第45節
出陣す
               
五丈余(12メートル)もある桑の木の下で、これまた巨人が2人、
真っ昼間から酒を酌み交わして居る。
「あ〜何だかこう、体中がムズムズして居やがる。関兄よ〜腕が
鳴るってのはこう云う事なのかなあ〜?」
17歳
張飛益徳ちょうひえきとくは、どちらかと言えば、ジッとして居られ
ない性分である。体を動かしていないときは、大酒をくらうばかりで
あった。「・・・・おい関兄ィ。俺達こんな所でイジイジと、酒なんかカッ
喰らってていいのか?世の中黄巾討伐とかで、どんどん盛り上がっ
て、み〜んな出っ払っちまったって謂うのによう〜!」
張飛が両拳で、バンッ!と卓上をどやし付けた。
「ほ〜、たまにはお前もいい事を言うではないか。俺もそう思って居
た処だ。・・・・よし、ここは一つ、玄徳兄者のケツを叩きに行こう!」
張飛より5歳上
関羽雲長かんううんちょうは、豊かな鬚髯しゅぜんをしごいて立ち上
がった。雲を突く様な大男だ。2メートル(九尺)を優に超えている。
「待ってました!よし、今すぐ押しかけようぜ!」
張飛も八尺五寸(192cm)を超える巨躯である。2つの巨大な影が、酒の勢いも手伝ってドカドカと『劉備玄徳』の家の中へ入っていった。 

「玄徳兄、話しがある!」 「俺も同じだ!」
「お〜、今日は2人とも、又一段とエラく威勢がいいではないか。」
23歳劉備りゅうびが1つ年下の関羽と未だ17歳の張飛をからかった。3人共が若く生命力に溢れている。だが今日の関羽は真剣で凄みがあった。
「−−いつ迄こうして居る心算だ?」 酒気を孕んだ関羽の赤ら顔は、今し幾分の怒気さえ含み、一段と迫力がある。
「そうだ、戦さだ!」と、張飛。劉備も真顔になったが黙った儘である。
「黄巾の賊どもが暴れているそうだ。絶好の機会ではないか!?」
「そうだ、絶好だ!」 「・・・・・・・。」
「−−俺と張飛は強いぞ。何とかして呉れ。」
「そうだ、血が騒いでっしょうがねえ。腕には自信が有るんだ。」
「俺達2人を売り込めば今にでも出立できるぞ。早く使って欲しい
ものだ。」この、関羽と張飛の弟達・・・個性が強烈な上に、その性格は、丸っきりの正反対である。だから、長兄の劉備が中間に入って、

