第16節
大奇人
      ーー俺ってキチガイ?それとも大天才??



桁外れの大物である。超弩級であった
《こんな人間みたことな〜い!!》・・・・徹底している。

                          ★  ★  ★  ★  ★  ★
ーー
死んでも人に頭を下 げないーー
                        
この一点に尽きる
その男の名は・・・・
禰衡でいこう】!!!
                      (
禰の正確な字は示へん)

異才である。が、その行状には、流石のヤクザ先生(孔融)も手を
焼き、遂には持て余して、オリャ知らねぇぞと打っ茶ら化した。
字を『正平せいへい』と言う。兎に角、此の世では誰一人として、この男を
制御せいぎょする事は出来無かった。(恐らく、彼自身でさえも)
『ーーわかクシテ 才弁アリ。
     しかシテ気尚きしょう 
剛 傲ごうがんニシテ、 きょうヲ好ム。
・・・・・普通は『岸』と 書く。処がこの男の場合は、
      【傲】なのである。それでいいのだ。
とは尋常でないこと、型破り、八方破れ、目茶苦茶と云う事で
ある。 小さい頃からズバ抜けた天才だったが、才気を鼻にかけて
憚らず傲岸不遜であり続けた。だから周囲の人々にとっては、どう
にも鼻持ち為らない〔嫌な奴〕であった。本人にしてみれば他人の
愚かしさが気になって、黙って居られないだけだったかも知れない
が、モノには言い様と云うものが有る。斟酌なしの毒舌で、人々の
心を傷付けまくり、嫌われた。結局、村八分にされ、在所に居られ
無くなった。ーー
22 歳で郷里(荊州)を飛び出している。
《フン、俺の大才は都でしか似合わないさ・・・》
 でいこ う
【禰衡】が荊州から、都になったばかりの『許都』に出て来たのは
196年(
建安元年)の時であった。 殊勝なことに、それでも一応、
胸にはいつも就職用の”名刺”を持ち歩いていた。だが其れも既
にボロボロに擦り切れて、字も消えかかっている。
俺程の人間が、何で他人に頭を下げなきゃならないんだ!》
結局この2年間、どこも訪問しない儘であった。 だからとて、
こんな嫌な奴を、何も好きこのんで推挙する者は居無い。そして
とうとう・・・・この2年の間、誰一人として、彼の才能を認めて声を
掛けて来る者は居無かった。収入が全く無いのだから其の暮らし
振りは乞食同然にまで落ちぶれていた。
《・・・・よう〜し、こうなりゃ、
      一生、人に頭なんか下げるもんか

死ぬ迄、頭を下 げずに生き抜いて見せてやる
この不遇が、この男の心を更に筋金入りの依怙地いこじなものにした
らしい。そしてこの突拍子も無い矜持きょうじが、いつの間にやら・・・・・・
禰衡正平でいこうせいへいの、人生の目標そのものに成っていってしまう。変人と
言えば変人である。だが見方に拠れば、大したものである。頭を
低くするのが『美徳』とされる時代に在って、敢えて困難な生き方
を選択した事になる。
ーー生涯、人に頭を下げない・・・・東洋儒教倫理圏に在る我々に
とっては、何時の世であっても不可能であろう。(読者諸氏には、1日でも
良いから実験してみたら如何であろう ?忽ちにして総スカンを喰らい、悲惨な状況に成る
事、請け合いである。)・・・・それを一生涯貫く、と謂うのであるから、達成
すれば、確かに偉業に違いない。   
だが喰えない。衣はボロボロに垢染あかじみて来るわ、靴 もバクバクに
破れて指が出ている。腹が減るから、若い癖につえすがっている。
視るに見兼ねた或る者が、就職先を教えてやった。
陳長文陳羣ちんぐんとか司馬柏達(司馬朗)などを訪ねてみたらどうだい?」
2人とも今を時めく曹操幕下の、若き逸材である。司馬朗は仲達の
兄である。  「あんたは俺に、『豚殺し』や『酒売り』の様な連中に、
頭を下げろと言うのか!」「・・・それじゃあ、荀ケさまや趙融どのなら
どうだ?こりゃもう、文句なしの超一流だぜ。」
「フン荀ケの取り柄は押し出しだけさ。差し詰め弔問用の顔出し係が 
いいとこさ。趙融のデブ野郎にゃあ調理場の接待係がお似合いって
もんさ!!」・・・・これを聞いた者達は、みな頭に来て口惜しがった。
20歳そこそこの若僧が、それも物乞い同然の乞食小僧がさも偉そう
に一流人士をコケ卸ろす。
『ーー此処ニ於 イテ、衆人ミナ切歯スーー』
禰衡は都においても、すっかり人々に憎 まれていった。
「それじゃ〜お前、都で1番マシだと思ってんのは誰なんだよ〜?」
「ーーそうさな、年長者では孔文挙(孔融)。
                 若いのでは楊徳祖が居る・・・かな。」
そうは言っても、自分から出向こうとしないのだからどう仕様もない。

