【第49節】
−−部下の大失態・
196年(建安元年)春・・・・劉備が州牧に就任したばかりの除州を弱体と観て、『袁術』が南から進攻して来た!!袁術は近年除州に南接する〔寿春城〕を根拠地としている。其処から北上して除州内へ雪崩れ込もうと云うのであった。袁術の勢力はA級とされるが、内心、己が皇帝を名乗る機会を窺がっており 人望はまるで無い。超有名人の「孔融」などには、『墓の中の骸骨同然』と迄こっぴどい評価を浴びせられていた。そんな袁術だが一気に除州を奪い取った暁には、実力で「帝位を宣言したい」 と、夢想して居る。(※彼の生涯は、第4章の「エセ皇帝の成れの涯て」にて詳述)
劉備は州牧として、これを防がねばならない。取り敢えずは、こちらから南下して 「除州」の外へ追い返さねばならぬ。・・・・だが、大敵・『曹操』の動きが判らぬ以上、「下丕卩(かひ)の本城」 を空にして全軍で出撃する訳にはいかない。ーーそこで劉備は迷った・・・関羽と張飛のどちらを、守将として下丕卩に置き残し、どちらを連れて南下すべきか・・・・・?
両者を較べれば、やはり最も信頼出来るのは、関羽である。
・・・・と、すれば、主眼は戦さに在るのだから、戦いの方へ関羽を連れて征く事になる。必然、張飛は守将と成る。
《・・・・大丈夫かな・・・・?》 と、一瞬、不安が頭を掠めた。何しろ張飛は、考え無しにカッとする処が、出会ったばかりの、若い頃から既に在った。関羽の如き〔人間力・器で人を納得させる貫禄〕 が、今以って身に付いていない。それを意識してか近頃は折節につけ、益々その威圧・暴力化傾向(ドメスティック・バイオレンス) が明から様に成って来ていた。それも、上の者には腰が低いが、同格か、下の者に対しては、やたら当たり散らす性向が露われて来ている。関羽とは正反対なのだ。2人が一緒に居る時は、互いに欠点を相殺し合って丁度良いが、独りずつになると 夫れ夫れの欠陥が、モロに出てしまう。劉備がそれを補って来ていた。・・・そんな張飛が独り残され、手持ち無沙汰に酒でもくらえば、何か部下と一悶着起しそうな気がしてならない。酒の飲みっぷりでも、関羽と張飛とでは、その趣が丸で違っていた。2人ともケタ外れの酒豪だが、関羽は酔い潰れる様な呑み方は絶対にせず、アルコールが廻っても決して己の矜持を崩すような、無様な姿は見せ無かった。イイ酒飲み=酒徒であった。一方張飛はと言えば浴びる様な呑み方で、呑めば呑むほど眼が据わった。その席に目上の兄達 (劉備・関羽)が居ればそうでも無いが、 張飛独りの場合は相手構わずに絡み付いた。それも口論だけなら未だしも最後は必ず暴力沙汰で相手をブチのめしてしまう。決してイイ酒飲みでは無かった。寧ろ酒狂の部類に属していた。それやこれを思うと、イヤな予感さえして来る。そこで劉備は、わざわざ張飛を呼び出してキツく釘を刺して措く事にした。
「何で俺を連れていって呉れないんだ?俺はつまらん留守番より、戦さ場で暴れ廻りたいのによう〜!」
案の定、張飛は口を尖がらせていた。
「兄弟3人ともが出払ったら此処が空に成ってしまうではないか。この出陣は殿にとって、謂わば初陣に等しい戦さだ。兄の俺が付いて征くのは当然だろう。弟のお前が、留守をしっかり守って居て呉れればこそ、 そう出来るのだ。本城を無事守り抜くのは 戦場の功に等しいのだ。それが判らんのか?」
関羽に諭されて、張飛は不承無承、納得せざるを得無い。だが、この様子では、やはり心配だ。 劉備は呉れ呉れも頼んだぞと、心構えを言い置いた。