三人が一組
 で 相い補いあってだと、丁度バランス
良く収まるが、一人ずつだと極端に右か左かへ傾き切ってしまう・・・・と、云う恐れが有った。殊に、「人に対する接し方」においては、今後、地位が上がるに連れ、益々、両者の態度は逆向きに発揮されてゆく。
今し正に、彼等の、【生涯に渡る人格】の方向性が形造られてゆこうとしていた。
「−−待って居るのだ・・・・・。」 劉備はやっと口を開いた。 
「・・・・待つ?何をだ?」 「ーー
天佑だ。」 「ほう〜どんな天佑だ?」
「福の神だ。」 「−−フクノカミい〜?関兄ィ、何の事だ?」
「納得いくように説明して呉れ。」「わかった。まあ2人とも座って呉れ」
2人が座ると、今度は劉備が立った。 七尺五寸(170cm)はあるが、2人と並んだら可也小柄に見える。「俺達3人は生涯、人には仕えん。仕えるとすれば漢王室だけだ。 小さくてもいいから、独立する!
だから、
一軍の将として”旗揚げ”したい・・・!」
「ほう、旗揚げとは、また豪気だな。流石だ。」
「でもよう旗揚げって、3人ぽっちじゃあカッコがつかねのと違うか?」
「勿論兵を持つ。我が部曲ぶきょくを養う。取り敢えず千いや五百でいい」 「五百ったって、いま付いて来そうな連中は百も居ねえよ。第一、あいつ等、ろくな武器さえ持ってやしねえぜ・・・・。」
張飛が言うあいつ等とは、劉備が取り仕切っている「用心棒集団」の
事である。主に商人の往来を警護し、街道筋の安全を保障する代わりに、通行料を徴収していた。商人個人の生命は勿論だが、その商品を無事に目的地まで送り届ける事の方が、圧倒的に多かった。途中で盗賊に奪い去られるよりは、多少高くついても、安心料を払っておいた方が無難な御時世である。だから結構、喰っていけた。然し、この稼業・業界の中では、アクドイ集団が殆んどだった。搬送途中で襲われた事にして「抜け荷」をしたり、法外な危険料を吹っ掛けたりして、商人たちを泣かせるアコギな連中である。
だが其の点、劉備グループは、悪どくアコギな事だけは絶対しなかった。統領の劉備が、配下の者達にそれを固く戒め、許さなかったのだ。万一、掟を破る様な事あらば、統領の左右に侍して居る2人の弟達の厳しい訓戒が待っていた。 元々、劉備達の目的は、小さな金儲けにあるのでは無かったから、その点だけは終始一貫、配下の一人一人にまで徹底させていたのである。
「・・・俺は、中山国ちゅうざんこく張世平ちょうせいへい蘇双そそうが来るのを待って居るのだ。」
「ああ、あの馬商人の大金持ちか?」
ーー『張世平ちょうせいへい』と『蘇双そそう』とは・・・全国に軍馬を売り歩く大豪商であった下手な群雄をも凌ぐ、巨大な資力を所有しているらしい。それもその筈、当今、馬=騎兵は戦さには絶対不可欠な最強ウエポンであり、超・需要過剰のレアもの商品。価格は高騰する一方で、今や軍馬五頭で国家の最高官位(三公)が買えてしまう程であった。現代なら差し詰め巨大コンツエルンのオーナーといった処であろう。
ちなみに、中国では馬の産地が限られているが、中山国ちゅうざんこくはその大きな供給地であった。時節がら、全国の軍属・軍閥は、先を争って名馬を欲しがっている。それも十頭二十頭単位ではなく、百頭・二百頭、多い時には数百頭単位で注文して来る。一度など、朝廷用に千頭を搬送した事すらある。千頭はデカイ!そのまま頂戴すれば国持ち大名同然、旗揚げすら可能になる。  (※3年前の
181年の時点で、「馬一匹が200万銭」に至ったと、『霊帝期』の中に記述が在る。)
中山国ちゅうざんこくは、このたくのすぐ南(西)に隣接しており、国の西半分には、万里の長城の支線の一部が築かれている程の、大高原・(大草原)を含んでいる。(※既述の如く、『国=こく・くに』は、『郡』と同格。かつて又は現在、漢王室の直系一族が「王」として封地された郡を『(王)こく』と呼んだ。) 
背後には遊牧騎馬民族(鮮卑せんぴ=モンゴル族)が控えて居るから馬の
供給には事欠かないのであった。
超高価な【馬】は狙われ易い。然も何百頭もとなると、その搬送計画は一種の
『作戦』に近い周到さが無いと、いつ、何処で襲撃されるか判らない。対象は四足だから、一旦奪われたら、取り戻すのは不可能である。斥候を立て、前軍、中軍、そして殿軍を配置し、地形やルートも、事前に調査して措かねばならない。そして何より、いざ襲われた場合の、戦術や役割分担を、キッチリ決めて措かねばならなかった。タカが馬を送り届ける>だけ・・・・・と謂うなかれ。さながら其れは、一つの軍事作戦とも謂えるのだった。必然、みな騎乗技術は向上していた。実際、盗賊団と戦闘した事も、一度や二度では無かった。そして其処では、何と言っても、関羽と張飛の超人的武力がモノを言った。
盗賊の十人や二十人なんぞは、どちらか一人だけで充分だった。張飛などはむしろ、賊に襲われるのをたのしみにしている風情ふぜいさえある。最高記録は、二人で二百人以上を蹴散らかせていた。それもフル・パワーでは無いのだから、相手が逃げ去る時の決まり文句、

「バ、バケモンだああ〜!」
・・・・もうなづける。
「バケモノとは失礼な奴等だな!」 張飛は本気で頭に来ていた。
アゴ髯とトラ髭には手を出すな!!・・・・・それが業界(盗賊団)の常識と成りつつあった。そんな劉備グループを高く評価する『張世平』や『蘇双』とは、ここ2・3年来の付き合いとなっていた。

「そうなのだ。何故か解らないが張(世平)さんと蘇(双)さんは、我々を見込んで呉れているらしい。もし其の時が来れば、軍資金を用立てると言って呉れているのだ。」

「ホントだな。」 「本当だ。」

「じゃあ、俺達は、いっぱしの軍隊に成れるのか?」
「その通り。
部曲ぶきょく(私兵集団)を持つ! 武器に鎧兜よろいかぶと、軍馬
 と、兵糧まで出す・・・・と言って呉れた。」

「ひゃあ〜、流石に劉の兄イだ!よく見込まれて呉れたもんだ
                              なあ〜!!」
張飛は改めて、眩しそうに劉備を見上げた。

「・・・・いや、俺とお前が惚れた男だ。張世平や蘇双が惚れ込ん
 でも、不思議はあるまい!玄徳兄者の人徳と謂う奴だな。」

「じゃあ、じゃあ、俺達は、劉備軍の部将って事になるんだな!?」

「そうだとも。いつかは関羽将軍・張飛将軍に成って貰わねばな!」

「よ〜し、いいぞぉう!こいつあ面白く成って来やがったぜ。
 
やるぞ〜、俺はア〜・・・・!!

