孫子の兵法書

               



 その夜から、仲達は大きな館の主となった。
  明日からこの館には、曹丕が通って来る。

《ーー暫くは、身を置いてみるか・・・》
仲達の心は、その方向に固まりつつあった。何故そう思えるか、
仲達には解っている。・・・・曹操に対する矜持きょうじよりも、
          その子曹丕への情が勝っているのだ・・・・
《然し、ここは一番、冷静に状況を分析しておく必要があるな。》
−−我が身を常に客観視する事、飽く迄【己の天】の道筋を模索
する事・・・・それが仲達の仲達たる所以ゆえんである。
曹操孟徳ーーやはり重い存在であった。実際に来てみて
実感するのは・・・・何と言っても、絶大な【力】を持っていると云う事
だった。いや、彼自身が【力】そのものであった。曹操の指先1つで
全てが動き、この男の意志ひとつで、幾十万人もの”生と死”が決
する。何やかや言っても、この時代状況下、【力】こそが全てである。
それを実感した。 《ではこの仲達、どの様にして《力》を得るか?》
軍事力としての【力】は、そう直ぐには手には出来ぬであろう。兵馬
の権については曹操の警戒心が最も強い領域である。だとすれば
その軍事力に代わる《力》を手にしなければならない。
ーーそれは何か? 《人脈であろう・・・・!》
出立の際、父が言った、『人だな』の言葉の深さが、今よく解る。
天は今、この仲達に《人を為せ!》と、此処に配置したのであろう。
ーー此処とは、操丕との邂逅かいごうを指す。
思えば、絶妙な 【天の配慮】 である。直接、曹操に首根っこを
押さえられるでも無く、遠からず近からず、その落とし処とも謂う
べき、嫡男ちゃくなんの元へと導いて呉れたのだ!・・・然も嫌々ではなく、
その対象とする操丕は、愛すべき少年であった。
ーーまさに《天の配剤》・【天佑】と謂 わずして、何と言うべきか!
《俺の性分として、この先もじっくりいく事になるだろうな・・・・。》
たぶん曹操はこの俺を、兄【司馬朗】と同じ様に、文官として使い、
軍事に直接携わせる事はせぬであろう。俺自身、単なる武将タイ
プでは無い。文官でも無い・・・敢えて言えば《曹操タイプ》であろう
と思う。と云う事は、曹操こそ我が手本・・・という事になるのかな?
《だが然し、深入りし過ぎると、破滅も有り得るぞ!》
今の段階では、操丕が確実に【跡継ぎ】に成る、とは言い難い。
寧ろ、現状ではナンバー2、いやナンバー3の可能性さえ濃厚だ。
・・・・「剣呑けんのん、剣呑。危ない、危ない!」・・・・
後継者レースに破れた側には、古来、粛清しゅくせいの嵐が吹き荒れる、
と、相場は決まっている。古今東西、身内の権力闘争ほど、凄ま
じく、残忍なものはない。三族誅滅、一門根絶やしである。
その点、俺は今日・この時点から、曹丕派首魁しゅかいとなった訳
である。好むと好まざるとに関わり無く、それが現実と云う事だ。
それにつけても、常に警戒しておかねばならぬのは、やはり・・・
曹操本人である。 《危ない!!》と観るや、その直感だけで、
平然と粛清を為し得る姦物でもある。
ーー今から12年前、35才の時・・・・
曹操は、専横する【董卓】の元から、数騎の側近と脱出し、厳重な
指名手配の中を、郷里に逃走した。地元で兵馬を整え旗揚しよう
と決意したのである。その途中、旧知の呂伯奢ろはくしゃの家に立ち寄った
際、もてなしの為にブタを殺そうとしたのを勘違いして五人の家人
を全て斬殺してしまった。過ちに気付き遁走する途次、今度は買い
出しに行っていた主人の伯奢はくしゃと鉢合わせした。すると曹操は、二コ
二コしている彼を、躊躇ためらいも無しに斬り殺してしまう。
「ひ、ひど過ぎますぞ!」 非難する供の者(夏侯惇か?陳宮では
無い)に向か って、曹操は傲然と言い放った。
ーー〈我負人、母人負 我〉・・・
  『むし人ニそむクトモ
      人ヲシテ我にそむク事なからしめん!』
・・・・俺が人を裏切る事は有っても、
               人が俺を裏切る事は絶対許さぬのだ!
作り話であるに決まっているが、《も在りなん!》と想わせる
処が凄まじい。 ・・・・じっくり力を蓄えている心算つもりが、不意に
バッサリ消されたんでは、堪ったものでは無い。
ーーだが、曹操にも弱点は在る・・・・と、仲達は看て取った。
 ロマンチスト・・・その一点である。
ーー【横槊おうさくノ詩人】ーー陣中にほこを横たえて 詩をす。 
戦場にすら感性を移入するその資質は、昨年ひとつの逸話を
残していた。
下丕かひ城で孤立包囲され投降した、稀代の勇将関 羽かんうが、
曹操の手厚い待遇の恩を、官渡かんと戦で返した後、主人である
【劉備】の元へ逃げ戻ろうとした時、曹操は彼の節義と武勇を
愛でて、わざと見逃したのである。
君ニつかエテ其ノ本ヲ忘レザルハ、
                  天下ノ義士なり

         (詳しくは第3章・ケタ外ずれのダメ男にて)
この無類のロマンチズムを、仲達は【甘さ】と観る。
私人としてなら感動はするが、乱世の権力者としては、一種の
おごり・甘さでは無いか?・・・・たぶん、その曹操の心の在り様が、
己の危機を救うであろう。いや、そう仕向けるべきであろう。
 又、もう一つの弱点は、《人材確保の悩み》である。
いかに曹操と雖ども、そう無闇には粛清を繰り返す事は出来ぬ
状況に在る。 もし、出来が良過ぎると云う理由だけで、誅殺を
行えば、それ以後、優秀な人材は彼の下には集まらぬ事となり、
彼の幕府は弱体化してしまう。そこに自ずから、一定の歯止めが
生まれる訳となる。その上、嫡男・操丕が、いずれこの仲達の守護
神、曹操へのシールド、バリアーと成って呉れるであろう。
《ーーこれは、打算であろうか?》 いや、打算で動けば、それが
見えた時、それこそあの曹操は即、その牙をくだろう。

ーーその時ふと、きょう出会ったばかりの、少年の面ざしが目に
浮かんだ。純真な眼の輝き、心の叫び、そして涙・・・・。
あの少年にだけは、本心から肝胆あい照らす関係でいられると感じた。

