【第20節】
ーー慚愧に耐えぬ”抓み喰い”の代償ーー
ーー必ず、抵抗した。
心に秘める何事かを守る様に【鄒氏】は決まって初めは抗った。
それを無理矢理はぎ取り、押さえつけ、徐々に攻め立てては己の
ものにしていく。それが堪らぬ愉悦であった。美貌なだけに、その
表情の変化も妖しく、ツンと澄ました高貴さを嬲ってやれる。曹操の
肌を伝わって、直に征服欲が満たされてゆく・・・・
四つん這いに開かせ
秘所も露わにせり出した美しい尻を、後から攻めながら、その
両手では、たわわに揺れる乳房を嬲る。悲鳴ともつかぬ喘ぎ声
の中で、上半身を仰け反らし、尻をくねらせ腰を捩り始める。
〈顔が見たい!〉苦悶に仰け反る美しい眉根の皺と半開きの唇
・・・徹底的に淫らな命の饗宴を貪りたい。胡座の上に対面させ
開かせる。 「いや!許して!」と叫びつつも、しがみついて爪を
立て、しなやかに仰け反っては、全身を波打たせて見せる女の
性。荒々しい吐息の中の歓喜に負けて、いつしか哀しくも身悶え
る妖しき女豹。・・・・涯しも無い快楽。政治も軍事も経済も、天下
も国家も何もかも、全て忘我の彼方へと溶ろけ去る愛欲の嵐。
今、曹操は、そんな鄒氏の切ない喘ぎと・・・・
そしてーー『賈ク』の、策謀の膣の中に居
た・・・
「父
上!謀叛です!!
張繍
が謀叛しましたぞ!!」
血刀を引っ提げた長男・曹昂が、厳しく引き攣った形相で飛び
込んで来た。
「ーーン!どうした?こんな所まで押しかけて来るとは
無礼であろう!」
まさに男と女が絶頂に達しようとしていた、秘め事のまっ最中で
あった。曹操は先ずその事を叱り飛ばした。
「時が有りませぬ!敵は既に、門外にまで迫っております!直ち
に脱出せねば殺られまする!さ、お急ぎ下
され!『絶影』を表に
牽いて来ました。寸秒を争う極限状況と心得下さい!」
「ーー?・・・」 俄には信じられぬ事であった。
ーーだが耳を澄ますと、確かに外の物音はただ事では無かった。
「おのれ張繍め!儂を謀かりおったか・・!」
「さ、その儘で参りましょう!」軍装を身に着ける暇など無いと言う。
「今、門の所で典韋
どのが、必死の防戦をして居られますが、
長くは保ちますまい!」
鯨波の声が大きく迫り、敵味方の撃ち合う物音と同時に、焦臭い
煙が漂って来始めた。
然し其れでも尚、曹操はガウンを羽織りながらも、躊躇していた。
《ーー惜しい!》 鄒氏を手離したく無かった。
〈一緒に乗せて逃げられるか?〉
だが、そんな父親の妄念を、20歳の長男が断ち切った。
「貴様が父君を誑かせた女狐か・・・・」
薄衣で前を隠しつつも、未だ半ば放心状態の鄒氏。
「この魔性の女めが!!」
叫ぶや一閃、哀れ鄒氏の美貌は、その命と共に、曹昂の白刃に
ザンと斬り下げられていた。
「ーーあっ・・・」
部屋の外には【曹安
民】が、曹操の愛馬・絶影の轡を取り、ハラ
ハラ気を揉みながら待って居た。 曹操の弟の子(甥)で、曹昂と
同世代の若者である。
「曹丕ぎみ(10歳)は、
既に騎馬にてお逃がし致しました。屈強の
者達が付いておりまする故、大丈夫だと思います!」
そうは言ったが、確信は無い。後は天任せ。曹丕に其の”運”が
有れば助かるだろうし、天運なくば死ぬしか有るまい・・・・
「ウム、して戦況は?」「脱出するのが精一杯!近くに居る味方は
極く僅か。とても戦う状況には在りませぬ!」
「是非も無き哉。よし、さあ絶影よ。その名の通り、影も絶めぬ
健脚を見せて呉れ!」
「典韋どのが支えている正門が、却って最も安全かと心得まする。
敵は皆、恐れを為して他の門へと廻った由!正門を突破し、後は
運を天に委ねるしか有りませぬ! 父上、私が先導致します故、
付いて参られよ!安民、君は父君の後に付いて、お守り致せ!」
愛欲の悦楽が一変、地獄の脱出劇へと急転直下してしまった・・・・
ーーその館の正門では・・・・
【典韋】率いる数十名の親衛隊が、押し寄せて来る敵の大軍を、
阿修羅の如くに防戦していた。
典韋の巨体は、此処が最後の砦とばかり、門の中央に独り仁王
立ち。侵入せんとする敵兵を、片っ端から長柄の双戟八十斤20キロ
で撃ち砕いていた。 然し、絶影が門内に現れた時には、既に隊士
は10余人に減っていた。が、1人で10人を相手にしない者は無く、
敵は此方を強敵と見て、他の門へと散り始めている処であった。
「おお、殿!我が手元に騎馬無き故、この典韋、此処にて敵を引き
寄せ、食い止めまする。曹昂どの、安民どの、殿を頼みましたぞ!」
曹操らしき馬影を見て、再び敵兵が集まり始めた。
「殿、最後まで一緒にお伴できぬは無念で御座るが、
此処が壮士の死に場所と心得まする。」
巨人の顔には、微笑みさえ浮かんでいる。
「吾が典韋の心は常に曹公と共に有り!
どうぞ御無事で、天下をお取り下され!」
「その方の志、この曹操孟徳、然と我が胸に刻んだぞ!
