【第253節】
な、なにィ〜、関羽が・・・??
関羽が 斬られた、だと〜!!
劉備は絶頂から、一気に、奈落のどん底へと 突き落とされた。 思えば・・・・誇らし気に「漢中王!」の冠を戴いたのは今から僅か5ヶ月前の事であったのだ。その間の 〔歴史時間〕が 余りにも濃密で在った為、ついつい本書もアレコレ紙数を割いて来たのだが〔客観時間〕で謂えば、たったの5ヶ月前・同じ219年7月の事に過ぎ無かったのである。今は12月。
因みに、此の219年(建安24年)の出来事を”年表”風に謂えば
1月・・・・劉備、夏侯淵を攻め殺す。(漢中・定軍山)
5月・・・・曹操、漢中より撤兵。(鶏肋)
7月・・・・劉備、「漢中王」を名乗る。
同・・・・関羽、樊城を包囲。
12月・・・・関羽、斬られる。
以上なのである。ただ是だけの時間経過に過ぎ無いのである。 而して本書は、2つの章と 30の節を費やして、この間の経緯を描いて来ている。それだけ此の期間の状況が複雑で、同時多発的に錯綜していた・・・・即ち面白い展開だった訳なのである。が然し、その余りの紙数故に、ともすると、劉備が漢中王を名乗ってから〜関羽が死ぬ迄の期間が、恰も数年を経たかの如き錯覚を起し兼ねない。老婆心ながら喚起して措かねばなるまい。
と云う事はーー義兄弟とは謂い状、結局の処、
関羽は死ぬまで 蜀本国 (益州・漢中の地)へは
1歩たりとも足を踏み入れる事の無い儘に終ったので在る。つまり・・・・劉備や張飛・趙雲・諸葛亮達が暮して居る原風景を全く知らずに涯てたので在り、蜀の主要な家臣や部将の殆んどとも
面識すら持たぬ裡に死んだのである。 意外な感に打たれるが、事実・現実は其うなので在る。
こうした思い込みに因る錯覚はママ起こりがちだが、逆の場合も亦在り得る。実際には大ぶ時間が経過しているのに恰も「直ぐに行なわれた」かの如くに思われケースだが、実は( このあと 第3部で 描く事となるのだが )激怒した劉備が、関羽の復讐戦を実行した戦役が其れに該当する。この弔い合戦の決行は意外に遅く1年半も時間が経ってからの事である。然し、矢張り 其処には 其れなりの 已むを得無い事情が存在する。ーーその辺りも含め 今度は敗れて悲嘆に暮れる 蜀の様子を観てゆこう。
ーーと書いたが・・・・この書き方・表現には 些か”違和感”ないし
”抵抗感” を覚えるのは独り筆者だけでは在るまい。何か取って付けた様な、如何にも他人行儀を
取り繕った如き《空しい響き》に 聞こえてしまう。 何故なら、関羽は蜀本国からの支援が全く無い儘に孤軍奮闘し孤立の裡に涯てた!・・・のである。その実態を無視し、その実情とは懸け離れた態度で、急に関羽の事を思いやり、俄に悲嘆に暮れるのでは全然納得がゆかぬ!!
とは謂うものの、よくよく自問自答してみれば、その感情・違和感の生まれ来たる所以は矢張、
関羽自身の責任に負う処が大きいのである。ーーそもそも関羽は、〔孤立した家臣〕と謂うよりも、《 独立した君主》の如きで在った。関羽は 〔益州の一員〕で在ったよりは、寧ろ 《荊州の 主 》で在り続け、〔蜀の家臣〕と謂うよりも《劉備の相棒》と云う色合いの方が濃厚で在った。その事を、より実態にそぐう言い方に置き換えるとするならば・・・・恰も、
関羽と云う君主が荊州と云う国家を経営して居た!のであり、外交面では 劉備が益州で経営する蜀の国とは、強固な同盟関係を結んで居た・・・と観た方が、実態の本質に迫って居るかも知れない 程で在ったのだ。だから、先の領土拡張戦争も、関羽 (国)軍が独自で決行したもので在り、敗れた原因は荊州 国内からの援軍が来無かった為であって同盟国 ・益州の支援の有無では無かったのである・・・・少なくとも、関羽自身は其う思って居た筈である。最初から
其の覚悟で臨んだ戦役であり、端から蜀の支援なぞ当てにはせず、飽くまで独立採算の枠組内で始末を着ける腹心算の帰結で在ったのだ。必ずや、その打ち合せ・了解は、相互の間で事前に為されていなければなるまい。ーー故に見た目の上では 又 感情的には、何を今さら悲嘆に暮れるのだ!と云う気にも成るのだが然し、思い致せば
・・・・此の世で1番強く、今直ぐにでも 仇を討ちたい!と切歯扼腕して居るのは、外の誰でも無い、その劉備自身で在るのだ。
おのれ〜 孫権め、許さん!!
