【第79節】
あれほど怖れられていた〔横江〕・〔当利〕の橋頭堡も、孫策軍の強襲を浴びて、一戦の裡に打ち棄てられてしまった!!
更には絶対安全と観られれて居たこちら岸の〔牛渚〕までもが、
シ寸いかだによる奇襲攻撃に遭い、丸ごとゴッソリと奪われてしまったとは!!
「ーー何とも不甲斐無き事じゃ・・・・」 2年近くもの間鉄壁の布陣だと誇っていた”劉遙側の最前線基地”は、【孫策】とやらが動き出すや否や、脆くも崩れ去ったのである!!
「我が右腕として頼りにして居た乍融は、たった1度の攻撃で竦み上がり、城に籠ったまま一歩も動こうとせん・・・。頼むは、秡陵の薜礼せつれいじゃが、大丈夫であろうかのう!?」
だが、そう言いつつも、曲阿の政庁に在る揚州刺史【劉遙】は、其の〔秡陵〕への大軍を増派した形跡(記述)は無い。
〔●秡陵ばつりょう城〕は、曲阿(劉遙本営)と牛渚(孫策軍)の、丁度中間地点に在る。
現代の南京市。「秡」の正字は『禾偏に未』である。
3代目・孫権の時、呉の2張の一人、張紘(子綱)の遺言に基づき、それ迄〔呉〕の城邑を本拠地として居たのを、【建業】と改名して都邑と成る。(※229年遷都・・・・魏も3代目・曹叡になっており、230年には司馬懿仲達が大将軍に任ぜられる。蜀も亦、2代・劉禅の代となっており、228年には諸葛孔明が第一次「北伐」を開始する頃)
元々は楚の武王が置いた邑で『金陵』と名付けられた。処が秦の始皇帝が此の地を通った時「望気者」(天へ立ち昇る、土地や人物の”気”を観る霊能者)が『此処の地勢には、王者の都邑たるべき”気”が御座いまする』なぞと(適当な事を)言ったものだから、さあ大変!激怒した始皇帝はその「石頭」まで連なる堅牢な〔丘・陵〕をズタズタに突き崩させて
”禾未クシの歯”状にしてしまい、その名も『秡陵』と変えてしまった
と謂う・・・・『江表伝』ーーその〔秡陵城〕は、曲阿(劉遙)からも牛渚(孫策)からも僅か50キロ。その気になりさえすれば、一両日で大軍を送り込める。(↑上図参照)”高を括って居た”と言うよりも寧ろ劉遙は、己の周囲から少しでも兵の姿が減る事を嫌った・・・としか、想え無い。何せ【劉遙】は、俄か元帥であるから、実戦経験が皆無であった。折角、大軍を動員して指令できる地位に在りながら、自分の方から積極的に撃って出ると云う、攻勢的心理に欠けて居る。 (※こうして観ると、〔黄巾軍との死闘〕・〔黄巾の乱〕は、其れを体験した、三国志の群雄や将兵達に、生の実践的教材?を付与していた・・・・と云う一面も在った事が識れる。ポッと出の劉遙には其れが無い。)
尤も、孫策が旗挙げ以前の段階で看破して居た如く、劉遙軍6万!と云う数字は、飽くまで名目上での事。
実際に彼の直接指揮で動ける、純粋な州兵の数は、其の何分の一であった点も見逃せ無い。謂わば在地の豪族達が、劉遙軍(州軍)の名の下に各個バラバラに己の領地・領分だけを守って居たと言った方がよい位である。それに対し【孫策】は、1点に全力を集中させ各個撃破を旨としてゆく。然も、無理・手こずりそうだと判断したら面子に拘泥せず、其処をスッパリ置き捨てて、手薄な他所へと狙いを変えてしまう・・・・神出鬼没、攻める側の利点を存分に活かしていく。そして其の間にも、降した兵力を加え、寝返って来る者達を吸い寄せて、どんどん増殖していく・・・・全く厄介な奴だ。そして何より仰天させられたのは、その素速さであった!