処で意外な事だが、禰衡には、
音楽的才 能も有った。特に
リズム感は抜群であった。就中なかんずく
太 鼓】の腕前は名人級であった。
かつて田舎で、人々から嫌われ孤立した時ーーその鬱屈を晴らす
為に、殊更に大音量の打楽器を選び、これ見よがしにその打撃音を
連日連夜、周囲一円に轟かせて見せた。
禰衡正平でいこうせいへい、此処に在り〜
》 とばかり、抑え難く沸き上がってくる
強烈な自己顕示の欲求を、独り太鼓に向かって、鬼気迫る形相で
バチを叩きつける日々が続いたのである。 やるとなったらトコトン
やらねば収まらぬ男で在るから、数年にして独自の境地を開拓して、
こちらの方でも超一流と謂われる様に成っていたのだった。
但し現在は、その絶妙なリズム感も、専っぱら 『辻説法』 の為に
浪費されていた。 こんな塩梅の男だから、権力者達を批判したり
揶揄中傷する時に、杖で地面を叩きながら調子をつけ、節をつけ
ながらの”リズム説教”(辻説法)と成った。ーー地べたにへたり込ん
だ乞食小僧が、杖で拍子をつけながら、都大路で罵詈雑言・・・・
聴くに堪えない禁句の嵐、悔しいけれど面白い。いつも黒山の人
集りが出来た。 然し終わると、誰一人残る者は居無かった。近頃
では投げ銭(お布施)の一つも飛んで来ない・・・・
        でいこう
流石に禰衡、弱気に成ってしまい、故郷の荊州へ戻る事にした。
するとそれでも奇特な事に、可哀そうだから、せめて送別の小宴を
催してやろうと言う者達があった。 ーー処が当日、約束の時間が
過ぎても、肝腎な御本尊が、いっかな、やって来ない。
「おい皆んな、あと少しだけ待っても来なかったら、お開きにして、
もう二度とは関わり持たぬ様にしよう。」
「禰衡は、自分に及ばないと思う者には口さえきかず、我々に対し
ても何度も不遜な態度をとりおった。 今も遅れて来るんだから、
来たとしても仕返ししてやろうではないか!」
衆議一決、主賓が来ても立ち上がらず、暫くはシカトしてやる事に
した。其処へノコノコと、やっとこ禰衡がやって来た。みな座った儘
そっぽを向いて一言も喋らない。・・・・と、禰衡が突然ワアワアと
大声で泣き出した。どえらい声であった。丸々2年に及ぶ辻説法で
すっかり咽が鍛え上げられていた。
《ちょっと、やり過ぎたかな?》可哀そうだと思った或る一人が尋いた。
「どうして、そんなに泣くんだい?」
すると禰衡、ケロリと泣き止んで言った。
「物も言わず、動きも出来無いのは死人だけじゃ。此処には屍体と
棺桶が並んでいる。墓の前では悲しまずに居られようか!」
言い終わるや、又してもワアワアと
嘘泣きを始めた。
「ーー・・・
」 一同呆れ返ると、憤然として席を蹴倒し、僅かに
好意を持っていて呉れた物達も、こうして一人残らず彼を見放した。