絶対 ぶっ殺してやる〜!!
劉備と云う人は、大らかで いつも 穏やかな人だった。
劉玄徳は、常に己を抑えて、沈着な振る舞いを出来る人で在った。時に臨み、変に応じて個人の感情を御し、大義を重んずる人だった。劉備玄徳と云う人間は、自分で設定した理想像に従って行動し、その言動の全ては、世の評判を意識したものであった。・・・・そう云う人生を 送り続けて来た人で在った。
だが、この時ばかりは 違った!!
いや、本来の姿・性さがに回帰したのだ!元々から有していた激情型の遺伝子に 火が着いて 炸裂したのである!!
〔仁侠道への原点回帰〕・〔荒くれ若親分への素性戻り〕・〔ヤクザDNAへの先祖返り〕ーー劉備の若き日・・・・せっかく手に入れた官職を剥奪に来た「督郵」とくゆうの館に押し入って引き摺りだすや 怒りに任せて督郵を杖で殴り続けた あの激しく猛々しい獣じみた場面を思い出してみて戴きたい。
『督郵、公事ヲ以テ県ニ至ル。先先 謁えつヲ求メ、通ゼズ。 直ただチニ入リ 督郵ヲ 縛ばくシ、杖じょうスルコト 2百。 綬じゅヲ解キ、 ソノ頸くびニ 繋つなギ、 馬杭ばごうニ 著つク。 官ヲ棄すテ 亡命ス。』 ーー(正史・先主伝)ーー
ドアを蹴破り、寝室まで押し込んだ。 (以下、第46節 からの抜粋)↓
「な、何をする!儂を一体、誰だと心得る。恐れ多くも皇帝陛下直属の督郵であるぞ!この紋所が眼に入らぬか〜!ええい、頭が高い!
控えよ、 控え居ろう〜!!」
「・・・そんな・・・デカイもんが・・・眼に入るかってんだよ。このタ〜コ。」
「バ、バカ!なぜ、へへ〜〜と這いつくばらんのだ?だ、だ、台本どおりにやれ!!」
「ーーあ・の・なあ〜。 水戸黄門は・・・中国には、居無いんじゃい!!」
ボカッ!! 「ひぇ〜〜!」
「何が、ひぇ〜じゃ!」 ボカ、ボコッ!! 有無を言わせず 縛り上げると、
表に引っ張り出した。そして馬つなぎの柱に括り付けさせると
劉備みずからが、持っていた杖で督郵をブッ叩いた。
「テメ〜、よくも俺等をコケにして呉れたな!」
1回、2回、3回と、思いっきりブチのめす。
「バカにするんじゃねえぞ、このヤロウ!!」
更に、繰り返しブチ続ける。一同、胸の痞つかえが取り除かれた様な、
スカッとした、爽快な気分だった!
「この野郎〜!大人しく下手に出てるとナメやがって!人を馬鹿にするのも テエゲエにしやがれ! 俺達を 一体 何んだと思っていやがるんだあ〜。 よくも此処まで、人を虚仮にして呉れやが ったなあ〜!!」
ーーだが・・・・そのうち、皆の顔が引き攣り始めた。 劉備の顔付きが異様に成っていた。理性を完全に失った劉備は、本気で叩き殺す心算の様である!!既に100回以上も、杖を振り下ろしていた。肥満した中年の督郵は、泣き叫んで許しを乞うが、若親分の眼付は ケダモノの様に残忍な光を宿し、形相が一変している。
「−−−!!」 流石の張飛もド肝を抜かし思わず関羽と顔を見合わせた。もう半殺し状態の督郵はグッタリして呻き声も挙げられない。それでも劉備は、更にブッ叩き続けていた。
かれこれ200回近い。
「ーー兄者、殺しちまったらヤベエんじゃねえのか!?」
「兄じゃ!もう、いいだろう!」
「−−聞こえて居ない・・・。」 常軌を逸した鬼畜である。
「兄者!劉アニイ!!」 張飛の、割れ鐘の様な大声に、ようやく劉備はハッと、我に返ったようだった。
《−−・・・これが、劉備玄徳・・・と、云う男か・・・・》
関羽は、今更の如くにつぶやいた。
ーーだが、そんな 激昂した姿など 見た事も無い 27歳の青年と出会った御蔭で劉備はアッと云う間に
「蜀の君主」・「漢中王」へと 誘われた。その人物こそ諸葛亮孔明その人であった。そして劉備玄徳と諸葛亮孔明との間柄は巷間 〔水魚の交わり!〕として余りにも名高い。だが此の2人の主従関係とは又別な、より濃密な人間関係が、劉備と云う人物の中には既に存在して居たのである。それこそ正に関羽と張飛との間に交わされた至高の人間関係・・・・〔3義兄弟の血盟!〕なので在った。そして其の両方の関係は互いに他を干渉し合う事なく、上手く調和されて劉備を支え、彼の人生の根幹を成して来て居たのである。
だが然し、関羽の消滅!と云う異常な現実に直面させられた今、その保たれて来たバランス感覚・相互尊重の姿勢は当の劉備自身が驚く程の凄まじさで、ガラリと 一変したのであった。 それは
理屈では無い。理論の世界では無かった。敢えて謂うなら、「純粋性 感情意識」が及ぼす
「感性衝動」、或いは「無意識行動に於ける精神作用の発露」で在った。
そして今・・・・その価値観・人生観こそが、劉備と云う人間存在の根源的出発点で在り、 究極に求める地平でも在った事を今更の如く 強烈に、劉備自身を奥処から揺さ振り、覚醒喚起させた!!のである。だから・・・・今から36年も前に誓い合われた、此の
〔3者義兄弟の血盟〕については、未だ39歳の諸葛亮は、飽く迄も”部外者”に過ぎ無かった。 こと此の
劉備・関羽・張飛トリオの仲に関しては 諸葛孔明と雖も 《御意見無用の聖域》なので在った。他人が口を挟む余地なぞ全く無い、《神聖な結界》・特に厳重な《進入禁止区域》なので在った。
ええ〜い、止めるな。止めるで無いぞ!