「御注〜進〜ん!!一大事に御座いまする。昨夜の裡に、既に”秡陵”は、敵の大軍に包囲されましたあ〜!!」
「な、な、何じゃと?未だ10日も経って居らんでは無いか!」
「そ、そう、申されましても・・・・。」
土台、孫策伯符と云う男が有する気宇の壮大さを解ろうとするのは、無理な注文と言うものであろう。凡人は凡人の器の中でしか物事を予見し得ぬ。まさか本気で、新しい〔国〕を建てる心算で居るなど、況して天下をその視野に入れて居るなど、誰が想い至ろうか!?自分(劉遙)であれば、難攻不落と謂われた拠点を奪ったら、先ず此れを徹底的に補強し、ドッカリと腰を据えてから次に備える。ーーそれが常道と云うモノだ・・・・だが、孫策の構想の中では、この程度は未だ未だ序の口。こんな玄関先でモタモタして居る心算など、緒っから無いーー《孫策 VS 劉遙》 の戦いの本筋は・・・〔気宇の大小の戦い〕であった・・・とも言える。
だから根本的に、”孫郎”の戦略・戦術は、おのずから尋常では無いのである。−ー−結果ーー・・・・
『長江ヲ渡ッテ薜礼ヲ攻メルト、薜礼ハ、包囲ヲ破ッテ逃走シタ』
・・・・のだった。この〔秡陵城〕の守将「薜礼」は字も伝わらず、『元、除州彭城国の相デ、陶謙カラ圧迫ヲ受ケテ秡陵ニ軍ヲ置イタ』・・・・としか記述が無い。寧ろ其のページでは僚友(?)の乍融が主で、薜礼の方は簡略である。 さて、秡陵を失った「薜礼」は
亀の甲羅と成って居る『乍融』を当てにして、その堅固な城内へと逃げ込んだ。・・・・だが(日時は特定できないが)、
仏教男で大ヤマ師の「乍融」は・・・『途中デ薜礼ヲ殺シ』てしまう。兵力も持たぬ、只の将軍気取りは、足手まとい・己の地位を脅かすだけの厄介者でしか無かったのであるーーそれにしても此の仏教男、安直に、すぐ人を殺害する。さぞかし仏陀は、お怒りであろう・・・・かくて〔秡陵〕は【孫策】のものと成り、曲阿の【劉遙】は真っ青になった。戦捷に沸く孫策軍!!作戦は予想以上の猛スピードで着々と進んでいる。順風満帆、全ては”若さ”の前に屈してゆくかの如くであった。・・・・だが、余りにも順調な”上げ潮”の時にこそ、想わぬ 隙が生ずるものだ。
【事】は、此の時に起こった!!
西の地平から一筋、土煙を蹴立てて、一騎の早馬が、尋常で無い勢いで駆け寄せて来た。「−−何事だ・・・・?」
「御注〜進〜ん!」・・・・転げ落ちる伝令。
「牛、牛渚の砦が、敵に奪われましたア!」
「な、何イ〜!!」 今度は、孫策側が仰天する番であった。
「敵とは誰じゃ!?」
「一旦逃亡した樊能と于麋が、散り散りに成っていた敗兵を集め直し、再び攻め寄せて参ったので御座います!」
「しまった!敵を甘く観て居たか!?」 一大事、出来
【牛渚】は今や、孫策軍の”生命線”と成っていた。敵の食糧備蓄
基地だったものをゴッソリ奪うと共に、新たに集められた分も含め
て、唯一最大の後方輜重基地として使って居たのである。是れを
失えば、万余の兵站はいずれ崩壊する。
「火の手は上がったか!?」 周瑜が鋭く尋ねた。焼き討ち目的の
攻撃を仕掛けられたら、万事休すである。
「いえ、見えませんでした。」
「ナムサン!敵の目的が、再占領であって呉れればよいが。」
「よし、直ぐ戻るぞ!!」 孫策の決断は素速かった。何の
躊躇いも無しの機微であった。こう云う事は一見、至極当たり前で
簡単の様であるが、一転の大ピンチに陥った場合、凡人は此処で
先ずアレコレと忖度・斟酌を巡らせて迷う。挙句、戦機を逸してゆく
ものであろう。だが孫策は寸秒も置かず、直ちに自ら先頭に立つと
1兵残さず、全軍を率いてまっしぐらに〔牛渚〕へと取って返した。
それにしても、何とも御粗末なドタバタ劇ではある。緒戦の勝利に
調子づき、勢いの儘に”情報活動”を疎かにした、帷幕全体の未熟
さが此処に仄見える。敵を呑んで掛かるのは好いが見縊るのとは
全く異なる。「樊能」や「于麋」とて武将としての意地は有ったのだ。
主要砦と大量の軍糧を奪われた儘おめおめと帰る場は無かった。
2人は密かに奪還を誓い合い、敗残の兵を再結集すると注意深く
孫策軍の動きを見守って居たのだ。ーーだが其の手持ちの兵力の
実態は・・・近辺の男女を刈り集めた、雑多な員数合わせに過ぎ無
かった。とてもまともには戦えない。そこで考え着いたのが、敵本隊
が遠征に出た後の、手薄な機会を狙って再占拠する作戦であった。
占拠さえしてしまえば後は門を固く閉ざし救援軍を待つ。その間に
もし孫策が引き返して来たとしても、秡陵城で対陣中の折、そう多く
の軍兵を差し向けては来られまい。又食糧大事に火攻めは絶対に
しないであろうから、味方が救援に来る迄、何とか持ち堪えられるで
あろうと読んで、機を窺ったのだった。−−と果して牛渚周辺の敵兵
を完全に蹴散らしたと思い込んだ孫策は1握りの見張り部隊だけを
残すと「牛渚」を空っぽにして「秡陵」へと出撃していったのである!