必ずや、誓いは果たして見せようぞ!」
一刹那、主従だけに判る、熱き眼交が互いの胸を貫いて咲いた。
「・・・さらばじゃ、典韋!」
「おさらばで御座います!」
典韋の巨体は一礼するや、門内を飛び出し、蝟集して来た敵勢の
中へと突っ込んでいった。 背後に駆け去る馬蹄の音。だが最早、
振り返る余裕などは無かった。八十斤の双戟で右に左に撃ち据え
戟の刃が突き入る毎に、十余本の敵の矛が撃ち砕かれた。
ーーだがやがて・・・左右に残って居た隊士は全て死傷し、一人も
居無くなった。典韋自慢の双戟も遂に折れ、典韋は全身に数十ヶ
所の傷を被りつつ、短い刀を手に白兵戦となっていく。勇敢な敵が
二人掛かりで組み付いて来たが、典韋は二人を両脇に挟み込む
や、メリメリッと其の腕力で締め殺してしまう。これを見た敵兵達は
恐れを為し、ただ遠巻きにして掛かって来無い。と見るや、今度は
典韋の方から突進し、更に数名を打ち殺した。 ・・・・だがこの時、
典韋の傷は重く口を開き、既に命の火は燃え尽きようとしていた。
それを傍らで、冷ややかに観ていた男が在った。張繍軍随一の
勇将と言われる【胡車児】と云う武将である。 ・・・・実はこの男、
今回の謀略戦の実戦責任者であった。名前(胡は胡人・ペルシア人)
から判断するに、碧眼赤髪の異民族系の風貌であったやも知れぬ。
(※一説には・・・・曹操はこの胡車児を抱き込み、張繍暗殺を指令したが、これが漏れて、
張繍の謀叛を呼んだ、とする書・・・・『傅子=ふし』 もある。)
《ーー典韋よ、止めは俺が刺してやる!そしてその後は曹操だ。
主従揃って、この胡車児が、冥界へ送って呉れようぞ・・・!これで
我が名は天下に轟き、そしてーー》 ・・・・頃はよしと観た胡車児は
雑兵を退かせ、肩で大きく息をついている典韋と正対した。
「天下の剛勇も、こうなると哀れなモノよなあ〜・・・見っとも無いから
・・・地獄へ堕ちろ!!」
体当たりで突きを呉れると、その刃は典韋の巨体を刺し貫いた。
「ーー!??」
だが刺された巨人はガバと胡車児を抱き留めると、2度と生きては
離さなかった。ミシミシと云うくぐもった音と共に、彼の五体は絶命
していた。
「あワワワワ・・・!」 手負いの典韋を取り巻く、一千余の将兵は、
一人残らず総毛立ち、思わず2、3歩後退さった。
畏怖の視線が集まる只中、典韋は独り、カッと眼を怒らせ、大音声
で呪いの声を揚げるや・・・・初めてグラリと、その膝を折った。
〈ーー死んだ・・・か?〉 〈又、ワッと来て、首をへし折られる・・・?〉
「油断すな!相手は何しろ大典君だからな・・・!」
こうして【典韋】は、死した後も尚、敵兵達を我が身に引き付け、
主君・曹操の脱出行に貴重な時を稼ぎ出して、最期の血の一滴
まで貢献したのであった・・・・。
ーーだが、その曹操の行く手には、呪われた死に神が、
地獄への陥穽を大きく広げて待ち受けていたのである。
〔鄒氏の館〕 を出た時、その供回りは僅か10数騎。途中曹操の
姿を認めて加わった者達を含めても、100騎に満たなかった。
未だ、敵の充満している「宛城内」である。周囲は当然の事だが、
グルリを高い城壁に囲まれているから、脱出ルートは東西南北
いずれかの〔城門突破〕しか無い。だが敵も集中的に城門を固め、
絶対に曹操を外へ出すまいと手薬煉しいて待ち構えていよう。
其れを撃ち破って開錠し、更には外周に群がる敵中を強行突破
してゆかねばならないのだ。 イチかバチか・・・・運を天に任せて
進むしか無かった。ーーゆくも死地、退いてもなお死地・・・・
これで落命したら、これまでの人生は水の泡。
〔単なる女たらしの贅閹の遺醜〕として、世の物笑いの種とされよう。
青史にさえ『女の股座で涯てた小悪党』と侮蔑されて終わってしまう。
タラリ・・・・と冷たいものが、背筋を伝わって流れた。
ーーだが天は、曹操を見放した・・・!?
「居たぞ〜!曹操は大手門じゃあ〜!」
「曹操は此処だぞ〜!」 「大手門に集結しろー!」
ついに敵に発見されてしまったのだ。最悪の事態が迫ってきた。
曹操発見の合図が、軍鼓の乱れ打ちで全軍に知らされる。その
情報に、四方八方から新手の敵兵が殺到して来た。弩弓手達も
的を認めて、雨霰と矢玉を射掛けて来る。左右の近従達がその
餌食となって、バタバタと落馬していった。 曹操自身の耳元でも
矢風が唸る。
ーー絶体絶命の窮地!・・・・が、捨てる神在らば拾う神在り!!
