第76節
                           いかだ
パピルスの筏
                               我、長江を超えん!

今回の挙兵の成否は、いつに懸かって、牛渚ぎゅうちょ』の奪取いかんに拠る。単に長江南岸の橋頭堡を確保するだけの意味合では無い最大の目的は・・・・・「牛渚」に大量に備蓄されている敵の食糧と兵器・輜重要員を人物ごと、そっくり其の儘、手に入れる事に在った。此れから先の、涯てし無き江東平定戦の基本的備蓄として是が非でも確保して措かねばならぬ最重要案件であった。
その為には、
横江津を陥とすと同時に、間髪を置かず《対岸》に押し寄せる事が、ポイントと成る。そして時を移さず《牛渚》を包囲敵の投降を導き出し、軍糧を鹵獲する・・・そこで孫策軍の死命を決するのはーーやはり・・・・であった。
敵の船をぶん取って其れに乗って渡江する・・・・何とも心許無く危うい作戦ではある。横江・当利口を巻かされる位だから、その敵将である『樊能はんのう于麋うび』や『張英』とて愚かでは無い。戦勢不利と観るや、艦船に将兵を撤収して、長江を「牛渚」に渡ってしまうかも知れ無い。いや、いざと成れば、そうするのが『当然の兵理』と言える。但し、1つ盲点が在るとすれば・・・・それは、ここ2年に及ぶ敵側の
〔経験律による判断ミスであろう。呉景と孫賁のコンビはここ2年と云うもの、やる気半分の小戦闘を繰り返して来て居た。その戦い振りは、丸ごと砦を呑み込んでしまう様なモノでは無かった。それに慣れっ子に成って居て呉れれば、気が付くのが遅れる。其処が着け眼と成る。・・・・いずれにせよ、全軍の一糸乱れぬ電撃的強襲が要求される。
「望む所だわい
作戦企図が全軍に下達されるや、それこそ軍人の本懐とばかりに、全将兵は武者震いした。
そんな将校団の中に、孫家ゆかりの、生え抜きの部将が居た。その名を除昆と言う。祖父の「除真」は、初代・孫堅とは、至って親しい間柄であった。だから孫堅は自分の妹を妻として与え、その間に生まれたのが『除昆』であった。つまり孫策とは、又従兄弟の関係にある。(※昆の正字は王偏={王昆}である。)
除昆じょこんは、孫堅が黄巾討伐に動き出すや役所を辞めて最初から従軍し、以後は全ての戦役に活躍。その功を認められて、遂には偏将軍に任じられる迄に成っていた人物である。
尚この除昆の生んだ娘は、後に3代目・孫権の妃と成る。だが、その除夫人は、
 余リニモ嫉妬深ク
、辟易とした孫権は、とうとう堪らずに妃を廃して元に還らせる。
今回の旗挙げでは別動軍として当利口を任され、張英に攻撃を掛けた。だが懸念していた通り、押しまくられた張英は、船に跳び移り、長江上に出てしまった。その上で弓矢攻撃を中心に、時おり接岸しては逆襲したりの自由自在。除昆も敵の軍船の一部を手に入れたものの其の数は僅かで,とても応戦するには不足であった。そこで除昆は、戦闘そっち退けで、船探しに奔走した。
〔当利口〕だけでは無く、孫策本隊が攻める〔横江津〕でも事態は同様となっていた。土台、《敵の軍船を全て手に入れてしまう》と云う、作戦自体に無理が有ったのだ。だが、このまま此処で徒らに時を費やして居れば、急を報らされた
劉遙は、江東から大挙〔水軍〕を大増派して来るであろう・・・・そうなれば、この旗挙げは頓挫してしまう!流石に孫策も次手に窮し、内心、焦燥した。
ーーだが此の時、孫策軍は、何と・・・・・
1人の女性によって、この窮地を救われたのである!!
その女性とは・・・・
除昆のであった。ーー実は筆者は是れまで、孫策”と記して来たが、正確には孫策軍と、その後に続く”関係者達との大集団であったのだ。関係者とは、将官クラスの家族達を指す。 無論、全員では無いが、基本的には、帰るべき処無き旅立ちなのであったのだ。「袁術」から別れて、独立する事を目指す孫策軍としては、もう2度と再び寿春には還らない覚悟が必要であった。孫策の旗挙げに加わると云う事は、単に武将本人だけが参陣して済む、と謂うものでは無かったのである。その部将1人1人夫れ夫れが、一族郎党ごと家を捨て土地を捨てて・・・運命を共にする決意を固めることであったのだ
かと言って、部将全員が一斉に其の行動に出れば、猜疑心だけは鋭い袁術にバレてしまう。だから名立たる者達は、未だ単身で加わって居るのだが、除昆などは家族同道組であった。故に今、その陣営内に除昆の
母親も居た。
「−−昆や・・・・!」あたふたと〔船探し〕に飛び廻る我が子の姿を見て居た母親が、その背中を呼び止めた。
「今更、何をバタバタして居るのです!」
「敵の軍船を鹵獲すると云う作戦が上手くゆかず、船が不足しておるのです。」