「張飛よ、お前はもっと部下に情けを掛けるべきだ。聞けば、すぐ兵士を鞭で叩き、しかも彼等を常に側に仕えさせて居るとか・・・・これは危険な遣り方だ。よいか頼んだぞ!我等の留守中は、とりわけ身を慎み、将兵達の心を一つに纏めるよう心掛けて欲しい次の戦さには、必ずお前に活躍して貰うからな!」
そう言い置いて、劉備・関羽の兄達は南へと出陣していった・・・・
除州の南部は湖沼地帯で、以前、黄巾党が荒らし廻った事もあって、殆んど無人の野に近く、無防備状態のまま放置されていた。言わば、除州の柔らかい下腹部に当たった。
(劉備は嘗て毋丘毅と共に、この地の黄巾軍を討伐しており、些か土地勘はあった。)
袁術の派遣軍は、この除州諸県を易々と突破北上し、予想以上の進撃速度で、下丕城の南東わずか100キロの、「ク胎」・「淮陰」近くまで進出して来た。劉備は関羽を伴って下丕城を出陣した後、広陵郡の郡都・「淮陰城」 に一旦入城し、陣容を整えた。
そして・・・その郊外の【石亭】の地で、袁術軍を迎え撃った。両軍、睨み合いとなったが、双方それぞれに思惑が有った。袁術は本拠地の寿春城に在って、策謀を仕掛ける為の〔時間稼ぎ〕を指示していた。一方の劉備は、袁術軍の「兵糧切れ」を見込んでいる・・・。だから両軍ともオールorナッシングの危険=総攻撃に拠る決戦を望んでいない。従ってこの【石亭の攻防戦】は、局地戦の繰り返しとなり、膠着状態になった。関羽が出撃すれば、その戦闘は必ず勝った。だが決定打とはならない。敵は関羽と見れば外聞も無くサッと退いてしまう。互いに勝ったり負けたり、1ヶ月が過ぎて行く・・・・・この間に、2つの外交戦略が飛び交った。
ひとつはーー曹操が上表して、劉備を『鎮東将軍』・「宜城亭侯」に封じたのであった。(但しこの時、16歳に成った献帝は、洛陽恋しさに長安を脱出したものの、洛陽にも着けず放浪中であり、上表とは形だけで曹操が勝手に劉備に将軍号を贈りつけたのだ。)
曹操は、近くの劉備より、遠くの袁術を「大敵」と見做して居る証拠である。暗に劉備にエールを送った事になる。然し、こんなモノは現実的には、戦局に何らの影響も及ぼさない。せいぜい、劉備軍の士気が些か上がった程度である。
−−だが、もう1つの、袁術が策した外交戦術は、戦局をガラリと変える、重大かつ直接的のものであった!
小沛城の【呂布】に手を廻し、劉備の背後から内応させ、〔挟み撃ち〕 にしようと云う策略に出たのである。
その時の、袁術の書状が『正史』に記るされている。
無論、ほぼ同時代の陳寿とは言え、どのケースでも「現物」が入手できる筈も無いから、著者・陳寿の聞き書(伝聞、若しくは想像)である。もっとも古代の歴史書とは、本来そう云うものではある。故に、こうした但し書きは、以後は省略する。
−−その「書状」・・・・・
『以前、董卓が動乱を引き起こして王室を破壊し私の一族に災いをもたらしました。(洛陽に居た袁氏一族は皆殺しにされ、切り刻まれた遺骸は、反董卓連合の盟主・袁紹の元に送りつけられた) 私は関東から挙兵しましたが、董卓を血祭りに挙げる事は出来無いで居りました。その時、将軍 (呂布)は董卓を誅殺し、その首を送ってこられ私に代わって復讐をし恥を雪いで下されました。私が当世に大きな顔をして居られ、生時も死後も何の引け目も無い状態にして下さったのです。これが将軍(呂布)の第1の功績です。昔、我が配下部将の金元休が兌州を攻めて曹操に迎え撃たれて惨敗した折も、将軍が兌州を撃破(乗っ取った)して下された為、私は又しても遠近に大きな顔が出来る様に成りました。