【第73節】
−−ところで、この大軍に膨れ上がった【孫策軍】・・・・全くの玉石混交状態であった。馳せ参じて来た者達の氏素性は千差万別。特に一番下の兵卒単位ともなれば、一体どこの馬の骨だか判らぬ連中も数多混じっている。そして、そんな中に1人・・・どうにも手の付けられぬ”悪ガキ”が、紛れ込んで来る。無論、こんな下っ端の雑兵達は、総大将に引き合わせられる事も無いから、孫策が此の”悪ガキ”の存在を知るのは大分あとの事になるのだが・・・・。
洟垂れの頃から向うっ気が強く、3度のメシより喧嘩が大好きで、此の世に生まれ、物心ついた時以来、1年中、身体に青アザの絶える事が無い・・・・と云う、近所でも評判の暴れ者であった。
「まっ、阿蒙ったら、又、喧嘩したね!お前まさか、弱い者イジメしてるんじゃ無いだろうね!」
母一人の苦労家庭だが、庶民の母の典型とも言える、其の母親も威勢が良い。ちょっと油断して居れば、ビンタかゲンコが飛んで来る。だから此の”悪ガキ”、半分及び腰体勢で答える。「おっ母あ、オリャそんな事はしねえズラ」
確かに其の通り。ウソでは無い。相手はみ〜んな年上のそれも強そうな奴ばかりを見つけては、こちらから平気で突っ掛かっていく。歳に似ず、肉体だけは巨大化して、力も強いものだから、アッと言う間に其の辺り一円の兄チャン連中を従えて、いっぱしの親分気取りに伸し上がってしまった。 図体だけを見れば、とても未だ12・3歳のガキンチョとは思え無い。そこらの町中をのし歩いては、好き勝手放題、酒や女の味まで覚えてしまう。
兎に角腕っ節だけは滅法強く、それが自慢の種であった。他人の喧嘩に割り込んでは、両方のしてしまう。ビックリした当事者は、全く無関係な相手に、訳も判らずスンマセンと謝り、何がしかの御勘弁料を差し出す。これが度重なると、当人にはそんな気は無いのだったが、何時しか「チョロイ小遣い稼ぎ」にも成ってしまっていた。 但し、そこは未だガキンチョだから、要求する物と言ってもせいぜい食い物どまりで納まっている。ーーだが、是れが長じて物欲や金品の旨味を識った時にはどうなる成るか・・・・!?然し御本尊に悪気は無い。ただ無性に暴れたいだけである。己自身もて余し気味の、持って生まれた猛々しい血潮が騒ぐのだった。
《・・・・暴れてえ〜〜!
フルパワーをブチ撒けてえ〜!!》
何とも物騒なガキであるが、近頃では喧嘩相手が居無くなってしまった。目星しい処は全部のしてしまった結果、辺り一帯恐れを為して唯々諾々である。《ーーツマラねえなあ・・・・。》
そこで此の悪ガキ、喧嘩相手を探している最中に、ふと閃いた。
《そうだ!もっとデカイ喧嘩が有るじゃねえか!》
義兄(姉の夫)の「鄭当」に,無理矢理頼んで、〔元服の真似事〕をして貰い、イッチョ前に『子明』と言う”字”を付けて貰った。
「兄貴、そいつア何て読むんだ??」
「是れはな、シ・メ・イ・・・だ。その謂われはな・・・言ってもムダか。まあ、お前に言っても無理だとは思うが、元服したんだから、せめて自分の姓名くらいは書ける様にして置くんだな。」
「あ、それなら御心配無く。」 「ほう〜、名前は書けるのか!」