がこの場合、一概に孫策だけを責められ無い。何故なら樊能・于麋
軍兵士の風体を見れば、それも頷ける。確かに1万人を超える大群
ではあるが、とても「大軍」とは言い難い。着の未着の儘およそ兵士
には見えない。戦渦を逃れようとする流民の群れとしか思え無い。
却ってそれが、斥候の盲点とも成って、カモフラージュ効果を挙げた
のである・・・・そして目論見とおり、樊能と于麋コンビは〔牛渚砦〕を
奪還した。だが喜びも束の間。 此処で2人にとっては大きな誤算が
2つ同時に生じた。ーー何と、頼みの「秡陵城」は、孫策軍の猛攻の前に、忽ちにして陥落してしまたのだった。そのうえ孫策は1部では無く、本人みずからが「全軍」を率いて、疾風の如く押し寄せて来たのである!!
『孫策ハ此ノ事ヲ聞クト、兵ヲ還シテ、樊能ラヲ撃チ破リ、男女1万余人ヲ生捕りニシタ。』
孫策は素速い決断で、其の失敗を取り戻す事に成功した。だがこの時間のロスは、泡を喰らって居た劉遙側に、立て直しの余裕を与える事とも成った。そのタイムロスを取り返す策として孫策側は、陸路による進撃では無く、長江を「船で下る」戦術を採用する。”軍船”では無く、単に移動手段としての”船舶”なら何とか調達できたのである。何と言っても此処は長江の南『江東』の1部なのだ。人々の暮らしの中に”船”が息づいて居るのが〔江東〕なのだ。長江の大流ひとつを挟んで、その北と南とでは、世界がガラリと一変する。
目指す相手は・・・前回、単に封じ込めるだけで好しとし、籠城を許して、置き残していた【乍融】であった。彼の城には、秡陵で敗れた「薜礼の敗残兵」が加わり、その勢いは増していた。
「今度こそ返り討ちにして呉れるわ!」乍融は城から出ると、充分に手を加え措いた防禦陣地を頼りに、孫策軍迎撃の陣を敷いた
ーー戦闘は初め、両軍互角となって弓矢を射ち合い、歩兵が揉みしだき合った。・・・・死闘一刻・・・・戦いの裡には、両軍のパワーバランスが、突然一方に大きく振れる瞬間と謂うモノが在る。所謂、”戦機”とか”戦気”と言われる、勝敗の回転軸・転換点である。其の機を逃さず捉えて、一挙に総攻撃を指令するのも、其れを補強して逆転に持っていくのも、いつに、総司令官の瞬間的判断力・軍才に懸かって来る。ーー・・・「今だ、ここぞ!此の機を逃すな!一気に敵を殲滅せよ!」我に続け〜!!と叫ぶや、孫策はみずから親衛騎兵を率いて、どっとばかりに敵中に攻め入った。君主その本人が、軍中最大の戦闘能力を示し得るのは天下広しと雖も、呂布と、此の孫策ぐらいのものだ。然も孫策は断然若く、その個人的武勇・撃破力は物凄い。【孫策】率いる親衛騎兵部隊が突進するや、眼の前の敵がバタバタ倒れて、敵の密集隊形が左右に割れ、其処に一筋の進撃路が浮かび上がっていく!【周瑜】も続く。周瑜公瑾は、〔我が友の守護〕のみを念頭にインプットしてある。そして万一に備えて、己の直属部隊は未だ投入せず、本陣脇に待機させて措いた。「乍融の首を取れ〜イ!」孫策の大号令が轟いた。敵本陣の総帥旗が間近に見え始めたのである。・・・・が、孫策は逸り過ぎていた。流石に敵も、本陣近くは防禦線が厚く、巧みに遮蔽した丘の両脇には、予備兵力が温存されて居たのだ。
〈−−しまった!〉・・・・乱戦の中、周瑜が気付くと・・・
視界の中に伯符の姿が無い。左右から湧き出して来た、新手の敵勢に遮られ、見失ってしまったのだ!