これが将軍の 第2の功績です。私は生まれてこのかた、此の世に劉備などと云う者が居るなど、聞いた事も無かったのですが、この劉備が生意気にも挙兵して、私と戦いを交える事に成りました。 私は将軍(呂布) のお陰で、劉備を撃ち破る事が出来ましょう。これは将軍の第3の功績となりまする。将軍 (呂布)は私に対して、3つもの大いなる功績を挙げて居られます。私は愚か者では在りますが、これ程の大恩を受けた上は 生命を賭けてお尽くししたいと思って居ります。将軍におかれましては、連年戦闘に従事しておいでの故、兵糧の欠乏にお困りではないでしょうか。今、20万石の米をお送りし凱旋の折には道までお迎えにもあがります。本より糧米の贈呈はこれで終わりでは無く、今後も引き続きお送りさせて戴く所存です。軍糧に限らず、もしも武器・戦具その他不足の物がおありならば、どんな事でも御指示の儘に従いましょう必ずお届け致します。』
その書状を読み終えると、呂布はニタリとした。20万石あれば大兵を募り、養える。この当時 (君臣間の主従関係が未だ定着していない時期) の兵力は、どの群雄も、中核軍を除いて、殆んどが傭い兵であった。特に歩兵は、基本的には貧しい農民である。(尤も、国民総農民だったが。) 流民も多い。彼等は食う為に兵士に成る。軍役につけば、少なくとも喰える。就職する先に、たっぷり食糧備蓄が在り、永続的にキッチリ食わして呉れるのかどうか?それを嗅ぎ分ける彼等の生存本能は鋭い。募兵しても、その保証が無ければ、兵は集まって来ない。すなわち敗軍の将となるしか無いのである・・・・・20万石で兵力さえ整えれば、呂布軍は強い。その中核軍はモンゴル騎兵=《胡騎》の精鋭である。天下最強と謂ってもよいかも知れない。その上『張遼』「高順」と云う勇将が彼等を率いている。(のち、曹操軍団中ナンバーワン?将軍と成る、あの張遼である。)互いに歩兵は傭兵なのだから、同程度の兵力なら、戦さの勝敗は、プロの中核軍の質・強弱に拠って決まる。
それなら呂布には絶対の自信が有る。
「−−−よし、俺は除州を取る・・・・!」
【呂布】と云う人物には懊悩すると云う精神構造が無い。己の眼の前に現れた、その時その時の獲物を狙うだけである。どれが、より大きい獲物であるかを嗅ぎ分ける力は有るが、其れがどれ程の価値や意義を持つかは判らない。つまり、大戦略など立てられる人物ではなかった。だから、主君であり養父・義父であった「丁原」や「董卓」を殺害した時も、悩んだりしなかった。今も亦、『劉備』への恩義に対する斟酌など欠片も浮かんで来ない。
ひたすら〔利〕で動く。呂布は書状を読み終えると、黙ったままズイと陳宮に其れを手渡した。軍師を自認する陳宮は一読して言った。
「これは殿が覇業の第一歩となりましょうぞ!袁術は喰えぬ人物ですが、ここは構わず下丕卩城を奪い、除州一国を先ず我がものと致しましょう!」
呂布は基本的には、己の進む方向については、家臣の言を採り上げない。己の直勘だけで動く。この時はたまたま陳宮の考えと一致した。
「下丕には張飛が居る・・・・」これは難敵である。強い。 城攻めとなれば、そう容易く落とせまい。20万石が届いて居ない現状では、手持ちの中核軍だけで攻めなければならない。
「ここは、この陳宮めにお任せあれ。」
今迄の呂布なら、遮二無二突進していた。それが・・・・「軍師」に策を求めたのである。陳宮、些か感激の面持で即答する。
