者の曹操が居た。)誰が見ても、実に初々しく、清々しい夫婦であった。孫策・周瑜の2人ともが、中年を迎えるまで生きなかった為もあろうが、愛する妻以外との醜聞は伝わらない

この『二喬』美人姉妹との(婚姻)を介して孫策周瑜のそれぞれは、更に多重の意味で、固い絆で結ばれた。この乱れた世に於てこれ程までに互いを信頼し尊重し合った友情は、優れて他に例を見ない。若いだけに、ことさら純粋さが光る。
−−だが・・・・意地悪く、筆者はここで、君主の深層心理を解析してみたくなる。と、其処には、単に美しい友情物語りだけでは済まされぬ、有史以来くり返されて来た"別の世界"が仄みえる。畢竟、君主にとって周瑜公瑾と云う人物は、そこまで保険を掛けておかねばならぬ程に巨大な存在と成りつつあった・・・・と云う一面をも見逃してはならぬと思うのである。今は未だ、国の姿も朧げな段階であり、権力闘争など夢想だにできぬ状況下にはあるが、将来については、過去の歴史が数々の暗い事実を告げていた。いずれ君主をも凌ぎかねぬ、人望と実力を有する可能性は大であると(危惧ではないにしても)予想していたとしても、少しも不思議ではない。・・・・もっと言えば、呉の君主が孫策一族ではなく、周瑜であっても一向に差し仕えない位の巨大な存在として、周瑜への人望が集まりつつあると云う事実を示す。ーー順調に急発展してきた孫呉政権ではあったが、その未来は、いつに周瑜公瑾の心根ひとつに懸かっている、と孫策は無意識裡に認めていたのではあるまいか・・・・。だが無論、今2人の友情は、天の配材により、 2郎2喬娶る!!〕 の結実を果たし、ビクともせぬ強固なものとなっている。
そして、皖城で暫しの甘い蜜月を楽しむ間もなく、 孫策本軍は再び、更なる覇望に向って動き始める・・・・・。

             

何!が奪われたと!?え、孫策自らが乗り込んで来たと申すかそ、そんな・・・・。奴は石城に入ったばかりではないか速過ぎる誤報ではないのか」 皖城から南南西に2百`、「海昏」に至って居た劉勲はその報せに大衝撃を受けていた。
「−−ああ、
劉曄の言う通りであったか・・・・
今更悔んでみても、どうなるものではない。

「どうすべきであろう?城を奪い返しにゆくか、それとも劉荊州殿(劉表)の元へ、ひとまず身を寄せるべきか?」
〔海昏〕は、長江中流に南へ大きく切れこんだ、たて長の巨大な番卩陽湖の中程、その西岸に位置する邑である。皖城へ引き返すにせよ、荊州内へ保護を求めて動くにせよ、どちらにしても先ずは番卩陽湖を北上して、長江本流に出なければならない。そして、その番卩陽湖と長江の接合点湖の首れた出入口(咽元)に在るのが彭沢であった必ずこの彭沢を通らねば、以後の選択もない。

「大丈夫でございました。敵の姿は彭沢には見当たりませぬ。全軍を以って皖城を陥したものと思われます。」
「だろうな。これ迄の孫策は、常に一点集中の各個撃破を旨として来ておる。あの田舎者めに洒落た策など考えられぬわ。」
「で、今後どうなされるお心算りで?」
「やはり皖城を取り戻す。だが城攻めとなれば、我々の軍勢だけでは足らぬ。荊州からの援軍を待って合流し、それで孫策めを追い落としてやる。」
「事ここに至っては、それが最善の策と申せましょう。然し孫策は城を出て来るやも知れませぬぞ。」
「そうなれば望む所だわい。一杯喰わされたとは言え、幸い我が軍は一兵たりとも失ってはおらぬ。既に荊州には急使を送った。城攻めとなるか、野戦となるか・・・いずれにせよ
彭沢に宿営して上流からの援軍の到来を待つ事にしよう。」
「我が軍4万、無傷である事が何よりでございましたな。」
「士たる者の信義を踏みにじり小賢しい策を弄しおった山犬めに眼に物みせてくれるわ

・・・そうこうするうち劉勲軍は
番卩陽湖を渡り切って彭沢ほうたくに接岸何はともあれ、ホッと一息をついて旅装を解きにかかった。未だ各部隊が宿営場所を確保する為に右往左往している、最も軍律が弛緩する一瞬であった。・・・・とその時、突如、四方八方、全方位から軍鼓が鳴り轟ろいたかと思うや、信じられぬ数の軍兵が、地の中・森の中・水辺から、わらわらと湧き出で、ドッとばかりに襲い掛かって来たのである!!
「−−何事じゃ??」わんはしとを持ったまま劉勲りゅうくんは腰を浮かした。
「敵の奇襲攻撃でございます

