第258節
            曹 操 伝 3
 

                                         夫・曹操 を 語る
「本当に世話の掛からぬ人でしたわ」

「私生活では、身の廻りの事には 全く 無頓着な人でした。」


  
〜〜♪♪〜〜〜〜♪ 《テマソング》 〜〜♪♪〜〜


「あ
皆様こんにちわ。お久し振りで御座います。私この部屋の主・知ったか
ぶりっ子
で御座います。当 人気番組・降臨の部屋 へようこそ。本日は
ゲストに、三国時代最高の賢婦!と謂われている 魏国の正室様をお招き致します!」


 突然であるが、この節は テレビ番組風に 味付け してある。

「さあでは冥界との出入り口・オジャマタクシ魔方陣に御注目!


  此処で『 決まり文句 ナレーション』を被せる。

「会いたい 見たい 語りたい! 聞きたい 知りたい 探りたい! 歴史のヒ

 ヒロイン達に 直接 話は 聴けないものか!? そんな お望み 叶えまショウ!!
 歴史の過去から冥府から、死んだ筈だよ お富さん、生きて居たとは摩訶不思議!
 お釈迦様でも御存知ない。あの伝説の大英雄、偉人・賢人・有名人、はたまた極悪
 非道の大悪人、皆〜んな まとめて面倒みよう、見ちゃいまショウ。お任せ下さい
 任せなさい!! 我等がブリッ子・召還呪文〜〜!!」


「では、恒例の呪文、参ります!!」

 (×××× ○○○○ △△△△ ◇◇◇!)←
いずれ公開予定

「さあ御一緒に お客様 御降臨の瞬間をお迎え致しまショウ。」


  〜〜”ぽんッ♪”〜〜 ・・・あっさり出た。

            (何歳の姿で降臨したのか??なんて野暮な事は訊かない訊かない)




      ーーー スタジオの拍手に包まれてゲスト登場 ーーー
「本日のお客様、べん夫人で御座いま〜す!!」

「ご夫妻を揃って御招きする事も可能だった訳で御座いますが
今回は
『夫・曹操を語る』のタイトルの下、敢えて奥方様だけの御出演を御願い致しました。 御主人の 曹操様も当番組の趣旨を快く諒解され今日の運びと相い成りました。」


以下、シッタカブリィ嬢卞夫人との 間で Q&A 形式の会話が弾むのであるが、その前にチョットだけ筆者の解説を入れて置く。

糟糠の妻
。王の妃で在りながら、正に其の言葉がピッタリの三国志の女性と謂えばそれは此の卞夫人を置いて外には居まい

三国時代は 女性にとって影の薄い時代では在ったが、それでも矢張りずっしりと安定した其の存在感は 他国の王妃達とは比べものにならぬ程の重みが在る。あの大曹操が此の世に数多いる女性の中から選び抜き、己の正室として、その眼に叶った唯一の女性だけの事は在る。( 最初の正妻・丁夫人は、曹操が 地盤を固める為の 政略結婚 の色彩が強かった)20歳で側室に入り 爾来40年の間、曹操に連れ添った。曹操の死後 もう10年だけ魏国を見届けた後に、70歳で身罷う。
〔三国志・賢夫人ナンバ1〕の称号を贈っても好いであろう。




                      

「さて、この番組の進め方についてで御座いますが、私どもミにとりましては
何と謂っても 先ずお聴きしたいのは、大英雄の私生活、取り分けても大奥での言動に興味津々なので御座います。そこで最初は、そうした面をお覗いし、その後は御主人曹操様の年譜・ 年表に沿いながら話を進めてゆきたいと存知ます。で、その私生活面で御座いますが・・・」

「兎に角エネルギッシュで多事多彩。常に何か新しい事に興味を抱いては次から次へと、丸で少年が其のまま大人に成った様な処の有る人でした。ですから何十年連れ添って居ても決して飽きる事は御座いませんでしたわ 無論私の前だけだったんでしょうけれど」

「それで居て、ちゃんと余裕が有る・・・」

「其処が何時でも不思議なんですよね〜。私などとは器が違って居たのでしょうね。どんな時でも其れを愉しんで居ましたから」

「その器の大きさの根源は 一体どこから来ると 御考えですか?」


「未だあの人が群小だった頃に、ポロリと言った事の中に 其の答は在るのだと思います。」

ーー何と?」

「俺には天が付いている
・・・と」
「俺は天から命ぜられて此の世に生まれて来たのだ。だから俺は唯、只管に進むのだ。死ぬも生きるも、喰うも眠るも、勝つも負けるも全ては天命なのだから俺に恐れる物は何も無い。在るのは唯この先 俺自身が何う歩んで行くのかを知る と云う愉しみだけじゃ!と」