敵討ちじゃ!!仇討ちじゃ!!
呉へ復讐してやるんじゃ〜!!
劉備玄徳の生涯には多くの関係人物が存在し、また多くの家臣達が居る。だが今現在、本音の処を
有体ありていに言えば・・・・
劉備にとって 最重要な人間は 4人だった。その出会った順に言えば、関羽・張飛・諸葛亮・法正だった。
『益州を平定し終わると 諸葛亮・法正・張飛および関羽に 金各々5百斤・銀1千斤・銭5千万両・錦1千匹を賜り、その他の者には
夫れ夫れ格差をつけて恩賞を賜与した。』
この正史の記述は張飛の方が関羽より前になっているが、之が「張飛伝」であるからだ。然し、可愛さを別にすれば、矢張り関羽の方が重要度は上だったであろう。そして又、前2人と後の2人の間には全く別の価値基準に拠る重要性が存在していたのは歴然である。その事を証明するが如き存在が、此のツィンペアの中間に位置する 趙雲 で在ろう。出仕した時期もピッタリだ。が 然し、5人目となると、劉備の裡では最早、格段の差が着いて居た事は我々にも頷けよう。
その4人衆の中で、情と馴染深さの点に於いては筆頭の関羽が殺されてしまったのだ!!一体誰に、劉備の激越を押し留める事が出来ようか??・・・張飛は 劉備と一心同体に怒り狂って居るのだから、「煽り役」でこそ在れ、「諌め役」に成れる訳も無い。
国賊は 曹操で在って、孫権では 在りません!
魏をその儘にして先に呉と戦っては なりません先ず魏を滅ぼせば、呉は自ずと屈服するで在りましょう!ひとたび戦闘が交えられれば、直ぐには解く事が出来無いものです!
この言葉は、後に 劉備の出兵を止め様とする趙雲の諫言であるが、極く普通に誰が考えても、之が蜀の現状にとっては最も妥当・至当な判断である。何も殊更に、やれ冷静にだとか巨視的にだとかを言い出さずとも、至極当り前の時局観に違い無い。
口惜しいだろうが
此処は 一番、1国の君主たる者、個人的な感情を抑えて、天下国家の行く末を優先して考えるべきである。
今の蜀の実力では、軍事的にも経済的にも、呉と同盟して魏に対抗してゆくしか、生き残れる道理は絶無だったのである。
そんな事は、百も千も万も 承知じゃわい!!
「取るにも足らぬ様なワシを、此処まで導いて来て呉れた君に
対しては、随ぶん失礼な言い方に成るかも知れぬが・・・・」
と断わった上で、劉備は、諸葛亮に言い放った。この場には
2人以外未だ 誰も 駆け付けて来ては 居無い。
「我等3兄弟が 広い天下の中で出会い、共に歩んで来た事の
大切さ・時の重み・艱難辛苦ゆえの有り難さなどは、到底若い
君には実感できまい。」
言う裡にも、様々な場面や回想が次から次へと溢れ出て来ては、劉備の琴線を激しく揺さぶり続ける。
「君には済まぬが、我等3人が共に励まし合い、培って来た絆の強さ・縁の深さ・時の長さ・一心同体の重みなど、それらを全て融合した義兄弟と云うものの価値は、本当の意味では、3人以外の者には 決して分かるまい。」
殆んど叫ぶ様に、泣く様に、劉備は拳を震わせて天を仰ぐ。
「我等は3人で1人だったのじゃ!互いが互いの手足で在り、口と唇の関係で在り、心で在り、魂で在り、そして何より、自分自身の生き甲斐で在ったのじゃ・・・!!」
劉備は孔明を相手に、己の激情を吐露し、叩き付けてゆく裡に、その事を強く再認識して居る自分に気付くので在った。
《そうだったのだ!この俺が此の世に存在する意義は・・・・
コギト、エルゴ、スム
『羽・飛を思う、故に我あり』 なのだったのじゃ!!》
人は、貴重なもの程、其れを失った時、初めて其の大切さを 再認識する 愚かな生き物だと謂われる。今まさに劉備は、関羽雲長を失った事により改めて、その掛け替えの無さ・存在の重み・有り難さを触発され、哀しみと怒りと、そして復讐の炎に身を焦がすので在った。!!