かほどに憎まれる禰衡だが、或る意味では都の『名物男』と成って
いた。好く言えば『話題の男』・『時の人』である。この直後、故郷へ
帰ろうとしている彼の元へ、とうとう招聘の使者がやって来た。
        
招き主は孔 融こうゆうであった。《ーー似ている・・・・》招いた孔融
禰衡の中に、己以上の反骨精神と気概を観たのである。
《才能は有る。そして何より尊皇の思想が窺える。漢王室の熱烈な
信奉者だからこそ全ての者をコケ降ろすのだろう。宮廷付きの此の
儂を別格としているのも、その故であろう・・・・》
こう云う若い硬骨漢こそ、朝廷側に欲しい。
《この男なら曹操にも気後れする事無く、儂同様、平然と物を言い
通せるに違い無い・・・・
》 強力な味方が一人増える事に成る。
・・・・もし孔融がもっと若かったなら、この話は無かったであろう。
余りにも自分と似た、〔同種の遺伝子〕を保有しているこの男を、
嫌悪したに違い無い。然し人間、齢を重ねれば、多くは受け容れ
られる様に成る。両者は20歳以上も離れていた。
禰衡はこの時24歳孔融45であった。
その為には取り敢えず、曹操を言いくるめて、出仕の認可を取り
付けなければならない。だが・・・・・
          でいこう 
いっかな禰衡、「正式な仕官は断る!」と言い張る。
仕方無いので、取り敢えず仮契約と言った処で、暫くは好きに
させて措く事にした。・・・・やがて、そのうち、曹操の耳にも禰衡の
噂が頻繁に届く様になり始めた。 もとより、全て芳しからんモノ
ばかりではあっだが、奇異なる人材には飢えている曹操である。
                             しょうへい  
「ちと面白そうな奴じゃな。招聘いたせ!」
折しも孔融から再三の推挙もあった。処が禰衡、旋毛つむじへそも曲げた。
《てやんでぇ!お門違いも甚だしい!さんざっぱら曹操を罵り続けて
いるのは、奴に召し抱えて貰いたいからじゃねえヨ!!第一本気で
弾劾している相手に、頭を下げるなんざあ、問題外の外ってもんじゃ
ねえか!》
自分で言うのも面妖しかったが、
私はキチガイに成りましたぁ〜 と言って断った。
                  (最初からキチガイだ、との声あり)
そうして措いて、都大路では、一段と気合を入れて、曹操をけな
飛ばした。曹操にすれば、二重の意味で面白くない。先ず、出仕
の命令にふざけた理由を付けて従わぬ事。その上、献帝を迎えた
ばかりのお膝元の城下町で、白昼堂々、天下の覇者たらんとする
君主を誹謗中傷し続けるそのデカイ態度とであった。
(この時点では未だ、袁紹はじめ群雄がひしめき合っており、
          曹操の天下に占める地位は確定していなかった)
悪口雑言の方はまだしも、直接の命令をスカスとは太い野郎である。

「何としてでも、きゃつをギャフンと言わせよ!」
そこで眼を着けられたのが、禰衡の
太鼓の腕 前であった。
大演奏会を催して、其処で太鼓を披露させるべく、無理矢理彼に
太鼓打ちの役を申しつけた。満座の中で赤っ恥を掻かせてやろう
との魂胆であった。 ・・・・当時、太鼓打ちは、一寸でも打ち間違え
たら、己の至らなさを示す為、満座の中で衣装を脱ぎ、着替えの
為にスゴスゴと中座して、最初からやり直すものと規定されていた。
要するに、参りました!とシャッポ(頭冠)を脱がされる訳である。