「そう謂う自負を抱けるか何うかが、凡人と英雄との分かれ道なのでしょうかね〜」

「時代が何時で在れ、そう謂う事だと思いますわ。」


「さて大へん高邁な御話しを御聞かせ戴いた後に、誠に不躾とは存知ますが、ここは同じ女性として是非 伺って置きたいのですが、あのその・・・」
(モジモジ

「まあ可愛らしい!真っ赤に成っちゃうなんて。あの事でしょ?

「ヤダ〜もう御夫人ったら〜。そうです、その事です。」

「閨房の事ですね。凄かったですわよ。でも私の場合は寧ろ精神的な結び付き・安らぎの場としての閨で在る事を心掛けて居ました。何せ1歩外に出たら周囲は敵だらけの緊張状況に生きて居た人ですから 文字通り 心身共に裸の姿を曝け出せる唯一の癒しの場にして差し上げようとしました。」

「例えば どんな事に 心を配ったのですか?室内の飾り付けだとか・・・?」

「若い頃から晩年まで人生の大半を馬上で暮した人でした。ですから 帰って来ても実用本位の暮し振りを崩さず、寝具なぞも『清潔で温かければ充分だ。刺繍など要らぬ』と謂う人でした。そんな調子でしたから個々の気配りより、先ず私自身が、あの人に対して絶対の愛情と信頼を抱き続ける事が全てだった!と申せましょう」

「銅雀台などの豪華絢爛なイメージとは随分ちがいますね〜」

「公的で対外的な物事とは正反対でした。その分と言いますか
 家族への情愛は深い人でした。」


「さて其の家族の問題ですが、奥の世界で最も重大な関心事は何と謂っても
後継者問題だと申せましょう。また古今東西いずこの例に於きましても、この世継ぎ問題に揺れぬ国は無い! と謂える程の難題です!まして一夫多妻の側室制度の時代・・・卞夫人ご自身の心配や不安も 相当なものだったのでは御座いませんでしたか?」

※卞夫人の入室は180年・20歳。
   187年には長男・曹丕、192年には末子・曹植を出産
(次男・曹彰は不明)

「女性の方から跡目の問題を切り出す事は断じて許さぬ!!あの人の姿には、そうした厳然たる方針が貫かれて居りました。」

「後半生で 曹丕と曹植を競わせたから抉れましたが、元々 曹家には跡目問題などは存在して居無かった訳ですよね。それが〔
曹昂の討ち死に〕で崩れ、次には〔神童曹沖の夭逝〕と 重なり、全く狂ってしまった・・・」

「ええその点で謂えば、あの人は可哀想な人でした。曹昂・曹沖どちらかが健在であれば私の子達には順番は巡っては来無かった でしょうから
・・・

「その捩じけた感情が、すんなり長子相続を認めさせなかった??」


「其んな事は無かったでしょうが、曹沖は余りにも抜きん出た
存在でした。ですから急に比較されれば見劣りもしたでしょうし曹丕は既に22歳でした。然も母親の眼から観ても、可愛らしさの点では曹丕は曹植には及ばぬ面が在りました。でも是ばっかりは生まれ付いての資質ですから本人には何う仕様も有りません」

「曹丕と云う人間の裡には、何処か鬱屈した暗渠が在る様に思われるのですが?」


「元々は2人とも父親に似て情が深く、とっても仲の良い美しい
兄弟愛に満ちた子等としてスクスク育って呉れて居たのですが


「その3兄弟の悲劇については『三国統一志』が程なく描く事と成っておりますので詳しくは其方を御覧いただく事に致しまして、次にお聴きしたいのは、一体ご主人・曹操様は 
何時の時点ら天下統一の大望を抱かれたのか!?の問題で御座いますが、奥方様の感じでは何時の頃からだと思われますか?」

「確信したのは矢張、官渡決戦勝利の直後だったと想います」

「まあ、あの時代、ひとかどの男なら皆、天下を狙ったとも謂える訳ですが・・・」

「尤も、その以前の〔献帝様の奉戴〕の時点で、既にその意欲は満々だったとは申せますわね。でも其んな答など誰にでも推測できる事ですわよね。・・・妻たる私の記憶では実際の処、もっともっとズッと早い段階、ええ確か董卓の専横が始まった時点で『漢は終ったな!』『問題は董卓の次だ!』とか『俺が生まれて来た意味が解った!』 などと申して居りましたから 私も密かに心を決めて居りました」