〈マズイぞ!!〉 周瑜自身も孤立しかけて居た。敵中深く入り過ぎたのは明白だった。ーーそれでも偶々、周瑜の視界に
老将【程普】の勇戦する姿が映った。もう60に成ると云うのにその鍛え抜かれた肉体は鋼の如くである。流石に頭髪と口髭は真っ白に成っているがどっしりとして風格の有る、軍部最大の元勲であった。
「程公〜〜!!」
大音声で呼ばわりつつ、雑兵達を叩き伏せて馬を寄せた。
「伯符の姿を見失いました。恐らく此の前方、敵中に深く入り過ぎたものと思われます!」 ギロリと眼を剥く老将。
「そうか、いかにも若殿らしいな。相い分かった。”若”は必ずや、此の程普が連れ還り申す!そなたは、新手を率いに一旦戻り、また迎えに来て呉れ!」 言い置くと、白髪の老将は、大長刀を引っ下げて、キッと前方を睨むや唯一騎、馬腹をひと蹴りして、敵だらけの激戦区へと押し入って行った・・・・!!
兎に角この【程普徳謀】抜きには〔孫氏3代〕は語れ無い。
初代・孫堅に最初の最初から付き従い
その時すでに最長老であったが〔黄巾軍〕や〔董卓軍〕を撃滅する戦歴を持つ。裸になると身体中に、その時の手傷が残っている。これから先も呉国の全ての戦役に加わり、その主柱と成って国軍を担う重みを増してゆく。 ずっと後、《赤壁の大決戦》では、周瑜公瑾と肩を並べて、左と右の大都督=(総司令官)に就き、全軍に睨みを効かす。人柄はさっぱりとして気前が良く、部下への援助を惜しまず、また、知識人と交わる事を喜びとする一廉の人物である。人々はみな親しみと尊敬を込めて何の抵抗も無く、『程公』と、呼んだ。
・・・乱戦となった。勢いに任せ、深入りし過ぎた所為である《この未熟者めが!!》周瑜は己を責めた。これほど急がずとも勝利は確実だったのだ。にも関らず最も戒しむべき戦術のイロハを忘れ、みずから墓穴を掘りかけて居るのだった・・・・。
《俺も未だ未だ、ヒヨッ子だな。程公は一言も吐かれ無かったが、内心は舌打ちされて居たであろうな。》
然し周瑜は、ここで頭を切り換えた。一旦後方へ戻り、待機させて措いた自分直属の部隊を率いると、他の予備部隊をも糾合した。そして、〔車掛かりの戦法〕で、香車(槍)の如くに、敵中に切れ込んでいった。今度は大部隊で進む為、乱戦とはならず、余裕を持った進撃と成った。然し未だ、孫策の姿は見えない・・・・・
※《車掛かり》→→密集する敵軍の中を一直線に突き進む為の、槍型の戦闘陣形。槍の穂先に相当する部隊が、車輪の如く、常に新しく入れ替りながら前進するので、損耗が少なく、しかも強い。同時刻。周瑜の僅か300メートル先で、孫策は周囲を全て敵に囲まれ、完全に孤立して居た・・・・次々に向かって来る雑兵なら恐るるに足らぬが、盲滅法に射掛けられる矢玉の雨にはヒヤリとする。 然し、こう成ってはもう、取り合えずは、眼前の敵兵を斬り倒すしか無い。おっつけ味方も追い付いて来よう。愛馬をしごいて前へ、前へと押し続けた。其処に死地が待って居ようなどとは思わない。−−と、ついに・・・・
流れ矢の一本が、右の脾(太腿)に突き刺さった!
恐らく至近距離から放たれた一矢に違い無い。ほぼ貫通していた痛みは感じ無いが、次第に、馬の腹を締め付ける力が弱まるのは判った。既述の如く、此の時代には未だ鐙と呼ばれる、足を踏み掛ける馬具は発明されて居無かった。その分、馬上姿勢を安定させる為に太腿をギュッと<締め付ける力が要求された。その力が弱く成って来たのだ。〈−−チッ!〉と舌打ちしつつ、尚も3、4人を突き倒す。余りの強さに雑兵どもは恐れを為し、孫策を遠巻きにし始めた。そのうち、敵将の2、3人も現われたら、厄介な事になる。
「ええい、退け、どけえ〜い!」おめきつつ馬腹を蹴った時、最初の激痛が全身に走った。
《−−ヤバイ!》馬を自在に操つれなく成ったら、ちょっとヤバイ。いや、だいぶヤバイ。かなりヤバイ!!流石の孫策も一瞬、観念のホゾを括った・・・とその時、戦場の騒音の中に懐かしいダミ声が聞こえた。
「殿〜〜!!」声の方を見遣ると、兜の脇から白髪を覗かせた【程普】の、老人焼けした赤銅色の顔が見えた
「おお〜い、程公、俺は此処だぞ〜〜!!」 その距離、およそ数十m。両者の間にはビッシリと敵勢が辺り一面を埋め尽くして居る。 「やあ、其処に居られたか。今すぐに参りますぞ〜!」
若い主君の姿を見つけた後の程普の勇戦ぶりこそ、此の戦さの 圧巻であった。従えたもう一騎の属官と共にウオーッ!!と咆哮するや怒髪は天を突き、殺戮の鬼と化した。猛戦するうち何時しか兜は外れ、美しい銀髪が戦風に逆立って物凄い。人馬一体となって大長刀を旋回させるや、瞬く間に十数名の首が刎ね飛ばされ、血飛沫が辺り一面を染めた。老将の眼中には何者も無いが如き勢いで、敵中に突撃を敢行したのである。身命を挺した程普の騎行の後には、赤い血の道だけが残った。尚もおめき進むや、孫策を取り囲んで居た数百の雑兵どもを悉く蹴散らし、見る見る裡に其処に無人の真空地帯を確保してしまった・・・!!