解って居ます。もし揚州の役所(劉遙)の方から水軍を多数動員して迎え撃って来ると、戦いは不利になります。このまま軍を駐めて置いたりしては、なりません!
女性とて、運命共同体の一員である。ただオロオロと男達の後ろ姿を祈って居るばかりでは無かったのだ。
「仰せの通りで御座います。それで難渋致して居ります・・・・。」
「この母は無駄に長くは生きて居りませぬ。船が無ければ
其れに代わるモノを造れば良いのです
「と、申されますと!?」
除昆は縋る様な眼差しで、その母を見た
がまあしって、FU を作るのですいかだを作り、本物の船を補いつつ、軍を渡せば善いのです!!
除昆の母親は、思い付きを述べた訳では無かった。呉の地には古来よりFUと云う言葉が在ったのだ。造船技術が進んだ今では、死語に近かったが母親の子供時代には未だ"其れ"を使って渡江する人々が居たのである。 ーー即ちFUとは・・・・
葦舟あしぶね」=〔パピルスの舟 を指す。
FUの字は三ズイに付・・・・《水中の筏》・・の事であった。(三ズイに竹冠+卑=イカダ)
「ーーハハ!直ちに試作してみます!!」眼からウロコが落ちた思いの息子は、弾かれた様に幕舎を飛び出していった。
「うまいこれは往けるぞ。流石に我が母上じゃ
パピルスの舟は、美事に兵士数人を載せ、水中に没する事なく、長江上に浮かんだのである!!
なら、この岸辺に無尽蔵に茂っている。除昆は試作現場から、おっとり刀で孫策の元に走った。
「ウ〜ム、成るほど
母親に勝る賢者は無いのう!正に女神さまの御告げじゃな。よし、全軍これで往こう!!
除昆ガ 此ノ事ヲつぶさニ孫策ニ上言じょうげんスルト、孫策ハ直グ之ヲ実行シテ、軍勢ヲ全テ渡河サセタ。此ノ様ニシテ張英ヲ打チ破ッタ。』
いち夜明けた、その朝未あさま・・・・・横江おうこうの守将であった樊能はんのう于麋うびは、想わぬ敵の〔大艦船▼▼群??〕の出現に取り囲まれ長江上で立ち往生状態に追い込まれてしまったのであった。
「な、な、何だ、是れは
!?
目覚めて見遣ると・・・・突如、軍船の周囲には、纏わり付く様に異常発生した(現われた)藻屑もくずの如き
・・・・ゴミ??・・・の大群落
「ぜ、ぜ、全部、て、て、敵のイカダで御座います

「−−何じゃとオ〜
?? 進路を邪魔されて、思う様に身動き出来ずに居る所へ、敵のミニ水軍が効率よく、然も素速い動きで近づき猛将達を飛び移らせては、一隻ずつ各個占領し始めた。その操船の美事さと、飛び込んでいく将兵の強いこと!アレヨアレヨと言う間に、味方の兵達は斬り殺され、船縁から突き落とされゆく。敵ながら天晴れな、水軍の天才がキラリと光る
「あ、あれは誰じゃ!?」 「”周”の旗印が上がって居ります!」