「−−敵
敵とは誰だ、山賊どもか?」
「判りませぬ。ですが、待ち伏せ攻撃に違い御座いませぬ」 「その数は!?」
「然とは申せませぬが、およそ2、3万かと。」
黄祖軍を見誤ったのではあるまいな?」
「何を馬鹿な事を・・・・孫策の別働軍でござる!」
「おのれ〜孫策め
どこ迄、この儂をたばかる心算りか!」
口中の飯粒を、喚き散らす間とて無かった。
孫賁孫輔に率いられた最精鋭8千の、満を持した周到な待ち伏せを受けては数万を誇る劉勲軍も、何ら為す術とて無く、その中枢をグチャグチャに分断され、アッと云う間にただの敗走軍と化してしまったのである 「くそ、こんな所で殺られてたまるか!!【黄祖】殿の軍がこちらへ向かっている筈だ。何としてでも西へ向え!楚江へ船を進めよ!楚江の川上、尋陽へ集結いたせ
そう指令するのが精一杯であった。あとは各個・各船が己の生き残りだけを賭けて、とにかく敵から逃れる事のみに専念する大潰走と成り涯ててしまったのである・・・・
「追え〜、逃すな!どこ迄も追い詰めて、必ずやその息の根を止めてやれ〜ィ!!」
些かも追求の手を緩めぬ孫賁と孫輔。辟易とするも、必死の劉勲は船で尋陽に上陸すると、其処からは徒歩となり、更に奥地の置馬亭(馬も使えぬ急峻の地)へと遡った。追手を振り切る為、そこから急反転して再び長江を南へ渡るや、その西塞山」中に身を潜めた。そして(たまたま山中に放置状態にされていた)流沂城に入ると直ちに補修作業を命じ、塁を築いて守りを固めた。と同時に劉表に急を告げ、黄祖には救援を求め続けた。
一方、皖城を発った孫策本軍2万余は、一旦追求の手を止めて再集結した孫賁の支軍と(柴桑あたりで)合流。
西塞山せいそくざん流沂りゅうき)に籠る劉勲攻撃に狙いを定めた。・・・・同時刻、荊州の国境守備東部司令長官(江夏郡太守)の黄祖は、直ちに長男の『黄射』に水軍5千を率いさせ、劉勲の救援に急派した。だが、その黄射軍が到着する前に孫策軍は流沂城に襲い掛かった。敗残の劉勲はひとたまりもなく大敗北を喫し、従兄の劉階と共に僅か5百と成り涯てた残兵を連れて北に奔り、昔好みの曹操を頼って、その下に身を寄せる羽目に陥ったのである・・・(所謂、西塞山の戦い。)近く迄やって来ていた『黄射』も、その敗報に接するや、慌てて退き返さざるを得無かった。
(※その後の
劉勲・・・・曹操に可愛いがられ、トントン拍子に出世してその貴尊さは朝廷に鳴り響き、ついには平虜将軍・華郷侯にまで昇り詰める。だが、曹操との旧縁が有る事を頼みにし過ぎて日毎に思い上がり、ついには違法行為をくり返して逮捕され、免職となる。それだけの男だったと云う事であろう。又、彼の客員ブレーンであった劉曄は、寿春に逃れた為、曹操に迎えられてその腹心と成るのは大分遅れるが、曹叡(明帝)まで3代に亘り常に厳しい諫言を発し続けていく。だが最期は讒言に会い発狂死する。この劉曄りゅうようについては、今後《第U部》以降に登場する
さて、新たに劉勲の兵2千余と船1千艘とを手に入れた孫策。そのまま更に上流へ200キロ、ついにけい領内初めて★★★侵入し、その長江上の最初の拠点都市夏口かこうへと軍を進めた。思えば、これが以後幾十年にも及ぶ、荊州争奪戦の、銘記すべき幕明け★★★となるのであった・・・・・。


これに対し、一族郎党は勿論の事、妻子まで連れての総力戦の覚悟を定めた
黄祖も亦、開けた平地に、その全軍を展開して、孫策軍を迎え撃つ覚悟を、固めていたのである!そして其の持てる兵力の優位を活かす為に黄祖が選んだ決戦場・・・・


ーーそれは・・・・
させんであった!!
【第88節】 呉国の覇望 (ハネムーン大会戦)→へ