【第248節】
崩れゆく 偶像

                                       兵士から見放された英雄

食い物じゃ・・・何か軟らかい食い物を兵達に遣って呉れ!」
それが
曹仁の第1声であった。 
「よくぞ、よくぞ忍ばれましたなあ〜!!」

150日にも及んだ関羽の包囲網を辛くも解消した魏軍。徐晃はギリギリの処で何とか樊城の曹仁らを救出できた。
かたじけなし!心の底から礼を申す。」だが助かったとは謂え、はんの城内は惨憺たる様で在った。城に入った徐晃ら援軍の者達は愕然と眼を見開き、思わず息を呑んだ。もはや誰1人として健全な者とて無く、みな立つ能うことすら叶わず、その精魂尽き果てた
凄惨な姿は、正に”幽鬼”そのもので在ったのだ。
「おい、しっかりしろ!」極限状況を生き抜いて来た兵士の中には安堵感から逆に此の瞬間、死に捕えられる者すら在ったのだった喜怒哀楽の表情さえ失った生命体だけが、其処ら中に転がって居た・・・・その苦闘を思い遣って危うく涙が零れそうになる徐晃ら解放軍の将兵。
「ワシ等・・・本当に・・・助かった・・・のじゃな??」
抱き起こされても尚、力無く虚ろな眼差しの城兵達。
「ああ助かったんだぞ!もう安心じゃ!故郷
クニに帰れるんだぞ!」

「ザマ〜無いわ。」
へろへろの曹仁、粥を貪る様に啜った後の感想だった。

「ふへ〜、今度ばかりは流石に参った。本気で飢え死を覚悟したぞい。」
「おっつけ夏侯惇・張遼将軍の大軍団も”合肥”から到着するとの事。もう絶対に安心で御座いまするぞ。」

「へん、今頃ノコノコ遣って来おって。相変らず惇らしいわい。」

「うほっ、その憎まれ口が出る様なら、曹仁どのは健在じゃ!」

「おお幾等でも言って遣るわい。死んでたら言えんかったからの〜」
ワハハハと一同に漸く笑い声が起こった。

「取り合えず、我等の仕事は此処までで御座ろう」 と徐晃。

「呂常(襄陽城)の方は何うなってるんだ?」

樊城と同時に包囲され水没した対岸の”襄陽”だが、川幅が広過ぎて此処からは視認し得無い。

「あちらは巨城で堅塞。備蓄も万全ゆえ、放って措いても未だ暫くは大丈夫で御座ろう。関羽も今さら手を出せず、横目で見ながら通過するしか有りますまい。ですから事実上、今を以って魏の戦は終ったと申せましょう。」

「フム、後は呂蒙の御手並み拝見と洒落込むか?」 と曹仁。

そこで諸将を呼んで、今後の方針についての意見を求めた。

※ その辺りの経緯を『正史・趙儼伝』に観て措こう。謂う迄も無く趙儼とは、徐晃の参謀として曹操が付けて寄越した逸材。

(大会戦の結果・・・・)関羽の軍が撤退したのちも、船団(水軍)は尚もベン水(漢水)を占拠しており、襄陽は完全に断ち切られて居た。その時、孫権(=呂蒙)が関羽の輜重を襲撃して奪った。関羽は其れを聞いて、直ぐに退却して南に向った。
曹仁は諸将を集めて会議を開いたが、みな「今、関羽の危惧に付け込んで、是非とも追撃して虜にすべきです!」 と述べた。
だが趙儼は主張した。
「孫権は、関羽の連戦の苦難に付け入って其の背後を襲う心算ですが、関羽が救援に引き返す事を懸念し我が軍が彼ら両軍の疲弊を利用する事を恐れて居ります。それ故に従順な言葉で奉公を願い出、隙に乗じて変化を利用し我が軍の力を監察しようとして居るのです。いま関羽は既に孤立退却しましたが、あらためて彼の存続を許し、孫権の眼の上の瘤として措くのが宜しいでしょう。今もし逃走を深く追撃すれば、孫権は関羽に対する方針を改め、我々に対して災厄を惹き起こす事に成りましょう。王(曹操)は此の事を深く考慮されるに違い有りません!」そこで曹仁は戦闘態勢を解いた。はたして太祖は、関羽が逃走したと聞くと、諸将が追撃する事を心配し、至急に、趙儼の画策どおりの内容で、曹仁に命令を下して来た。
詰り、魏軍側の戦闘は、此処に於いて終りを告げた訳である。