ーー・・・・周瑜・・・か!!
「この儘では、我が方は軍船を、次々に各個占領されてゆくばかりで御座いまする!兎に角ここは、戦場を離脱するが一番かと思われます!」
「ウヌ、已むを得ない。全艇、下流へ撤退の合図を送れ!!
この異常事態に出っ喰わした「樊能」は、咄嗟に打開の良策を思い浮かばず、全軍を〔横江津〕の戦場から離脱させる事で精一杯となった。それ処か、モタモタして居れば、自分が次の占拠目標にされ兼ねぬと云う、大混乱の有様であった。
ーー結局・・・・
横江津当利口の劉遙軍は、散を乱して戦場離脱。袁術 (呉景と孫賁)が2年もの間、手こずって来た難敵を、孫策・周瑜コンビは、一瞬にして下流(曲阿)へと追い落としてしまったのである・・・・!!
「ーーそれにしても、美事な水戦みずいくさだなあ〜
孫策は改めて親友・周瑜の軍才に眼を見張った。
「何時の間に、そんな術を会得したのだ?」
「なに、俺は
が好きなのさ。大河の上を滑る、船の風を受けるのが堪らんのだ。」 「俺は水軍は空ッキシだ。」
「今は未だ、お前は
陸の王者を目指せばいいさ。その内いつか、天下一の水軍を創れば済む事だ。」
「まあ、そうだな。だが、正直、助かったよ。」
「お前と会わなかった3年の間にチョクチョク叔父貴の所へ顔を出していたのだ。その折に少しずつ
水の部曲をいじって居たのさ。」 「そうか。だからの館は、しょっちゅう留守がちだったのだな?」 孫策が九江盧江の初陣を戦った時、周瑜の姿がその中に居無かったのは、そうした訳も在ったのだった。
(袁術が周瑜を別の任地に赴任させて居た事が、最大の理由ではあったが)
「それにしても、”水の部曲”とは、前代未聞だな。」
は基本的に水の国だと、俺は思って居る。水の国には〔水軍〕さ!江東では水軍を持って居なけるば、ニッチもサッチもゆかんだろう。まあ、本格的な話は、未だ未だ先の事だがな。」
−−ここに・・・・
13年後赤壁の大決戦の主役たる、周瑜公瑾の原点が在った・・・・と言えようか。
さて、横江・当利の渡しを奪取した孫策軍・・・・騎馬の幕僚達は鹵獲した軍船に分乗し、その他大多数の将兵達は、無数のFU=筏に乗って、長江の流れを半ば押し流されつつ、斜めに押し渡っていった。中には即製の櫂の推進力だけでは足りず、腹這いになって手で漕いだり、ビート板よろしく、バタ足を推力とするFUもある。葦や蘆を浮き袋代わりとして抱きかかえ、個人で乗り出す豪傑もいる。当然の事ながら、対岸の揚陸地点は【牛渚屯】からは気付かれぬ、適度に離れた場所で在った。ビショ濡れの勇者達は其処で身を乾かす暇も在らばこそ軍容を立て直すと、又再びシャッキとして直ちに〔牛渚〕攻めに進撃した。−−このパピルス舟団に拠る渡江作戦は、対岸の牛渚屯に籠る敵にとっては青天の霹靂となった。渡河の手段を持たぬ筈の、孫策軍6000余が突如上陸して来たのだから、大恐慌に陥った。
・・・・結果として、この
牛渚ぎゅうちょの戦いは、一大奇襲作戦となって大成功した。対岸の火事とタカを括って居た為、その総括司令官であった「樊能はんのう」と「于麋うび」は両者共みずから横江津に出張って居たその為こちらの牛渚側には、名立たる守将を置いて居無かった。牛渚の屯は指揮官も無く、ただ右往左往・・・大混乱するばかりであった。挙句、びっしり屯を包囲されると一戦にも及ばず、孫策の一喝によって降伏・「無血開城」に至ったのである。
(※1984年に発見された”朱然の墓”は、此の牛渚の地)
孫策ハ長江ヲ渡ルト、牛渚ノ軍営ヲ攻メ、邸閣ていかく(食糧備蓄庫)ニ在ッタ兵糧ト武器トヲすべテ奪イ取ッタ。』
勝ちどきを挙げよ!!長江南岸★★江東の地に、初めて孫策軍の凱歌が挙がった・・・・・これで念願の、長江以南に其の橋頭堡を確保し、更には最大の懸案であった兵糧をも、周辺から調達(略奪)する要無く、入手し得たのである!無論、北岸に置き残して居た除昆の母親はじめ、孫策に従う民間人を早船で迎え取らせたのは言う迄も無い。味方同様、牛渚屯には将兵ばかりでは無く、多数の男女が居た。それも含めて孫策軍は、更に強大な、大集団へと成長したのである。  孫策は、この除昆の軍功を第一と認め、直ちに丹楊郡太守の地位を与えた。無論、未だ実質の無い肩書きだけである。ところが除昆は、丹楊の城邑(牛渚から30キロ東南)に入ると、忽ち周辺を慰撫して、大兵力をその手に収めて見せたのである。とは言え、これは明らかに「孫策」に対する江東の人々の期待が、たまたま先着した除昆の所に集まったと謂うものではあった。然し、除昆が新たに「大兵力」を持ったのは事実であった。結構な事だ。これで又、孫策軍は、精強で鳴る丹楊兵を加え、更に一段とその軍容が強化された事になる。
総計では
1万を遥かに超え、ついに、群雄★★】の一人にグイと躍り出た訳である・・・・然し・・・孫策の顔付を眺めると、その表情はイマイチ晴れやかでは無かった。どうも喜びは半分位と云う面持である。孫策ハ、除昆ノ兵力ガ大キク成ル事ヲ嫌イ、其ノ軍勢ヲ自分ノ手中ニ握ッテ措クベキダト考エ(江表伝)、除昆を呼び戻したのである。そして丹楊郡太守の地位には、かつて其の地に赴任していた舅の「呉景」を当てた。その代りに除昆には《督軍中郎将》の官位を授け、改めて兵を与え直したのである。この措置の裡には、既に孫策の君主』としての悩み不安との萌芽が垣間観られる。自軍兵力がドンドン増強されていくのは嬉しい限りなのだがーー《余りにも部外の勢力が大きく成り過ぎれば、俺自身の明確な君主権(ヘゲモニイ)が、それら勢力の中に分散・埋没してしまう・・・・のではないか!?》自分は未だ未だ若く、周瑜の如き名門の家柄でも無いから、果たしてガッチリ覇権の主として大軍を掌握し君臨できるのか??
いや、しなくてはならないのだ・・・・!!
         