「曹操発見!」の大声を聞き付けたのは、敵だけでは無かった。
乱戦の中、必死の思いで主君の姿を求め続けている1軍があった
のだ。「おお、青州の神の児ら
よ!」敵兵を突き崩す様に次々と
駆け付けて来る、命知らずの精強歩兵達。
「ここぞ、今こそ汝らの勇気を頼みとする時じゃ!美事その神の
力で儂を救い出し、末代までの語り草として見せよ! 混乱して
いるとは言え、元々、我が軍の方が兵力は圧倒的に多い筈じゃ。
何としても今、この場を持ち堪えよ!曹操に
は
青州兵あ〜り!」
飛び交う矢玉の雨、揉み合い、斬り結ぶ大手門。桿立つ絶影。
何としても門をこじ開けようとする味方と、そうはさせじとする張繍
軍。ーー大手門の手前で立ち往生すること1刻余り・・・・
ついに門の閂が引き抜かれ、大扉が微かに開いた。その僅かな
隙間から、一条の光の筋が差し込んで来た。
「あれでは通れませぬ。私がこじ開けまする!」
言うや愛馬をしごいて曹安民がゆく。 敵を斬り下げ、味方をすり
抜け重い城門の扉に辿り着いた安民は、ヒラリと下馬すると剣を
収め、全身の力を込めて扉を押した。少しずつ、ほんの少しずつ
だけ、隙間が開いてゆく。
《あの小さく開いた光の向こうに、俺の天下は在ると言うのか!》
「父上〜、今です!お通り下され〜ッ!」
「飛べ、絶影!あの光の向こうへ俺を連れてゆけ!」
両手で扉を押し続ける安民の背中は、敵の一撃にすら全くの無
防備であった。・・・・嫌な音だった。転瞬、力が脱け、曹昂の顔が、
そして曹操の顔が見えた気がした・・・・
ーー最難関の大手門を出てみると、眼の前には又しても、絶望的
な情景が展開されていた。びっしりと幾重にも縦陣を折敷いて居た
のは、味方の「曹旗」ではなく「張」又「張」の軍旗ばかりであった!
《クソッ、我が大軍は、一体何処へ行ったのだ・・・》
見ると、「曹旗」は既に踏みつけられ、散り散りとなって逃げ出した
味方の部隊は、待ち構えて居た敵の縦陣の陥穽に各個撃破され、
門前に累々と屍を晒しているばかり・・・・
こうなればもう、頼みの綱は青州
兵だけであった。
「中黄太乙!」「在天黄老!」「中黄太乙!」「在天黄老!」
「チュウコウタイイツ」「ザイテン・・・・」
その鬼神の様な兵団が、誰いうともなく、太平道の神の名を唱え
始めた。地を這う様な凄絶な誦経の声は、やがて天を覆い、陸続
としてその数を増していく・・・・
青州兵達は今、その原初的実体である〈神の軍〉・〈宗教軍〉と
しての素顔を現わさんとしていた。”太平道の黄天”と一体と成り、
個人の命は捨てたのだ。 誦経を発した其の瞬間から、死は恐れ
では無く、天への帰依と成るのであった。
「チュウコウタイイツ・ザイテンコウロウ、
中黄太乙・在天黄老・・・・」
そして躊躇う事も怯む事も無く、整然と【死の前進】を開始した
のであった。曹操を守って生かす事、それが遺した家族への愛で
有り、遺産なのでも有った。もし此処で曹操を失えば、それは残し
て来た家族の、再びの流民化に直結する。
忽ちにして、至る所で血の雨が降り、幾十・幾百の命が消えてゆく。
ーーだが、個々の絶叫は「中黄太乙」の大合唱に打ち消され、その
兵団は敵陣内へ踏み込み、割り進んでいった。
その青州兵団に護られつつ、曹操がゆく・・・・
見れば、何時しか曹操の真ん前には、巨躯肥大なデブ男が現れ、
超デカの金棒をブン廻しては、敵の頭をカッ飛ばしている。
遅れ馳せながら追い付いて来た【許猪】だった。大先輩・【典韋】
の凄絶な任務遂行を尻目に、グウグウと居眠りをコイテ居た許猪
は、その”落とし前”を自ずから着け様として、半べそ状態の”スマ
ナサ”で、目ッ茶苦茶の大奮戦!!右へ左へ前へ後へ、眼に入る
敵兵の首が宇宙の彼方までスッ飛ばされ続ける。
長男・曹昂も白刃を振るい、父を必死に守り抜く ・・・・が、曹操の
白いガウン姿は騎上に目立った。狙撃手達が一斉に弓矢を集中
させる。と、ついに、其の1本が曹操の右臂を貫いた。鎧を着ける
暇も無かった曹操の命は、流れ矢の一本にも耐えられぬであろう。
「父上、歩兵と一緒の速度では敵の集中射撃にやられます。イチか
バチかです。私が前を駆けます故単騎で強行突破いたしますぞ!」
「ウム、お前に任せる!」
多少なりとも敵影の薄い一点を目掛けて、覇王の父子が疾駆した。
嫡男が雄叫びを上げ、眼の前を塞ごうとする敵兵を蹴散らせる。
脚にも矢傷を負った父が併走する。もう左右には、味方の誰一人も
居無い。唯、父と子とだけが、死中を無二無三に駆け抜けていく。
「父上〜、もう直ぐですぞ〜!敵の壁はここ迄です!」
眼の前で、若い命が躍動していた。何時の間に、これ程逞しく成長
していたのか・・・・ゆく手に大きな光明が見えて来た!
ーーと、その時、ガクンと『絶影』がゆらいだ。
「絶影!!」
見ると数本の矢が、絶影の頬と脇腹に突き立ち、鮮血が吹き出し
ていた。並の馬ならとっくに倒れている深手であった・・・・愛馬も亦、
主の為に命の限り、此処まで駆け通していたのであった。が、次の
瞬間、絶影の命と共に、曹操の体は地面に叩きつけられていた。
「アッ、父上〜!」 曹昂は馬首を巡らせ、父を助け起こした。
「父上、大丈夫ですか!」 「ああ、何たるザマか・・・」 追っ手が
迫って来る。騎兵も数十騎。とても、〔相乗り〕では逃げ切れまい。
「父上、私の馬をお使い下さい。天下は、天下は父上でなれれば
取れません!」 足を引きずる〔父・曹操〕を馬上に押し上げると
【曹昂】はニコリと美しく笑った。先ほど典韋が、別れの時に見せた
のと同じ笑みであった。
「父上、私は曹操孟徳の子である事を誇りに思って居りまする。
曹昂子修、20年の生涯に、何の悔いやあらん!