「ま、仕方ないか・・・!」 天が命ずる以上、仕方ないのである。

             
「さあて、一体何を学べるのかなあ!」
 曹丕王子は、生まれて初めて、正式に自分に付けられた
《先生》に、期待の瞳を輝かせている。

「先ずは、若君のお好きなものでよろしい。」
「よし、では『論語』をそらんじてみせよう!」
自分は乗馬術だけの男では無いんだぞ、と云う処を見て欲しいらしい。
「ほう!是非お聴かせ願いましょう。」
仲達は、その気持ちを察して微笑んだ。
「仲達どのは、本を見なくてよいのか?」
「たぶん、大丈夫で御座いますよ。」
「ーーよし、では・・・!」
暫し間を溜めて、ひと呼吸するや、曹丕は滔々とうとう諳誦あんしょうを始めた。
一刻(十五分)ほど、淀み無く続いた。が、ふと詰ってしまった。
「・・・師ヤ過ギタリ。商ヤ及バズ、ですな。」
「ああ、そうだった!」 と続く。
更に一刻・・・・流石に、言い淀む場面が多くなる。その都度、仲達
の指摘が入いる。
「宜しい。素晴しいものです。そのお年で、よくぞそれまで学ばれ
ましたな。然も独学で、ここ迄なされたとは、仲達、感腹しましたぞ!」
められて、十四才の少年は、嬉しそうに顔を火照ほてらせている。
「実は昨夜、必死に復習したんです。」
半ば兜を脱ぎかかっている。
「外にも、諳んじているものが有りますか?」
「うん、『詩経』や『呉子』もあるけれど、『論語』程じやありません。」
兎に角、とっ始じめの緊張をクリアーして、曹丕は暫し安堵の溜息
を突いた儘、眼を宙に漂わせていた。
「そうだ!それよりも先生、先生が諳んじているのを聴きたい!」
自分のアイデアに、少年は少しく興奮している。
「何なりと・・・。」
「では『孫子』がいい!父上が、善く研究されていると聞く。予も
 【兵法】は好きじゃ!」
「いかにも、大切な書ですな。」 「予が出題してもよいか?」
「ハハハ、これではどちらが試験されているか判りませぬな。ま、
 本日はよいでしょう。」
「じゃあ・・・」 と言いつつ、曹丕は適当にページをめくった。
竹簡ちくかんでは無く、時代の最先端をゆくに書かれた冊子に
なっている。流石に贅沢だ。曹操秘蔵のこんなモノを、曹丕は
一体どこから持ち出して来たのやら・・・・。
この時代、と云うものは未だ、存在しない。《紙》さえ珍しい
のだ。仲達ですらこんな物は、初めて眼にしたのであった。そんな
事とは露知らず曹丕ぼっちゃまは、いとも無頓着に、乱暴な手付き
でページを繰くる。
「よ〜し、・・・でわぁ〜作戦第七の【軍争】! 」
「ーー故ニ
  其ノキコトノ如ク
   其ノしずかナルコトノ如ク
     侵掠スルコトノ如ク
       動カザルコトノ如ク
        知リ難キコトノ如ク
 
        動クコト雷震らいしんノ如シ ・・・・
「ーす、すごい!ね、先生。子丹したん(曹真)と文烈ぶんれつ(曹休)呼んでも
 いい?先生の凄さを見せて遣りたい!」
少年は、我が事の如くに喜び、はしゃいでいる。
「御随意に・・・。」 「やったあ〜!!」
自分の勉強そっちのけで、奥へすつ飛んでいった。
「お〜い、子丹、文烈?、有りっ丈の書物を持って来〜い!」
仲達は独り、苦笑いをしている。 手すさびに、曹操みずからが
清書したのであろう『孫子の兵法書』を手 に取り・・・・
                           そして、仰天した!
「ーーこ、これは・・・・!」

真っ赤・・・・であったのだ!一枚ずつびっしり、楷書かいしょで、一文字、
一文字が丹念に書かれた全文の上に・・・・どの葉もどの葉も
ことごくに〈〉が入れられ、それが更に校正されて、殆んど原文が、
塗り潰ぶ尽くされていたのである・・・・。
ーー実は・・・現代、我々が『孫子の兵法書』 と称している
ものは・・・・曹操が書いたものなのである! 
                          ーー「え!?」
無論、原典・原著は、斉の【孫武そんぶ】が著 わしている。 百年後の
孫ビン】と云う説も在る。・・・・いずれにせよ、この時代には、
『孫子の兵法書』は2種類あったのである。そしてその夫れ夫れが
膨大に過ぎる量であった。
  呉の孫子「本文八十二巻・図説が九巻」と
  斉の孫子「本文八十九巻・図説が四巻」とである。
曹操は、その両方を隅々まで熟読吟味し、奥義おうぎだと思われる
処だけを13篇に精選し、注解を入れて・・・・現代の我々が知る
孫子』にまとめ上げたのである。
故に、曹操がこの時削除した部分は、現代には一切伝わって
いないのである。ーーまさに、『孫子』は曹操が書いたのである

だから昨日も、今夜も、また明日も・・・・曹操は夜独りでコツコツと
戦陣にすらその資料テキストを持ち込み、原典に朱を入れている
のであった・・・・。
蓋し、曹操と云う男は、超一流の兵法学者 でもあったのだ

この天下一忙しい男は、歴戦と政治・戦略の合間をぬって、独り
営々と、気の遠くなる様な研究編纂作業を、随時怠り無く続けて
いたのである。
《・・・一体、あの男は、
       日に何時間睡眠しているのだ?!》

いずれ上梓じょうしされる日迄には、実に十万語が記される事となる。
それだけの研鑽を日々重ねていれば、兵法・兵術は、自のずと
身に染みついてゆこう。当然、実戦に於いても、当時の誰よりも
優れた、臨機応変の戦術眼を駆使し得たはずである。
ーー人知れず、大樹は地中に深く根を張る
折角だから、曹操自身の手による【序】の部分を紹介しておこう。

曹操は先ず、古典においても、軍事の重要性が説かれている旨を
                                    述べる。
操聞く、上古に弧矢こしの利有りと。
 論語にいわく、兵を足らすと。尚書しょうしょ八政に曰く、師と。
 えきに曰く、師は貞・丈人なれど吉と。
 詩に曰く、王はかくとしてすなわち怒り、ここに其の旅を征す と

次に曹操は、古代の王達も、軍事力に拠って世を救ったのだと、
その有用性を語る。
黄帝・とう・武も、干威かんいを用いて、もって世をすくえり
武力だけに頼る者は国を亡ぼすが、武力を軽るんずの者も亦国を
亡ぼす。 軍は、機が熟して初めて動かすべきものであり、無闇に
動かすものではない。軍事力は飽く迄も、已むを得ぬ非常の手段
としてのみ使うべきだ・・・・と結論する。
司馬法に曰く、人ことさらに人を殺さば、之を殺 して可なりと。
武をたのむ者は滅び、文をたのむ者は亡ぶ。夫差ふさ偃王えんおうれなり。
聖人の兵を用うるは、治めて時に動き、むを得ずしてこれを用う

そして曹操は、多くの兵学書を学んだが、孫武のものが秀逸
である、と絶賛する。然るに世の人々は、枝葉末節の解釈にこだわり、肝腎な要旨をあやふやにしてしまっている。だから自分は、その要点
だけを簡潔に纏めるのである・・・・と、動機と決意とを述べている。
吾れ兵書・戦策を観ること多きも、孫子の著 わす所はは深し。
つまびらかに計りて重く挙げ、明らかにはかりて深く図る。相いいつわ
べからず。しかるにだ、世人はいまだ之を深くあきらかにせず。訓説・
況文煩富はんぶにして、世に行わるる者は、其の要旨を失えり。故に、
撰びて略解を