「張飛の事なら、何うとでもなりまする。奴は武威には秀でる処がありますが、所詮は、ただ粗暴なだけの猪武者。自滅させて御覧に入れまする。ほどなく朗報が届きましょう。劉備の奴め、関羽ではなく、よくぞ張飛を残していって呉れたわい・・・。」
陳宮は流石に呂布とは違い、袁術の兵糧など当てにはしていない。除州の本拠・下丕城さえ奪えば、呂布を州牧に就け、米など自在に徴収できると観ている。
この 『陳宮』・・・・既述の如く、つい2年前までは曹操の軍師参謀筆頭株であった。「荀ケ」の登場によってホサレた。
《−−曹操め、今に見ておれ・・・・!》この一念が、この男の全てであった。故に、呂布陣内に陳宮在る限り、呂布と曹操の同盟は在り得無いのである。
「−−やっちまったぜ・・・・・。」殺す心算りは無かった。口喧嘩からカッとなって殴りつけたら、相手が勝手に死んでしまったのだ。然も相手が悪い。下丕郡の相・曹豹将軍だった。あれ程念を押され、釘を刺されて居たにも拘らず、
『張飛』 は、やっちまったのである。
だが張飛にも言い分は在った。州牧であり、主君である劉備が、自分を下丕城の守将として任命したのであるから、今は自分が下丕城の主である。処が、旧陶謙恩顧の将兵達は、事々に自分を蔑ろにしては反発する。(と、張飛には思えた。)どちらが下丕城の最高責任者なのか判らない。旧臣派と新参派の、目に見えぬ相克が尾を引いて居たのである。劉備が居る時には表面化しなかった根深い反目が張飛と云う最悪のキャラクターの登場で、火に油を注ぐ結果に成ってしまったのであった。
これが関羽であれば波風立てずに、うまく和を保てたのであろうが、張飛は力づくで白黒つけようとした。悪い酒も入っていたし、出陣させて貰えなかったイライラもあった。下丕城内は味方同士が2派に分かれ、険悪なムードに押し包まれた。東門に張飛側の兵、西門には旧臣派の兵が屯ろすると云う有様と成っていった。城を預かる張飛としては、それが又頭に来る。
「我が命令を聞かぬ奴等は誅殺してくれる!」と、いきり立っている・・・・張飛なら本当に遣りかねないと危惧した中郎将の「許耽」は、司馬の「章誑」を呂布の元へ急派して救援を求めた。章誑が会見した場所は小沛の城内では無かった。その時既に、呂布軍は水陸両面から進撃し、下丕城の西40里の地点に到達していたのである。
「張益徳と下丕の相・曹豹が喧嘩をして、益徳が曹豹を殺しました。城中は大混乱に陥り、互いに疑心暗鬼になって居ります。我々、丹楊郡の兵千人は西の城門と白門の内側に駐屯して居りますが、将軍(呂布)が近くまで来られたと聞いて、こぞって小躍りして喜び、生き返った様で御座います。将軍の軍勢は城の西門に向かわれ下さい。我ら丹楊郡の軍勢は即刻門を開いて、将軍を迎え入れるでありましょう。」
当然、陳宮が裏で糸を引いていたと観るべきであろう。偶然にしては出来過ぎであるし、少なくとも旧臣派の中心人物である許耽は、呂布が小沛城を出撃した事実を知っている。知らぬは張飛ばかりである。呂布軍は夜行軍して黒豹の如くに進み、夜明けには獲物(下丕城下)の脇に忍び寄った。
前夜も深酒をカッ喰らった『張飛』は、大イビキで、眠りこけている。・・・・・夜が明けきると、旧臣派の軍兵は挙って城門を開け放ち呂布の軍兵を中へ迎え入れた。
「殿は此処で睨みを効かせて居て下されば充分。後はお任せあれ。」 陳宮の言葉に頷くと、呂布は西門の上にどっかりと座り、腕組みして眼下の兵の動きを見渡した。東門の張飛側は、寝惚け眼も醒め切らぬ処を襲われる格好となった。
「・・・・、・・・・、・・・・。−−−!!」