「それにしても、改めて・・・・関羽と云う男は、類い稀なる武将で在ったぞい。まあ怪物!と謂っても良かろうかな・・・・。」

「その”大関羽”は今、どんな思いの中に居るのでしょうかな・・・」



嗚呼、もう1人の俺が、俺から遠退いてゆく・・・

馬上に身を揺られつつ そんな空疎な体感が全身を覆って居た。其れが所謂、挫折感・屈辱感と云うものなのだが
関羽雲長 にとっては此の60年間の生涯で初めての体験直後だけに、未まだ自身が何う対処したら善いのかすら判ら無い儘で在った。 だが この乖離感は決して不条理では無かった事が、彼の死後、徐々に判明してゆくのである。

《此の1事にして、俺の全ての栄光が光を失い、崩れ去ってゆくのか・・・・》 慙愧痛恨の思いだけが今更の様に、空しく関羽の胸裡を吹き抜けてゆく。
ーー茫然として立ち尽くす明日・・・・
《もう、取り返す事は出来ぬだろうな・・・・》
力と自信に満ち溢れた過去の自分。

「此れから何う為さいまするか!?」
耳元で言われた関羽、ハッと”現実世界”に戻った。

「先ずは水軍を派遣して、関平ら離散した部隊を迎え取ろう。未だ無傷の部隊が可也在る。その帰りを待って合流すれば、必ずや再起は可能じゃ。歩兵は失ったが、騎兵はほぼ完全に残って居るのだ。充分やれる!!」

内面とは裏腹な強気な言葉が口を吐いて出た。実際、その通りで在った。制海(水)権を持たぬ徐晃の追及と勝利は、漢水の北岸迄であったのだ。関羽軍を撤退させて樊城を解放し、曹仁を救出しさえすれば、その目的は達せられたのである。それで十分!一時は許の遷都すら考慮させられた関羽の勢いを食い止め、元の形へと撤退させたので有るから、何も大出血と引き換えで、無理に関羽軍を”殲滅”させる必要迄は無いのだった。

「此処で野営して、四散した味方の目標と成ろう。1日2日待てば可也の兵が集まって来よう。夜は派手に火を燃やして目印を作るのじゃ。」
べん水(漢水の別名)の南岸は、取り合えず ”安全地帯” で在った。襄陽の城内には魏の呂常が籠城しては居たが、撃って出て来る程の兵力は持たぬ。そして関羽軍も一敗を喫したものの、未だ未だ万に近い兵力を保って居たのだった。更に其処へ、関平率いる先鋒軍1万が、囲頭屯営の守備軍と一緒に成って戻って来れば関羽の手持兵力は3万に回復する・・・・往時の3分の1に激減、損耗率だけで謂えば「ほぼ潰滅!」の部類だったが、3万あれば未だ充分にやれる兵力である。・・・但し問題は3万人分の兵糧と数千頭分の馬飼料であった。念の為に備蓄基地を南岸に設営して在ったから、直ちに苦境に陥る事は無いにせよ、何時迄も留まり続ける事は出来ぬ状況で在った。ーー大々的な焚き火で暖を取りつつも、12月の夜風は関羽の背中に冷たかった・・・・

「ああ糞〜ビ芳の奴め!あ奴の裏切りさえ無くば、こんな目に遭わずに 済んだものを!!還ったら絶対、八つ裂きにして呉れるぞ!!」
若い
関平は歯軋りして口惜しがった。そして此の敗戦の原因を、後方支援者達の裏切り・不忠の所為だと信じて疑わ無かった。