この【序】文は本篇完成時に記されたものであろう。それが何時
だったのか、興味深い。機密に満ちた辛苦の労作を、惜し気も無く
公表しようとするのであるから、普通であれば、覇業が一段落した
後と観るべきであろう。
 然し、曹操は、そんなミミッチイ男では無かった、とも観たい。
《真に使いこなせるのは、この俺だけさ!》と、平気で発表した
かも知れない。ーー『正史』は言う。
其ノ軍ヲリ、師ヲ用ウルニ、大較たいこうハ孫呉ノ 法
(孫子と呉子の兵法)ニ依リ、而して事ニ因リテ奇ヲ 設ケ、
あざむキ勝チヲ制シ、変化スルコト神ノ如シ。 
故ニ戦ウ毎ニ必ズチ、軍ニ幸勝
(ラッキー勝ち)無シ。
・・・・さて、曹操一代の労作とも謂える『孫子』の全文は、別途
【検索欄】に掲げて措くが、これは読者諸氏へのプレゼントである。
『孫子の兵法』とは、どんなものか?・・・・一寸、興味がお有りでは
無いかと、勝手に忖度そんたくするからである。
ちなみに、孫子の〈完全版〉は、結構入手しずらい。そこで検索欄に
おまけ》としてプールして置い た。
かのナポレオンが、座右の書としていた事は、 余りにも有名である。
 又、武田信玄は「風林火山」の旗印に用いた。ドイツ皇帝ウイル
へルム二世も、敗戦後に「あと20年早く、この書を読んでいたら!」
と、溜息をついた。ーーそして今、我々はこれを、人を殺すため、戦さ
の為に読んではなるまい。 実生活の中で、自他を共に活かす為に
こそ、読みたいものである。
 尚、【検索欄】には更に、三国志の頃の日本の様子を知って
戴く為に〈おまけ の
おまけ〉として、『 魏志倭人伝ぎしわじんでん』の完全版も、
プールして置いた。 ちなみに・・・この、世に有名な『魏志倭人伝』
これは、レッキとした、『正史三国 志の中の一部分なのである。
特別、『魏志倭人伝』と云う本が存在している訳ではないのだ。
曹操や劉備や諸葛孔明、関羽、張飛などと言った面々を記した、
陳寿ちんじゅ】その人が同じ『三国志』の中に書いておいて呉れた、蛮族
の一つとして、わが日 本
)も登場して来るのである。
何故かと言えば、そんな世界の涯ての野蛮国にさえ【】の 御威光
は及んでいる、との讃辞なのである。 そして、その魏を継承した
】の国は、更 にもっとスゴイ!と謂わんが為に使われたからなの
である。ーーだから正式には、
 
★ ★ ★   ★ ★   ☆  ☆ ☆ 
三国志魏書倭人伝』と謂うべきなのである。
 ま、いずれにせよ(仮令たとえ、野蛮人と言われようと)、曹操や関羽
等の名前と並んで、我が【卑弥呼ひみこサ マ】が一緒に登場して来るとは
何か嬉しく、愉快ではないか!

              

ーーと、そこへ、両手に山と冊巻を持たされて、2人の青・少年が
入つて来た。
(※紙は未だ稀少品なので、ノート代わりに使われた木簡を、束ねて巻いた当時の本)
もう、すっかり大人びた、年上の青年の名は【曹 真そうしん】と言った。
17歳になる。もう一人は、12歳の【曹休そうきゅう】である。2人とも
曹丕の従兄弟いとこに当たり、寝起きを共にし、幼ない頃から一緒に
育てられて来ている。
 いずれ、この二人は、泣く子も黙る・と恐れられ る、曹操騎馬
軍団の最精強部隊・・・・【虎彪騎こひょうき】 の 司令官と成り、その任を
順次うけ継いでゆく事となる。
・・・・のち、大司馬にまで昇り詰める【曹休】は、元々一族の者
ではあった。だが天下の動乱に巻き込まれて、一族は散り散りと
なった。その上、父まで没した。幼い曹休は、ひとり年老いた母親
を連れて長江を渡り、遥か南方のけい州へと難を避けた。其の地で
曹操の旗揚げを聞くや、このチビは即座に、再び1000キロ
(東京〜鹿児島間)を馳せ戻り、曹操に目通りした。
「こやつは、儂の家の千里の駒じゃ!」 と言って感嘆した曹操は、
以後、曹丕と寝起きを共にさせて来ていたのである。存所其処等そんじょそこら
12歳とは、訳が違う。
・・・・もう一方の【曹真】・・・その父親の「曹邵そうしょう」は、曹操が旗揚げ
した時、その手勢を州郡から奪い取った為、追求され殺害された。
                              ーー『正史』ーー
一説では、曹真の元の姓はしん氏であつたと云う。
まだ初期の頃、曹操は袁術配下の一党に追い詰められ、曹真の
父「秦伯南しんはくなん」の元へ身を隠した。だが、ついに敵がやって来て尋問
すると、伯南は「儂が曹操じゃ」と言って、その身代わりに成って殺
された。そのため曹操は、息子の姓を己のものとして与えた、と云う。
                               ーー『魏略』ーー
何れにせよ曹操は、恩人である者の子が、弧児に成ってしまった
事を哀れみ、引き取って自分の息子達と一緒に養い、曹丕と寝起き
を共にさせていたのである。
・・・・のちには大将軍と成って魏国を支え、蜀の諸葛亮孔明を祁山きざん
陳倉ちんそうに撃退し、その功を以つて大司馬へと昇り詰めてゆく。
ーー・・・だが・・・今から50年の後ーー曹真没した後、それを継いだ
子の【曹爽そうそう】と、この司馬懿仲達とが、その覇権を争って、暗闘・死闘
を繰り広げる事に成ろうとは・・・・とてもの事、今この時点では無想
だにし得ぬ、遠く遥かな先の事ではあった・・・・
さて、生涯に渡っての師友と成る4人の若者達、挨拶もそこそこに、早速また「難問出題コーナー」の続きが始まった・・・・

「ワッ!」 と驚く曹休。 「オーッ!」と敬服する曹真。

3人が手分けをしては、手当り次第であった。

「ーーもう、いいでしょう。」 頃合いを看て、仲達が苦笑いした。

「先生はな、馬術だって凄いんだぞ〜〜!」 曹丕は、鼻高々である。

「きっと、武芸も凄いんだろうなあ!」 曹真も感嘆の声を挙げた。

「僕も教えて欲しいな!」
12歳の曹休は、尊敬の念をそう言い表わした。

「ダメ!仲達先生は、予の師だからね。」

「・・・ケチ!少し位はいいでしょ?」

「ハハハ、若君の仰せの通りじゃな。」
口をんがらせ、ふくれっ面で曹丕を見る曹休。

「・・・じゃあ、時々呼んでやるよ。今日はダメだよ。
                      未だ一日目なんだからね。」
「・・うん、わかった・・・」
「よし、それじゃあ、文烈と子丹は、すぐ奥や皆んなのとこへ行って、
 先生の凄さを話して廻るんだ!」
この曹丕の、”仲達自慢”は、この後もズ〜っと続く。

二人が退室すると、曹丕少年は、改めて仲達に言うのであった。
「先生、この曹丕子桓、心より尊敬致します。
                 どうぞ、私を一人前にして下さい!」
「私、ではありませぬぞ。」 「ああ、そうであった!」
きょう今日から、正式に師友と成った二人は、心から愉快そうに
笑い合う事であった。

「処で若君、あなたは〈妓楼きろう〉を御存知か?」
「ーー!!ウ、噂には聞いた事が有りますが・・・。」

突然、尊敬する相手から、もろに尋かれたものだから、14歳は
真っ赤になった。この時代に在っては、至って”奥手”である。
父親の曹操などは、もうその歳には愛妾を十数人囲って、渡り
歩いていた筈である。 男女ともに10歳では、もう完全な〔性人〕
として扱われている時代であった。孔子様も仰って居られる。
男女七歳二シテ、席ヲ同ジュウセズと。
・・・・何となれば、一般的な
 庶民の平均寿命はおおむね20歳代に過ぎなかった
                              ・・・・からである。
貧しい農民、即ち国民は、呆気あっけ無く死んだ。旱魃かんばつに洪水、疫病の
猛威、いなごの襲来、螟虫ずいむしの害、打ち続く戦乱、そして過酷な収奪・・・
6歳にして課税対象の一人前、歳10才にして子を成し、15にして
老人
・・・・一体、何の為にこの世に生まれ、そして生きるのか?
ーーそれに対し、上流支配階級の平均寿命はおおむ45、6歳
美食に因る肥満か飲み過ぎ、も 無くば遊び過ぎの荒淫こういんか・・・
80・90歳縷々るる現れる。
無論、三国志の英雄達が皆、次から次へとポコポコ死んでしまって
は、お話しにもならない・・・・と謂う事は、我々が付き合ってゆく、
『三国統一志』の、その殆どの人物群像は、何や可や言っても、
ハイ・ソサイテェイに属する者達なのである。
 従って今後も、特別に断わら無い限りは、登場して来<る様々な
事供は、全て庶民サイドでは無く、あまねく当時のハイ・ソサイテェイの
有り様
と云う事になるので、賢明なる読者諸氏には、あらかじめ御理解
の程をたまわっておきたい。


