【第13節】
ーーーー
8月ーー〔業卩城〕・・・・・この儘あと半月も包囲を続ければ、
城内は『獣の道』を辿った末に、生有る者は全て死に絶えるであろう。
「フム、難しい処じゃな・・・・」
どのみち、業卩城平定は時間の問題と成った。もはや、勝敗の問題
でも無い。ーー要は・・・・今後の損得勘定・バランスシートの中味の
検討である。 この時、曹操の脳髄は、既に、〔戦後の治世〕や、
今後の〔全国戦略〕に向かっている。
《これ迄に歳出した、諸々の資本投下を全て回収した上で、今後
更なる拡大再生産の利潤を、如何にして確保してゆくべきか!》
組織を運営してゆく者として、曹操はその点をシビアに追求して
已まない。ーー結局、最後は〔経済
力〕の強弱、〔
生産性の勝負〕
であると謂う事を、外の誰よりもキツチリと認識しているのが・・・・
【曹操孟徳】である。
天下一の大名門・袁一族が、営々として築き上げて来た、この
バカデカイ城市・城郭を、そっくりそのまま頂戴し、是れを以って
《魏国の中核、いや国家の中心とす
る!》
ーーその事であった。
出来得る限り、既存城市の破壊を少なくし、再建拡張の為の時間
と出費を抑制したい・・・・その為だけであれば、矢張このまま兵糧
攻めを続け切るのが、最も善いに決まっている。
だが、別の観方も出来るし、しなくてはなるまい。 もしこの儘、
業卩城内を完全に餓死させたとしたら・・・・天下の人心は一斉に
猛反発し、今後の覇業計略に重大な支障を来たすだろう。
又、再建の為の労働力・生産手段としての人口も確保して措か
ねばならぬだろう。 それに、自暴自棄になられて、万一、一族で
集団自決でもされたら・・・・
《ーーまずい!それはまずい
ぞ!よし、ひと手打とうかの・・・》
それまで飢餓の効果を高める為に、一切の投降を認めずに来て
いたが、その方針を大変換する事とした。固く禁じて来た【誘
降】を、
大々的なキャンペーンとして再開させたのである。
おおだこ
鐘や太鼓を打ち鳴らし、大声で注目させる。大凧に飯の絵を描き、
一日中城の上に浮かせて置く。奪い取った旗や幟を戦利品として
見せびらかす。そして、既に集団投降した家族や知人達をズラリと
並べては、来る日も来る日も投降を呼び掛けさせた。
奥の手は、城兵の眼の前での大宴会であった!
ホカホカと湯気の立つ白い米、肉も野菜も果物も、酒すらも許され
て、腹一杯食って見せる。一番香りの強い調理を風上で行わせ、
食欲を掻き立てる・・・・余った物は惜しげも無く、全て水濠の中へ
投げ捨てさせる。それがプカプカと浮き流れて、城兵達の眼の下を
これ見よがしに漂い匂う・・・・
それが一日だけでは無く、連日連夜となれば、城側は無視する訳
にもゆかず、ひとしきり弓矢の雨を注いでみるが、それも虚しく、
届かぬ距離の事ーーその結果・・・・思わぬ収穫があった。
夜間、城内から、〔矢文〕が打
ち出されたのである!
ーー其の全文ーー
【城内は既に、生き地獄と化しておりま
す。この儘あと10日も
経てば、城内に息する者は、一人たりも在りますまい。
もはや殆んどの者は、愚かな兄弟ゲンカにうんざりしきり、民の
苦しみを省
みない圧政に愛想をつかし、誰も彼等を主君と仰ごう
とはしておりません。 ましてや曹公に刃向かう気持など、些かも
抱くものでは御座居ませぬ。 而るに、叔父の審配ら、極く一部の
者達に拠る恐怖政
治の為に、誰もが投降すること叶いませぬ。
かく申す私めも、既に愛しい人を失い、更に親しい人々を失いかけ
心は張
り裂けそうで御座います。
伏してお願い申し上げます。 私個人の命など、何う成ろうとも
構いませぬが、
城内に残る無辜の人々を暴虐からお救い下さい。
そして今すぐにでも総攻撃して下さ
れませ。もはや罪も無い多くの
人々の命を救
うには、あなた様の解放に縋るより、途が無いので
御座います。 幸い私めは、東門の守将を務めておりますから、
合図あり次第、必ずや東門を開き、
貴軍を無事、城内にお導
き致します。
なにとぞ、是非に是非に、この悲痛なる訴
えをお聴き届け下さい
ませ。天地神明に誓い、この儀が偽りで無いと申し上げまする。】
【審配】の兄の子である
【審栄】と云う
人物からの矢文であった。
審配の烈忠は、身内の甥からさえも過度なものと映る程の惨状に
成っていたのである・・・・
ーーこれで曹操の心は固まった。
「明日、正午を以って、全軍総攻撃に入いる。必勝の鍵は東門じゃ!
【楽進】が当たれ。東門を押し開いたなら、直ちに全門を中から開け
放ち、各門より全軍なだれ込み、一気に敵を揉み潰せ!
但し、敵将の『審配』は必ずや生け捕りとせ
よ!」
《ーームフフ・・・その後には【此の世の極楽】も待っておるわい・・・》
【仲達】の予想通り、【曹丕】には特定の指令は与えられず、本営
付きと云う事になった。曹操全軍にとっても、〔曹丕個人〕にとっても
【東門】がまさに、この東門こそがキイポイントと成った!