「そんなに早い段階からだったとは非常な驚きです!!我々と致しましては、其れをお聞き出来ただけでも、卞夫人にお越し戴いた甲斐が有ったと申せまショウ。」

「さて此処からは年譜に沿って御主人曹操様の事を御伺いして行きたいと思います。そこで、お茶の間の皆様方には先ず、こちらの年表フリップを御覧ください」


 ※
(208年までの詳細年譜は既出。ここでは要点のみを再確認)


200年→曹操、官渡決戦烏巣を奇襲し大勝利を得る(10月)
201
→許に帰還した曹操は汝南の劉備を攻撃。劉備は劉表を頼って荊州に逃亡。
     以後の7年間、 客将として脾肉の嘆を囲う事となる(9月)
202袁紹
死去官渡戦の大敗から1年半、失意の裡に逝った(5月)
203→兄弟は対立抗争を始め、破れた袁譚は何と宿敵の曹操に救援を依頼。
204
→半年に及ぶ包囲で業卩陥落(8月)曹操は冀州牧の地位に就く(9月)
205袁譚を攻撃して斬る(1月)、黒山軍が10余万の軍勢ごと帰順(4月)
206→袁紹の甥・高幹を討伐(3月)8月には東征に赴き海賊などを征討する。
207年→曹操は万里の長城を越え前人未到の大遠征を敢行する。

   「白狼山」の遭遇戦でトウ頓らを斬り、柳城に入る(8月)
   「柳城」から帰途に着くや公孫康は袁尚・袁熙の首を送って寄越す(9月)
208→大遠征から業卩に帰還。玄武池を造り水軍演習(1月)
 曹操丞相と成り一段と権力を集中させ独裁性を強める(6月)
  荊州・劉表征討の為に「南征」に赴く。途中、許都に長期間留まる(7月)
  廷臣の巨魁孔融を告発し、一気に処刑まで持っていってしまう(8月)
   折しも
劉表する。劉jが継ぐが家臣団の無条件降伏論に圧される。
 9月→曹操が州境を越えるや、劉jは使者を急派して全面降伏。かくて曹操は、
 荊州奪取成功。中国全土の4分を獲得。残すは江東のみ!

12月曹操は絶対の自信を持って、
     天下統一の実現へと船出した。


  但し曹操の生涯に於いて、その
最大栄光が、官渡戦大勝利だとすれば
   その
最悪の挫折・・・この
   →→ 赤壁での大敗北!!で在った。
          (200年10月の官渡決戦からは丸8年目の出来事だった)

「と云う訳で、矢張り最大の出来事は赤壁戦だった訳で御座いますが」

「はい。流石に あの人もバツが悪かったらしく、あの時は
 真っ直ぐ 私の所へは戻って参りませんでした・・・」

「なんか寄り道などして居た様でしたね」

「表向きは、疫病猖獗の為に船を焼き払っての撤退と謂う風に 伝えられましたが、そんな事 信じる者など誰1人居ません」

ーーで、どんな御様子でしたか?」

「存外にサバサバとして居りまして、『ああ負けた負けた!』と言いながら入って参りました。ですが 其れは余程の事でして、何時もは最初に戦の勝ち負けを口にする事なぞ在りませんでしたですから私も『済んだ事は仕方ありませぬ』と申し上げました」

「すると?」

「珍しく『儂のツキも此処までだったかな』と呟いたのです」

弱音を吐かれたのですかね?」

「いいえ。赤壁の敗戦よりも、あの人の歎きは・・・
 曹沖の夭逝に在ったのだろうと思います。」

「よほど溺愛されて居たのでしょうかね〜」

「あの人は具体的な事は一切申しませんでしたから、全ては私の推測・直感なのですが、取り返しの付かぬと云う点では寧ろ曹沖の方が」

「戦さの勝ち負けは取り返せるが、と云う事だったのでしょうか?」

「土台、同列には比較できぬ出来事ですし、場所が奥だったからこそ其の思いが一段と強かった面も在ったでしょう。ですから
感情の上からは 寧ろ 肉親としての歎きが先ず第1だったと思います。けれど 人事の及ばぬ寿命への慨歎感情は、時間の経過と共に薄めらてゆきます。その逆に 自ずからの人智が招いた赤壁大敗北の後悔の念は、時が経てば経つ程、いや増しにジワジワと あの人を慙愧の淵へと追い込んでいった様子で御座いました。」