「面白いですぞぉ〜〜!!」
「も、もしかして、連れて行って呉れるのか!」
「内密で参りましょう。」
「ーーよいかの?」
「所詮、学問は紙の上だけの事に過ぎませぬ。民草の、生きた
様を在りの儘に見、肌で識ってこその、 学問ですぞ。民の喜びも
亦、哀しみも、己の肌で直に感じて こその『王道』と申せましょう。」
と、一応は屁理屈を並べておく。
「・・・あの二人、どうする?」 「文烈君には、チト早過ぎるかな?」
「では、子丹は連れてゆこう!」 「宜しいかと・・・。」
「うん。うん、これは愉しみじゃ!予は仲達殿に会ってからと云うもの、
 浮き浮きワクワクする程に、楽しくて楽しくて仕方無いよ。」
堅苦しいだけでは無く、中々話せる〈兄貴〉でもある。
「街に出るからには若君は《桓ちゃん》、私は《仲兄イ》ですぞ。」
「では、子丹は《丹ちゃん》だな?」
「少し、変装もしてゆきましょう。」 「変装もするのか!」
「相手に警戒されては、在りの儘の付き合いは、出来ませぬからな。」
「ウフフ、何だかゾクゾクするなあ〜!」

♪   ♪   ♪   ♪   ♪

♪   ♪   ♪   ♪   ♪
ーー灯ともし頃、城下の市場・・・3つの影が、雑踏の中に在った。
見掛け上は、町のアンちやん風だがーーどこかぎこち無い・・・・
特に「桓ちゃん」にとっては、見る物、聞く物、全て驚きである。

「おら、ボケ〜ッとしてんじゃねえ。この薄らバカ!」
「ウヒ!薄らバカ・・・だって!!」曹丕は嬉しくて、吹き出しそうである。
「桓ちゃん、余んまりキョロキョロするなよ。」
「おっと合点!」 すっかり、その気になっている。
中国では、しん(BC3世紀)以前の時代から既に、市場いちば(繁華街)
には 『
飲食 店があった更に前漢代の飲食業の繁栄ぶりは、
桓寛かんかんの『塩鉄論』にーー
『昔は煮た食べ物を売らず、市場では食事をしなかった。その後も、
犬や羊を殺して売り、酒を売り、乾肉・魚・塩を売るだけだった。
然し今は、
よく煮 た食べ物を売る店が立ち並び、沢山の骨付き
肉が市場に出されてい る。
』・・・・との記述がある。
                    
又、
司馬遷しばせんも 『史記』の「貨殖列伝」にーー
『貧しい者が冨を求めるには、農業よりは細工仕事が良く、細工
職は商売に劣る。「織物の刺繍ししゅうをするよりは、市場の入口に立つ
方がマシだ」 と言われるのは、
貧しい者には、商売が利益を得
やすい道である故である。
』 と述べて居り、秦〜漢代にかけて、
商売で金を儲ける道を選んだ人々が多数輩出して居たのである。

 そして、この当時(三国時代)の市場(繁華街)には、更に多くの
個人飲食店”がのきを連ね、人々を引き寄せていたのであった。
「仲ア二イ、あれ喰ってみようぜ!」
曹真も亦、成り切ろうと面白がっている。
「それより景気付けだ!一杯引っ掛けてから繰込くりこむぞ。」
小ざっぱりした居酒屋に入いる。・・・・あちこちに在る酒店は全て
一軒一軒が〔
自醸自 売じじょうじばい〕(自家製の酒)で営業している。又、この
当時の飲食店は、おしなべてサービス・愛想がよく行き届き、礼儀
正しく客をもてなした。後漢の楽府『隴西行ろうせいのうた』には、酒屋の女主人の
接客態度に心から満足した様子がうたわれている。
美しい女主人が出て客を迎え入れるが、その顔 の色は誠に
楽しそう。腰を伸ばして二度お辞儀をして、客に向かって
「お変わりありませんか」と尋ね、座敷の上に招き入れて、毛氈
(もうせん)の上に座らせる。
 清酒と白酒は樽を別にして設け、その酒を勧めるに当たっては、
先ず綺麗きれいな野菜を並べ変える。そして酒を汲んで捧げて客に勧め
ると、客も又「主人に返杯したい」と申し出る。そこで女主人はやや
後ずさりして、二度お辞儀をし、その後で客の差し出す返杯を取り
あげる。 楽しい談笑は未だ終わらないけれども、振り返って料理
方(板前)に言いつけ、御飯の用意をさせ、細かく心を配って、もて
なしを滞らせる様な事はしない。
堅苦しい礼はさて置いて、客を送り出し、   
楚々そそとして店内を歩む。然し遠く迄は送らず、足は門の枢(とぼそ)
まで。それから外へは出ない。嫁を娶るに当たって、この様な婦女
を得る事が出来たなら昔の斉姜(せいきょう)の美人も及ぶまい。
こう云う立派な婦を一門の支えとするなら、全く男子に勝る働きを
するものだ・・・

ーー此の時代・・・・愛想よく、張り切って、生き生きと働く、庶民の
様子が、眼に浮かぶ様ではないか・・・
折しも戦時下、原則的には酒造りは御法度ごはっとと云う建前だから、
隠れ酒場と云う事になる。ヤバイ所に潜り込むスリルがあった。
表の看板は、一応、『飯し屋』である。
「らっシャ〜イ!」 余り上等な店とは言えない。
ムーンとする熱気と喧噪・・・・粗末な服を着けた庶民達で、手狭な
座敷は溢れ反っている。
この時代、未だ中国には『
椅 子いす』とか 『腰掛こしか 』のたぐいは一切無い。
官民・公私を問わず、全て【
正坐】の世界であった。
                 (椅子の登場は次の時代以降である。)

「さあ、ジャンジャンいこうぜ!」
大瓶の中から、濁った酒を、各自の手杯に満たして呉れるが、
小汚くふちが欠けているのが御愛敬だ。
この時代の酒は、蒸留じょうりゅう酒(パイチュウ・白酒)では無く、醸造じょうぞう
ラオチュウ・老酒)が中心であった。主原料はキビであったが、
米・あわ・麦・葡萄ぶどうなども使われたと云う。葡萄はシルクロードのたまものだ。