ーー翌日ーー
8ヶ月にも及んだこの包囲戦にケリを着けるべく、曹操軍50万の
巨大機構が、不気味な地響きを轟かせた。
わざ
初め、東門への力攻めは、態と控えられた。その代わり、他の全
ての門に対しては、凄絶な攻撃が仕掛けられた。本腰である事を
示す為に、城門破壊用の新兵器である【衝車】まで投入させた。
「この東門は未だ大丈夫だ。お前達は、破られそうな他の門の
救援に赴け!」
東門守将の【審栄】は、意の通じていない部下の一部を、持ち場
から去らせた。これで、後に残った部隊の将兵は、全て同志だけ
となった。 「ーーよし、開けろ!」
この彼の一言が 《終わりの始ま
り》 であった。
東門の重い閂が、城兵の手によって内側から外され、遂に
東の門は大きく開け放たれた。ヒタヒタと詰め寄せていた楽進
部隊が、声も無く城内に吸い込まれていく。
とき
ーーと間も無く、城内から一斉に鬨の声が轟き、やがて他の
門が次々と内側から押し開かれ始める。曹操の全軍が、津波の
如く業卩城内になだれ込んでいく・・・・
その時【審配】は、城の東南の角の望楼に居た。彼の眼は
東門の異変を直ちに発見した。だが駆け付けるには遠過ぎて、
間に合わない。 「おのれー、変節漢めがァ〜!」
審配はその裏切り行為に、怒髪天を突いて猛り狂った。もはや
敵兵の侵入を押し止どめる事は、全く不可能であった。
「くそっ、我が冀州を、こうして破滅に追い込んだのは、【辛ピ】と
【郭図】の一族じゃ!許せん、監獄に伝令!『獄中の辛評一族を、
即刻誅滅せよ!』・・・・。」 「ーーハッ!」
この状況では、勝利は百%有り得無くなった。こう成ったからには
後は只、守将として武名に恥じぬよう、血の最後の一滴まで、烈々
たる忠義を貫き徹うして戦うのみであった。
「あとの者達は、儂と一緒に忠義の鬼と成るのだ! そして、真の
忠節とは如何なるものか、誠の武人とは如何なるものかを、逆賊
【曹操】に思い知らせてやるのじゃ!命を惜しむな、名をこそ惜しめ!
袁家に忠臣在りと、天下に名を残そうぞ!」
「オゥーッ!!」 それでも一千名ほどの烈士達が、審配の旗印
を目指して集まって来ていた。
「真の武士たらんとする者は、我に続け〜イ!」
その場から撃って出たが、既に敵兵が至る処に充満して居り、本丸
(一門の妻妾達が住む宮殿)に辿り着けぬまま、直ちに、血で血を
洗う凄絶な市街戦となった。
審配ノ声音ト気迫ハ壮烈デアリ、最後マデ弱音ヲ
吐ク事ナク、此ノ有様ヲ見タ者デ、感歎ノ吐息ヲ
残ラサヌ者ハ無カッタ・・・・。
袁一族の『戦史』の
中で、か程に猛戦し、壮烈に戦い貫いた例は、
過去に無かったーーと謂われる迄の、激越な戦闘となった。
・・・・だが数刻後(約1時間半後)、その奮戦も空しく、遂に【審配】も
力尽き、自刃する余力すら無い状態で捕らえられた。
ーーそして、業卩城
は・・・・陥落した。
ーー走る。曹丕が走る。仲達が走る。走る。目指すはひたすら本丸
奥の館!・・・・広い、だが走る。
案の定、曹操の近衛兵も走って来る。だが気迫が違う。
「曹丕ぎみじゃ、邪魔立てすな!罷り通るぞ!」
怒鳴り付けて停止させる。 「以後は、何ぴとも固く通すな!」
兵達は、これは当然、曹操の命に拠る措置だと思う。「ーーハッ!」
言い置いて又走る。・・・・と、いつしか後に、仲達の影の如くに、
十数名の隠密部隊が従っている。
さそりしゅ
う
【蠍衆】である。仲達の手配に抜かりは無い。
奥の館に駆け込むと、此処にまで人手を配備する余裕は無かった
のであろう。敵兵の姿は皆無であった。 女官たちだけが悲鳴を
上げて左右に流れ去る。眼も呉れずに走る。
「安心致せ!狼藉は固く禁じてある!」 そう叱咤された
女官達は、
闖入して来た若者の甲冑姿が、確かに美々しく、品格有る人間で
ある事に気付いて、ひとまず安堵した様だ。 曹丕は、一枚一枚を
ピカピカに磨き込んだ、赤銅製の直垂を纏っている。
「劉夫人や甄氏様はいずくぞ!」
恐ごわ指さす女官の奥に、直ぐそれと判る、ひときわ艶やかな