『一旦帰国して、捲土重来を期す!!』

それが1敗を喫した関羽軍の、今後の誓い・合言葉と成った。再集結を果し、3万余の大軍団に戻った 荊州の将兵達は 皆その関羽の言葉を信じて疑わ無かった。

「関羽様は無敵じゃ!関羽様は絶対に負けない!・・・だから俺ん等は只、関羽様を信じて付いて行けば善いんじゃ!!」

「んだ、んだ。関羽さまは”生き神様”っちゅう噂だって有るくれえだによ!」

庶民は単純明快を好む。ーー『強いから正しい。』 と 『正しいから強い。』 この全く異なる次元の論理が、極く当り前に同一視され疑われない。だが何時の世でも、この 〔人気〕 とか〔支持率〕なるモノは”鵺 ぬえ”の如くで 正体が無い。 片方で世の人は、それを
”不敗神話”とか”常勝伝説”と呼び始め、関羽雲長は既にして〔生きて居る偶像!〕に成りつつ在った。・・・・だが又その一方の現実では・・・・
「そんでもヨ、デカイ声では言え無えけんど、神様なら何で負けたんだ??不可しいじゃねえか!神様が負ける筈ねえべや!?」

「馬鹿、そこが未だ完全な神様じゃ無えトコだろが。生き神様なんだから、味方の裏切りに遭やあ、やっぱ負ける事だって有るんだわい。だけんども其処は神様だから、最後は絶テエ勝つ事に決まってんだ!!」

「だども、幾ら生き神様でもよ、もし還るお城が無けりゃあ、結局は人間に戻っちまって、最後にゃあ負けるんじゃ無えべか??」

「江陵のお城が、へえ降参しちまった・・・てえのは本当かも知ん無え!?オメエは其う思ってるだな??」

「んだ。あの呼び掛けの人柱の中にゃあ、オイラの知った顔は無かっただども、言葉つきなんか、あれが丸っきしの芝居だったとも思え無えだ・・・。」

「まさか、そんな事は無えずらがヨ、関羽様オラ達に嘘こいてるだかも?」

「ーー兵達は最早そんな事まで言い合って居るのか・・・・。」

「兵士達を誰よりも愛しておいでの父上が、その彼等から一瞬でも、そんな風に思われてしまうのは口惜しいでは御座いませぬか。此処は1つ、是非にも公開の使者を立て、事の真偽を確かめさせるべきで御座いまする。」

「ウム、その使者なら既に出して有る。はや帰着する日限だ。」

「では其の使者の口から直接、兵士達に事実を喋らせましょう」

「端から其の心算じゃが、あ奴等の事じゃ。事実かも知れぬ・・・」

「それなら其れで、仕方無いでは御座いませぬか。全ては天の命ずる所。我々は唯、現実に見合った策を立てれば宜しゅう御座いまする。」

「ーーその方、何時の間に、其れ程に成って居たのじゃ・・・・。」

「父上から初めて戴く御褒の言葉と受け取らせて戴きまする。」

「ワシは兵士に嘘を吐いたり、其の場を誤魔化したりして迄、生きさらばえ様とは思わぬ。わしは老いても尚、恒に関羽雲長で在るのじゃ!!」

「その御言葉を聴き、私め甚く感動、安堵致しました。何んな事態に成ろう とも此の関平、父上と共に御一緒させて戴きまする。」

「まあ、そう急くな。お前は 若い。今後 まだ未だ、幼君を支える、お前にしか出来ぬ新たな大任が待って居よう。父とは別な道を
歩むが良い。」

「ーー・・・・。」

「それに付けても返す返す悔やまれるのは、人事の件であった。いっそ関平、お前を江陵の鎮守に据えて置くべきで有ったな〜



その、関羽からの使者を迎えた「江陵」の呂蒙・・・・

「もはや我々には誰に対しても秘匿すべき必要なぞは何も無い。だから何処へでも自由に出入りして構わぬ。また一切の規制も施さぬ故、存分に見聞きし、北へ戻るが宜しかろう。」