・・・・片や禰衡の方も、太鼓を打つ位なら問題は在るまいとて、
キチガイを治してオッケーした

     ムフフ・・・・何だか、波瀾の予感がして来た・・・・
   
ーー8月の朝会の大宴会の席、内外から多数の賓客が
招かれ、歌舞音曲の一大イベントが開かれた。演奏者達は皆、
当代一流を謳われる名人・達人ばかりであった。 禰衡の番に
なると、彼は、『
漁陽参堝ぎょようさんか』と題した新打法を披露して見せた。
           (か、は手へんに過の字。漁陽は北方の地名)
絶妙であった。非の打ち処無い完璧な演奏であった。みな感激
してしまい、恥を掻かせる処ではない。その身成りも、いつもの
ボロ雑巾の様な姿から一変、 凛々しい若者の姿に大変身して
居たのである。
               わざ
然し禰衡は、
態 と一カ所間違えて打ち続けた。するや、事前に
きつく言い含められていた審査官は、これ幸いにとばかり、その
間違いを指摘して叱りつけた。禰衡は動ずる様子も無く手を止め
た。こんな魂胆は百も承知であったのだ・・・・やおら辺りを睥睨し
曹操をひと睨みすると、曹操の眼の前で頭巾を外し、規則通りに
衣装を脱ぎ始めた。
「フフ、きゃつめ、調子に乗り過ぎるからじゃわい。」
曹操は、己の政治権力が、芸術の世界を支配した事に満足して、
側近にこう耳打ちし、ほくそ笑んだ。

ーー処が、処がである。
此処からが
禰衡正平の見せ処、彼の彼たる真骨頂

あれよあれよと思う間に、衣装装束しょうぞくを外し終えるや、今度はスル
スルと内着まで脱ぎ捨てて、遂にはふんどしまで引っこ抜き、
 スッポンポンの丸はだかに成ってしまったのだ

御本尊は顔も赤らめず、恥ずかしい処か、堂々と、己の一物イチモツ
屹立きつりつさせて胸を張る。
 まあ、其の見事な立ち姿
(そっちもこっちも)
普通、こんな状況下では、男の一物はそびえ立って呉れない。
余っ程の平常心、豪胆に肝が据わっていなければば、スンマセン
と、しょんぼりしてしまうのが落ちだ。
曹操は赤っ恥を掻かせる処か、”どエライモノ”を見せ付けられて
しまった訳である。
「規則を徹底いたさば、かくの如しィ〜〜

ひと声叫ぶや、
スッポンポンの仁王立ち
そうして、やおら再びバチを取るや、人も無げに悠然と、前にも増し
た名調子で満座の聴衆から大喝采を浴びるのであった。
《ーーこりゃ、負けたわい・・・》 そっちもこっちも・・・

物の本に拠れば、中国の『撃鼓 罵曹げきこ  ばそう』と云う芝居では、
此処が一番の見せ場だそうだ。黒い下着だけになった禰衡役が、
太鼓のリズムに合わせて曹操をバッサリ、スカッと罵り倒す。
きさま 関白でありながら、
      人間賢愚の見分けもつかぬ。
            之ぞまさしく目の阿呆〜!
   諫言いっさい無用と言うは、
            之ぞまさしく耳あほう!
  天下を狙う寧心あるは、
            之ぞまさしく心の阿呆〜!
  あほうで無うて何とする〜〜ーーツ
!!
バチを構えて大見栄切れば、ヤンヤヤンヤ(ハオハオ!)の大喝采

 らかんちゅう                 えんぎ
羅貫中』作の【三国志演 義以前 に生まれたとされる芝居でさえ、
こうである。
曹操は徹底的な憎まれ役、悪玉の総本山なのだ
(※その責任の殆んどは、曹操大悪人論をその『檄文げきぶん』に書いて
全国にバラ撒いた【
陳 琳ちんりん】と、正史に『補註』をくっ付けた 【斐松 之はいしょうし
の両人に在る。羅貫中らかんちゅうは問題外の外。)