居室が見える。仲達がコクと頷くと、『蠍衆』はクルリと背を向け、
其処に阻止ラインを張り【結界】を出現させた。
「す、少し息を整えさせて呉れ。」 走った動悸と、もう一つの動悸
とが、激しく曹丕の胸を打ち続けている。
「ーー参りますぞ!」 曹丕は髪を撫でつけ、身繕いすると、
仲達の直ぐ後を並ぶ様にして、その居間に入った。ーー室内は
灯りを落としてあったが、幽かに女達の噎び泣く声が伝わって
来る。用意して来た松明に火を入れて覗うと・・・・部屋の片隅で、
女達が抱き合っているのが判った。泣いて居るのは女官であろう。
「安心致せ。危害を加えに参ったのでは無い。こちらは曹操様の
御嫡男・曹丕ぎみで在らせられる。 我等は劉夫人をお救いに
参ったのだ。いずくに居られるのか?」
・・・・一番奥で女達を束ねて居る中年の貴婦人が、亡き袁紹の妻
【劉夫人】
であった。暗い部屋の隅に踞り、浅はかにも顔を汚して
いるので然とは見えぬが、劉夫人と一緒にに居るなら・・・・もはや
間違いは無いであろう。
「劉貴婦人は此方へおいで下され。鄭重に御迎え致します程に。」
手を差し伸べて促すと、夫人は気丈に立ち上がって見せた。
「ささ、他の皆さま方もこちらに・・・。」 数人の女達が、みな立った。
何れも袁家ゆかりの貴婦人達と思しき、品の有る佇まいであった。
「甄氏さまだけは、お残り下されませ。」
ーー名乗らずとも、その美貌の容姿は、彼女が目指す相手、
【甄洛】である事を告げていた。
(*
『洛』の名は、
或る理由から筆者の推断)
「あとは任せましたぞ・・・!」曹丕に耳打ちし、仲達は室外へ出た。
「この御夫人達を丁重に、時間を掛けて、ゆ〜っくりと、曹公の
処へお連れ致せ。」 本命以外は、体よく曹操に押しつけてしまう。
ーー室内では・・・・曹丕の心臓は今にも飛び出さんばかりに
ドクンドクンと波打っている。
「・・・そなたが、そなたがーー甄洛 か?」
精一杯背伸びをして、四つも年上の熟女を下に見ようとするが、
如何せん、すっかり声が上擦っている。
「ーーはい・・・」 いずれその時
が来る定めを予感し、それが
抗えぬ宿命と観念していたかの如き、儚い声が返って来た。
眼は伏せられた儘であった。
《美しく生まれた故に、理不尽を受け容れなくてはならないのか・・・》
そこはかとない怯えが伝わって来る。
「そうでは無いのだ!」 上手く、己の気持が伝えられない。
「そなたを、私は、そなたを迎えに参ったのじゃ!」
気持だけが先行する。然し未だ、相手をきちんと見ていない。
《果たして、噂は本当であろうか・・・!?》
「暗くて、よう判らぬ。さあ、灯りの下へ参られよ。」
曹丕は燭台に2つ3つ、灯を移した。そして振り返った。
「ーー!!」 乱した髪、ススを塗った顔・・・・然し、そんなものは
何の役にも立って居無かった。
えも謂われぬ【可憐な美】が、其処に居た!
その立ち姿には、
隠し様も無い凄艶さが、妖しく匂っている。スラリと手脚しなやかに
胸の隆起と腰の廻りには、みっしりと豊かな玉肌が盛られている。
それだけでもう、曹丕には眩暈がする思いである・・・・その女体が
夜に喘ぐ妄想が、青年の脳髄を直撃した。
「ーー直して参ります・・・」
つと、甄氏が踵を返した。余りにキッパリした所作であった。
「ま、まさか、自害などなりませぬぞ!」
その声に足を止めた甄洛が、肩越しに初めてキラリと瞳を
挙げた。 不条理な運命に弄ばれる哀しさが、その円らかな
眼を潤ませていた。だが、首はコクリと頷いていた。その小さな
仕草にも楚々とした艶があった。然し、媚びは微塵も無かった。
ーー余りにも手間取るので、仲達が咳払いをしてから、首を
覗かせた。 〈早くしなされ!〉 との眼顔である。
曹丕は、後ろ手に小さく合図を送った。
〈消えろ、消えろよ。今、一番いい処なんだから!〉
ーーやがて・・・・化粧室から、完璧
な甄洛が現われた。
「ーーおお・・・!」
曹丕は一瞬息を呑み、次の刹那、心の臓がビクンと飛び出し
そうになった。 ケタ外れの美人であった。
「!ーーー!!!!
