第66節
我、四十にして惑う

                                 呉に「2張」あり!



世に
三顧さんこの礼と喧伝されて来た、劉備と諸葛孔明の招聘劇 より早きこと13年・・・・・既に、それ以上に物凄い招請をしていたのが孫策伯符であった!こちらこそが”元祖家元”なのである。そもそも『三顧の礼』と云うのは、歴代皇帝が宰相を招聘する時に行う儀礼のひとつとして、慣例化していたものである。又、劉備・孔明の専売特許の如く言われている招請劇はーー実は・・・《孫策の情熱》の焼き直しでもある、のである。

さて、いよいよ【孫策】が、意中の人・【張昭ちょうしょう】の門前に立つ日が来た。実は前日、この時間帯には、張昭本人はいつも外出している事、彼の年老いた母は健勝である事を、小耳に入れてある孫策であった。・・・・主が仕官していない家のたたずまいは、質素な茅葺かやぶきであった。然し生垣いけがきの手入れはゆき届き、雑草一つ生えていない。芝門にて声を掛けると、つましい身なりの女性が現われた。 いきなり夫人が現われたので、青年はビックリした。
「私は、呉の孫策と申す者で御座います。張昭先生の御高名を慕い、尋ねて参った者で御座います。先生は御在宅であられましょうや?」 ハッと眼の醒める様なイイオトコであった。

生憎あいにく、主人は今、友人宅に出向いております。でも遠い場所では御座いませんので、少しお待ち戴ければ、私が呼んで参ります。それまで内にて、遠路お越しのお疲れをお癒し下さいませ。」 本来なら、下女のすべき役割である。婦人が外へ出向くなど、緊急の態度である。
「おお、わざわざ呼びに行って下されますか。それは誠にかたじけない。」 「いえ、田舎暮らし故、何の御持て成しも出来ませぬが、先ずは中へお入り下さいまし。」
「では御言葉に甘えさせて戴きます。・・・ところで御妻女
 先生の母君は御息災であられましょうや?」
「あ、はい。矍鑠かくしゃくとして居られます」 
「有り難や!誠にぶしつけな御願いで御座いますが、是非、母上にお目通りさせて下され。この通り、御願い申しまする!」 ・・・・先ず、〔女神〕としての母親の説得が一番である。母が認め、母親の勧めがあれば、息子・張昭の出仕は保証されたも同然と言えよう。思わず言葉に力が入った。ペコリと頭を下げる大男の若者の姿に、妻女はくすりと口元を緩めた。 「孫郎サマの母親孝行は、私どもの耳にも聞こえておりますヨ。」 「−−え!左様で御座るか?いやあ〜、これは又、お恥ずかしゅう御座る。」
がらにも無くテヘヘヘと赤面して頭をく青年に、婦人は好感を持って呉れたようだ。

「他にも色々とお聴きして居ますわ。あら、いけない。そん
    な事話して居る場合では御座いませんのに・・・。」 つい話し込みたくなる様な、気持ちの好い若者であった。お母様、と呼びながら、婦人は如才じょさい無く孫策を家内へと案内した。
《奥方でさえ知って居て下さるなら、きっと先生も
           俺の名くらいは御存知かな・・・・!?》

            
南向きの陽当りの良い一室に、老女がちょこんと端座して居た。
「お母様、主人の御客様が、是非お母様にお目に掛かりたいと、態々わざわざお越し下さいました。どうぞ、御挨拶をお受け下さいまし。その上、お母様へのお供物として、立派な絹も御土産に賜りました。私は、主人を呼びに行って参りますから。」
老婆はニコリとうなずいて見せた。妻女は眼顔めがお会釈えしゃくすると表へと出ていった。孫策は敷居しきいの前でぬかずくと、老母に対して先ず三拝した。
「初めてお目に掛かります孫策と申す、若輩者じゃくはいものに御座います。高名な張・大先生のお母上様に、先ずお会い出来ました事を、心から嬉しく思って居りまする。」