張飛は武者震いを一つすると、矢も立ても堪らず、表へ飛び
出して、エイッ!ヤァー!と、大太刀を振るって、その歓びを
体中で表現するのであった・・・・・

                            


「いやあ〜、我々商人は、ただ物を売り買いするだけでは
                            ありませんぞ。」
張世平ちょうせいへいはニコニコしながら、眼を細めて言うのであった。
「商人の醍醐味は、これと見込んだ人物への投資にこそ有る
のです。一種の人買い、先行投資ですかな?」
隣の蘇双そそうも頷いて言った。
「劉玄徳どのをつぶさに
観させて戴いて参りましたが、この蘇双ともども感じ入ったので御座るよ。我ら両名、諸国を旅し数多の人間を識る者ですが、玄徳どのの人扱い、手配りの良さ、茫洋とした大らかさ。アコギな暴利を貪ろうとなさらぬ姿勢・・・・・。」 張平は更に言う。

「そして何より、一緒に居ると、何だか、事が全て、どうでもよい様な気にさせて呉れる、面白い心映えの持ち主じゃ。」

「ま、簡単に申せば、我らはあんたに惚れたのですよ。」

「出世払いで結構!この先、あなた方が、どれだけ大きく成ってゆかれるのか、それを眺めていく楽しみ料ですかな?」
   
ワハハハと、二人の大富豪は、自分達の粋狂すいきょうさを笑い飛ばして見せるのだった。褒められているのか、虚仮こけにされているのか、よく判らぬ言い様ではあったが、大富豪なればこそ出来る芸当ではあった。ーーかくて・・・・・この一風もニ風も変わった、二人のお大尽は、劉備三兄弟を世にデビューさせた、影の大恩人と成って呉れたのである。
中山ちゅうざんノ大商人 張世平・蘇雙ラたから千金ヲつかネ、
 馬ヲたく郡を周旋しゅうせんス。
見テしかシテこれトス。すなわチ多ク金財をこれあたウ。
先主 レニリテ 集徒しゅうとあつもちイルヲ得タリ。

元々、劉備を親分と慕って集まって居た、血気盛んな、アブレ者達で
ある。軍資金さえ整えば、みな一緒に付いて行きたがった。又、関羽
の人柄や武に憧れて集まる者も多かった。
関羽雲長は、既に此の時点で、仁侠渡世の豊富な人生経験・場数を踏んで来ていた。彼が故郷の「解」を出奔したについても、義侠の精神性を、ストイックな迄に尊崇して来た故であった。だからズシンとした【求道ぐどうの心】・【己のバック ボーンと成る矜持きょうじ】・【生き方の理想像人生観】を、 ほぼ完成しつつあった・・・・と、謂ってよい。その帰結として、今や関羽には、不動の威貌が具わり、無言で人を畏敬させる様な貫禄・人間力が感じられる。そして、己に自信の有る『関羽』は、目下の者には温かく、労わりの心を以って接し、部下を大切にする部将と成ってゆく。ーー但し・・・・・
羽ハ 卒伍そつごチテ、
           士大夫したいふおごル。

・・・・・後半の「士大夫ニ驕ル」 とは・・・・・
現段階ではあらわれていないがーーやがて(特に晩年には)己と同格や格上とされる者達との接触が増えて来ると、それ等の者に対しては横柄・倣岸・驕慢な態度で接し、常に自分が一番でないと気が済まぬと云う、自意識・矜持の過剰さが前面に出て来るのである・・・・・
此の世に、完璧な人間など居無い、と謂う事であろう。
一方の
張飛益徳の方は、未だ17歳の無学な、小僧っ子に過ぎ無かった。(美事な書を遺し、学問にも励み出すのは、彼の後半生からで有る。決して一生涯、無学蒙昧な暴れ者で在り続けた訳では無い。) 未だ未だ青く「己の事だけで精一杯」・・・と、謂った処であった。他人を人間力だけで御すにはガキに過ぎた。だから劉備や関羽の様に風格や器量で人を動かす事が出来ず、つい安直に、己の武(量)で威圧して従わせるせる事と成らざるを得無かった。ーーそして・・・いつしか、それが身に着いてしまい、張飛の人格そのものと成っていってしまう事につながる・・・・・
飛ハ 君子ヲ愛敬あいけいシテ
       小人しょうじんヲ恤あわレマズ。
『関羽』と『張飛』・・・・・この二人の英雄は・・・・その最期に、おのおの、夫れ夫れの、人格的欠陥に因って身を亡ぼす事と、なる・・・・・