!!」この一瞬を以って、曹丕は
男の端くれとして、この【女の美貌】に魅入られ虜われ人となった。
《ーー天は、美の全てを、この女人に与え賜うたか!》
《我がものにしたい!》 《だが・・・しても、いいのだろうか?》
と、困惑する程の美形であった。
まさしく、ハッと息を呑む様な、絶世の美女・・・・
ーーくっきりと、きめの細かい艶やかな素肌。凛と吊った眉の
下に、大粒の黒葡萄の様な、潤んだ瞳がクリクリとよく動く。
小さいのは、桜貝色に甘い唇。綺麗に通った鼻筋の頂点が、
美人特有のつややかな光りに輝いている。 それを包む緑の
黒髪・・・・それらの極上なパーツが、その小顔に黄金分割され、
全く非の打ち処無く配置され、【完璧な美形】に凝縮されていた。
だが今、その凛然たる美貌とは対照的に、彼女の存在は儚い
気配の中にたゆとうている・・・・
心だけは奪われまいと、冷ややかに閉じ懸けられている
【氷の美貌】ーー
それだけに尚一層、夜の喘ぎ顔は、想うだに狂おしい。
清純さの中に潜む、熟れた〈女体の歓び〉を識ってしまっている、
獣としての性・・・・ 蛾眉をしわ寄せ、可憐な顔で苦悶しつつも、
意に反して、あられも無く開いてくねる女の体。くびれては隆起
する、妙やかな秘所。たとえ知性の衣で覆っていても、
《夜は専っぱら夜を夜とする》 であろう、妖しくも美しき矛盾、
歓びと哀しみの泉・・・・
「余のものじゃ!」 曹丕は勇をふるって、甄氏の腰を引き寄せる。
「ーーあっ・・・!」
不意を衝かれて小さく開いた唇から、真珠の様な白い歯がこぼれ
出た。眼が碧く怯えて美しい。 「余の妻に迎える!」
互いが間近で、互いの瞳の中を、睨む様に覗き合った。
だがそれは、意識世界のこと。密着した肌の温もりと男女の血の
騒ぎは煩悩世界のこと・・・・曹丕の手指は、甄氏の背から腰を
撫ですべり、豊饒な尻の丸味を確認していた。そこには女体の、
みっしりした充実感があった。
この年上の女性は聡明の誉れも高い、教養と理智で身を被って
いる。それが今、己の腕の中で軽く仰け反り、半ば抗っている。
無理矢理その胸の隆起に手を差し入れ丸い乳房を揉みしだく。
拒むに拒めぬ小さな抗いと、白い歯の間からこぼれる幽かな悲鳴
早くも濡れ始めた秘部に侵入され、ピクリと腰を退く感度の良さ・・・
【死】が周囲
に満ち満ちていた。 今この瞬間にも、市街地では、
血みどろの殺し合いがあり、肉体が、命が亡んでいる。
ほつれた項が色香をそそる。ーー此処には今、確かに息づく
【生の証】があった。 【死】に囲まれて、却って燃え立つ、
ひときわ狂おしい愛・欲があった・・・・
「ウォッホン!」 馬鹿デカい咳払いである。
18歳は、やっと我に返った。
「そなたは今から、余の妻じゃ!」 甄氏は、目を伏せた。
「余の目を見よ!私は本気だ。真剣にそう思っている。よいな、
分かって呉れ!」
男の身勝手、勝者の論理である理不尽さは、十二分に解っている。
だが、この女性なら、自分の妻として相応しいと確信したのだ!
「はや、参りますぞ。話は後でゆっくりとなされよ。」
「分かっておる!」
「裕余は有りませぬ。こうなったら、小脇にでも抱えなされ!」
「よし、仕方あるまい。」
「ーーいえ、私は自分の足で参ります!」
何う云う心算で言ったのかは解らぬが、甄氏は驚く程の声音で、
キツパリと言った。
「是非も無し。そうして下され!」
「では余の手をしっかり握り、決して離すでないぞ!」
曹丕は甄氏の手を、痛い程に握り絞めた。女性が走るなど、
あるべき事ではない。が、走った。・・・・走っている裡に甄氏は、
大きな惨めさの中に、微かに別のものを覚悟している自分を
感じていたのかも知れ無かった。
《私は未だ若い。私の人生は、これから始まるのかも知れ無い》
愛される自信は有った。
愛することは、出来るようになるのだろうか・・・
この【甄氏獲
得】の場面を、『正史・補註』は次の如く、
2つの史料で記している。参考までに掲げて措く事にする。
ーー先ずは魚拳の『魏略』・・・・
『袁煕が地方官になって
幽州に居た時、甄氏は後に残って姑の
世話をした。業卩の町が陥落した時、袁紹の妻と甄氏は一緒に
皇堂(四方に壁の無い部屋)の上に座って居た。
曹丕が袁紹の館に踏み込んで、袁紹の妻と甄氏に会った時、
甄氏は恐怖にかられて、姑の膝の上に顔を伏せており、袁紹の
妻は両手を自分で縛っていた。曹丕が、
「劉夫人、どうしてそんな風にして居るのです。嫁ごの顔を上げ
させない」 と言うと、姑は甄氏を抱えて上を向かせた。
曹丕は側に寄って注視し、その容貌が並々ならぬのを見て取ると、
称賛して溜息を突いた。
曹操は曹丕の気持を聞き知ると、嫁に迎え入れてやった・・・・。』
ーー次は郭頒の『世語』・・・・
『曹操が業卩を陥すと、曹丕は一足先に袁紹の邸に
踏み込んだ。
其処に髪を振り乱し、垢だらけの顔をした女性がいて、涙を流し
ながら袁紹の妻・劉氏の後ろに立って居た。 曹丕が訊ねると、
劉氏は「彼女は袁煕の妻女です」と答えた。振り返って元取りを
掴み、手拭いで顔を拭うと、たぐい稀なる美貌であった。曹丕が
立ち去った後、劉氏は甄氏に「殺される心配は無いでしょう」 と
言った。 かくして迎え入れられ、寵愛を受けた。』
17年
の後(後から後宮に乗り込んで来た)悪女に操られた、
曹丕自身の命により・・・・
まさか【死を強要され
る】などと、誰が予測し
得ようか?