おさらばで御座いまする!!」
「ーー子修、すまぬ!参る
ぞ!!」
「何の!父上が天下をお取り下されば、それで佳し!子の本望で
御座います!」 明るく答えるや、曹昂は馬の尻を叩いた。
「さらばじゃ子修!!」 それが父と子の、最期の会話となった・・・・
《死にゆく決意をした者は、何で皆、
あんなに綺麗な笑顔を見せるのじゃ・・・》
曹操は唯一騎、それこそ唯独り、東を目指して荒野を
駆けた。こう云う時は何も思わない事だ、と決めている曹操だった。
ひたすら眼の前の事実だけを冷静・冷徹に解決してゆく・・・・
曹操の、この当時の根拠地・「許都」は、其処から北に位置した。
だが、北には敵が待ち構えている可能性が高い。東の『舞陰』なら、
味方の別動軍が居る可能性が強い。曹操は、それに賭けた・・・・。
そしてそれは、正しい選択だった。軍師・荀攸が万一の為に残して
措いた、「舞陰」の部隊は小勢ながら、曹操の命を、ひとまず確保
するには間に合った。ーー曹操は此処で間髪いれずに、なけなし
の騎兵全てを、四方八方へ、手当たり次第、”早馬”として送り出さ
せた。どうせ手許に置いて措いても、敵の総攻撃を喰らえば、殆ん
ど意味を持たぬ数であった。・・・だが、いざ又、馬で逃げ延びねば
ならぬ様な事態を想定するなら、この措置は勇気が要るものであっ
た。護衛の騎兵は一騎でも多い方が善いに決まっている。
然し曹操は、敢えて手放した。
ーーやがて三々五々、少人数ずつながら、敗残した兵達も「舞陰」
に落ち集まって来た。とは言え、未だとても、張繍の正規軍と渡り
合える戦力では無かった。・・・・策士・賈クのことだ。此の舞陰にも
目星を付け、一気に決着をつけに出て来るであろう。不安が募る。
・・・・と、不安敵中。夜半、突如聞こえ出した軍鼓の轟き。
《すわ!敵部隊襲来!》・・・・こんな状況下に整然と軍鼓を鳴らし
て進んで来る者と言えば、張繍の本軍か、はたまた劉表の増援軍
でしか有り得無い!!
「急ぎ、兵を纏めよ!死に物狂いで許都へ向かうぞ!」
「お待ち下さい殿。あれは、あれはお味方でござるぞ!あ、あの旗は
李通どのの部隊でありま
す!」 どっと沸き上がる狂喜の声。
「まこと李通どのじゃ!陽安(汝南郡の西端・舞陰の東隣り)の振威中郎将
どのが、来て呉れたのじゃ!」
この、【李通文達】ーー昨年、曹操の元に帰参したばかりの
新参であったが、ここが己の働き処とばかり、緊急出動して来た
のであった。爾来、陽安の地で、譬え孤立する様な情勢に置かれ
ようとも、終始、不変・不抜の忠節を尽くす事になる。
「舞陰」の曹操陣は、ここで初めて隠密行動を棄て、赤々と篝火を
その軍営に掲げる事が可能になった。この明かりを目指して四散
している味方の諸部隊も再集結して来よう。ーー翌朝、曹操の素
速い対応が、早くも実を結ぶ事となった。 伝令の一騎が、味方の
別動軍に到達。近隣諸県を制圧していた
【曹仁軍】1万
が丸ごと
無傷で到着したのである。 そればかりか、この日の日中迄には、
四散していた全ての部隊が再集結を果たし、ほぼ通常に近い軍容
を再建する事が出来たのであった。
一敗地にまみれる事は有っても、動転して恐慌に陥る事無く、
直ちに体勢を立ち直らせてしまう曹操・・・・!
「ーーそうか・・・典韋が・・・・。」
予期していたとは雖え、正式にその死を告げられた時、曹操は初
めて感情の器に戻った。 再建の目途が立つ迄は、鉄面皮に徹し
切り、己の感情を封印して来た曹操であった。
涙が滂沱として、この男の頬を濡らした。
「誰ぞ、典韋の遺骸を盗み取って参れ!褒美は充分
に与えよう。
あれ程の男を、きちんと葬らずに措かれようか!何としてでも
持ち帰って来るのだ!」
曹操は己の哀しみを、そうした厳命の裡に示した。
『太祖(曹操)は典韋の死を聞くと、彼の為に
涙を流し、彼の遺体を
盗み取って来る者を募り、自身告別式に臨んで泣き、棺を襄邑に
送り届けさせ、子の典満を郎中に任命した。御車が戦死した場所
を通る度に、中牢(羊と豚)の生け贄を捧げて祭った。太祖は典韋
を忘れぬ為に、典満を司馬に取り立て、身近に退き留めた。』
たいろう ちゅうろう しょうろう
★供え物に
は太牢(牛・
羊・豚)中牢
(羊・豚)少
牢(豚)の3段階
ある。曹操は嘗て橋玄に太牢を
捧げているが、典韋の
場合は
其の都度に祀っているのだから、曹操の哀悼の深さが知れる。
・・・・だが曹操は、己の眼の前で涯てて逝った【曹安民】、そして
嫡男・【曹昂子修】の名は、ついに一言も口に出す事は無かった。
肉親を失ったのは、曹操一人だけでは無いのだ。多くの者達が
死んで逝った。
《人前での哀しみは、主君の為に散って逝った、忠節なる臣下・
将兵に対してだけでよい・・・・》それが君主たる者の取るべき態度
表の顔で在るべきだ。然し言葉は無くとも、流れる涙の中に、何で
その思いが籠められぬ事があろうか・・・!