「さあ、我等の 《城攻め》 に乾杯だ!」
若い3人は、凄いペースでグイグイいく。
この後の 《城攻め》 を考えると、やたら咽が乾 いて堪らない。
桓ちゃんなど”初陣”とあって、特に鼻息が荒い。
ーー但し、この当時の酒はやたらウスイ
コクなど全く無いし、酒 あじも極めて弱く、ほぼ水ぽっ濃かった。
アルコール度は精々せいぜい0・5パーセントどまり。だからガブ呑みしても、
なかなか効いて来ない。一升、二升飲んで、やっとホロ酔い・・・・
中国の書物にはよく 『酒一斗』(酒飲一斗) などと出て来るが、
是れは決してオーバーな表現では無かったのである。 その位
飲んで初めて「御酩酊ごめいてい」と成って来るのだ。・・・故に、宴席では必ず
バカデカイ酒瓶が、ほぼ各自の膳の横に置かれ、専門の注ぎ手
(酌み手)が就いて、どんどんお酌した。
現代に比べたら、酒味は極めて淡いから、オチョコでちびりちびり、
コクや丸ろみを味わう様な光景は皆無であった。酒杯もみな大きい。
だから、
三国志の 英雄達は皆、大きめな杯で豪快に、グビリグビリ、
ゴクンゴクン呑んだ。
かく言う筆者は全くの下戸であるが、三国時代だったら一升酒でも平気だった事になる。
詰り、酒造技術はまだまだ未発達であった訳である。
それでも前漢までは 「米1升から酒3升」 だったのが、後漢時代
(当時)には 「米1升から酒1升」 と、飛躍的に向上し、3倍の濃さ
には成っていたのであるが・・・・。
そんな水っぽいモノを、しこたま飲めば、必ず
トイレにゆきたくなる。従ってかわやは、宴会では可成り重要なもので
あった。何故かと謂えば高位高官の者は、一回毎に衣服を全部
取り替えて出て来るのが、トイレ使用時の礼
だったからである。故
に、身分の高い者は、専用の個室トイレを使った。トイレと言っても
広くて豪華である。寧ろ、”個室の休憩室”と観た方が、我々の理解
に即していようか。
其処には必ずしとね(布団)が設えて在り、香がかれ、専属の侍女
(多分、美人)が居て、着替えを手伝った。 酔い冷ましを兼ねて、
一回立てば、10分や20分は席に戻って来ない。中にはそのまま
寝込んでしまう者も居よう。となれば、後の者達は渋滞してしまうから、
複数の個室が必要となる。下位の者達は共用したであろうが、
高位者用には専用の、侍女付き個室が幾部屋か用意されたと云う
事だ。無論、皇帝ともなると、超一流ホテルのスイートルーム全体が
トイレと言う事になる。

さて、当時のであるが・・・・アルコール度数が低いので、
長期保存が効か無かった。油断して居ると忽ち酸敗さんぱいして、トンデモ
ナイ 「酢汁すじる」 に成ってしまう。だから上流家庭ではみな自家製の
酒を造ったが、四季を通じた宴会の都度に、抜かりなく用意せねば
ならず、結構大変だった訳だ。
 但し庶民には、そんなヒマは無いから、手っ取り早く「飲み屋」に
集結する。商売ともなれば
発酵時期 をずらした酒樽やかめが、店の
裏手にズラリと並んで居た訳である。


そんな当時、「
酒の王様」と言え ば・・・それは何と言っても
葡萄酒ぶどうしゅ であった 物珍しいからでは無く、その中味が、他の
穀物酒に較べて格段に『
香美醇濃こうびじゅんのう』だったからである。無論、長期間
保存して置いても、味は変わら無かった。のち、此の「桓ちゃん」
曹丕)は、大のワイン党と成って『その傍らを通るだけでよだれが流れ
つばんでしまう。まして、いざ飲むとなったら、もう堪らない。一体
なんと言うべきか
」 と、絶賛する事になる。
但し超高級品で、とても庶民の口などには入ら無かった。
(国内生産は一応可能とは成っていたが)この時期の宦官の大ボス
だった
張譲ちょうじょうは、一石いっこくのブドウ酒を贈って来た相手を、一州の刺史しし
(長官)に任じた位であった。
ーー処で、中国語には、ちゃんと呑兵衛のんべえのランク付けが在った。 
品の良い酒好きは『
酒仙しゅせん』、呑兵衛は『酒徒しゅと』、飲んだくれは『 酒鬼しゅき』、
酒乱は『
酒 狂しゅきょうと区別する。 (しょっちゅう酔い潰れていた、後漢
随一の大学者
蔡邑さいよう は『酒虎しゅこ』と アダ名された。)
けだし三国時代ともなると、むしろ己が『
酒狂』 と呼ばれる事を自慢
する風潮が一世を風靡ふうびしており、飲兵衛達は、其の社会的地位を
すっかり獲得して居た。だから今後も、屡々しばしば酒の席に於ける愉快な、
又は深刻なエピソードや場面が多々登場して来る。
(呉の
孫権そんけんなどは、晩年は完全な酒乱と成り、御乱行を繰り返す。)
又、正式な宴会では酒の飲み方にも歴っきとした儀礼が有るのだが、
こんな飲み屋では不要なので今は割愛して措こう。
 ついでだから、此処でちょっと、酒話アラカルト・・・・
そもそも中国の酒造りの始祖は 『
儀狄ぎてき』で、酒 醪しゅろう もろみを発明し、
杜 康とこう』 が芳醇な飲み物 (禾求 酒じゅつしゅ)として完成したのだと謂う。
漢代では酒は《
美禄びろく》と呼び、酒中三昧ざんまいを生活の華とし、
人々は酒をこよなく愛していた。

 また、三国志の《酒飲み代表選手》と謂え ばーーそれは・・・
何と言っても・・・・
鄭泉ていせん選手 であろう。
鄭泉ていせん」は呉の国の太中大夫だいちゅうたいふで、222年(今から20年後の事)、
夷陵いりょうの戦 い』で陸 遜りくそんに大敗して《 白帝城》に逃げ帰った劉備りゅうび
(翌年没)の所へ、呉蜀ごしょく両国間の関係修復の使者として派遣 され、
友好関係を取り戻した事で知られる人物である。
ーー『呉書』ーーに言う。
鄭泉ていせんは字を文淵ぶんえんと言い、陳郡の人である。幅博く学問を修め、
その心馳こころばせは人々に抜きん出たものであった。しかも酒を好み、
家に居る時は常々言っていた。
「美酒を五百石の船いっばいに
満たし、美味で口当たりの佳い季節の食べ物を両側に置く。その
中でバチャバチャ泳いだり潜ったりして酒を飲み、 疲れれば酒を
やめて御馳走を食べる。酒が少しでも減れば直ぐさま注ぎ足す・・・
こんな風に出来れば、素晴らしいではないか

     ーー《中略》ーー
鄭泉ていせんは、その死に臨んで、仲間に言った。
「儂が死んだら、必ず此の身を陶器作りの家の側に埋めて欲しい。
百年も経つ裡に、我が身は土と化して、 上手くすれば、その土が
使われて
酒 壺》に成れるやも知れ無い・・・・その時、私の心願は
みごと叶うのだ
 と。 (流石、酒乱の君主・孫権の家来だけの事は有る!?)
だからもし現代、酒の銘柄や蔵元、又は店の名や暖簾のれん
鄭泉ていせんの銘を用いた物が在 るとするなら、其処の亭主やオヤジ
は・・・実は可成 の
三国志通乃至ないし三国志ファ ンなのであ る。
それにしても、【
鄭泉】とはーー何ともまあ、其 れらしく、絶妙なる
姓名では有る事よ。
ちなみに「
酒 泉しゅせん」はりょう州の郡名に有り、ちょっと在り来たりかも・・・・

                            
「ーー親爺、〈聖人〉に会いたい!」
丹ちゃんの方は、流石に場馴れしている。
「ーー??」 桓ちゃんには、何の事だか判らない。
「へ〜い、お待っとサン!」
呑んべえ社会では、清酒を〔聖人〕、濁り酒を〔賢人〕と、隠語で呼ぶ。
それに関しては三国志・徐貌じょばくに、こんなエピソードが記されている。

『当時、禁酒令が施行されていたが、徐貌はこっそり酒を飲み、酔い
潰れるほど飲んだ。校事の趙達が彼の職務に関して質問すると、徐
貌は「聖人に当ってね」と言った。趙達がその事を太祖に報告すると
太祖(曹操)はひどく立腹した。その時、度遼将軍の鮮于輔が取り成して
「平常、酔客どもは酒の清んだ物を聖人と称し、濁った物を賢人と称し
ております。
徐貌は慎み深い性格ですが、たまたま酔っ払って吐いた
言葉でしょう」と言ったので、何とか処刑は免れた。』・・・・その後日談
・・・桓ちゃん(曹丕)が久し振りに徐貌に会って言う。「相変わらず聖人に
当っているのだろうな?
」すると徐貌は恐縮しつつも、こう答えた。
「昔、楚の子反は酔い潰れた為に戦争に負け、魯の御叔は酒を飲ん
で暴言を吐き、刑罰を受けたとか。私は2人と同じ好みを持っていて、
懲りもせず時々同じ様な事をやります。然しながら年を経た瘤は醜い
ものですが、私の場合は酔いによって知られて居るのです。」
桓ちゃん(曹丕)は大笑いして「評判は空しく立つものでは無いワイ!」
と言った。ーーちなみに此の徐貌は後に撫軍大将軍に昇進する。