張飛はガバと跳ね起きた。何か嫌な予感が五体を駆け抜けたのだ。本丸の此の部屋は静寂だが、【変】の気配が本能的に【武】を呼び覚まさせたのである。
大矛を引っ掴むと、望楼に躍り出た。
〈−−あっ!!〉一瞬、張飛は息を呑んだ。絶句である。それが呂布軍である事を認める迄、数瞬間を要した。さんざんに斬りまくられているのが、己の兵達である事を識った時ーー張飛の頭の中で【怒り】が炸裂した。ドカドカと敵兵どもが踏み込んで来始めた。「おのれ〜、呂布の下郎めが〜!!」大矛を振るい始めるや、張飛はただの戦闘マシーンと化した。手当り次第、盲めっぽう、敵を薙ぎ倒し、階下へと突き進んだ。怒りが武神と成った様な狂暴さで、その突進は城外まで一気に続いた。だが気が付くと・・・・張飛に従う兵は1騎も無い。みな殺されるか捕虜となっていたのである。・・・・怒りに任せて血を沸騰させ、凶器の如く暴れている間は、未だよかった。−−然し今、ただ独りとなって不意にドッと慚愧が押し寄せて来た。城を易々と、しかも自分が寝ている間に、一戦に及ぶ暇も無く奪われてしまったのだ・・・・・取り返しのつかぬ事をしたと強く悔やむと共に、自らを深く恥じる心情が、張飛を襲って来た。
《−−やっちまった・・・・あれほど兄者から言われたのに・・・どのツラ下げて、兄貴たちに会おうと言うのだ・・・。》
すっかりしょげ返り、行く当ても無く、途方に暮れる張飛であった。
「−−ああっ!!あああ!!」
大変な事を忘れていた。劉備の思われ女、甘夫人を置いて来てしまったのだ!それを省みる暇も無い、己の脱出で精一杯の急襲ではあった。だが・・・・それもこれも全て自分の責任だ。城を盗られた上、主君の妻女すら守れ無かった・・・・。
此の場で直ちに自刎して果てるべきである。−−だが・・・・『死ぬ時は3人一緒』と云う、男同志の血盟が、その決心を鈍らせた。
もはや生きて合わせる顔は無いし、命が惜しいとも、思いはしない・・・・だが・・・・・2日間悩んだ末、張飛は、
《とにかく兄者達の顔を見た上で死のう!》と決めて、南東の戦地へと、唯、1騎落ちていった・・・・。
「淮陰」の劉備軍は大敗北を喫した。『下丕城、乗っ取られる!』
・・・の噂が伝わるや、将兵は大きく動揺し、あっと云う間に脱走兵が相次ぎ、兵力が半減してしまったのである。これでは戦さにもならぬ。残った兵も散り散りとなった。劉備は、とりあえず下丕城下へと向かって大潰走した。
《張飛のヤロウ!一体、何やってやがるんだ!!》
劉備の腸は、煮えくり返る様な怒りで一杯になっていた。それはそうである。旗揚げ以来12年、さんざん苦労して掴んだ栄光を、一瞬にして、全て失わせられたのである!どんなに罵倒しても、飽き足りるものでは無い。己には何の直接責任も無い、部下の仕出かした大失態のお陰であった。
ーー・・・・其処へ、張飛が現れた。
「−−この大バカめが!!」
張飛の顔を見るなり、先ず関羽が怒鳴りつけた。巨体を縮こまらせ、項垂れる張飛。
「お前は一体、何の為に、城を任されたのだ! 城を守る。これ
即ち、主君の家族を守る事ではないか。それも果たせず、ようもおめおめと・・・!!」
関羽にしては珍しく、激しい叱責であった。
「・・・・・!!」眼に一杯涙を溜めていた張飛は、やにわに剣を引き抜くと、己の首を刎ねようとした。
「待て張飛!待て弟よ!」その手を押さえたのは劉備であった。劉備は、張飛に出会った時に、言うべき言葉と態度を用意していた。出来てしまった事を、今更グチグチと詰った処で何にもならない。その切り替えを素早く出来るのが、劉備の劉備たる所以であった。