「おお、これは、これは、珍しく本物の礼儀作法を識る若者に会えて、ババも嬉しく思いますぞえ。孫策とな?ささもちっと近くに来て、よ〜く顔を見せておくれ。」

孫策は立つと再び三拝し、膝を進めて室内に入り、また九拝した。巨躯きょくに似ず、れする様な挙措きょそである。それもその筈、付け焼き刃ではない。毎日、実母に誠意を込めてしている事であった。老母は、その孫策の真心のこもった礼拝に、すっかり感激した。これほど厚く丁重な礼は、流石に受けた事が無かった。

「うん、うん。気に入ったぞよ。孫策とやら、ワシャ、
         お主が好きになってしもうた様じゃわい。」
よわいを重ねた口元のしわと、目元の皺とが、慈愛に満ちている。孫策の日頃の親孝行が今、功徳くどくとなって実を結んだのであろうか?−−と突然、老母の背筋がスッと伸びた

「ええ顔して居なさる。・・・・世を治める相じゃ・・・・。」

「−−え!?まこと、その様に観えまするか!?」
今度は、孫策の方が嬉しくなった。

「フム、こりゃ、英雄の気概が、全身に溢れておるわい。」 しげしげと若者の居ずまいを眺めた老母が嘆息した。

「先生のお母上に、その様に言って戴けたら、この孫策、勇気百倍!天の声として有難く頂戴致します・・・・!」

心底そう思うと、自然に又、深い礼が出た。


「御母堂様!張・大先生は此の若僧に、お教えを賜って下さいますでしょうか?漢朝を復興たてまつり、天下を安んじようとするこころざしだけは、人に負けぬ、此の孫策。然し若輩にして思慮浅く、我が道の進む先さえ判らぬ無力な者に御座います。こんな若輩者の元に、御出仕戴けますでしょうか!?」
これはもう、駆け引き無しの本音である。【
】への懇願である。思わず、眼に必死さが宿った。

「・・・・父上の孫堅殿と言い、そなた様と言い、孫家の方々は、人の上に立つ定めをお持ちのようじゃ・・・・。
このババには、政治向きの事は解らぬ。じゃがの、人を観る事は出来ますわい。せがれの友人・知人も数多く観て来ましたが、そなた様のようなお人は初めてじゃ。そなた様の如き若者が、この乱れた世には必要だと、ババには判るんじゃ・・・・。」
「有難き御託宣ごたくせん!この孫策、張大先生にお会いする前に既に先生をお迎えした心地に御座います。」

此処が勝負処と、孫策は全霊を込めて言う。

「御母堂様!!私は此処で、お母上様に、固くお誓い申し上げ奉りまする!もし、張・大先生、我が陣営に御出仕賜った暁には、この孫策、生涯、先生を師と仰ぎ、最大の礼を以って遇し奉りまする!!」

そう言うと、今度は、神への誓いとしての礼拝を行った。

「・・・・そうまで言って下さるお方に巡り会えるは、息子にとっても、この母にとっても目出度き事じゃ。天も必ずや、両人を寿ことほぐであろうの!」



                  
そこへ妻女が、張昭本人を伴って戻って来た。孫策は既に神がかった如くに、心がたかぶって居る。
嗚呼ああ、張・大先生であられますか!お会いしとう御座いました!!私は、呉の孫策伯符と申す、若輩者に御座います。久しく先生の御高名・御仁徳を聴き慕い、厚かましくも、こうしてまかり越しまして御座います。どうぞ先生!この未熟者に、歩むべき道をお示し下さい!この孫策伯符、切に、切に、心より先生の御教授を賜りたく、伏してお願い申し上げまする!」

張昭ちょうしょう 子布しふ−−この時、よわい40を前に最も成熟した男盛りであった。豊かな顎鬚あごひげをたくわえ、どっしりと重厚感に溢れた風貌であった。だが、眼元には涼やかな学研の徒としての無欲さが漂っている。

 −−容貌ようぼう 矜厳きんげんニシテ、威風いふう有りーー

「おお、あなた様が孫伯符殿であられますか!お噂は予々かねがね拝聴して居りました。まま、先ずは其の手をお上げ下さい。」
「先生!!どうぞ、この私にお力をお貸し下さい!!今、母上様の御言葉を聴き、先生のお力無くしては、この孫策、一歩も前へ進めないと、改めて感じて居ります。」