「いや、そうじゃ無くて、この辺りじゃ、俺の名前を知らん奴なんて居無えから大丈夫って事さね。」
「−−・・・・・。」 「そんな些細な事よりさあ・・・・」
と、この悪ガキ、いよいよ本題を切り出した。
「兄貴、俺も元服した事だしィ〜、兄貴の軍隊に入れて呉んなよ。俺りゃあもう、小っせえ出入りにゃ飽き飽きしてんだ。な、何とか頼まあ。歳は満たねえが、どっかの隅っこで構わねえから、潜り込ませて呉んねえか?ね、ね、ね、お願いしま〜す!ねえ〜、ア・ニ・ウ・エ・様あ〜〜!!(ウフ、ゴロニャ〜ン・・・・)。」
「気、気持のワリイ声出すんじゃ無い。」 義兄の鄭当は、孫策の書記官を務めるプロの軍人であった。日頃から、この義弟の所業については、ガキンチョの母親から常々、「何とか大人しくして居る様に、お前さんからシッカリ意見してやってお呉れなよ!」 と、頼まれていた。
《ま、町中で人様に迷惑がられるよりはマシと云うもんか・・・。》
そこで鄭当は、一本クギを刺して措きつつ、取り合えずは様子を観る事とした。
「・・・そうだな・・・。体はデカいし力も有るんだから、ま、いいか。但し言って置くぞ。いくら図体がデカくてもお前は未だ10歳を3つ出たばかりなんだから暫くは〔見習い〕だ。実戦には連れていかん。せいぜい後方の荷物運びの役目をして居ろ!それで、いいんなら考えてやろう。・・・・どうだ?」
「は〜い、解りましたア〜!」
「・・・・あ・の・なあ〜、戦さは遊びでは無いのだぞ。そこ等のゴロツキ相手の喧嘩では無い。命の遣り取りなのだ。矢もビュンビュン飛んで来る。斬れば返り血が3メートルも噴き上がる。腕や足の無い死体がゴロゴロしておるのじゃぞ!」
「ひぇ〜、おお恐わ!ボクちゃん小便チビリそうで〜す。」
「フム、その点は、よ〜く解って置くんだぞ!」
「は〜い、その点は、よ〜く解って置きま〜す!」
ジェンジェ〜ン解って居無い。・・・・此の悪ガキにとっては、戦争も喧嘩の大型版・・・・位にしか思って居無い。丸っきり軽い乗りである。
《ま、この俺でさえ、初めて生の戦場に出た時には、ビビったもんだ。世間知らずのガキンチョには、ちょうど良い薬に成るこったろう・・・・。》
さて、この”阿蒙”改め”子明”と成った悪ガキ・・・鄭当と約束した通り、輜重隊の人足として、おとなしく義兄の尻にくっ付いて従軍した。ーー処が、いざ、敵とぶつかり、白兵戦と成った時・・・・
「お〜い、兄貴イ〜!」《−−・・・・!?》その聞き覚えの有る能天気なバカ声に、もしや!と振り返った鄭当は仰天した。 矢玉が降り注ぐ最前線のド真ん中に”阿蒙”(子明)の野郎がニコニコ手を振って居るではないか!!
「あ!馬鹿、何で此処にお前が居るんだ!?」
「はぐれちまってさあ。逃げようと思ってんだけんど、ハハ、どうも道に迷っちゃったみたいだ。」
「バカ、アホ、直ぐ戻れ!逃げようとする奴が、選りに選って、こんな乱戦のド真ん中に居るな!」
「やだなあ〜兄貴、今更そんな硬い事、言わねえで呉んなよ。ね
ホラ、これ兄貴への手土産にしてお呉んな。たぶん大将のも入ってると思うよ。」
申し訳なさそうにゴソゴソと開けて見せたズタ袋の中には
な、な、何と、敵の首級が3つも入っていた!!