その日の夜、張繍軍は「舞陰」に総攻撃を掛けて来た。
この際一挙に、壊滅的大打撃を喰らわせ、再起不能の瀬戸際
まで追い詰める。あわよくば今度こそ曹操の首を挙げてやる!
・・・・とする、乾坤一擲の大勝負に出て来たのである。
「お止めなされ。」 と、賈ク。
「勝負は宛城内で着けるべきものでありました。つまり我々は、
既に 〔大魚を逸した〕のです。今さら追いかけても、痛い眼に
遭うだけでありましょう。」
「何を申すか!」 と、張繍。
「曹操の軍が散り散りバラバラ、大混乱に陥っている今こそが、
千載一遇のチャンスではないか!お主こそ、今さら臆病風に
吹かれるとは面妖じゃ。儂は征くぞ! まあ此処は、戦闘のプロ
たる儂に任せて置け。お主は、のんびり祝杯を呑みながら見て
いて呉れればよい。」 ーーその結果・・・・・
《きのうの屈辱を雪いで呉れん!》とばかり、手薬煉敷いて待ち
受ける曹操軍団の罠に嵌った張繍は、賈クの予言通り、ケチョン
ケチョンに叩きのめされ、折角手に入れた優勢を引っくり返され、
揚げ句の果て、宛城まで放棄し、再び「穣城」へと敗走する、元の
黙阿弥以下のていたらく・・・・ となった。
軍師(荀攸)の進言を無視して大敗した曹操。
策士(賈ク)の諫言を反故にして敗走する張繍。
どっちもどっちだが、「許都」へ還った曹操は、改めて忸怩たる
思いと、言い知れぬ慚愧に捕らわれた。
「君の意見を用い無かった為に、こんな羽目に立ち至ってしまった
わい・・・」 軍師・荀攸の前で、素直に自己反省して見せた曹操。
その一方で、再挑戦の烈々たる決意と、2度とは同じ失敗を繰り
返さぬ対策を構じて宣言する。
「儂は張繍らを降伏させながら、人質を取るのは不味いと考えた
為に失敗し、こんな結果を招いた。だが今や儂には敗戦の原因
が解った。諸卿、見ていて呉れ!
今から後は、2度と負けはしないから!」
《敗戦の中にこそ、明日へと繋がる宝が在る!》
・・・・そう分析して見せる曹操には、もはや敗戦の傷跡は癒えて
いるかの様であった。
ーーだが、〔曹
昂〕の育ての母、正妻の【丁玉英】は、決して
曹操の行為を許さなかった。
《女に溺れて我が子を死なせた上に、息子に対して涙の一粒も
零さぬとは・・・!》 半狂乱に成って、夫の曹操を責め続けた。
「貴方は何とも思わないのですか!」 「ーー・・・・。」
言い訳はしない。した処で、死んでしまった我が子は還らない。
只管耐える曹操。ただ真意を解って呉れとのみ思い続けた・・・・
実家へ帰ってしまった丁夫人。已むなく離縁
せざるを得無いが、
(詳細は第8章110節・女だけの城)曹操は生涯、墓の下にまで、丁夫人
への気遣いと思い遣りを忘れる事は出来無かった・・・・
『我が一生
には何の悔いも無い。唯一つの心残りは丁氏のこと
・・・・もし、あの世で子修と再会し、「母上はいずこに居られるの
ですか?」と問われたら、儂は何と答えたらよいのだろうか・・・・』
曹操、臨終の言葉である。限り無い男の優しさ・・・夫として、人の
子の親としての、曹操孟徳と云う人物の真実が、其処にはある。
ーーそれにしても危なかった。覇道の終焉どころか、それこそ、
『女誑しの色狂
い』 と、〔天下の
物笑い〕のまま、
生涯を閉じる羽目になる処であった。
『げに真っ事、女の色香には気を付けねばならぬな〜〜・・・
程々にせよ、「溺れて」はならぬと云う事か?ナ??』と、一応は
自戒する曹操ではあった。人には言えぬがソレこそが敗れた真の
原因だったのだから・・・・だが無論、こんな事ぐらいで女好きが
納まる様な曹操孟徳では無い。暫く経ってから、こんな命令書を、
曹洪の応援にゆく、「辛ピ」と「曹休」に発している。
『昔、漢の高祖
(劉邦)は、財貨をむさぼり女色を好んだが、張良
陳平が其の欠点を匡正した。 今、佐治(辛ピ)と文烈(曹休)の
心配は軽くは無いぞ!』ーー『正史・辛ピ伝』ーー
度を超した己の好色を、チャッカリ家来の所為にしてしまう辺り、
流石は曹操。この男の女好きは、どうやら一生直りそうも無い・・・
古来より、〔英雄、色を好む〕とは謂うものの、曹操のバヤイは、
〔英雄、色を好み過ぎ〕 か??
(又、もう1点ーー絶影が走れなくなった時、父の方から子の馬を
強奪した、などとは考えたく無いのだが・・・)
この直後の2月・・・・許都に帰還したばかりの曹操は、
トンデモナイ情報を耳にする。
寿春の『袁
術』が、【皇帝】を僭称
したと云うのであった!