「ワシが生きて来れた最大の原動力、その根源だった重愛な弟を、騙まし討ち同然に殺されて、それでも尚ジッと我慢しなくてはならぬ価値なぞ、断じて此の世には存在し無い!!世の中に、そんなモノが在って堪るかア〜ッ!!」
言う程に 益々 口惜しさ と 無念さが 湧き募る。 劉備は、その命を奪った孫権を憎悪する言葉吐き捨てた。
こう成った以上、もはや
何と 謂われ様と 構わネエ!
この劉備玄徳は、
何を差し置いても、
断じて 関羽の仇を討つ!!
絶対 孫権に復讐してやる!!
但し、この劉備の狂乱を鎮静させ、今まで通りの君主としての姿に立ち戻させる事が出来得る人物が唯1人だけ居た。その事が「正史」に記されているのである。それは法正孝直だった。彼の「伝」によれば、
『諸葛亮と法正とは性向が違って居たけれど、公の立場に立って互いに認め合って居た。諸葛亮は常に法正の智術を高く買って居た。先主が関羽の仇を討とうとして孫権を征討しようとした時、群臣の多くは諌めたが全く聞き入れ無かった。章武ニ年 (222年)大軍が敗北し、退き返して白帝城に滞留した時、諸葛亮が歎息して言った。「法孝直が健在だったなら、よく 主上(劉備)を抑えて、東征せずに済ませたであろうし、たとえ東征しても、きっと 危険を避け得たで在ろう のに・・・・!!」と。』
劉備が法正を信頼して用いる有様は、異常な程であった。何せ、劉備は この法正の御蔭で 益州を得るや、 自身の大義・正義を一時棚上げして目を瞑り、法正が瑣末な怨念に因る”私的な殺人”を犯すのさえ、見て見ぬ振りで見逃す程だったのだ。それを又、孔明もが看過して許す程で在った。
『法正は、以前に加えられた僅かな恩恵、ほんの一寸した怨みにも 必ず報復し、自分を非難した者数人を勝手に殺害した。或る人が諸葛亮に、
「法正は 蜀郡に於いて 余りにも 好き勝手を 遣りすぎて 居ます。 将軍には主君に言上
なさり、彼の刑罰・恩賞の権限を抑えるべきです。」
と言うと、諸葛亮は、こう答えるのだった。
「主君は公安(荊州)に居られた時、北方では曹公の強大さに脅え、東方では孫権の圧迫に気兼し近くは孫夫人が手元に在って変事を起さぬかと心配して居られた。
この様な、進退ともに儘ならぬ時に、法孝直は
先主を補佐して、ひらひらと空高く舞い上らせ、ニ度と 他人の制約を受けないで済む様にして呉れたのだ。どうして法正に思いの儘に振る舞ってはならぬと禁止できようか」と。』
法正は、劉備が生涯で出会った中で
秀逸の軍政家だった。 ことに軍事的な才能に於いては、断トツに抜きん出た ピカ1の家臣で在った。
(※ 断わって措くが、飽くまで劉備個人の 体験で実感した範疇に於いての 比較であり客観的な評価では無い。何故なら劉備は彼の存命中に限れば諸葛亮の軍事的才能を目の当たりにする事は唯の1度たりとも無かったのである。劉備存命中の孔明は、専ら参謀総長として、寧ろ後方で大戦略構想の要綱作りに携わって居たのだった。また益州・蜀を獲得してからは、両者の分業体勢が確率。作戦や戦術の軍事面は、地の利や人間関係に詳しい地元出身の法正が全面的に信任されて来たので在り、孔明は今度は国家経営の為の組織作りや内政問題に没頭して居たので在る。・・・・だから今の劉備にとっては唯一、体験的にも実証済みで全権を委任し得る相手が、そのピカ1の法正で在ったのだ。)
※この、呉に於ける人物評価については、陳寿の「評」が存在するものの却って後世では、此の陳寿の評価こそが
物議を醸す原因とも成っており、我々にも 其の参加資格が有る 訳では在る。
さて、その唯一の〔阻止可能者〕たる法正だが・・・・既述した如く今し重症の危篤状態に陥って居たので在る。そして 2度と立つ事あたわず、そのまま息を引き取って、此の世を去る直前の状況に居たのだった。軍師個人の寿命が、これ程までに国家に深刻な打撃を与えるケースは、他に殆んど例を見ないで在ろう。
