【第56節】
覇権を賭けて激突する英雄達が脚光を浴びている此の時期は、全国に散在して居る一級人士・策士・名士達にとっても、己の一生を左右する重大な〔主君選び〕の求職期間でもあった !
当然、覇者ナンバーワン候補に伸し上がって来た【袁紹】の
元へは、自薦・他薦の猛者たちが続々と集まって来た。その、人的潮流の様は、恰も綺羅 星の如くであった。特に、袁紹が 冀州牧に成った頃には、彼の求心力は凄まじく、あまたの小惑星が巨大なブラックホールに吸い寄せられてゆく・・・・かの観であった。
そんな中ーー実は・・・・今や曹操陣営の中枢参謀に納まり、その屋台骨を支えて居る、あの〔荀ケじゅんいく〕 や 〔郭嘉かくか〕 も此の時、袁紹の元へリクルートして居たのである !!
『荀ケの本籍地は潁川(許が郡都)であるが
・・・・(中略)・・・・荀ケだけが一族を引き連れて冀州へ向かった。折しも冀州は既に袁紹が韓馥の官位(冀州牧)を奪い取ってしまっていたが、袁紹は荀ケを上賓の礼によって待遇した。荀ケの弟の「荀ェじゅんしん」及び同郡出身の「辛評しんぴょう」「郭図」は、みな袁紹の任用を受けたが、荀ケは、袁紹が結局は、大事業を成し遂げる事が出来無い人物だと判断した。その当時、太祖(曹操)は奮武将軍として「東郡=郡都・濮陽」に居た(2級の群雄に過ぎなかった)のであったが初平2年(191年)荀ケは袁紹の元を去って、太祖に身を寄せた。太祖は大喜びして「儂の子房