「お、お前、何処で・・・・!?」
「何処って?此処でだよ?? 済まねえ兄貴。だってよう相手がこ〜んな顔して掛かって来っからさあ、仕方無かったんだよ・・・」
両手の指で顔の皮をツッパって「こ〜んな顔」を再現して見せるアホガキ・・・・・
「−−・・・・!!」此れにはプロ軍人の鄭当も、流石に舌を巻いた。とても13・4のガキとは思え無い。無鉄砲だが、肝っ玉が据わっている。この修羅場でも、全くブルって居無い。
「ホントずら。こっちにゃあ、そんな気はジェンジェ〜ン無えのにさあ、つい出来心で手が出ちまったんだよ・・・・。」
「・・・あ・の・なあ〜・・出来心で、敵の大将首なんか取るな!俺らプロの軍人の立つ瀬が無いじゃねえかよ。」
「ス、スンマセ〜ン!兄貴との約束やぶる気は、フントに無かったんだからア〜・・・・。」
《ーーひょっとしたら、トンデモナイ大物に成るか・・・・?》
だが、未だ、15歳にも成らぬ子供である。調子に乗り過ぎて、命でも落とされたら、母親から永久に恨まれる。そこで鄭当は一応、母親から再度厳重に、ぶっ太いクギを刺させる事にした悪ガキだが、此の地方の者だけに、然も母子家庭だから「母親思い」の心根だけは、人の何倍も強い。
「このバカタレ!あんだけ無茶すんなと言い聴かせたのに、未だ分かんないのかい!おっ母の言う事が聞けないんなら、罰を与えるよ!」 母親も気性の激しい、市井の女であった。
「いいかい阿蒙。おっ母あはな、お前の事が心配で心配で、夜も眠れないんだよ。今もし、ここでお前に死なれでもしたら、後に残されたおっ母は、独りで一体どうしたらいいんだい・・・・。」
初めは腹を立てて居た母親であったが、最後は涙声に成っていた。悪ガキも、どうも此の母の涙だけには弱い。
「ーーおっ母あ、泣かねえで呉れよ。おっ母あの気持は、俺にだって分かってるさ・・・・。でもよ、でもな、男には男の考えってモンが有るんだよ・・・・。」 流石の悪ガキも、しんみりして言った。
「俺も男として、何時までもこんな貧乏暮らしの儘、賤しい境涯に燻って居る訳にはいかねえと思ってるんだよ。軍隊に入って、ひょっとして手柄を立てりゃあ、”富貴”ってえもんが手に入る・・・・。おっ母あは危ねえ事すんなと言うけどよ、昔のエラ〜イ将軍様はこうおっしゃって居るんだぜ。
『虎穴に入らずんば虎子を得ず!』 ってね。解って呉れよ、おっ母あ!俺はもう、こんな惨めな暮らしから、おさらばしてえんだ・・・・。」
何処で聴き齧ったか、イッチョ前に、【班超】の故事など持ち出して、悪ガキなりに本音を吐露した。
(後漢2代明帝期の武官で、失った西方の権威を取り戻す事に従事した。36名で楼蘭の説得工作に出掛けたが、其処で200名の匈奴使節団と鉢合わせとなる。この時、部下に発したのが此の言葉で、夜襲を掛けて匈奴の使節団を全滅させ、この一帯の臣従を勝ち取る。・・・・尚、班超の家は代々歴史学者で、父の「班彪」は司馬遷の『史記』に飽き足らず全面書き換えを企図した。班超の兄の「班固」は、そんな父の遺志を継いで、かの有名な『漢書』120巻を完成した。妹の「班昭」もこれに協力。又、『婦道』の提唱者でもある。「班家の鬼っ子」・班超は、71歳で故国の地に帰って来るまで31年間、西方を転戦し続け、遂に西域全土を平定した。)
「−−虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・・。」言われれば確かに、夫亡き後は、人並みの、親らしい事の一つもして遣れ無かった。
『母親ハ、其ノ心根ヲ哀レンデ、其レ以上ハ何モ言ワ無カッタ。』 ーーだが・・・・この悪ガキ・・・・
入隊すると間も無く、人を殺めてしまった。