※(詳細は第4章・亡
びゆく超人達・「怪雄現わる」〜「エセ皇帝の成れの果て」などにて)
「アホめが!とうとう病気が出おったか!!」 実力も無いのに、
皇帝を名乗りたがる虚飾症・・・・身の程知らずもいい処だ・・・
「フン!」と曹操は一度だけ鼻先で嘲笑すると、後はもう全くの無視。
一顧だにしない。まともに非難するのさえ愚かしい様な、大茶番劇
であった。ーーだが流石に、《朝廷》の方はそうはゆかない。孔融を
筆頭に『廷臣達』は、悲憤慷慨の大激怒。如何なる対抗措置(詔)
を発すべきか喧々愕々の大激論を戦わせていた。又16歳と成って
いた【献帝】も、曹操が一言も謂って寄越さない事を不審に思い、
みずから声を掛け、曹操を宮殿に召し出した。
・・・・実はここの処長らく、曹操は「軍務繁多」を理由に、王宮には
全く足を向けていなかったのである。 ーーなぜ曹操が代理ばかり
立てて自身は昇殿しないのか、その真の理由を献帝は察していた。
《アレは不味かった。アレでは曹操が機嫌を害するのも無理はない。
もう二度とさせぬよう、廷臣達に厳命いたそう・・・。》
献帝が指す 『アレ』と
はーー朝廷の権威を見せ付け、献帝奉戴を
したばかりの曹操を、今の裡から牽制して置こうとする、許都以前
からの古参廷臣達
(所謂廷臣派)が考え出した曹操への嫌がらせ
であった。・・・・さなきだに、宮中には古来より、昇殿の際の規定が
事細かに設けられていた。それは王宮に入朝(伺候・昇殿)する者
全てに適用され、誰一人の例外も認められ無かった。
漢王朝400年の長い歴史の中でも、たった3人だけしか、特別免除
されて居ない。(董卓は除外)
主な規定だけでも、4つ有った。
〔1〕、先ず入朝(王宮への昇殿)した者は、帝の暗殺
防止の為、門外で【剣を外し】、身に寸鉄も帯てはならなかった。
だから筆を髪に刺し、帯の間に笏(長さ一尺・23センチの手板)
を挟み込み、其れに 君命などをメモした。
〔2〕又、入り口では同時に、履いていた【沓を脱
ぎ】
宮殿内は全て裸足で移動しなければならなかった。これは暗殺
防止と言うより、皇帝と対等であってはならぬとする故であろう。
〔3〕、更に宮中では勝手な動作は一切認められず、
一挙手一投足に至る迄の全ての振る舞いや進退は、介添え役の
宦官に依る、【名の呼び捨
て号令】に拠ってのみ、操り人形
の如くに従わねばならなかった。
(既述の通り、名は命と同じ位に重要で、普段は字を呼
び合う)
又、入朝者は己を言う時には必ず、一々、『漢室の忠実なる臣
〇〇〇〇は』 と、恐懼して発言した。
〔4〕、極めつけは、移動に際しての【小走り】であ
る。
くつ は お
そ
沓など履いて悠然と歩いていては、帝に対して畏れ多過ぎるので
ある。(裾の長い重々しい、外帯を垂らした朝服では、
チョコチョコ走りしか出来ない。)
つまり入朝した者は、大将軍・三公九卿と雖ども、全員が例外無く、
(無論曹操とて)、
「名を呼び捨て」 にされた号令に従い、
「丸腰」の
「裸足」で、
ネズミの運動会よろしく、チョロチョロと
「小走り」に、廊下を駆け擦り廻らねばなら無かったのだ。
然も、立ち居振る舞いは一切思い通りには出来ず、細々とした
指示と礼法で、雁字搦めであった・・・・廷臣派は、其れに加うるに、
更に苛烈な故事・旧例を曹操に当て嵌めたのであった!
故事に・・・出兵
する三公が皇帝に謁見する際、武器を持っ
た虎賁(親衛隊士)をズラリと左右に居並ばせ、その威圧のトンネル
を進ませるーーと謂うものがあった。 廷臣派(董承ら)は其れを
復活悪用したのである。 曹操が献帝への上奏の為に昇殿した
其の日・・・董承の指示により、曹操は謁見の間の入り口で親衛
隊士2人の持つ長戟に、左右から其の首を挟まれた格好(挟首)
の儘、進退を強要されたと、仲達は聞いている。
《皇帝陛下の前で、少しでも怪しい言動あらば、即刻その首を掻き
落とすぞ!!》・・・明らかな嫌がらせであるが、流石に曹操も一瞬
身に危険を感じたらしい。屈辱と不安に
『背中に、冷や汗が滲んでいた』と言われている。 ー『世語』ー
「曹操よ、張繍征伐、大儀であるの。 処で朕は、一つそなたに
尋ねたき儀が有る。」
下座に平伏する曹操の首には、もう長戟の刃が当て挟まれる事
は無かった。
「朕は、そなたの勧めに従って、つい半年前、社稷を建て、宗廟を
祀り、皇帝として国の基いを築き直したばかりである。・・・・然るに
今月、袁某と云う者が、寿春の地でチュウ氏 (のぎへんに中)とやらを
名乗り、みずからを《皇帝・天子》と称しておると聞く。
これを、そなたは何と視る?このまま捨て置いていてよいもので
あろうか?朕は勅命を以って、奸賊討伐を天下に号令しようと思っ
ておるのだが・・・廷臣達も皆、その様にすべきであると申しておる」
当然の道理である。
漢朝の皇帝で在るなら、帝位を僭称した奸賊
の誅伐を下命して然るべきである。何の斟酌が在ろうか!