「兄弟は手足の如く、妻子は衣服の如し・・・・と謂うではないか。衣服は破れても繕う事が出来る。だが、手足はひとたび断たれれば元へは戻らぬ・・・我ら3人生まれた日は違っても、死ぬ時は一緒と誓い合った義兄弟ではないか。例え今日城や女達を失ったとは言え、兄弟を道半ばで死なす事など出来ようか? ましてあの城(下丕城)は元々我等のものではない。惜しいとは思わん」
張飛はググッと咽を詰まらせると、堪らず体中の涙を迸らせて号泣した。関羽も同時に男泣きした。相手が最も苦しい時にこそ、温かく優しい励ましは必要なのだそして又、こちらの真心もズシンと届く。劉備も目頭を拭いながら、顔を空に向けた。
「−−散り散りになった者達を集めてくれ。」
未だしゃくり上げて居る弟達に向かって、劉備は行動を促した。
「集まったら北へ行くぞ。さ、急いで呉れ!」
−−この美しい男同士の友情・・・・だが、その反面、この冷酷な女性観はどうだ。然し既述の通り、これは独り劉備だけの冷酷さでは無かった。当時の社会常識・倫理規範であり、まして戦う男達にとっては、妻や女達はあくまで付属物・隷属物に過ぎないのであった。(※子に対しても・・・親は子を作れるが、子は親を作る事が出来ないから親の方が尊い・・・・と謂う、現代から見れば、奇妙な論理が存在していた)
関羽と張飛の2人が呼び集めた兵は、千にも満たなかったが、何とか部隊とは見える。問題は・・・・食糧だ。何処かの城市を接収するしかない。そこで劉備は北へ数十キロの「海西」に拠る事にした。其処はもう、背後に海を控えたドン詰まりの小都市であった。除州では在る。取り敢えずの急場は何とか凌げそうであった。だが、長くは持ちそうにない。困った・・・・だが、その劉備の緊急事態を救って呉れる者が又しても現れた。つくづく不思議な星を持った男だ。ヒト様の好意を引き出す【何か】を持っているようだ。・・・『麋竺』であった。字は子仲と言い、ここ海西の直ぐ北の「`県」の出身であった。彼の先祖は代々利殖に励み、小作1万人を抱え、資産は巨億と謂われる天下の大富豪であった。
今迄、陶謙の別駕従事(副太守)として、除州内で重きをなし、陶謙の遺言を導き出し、劉備の除州牧就任には、先頭に立って奔走して呉れた重臣である。
『穏ヤカデ誠実ナ男デアッタガ、人ヲ統率スルノハ不得手デアッタ其ノ為、席次ハ軍師将軍(諸葛孔明)ヨリ上位ニ在ッタガ、一度モ軍ヲ統御スル事ハ無カッタ。』・・・・つまり、己の性格や器量を識り生涯裏方として、もっぱら内治に、その才を発揮する「名官僚」であり続けるその『麋竺』が、本気で劉備に惚れ込んだのであった裏切る者あれば、手を差し伸べる者ありーー全てに困窮していた劉備に、麋竺は全財産を投げ出して、救いの手を差し伸べたのである。《呂布ごときに奪われるより、この人にこそ・・・・・》
奴僕2千人、金銀財貨も莫大にのぼり、そのお陰で劉備軍は再び、勢いを盛り返す事が出来たのであった! その上、麋竺は、自分の妹まで献上したのである。無論、【正妻】としてである。『甘夫人』は呂布の捕虜となり、生死の程も判らない。女っ気の無い劉備の周辺にまで気を配り、行く末の己の立場をも磐石のものとする。それが『麋夫人』であった。 ・・・・不動産は持ち歩けない。動乱到来の今こそ、見切り時でもあった。この男にも、この男なりの見通しが在ったのだ。 それが《惚れる》、と謂う事なのだ。それにしても、当時の女性は男たちの衣服としてしか扱われない。麋夫人は〔正妻〕であるにも拘らず、名が残っていない。