関羽の使者を前に、呂蒙の態度は飽く迄も鄭重であった。

「全てを有りの儘に見てゆくが善い。民とも面談し彼等から自由にものを聞いてゆくが善い。そして帰ったら、此処で見聞きした事を有りの儘、皆に伝えるが善かろう。だからワシの方からは改めて言う事は何も無い。」

呂蒙からフリーパスを得た使者は、早速にも農家を歩き廻って其の実態をつぶさに観察し同時に農民達の声や気持を収拾した。蓋し此の時点では未だ、使者は〔関羽軍の敗退・撤退〕を知らぬ。又この使者が誰だったのか具体的には判らぬが、つい何ヶ月前までは此処・江陵に住んで居た文官だった事だけは確かである。寧ろ呂蒙よりも農民との付き合いは長かったのであるーーそんな使者は、やがて見聞が進むに連れ、農民達の変貌ぶりに驚き、内心では呂蒙の施策・善政に舌を巻き、すっかり呂蒙の人物に傾倒する事と成るのだった・・・・。

社会の底辺で国家を支える農民達に学問や理屈は無いが、その代わり、為政者の言動に対する、鋭い直感・本能的な嗅覚が備わって居る。
《自分達に向けられる施策は、果して本物なのか!?それとも、一時的な 見せ掛けなのか!?》
《一体、今度の長官様の 我々への態度は、どの程度の本気さ
なのか!?》 《新しい太守様は、果して信じられる人物か!?》

自分達の暮らしと命に直接関わる事だから、その見極めには
必死の判断が伴う。そして的確に相手を読み取るので在った。

「城内の米倉を見せてやるのじゃ。」。

呂蒙は近隣の村おさ達を集めて城内へ招き、彼等が血と汗で納めた年貢の、最終的な姿を拝ませた・・・のである。

「おお〜!!」

「これは戦さの為の”備蓄米”と云うものじゃ。だがワシは之を関羽との戦さの為では無く、違う戦さの為に使い切る覚悟じゃ。」

「ーーもう1つの戦さ?・・・・で御座いますか??」

「そうだ。農民の”ひもじさ”や、民衆の”貧しさや”と云う此の世で1番手強い、而して真の敵との戦さに使う決心じゃ。」

流石に村長を務める者達だけあって、呂蒙の言葉に関心を示した。そして何より彼等を強く惹き付けたのはーー占領直後から今日に至る迄、呂蒙が実践して来た誠実な福祉優先政策の実績で在った。単なる口先だけの宣伝では無く、篤い本物の呂蒙の姿勢こそが彼等の心を揺さぶったのである。

「戦さが無ければ元々この備蓄米は民の物なのだ。だから今から之を皆んなに平等に、家族の人数や実情に応じて配給する事と致す。」
「ま、誠で御座いますか!?」 今迄でも、兵士が3人1組で困窮家庭に派遣され親身に成って世話を見て呉れて来て居たのだ。その上さらに、特別配給までを実施して呉れると謂うのである。

「驚く事は無い。元々の持主、即ち、お前達に返すだけの事じゃ。関羽との戦争さえ終れば、是れから先もズ〜ッと続けられる事なのだ。だから皆も、1日も早く戦いが終わる事を祈って呉れ。」

「祈るだけでは無く、ワシ等でも御役に立つ事を是非させて下されませ!」

「そうじゃ、そうじゃ。こんな有り難い治世をして下さって居る事も知らずに、今でも関羽の下で戦って居る俺等のおっ父や兄貴に、いま直ぐ兵隊を辞めて返って来るように説得させて下され!」