曹操は大笑いして、廻りの者に話しかけた。
「本来、禰衡に恥じを掻かせようと思っていたのに逆に禰衡の方が
儂に恥じを掻かせおったわい!」
これだけなら、笑い話で片付けて済まされよう。
ーーだが・・・未だ続きがあった。
「お前、一体何を考えとんのじゃ?お前を推挙してやった、儂の
面目は丸潰れではないか! 少しはその辺も考えて、とにかく
謝れ!お前の真の才能を惜しむが故に、もう一度だけ機会を
作ってやるから。」 と、孔融。
処が当の禰衡は、言って呉れたものである。
「会ってはやるけど、あんたの為に往くんだからな。」
ホトホト世話の焼ける若僧である。

「禰衡が、先日の非礼をお詫びする為、お目に掛かりたいと申
しております。もう一度だけお会い下さいますように。彼の才能
は捨て難いものが在りまする故・・・・。」
「そうか、出仕する気に成りおったか?構わぬ、好きに 致せ。」
そうでなくてはならない筈だ。曹操は気分を直して、禰衡との
接見を容した。

ーー約束の日、
「殿、門の外に
気違いが座り込んで居ります。余んまり汚らしい
ので追い払らおうとしますと、 偉そうに 『曹操が待っておる』
などと、のたくったとの事。 一応念の為お耳に入れまするが、
引っくくって殺しましょうか?」
《ーー奴め、今度は何をする心算りだ・・・・?》
まあ待て、と言い置いて、曹操は自ずから営門に出向いて見せた。
孔融も心配気に付いて来る。
「少々変わって居りまして、奇をてらう男ですが、お気になされますな。
中味は濃い者ですので・・・・」
「解っておる。大抵の事には驚かぬ。」
営門の下には、ボロボロになった
単衣ひとえの道衣に、葛布くずぬののドタ靴
云う トレードマークの禰衡が、地べたにベッタリ座り込んで居た。

「おお、オオ〜〜、天下の大泥棒さまが来おったわ。気違い歌の
一節でも、ひとつ聴かせて進ぜましょうぞ。」
言うや禰衡、杖で地面を叩きながら、例の調子でおっぱじめた。

さあて皆々お 立ち会い。狂った当世にまともを言えば、これぞ
 正しく聞き違い。気違い変じて天の声〜〜ッ。

トトン、トントン、トトン、トン、
金玉無しの 養い孫が、帝を担ぐは片腹痛し。一億銭の買い物は、
スケベ親父の女郎買イ〜。人を殺して盗んでおいて、道を説く
とは厚顔な。 エセの皇帝唱える
さる は、口に出すだけ正直者よ。
むっつりこっそり
あやつる奴は、これぞ天下の大嘘つきじゃア〜
人妻盗むは可愛いものよ。人を騙して天下を盗む。是れぞ正しく
大泥棒ウ〜泥棒稼業もここ迄くれば、あとは主上の命を盗む。
あな恐ろしや、おぞましや。ボロを纏いし正義の使者に、傲岸
不遜を押しつけて、君主づらする輩こそ、真の悪党、大罪人!!
之を歌わず何とする。禰衡正平死んでも死ねぬ。
                      男一匹、心に錦イ〜〜