だがーー17歳に成ろうとする【献帝・劉協】は、もはや廷臣だけの
意見に頼る、政治のシロウトでは無くなっていた。理念とは別に、
現実と云うものが存在している事を識っていた。もし今、理念通り、
曹操に対して袁術誅滅の勅命を下したら・・・曹操の面目は丸潰れ
となる。何となればーー曹操が今、直面している現実は・・・・遙か
東南の袁術どころでは無く、周囲3方に敵を抱え、その中では最も
弱い相手と観られていた「張繍」にさえ、手酷い苦杯を浴びている
ではないか・・・・。とても勅命を受けて、遠征出来る様な状態では
無い。だからとて曹操を差し置いて勅命を天下に発すれば、曹操
以外の、他の者に大義名分を与える事と成ってしまう・・・・
《曹操よ、困るであろう?ここは一つ、そなたの返答の如何なるか
を聴いてみてやろうぞ。上手い申し開きを述べてみせよ・・・。》
曹操、打てば響く男である。
「恐れながら言上仕りまする。抑も『国家』とは何で在りましょうや?
『皇帝・天子』とは如何なる存在でありましょうや?この臣・曹操孟徳
が存念致しまする国家・皇帝とは、生きとし生けるもの、森羅万象の
中心、此の地上に在る全てのものが拠り所とする不動なる存在!
何があろうとも動ずる事無く、永遠に万物に君臨すべき理念ーー
其れが国家であり、天子・皇帝たるもので御座いまする。袁某如き
フラフラと地面を這い擦り廻る虫ケラの何処に其の不動の理念なぞ
在りましょうか。この広大なる天下の裡で一体どこの誰があの馬鹿
を本気に皇帝と戴くでありましょうや? 陛下におかれましては、些
かも動ずる必要など御座らぬと心得まする。 あんなアホに、壱々
竜の眉を逆立て、逆鱗を波打ち召されるなど、以っての外の見当
違いと申せましょう!」
「ーー成る程、よう申した。そなたの言、朕の胸にも よく落ちたぞ。
いかにも無視致そう。」
《流石じゃな、曹操・・・よくぞ、即答して見せたな・・・。》
ーー処が、処がであった。
その無視した筈のアホ皇帝(袁術)は、何と自分の方から、態々
曹操領内へ侵入して来たのである!
ニセ皇帝の見通
しでは・・・・張繍に大敗したばかりの曹操は、そっ
ちの方に掛かりっきりで、絶対に出て来られはし無い筈であった。
9月ーー丸で泥棒ネコよろしく、呂布(徐州)の小脇を擦り抜けた
袁術は、みずから〔親征〕と称して全軍を率いると、「許都」から僅
か南東100キロの『陳留国』へ現れたのである。ーーその目的は
唯一つ・・・・【食糧の略奪!】それのみであった。
この破滅型の虚飾男、実力も無い癖に贅沢三昧。皇帝ごっこの
為に連日連夜の酒池肉林。己の虚勢を保
つ為に自国領内からは
絞るだけ搾り取ってしまい、領民を殆ど死に絶えさせていた。
揚げ句の果て、喰えなくなったからヤケのヤンパチ、国を棄てる
事にした。 〔人様の国を乗っ取って、其処に居座ってしまおう!〕
つまり・・・・国一つを丸ごと他国へ割り込ませ、其処に引っ越し・
移住させて新国家にしてしまおう・・・・と云う、虫のいい魂胆を抱い
て出撃したのだった。
★その9月、袁術軍はどうにか陳留国の国境線に辿り着いた。
「どうじゃ、朕の炯眼は!曹操の奴め、張繍との戦で手一杯、手も
足も出せぬではないか!カハハハハ。」
高笑いする袁術。が、次ぎの瞬間、
「ーーん??」 得意顔が固まり、眼が点になっていた。
「ーーそ、そんなバカな・・・・」
来る筈の無い曹操本人が、その眼の前に現われたのだ!自称
皇帝は顔面蒼白、タラリと冷や汗が背筋に流れ出す。と同時に、
忽ち4年前の悪夢が、脳裏に蘇って来る。場所も同じ此処・陳国。
〔匡亭・封丘の大敗北!》・・・・あの時曹操は、逃げども逃げども
追って来た。袁術にとって曹操は、執拗な殺人鬼・殺し屋であった。
何度《もう駄目だ!》と観念した事か・・・まさに天敵、勝てっこ無い。
怯えが全身を捕らえていた。死ぬのは恐い。まして殺されるなど、
身の毛もよだつ。ーー若かかりし日、洛陽宮に雪崩れ込み、宦官
ども斬りまくった面影など、甘美な日々の中で、既に微塵も無くなっ
ていた。生来の臆病者が、一人居るだけだった。
「コホン、朕は一旦、後方に退がって様子を観る事と致す。此処は
兎に角、”四天王”に全て任せるぞよ。」
それまで先頭で意気軒昂だった皇帝サ
マは、瞬く間に青菜に塩。
橋藐・李豊・梁綱・楽就の4将に防御を命ずると、御本尊はやおら
【
金華青蓋車】を南へ反転させ、悠然と闊歩して見せた。
・・・・が、軍の最後尾に至るや、あらら、後はピュー〜〜ッ!