己が人生の本筋は 飽く迄も 覇業の達成で在り、子への相続問題は枝葉に過ぎぬ!と云う原点への回帰に気が付いたのでしょうか?」


「取り返しの付かぬ痛手、痛恨の1敗だった事が、時間の経緯・即ち寿命との兼ね合いに照らして観た場合、その重大さが一段と鮮明に成って行くのでした。やり直しの効く若い時代とは異なりビッグチャンスは其の時ただ1度だけに限られるのですワネ」

「寿命との兼ね合いですか!私ども若い者には決して気付けぬ観点ですネ〜」

「然も後で考えてみれば、戦略的にも戦術的にも完全な己自身の判断ミスだった訳ですから、それは堪えたと思います。」

「自分自身の判断ミス!とは、なかなかに手厳しい観方ですね。」

「いえ誰が考えても不可しい遣り方でした。現に家臣団は
『そんなに急ぐ必要は無い!』と諌めて居た訳ですし」

「それを全く聴か無かった・・・その焦りの原因は 一体、何だったのでしょうか?」

「あの時点での後継は200%曹沖サンでした。私から観ても、いえ誰が観ても彼の飛び抜けた才能と人望は、天が地上に遣わせた神の童としか思えず、全く後継ぎに相応しい存在でした。」

「処が曹沖サンは虚弱体質だった・・・」


「ええ、ですから主人は曹沖には遠征など不要で内治・内政に
専念できる国の骨格を作り上げ譲り渡す必要が在ったのですね。自分の如き馬上暮しが続いては命を縮める。だから悠長に時を待つのでは無く、此の時点で一気に天下を併呑してしまう必要性を感じて居たに違い有りません。」

「然し現実は、その直前に曹沖サンは夭逝してしまいました」

「のちに曹丕自身から聞いたのですが、その悲報を知った主人は
常軌を逸してしまい、慰めに行った曹丕に向って、同じ父親とは
思えぬ言葉を浴びせ掛けたとの事でした。」

「後継ぎの眼が出て来て嬉しかろうとか何とか・・・」


「まあ、余りにもタイミングが悪かったとしか申せません。既に
100万を呼号する大軍団・大船団が機能を始めてしまって居た
時期でした。ですから曹沖逝去を知ったとて今更全軍にストップを掛ける訳には参ら無かったのですね。」


「敗北の直接原因と成った黄蓋ニセ投降については・・・?」


「その後の、純粋に軍事的な事は私には判りません。但、心理は普通正常では在り得無かったろうとは想像いたしますけれど」

「赤壁戦の前と後では、何か曹操様に、眼に見える様な変化が御座いましたか?」


「何だか、あの人、背中が小さく成りました
・・・。ハッキリと表にこそ出しませんでしたけれど、あの赤壁戦の結果を以って
自分の代には天下統一の夢は叶わぬ!と覚悟した様子でした」

「それも亦、貴重な証言で御座いますね!!」


「後から思えば 私たち夫婦は共に長生きした訳で御座いますがこの時代の常識からすれば、人は50をすぎたらもう いつ死んでも不可しくは無いので御座いました。ましてあの人は 当時既に55歳になる直前でした。ですから其の時点から、あと何年生きて居られるか?は 誰にも判らぬ状態でした。そんな折の決断でしたから、一気にケリを着けたかった気持には無理からぬモノが在ったのです。天下を統一したら統一したで、其処から更に何年かは相当な激務が待ち構えて居たでしょうからネ」

「それで大きく方針転換し軍事的な天下統一を諦め、政治的な魏王朝の開闢へ向って一種、見切り発車した訳で御座いますね?」


「見切り発車・・・とは如何にも言い得て妙な言い方ですわね」

「それにしても現代から観れば、曹操様が採った あの漢王朝に対する 慎重過ぎる程の迂遠な態度には、相当な驚きと同時に 些か 疑問さえ感じてしまうのですが。大曹操らしく、もっと一気にガガア〜ッと行ってしまっても良かったのでは無いのでしょうか??実際は結局、石橋を叩いても終に渡らなかった訳ですよね。人生最期の10数年は専ら其の事に費やされてしまった。それ迄の御主人様の人生からは想像も着かぬ様な弱気にも観えてしまうのですが」


「結局あの人の本質は教養人だったのですわね。教養人で在り過ぎたのかも知れません。いっそ董卓の如き野蛮さが在ったら面白かったのでしょうけど、その点は未熟だった頃の 徐州大虐殺の経験からスッカリ懲りて居ましたから、晩年には封印してしまったのです。尤も、臆病な位の慎重さも持ち合わせて居無ければ、天下人には成れる筈も無し。世を治めるとは、其う云う事でも在るのです」

「流石は覇王と共に苦労を積んで来られた卞夫人ならではの御言葉で御座いました。それでは以下、曹操さまの晩年・逝去まで
の話題に移りたいと存知ます。」

209年〜220年(55歳〜66歳)

   諦めた
統一王朝の夢
  魏王 誕生!!