そして、その悪女の指金で殺され、甄洛の遺体は柩にも納め
られず、髪をザンバラにさ
れ、口の中には糠を詰め込まれて
放置される と云う、無惨この上ない最期が待っていようなど
(甄氏39歳)ーー今の二人には、夢想だに出来ぬ事であった・・・・
直後(間一髪)、曹操から異例の布令が出た。
『何人
たりとも、奥の館への出入りは罷りならぬ!』
★美女・甄氏争奪の父子の掛け引きについては
ーー弟の【曹植】にも、その気があった! と云う説も有るが、
【植】はこの時14歳・・・・何とも微妙な年頃ではあるし、妻を娶る
には早かろう。(当時としては、一般人であれば充分に有資格者
ではあるが、曹操の子供ともなれば、チョットだけ早過ぎよう。)
そもそも、この戦さに出陣して居無い可能性の方が高い。まあ、
後年の展開から憶測された怙地つけであろう。
そんな事より確実に謂える事は・・・・オヤジの曹操にとっては、
《まさか、まさか!》の大ショックだったと云う事である。 脳天を
叩き割られた様な〔猛烈な妬
み〕に襲われた筈である。
ーーそして実は・・・ここに・・・『正史』には書く事も憚かられる様な、
重大かつ深刻なもう一つの、【隠されたストーリー】が展開された
・・・・その可能性が、極めて高い。
(※ 詳しくは、第8章の第110節・「女だけの城」で記す)
ほぼ確実なのだが (本書が今まで記述して来た展開とは異なり)、
ぬけめない【曹操】は、先ず己がたっぷり味見
した後で、
〔甄氏を曹丕に下げ渡した〕 と、云う事態が考えられるのである!
(80乃至90パーセントの確率だとは思うのではあるが、何せ、
『正史』に記述されていない事だけに、ひとまずは無難で健康的?
な展開の方で筆を進めて措く・・・と云う次第である。)
「さて、処で今回の一番手柄は・・・・何と謂っても子桓(曹丕)の奴
じゃな!羨ましくて、儂の方が褒美を貰いたい位のもんじゃわい!」
呆れ顔に笑い飛ばして見せると、一同も大笑いとなった。陰湿に
ならぬ様に、との配慮が窺える?
「それにしても、〔ひでえ子弟〕 が在ったもんだなあ!」
前にも増した大爆笑の渦と成った。夏侯惇は勿論、虎痴(許猪)や、
あの笑わぬ荀攸までもが笑い転げて居るではないか!
流石に曹操も少しムッとする。
《ーー笑い過ぎじゃ!人の気も知らねえで・・・・》
曹操孟徳、49歳。
《・・・・儂に一番似て非なるのは、やはり曹丕か・・・?》
【曹沖】や【曹植】より可愛げが無い分、雑草的タフネスが備わって
来た様にも思える。よく言えば、抜け目無い頼もしさが出て来たと
云う事だ。綺麗事では済まされぬ、【乱世向きの息子】と謂う事なのか・・・?
「皆の者、聴け〜い!」
一座がやや落ち着くと、曹操は王座から、周囲を威圧するが如くに
家臣団を睥睨した。曹操のこんな態度は滅多に無い事であった。
「この城の公文庫から・・・【重大
な】機密書
類が見つかったのだ!」
「ーーー!!」 大広間に、サッと緊迫の寂寞が出現した。
「地下の秘密金庫から、大量の・・・機密文書が発見されたーー。」
一座は、瞬時にして氷りついた。
「その中には、袁紹存命中の頃からの、ここ数年来の、
手紙や書簡の類も多数あった・・・」
《ーーーヤバ
イ!》
此処に集う文武百官の殆んどが、ヒヤリと背筋を氷らせ、肝を潰
した。袁紹存命中の頃と謂えば、当然あの【官渡決戦】前後の
ものも含まれている筈だ。あの当時は、敵味方の双方が、盛んに
謀略を仕掛け合い、互いの切り崩し、つまり簡単に簡単に言えば
【裏切りの約束】をしきりに勧誘していた。
戦局は圧倒的にこちらが不利で、世の誰しもが袁氏側の大勝利
と観測するのが当然の状況であった。それを見越して袁紹側から
盛んに誘降や寝返りを促す密書が送り付けられ、バラ撒かれた。
現在は口を拭って、知らぬ振りを決め込んでいるが、身に覚え
の有る者は山程も居よう。
裏切る迄はいかずとも、万一に備えて、あやふやな返事を書い
たり、その折は宜しなに・・・程度のニュアンスの回答を渡した者を
含めれば、胸に覚えの有る将軍や重臣達はゾロゾロ出て来る筈だ。
明日をも知れぬ戦国乱世に在っては、生き抜く為の【部将の智恵】
であり、【名士達の常識】でもあった。
だがーー相手は曹操である。 この男の前には、そんな論理が
通用する訳が無い。気に食わねば、どんな苛烈な仕打を浴びせ
られるか、判ったものではない。
徹底的にむごく成れる大魔王でもある。
《ーーマズイ!ヤバイぞ・・・!》
生きた心地もしない。誰もが途端に、互いに眼を逸らし、視線を
合わせぬ様に避け合ってしまう。下手に眼が合った相手が咎人
であったら、その一味と視られ、自分まで危うくなる。 そして又、
眼が合う事で、相手を疑ったとも取られ、以後の人間関係にも
ヒビが入り兼ねない。つい先っき迄、バカ笑いし合っていた連中
が、《オラ知らねえヨ》とばかりにソッポを向き合い、急にソワソワ
と、モノ言わぬ「木偶の坊」に早変わりしてしまって居る。
何とも気不味い空気・・・・
ーーと、曹操がプッと吹き出した。
と同時に、腹を抱え、膝を打って大笑いを始めた。
「何じゃ、その方どものシケた面
は!」
ゲラゲラ大口あけて笑い出すや、曹操は可笑しさにヒイヒイ言い
ながら、やっと言葉を継いだ。
わし
「安心いたせ。儂は、そんなラチも無い、昔の話なんぞに興味は
無い。封印した儘、もはや全部焼かせ
ててしもうたわい。
儂が、其の一通も見ておらん裡に、全ぇ〜ん部焼けて、灰に
成ってしまったと云う訳じゃ!」
《ーーーへ?》
それを聞いた途端、氷りついていた群臣達が、初めて互いに
顔を見合わせ、ザワめき出した。
「・・・・実はな、全部焼いてしまってから、儂は後悔したものじゃ。
どうしても探し出したい手紙が、一通だけ在ったからじゃ。それ
はな・・・・儂が密かに袁紹に出した内応の手紙じゃ!