「−−私は非才な、学研の徒に過ぎませぬ。とても、お力などにはならぬと存知ますが・・・・。」


「全てお任せ致します。どうぞ、どうぞ、私と共に歩んで
下さい!今の私には何の力も御座いませぬ。有るのは唯、燃える様な此の思いだけです。江東の地に安らかな日々が訪れますよう、先生のお力で、私を導いて下され!!」
若い情熱は、眼に涙をたたえ、相手の手を握り締めていた。演技ではない。孫策は苦境に在った。
−−る 真心・・・・!!張昭は、この荒々しくも熱く必死な、青年の思いに、と胸☆☆☆を衝かれた。感動といささかの戸惑いに、思わず眼をると、老いた母がニコリと頷いた。そして手招いている。

「子布殿、伯符様、近う参られよ。」
老母の言葉に、2人は額ずいた。
「−−子布や。天のお告げと思って聴きなされ・・・・。」

大学者と青年が、同じ様に背筋を伸ばして、同じ様な
面持おももちでかしこまる。
「・・・・この母の事は心配せんでよい。じゃから、この若いお方の力に成って上げ為され。伯符殿と子布殿が、此処でこうして巡り会ったのも、天の定めと謂うものじゃろう。それに、この若いお方は、心の底から子布殿を求めて居りなさる。有り難き事と思いなされよ。」

「−−ああ、御母堂様・・・!!」
孫策は、老母の骨張った手を、押し戴いた。

「−−・・・・」 息子・張昭の口からは何も発せられ無い。

「伝えるべきは伝えたぞえ。後はお2人だけで、
                      語らうがよい・・・・。」

実は・・・・張昭の元には、あちこちの群雄から、出仕を求める招請状が山ほど届いていた。そして其の中の1通には、周氏の御曹司・周瑜公瑾からのものも有った。其の1通だけは、内容が他の者達と異なっていたので、印象が強く残っている。

−−近々、江東の虎・孫堅の嫡男である『孫策伯符』なる、彼の友人が訪れるであろう事を知らせる、丁重な挨拶状であった。其れにはただ、『先生ご自身で彼の人物をよく観て戴きたい』と、だけ書かれていた。押し付けがましく無く、程よく抑制の効いた筆勢であったが、彼が孫策と一心同体である様が伝わって来る、清々しいものであった・・・・だから当然、張昭には、今日の出会いの有る事を予測する、時間的余裕は有ったのだ。

             

《−−どうする子布よ?書を捨てるか・・・・?》

《お前が欲して来た人々への奉仕とは一体何なのだ?》

学問によって人々の心を導き、世を正すのだ!!と、若き日に決意し、只管ひたすらそうして来た。《−−だが・・・・》と、思う様になって来ている昨今であった。

《世は乱れ、人の心は増々荒んでいく一方ではないか!
事実、自分自身にしてからが、老いた母に安寧を与えてやる事も出来ず、こうして逃げ惑っているではないか。こんな日を迎える為に、俺は学問を修めて来た、と言うのか・・・・!?〉
四十ニシテまどワズ・・・・と謂うが、
張昭は40歳を迎えて初めて惑って居た。
とは謂え、修めて来た学問と、つちかって来た己の才には、
いささかの自負がある。

《−−己の使い方が間違っていたか・・・・!?》

              
《ゼロからの出発》に賭けんとする、【孫策】と云う若者の出現は、この大学者にも、大きな心の変化を生じさせていたのである・・・・ 今、張昭の眼の前に居る若者は、唯ひたすら情熱のかたまりでしかない。・・・・だがそれにしても直に伝わって来る、この圧倒的な気概と、信念の凄まじさはどうだ!?−−荒削りながら、人に何かを期待させ、感じさせずには置かぬ熱狂が在るではないか。
そして何より、ドロドロせず、さっぱり澄んで明朗なのが、又、好ましい。これは年齢には関係無い、資質としての人間力と云うものだろう・・・・。