ーーだが、劉備は・・・この麋竺の思い切った全財産投資を、結局全て破産させてしまう。一時は、当地を荒らし廻っていた楊奉・韓暹を、ほぼ殲滅させるなど意気上がった。が、袁術の正規軍との戦いに、又しても完全敗北してしまったのである。戦術、ましてや戦略など丸で無く、ただ関羽・張飛の武威にだけ頼る戦い振りでは衆寡敵する筈も無かったのである。参謀軍師不在が、劉備陣営の最大の欠陥であった。そしてその事に気付けぬ、思い至れぬ偏狭性が、この3兄弟を必要以上に、苦しめ続ける
・・・・・もはや、打つ手無しの状況に追い込まれた。
「・・・・仕方ない。呂布に降ろう!」
「−−ええっ!!」
「呂布ですと!?」
突っ拍子もない発想である。一同、眼が飛び出した。
「奴は信義などには、およそ縁の無いケダモノですぞ。兄弟より重い父子の契りを交わした董卓でさえ殺した奴です。何をされるか判ったものではありませんぞ!」
「なあ〜に、何とかなるさ。儂は呂布を助けてやったのだ。今度は呂布が儂を助ける番だ。そうでなけりゃあ、辻褄が合わんではないか。第一、ほかに一体、何処へ行く?モタモタしていれば袁術軍に追い付かれて、それこそ一巻の終わりになってしまうぞ。」
途方も無い、「劉備理論」である。とんでもない理屈だが、この男だけには妙な確信が有るらしい。
ケタ外れには、ケタ外れの生き方・考えが在るらしい。敗残の劉備一行は他に妙案も無く、無謀とも思える【呂布への投降】を果たす為、下丕城へと向かった・・・・・
《わしゃ、もう、どうなっても知らんわい!》
御本尊を抜かした、一同全員の顔には、そう書いてあった。
「−−お前は俺に小沛を呉れた・・・・。
今度は俺が弟に小沛をやる。」
「ーー!な、なにを仰られるのですか!?」
今度は、陳宮が仰天する番だった。
「−−俺は、約束は守る・・・・。」 「そ、そんな・・・・・。」
「うるさい。」 軽く払い除けられた陳宮は、数メートルも吹っ飛ばされて目を白黒させている。呂布は袁術に対して、頭に来ていたのである。例の20万石は空手形であったのだ。その袁術への怒りの裏返しとして、劉備への好意が現れた面もある。 捕われていた『甘夫人』も無事返された。この場合、彼女が美人でなかった事が幸いしている。又、呂布が既に絶世の美女を妻にしており、その必要性が無かったと云う事も僥倖に寄与していた。ま、何が幸いするか判らない、と云う事だ。
「さすがに《兄貴》だ。度量がデカイや。恩に着るぜ。」
−−かくて、美事、劉備のムチャクチャ流は成功した。
この呂布と劉備の奇妙な友情(?)・・・裏切っておいて、仁義も屁ったくれも無いもんだが・・・・この一件によって猛獣・呂布への、後世の我々の風当たりが随分と軽く成っているのは事実である。どこか可愛い気が感じられ百%は憎めない。かつて長安を落ち延びた時の「司徒・王允」に対する呼び掛けや、この後に起すエピソードなど、チラッチラッと、読者をなごます場面・行動を取る。
《解らん。殿は父殺し・主殺しを汚名と思い始めたのであろうか?1国を治める者として、世間を気に掛け出したのであろうか?ま、北辺の押さえにはなるが。》 首を捻る、「軍師・陳宮」。
礼もそこそこに劉備一行は直ちに「小沛城」へ入った。スゴロクの目は、又しても振り出しに戻ったのである。折角手にした「棚ボタ式大出世」・1州の牧の座を、こうして一夜のうちに失い、元の用心棒稼業 (傭兵集団) に、逆戻りするダメ男達ではあった・・・・。
一方の袁術・・・・当てが外れた。呂布が劉備と戦い、両者が共倒れに成って呉れるのが理想であった。ヘトヘトに消耗した処をやっつけて除州を楽々と我がモノとする・・・処が現実は、何の事は無い。除州のヘッドが劉備