『袁紹ちゃーん、お願い。許して!』と、つい書いてしまったから、
見つかったらエライ事に成ると思っての!」
ハハハハハと、全員が引き吊った様な、乾いた笑い声を挙げた。
『紹ノ強キニ当
タリテハ、孤スラ猶オ
自ラ保ツコト能ワズ。而ルニ況ワンヤ衆人ヲ乎!』
「当時は、この儂さえその有様だったのじゃ。どうじゃ夏侯惇?」
急に振られた夏侯惇。モジモジと頭を掻きながら返答して見せた。
「いやあ〜、肝を潰しましたぞ。かく申す拙者
にも袁紹から密書が届き、つい出来心で、『その折には宜しく』 と
書き送っておりました。ーーあぁッ!うまうまと殿の口車に乗せら
れて、白状させられてしもうた!いかん、こりゃ、いかんわい!」
「なに?お前迄もか!アハハハハ、それじゃあ、此処に居る者、
全員、儂を筆頭に総懺悔ではないか!」
夏侯惇の機智により、今度こそ皆んな、心の底からホッと安堵した。
『過去の行為は一切、不問に付す!』
そうして見せた後、曹操はやおら、論功行賞を
行った。だから、
その効果たるやバツグンと成った。罰せられるかと観念した途端、
反対に昇進するのだから、これはもう感謝感激アメアラレ・・・・
三拝九拝となった。
イヨ〜ッ! さすが【韜晦の達
人】!
その人心収攬の術は美事と謂うしかない。こんな主君であれば、
言われずとも頑張ろうと思えて来る。この主君に仕えて良かった
と思う。そして更に、これから帰順しようかと考えている敵対者
にも、その気持を促進させる効用をもたらす。
こうして観ると今更ながらに、曹操孟徳と云う人物は、己をして、
《壮大な歴史の演出者・プロデューサーである!》 と云う事を、
しっかり自覚していた事が判る。
「さて最後に一つ、皆に聴いて貰おう。」
曹操の顔が再び引き締まり、その存在が急に、巨大な覇王の
ものと替わっていた。
「ーー今後、我が曹魏政
府の本拠地は・・・・
きょ
ぎ ょ う
『許』から、この
【業卩】の地へ
と移
す事とす
る!」
「オオ〜〜ッ!」 と云うどよめきが湧き起こった。
「なお帝(献帝)は、引き続き『許の宮殿』に住んで戴くものとする。」
すかさず【荀ケ】が慶賀の声を挙げる。するや次々に我先にと
ばかり、重臣達が祝賀の声を発し、居並ぶ文武百官の全てが
それに和した。
おもんぱか ぎょう
「各員、我が意を慮り、この業卩を、国家の中心・中国とするべく
直ちに全知全能、全力を傾けて呉れ〜ィ!!」
曹操は唱和に大きく頷いて応えると、堂々たる王者の風格で、
ゆったりと奥に消えていった・・・・
ぎょう じょう
ーー爾来、ここ《業卩
城》は、建安年
間と共に(平存して)、長く
【魏国の根拠地】として、天下に君臨し、中国(禹域)全土に睨み
を効かす事と成るのであった。
そして今は未だ誰も気づいて
いないがーー実はこの曹操の決定は・・・《漢王朝との決別宣言》、
ひいては【魏の独立宣言】であったのだ!
曹操の〔壮図〕は限りが無い。
この男の覇業は、今まさに、これから始まらんとしていたーー。
魏国の主城・《業卩》ーー
曹操自らが、その叡智を注いで
設計し直し、次々と建設が進められ、やがて完成をみる数年後の
規模は、およそ次の如くである。
《業卩》は、【七五城しちごじょう】とも呼ばれた。
ーー東西7里、南北5里・・・・を高い防壁で囲んだ故である。
現代風に換算すれば、東西に3キロ余、南北に2キロ余、つまり
周囲10余キロメートルの城壁を有する巨大城郭都市である。
(東京ドームなら280個ぶん)
更にその外側をグルリと、深く広い水濠で防備している。普通の
速度で歩けば、2時間半〜3時間は懸かる!