「見たか雑兵ども!尚も我が殿に害を為さんとする者あらば此の程普徳謀が、忽ち処に、あの世とやらへ送り込んで呉れるぞ!」
返り血を全身に浴びた其の形相の凄まじさは、敵の兵卒どもを竦み上がらせた。
「−−白髪鬼だア〜〜!!」
誰かが叫ぶと、雑兵達はワア〜っと逃げ出した。付き従って来た1騎が、それに追い撃ちを喰らわせた。これも強い(姓名の記述は無い)
「さ、殿。今の裡で御座る。この程普がお供仕る故、御安心召されよ。」 「美事じゃ!程公は人か?鬼か!」 激痛に半ば茫然として居た孫策は、我に返って感嘆した。
「何のこれしき。先代様も、ちょくちょく、こんな戦さ振りを為されましたわい。それより矢傷は大丈夫で御座るか?」
「面目も無し!ひどく痛むわ。」 「おやおや、之はチト深手じゃなま、命には別状は御座らぬが、ひと先ずは退くが宜しかろうと存ずる。」 従騎兵が手馴れた動作で止血の処置をした。其れを見届けると程普は愛馬を従騎に渡し、自分は孫策の馬に乗り移り、相乗りで手綱を捌いた。孫策自身では、馬腹を蹴る事も出来ない程の深手であった。 「程公は、我が命の恩人じゃ!」 「若殿を死なせたとあっては、冥土で文台どのに会わす顔が御座らぬ。」
60歳の宿将が21歳の主君を、
抱え込む様にダッコしてゆく・・・・。
「・・・・深く・・・礼を・・・もうす。」
と、其処へ、周瑜率いる大部隊が、やっと合流して来た。
「よかった。生きて居て呉れたか!兎に角ここは、一旦、牛渚へ退き上げよう!」
「・・・・折角の好機を、俺の所為で潰してしまった・・・・。」
流石の孫策もショゲ返って居る。「な〜に、戦況全体で観れば、大勝利さ!我が方の被害は、お前だけさ。」
「タハ、言って呉れるわ、ツツ!」
「それにしても、『程公』の勇戦なくば、どう成って居た事やら・・・。流石に歴戦の勇士の戦さ振りは、我ら若僧には足元にも及びませぬ。遠目より焦りつつ、一部始終を拝見つかまつらせて戴きました。この周瑜公瑾、心の底から敬服いたしました!」
が、言われた『程普』、そっぽを向いて、聞かぬ振りで無視。返事もしない−−もう御存知の通り・・・・【程普徳謀】は、内心・・・
『周瑜』を心よく思って居無い。周囲からは、2人は仲が悪いとさえ観られていた。程普は人前でも、その悪感情を隠さず、たえず周瑜を無視し続けて来て居るのであった。 ーー面白からざる心境・・・若い主君・孫策が、事有る毎に「周瑜よ、公瑾よ」と重用している事が、軍部を代表する重鎮としてはカチンと来て居るのであった。
『有容貌計略、善於応対』−−容貌 計略 有リ応対ヲ善クス・・・立派な外見を持ち、将来への見通しも効き、人との遣り取りも優れて居る。内外両面ともを兼ね備え、弁舌・議論にも優れ、最古参の実績を持つ男には・・・それなりのプライドと云うものが在った。とは謂え、もう此の齢であるから、今更40歳も年下の若者に対して、妬みや嫉みなどと言ったものは無い。寧ろ、周瑜に対してでは無く、周瑜を除いた、”家臣団への警鐘”の気持が強かったのだ。《孫堅どの以来の、第T期の宿将達が、不満を抱いたらどうなる?》・・・・最長老たる此の儂が、彼等の心情を代弁して見せる、最強硬派で在って措かねば、古参と新手との間に、無用の軋轢が生じよう・・・・《加うるに、今後さらに増加する新規参入の者達に、周瑜と同様な過分な待遇を欲せさせぬ為にも、儂が周瑜だけは特別な存在として、仕方無く認めて居る、と云った按配にして措かねばなるまいて。》