「あ〜、ビックリしたあ!こんな場末にも聖人君子が居るのかと
 思っちゃったよ。」 桓ちゃんが仲ア二イの耳元へ、小声で白状した。
今の桓ちゃんは、まだまだ未熟モンである。
「やあ、愉快、愉快!何だか俺は、歌いたくなっちまったぞ!」
ピッチの速かった曹丕は、もうかなり出来上がりかけている。
立ち上がると、皆が一斉にはやし立てた。
「いいぞ〜、兄ちゃーん、景気良く頼まあ!」
忽ち、手拍子・小皿ダイコが始まった。
「・・・・其れ、人の世の初めよりイ〜、造化ぞうけが人を創ることぉ〜、
終わらぬ時ぞ、有らぬ無しイ〜

知る人ぞ知る清列せいれつであった。  
        ーー終わる時あらぬはきこと
           聖賢もまぬがるる あたわざるに
           何んすれぞ 此の憂いをいだくや
           願わくば チ竜にりなむ
           崑崙こんろんの居をば したい想う
                              と続き、
        ーー君子はかくて 憂えざれど
           年のるるを いかにせん
           時は過ぎ 時は来るよ ああ ・・・・で終 る。

・・・『存在と時間』・・・『実在と空』・・・『限り在る生』・・・・・

「ーーハオ!ハオ! (好!好!)」の大喝采を浴びた曹丕、
                           やや得意気である。
「気に入ったぜ、兄ちゃん達!一緒に呑もうぜ。
                      しんみりする歌だったぜ。」
「ほんに、難しい歌、よ〜く歌えたなあ!」
人々が杯を持って席の廻りに集まって来た。皆かなり御酩酊の様だ。

「しっかしヨォ〜、曹操様は実にエライ!」
酔ったオヤジが、曹丕の肩を叩いて言った。
「何ちゅったって、わしら下々の歌をバカにしてねえもんナア!!」

「んだ、んだ。歌うだけじゃなくて、作って下さるんだからヨオ、こりゃ
 もう、どえれえモンだわさ!なあ?」
「そりゃオラも、そうフントに思うワヨ。んだけんどもヨ、ちょびっと
 ワッシラにゃ、難し過ぎねえカイ?」

「阿呆こけ!難しいから、有り難てえんじゃねえか! いっかア、
 よ〜く考えてみれ。曹操様が作って下さらなきゃ、ワシラはなあ、
 何時迄たったって、程度の低〜い、ホレただのハレただの、下ネタ
 ば〜っかしか知らねえで、一生終っちまうだろに!」

「左様左様、こんなワシラでも、おデエジン様や将軍様達と、同んじ
 モンが歌えるんですぞ。あの独眼竜(夏侯惇)サマだって、虎痴こちどの
 だって、み〜んな歌ってらっしゃるんですぞ。ね、兄さん方?」
「ハイ。ごもっとも!」
ーーいつの世にも、は在った。物の本に拠れば・・・・

この当時の中国でも、貴賤上下の区別無く、『歌・謡・曲』が歌われ
ていたそうだ。我が国の〈民謡〉みたいなものと想えばいいらしい。
 特に、日常生活の中では最も重要視される、《宴席》では、その
ムードに合った、管と弦の伴奏で歌われる『相和曲そうわきょく』が持てはやされた
と謂う。 その相和曲の歌詞の方を〈楽府古辞〉と言い、その作詩は、
千数百年来、名も無い庶民の手によって書かれて来ていた。
と謂うより、君子たるのインテリ達は、これを文学などとは看做みなさず、軽佻浮薄けいちょうふはくだとして、誰も書かなかったのだ。
専っぱらインテリ達は、《韻文詩いんぶんし》をこそ文学だとした。そしてその、
恐っろしく長ったらしい、重々しくてダークトーンの詩作に、熱中して
来ているのであった。奇妙な事に、インテリ達は、その日常で歌謡
曲を楽しんで居る癖に、こと作詩に関しては、ワレ関セズとばかりに、
全く興味も関心も持たずに居るのだった。  
ーーところが・・・此処に、その因習をブチ破った、
                 【おきて破りな男】が出現したのである!
世の常識なぞ屁とも思わない男。産まれ落ちた時からインテリ社会
の規範からは、はみ出さざるを得無かった男。平気な素振りで、
旧習を打破してゆくしか無かった異端児。そのおかげで、庶民社会の
いき〉をも身に付けた、《超時代性を有する》風雲児・・・・
ーーもう、お判りであろう。誰あろうーー
・・・・曹操孟徳 その人であったのだ・・・・
彼は、世のインテリ・知識人達が、その常識として、誰一人として
見向きもしなかった、〈市井しせいの歌詞〉がエラク気に入り、その闊達かったつ
軽快な、テンポいリズム感にゾッコンれ込んだ。
流石、”いきスジ”の生まれ、奔放で多感な放蕩息子だっただけの事
はある。インテリぶって取り澄ましては居ない。・・・・で・・・ひどく好き
だから、自分でも書いてみた。 いざ書いてみると、その魅力の源が
五文字の配 列に有る事を理解した。そして、それまで貯えられていた
彼の詩才が、忽ちにして、それをパッと文学の高みへと開花させた。

※曹操が有した詩賦の資質(文才と楽才)は、当然ながら彼の生育
環境が大きくモノを謂ったであろう。その点では彼の祖父=曹氏の
始祖たる【宦官の曹騰】が宮中の音楽担当官たる〔小黄門〕で在った
事が少なからぬ影響を【孫の曹操】に与えたに違い無い。とは謂え、
「お爺様」が何歳まで存命して居たかは定かでは無い。だから直接
伝授したと謂うよりは、その家庭の雰囲気・生育環境の中に様々な
楽器だの楽府詩 (政府が民意動向の参照の為に収拾した民間の
五言詩だのが溢れて居り、青少年期の曹操は知らず知らずの裡に
その資質を培って来て居たのに相違あるまい。

ーーもともと中国の【
】(漢詩)は、千数百年来、歌謡として、
誰の作かも判らぬ、庶民だけの、低俗な歌詞として位置づけられ
ていた。・・・・それを曹操は、 知識人による言語芸術ひいては
文学の高みへと大変革、世を驚天動地させたのである!
我々が〈漢文の授業〉でお目に掛かる、お馴染みの【
五言詩】の
濫腸らんしょう・誕生であった  もし曹操なくば、
杜甫とほ』 も、『李白りはく』 も、『陶淵明とうえんめい』  も存在し得無かったのだ・・・。

実に、曹操こそは、【中国五言詩】の産みの親・
   【漢詩のガイ アであったのだ
中国の詩の潮流を、重っ苦しい世界から軽快で活溌な世界へと、
 大転換させたのは、実に曹操その人だったのである。

                           ー吉川幸次郎博士ー
・ ・・・スゴイ男だ
知れば知 る程、凄い人物である。
曹操孟徳は、中国史上 最初の詩人》でもあったのだ。
しかも単にそれだけでは無く、中国文学界では現代でも、詩賦を
語る時は必ず曹操へと回帰してから、議論や創作活動が始まる
ーーと言われる程に、その内容の評価も高いのである