城壁の内側はーー更に、南北に(ほぼ平行に)2分
されている。
その【北側】の上辺、3分の1の区画が・・・・政治・軍事の中枢
機関地区である。また苑囿えんゆうや高級貴族(曹一族や軍幹部・重臣達)
の屋敷が配された。 城内の3分の2を占める【南側】の区域は、
民間の市街地としている。官庁・官舎の殆んども、こちら側に配置
され、市場も置かれ、市街地に活気と秩序とを与えた。無論、そこの
主たる住人は農民(城外の田畑を耕す)であり、商人や兵士達の
住居も、この地区に置かれた。
南に3門、北に2門、東西各1門の計7門が、人や物の流れを
チェックした。ーーいずれ此の西門上には・・・・
『銅雀台どうじゃくだい』、『氷井台ひょういだい』、『金虎台きんこだい』、と呼ばれる、豪華
絢爛たる、地上130メートル!5層から成る、巨大な3楼閣
トリプルタワーが出現する日を迎えるであろう・・・・
その全貌は『中国都城歴史図』に遺っている。ーーそれを観る限り
・・・・曹魏政府の最中枢は【聴政殿ちょうとくでん】と、その西隣に同格の敷地を
占める【文昌殿ぶんしょうでん】である。此処で日々会議が持たれ、策が決定され、
多くの人々の運命を左右してゆく事となる。
事実上の《魏国ぎこく朝廷》の所在地と成る・・・・
そればかりでは無い。実はーー此の曹操の頭脳から生れた、整然
として機能美に満ちた首都設計の姿は、後の歴代中国王朝の手本
原型と成ってゆくのである!その最大の眼目は(後世から観れば当然の事と
思ってしまいがちの”コロンブスの卵”なのだが) 曹操以前の都では、宮殿が城壁内のアチコチに分散されて居たものを、1ヶ所(1地帯)に集中させ、市民の居住区とを道路で南北に区画した点である。(役所の1部は市街地にも置かれた。)そして此の曹操が設計した斬新で合理的、かつ機能美を兼ね備えた
新しい都の姿は、やがて唐の都・長安から、遂には時空を超えて→
倭に至り、藤原京・平城京・平安京へと受け継がれてゆくのである!
実に、曹操孟徳と云う男は、
平安京の原作者でも在ったのだ!!
処で、曹操は、《なぜ
政府を業卩へ移したのか?》
理由は大きく観て、3つ在った、と考えられる。
その〔第1〕は、最大にして最重要な理由である処の、
ーー軍事戦略上の地理的メリットである。
現時点での敵対勢力は、もっぱら黄河(河水)以南の、南・東・西
に在る。 北(袁一族)からの脅威がほぼ消えた今、味方の軍事
拠点を黄河の北へ移してしまえば(許の都は黄河の南)、全ての
敵からの『直接的攻撃』は皆無に近くなる。
つまり・・・・これまでに獲得した広大な版図・領土が、深々とした
緩衝地帯(バッファーゾーン)と成って業卩城を守り、然も、黄河が
天然の大要塞と成って、敵の侵攻を阻止するであろう。況わんや、
奇襲攻撃を受ける心配は、全くのゼロパーセントに成る。
〔第2〕の理由はーー政治戦略上の独立宣
言である。
曹操は今、漢王朝の【献帝けんてい】を『許きょ』に奉戴し、《後漢王朝擁護を
標榜》してはいるものの、政治の実権は全て曹操自身が掌握
している。献帝は唯、【祭礼】を行うのみ・・・・
その否定出来ぬ事実を改めて内外に知らしめる事に在った。
《曹魏政権は、”朝廷の権威”などにしがみ附いているのでは
無いのだ!こちらこそが主役であり、
全てはこの曹操孟徳の実力なのだ!》
天下を治めているのは〔許の献帝・漢王室〕では無く、
〔業卩城の曹操〕である!・・・・と云う現実を、普あまねく禹域ういき全土に
告知・再認識させたかったのである。事実この後、全ての者の
足は(
許では無く)
業卩へと向かう事になる。
【政】と【祭】の分離ーー《魏》の独立宣言に等しい。
★ちなみに【魏】と云う国名の由来だが・・・・
『漢』はじめ、多くの王朝名は、開祖と成った
者(又はその父祖)が、
《初めて封爵ふうしゃくされた地名を、そのまま国名として用いた》 と云う
ケースが殆んどである。
【魏】の場合も之に当て嵌はまり、祖父の『曹騰そうとう』が《魏侯》に封建
されていた。・・・・但し曹操は未だ、建て前としては、飽く迄も、
《漢の臣》であり、《魏王》に成った訳では無い。従って当然の事
ながら、【魏の国】などと云うものも未だ、此の世には存在して
いない。それは未だ未だ曹操生涯の課題として、長い長い苦闘
の末に、かろうじて獲得すべき地位なのだ。 ーー故に筆者が
時として用いる『曹魏』と云う表記は、先走った使い方なのである。
(曹操幕府内部では別だったとしても)
さて、〔第3〕の理由は・・・・業卩城の持つ、本来からの
巨大な経済効果(シンボル・ステータス)であった。
旧主の袁紹は亡びる直前まで、中国随一の大豪族であった。
その居城の威容は当時、天下に比類無き巨大さを誇っていた。
(後漢王朝の首都『洛陽』も、前漢の首都『長安』も、
廃墟のまま放置されていたから尚更であった。)
既存するこの巨城を基盤として使用するメリットは計り知れない。
整備拡張するにしても、部分的な修築で済む。余力を遠征費用
に投入出来る。又、《四世三公を誇って来た大名門一族でさえ、
もはや曹操の敵では無かったのだ!》・・・・と、改めてその実力を
天下万民に思い至らしめさせる効果もあった。
尚、《都・みやこ》とは皇帝の住む場
所を指す。
曹操は実力者ではあるが、皇帝では無い。だから、『業卩』は
都では無い。都は飽くまで【献帝】の住む《許きょ・都と》で在り続ける。
曹操と云う男は果たして、その状態を善しとするのであろうか?