だから周瑜の人間が憎い訳では無い。周瑜が置かれて居る位置づけ、もっと言えば、若き君主への警鐘である気持が強い。程普自身、大した若者だと思うし、孫策とは将来に於いても絶妙なコンビと成るに違い無い・・・・とも認めて居る。第一、自分以外の者は全員と言ってよいほど皆、周瑜を好きだし惹かれている。又、周瑜の参入によって、孫策軍に”正統性”の如きものが醸し出されている、と認めざるを得無い。何しろ5世三公なのだ。
・・・・では、100パーセント演技かと謂えば、そうでも無い。そこが人間と云う生き物の不可思議さで、60歳であろうが”面白く無い奴は面白く無い!”で、在り続ける。我ながらに、
老人性・依怙地症候群気味とも言えようか・・・・?一方の周瑜は、そんな態度を取られても、一向に気にもせず、ひたすら程普を立てて下手下手に振舞い続けて居る。それが又、気に入らない。どうも癪に触って堪らない。
《ポッと出の若僧とは訳が違うぞ!》 その一念が、この老将の唯一の”澱”と成って、蟠って居る様に観える・・・・
「牛渚」に退き上げる途次、周瑜の頭脳に、或る閃きが走った。「おい伯符。お前はさっき、あの場で討ち死にした事にしよう!」 「−−??・・・・おいおい、俺を殺す気か?」
「いや、本気だ。」 周瑜は、己の策略を説明した。
「お前が戦死したと聞けば、敵は必ず我等を追撃して来よう。俺が囮になる。500ばかりの兵で迎え撃ちわざと敗走を重ねる。そこで程公には伏勢と成って戴き、深追いして来た敵を包囲して、殲滅してしまう・・・・程公、この策は如何がでありましょうか?」
「・・・・フン、面白い・・・・。」
程普は相変わらず、ぶっきら棒ではあった。
「よし、俺は死ぬぞ。今居るのは幽霊じゃ。ワッハッハ、是れは好いな!おっ、イテテテテ・・・・」
その儘、馬上会談で、新作戦の骨子がかたまった。伝令が走り、負傷して輿に担がれた孫策の元に、全幕僚が集められた。
「名案じゃ!是れぞ、災い転じて福と為す・・・・の策と申せましょうな!」 直ちに手配りが決められた。そして周瑜部隊500だけを残すと孫策の全軍は、丸で潮が退く様に恰も驚いた水鳥の群れが、一斉に羽音を立てて飛び立つかの如くに西へ西へと”退却”し始めた。そこで周瑜は兵士全員に、己達の役割を徹底理解させた他方、脱走兵を装った”間者”が十数名、敵陣内へと送り込まれた。
「−−何!孫策めが、討ち死にしたと!
・・・・確実か?!」
かろうじて防戦した乍融だが、あわや大敗北目前の戦局であった一方的に押しまくられ、もう少しで逃げ出す寸前のボコボコであった。それが突然の退却とは??然し、すぐ飛びつく乍融でもない
「何処からの情報だ?」「はい、脱走して来た兵卒の、複数証言が御座います。」「・・・・ふむ・・・・チト臭いな。他には?」
「我が軍の兵の中にも、孫策と思しき大将が、流れ矢を受け、多量に出血している姿を見た者が、数十名は居ります。」
「信用できる者達か?」 「それは、はい、根っからの味方でありまする。」 「−−物見は出したか!?」
「ハッ、物見兵の報告からも、退却中の宿将の幾人かが、慟哭して居るとの事で御座いまする。」 「一体、是れを、どう観る?」
「敵が圧倒的に優位で在ったにも拘らず、突如引き上げるとは・・外に説明が着きませぬ。」
「で、あるな。孫策めは元々、父親譲りの猪武者。きゃつが存命なら、ここでは絶対に退かぬ戦況であったしな・・・よし、
孫策めは死んだぞ!!その最期のザマも、父親譲りとは哀れな奴よ!」 疑り深い乍融も、流石にそう判定した。一旦そう観るや、乍融は俄然、強気の猛将に変身した。
「退却中の軍は弱いぞ!直ちに全軍を以って、追撃戦に移れ!一気に、これ迄のカタを着けてやろうぞ!!」
乍融は配下の「于茲」に、手持ちの殆んどを委ねると、急追を下命した。報せを受けた薜礼も、〔秡陵城〕に在った全兵力を率いると、大追撃戦に合流する為に飛び出して行った・・・・。