尚、この【法正】に関連して〔3人で1セット〕として忘れてはならぬ人脈は【張松】・【法正】・【孟達】の3者で在る。その内、既に鬼界に入って居るが、”筋金入りの売国奴”として、劉備に益州1国を丸ごとプレゼントした黒幕が【張松】ーーその張松と親しかった法正は、計画実行の部隊長だった。そして、その法正と同郷で、一緒に益州に出仕した仲のポン友だったのが【孟達】・・・・法正の推挙で副将と成り、荊州は宜都太守を拝命。関羽の北上に伴って山岳地帯を並行して北上。房陵を占拠して関羽の側面支援を受け持った。だが己可愛さの余り、未だ勝敗の帰趨さだかならぬ状況で、関羽からの要請を断り続け、結局は 関羽を破滅に追い遣った”裏切り集団”の1人に名を連ねる。さりとて孟達に確固毅然たる方針が在る訳でも無く、現在は再就職先を思案中
《・・・・呉にすべきか??それとも魏にすべきか??》
白黒クルクルと思いが替わる、正に「オセロ将軍」の所以であった。但し、劉備から怨まれてしまった以上、蜀への復帰だけは在り得無い。ーーそして更に〔裏切り繋がり〕でゆくと・・・・その孟達の直ぐ脇の上庸で矢張り関羽を見棄てる行動を取ったのが【劉封】。孟達とは仲が悪く決して一心同体の盟友では無かったが ”裏切り集団”の1人に違いは無い。だが孟達とは異なり、こちらの劉封には自身の裡に「劉備の長男!」と云う意識が有る限りに於いては、未来への自由な選択肢は無かったとも謂える。養子とは雖も長い間、劉備の嫡男として育って来たのだ。
だから、その”親子の恩愛”に勝る如何なる理由・理屈の在ろう筈も無い!として、その情愛を唯一最大の拠り所とした、この劉備の長男・劉封は、程無くして此処・成都に帰って来る事となる。関羽の敗死に伴って叛旗を翻した、地元太守に敗れた挙句の事である。ーーだが当然の事として其の身の上はタダで済まされ様ハズも無い。劉封本人も、処罰は覚悟の上だったとしても、烈火の如く怒り狂って居る父・劉備は、一体、如何なる処置・処断を、〔養子の我が子〕に下すのか!?・・・・果して此の先に待ち受けて居る、蜀の人々の運命や如何に!?はたまた其処に現われて来るものとは何ぞや・・・!?
ーーやがて、義兄弟の片割れ張飛 益徳が、怒髪天を突く如き凄じい形相で「巴西」から駆け付けて来た。張飛は蜀へ進軍して来た最初から現在まで、終始一貫して「巴西」を任されて居る。成都からは北西200キロの距離に、郡都のロウ中=(門構えの中に良の字)は在るのだが、その道筋を単騎不休でぶっ飛ばして来たのである。そして其の剣幕たるや、恰も・・・・
鬣たてがみを 逆立たせて 荒れ狂う、
凶暴な 手負いの獅子 の姿で在った!!
何かと制約を受ける立場の劉備に比べれば、此の世で1番ストレートに関羽の死を哀しみ、激怒して居るのは 此の張飛益徳で在った!!だが今は、振り上げた鉄拳を振り下ろすべき敵の姿も無く、怒りの鉾先を叩き付ける相手の影すらも無かった。さりとて激怒・憤激は収まらず。故に 所かまわず 手当り次第に 八つ当りし捲くる荒れ模様・・・わざとドカドカ足音を荒らげ、訳も無く周囲に怒鳴り散らす。
玄徳アニィ、何をモタモタ やってんだよ〜!
出陣の準備だ!!
今すぐに 烽火を上げるんだ!
仇を討つんじゃあ〜!!
復讐じゃあ〜!!
関アニィの 敵討じゃ!
弔い合戦に 行くんだ〜!!
孫権の野郎を
八つ裂きにするんじゃ〜!!
己の上をゆく 張飛の狂乱ぶりに 出喰わした劉備・・・・それに因って、却って毒気を抜かれ、元の冷静さを 少しく 取り戻したのだった。
そして 今度は立場が一転。今迄の激越発言とは打って変わり、張飛の「宥め役」へと廻る事に逆転したのだった。
「気持は全く一緒じゃ。ワシとて今すぐ敵討ちに行きたい!じゃが実際には全てを放り出して直ちに動く訳にもゆかぬのだ。」
つい先程まで、諸葛亮が自分に対して懸命に施して呉れて居た諫言が、今度は丸ごと
受け売り状態で 張飛に向けられた。 だが 先っき迄の劉備同様に激昂した張飛は、そんな理由なぞ
てんで受け付けずに言葉の全てを弾き飛ばすのであった。
「そんな言い訳なんか糞喰らえだ!主君が弟の仇を討とうとする時、その為に命懸けで働くのが家臣の務めでは無いか!その為にこそ、名士連中は居るんだろうが!!普段お高く留まって居る連中は、こんな時にこそ其の存在価値を示すべきじゃ無えかヨ!