「ーー
殺 せ
       の言葉は、意外 にも曹操の口から発せられなかった。
悍馬かんば3頭、呉れてやれ!騎兵2名を付けて、荊州の地に送り
 返してやろうぞ!」
曹操の隣で口をあんぐりさせている孔融を残して曹操はサッサと
引き上げた。それに気付いた孔融が追い付いて来た。
「いやはや何とも・・・・」
「ーー禰衡の小僧め、よくもこんな真似をしおる。儂にとって奴を
殺すのは、雀や鼠を捻り殺すに等しいが、考えてみればア奴は
元々虚名が有り、その名は遠近に聞こえ渡っている。 もし今、
あ奴を殺せば、人は儂に包容力が無いと考えるやも知れぬ。
直ちに奴の故郷の劉表の元に送り付けてやる。あ奴の最期が
どう成るか、高みの見物で見届けてやるわい!」
厄介払やっかいばら(強制排除・処払い)である。
「ーー最善の策かと・・・」 孔融も流石に、我関せず、であった・・・。
それにしても・・・・もし、権勢者にも弱味が有る事を見抜いていた
とすれば、やはり禰衡と云う男、なかなかの者?
一筋縄ではいかぬ。 逆に言えば、この時期の曹操には未だ、
公然と批判する者達の存在を排除しきれぬ、脆弱さが有ったとも
謂えよう。さて、その後の禰衡であるが、彼の面目は未だ未だ続く。
  たらい廻しの 〔第2段階〕 は・・・・・

荊州牧の劉表りゅうひょうの元で始まった。2人の騎兵に
護送され、国境を越えた地点(南陽)で、おっぽり出された禰衡で
あったが、 〔捨てる神あれば、拾う神あり〕 と云う事になった。
『ーーふふ、曹操がぎょせぬなら、この儂が使いこなして見せて
呉れよう!儂の人徳は、曹操なんぞより何倍も深く、その器が
どれ程大きいものかを、天下に示す絶好の機会ではないか


下にも置かぬ丁重な態度で迎えられた禰衡、噂に違わぬ (噂と
違った?) 大天才ぶりを発揮し始めた。
 一種きちがい染みた処はあるが、彼が具えている才能そのもの
は、途轍も無く優れ、ズバ抜けたものだったのだ。
『ーー文章 言議、禰衡でいこうあらザレバ定マラズ・・・・』

劉表の満悦、ことの外であった。
大勢の文人を一同に集めて章奏しょうそう(帝への文)を競作させた
折の事・・・・遅れてやって来た禰衡、他人の原稿に目を通すや、
全部まとめて地面に叩き付けた。 呆気に取られる劉表の前で、
スラスラと一文を書き上げて手渡すと何とまあ絶句する程の完璧
な出来映えであった

『ーー劉表、大イニ喜コビ、益々コレヲ重ンズ・・・・』

・・・・処が之も半年余り。人に使われている事実に気付いたのか、
波風の立たぬ日常に飽き足らなくなったのか、それとも単に、
ウンザリしたのか誰にも解らぬが・・・・突如禰衡、元通りの禰衡に
お里帰り〕 してしまう。
 やっぱり【劉表】への罵倒攻撃を始めてしまったのだ。賓客達の
前であろうがお構い無し。 時も所もあらばこそ、口を開けば、
(閉じる事は無かったが)主の欠点・失政をあげつらい批難誹謗の
オンパレード・・・・才気が有り余っているだけに痛い所をグサグサ
突きまくる。特に〔モンロー主義〕を採っている劉表には、見方に
拠れば幾等でも攻撃材料が揃っている。それで無くとも一部から
は常々、『腑抜け』・『腰抜け』・『内弁慶』などと言われていた。
其処へ全知全能の禰衡攻撃!
 これには流石温厚な劉表も、ついに我慢の限界をブチ破られた。
曹操への見栄もヘチマも有ったものでは無かった。然し、自分の
手で殺すのは憚られた。
「ーームググググ・・・そうだ、【黄祖こうそ】の所へ送り付けてやれ!
江夏太守の黄祖は、世に有名な短気なおとこじゃ。うん、こいつは
見物だ。直ぐ手配せよ。彼は常々、軍師が欲しいと言っておった
から丁度よい