ーーーだが、それは未だ未だ、
     ズ〜ッと先の話である。

今し、若き三兄弟は大張り切り。特に弟達ふたりは、夫れ
夫れ二手に別れ、同じ年頃の若者連中に、張飛が武闘訓練を仕込んだり、関羽が集団戦闘の仮想演習を施すなど、戦場さながらの激しい練武に没頭した。又、劉備は主に精神の持ち方や勇猛心を鼓舞し、改めて血盟を誓わせる儀式を担当し、出陣の日に備えた。
「兄者、取り敢えずはOKだ。時間が惜しい。はや出陣しよう。」
「な〜に、日頃から血の気の多い連中だし、飲み込みは早えよ。
あとは実地体験で場数を踏んで行きさえすりゃあ、充分使えるぜ!」
「−−よしっ!皆を整列させて呉れ。・・・・旗揚げする!」
「善かろう!」 「合点、承知!」義兄弟三人の眼差まなざししが、おのずと吸い寄せられ合い、言わず語らずの裡に、互いが互いの手をガッチリと重ね合い、握り締め合っていた。
「さあ、我ら三人の誓いを果たす時がやって来たのだ!」
「おう、我ら三人、生きるも死ぬるも一緒!」
「俺ら弟は、必ずや兄者を一国の主にしてみせようぞ!」
「−−では、参ろう・・・・!」

・・・・かくて、念願の部曲を手に収めた劉備は、用心棒集団の
頭目から脱皮し、その麾下500と云う、小粒ながらも、一軍を
率いるミニ軍閥へと変貌を果たしたのであった!!
ーー然し、『劉備軍』などと云うものは、誰も知らない。万単位の
激突が最低の戦場に、500やそこらでノコノコ顔を出しても、
敵さえ相手にして呉れぬかも知れない。全国各地から集結
する何十万の500では、全く目立たない。
戦場では兎に角「目立つ」事こそが肝要なのだ。でなければ、
評価のされ様が無い。故にみな、派手な旗を掲げ、旗指物を
身に帯びるのだ。
然し、劉備『軍』は、派手派手しく《旗》を掲げる事が出来
無かった。掲げるとすれば、当然のロゴになるの
だがーー【劉】は恐れ多くも『漢王室の劉氏』と一緒になって
しまう・・・・だから仕方なく、ロゴ抜きの「ただの飾り旗」となら
ざるを得無い。益々、目立たない。
そこで劉備ははくをつける為に、せめて口頭で
中山靖王ちゅうざんせいおう末裔まつえいと称するが、いずれにせよ、
知名度ゼロからのスタートであった。
だが、その代わり・・・・劉備軍には、他の部曲には見られぬ、
際立った豪華さがあった。 騎兵】の多さである。
この当時、歩兵500なら騎兵は僅か30〜50と云うのが、
一般的な部曲の構成戦闘能力であった。ところが、劉備の
部曲は、五百の内、半数近くが騎兵で占められていた。彼の
スポンサー・支援者が「馬商人」だった故である。だから騎兵の
割合を単純計算に換算すればー→その戦闘能力は、
               歩兵2000以上に匹敵するとも謂えた。
張飛ならずとも血が騒ぎ、腕が鳴る。
−−−が、然し(又しても)・・・・やんぬるかな・・・
強力なバックアップと期待し、当てにしていた、北部方面軍・
総司令官の魯植ろしゅく(先生)は、 三兄弟が馳せつける寸前、
宦官の讒言に遭い解任。それどころか一転、大罪人とされ、死罪
一等を減じられ、流刑に処せられてしまって居たのである・・・(既述)
《−−−!!・・・・・・・。》  
最初からツイていない。仕方ないから取り敢えず、『義勇軍』と
云う立場の私兵集団に合流して、官軍の元へと馳せ参じた。
政府軍内部では、校尉の「鄒清すうせい」が、義勇兵を募るべし!と
進言し、自ずから率先垂範、各地の義勇部隊を吸収して、その
先頭に立っていた。
 だから、劉備達のデビュー戦は、この鄒清の下での、
黄巾賊討伐戦 と、なったのである・・・・・!
黄巾図
さて、
天下最強、国士無双の【関羽】と【張飛】の
活躍や如何に!?




はたまた 劉備は、 こころざしどうり、美事、
            
世にデビューを果たせるのか?

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