・・・・来た、来た!周瑜の予想を超える敵の大軍であった。ざっと観て、先鋒部隊だけでも3000は下らない。《乍融め、乾坤一擲に出て来たな!》 余り簡単に敗れ過ぎてもいけない。かと謂って、此処でむざむざ潰されては元も子も無くなる。初めは勇戦して見せ、相手をその気にさせなくてはならない。
退く頃合こそ、最大のポイント、将としての器量が問われる。又、単純に逃げればよい・・・・と云うものでも無い。途中、幾度となく抵抗して見せなければ、相手に不審を持たれる。警戒心を抱かせぬよう、敵を猟犬の心理状態に呑めり込ませ、そのまま波に乗せてしまわねばならぬ。難しい役廻りではある。
《出来る限り、損耗は抑えよう。だが、全員が無事である事は難しかろう。》己の匙加減ひとつに、500の兵の命が懸かっている・・・
「よいな。歩兵は、兎に角、走りに走って逃げよ。我ら騎兵が切り結んでは退却する。万一追い付かれても、己の身だけを守って、なるべく敵とは戦うな。但し、逃げる方角だけは守って呉れ!恐らく我ら騎兵も、自分を守るだけで精一杯となろう。」
兵士達の眼は真剣そのものであった。・・・・人は誰しも己の死にその意味と価値とを欲する生命体である。学も名も無い兵士達は今こそ其れを欲して居た。その事が痛い程に解る周瑜は、兵卒一人独りの眼を見ながら言う。
「もし 武運拙き時は、その者の家族は、この周瑜公瑾、私財を投げ打ってでも、必ず終生厚く世話を見させて貰うと誓う。又もし此の私自身が死んだ場合でも、其の事は既に孫策どのに伝えてある。だが兎に角、先ず己の命を1番にして呉れ!生き残れば大きな恩賞が待っておるぞ!
失敗は許され無い。後日、是れが呉軍の礎と成る、重大な戦さだったと評されよう・・・・さあ諸君、我等が呉の礎と成る時が来たぞ!子々孫々の為に、この任に選ばれた事を誇りとしようぞ!いざ心して掛かろう・・・・!!」
−−士は、己を知る者の為に、死すとも可なり・・・・・
兵士達は全員、疲れ果て、悲しみに打ちひしがれた様に項垂れ、意気消沈した如き格好を採った。だが、眼と心は燃えて居る。
「ウワア〜、敵ダア〜!
敵ガ追ッテ来タぞ〜〜!!」
さも驚愕して、先ず歩兵が走り出した。
それを望見した敵の騎兵部隊は、全速力で近づいて来る。500の内、こちらは300を騎兵にしてある。それは孫策軍にとっては、なけなしの騎兵達であった。迎撃に出た。−−先ず、騎兵同士の会戦となった。取り合えず、後続して来る敵歩兵の本隊が追い縋って来る迄の間、持ち堪えるよう厳命してある。流石に精兵揃いである。然もこちらは予め騎馬同士の戦いを想定して、軍装を長槍・長刀・戟など、柄の長い物に改めてあった。普通、騎兵は鉄の刀を用いる。歩兵を蹴散らす為である。それが効いて、未だ一騎の損耗も無い。寧ろ、こちらが優勢な位だ。意外な抵抗の強さに、敵騎兵も必死となっている。
そこへ、やっと歩兵本隊が追い着いて来た。頃はよし。
退け!退けーい! 周喩の騎兵部隊は、味方の歩兵位置まで退却する。追い着くと其処で止まり、再び騎兵戦を挑む。敵本軍が来るや又逃げる。それを繰り返す事、両三度。流石に双方に死傷者が生じて来た。 《よし、完全に喰いついたぞ・・・!》
これから逃げ出す道の先は、両側が大森林地帯となっている。敵本軍を、この林道に誘いこめば、事は成る。
「もう一戦したら、あの林の中へ駆け込め!」
《やった!歩兵の損失はゼロだ!》この時点で、敵全軍は、もはや取り返しのつかない、深追いを仕出かしていたのである。
突如、大音響と共に大軍団が現われた道の両側、林の中から、信じられぬ数の軍勢が、雲霞の如く、湧き出して来たのである!