さあ〜て、お次は、劉遙の楯と成って、
秡陵城に陣を構える薛礼せつれいを潰す事である。秡陵ばつりょうは、のち呉国の帝都と成る『建業』で現代の「南京」。ここ「牛渚」と劉遙の居城・「曲阿」との、ちょうど中間点に位置している。直線距離では僅か北東へ50キロ弱。
広大な大陸に生きる民族にとって、100kmや200kmの 移動は日常茶飯事。況んや50キロは隣り近所の範疇である。
こう成れば敵味方とも、急遽、斥候を出し合い、互いの情報を探り合う事となる。この時、敵の総帥・『劉遙りゅうよう』は、その任に一代の豪勇を派遣した。だが、劉遙の側近達は、口を揃えて、その措置・人選に強く反対した。
勿体もったい無い!
彼をこそ、我が総司令官★★★に迎えるべきですぞ!! 多寡が斥候程度に用いる様な、そんな、小さな人物ではありませぬ!!ーー然し・・・・劉遙は、煮え切らぬ態度の儘、彼を送り出してしまう。 「大部隊では、思う様な偵察は出来ませぬ。騎兵10騎をお与え下されば充分で御座います。」
サバサバした表情で一礼するや、その
超一級英傑は、まっしぐらに、孫策が占拠したばかりの、「牛渚」へと走り去った。

ここに、史上空前の・・・・華々しい
男の一騎打ち・・・・それも君主たる本人が 1対1を所望して」 激闘すると云う、後々の世にまで語り継がれる「男の劇場」の幕が、今、スルスルと上げられたのであった・・・・!!

華の一騎打ちが待ち受けているとも知らず、孫策
その男とは、歴史的邂逅かいごうの地点へと、刻々と迫ってゆく・・・
  
  【第77節】 三度の的射 (オチオチ眠れぬ月旦評)→へ