「・・・・兄貴、誤っちまったよ・・・・」入営直後から、年少で学も無い阿蒙を小馬鹿にし続けて来た、ムカつく野郎が居たのである。
「お、阿蒙ちゃんが来たぞ。穀潰しの阿蒙チャマのお出ましだ。ヘ〜ン、この小童っぱに何が出来ると言うのだア?腹ペコ豚にムダ肉を呉れて遣ってるだけでは無いか!」
その小役人が義兄(鄭当)の部下だったから、兄貴に迷惑を掛けまいと、ずっと我慢して来た。この悪ガキに今迄は「我慢」などと云うモノは存在して居無かったのだから、大した進歩である。だが、それを見越してイイコトに其の日も亦、しつこい嘲笑で、彼を辱める。 「頭はカラッポ、ただのウドの大木に分際で、デカイ面するんじゃねえぞ!」上司である義兄の居る前とは、ガラリと態度が変わる。 「大人の世界、特に軍隊にはなあ、クソガキなんぞには何うにも出来ぬ階級の序列ってものが有るんだよ。ホレ、無駄飯喰らい。其処のゴミ溜の中に立ってみろ!お前には其の場所がお似合いだ。上官の命令だぞ!」
「ーー・・・・・。」 「どうした?脳味噌だけじゃなくて、耳の穴まで筋肉になっちまったかア?」世の中には時として、こうした底意地の悪い小人物が、謂われ無き嫌がらせを仕掛けて来る。黙って居れば、付け上がる一方である。一発かましてやるに限る。土台、己の小物さが判って居無いだけなのだから、ガツ〜ンと反撃されれば必ず尻尾を巻く。
ーー阿蒙が、ゾロリと抜刀した。
「な、何だ、貴様。上官に刃向う心算か!?」
「ーーー俺が・・・抜いたら・・・・斬る!!」
ワッ、よせ、バカ!すまん、冗談だ・・・・と後退って逃げ出すのを、真っ向唐竹に、ズンと斬り下げてしまった。文字通りの真っぷたつ・・・・憤怒の籠った分、凄まじい切り口であった。だが此処は戦場では無い。手柄どころか「殺人罪」である。然も、直属の上官を殺してしまったのだ。
「取り合えず俺は、同じ邑出身の鄭長さん家(ち)へ逃げる。だが俺は、絶対、悪くねえかんな!」
この後、校尉の「袁雄」に取り継いで貰い、出頭して自首した。間に立って弁明して呉れる者が居て、(氏名は記されていない)、此の事件が【孫策】の耳にまで届いた。孫策は、この一件を捨て置かなかった。軍紀にも関わる事として、みずから其の当人を呼び出して引見した。
「なんだ、未だ子供ではないか。詮議に及ぶ事も無かろう。許してやれ。」・・・・と、此の悪ガキ、主君の前に出て居るのに、全く悪びれ臆する風も見せず堂々として居た。
余りの能天気ぶりに孫策はもう一度まじまじとガキンチョの顔を覗き込んだ。
「ほう〜、なかなか良い面魂ではないか。気に入った。こ奴は儂が貰おう。」 是れが人を観る眼、いわゆる〔人力眼〕と云うものであろうか・・・殺人容疑者が一転、鶴の一声で、「御主君直参」 と成ったのである!!豪胆さとその器の大きさでは、【ガキンチョ】の遥かに上をゆく【孫策】では在ったーーだが、そんな事くらいで恐れ入る「玉」では無かった。行いを慎むどころか、大好きな戦さが無い時は、相も変わらず博打に大酒の日々・・・・而して一旦戦場に出るや大人を凌ぐ大活躍をして退ける・・・・そんな悪ガキが今、この大軍の中に紛れ込もうとして居た。
この”悪ガキ”・・・・
その名を【呂蒙】と言う。今は未だ、到底信じられぬ事だが・・・・やがて呉国の屋台骨を支える大都督(国軍総司令官)へと変貌 してゆく。そして遂にはーーあの【関羽】を、智略と武勇とで、敗死へと追い込む日が来るのである・・・・・
悪ガキから総大将へ・・・・この【呂蒙】をして、眼を見張る様な大変容を為さしめ、薫育していく、彼の恩人・憧れの上官が、間も無く此処に颯爽と現われる。
その彼の、強烈で華やかな登場を、
全軍の将兵が今、その両の眼に鮮やかに焼き付ける事となるのだった・・・・!!
【第74節】 颯爽、赤いマント (双頭の龍、飛天す!)→へ