日頃から愛敬して頭の上がらぬ 〔名士層〕 に対する、鬱屈した反感が、つい口から飛び出す張飛で在った。己の憧れとは異なり、未だに名士社会への参入を認めて貰えぬ”失格者の烙印”を捺された憤懣が、全身に蟠って張飛の人格を暗いものにしてしまって居る。
「玄アニは本気で関アニィの仇を討つ心算が有るのかヨ〜!?
劉備玄徳にとって関羽雲長は一体何だったんだヨウ〜!?」
詰り、《俺は兄貴にとって何なのか!》を着き付けた 究極の問いで在った。
「おいらに取っちゃあ、関アニィは兄ィとは呼ぶものの、心の底じゃあ兄以上の存在、おいらの命に替えても惜しか無え、此の世で最も大切で愛うしい人間だったんだぞ〜!!」
張飛益徳、一世一代の真情吐露の場面で在った。
「それが決して口先だけじゃ無えって事を証明して見せるのが、今の俺に課せられ与えられた唯一無二の使命・道義・人情・・・・ああ〜、上手く言え無え〜〜!!だが、だがよう、この怒り・怨みは、関アニィの無念さを晴らしてやるのと一緒だ!!俺等が一心同体だった証拠なんだ!!」
張飛は、自分の感情を上手く表現できぬ 己の語彙の少なさと、そのロジックの下手さ加減に、なお一層じれて来る。
「おいらは言葉や理屈は苦手だ。兄弟の中でも断トツの馬鹿だ。長兄の様に博学でも無く、次兄の様に「左伝」を暗誦する程の脳味噌も無え。でもでもよお、馬鹿にゃあ馬鹿にしか持て無え正直・誠ってえモンが有るんだわい!!命を擲ってでも果す約束。何を差し置いても行なう義理。それが此の世で1番の宝だと信じて生きて来たんだ。ーーだから今すぐ、断じて仇を討つ!!
・・・・要は、唯それだけの事じゃ無えのかい?玄徳アニィ!!」
思わぬ張飛の長台詞に驚きつつも、それが心の底からの魂の
叫びで在る事を識る劉備は、そんな張飛に感動しながらも、兄として諭す様に答えた。
「ああ、そうだとも!お前の言う事は全て正しい。ーーだが、遣るからには果さねばならぬ。勝たねば何の意味も無い。破れて返り討ちに会うなぞは其れこそ天下の笑い者、恥っ晒しに成ってしまうではないか。だから、勝つ為に必要な時間だけは呉れ!美事、兄弟の仇を討ち果す為の猶予だけは欲しい。そこの処は解って呉れるな??お前だとて、事が不首尾に終るのでは口惜しいだろうが。」
張飛の眼球には大粒の涙が盛り上がり、今にもドドッと噴き出しそうに為って居る・・・・。
「いいな、今、俺とお前は御互いに、自分の全人生を賭けて誓い合おうではないか。可能な限り速やかに、そして必ず関羽の仇を討つ!!と。」
「ホントだな!断じて決行するんだなッ!?」
「ああ、するとも。しないで置くものかアッ!!」
ーーかくて此処に・・・・互いに固い約束を交わした
2匹の復讐鬼が、その不退転の決意を誓い合い、更なる怒りの焔を燃え立たせるので在った!!
だが此の2匹のうち、後から来た方の鬼は本当の処を謂うならば
・・・・己の沽券に懸けても、人の前で泣き顔など絶対に見せられぬ為に、此の世で唯1ヶ所だけ其れが許される、「鬼の泣き場所」を求めに遣って来たのだ。如何な張飛・鬼とて、即刻の出兵など出来る筈の無い事は端から分かり切って居た。だが、だからこそ尚の事、張飛は此処で憤懣を爆発させるしか無かったのである。
直後、身も世も無く男泣きする張飛の慟哭が、蜀の大地と天空を震わせた・・・・
関アニィ〜〜〜!!
雲長アニィ〜〜・・・・!!
ーーなぜに筆者は、不必要な迄にクドクドと、張飛の内面やらを描こうとするのか??・・・・その理由は・・・・いずれ彼の身の上に訪れる事となる、
余りにもショッキングな 張飛の最期・その死因に触れて置きたいが故である。詳細はその時に(第3部にて)描くが、事が異様なだけに是非にも今の内から、其の遠因に迫って措く必要性を感ずるからである。ーー関羽は殺された後、胴から離された首だけが、敵国・魏に送られたが・・・・
張飛も亦、殺されるや、その首だけが敵国・呉に持ち出されるのだ!!! 比喩では無く実際に、配下の諸将に「 寝首を掻かれて」 涯てるのである。ーー即ち、
劉備の義兄弟は 2人共が、選りに縁って、複数の味方に裏切られ、最も哀れ無惨な死に様たる
〔首なしの 骸むくろ〕と成り果てて逝くのである!!
