《第61節》
むみょう レクイエム
『三国志』の著者「陳寿」がその評に於いて、その死を
『残念デアル』と 直接書いているのは、【この男】だけである。
又、『三国志』に〈紀〉や〈伝〉を立てられた数多の人物群中、
その与えられた《名誉あるスペース》の50パーセントもが、自身の
「手紙で占められている」人物も亦、【この男】以外には居無い。
そして更に、後世では、衝撃的な彼の行為一つだけが大きく取り
沙汰され、その人物・人間像が全く歪められてしまっているのも亦、
【この男】の宿命と成っている。
誠実なるが故に、歴史(三国時代)の表舞台に登壇させられ、
中小なるが故に、節義に奔弄され、そして有力群雄の駆け引きの
犠牲と成って、彼を慕う万余の民草と共に、戦乱の波間に消えて
逝った、【或る一人の男の物語り】・・・・・・
ーーと、此処まで「打ち込み」しましたが、
・・・・・筆者の都合により、此の《第61節》は手抜きをして、
ナマ原稿を取り込ませて戴きます。
読み辛いとは存知ますが、どうぞ御容赦ください。
又、表示に時間が懸かると思いますが、此方も御堪忍ねがいます・・・・
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お手数ですが、
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(スキャナーからの取り込み容量が大きいので)
再三くり返す事になるやも知れません。
読者諸氏にお手数をお掛けしてしまい、心苦しいのですが、
二度とはしない心算で居りますので、御容赦ください・・・・。
袁紹ハ元来、臧洪ヲ愛シテ居タノデ、内心、
屈服サセタ後ニ許して遣リタイト考エテ居タノダガ、
臧洪ノ厳シイ言葉ヲ聞イテ、
絶対ニ自分ノ役ニ立タ無イト悟リ・・・・
そこでーー・・・彼ヲ殺害シタ・・・・。
『臧洪子源』−−・・・・魏・呉・蜀の三国成立以前の、
どこの国にも属さなかった人物として、『三国志』の中に、わざわざ
特別枠の〈伝〉を立てられながら、何時しか其の名は、人々の記憶
から忘れ去られていく。そして一部好事家の間ですら、
「自分の女を喰わせた奴」としてだけの、好奇の対象とされていった。
だが今、我々の心には・・・・在りの儘の姿の彼が、等身大で甦る。
読者諸氏の心の中には、一体どんな思いが去来するであろうか・・・・。
・・・・「去来滅生」・・・・・
亡び、去る者あれば、生まれ興る者も在る!
次節では、若々しく溌剌とした、
気持ちの良い青年達に出会うとしよう。
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