それとも、何時の日にか、《業卩都》と呼ばせる気持が有るので
あろうか?ーーもし、『許都』が消滅し、【業卩都】が誕生すると
したら、それは何を意味するのか・・・・!?
そんな曹操の心の裡(本心・本音)を推測させるが如き、面白い
史料が在る。正史・補註に載っている『漢紀かんき』である。
(斐松之に依れば、
辞藻じそう、観みル可べシと云う〔二つ星〕の史料らしい。
晋しん代の「張播ちょうはん」に拠る未完の書)
献帝が就位した時(洛陽時代)以前からの古参廷臣に侍中太史令じちゅうたいしれいの
『王
立おうりつ』と云う者が居た。天文地象に通暁した彼の任務は、《太微たいび》
と云う天子のシンボル星を中心とした全ての星座《天の28宿しゅく》の
運行を油断無く観察しては逐次、皇帝に治政のアドバイスを与える
事であった。所謂いわゆる、『分野説ぶんやせつ』であるが、是れは現代の「星占い」とは
全然違うモノと思った方が良い。(第2章で触れるが)
何しろ国家の命運を直接左右した。そんな古参廷臣の王立が、しば
しば献帝に進言した。(かなり後の時期ではあるが)
「天命には去就が在り、
「五行ごぎょう」は常時栄える訳ではありません。
火に代わる者は土、漢を継承する者は魏、天下を安定できる
のは曹姓です。ひとえに曹氏にご委任下さいますように!」
曹操は其れを小耳にすると、人を遣って王立に言わせた。
「公きみが朝廷に忠誠な事は存じているが、然し天道は深遠である。
どうか多言しないで呉
れ!」・・・・
ーー時代は確実に、曹操孟徳と云う男を中心に、
更なる激動へと向かおうとしている・・・・
「ーー仲達よ、その方に特命を与える!」
曹操が司馬懿仲達を呼び寄せたのは、業卩城陥落直後の、それも
未だ、捕虜達の処分も決まらず、論功行賞も行われぬ時点での
事であった。
「ーー蕭何しょうかを探
して参れ!」
「ーー・・・?」 一瞬、仲達は戸惑ったが、直ぐ合点して即答した。
「心得まして御座いまする。」
「ウム、分かっておろうが、出来るだけ賑々しくやるのだ。」
「いさい承知!殿の御威名が普あまねく天下に轟とどろき渡ります様に、
万事遺漏無く取り計らいまする。」
「よし、余り時間を掛けずに探し出して呉れ!」
【蕭何しょうか】・・・今から四百年も昔の故人★★である。
それを探して来いとは、一体如何なる事なのか・・??
ーー実は【蕭何】こそ、前漢すなわち大漢帝国を樹立した高祖
(劉邦)の、第一の功臣であったのだ。
謂ってみれば、〔大漢帝国は彼の頭脳から生まれた!〕 とも
出来る人物で、高祖を支え、政治機構を全て整え、二人三脚で
天下平定を成し遂げた【大忠臣】であった。 ・・・・だから歴代の
皇帝は、蕭何の功績を讃え、その跡継ぎを常に顕彰し、手厚く
遇して来ていた。 直系が絶えれば、その傍系の子孫を見つけ
出しては表彰した。ーーだが後漢も末期となり、戦乱打ち続き、
朝廷にそんなゆとりが無くなると、こうした慣例は何時しか忘れ
去られていた。曹操は其処に眼を付けたのである。
過去の歴史を紐解けば・・・・漢王朝の変革を標榜した者達は皆、
己の正当性を主張し権威付けする為に、必ず【蕭何】を持ち出した。
彼を尊重する態度を示す事によって、世間の世論を納得させ、
自分の独裁性を認知させて来てい
た。
曹操も、それを目論んだのである。
《曹操はいずれ、独裁官である【丞相じょうしょう】の地位を
狙っているのか・・・!?》
仲達には、曹操の本音が分かる気がする。
《その時に備えて、今から布石を打って措く魂胆だな?》当面する
最大の敵・袁一族を事実上壊滅させた今、《天下統一の日程》が、
俄に現実味を帯びて来た。許都の献帝は飾り物に過ぎない。
《蕭何の後継者・・・・と謂う政治的名声を、
今のうちから獲得して措こうとするか?》
ーー仲達のこの予想は、4年後に現実のものと成る。
《ーー”司
空しくう”曹操・・・・事実上の帝王だ。建安元年以来8年間、
”太尉たいい”の席を欠員のまま
放ったらかしているのも、いずれ、
【三公の官
制】(司空・司徒・太尉)そのものを廃止する為の、
遠大な計画であるのか・・・!》
今更ながらに、曹操孟徳と云う男の緻密さに驚嘆する司馬懿仲達
であった。《そうでなくては天下は取れまいな・・・ 》 仲達は又ひとつ
曹操から大きな教訓を学び取り、己<の胸に深く刻み込んだ。
ーー鐘や太鼓の大宣伝よろしく、やがて〔蕭何の子孫〕なる者が
見つけ出された。無論・裏では『蠍衆』が動いたが、表向きは一大
イベントとして、華やかに人々の耳目を奪わせた。
曹操は、その子孫に”安衆侯”の封爵を与えて見せた。
【その
時★★★】に向かっての、
用意周到な、世論操作であった。
今、曹操孟徳の、
天下統一への覇業が、ここ
業卩から始まろうとしていた!!
【第14節】 業 深き人面獣 (人に潜む獣) へ→