2人共が以短取敗、 短たんを以て敗はいを取るのだ。それを総括して 正史・陳寿は 理数の常なり! と記すが、
その詠歎・慨歎だけでは読者諸氏とて、とても納得は致し兼ねられよう。吾人をして亦、何をか謂わん哉!!・・・・である・・・・
その張飛だが・・・・一体いつから、何が原因で、この様な
”狭量な了見の持主” に成り果てて しまったのか??
この253節の最後として、その事を若干だけ想起して措こう。
飛ハ・・・・小人しょうじんヲ 恤あわレマズ。
この正史のワンフレーズこそが、張飛の精神構造・行動原理を
解き明かす上でのキイワードで在る。そして更には、其の前提・前段階を成すのが、
飛ハ 君子ヲ 愛敬あいけいシテ、の前置・但し書きで在る。
即ち、飛 愛敬君子、而不恤小人。
上からの眼ばっかり気にしてヘイコラして居る癖に、己の部下に対しては些かの思い遣りも無く、手前の持ち場に帰った途端に
踏ん反り返って厳しく当る嫌な中間管理職さながらの姿で在る。
思い起こせば、今から23年前・本書第49節の「大放浪始まる」の原因を作ったのも、この張飛の不恤小人がキッカケであった。ーーあの時、徐州牧だった劉備は迷った・・・。
《 関羽と張飛のどちらを、守将として下丕卩に置き残し、どちらを連れて南下すべきか・・・・?》
両者を較べれば、やはり最も信頼出来るのは、関羽である。
・・・・と、すれば、主眼は戦さに在るのだから、戦いの方へ関羽を連れて征く事になる。必然、張飛は守将と成る。
《・・・・大丈夫かな・・・・?》 と、一瞬、不安が頭を掠めた。何しろ張飛は、考え無しにカッとする処が、出会ったばかりの、若い頃から既に在った。関羽の如き〔人間力・器で人を納得させる貫禄〕 が、今以って身に付いていない。それを意識してか近頃は折節につけ、益々その威圧・暴力化傾向(ドメスティック・バイオレンス) が明から様に成って来ていた。それも、上の者には腰が低いが、同格か、下の者に対しては、やたら当たり散らす性向が露われて来ている。関羽とは正反対なのだ。2人が一緒に居る時は、互いに欠点を相殺し合って丁度良いが、独りずつになると 夫れ夫れの欠陥が、モロに出てしまう。劉備がそれを補って来ていた。・・・そんな張飛が独り残され、手持ち無沙汰に酒でもくらえば、何か部下と一悶着起しそうな気がしてならない。酒の飲みっぷりでも、関羽と張飛とでは、その趣が丸で違っていた。2人ともケタ外れの酒豪だが、関羽は酔い潰れる様な呑み方は絶対にせず、アルコールが廻っても決して己の矜持を崩すような、無様な姿は見せ無かった。イイ酒飲み=酒徒であった。一方張飛はと言えば浴びる様な呑み方で、呑めば呑むほど眼が据わった。その席に目上の兄達 (劉備・関羽)が居ればそうでも無いが、 張飛独りの場合は相手構わずに絡み付いた。それも口論だけなら未だしも最後は必ず暴力沙汰で相手をブチのめしてしまう。決してイイ酒飲みでは無かった。寧ろ酒狂の部類に属していた。それやこれを思うと、イヤな予感さえして来る。そこで劉備は、わざわざ張飛を呼び出してキツく釘を刺して措く事にした。
「張飛よ、お前はもっと部下に情けを掛けるべきだ。聞けば、すぐ兵士を鞭で叩き、しかも彼等を常に側に仕えさせて居るとか・・・・これは危険な遣り方だ。よいか頼んだぞ!我等の留守中は、とりわけ身を慎み、将兵達の心を一つに纏めるよう心掛けて欲しい
そう言い置いて、劉備・関羽の兄達は南へと出陣していった。
ーーと以上の如く、本書は第49節と云う早い段階で「この正史の記述」を用いたのではあるが、ハッキリ謂ってフライング・・・・読者を納得させんが為に、筆者が敢えて”先出し”しまった誤謬・蹉跌である。さもしくて御恥ずかしい限りなのだが、正史本来の意図する処は寧ろ、晩年の、今の張飛にこそ当て嵌まる劉備の説諭・戒め・諫言なので在る。
羽 善侍士卒、而驕於士大夫。
飛 愛敬君子、而不恤小人。
先主常戒之曰、 「卿 刑殺既過差、又 日 鞭撻健児、而令在左右。此取禍之道也」。
『羽ハ 善ク 卒伍ヲ 侍チテ、 士大夫ニ 驕ル。
飛ハ 君子ヲ 愛敬シテ 小人ヲ 恤レマズ。
先主 常に 之を 戒めて 曰く
「卿ハ 刑殺 既に 過差に して、
また日々 健児を 鞭撻して、左右に 在らしむ。