《今の世を変えるには、是れこそが、
     最も必要なものであったか!!》
学研の徒であった男には今、それが分かった気がした。全てを委ね、信頼して任せると言う。『師友の礼』を尽くして迎えると誓う、心地よい青年である。人間同志としての相性も良さそうだ。厳格な母や、人見知りの妻すらさえも一目惚れさせてしまう魅力が有る人物・・・・確かに此の先、海のものとも山のものとも判らぬ危なっかしさは在るし、現在では単なる妄想者でしか無いかも知れぬ。なにしろ、元手・資本ゼロなのだ。ーーだが、いっそ、其処が又、スッパリ面白い・・・・どうせやるなら、なまじ中途半端に出来上がっている場所より、「全くの無」からの方が遣り甲斐も有るし、縦横に力を発揮し得よう。又、全ての責任や成果も、直接、己に観え易い。・・・・そう思うのは、学研の徒であった張昭と云う人物なればこそであったろう。両者とも普通では無い。普通では、世は変えられない。
《若く、無限な〔可能性〕に、
  儂の後半生を賭けてみようか・・・・。
     それもまたたのしからず・・・!!》
言い逃れ出来ぬ場所に、敢えて己の身を置いて、全ての困難を引き受けて見せよう・・・・。40歳を迎えて、既に世に名声を得ている大知識人たる 男の心に、沸々ふつふつと往時のパワーを復活させる、不思議な若者との邂逅であいであった・・・・。

「−−伯符どの。いや、孫伯符様。これ程のお気持、
 此の張昭子布、有り難く お受け致しまする・・・!!」

ついに、その言葉が、大名士の口から発せられた。

「−−おお!!」若者の顔がパッと輝く
「有り難や!!ああ、これで、我が念願の半ばは、
      既にして達せられた思いが致しまする・・・・。」

感激の余り、青春の眼には、嬉し涙が溢れ出ている。根の明るい孫策であるから、今はまさに泣き笑い状態。

「この孫策伯符、生涯、子布どのを師と仰ぎ、最大の恩と礼を以ってお迎え致します!」

「才、小さき我が身なれば、御主君の期待に善く応えられまするか否かは判りませぬが、身命を賭して、精一杯お仕えつかまつりまする。」
「いずれ出仕されたみぎりには、何の遠慮も無く、我が師としてズケリズケリと苦言も挺して下され。何分にも未熟な若輩者で在りまする故、先生の眼から御覧にならば、至らぬトコだらけで御座いましょうから。」
「ワハハハ、しかうけたまわりましたぞ!」