たらい廻 しの〔第3段階〕である。
少しは堪えたのか、禰衡ここでも大才を発揮して、大いに黄祖を
感激させている。
ちなみに、この 
黄祖こうそ と云う将軍ーー
『呉の国』の
孫堅・孫策・孫権の親子3代に渡って死闘を演じ、
《国家の宿敵》・《一族の怨敵》と16年間も標的にされ続け、
孫権に至っては常日頃から『専用の首桶くびおけ』を作らせ、持ち歩いて
いると云った按配の人物である。〔戦さ嫌い〕の劉表が、東(呉と)
の国境警備の全権を委ねきっている、荊州随一の勇将であった。
故に、【呉国の成立・発展の歴史】は或る意味、黄祖との死闘の
歴史ともなる。         (第5章・『颯爽たる男組』に詳しい)
「うん、うん。そうじゃ!これこそ儂の思っていて、
  言いたかった事じや。な〜る程なあ・・・!流石だわい!」
黄祖はバリバリの武人である。 はっきり言って教養が高いとは、
自分でも思っていない。両手を挙げて喜んだ。
「いやあ〜、殿は真に良き軍師を送って呉れたものよ。
                        若いのに、よ〜切れる!」
もしかしたら・・・のち黄祖が対呉国との戦いで登場させる秘密
兵器・『最新型の超弩級戦艦を設計したのは、この禰衡
だったかも知れない。となれば、当時未だ発明されていなかった
いかり・アンカーの原型】を中国史上初めて実戦配備したのも、この
禰衡と謂う事になる・・・・。(巨岩をロープで船底の前後に吊るし、
超弩級戦艦を長江上に固定させて、水上要塞を出現させた。)

ーーだが今度は、半年も保た無かった。段々〔お里帰り〕のバイオ
リズムが短くなって来ている。又しても客の眼の前で、主たる黄祖
に対し、”罵倒攻撃”の火蓋を切ってしまったのである。
「ーー・・・??」
最初は、『おいおい、いい加減にしておけよ』 であった。
「ーー
!!」 客の方がビックリ仰天、思わず黄祖の顔色を見た。
何しろ黄祖は名打ての短気男、『カンシャク玉』 と謂われている。
《ーーこりゃあ、只では済みそうに無いぞ・・・・》
視ている間に、黄祖の顔が真っ青に成った。かと思うや、次には
真っ赤に成って、こめかみがビリビリと痙攣し始めた。
「ーーこ、言葉を慎め
人前 であるぞ
だが禰衡の罵詈雑言、まくし立てたら、
もう止まらない。その毒の
有る舌鋒は留まる処を知らず、益々冴え渡って絶好調〜〜。
「・・・お、
おのれ〜、 この小わっぱこうして 呉れるわ
ついに黄祖はプッツンしてしまった。手に乗馬用の鞭を引っ掴むや
禰衡の顔面を力任せにブチはたいた。額が裂けて血が吹き出した。
だが、そんな事位で、禰衡の口は止まらない。前にも増して辛辣に
なっていく。
「ええい、もはや勘弁ならん

手打ちにすべく、腰の刀に手を掛けた。だが、賓客の前である。
「黙れ!黙らんか、このクソガキ!引っ括れ!外に連れ出して、
即刻
殺してしまえ
5人掛かりで引きずり出されても尚止まず、この調子では、刎ね
られた首だけに成っても罵る事を止めそうに無かった。
そこで伍長は、羽交い締めにした儘、禰衡の体を・・・メリメリッと
締メ砕イテ 昇天させた・・・・
享年わずか26歳・・・・一体、
彼をここ迄させたモノは、何だったのであろうか?? 筆者には
答えが持て無い。ーー狂気・病理として済ますには、余りに徹底
している。 孔融の言った通りの天才の持ち主で在ったとしたら、
禰衡が三国志の中で活躍し得る場所や場面は幾らでも在った筈
である。にも拘わらず、
自爆し た・・・・。