そればかりでは無い。・・・曹操の創った詩賦の根底に流れるもの
・・・其れは、今日にも通ずる『哲学』を、既に内包しているのである!
 20世紀・前半の思想界の主流・・・・キルケゴール、ニイーチエ、
ハイデツガー、カミユ、サルトル達が抱いた『実存主義』の原形とも
言い得る奥深さである。 更には・・・・
     『我 思う、故に 我 在り』 では無く、
     『我 在り、故に 思う』   の、
唯物論的な生き様をも主張している・・・・・

孫子の兵法書】を書き上げ、詩賦の創作にも精緻を傾ける。
生涯馬上に在って、幾十万キロを戦いに明け暮れる、そうした
日々の中での作業である。
軍ヲぎょスルコト三十余年、手ニ書ヲ捨テズ、昼ハすなわチ武策ヲ
講ジ、夜ハ則チ経伝けいでんヲ思ウ。登高とうこうシテハ必ズシ新詩ヲ造ルニ
及ビテハ、これヲ 管弦ニこうむラシメ、皆 楽章ヲ成ス。

《並の人間では無い。人を超えているのか?》
ーー陳寿が謂う、『非常ノ人超世ノ傑ちょうせいのけつ
        の面目躍如たるものが、ここにも垣間かいま見られる・・・・
「よう、よう。3人も居ンだからヨオ〜、一人一曲ずつ、歌って
 みせてくんろ。な、皆んなも、それがよかんべ?」

「そうだ、さうだ。兄サン達、み〜んな様子がエエからさあ、きっと
 他にも未だ未だ一杯え知っていなさるんダロ? ここは一つ、
 ワシラの頼みを聞いてやっておくんなよ。ね!」

「ワシャ、あれがええ。ホレ、白髪になったモンは、皆〜んなもう、
 働かなくてもいい世の中ってやつ。」

「うん、うん。道に物が落っこてても、だ〜れも拾わねえってやつだろ!」
「題はよ、確か・・・【酒にむかいて】・・・ってんだよな、二イサン?」

曹真が歌わされる羽目になった。

對酒歌太平時    酒をまえにして歌わん 太平の時を
吏不呼門        徴税の吏は 門に来たらず
王者賢且明      王たる者は賢にして つ明 
宰相股肱皆忠良   宰相と股肱とは 皆忠良にして
咸禮譲         礼をわきまえ 譲りあり
民無所爭訟      民には 争いせめぐ所 無く
三年耕         三年耕せば
有九年儲       九年のたくわえ有り
倉穀滿盈       倉のこめは満ち
班白不負戴      白髪しらがまじえし者は 負いいただかず
路無拾遺之私     路にはちたる物を拾い私とする者なく
耄耋皆得以壽終   いし者は皆天寿を以って終るを得 て
恩澤廣及草木昆蟲  めぐみは広く草木昆虫にも及びな ん

「ーーこんな世が来りゃええだがなあ・・・。」
「オリャ若けえから、英雄の歌がいい!」
「よ〜し、分かった! 【歩して東西の門を出ずるうた】とゆこう!」
仲達が立ち上がって、朗々と歌う。   
            
     神龜雖壽  ふしぎなる 亀の 寿いのちはながしといえど
     猶有竟時   お おわる時や有り
          騰蛇乘霧  そらを す おおへびは 霧に乗れども 
 
        終爲土灰  つい には 土灰と為りはてぬ
     
老驥伏櫪  老 いたるうまは うまやに伏すも             
     志在千里  こころざしこそ 千里に在らん
            
     烈士暮年  たけおのこは いにしも
              
     壯心不已  たけき心の むことは
         
     盈縮之期  ながみじかさだめのあるは

     不但在天  ひとり 天に在るにはあらず
     
養恬之福  養い びて さいわい おもむけば 
     可得永年  永き年 をば 得べきなり
     幸甚至哉  幸は 甚だしく至れるものかな
     歌以詠志  歌 いて 以ってこころざしをば詠わん・・・・

仲達は、最も好きなフレーズを、思わず、彼なりに噛みしめていた。 
 ーーたけおのこいにしも、壮き心のむ事は無し・・・・
たけき心の已むことは無 し】 かーー・・・・・ 
ーーズン、ドスン、バリバリ、ガチャーン
突如、およそ詩賦とは無縁な、不粋極まり無い雑音が沸き起こった。
めろ、止めろ!何だ、そりゃ?ああん、此処じゃあ、そんな歌ぁ
流行ラネエんだヨぉ!」 目付きの悪い大男が、怒鳴り付けて来た。
五月蝿うるさい!人が折角いい気持で、呑んでいる処を!」
「何だと〜おッ!やる気かあ、このクソガキ!」
およそ懐具合の良さそうな者に、因縁を付けては日銭をタカって
いる、ゴロツキの一人であろう。流石に、図体だけはバカデカい。
「おう、やってやろうじやねえか!」 若いし、腕には自信が有る。
曹真すっかり巻舌のオ兄イサンになっている。

「表へ出ろイ!此処じゃあはたの迷惑だ!」
酔った勢いと云うものだろう。
「おう、このクソガキ。一丁前の事ほざきやがって!」
『ーーやれ、やれ〜!熨斗のしちめえ〜!!』
酒徒」「酒 鬼」連中が面白がって、ゾロゾロと店の外に出てゆく。
仲達だけは未だ、独り酒を傾けている。
「さあ、来やがれ!」
相手も商売である。表にはちゃんと仲間が五人、雁首を揃えて
凄んでいた。初めは一対一であったが、手ごわいと見るや、
六人掛<かりとなった。
「こなクソッ!」 曹丕も加わる。 上に成り、下に成り、八人が
組んず解れつ、大ゲンカとなった。仲達も漸く出て来ると、脇で
二ヤ二ヤ笑って居る。
《刃物は持っていない様だから、ま、いいだろう。》
 と、そこへ、新手が加わった。「どけ退け、どきゃあがれ!」
十人は居る。こうなっては、仲達も只見て居る訳にもゆかず、
先制攻撃に出た。・・・かくて20人が、狭い路上での大太刀廻りと、
相なった。なぐり合い、蹴り合い、つかみ合い、戦場とは一味も二味も
違うオオゴトである。
《ーーマズイ・・・!》 流石に仲達も、いささあわてた。更に十数人、
助っ人が現われたのである。どうやら相手は、ヤクザの一家で
あったらしい。此処で負けたら、明日からオマンマの喰い上げに
なってしまう。面目を賭けての、一家総動員となった様だ。
《ーーさて、どうするか・・・?》相手を蹴倒しながら仲達も困惑した。
今さら名乗った処で、直ぐ役には立つまい。
ーードカン
ドカンドッカーン・・・・・・
耳を突ん裂く様な大音響と共に、辺り一面、煙だらけになった。
 ・・・
??ーー? ーーー???
「ーー今だ!桓公、丹公、逃げるぞ!」
茫然としているヤクザさん達を尻目に、三人は駆けに駆けた。
何処にそんな力が残って居たかと思う程の、猛スピードである。
速い事、速い事、目茶苦茶はやい! 店の角を、七つ八つも
曲がったであろうか?途中、何人もの通行人を突き飛ばして来た。