から呂布に挿げ変わっただけであった。そんな呂布に20万石送って敵を強くする馬鹿は居るまい。
《よ〜し、そんなら、弱っちい劉備の方を、
儂独りで潰して呉れるわ!》
袁術は、『呂布』を刺激しない様に迂回北上のルートを指示した上で、直ちに小沛城の劉備だけに兵を向けさせた。 主将には「紀霊」を任じた。紀霊の軍は、歩兵騎兵あわせて3万と云う大軍であった。
《−−ヤバイ・・・・!!》弱体の劉備は、呂布に助けを求め、援軍の派遣を要請した。
「劉備は元々、殿が邪魔な奴と思っている相手ではありませぬか援軍など送らずに、このまま袁術に討たせたら如何がでしょう」
陳宮を筆頭に、諸将が進言した。
「−−違う!劉備が敗ければ、袁術が強くなる。
北の泰山まで力が及ぶ・・・・。」
《−−−!!》
その通りである。陳宮は、呂布の変貌ぶりに眼を見張った。
「お仰せの通りに御座います!泰山まで支配が及べば群小豪族どもと手を結びましょう。 されば、我が殿は、周囲を全て敵に囲まれて孤立致します。袁術の思うツボになる・・・・!」
「−−俺自身がゆく・・・・。」
呂布は千騎だけを率いると出撃していった。
《解らぬ。たった千騎で、如何がされる心算なのだ?》
援軍に賛成した陳宮だが、馬上で首をひねった。軍師を自認する彼にも、この兵数の少なさには疑問だけが残った。いかに呂布の「胡騎軍団」が天下無双であっても、3万の大敵には適うまい・・・一体、どうすると云うのだ??ーー紀霊は呂布自身の到来を知ると、流石に包囲を解き、小沛城の南へ数里退いた。迎撃態勢を敷いて様子を窺がう事にした。するとそこへ、呂布から会見の招請状が届いた。
出向いた紀霊はビックリした。殺すべき相手の劉備が居るではないか!!劉備も驚いている。ただ呂布だけが笑っていた。
「まあ、突っ立って居無いで、座ってくれ。」
巨神の貫禄で両者を席に着かせると、やおら呂布は、本題を切り出す。場所は、原野に幔幕を張り巡らせた呂布の陣屋内。
「・・・・劉備は、我が弟だ。助けぬ訳にはいかぬ。だが、無益な戦いはしたくない。−−だから・・・・2人とも、この呂布の提案を受けてくれ・・・・。」
「−−−??」 呂布はつと立つと、傍らの豪弓を手に取った。
「見るがよい。」 その声と共に、サッと幔幕が左右に開かれた。言われた一同、思わず項を捻ってその方を見た。すると・・・かなた前方の地点に、1本の長戟が突き立てられていた。
「−−あの戟の小枝に矢を射て、当てて見せる。」
「小枝に、ですか?」
「そうだ。小枝だ。ーー・・・当たったら双方、兵を退け。外れたら、好きな様に戦いたまえ!」
数十メートル余も先の、しかも戟本体では無く、十文字に突き出た、その細い刃の部分(小枝)に当てると言い出したのだ。万が一にも成功すまい。おそらく、この場を和ます座興であろう。・・・・・呂布の真意は何か?
「−−よいな?武人として、その神にかけて誓え!」
そのド迫力の前に、紀霊も劉備も頷くよりない。
「オオー〜〜ッ!!」
全軍が歓呼拍手した。命中したのだ。
(※ 詳細は第60節・「呂布伝説=史上最強のさすらい者」にて)
「−−神業じゃ!武の神のお告げじゃ!!」
紀霊は、それを【天意】と受け止めた。
翌日は酒宴となり、両軍とも兵を退いた。
劉備は又しても、九死に一生を得た・・・・・
【第50節】 信用度ゼロ・
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