・・・こうして先ず1人、孫策伯符は、師友しゆうの礼〕を以って

将来の最大のブレーン張昭子布を獲得したのである。
やがて時来たり・・・・張昭が出仕するや、孫策は彼を直ちに《校尉》に任ずる。小さな所帯としては精一杯の、最高の地位であった。更にのち、政権が伸長すると、周瑜の進言によって 〔長史ちょうし=幕府長官〕となり、〔撫軍中郎将ぶぐんちゅうろうじょう〕も兼務、呉国の大黒柱として、若い孫策政権を全分野に渡って指導していく。
「孫策が、単なる武力集団では無く、「孫策政権★★として国家★★の姿を形づくっていけるのも、ひとえに張昭の手腕に負う処が大きい。又、孫策が見通した如く、張昭そのものの存在が他の多くの『北来名士』達の参画を招き、内政統治の実質的経営者として、国を安定発展させてゆく事となる。孫策も亦、張昭を全面的に信頼して一切を委ね、己は専ら軍事行動で版図を拡げていく。
その《師友コンビ》エピソードとして、こんな事もあった。ーー呉が国家として発展し始めるや、張昭の元には連日の如く、各地を治めている地方長官達から手紙が届けられた。彼等は無論、北来や地元の名士達であったが、丸で申し合わせたかの様に、その内容は同じであった。どれも是れも皆、張昭の政治手腕を褒め称えるものばかりであったのだ。
君主たる孫策については何も言及されず、皆が皆、張昭の指導力に敬服して、礼やら指示を仰いで来る。
 ーー張昭は困った私信ではなく、地方長官からの公式書簡であるのだから、君主たる孫策には見て貰わねばならないのだが・・・内容が余りにも、一通の例外も無く張昭讃美のオン・パレードであった。そのまま見せれば、如何にも己の才をひけらかし、さも手柄を自慢しているかの如くである。ーーそんな人間では無い事を分かって欲しい・・・・かと言って、公式文書を隠したりすれば、これは主君をあざむく事になってしまう・・・・。又、他国領内の名士層から届く手紙の内容も同じで、こちらは私信であっても余り黙って居れば、他国と気脈を通じ合っているとも受け取られ兼ねないのでは・・・・。
張昭がふとらした困惑の溜息ためいきを伝え聞いた孫策、
「ワハハハハ!」 と愉快げに 大笑たいしょうして言う。
結構、結構、大いに結構!昔、せい桓公かんこうは、宰相さいしょうであった管仲かんちゅうに、1に仲父ちゅうふ、2にも仲父と全てを委ねて、管仲は皆の称賛を独り占めした。だがついには、桓公を覇者のもとじめ(第1号)にしたではないか。いま子布(張昭)どのには賢才が有って、儂はその彼をちゃんと用いている。今後も益々、子布どのを厚遇すれば、必ずや桓公と同様な功業や名声が得られる・・・・と言うものではないか!
子布ノ賢ヲバ、我レこれもちエバ、
 其ノ功名、ひとリ我ニ在ラザラン
・・・・!
孫策は明るく、そして大きい。張昭も亦、歯に衣着せず、ズケズケと苦言を呈した。
「わかった、わかった、スマン。以後は改めるから、そうトンガらないで呉れ。」 互いに願っている関係なのだから一切あとを引かない。双方とも全幅の信頼を以って接する、〔建国の名・主従〕であった。

・・・・だが、この進言・苦言も、主君の代が替わると、
その受け取れられ方が、些か様相を異にして、既述の如き事態へと向かっていってしまう・・・・然し、張昭子布は、その生涯を通じて、全家臣団からは、国の礎石として、又家臣団の利益代表としても 畏敬され続ける。
昭ハ 朝見ちょうけんスルごとニ、辞気壮麗じきそうれいニシテ、義、色ニあらワレかつテ直言ヲ以テさからうち進見しんけんセラレズ。』

張昭ハヲ受ケテ補佐シ、功勲ク挙ガリ、忠謇方直ちゅうけんほうちょく、動クニおのれためニセズ。しかレドモげんナルヲもっはばかラレ、高見こうけんナルヲもっうとんゼラレ、既ニシテ宰相ニラズ、又、師保しほニ登ラズ、閭巷りょこう従容しょうようシテ、イヲやしなのみ。』

張昭は常に、主君に対して厳しい言葉を発し続ける。其処に私心は無い。どちらかと言えば、暴走しがちな若い集団を、シビリアンとして、コントロールする、
ブレーキ役★★★★☆を荷担い続ける大人の判断を委託される。主君・孫策の信頼は絶大であった。臨終の間際には、弟の孫権を託され、ついには、
もし、孫権に能力なくば、あなた自身が
 政権を荷って欲しい!
と、言わしめる程であった・・・・と伝えられてもいる。
(※この場面は、蜀史にも似た逸話=劉備と諸葛亮とのものがあり、混同されているやも知れないが、)両者はそれ程の深い信頼関係で生涯結ばれていたと言う事である。

呉の御意見番無くしては、国家の建業も、その安定した発展も無かった・・・・又《国益》とは、単に君主一族の栄華を現わすものでは無く、大多数の家臣団の利益である事を、身を以って主張する人物無くしては、国の方向性を見失うであろう・・・・・。
このズバズバ、ズケリ・直言型の張昭を【・・・・
とすれば・・・・呉には、もう一人、ソフトタッチの、
】のブレーンが居て呉れるのである。そして其のもう1人の人物の姓も亦、『張・氏』である。

−−やがて・・・・人々は・・・・その硬軟両者を称して、
呉の2張 と呼ぶ事となる。


孫策は今、同時に、

その もう一人の張氏 の
獲得にも動いていた・・・・のである・・・・!
【第67節】 三顧を超える「五顧の礼」 →へ