「ーーもういいだろう。」 仲達もゼイゼイいっている。
「ヒア〜、助かったぁア!」 
曹真も膝に手を当ててヒイヒイ言い、漸く立っている。
「こ、これは・・・武術の稽古した・・事に・・して・・おこう〜っと・・!」
曹丕は道端にぶっ倒れて、胸板を激しく上下させている
「・・・それにしても、何だったんだ、あれは?」
「ああ、そう言えば不思議だなあ・・・?」
「ま、いいじゃないか。とんだ景気付けに成っちまったが・・・、
 さあ〜て、いざ、
敵 城に乗り込むぞ!」
仲達には、思い当たる節がある。
見ると、三人とも土まみれ、顔はアザだらけである。
「・・・プッ!」と、桓ちゃんが吹き出した。服もボロボロである。
「何だ〜ア、その顔わぁ?
眼の廻りが、しっかり猫熊ねこぐま(パンダ)じゃないか!」
曹丕と曹真は、互いを指差しながら、ゲラゲラ腹を抱えて
                            笑い合っている。
「予は、乞食童子であ〜る!」
コブだらけ、片目がお岩サン、服はズタズタのボロ雑巾と来ている。
「拙者は猫熊の親玉でござ〜る!」
「ホリャ、俺もこの様に!」 
仲達も頭のてっぺんに、バカデカイこぶタンが出来上がっている。
「キャハハハ、仲兄イまで!」 曹丕は、嬉しくて堪らない。
「それにしても、桓公・丹公は無いよな。オッ、イテテテ、
                     笑うと、あばら骨にこたえるぜ。」
「さて、では、乞食童子の入城じゃ!」
「ーーゲッ、この格好で!」
「よくある事です。どうせ裸になるんだし。」
「そ、そんなあ〜!」
「情け無い声ださずに、オラ、黙って追いて来る!」
「そ、そりゃ、ないよな〜・・・」
と、 とんだ”社会勉強”とは、あい成った。

ーー〔有情楼〕・・・・とは、それらしく掲げてある。
流石に曹丕は、一番ケツから付いて来る。
女将おかみ一見いちげんだが、よいかの?」
海千山千の女将も、三人の風体には呆れ顔である。
「そりゃ、宜しゅう御座居ますけど・・・・。」
「チト、訳ありで、腹ごなしして来たものでな。」
言いつつ、小粒を握らせると、忽ち女将の愛想が良くなった?
・・・・契約成立
?
「で、お泊まりになります?」
「一番いいとこ頼む。気に入ったが居れば、之からも贔屓ひいきに致すぞ。」
もう一粒で、女将の値踏みも、無事クリアー。
「じゃあ桓ちゃん、丹ちゃん、ズズ、ズイーッと参ろうぞおオ〜!」
「独りずつになるのか?」
曹丕が小声で、かずにいい事を尋いて来た。
「あら、こちらウブでいらっしゃる。私が戴いちゃおうかしら・・・・」
女将は袖で口許を隠すと、妙に品を造って婉笑して見せる。
お陰で桓ちゃん、耳朶みみたぶまで真っ赤に成っている。
「いっちば〜ん佳い娘を着けてやって呉れ。俺は後からにする。
 二人は先に行っててくんな。」
「ーーえっ!仲達、じやなかった、仲兄イは、入らないのか?」
「一応、殿居とのいして居りますから御安心を。」
小声で、片目をつぶって見せた。
「・・・・。」
「それに、チト野暮用やぼようも有るしな。女将おかみ、俺は其処で少し待たせて
 貰ってからだ。女将も中々の美人だから、俺は女将でもいいぞ。」
「んま、殿様ったら、お上手なこと。ハイハイ、さあ、そちらの訳ありの
 若様方、こちらへ、ド・ウ・ゾ!」
女将は仲達に片目を瞑って診せた。
《おいおい、本気にするなよナ・・・・。》
〜・・・!? 〜 ? 〜 ? ・・・!?

「ーーいかがでござった?」
・・・」 真っ赤に成って、返事に窮する曹丕。
「ワハハハ、聴くのは野暮と云うものか。
   さあ、これで若君も一人前、と云う事じゃ!」
「妓楼の女はタフですねえ

曹真は年上ぶって、一丁前の事を言った・・・だが、実は夕べ・・・
身体中が痛くて、それ★★何処どころでは無く、ひと晩中からだを冷やして
貰っていたのだった。 ヒイヒイ言っていたのは、別な理由で
丹ちゃんの方だったのである・ ・・・(アリャま。)
一夜明けて陽の光で見ると、三人の顔は更にひどい。
「・・・何だか皆んな、ボコボコに成っちゃって・・・これじゃあ、とても、
『凱旋将軍サマの御帰還〜!』ってな風には見えねえなあ・・・・」
らちも無い事を言い合いながら、昨夜の居酒屋の前に近づいた。
「ーー大丈夫かなあ〜?」
流石に今朝は、その元気が無い。
「手は打ってござる故、御安心の程を。」

・・・・昨夜・・・・二人が奥に消えてから一刻後、仲達の部屋の外に、
ヒソと影が降りた。
「・・・さそり・・・か?」 「ーーハッ!」
「先刻は助かったぞ。息災で居ったか?」
「ーー有り難きお言葉・・・・」
「頼みが有る。」 衝立ついたて越しの会話であった。
「北の袁一族はもうよい。江南の孫権、荊州の劉表、それに・・・・
雌伏しふくしている劉備の動向を、確とつかんで来て欲しい。 時間は
掛かってもよい。詳しく、正確な情報が何よりじゃ。」

「ーーハッ!」 「但し、一つ条件がある。」 「ーーー。」 
「死ぬるでないぞ。お前の一番の使命は、わしより長生きする事じゃ。」

「・・・・!」 「そうでなければ、儂を守り通す事も叶わぬからな。」

衝立てをずらすと、其処に、黒頭巾で顔を覆った男が、影の如くに
頭を垂れて、控えて居た。

「顔を見せよ。」 影が、覆面を横手で外した。

「おお!それ程迄にして呉れていたか!」
さそりの顔は薬で焼かれ、素顔が全く判ら無くなっていたのである。

「お見苦しいものを、お眼に掛けました。」

言うと再び、黒布を覆った。

「ーーこの司馬懿仲達、その方の誠、確かに受け取ったぞ・・・!」

「栄達は望みませぬ。唯、殿と共に生きるのだけを歓びと・・・・。」 

それだけを言い置いて、姿を消した。

《ーー殿の身は、この蠍めが、命に替えても・・・・》 

人間扱いされぬ、奴隷以下の生まれであった。二人のしがらみは
不明である・・・・・
《お断り》 お気付きの事とは思うが、この『さそり』なる人物は、本書における
  「唯一の架空キャラ」である。舞台廻し役として、ほんの一寸だけ登場させる事が
  あるので、読者諸氏には御了承願いたい。無論、史実を歪める様な場面には登場しない。




「俺、頭がズキズキするなあ。」 「子丹は夕べ、飲み過ぎだったぞ! 」
「帰ったら直ぐ、剣の稽古で汗を流しましょうぞ。」 「ーーゲゲッ!」
「でも、仲達殿の剣さばきは見たいな。」
この曹丕・・・・〔剣の道〕にはことの外、関心が強い。
曹丕自身の著作である『典論』の、「自叙」には、その自慢話しが
詳細に記されている。(大変興味深く、又面白いが、やや長いので
その紹介は次節に譲る事としよう。)
「是非、私くしにも一手御教授願います。」
「そのうち、模擬の集団戦もやりましょう。
                小姓達の教練にもなりますしな。」
「凄い事になりそうだ!」
「但しそれは、兵法の陣構えを、しっかと学んだ後の事になりますぞ。」
「ハイ。これで、詰まらなかった読書にも、自ずから身が入ります!」

こうして、仲達と曹丕との、”師友”の日々が始まった。

ーー20有余年の後ーー・・・・
曹丕が40歳の若さで危篤きとくに陥った時、事後を託する為に、その
枕辺に呼び寄せた重鎮4人のうち3人までは・・・・
     この仲達】・【曹真】・【曹休であった。
いかに、この若き日々の交じわりが親密であり、以後の信頼が
深かったかが、判ろうと謂うものであろう・・・・

《あやつめ、早くも子桓の心をつかみおったか・・・!》

曹操は曹操で、その二人の様子を、己の視野から外す事も無い。
水面下の思惑おもわくが、早くもからみ合う・・・・・果たして、

司馬氏】 VS 【曹氏】 の興亡
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