それにしても凄まじい。確かに彼は一生 涯(短い一生では在ったが)
人に頭を下げずに貫き徹うしたーー
《偉い
のか》、《馬鹿なのか》、《天才なのか》、《やはり気違い》
なのか・・・・いずれにせよ、人間ここまで徹底すれば、寧ろ愉快さを
感じてしまう。爽快とは言い難いが、こう云う風変わりな奇妙奇天烈
な人物達が5万と輩出されるのだから、
三国時代は面白い

《追記》・・・筆者10年後(60歳近く)に成ってハタと思い当たった。
ー そうか、奴っさん、自分でも気付か無かった様だが、どうやら・・・
此の世に生まれて来た事自体に腹を立てて居たんだ!!
《何も俺リァ〜人間に産んで呉れなどと、誰にも頼んだ覚えは無ェ!!それなのに勝手に
こんな世知辛い世の中へ産み落としやがって!俺リァ元々独りが好かったんだ。土瓶とか
茶碗とかの無生物で充分だったのに、こんな競争社会の真っ只中へ産み落としやがって〜!!ったく、まじめ面して遣ってられるかってんだョ〜!!》
この下天・人間世界への反抗心、乱世喧騒の渦中に登場させられた
宿命への反発心・・・是れこそが怒れる(イカレた)彼のエネルギィの
原点だったのに相違ない・・・・と、独り合点する昨今の筆者では在る
のでアリマスル。《追記おわり》

世を一頻ひとしきり騒がせたその期間が、極めて短かかった
(実質2年)
にも拘わらず、
禰衡正平でいこうせいへいの名声が全国規模で喧伝されて
いた証拠が在る。ーー《呉の孫権》の下問に応えて、『胡綜こそう』が
人物評をしている中に、彼を引き合いに出している。

巧妙な 詭弁は禰衡に似ておりますが、才能の点では禰衡には
 及びません
 ・・・・と。

之は曹操の〔敵国での評価〕である。と云う事は・・・・『曹魏』の
影響下に置かれていた『三国志正史』の著者・【
陳寿】は、
〔曹操にとって恥じになる〕 様な禰衡の事跡を記載する事が
憚られた、と云う事でもある。
(陳寿の事どもについては、いずれ考証する)
 従って『正史』の中には禰衡正平の記述は勿論、彼の名前すら
も出て来ないのである。我々が禰衡を知り得るのは主に『補註』
の【
斐松之】に拠る処が大きい。斐松之の功罪は議論のある処
ではあるが、何やかやとは言っても、面白ネタの宝庫を提供して
呉れる『補註』の存在は、我々にとっては有り難い限りである。

さて、すっかり
禰衡でいこうに喰われてしまった筆者であるが、
そもそもの話しは、【
曹操】と【孔融】との、際どい関係にあった。

《孔融の使い途も、最早一つしか残っておらん様になって来たか》
両者間の個人的軋轢あつれきなどは小さな事だ。その手のたぐいは歯牙にも
掛けぬ曹操である。  
《ーーあの野郎・・・・
》 と思う根底には、もっと巨きな理由が
存在した。その曹操の眼光の奥底には、権力者としての、冷酷な
政治世界の暗闘に、宣戦布告せんとする決意が、
                    眼の星と成って宿っていた・・・・・

だが、そんな【大・曹操】にも唯1つ、自分の手では如何どう仕様も無い、
泣き所が存在した。それは終生、此の男から消える事無く、
執こく纏わり着いて負い目と成り、遂には、自身が帝位に就く事を
断念させる程のコンプレックスとなる。 ーー其れも此れも全て、
或る人物が、世の人心に働き掛け、そのネガティブさを醸成した事
から始まった。 天下統一の戦いは、軍事力の衝突だけでは無く、
目に見えぬ敵との戦いでもあった。
ーー曹操孟徳の闘いは、多岐・多方面に及ぶ・・・・。



そして其の最も厄介な敵こそ、
敵が国中に飛ばした檄文であったのだ
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