右からは満を持していた「韓当」・「将欽」が、左からは功名に逸る「朱治」・「呂範」が、獲物めがけてドッと襲い掛かった。罠に落ちたと悟り、戻ろうにも時既に遅かった。退路には【程普】が現われた。 阿鼻叫喚の中、前へ進めば「黄蓋」が居た。「凌操」・「周泰」も居る。周喩の囮部隊も仮面を脱ぎ捨て、猛然と反転攻勢に出た。−−やがて、それはもはや戦闘とは言い難い、虐殺寸前の様相を示して終局を迎えたのであった・・・。
挙げた敵の首級は、実に1000を越え、残りの兵は全て捕虜となり、吸収された。
−−完勝であった・・・・これにより、揚州刺史の【劉遙】は政庁に取り残され、自ずから戦う前に、既に『敗軍の将』の汚名を被る事に成り涯てているのであった。
《孫策軍、大勝ス!!》の稲妻が走りぬけるや、長江の南の各地から、続々と将兵が参陣して来た。此の地は矢張、何と言っても【孫家】の地元なのだ。そしてーー孫策軍はついに・・・・2万を超える大軍となった!それもこれも、窮地に出現した『白髪鬼』の奮戦なくしては、達成できない戦捷であった。
お断り・・・・この【程普】による孫策救出劇は『正史の程普伝』中に記載されている史実であるが、その戦場は、この時ではなくもう少し後の”祖郎攻め”での事である。然し筆者の筆力では及ばない為、ここで挿入させて戴いた。罪ほろぼしに、それを次に揚げておく。
『孫策ガ祖郎ヲ攻メタ時ノ事、大勢ノ敵兵ニ包囲サレテシマッタ。ガ、程普ト モウ1人ノ騎兵トガ 二人シテ孫策ヲ庇イ馬ヲ駆ケテ大声デ叫ブヤ、矛ヲ構エテ敵中ニ突ッ込ンダ。敵兵ガ道ヲ開イタノデ、孫策ハ其ノ後ニ着イテ脱出スル事ガ出来タ。』
ーーしてやったり!孫策は傷をおして再び戦場に戻ると、わざわざ輿に乗って「作融」の軍営近くまで押しかけ、左右の者達にこう叫ばせた。
『孫郎の手並みを見たかあ〜〜!』
孫朗のお手並みはどうだあ〜〜!大勝に意気上がる孫策軍の雄叫びに、敵陣の残兵達は恐れ慄き、夜中に集団で逃走してしまった。
その【孫策伯符】ーー21歳の生命力と気力の横溢は、その矢傷を瞬く間に癒してしまった。休養すること10日・・・・孫郎軍の快進撃が再開された。その間ほぼ空き城状態に成っていた秡陵城は程普らによって苦も無く占拠されていた。
「牛渚を奪い還され」たり、「孫策自身が重傷を負」ったり・・・必ずしも平坦とは言い難かったが然し、孫策軍は確実に成長していた。何と、最初1000しかなかった兵力は、今や実に2万!を超える大軍団と成っていたのである!
ーー
『正史』は、この過程を淡々と記す。
『再ビ長江ヲ下ッテ 乍融ヲ攻メタガ、流レ矢ニ当タッテ股ニ傷ヲ負イ、馬ニ乗レ無クナッタ。其ノ為、輿デ担ガレテ牛渚ノ軍営ニ戻ッタ。逃亡者ガ居テ、乍融ニ告ゲタ。
「孫郎は矢に当って死んでしまいました。」乍融ハ大意ニ喜ビ、直チニ部将ノ于茲ヲ遣ッテ、孫策ノ軍ニ打チ入ラセタ。孫策ハ歩兵ト騎兵数百ヲ出シテ戦イヲ挑マセルト共ニ背後ニ伏兵ヲ設ケタ。敵軍ガ打ッテ出テ来ルト、刃ヲ合ワセヌ裡ニわざと敗走し、敵ガ其レヲ追ッテ伏兵ノ中ニ入ッタ所デ、徹底的ニ撃チ破リ、首級1000ヲ挙ゲタ。孫策ハ其ノ後デ、乍融ノ軍営ノ直グ側マデ行キ、左右ノ者ニ、『孫郎の御手並みはどうだ!!』
ト叫バセタ。
敵兵ハ此レヲ見テ恐レ慄キ、夜中ニ逃走シタ。乍融ハ、孫策ガ生キテ居ルト聞キ、更ニ溝ヲ深クシ塁ヲ高クシテ、防禦ノ態勢ヲ固メタ。』・・・・・
此の後の孫策軍は、父母の故郷・父祖の地で、怒濤の進撃・向こう所敵無しの、破竹の快進撃を繰り広げてゆく。
そして其れが、やがて現われて来る
【呉国】の原点と成るのである・・・・・
【第80節】 無敵・孫策軍 (故郷への凱旋)→へ