         (皇帝寸前での停止)

赤壁戦で『天下統一の可能性』と『戦いの大義名分』の2つを同時に失ってしまった曹操には、もはや残された道は1つしか無かった。
壮大なる統一王朝の実現を断念しこじんまりした分裂王朝の樹立に甘んずる道であった。然し現実には其れすらも困難な対抗勢力が存在(孫権の呉)
台頭(劉備の蜀)した。そこで曹操の姿勢は攻勢から守勢へと後退せざるを得ず、軍事的にも右往左往して確固たる戦略が観られず、その精力は専ら「高度な政治手続き」・「手順の履行」に注がれ、其の推進に終始してしまう。大目標を失った晩年の曹操。其処には以前の様な溌剌した輝きは見られ無く成ってゆくのだった



「と云う事ですが、御主人・曹操様の 晩年に於けるハイライトは、何と謂っても
魏王昇進ですが、その事についての御感想を是非お聞かせ下さい。」

「本人は魏王への昇進と謂うより、魏国の濫觴と捉えて居た風で御座いましたねェ〜・・・

「魏王の前に”魏公”と云うステップを踏まれましたが、何とも斬新と謂うか
  悪知恵・奸智と謂うか?常人には思いも着かない様な妙手でしたが?」


「前例が無い訳でも無かったのですが、殆んどの者達にとっては『えっ!それって一体なに??』てな具合で、流石でしたわね」

「然し伏皇后を幽殺し其の2皇子を毒殺。我が娘を皇后に仕立てる辺り、もう最後は
 形振り構わぬ!と謂った切迫した感じですが・・・」


「いえ決して其んな切羽詰った感じでは無かったのです。実際は
 寧ろ時間を持て余し気味だったんですよね。」

「ほう?寿命も間近いと云うのに 時間が余るとは一体どう謂う事なのでしょうか?」


自分は魏王どまり!皇帝即位・魏王朝の開闢は我が子の代に!と決断した時点から、あの人にとって、時間は 在って無い様なモノに成ってしまったと申せましょうね。詰り、自分が死なない限りは魏王朝は実現しない、と云う自己矛盾・自家撞着の中に置かれた訳ですから・・夢の実現を目前にして、敢えて其の寸前で我執・野望を抑えねばならなかったのは複雑な心境だったと思います。ですから其の欲望・誘惑に負けぬ為には、順次逐一の昇進を味わいながらの道行きを選んだのでしょう。」

「な〜る程!!そう謂われれば確かに曹操様の実力からすれば何もチビチビと特権や殊礼を小出しに要求する必要は全く無く、何時だって好きな時に皇帝の地位を要求できたし、実現可能だったんですものねえ〜」


「献帝様ご自身も、とっくの昔に”王朝禅譲”の腹心算をされて居る御様子でしたし」

「ただ簒奪の汚名が恐かった訳では無かったのですね!?」


「まあ其れが あの人なりの我が子 曹丕への愛情の表わし方でも在った。辛い思いをさせて来た曹丕への、せめてもの思い遣り・罪滅ぼしの遣り方だった・・・と私は感じて居ます。」

「う〜ん、そう云う観方は矢張、御身内なればこその御感想なのでしょうねえ!!」



   〜〜♪♪〜♪〜《テーマソング》〜♪〜♪♪〜〜

「あらまあ、もう番組終了の御時間が参ってしまった様です。
 是れでお別れするのは非常に残念で御座いますし、未だ未だ、
 お聴きしたい事は山ほど在るので御座いますが、今回は此の
 辺りで
・・・。
 いずれ、皆様方には 此の
『降臨の部屋』が好評を博して 独立
 した暁に、より バージョンアップした形で 再会出来る事と
 思って居ります。

それでは皆様、ご機嫌よう〜〜。
思うわよ〜ィ・・・黶I!


〔第259節〕ダイナミズムの終焉・
曹操考(超世の傑!!)→へ