『術、公(曹操)ガ自ズカラ来攻
スルヲ聞クヤ、軍ヲ棄テテ逃走ス。
其ノ将ノ橋藐・李豊・梁綱・楽就ヲ残留セシム。公ハ到達スルヤ
橋藐ラヲ撃破シ、全員ヲ斬殺ス。術ハ逃レテ淮水ヲ渡ル。』
これで袁術の軍は地上から消滅。携帯した食料も全て失い、カラッ
ポの寿春へ、尾羽打ち枯らしての帰還となり涯てる・・・・。
曹操は、このドロボウ猫を一蹴して許都に戻ると、今度は【曹洪】
に命じて、再度、張繍討伐を試みさせた。
だが曹洪は【賈
ク】の変幻自在の用兵に翻弄されて敗退、押し
戻されて「葉」に駐屯せざるを得無かった。 「葉」は、《宛城》から
100キロ北東の国境線上の都市である。この時、張繍の本城は
宛城では無く後方の『穣』にに在った。・・・・つまり曹洪は、賈クの
為に、出城の「宛」をすら抜け無かったのだ。
★11月・・・・部下では埒が明かぬと観た曹操は、《今度こそ
決着をつけてやる!》 とばかりに、みずから全軍を率いて『宛』
へと侵攻した。ーーその途中、前回最初に布陣した「渭水」に臨み
戦没した将兵を偲び、その魂を鎮めて祭った。
関東有義士 関東に義士ありて
興兵討群凶 群がる賊を平らげんとて兵を挙
げたり
初期会孟津 その初め 孟津にて誓い会
い
乃心在咸陽 赤心もて都なる帝を思
う
軍合力不済 されど各軍は力を合わせ
ず
躊躇而雁行 行く者あれば 躊躇らう者あ
り
勢利使人争 利を追いて争いは起こ
り
嗣還自相伐 やがては 互いに伐ちあえ
り
淮南弟称号 時に淮南に帝を号す者あ
り
刻璽於北方 北方には玉璽を刻して立つ者あ
り
鎧甲生螟蝨 鎧かぶとに しらみのわき
て
万姓以死亡 よろずの民草 死せる数知ら
ず
さら
白骨露於野 白骨は
野辺に晒され
とり
千里無鶏鳴 千里の荒野 鶏の鳴くは無
し
生民百遺一 生き残りし者 百に唯ひと
り
これ
はらわた
念之断人腸 我が心は 之に 腸を断たる
る・・・
曹昂・曹安民・典韋、そして多くの将と兵
達・・・・曹操は全軍の
前で、本物の涙を流した。是れはどんな演説よりも人々に感動
を与え、報仇雪恨の念を、強く奮い奮たせた。
ーーだが賈
クは、曹操みずからが出て来たと知るや、「宛城」を
棄てさせ、全軍を『穣』に退かせてしまう。そして荊州の劉表との
軍事同盟を更に強化し、穣周辺の防御を鉄壁にしてしまった。
それでも敢えて侵攻して来るなら、袋の鼠にしてしまう様な伏勢
や遊撃軍を、其処此処に配置して見せたのである。だから曹操
軍は宛城を無血占領したものの、張繍軍自体には、何等の打撃
を与える事も出来無かった。ーー賈クにスカされたのである・・・・
宛城内ーー典韋が壮烈な討ち死にをした地点では、羊と豚の
生け贄(中牢)を捧げ、以後も此処を通る時は必ずそうした。ここ
には、曹操と云う複雑な人物の、或る一面が示されていよう。
然し手ぶらで帰る訳にもゆかず、曹操は『穣』から100キロの
「湖陽」を陥とし、劉表の将・登済を生け捕りにし、帰りの駄賃と
して「舞陽」を陥落させて見せた。だが冷静に観れば、この11月の
第2回目の親征は、賈クに透かされ、失敗に終わったのである。
※尚ここで注目して置くべきは、「舞陽」の位置である。『許都』
から僅か80キロの南であり、然も曹操の領土とされている豫州・
穎川郡内に在る。潁川郡と言えば「許都」の在る郡で、謂うなれば
《曹操のお膝元》である。その県(舞陽)を攻め落としたのである・・・
この時期 (仲達が熟思長考してい
る今から4年前) の曹操の
政権基盤が、如何に危なっかしいモノであったかが窺える。こんな
足元の県でさえ、日和見を決め込んで、曹操にも、張繍にも、劉表
にも《決定的な力は無い!》と右顧左眄している状態なのであった。
★明けて198年(建安3年)正月・・・・曹操軍は許都に
引き返した。そして3度目の正直とばかり、曹操は幕僚達に宛城
ではなく直接、〔穣の敵本城包囲〕の作戦準備を厳命した。そして
その作成期間として3ヶ月の時間を与えた。急がねばならぬ理由
が出現したのであった。華北の戦雲が急を告げ曹操にとって最大
最強の敵・【袁紹】が、残る【公孫讃】討滅に本腰を入れて動き出し
たのである。公孫讃さえ討てば、黄河の向こうは全て袁紹の版図
と成り、何の憂いも無しに曹操へと向かって来られる。ーーそれ迄
には、何としてでも背後の張繍を片付けておかねばなら無かった。
この”準備期間”を利用して、曹操は更に政権の機構改革を前進
させた。既述の〔軍師祭酒〕を創設したのも此の時期である。所謂
一般に言う「参謀」であるが、以後の歴代のメンバーを眺めてみる
と、『建安の七子』と呼ばれる事となる文人達が殆んど名を連ねて
ゆく。ちなみに、此の〔軍師祭酒〕、『正史三国志』中の表記では、
〈師〉の字を用いない。 この字は陳
寿先生にとって畏れ多いもの
なのだった。仲達の長男である司馬師(晋の景帝)様の御名前で
あるからには、とても使えなかったのである。(詳しい事情はいずれ改める)
だから表記は”師”の字を抜かして「軍祭酒」、又は当て字を用いて
「軍諮祭酒」とか、ぼやかして「軍謀祭酒」などとするが皆同じ事で
ある。《軍師》だって師が付くが、「軍司」では流石に、ニュアンスが
異なり、また歴史的な重みが無いので、こちらは勘弁して戴いて、
その儘が多い。
無論、曹操も、仲達自身とて、まさか自分の 孫が、
歴史書で、そんな扱いを受ける事に成るなど・・・・
夢にも知らぬ現在ではあるが・・・・
【官渡の大決戦】2年前の事であった。
【第21節】 八面六臂、決戦ヨ〜候ウ〜 →へ