此れ 禍いを取る の 道 なり」 と。
蓋し、張飛の資質・性向の中には、既に初期の時点から、こうした傾向は濃厚であったとは謂えるだろう。然りとて、此の1例を以って本質の全てと為すのは些か早計との謗りを免れぬ事は自明の理である。畢竟、張飛生来の”先天的資質”も然る事ながら、後天的に付与・獲得されたであろう因子・要素も大きい筈である。
前出の本書・第49節でも、その外因に少しだけは触れているが不充分すぎる。・・・・
人生も佳境を過ぎ、ほぼ終幕も見えはじめた現時点に於いて、張飛益徳と云う人物を支配して成立させている彼(己)自身の人生感情・所感は・・・・最近の彼自身の口癖で謂うなら、
「クソ面白くも無え!」 此の頃なので在った。・・・・それを
もう少しマシな言葉で解説せばーー晩年習熟期に付与された、自分への評価に対する腹立たしさ・憤懣・鬱屈と、それを認めざるを得無い現実!!自身の限界に対する慙愧・ヤケとが、己の体内で自家中毒・撞着を起し、その憂さの捌け口を求めて、末期症状の暴力的言動を取らせて居た、ので在る。
くそ面白くも無い世の中・限界に対する達観・捨て鉢気味な無聊・丸で此の蜀の地の気候の如く、晴れる事の無い憂さ・・・・
それ等の因子が、生来の粗野・粗暴傾向に加えて上乗せされたものだから、今の張飛からは底抜けの明るさも失せ、其処には最早かつての愛すべき素朴さの面影なく、ただ酒にクダを巻いては暴れるだけの、険呑で手に負えぬ「栄光の残滓」だけが抜け殻として存在して居たに過ぎ無かった。
《ーー俺はもう、御払い箱の用無しか!?》
《ーー俺は今や、徒の過去の人なのか!?》
それならいっそサッパリと諦観して、違った方面で己独自の境地を開拓し、其方の方向に歩めば善さそうのものだが・・・・それが出来ぬのが又、張飛と云う器に独特な”ケレン”で在った。そして終に、生涯、その己のジレンマから脱却する事が出来得無かったのが、張飛と云う男の狭量さ、彼の人間的限界で在った、と謂うべきであるのだろうか!?
ーーその険呑さについては、張飛と云う人間を此の世で1番よく識る劉備の直感が、その危うさを敏感に察知し、彼に非常警報を発して居る程で在ったのだ。三国志の中でも有名な、関羽と張飛の人格を記した1文・・・・
関羽・張飛皆称万人之敵、為世虎臣。
羽報交曹公、飛義釈厳顔、並有国士之風。
然羽剛而自矜、飛暴而無恩、以短取敗。
理数之常也。
関羽・張飛は皆、万人の敵と称せられ、世の虎臣 為り。
羽は曹公に報交し 飛は義もて厳顔を釈し 並びに国士の風有り。
然れども、羽は 剛にして自ら矜り、飛は 暴にして恩無く、
短を以って敗を取る。理数の常なり。
羽 善侍士卒、而驕於士大夫。
飛 愛敬君子、而不恤小人。
先主常戒之曰、 「卿 刑殺既過差、又 日 鞭撻健児、而令在左右。此取禍之道也」。
先主 常に 之を 戒めて 曰いわく、
「卿けいは 刑殺けいさつ 既に 過差かさに して、
また日々 健児けんじを 鞭撻べんたつして、左右に 在らしむ。
此れ 禍わざわいを取る の 道 なり」 と。
張飛益徳を粗暴にさせたもの・・・・それは世の中への不貞腐れ・
懸命に努力したにも関わらず、その成長ぶりを全く認めて呉れぬ世の中への憤り・・・・その憤懣が鬱屈した形で、八つ当たり的に「下の者達」へに向って粗暴化した言動・・・・
それが『飛ハ小人ヲ憐レマズ』の正体で在るに違い無かった。
無教養な環境に生まれ育った、下層小市民を代表する張飛が、生涯抱き続け、そして終に叶う事の無かった夢・憧れ・・・それこそ「名士社会への参入!」で在ったとはーー余りにも豪傑・単細胞とされる張飛のイメージとは懸け離れて居る。だが・・・・巷間、関羽に対する、彼の実像と虚像との乖離が漸く指摘され始めた近頃で在るのだが、実はその乖離現象の甚だしさは独り関羽だけの事では無く、この張飛益徳の虚実にも亦、大きな落差・ギャップが存在して居るのである。
ーーいずれにせよ、今し関羽の復讐を誓い合う劉備と張飛の義兄弟なのだが・・・・
嗚呼その誓った筈の弟は、復讐戦に臨む事すら叶わぬ儘に、終に其の生涯を終えるとは!!
【第254節】 戦い済んで 陽が暮れて
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