現代なら差し詰め「公共の福祉政策」とも謂い得る、此の呂蒙の徹底した
〔温情統治〕は、決して手練手管や一時の思い付きから生まれたモノでは無かったのである。・・・実は、その民に向う姿勢が本物で在る所以は既に彼の幼少期の中に芽生えていたのであった。・・・・呂蒙が嘗て”スーパー餓鬼ンチョ”だった頃の事ーーやられた相手が勘弁料(みかじめ料)や上納品を献上して来るのを、何時しか当然の事と思い始めた矢先の事であった。
お零れを頂戴した同年代の少年が其れを決して自分では食べず必ず家に持ち帰ってゆく姿を見て、ハッと気付いたのだった。家には多くの家族がひもじい思いで暮らし、病んだ父母が苦しんで居るのだった。
《可哀想に・・・・》 そう思い遣る優しい心根が在った。
《己独りだけが好い思いをして居ては済まない・・・・》

その優しさと労わりの心が、誰に教わるでも無く芽生え、やがて終生の心情と成ってゆく。呂蒙とて極貧の庶民家庭。その苦しい事情は少年時代の呂蒙にも痛い程よく分かるのだった。以後の呂蒙は
同じ悪ガキでも、弱い者の事を心の片隅に忘れぬ悪ガキに変容していった。そして単に思うだけでは無く、ケンカ三昧の陰では実際に人手を集めては、困窮甚だしい者達を手助けしたり、援助を施す事を厭わなかった。殆んど手に負えぬ暴れ者では在ったが、何処か憎めぬ温かさが人々を安堵させたのは、そう云う一面が潜在して居たからに他ならぬ。ーーその生来の優しさが、のちに開花する 〔呂蒙の原点〕 と成って来て居たのである。

《何時か出世したら、皆と一緒に好い思いをしたいものじゃ・・!》 
それを男児の本懐だと思える様な成長を遂げてゆく呂蒙。
 

「関羽の”義侠”」
とは 似て非なる「呂蒙の”温情”」ーそれこそが、呂蒙をして《賢人の領域》へと誘う 〔原風景〕なので在った。だから荊州の庶民・農民達は、付け焼刃では無い、歳月に培われて来た其の本物さを感知感得したので在る。

此の年の荊州は、疫病の猛威に見舞われ、民草の困窮は尋常では無かった。だから尚のこと一層に、呂蒙の温情統治は領民の心に沁み渡ったのである。「正史・孫権伝」に拠れば・・・・
此ノ歳、流行病がハヤリ、荊州ノ住民ノ租税ヲ全テ免除シタ。


「御配慮によりまして、十二分に得心のゆく見聞が得られました。直ちに北へ戻って、私が見聞きした有りの儘を伝えまする。」

この氏名不詳の【使者】、一廉の人物で在ったらしい。別れ際に溜息混じりで個人の所感を述べた。

「或る村長の言葉が心に残って居りまする。」 「ほう〜?」

「生きとし生ける物に不滅は無い。況して為政者の栄枯盛衰は有為転変。思い至さば、関羽様の治世は10余年、我等の暮らしは50数年。先祖を含めれば何百年にも成る。・・・・もし此の世に永遠不滅のものが在るとするなら、それは常に底辺で国家社会を支え続ける、名も無き民の暮らしだけで在ろう。どなた様で在れ、所詮、時の為政者は其の一時期だけの根無し草。其処に暮らし続けるしか無い我ら農民にとっては只の旅人に過ぎぬ存在。決して過大な期待は抱かぬものである・・・・と。」

「現実に根付いた、重い言葉よの〜」



関羽からの使者が北方へ戻った直後の事であった。ーーその事を知った村長達が大挙して呂蒙に面会を求めて来た。

「将軍様に御願い申し上げまする。どうか、どうか、私達を北の戦地へ行かせて下され!!そして我々の口から直に、兵士と成って戦って居る息子や孫達に、生きて帰って来るように説得させて下されませ!!」

「誠に失礼な物言いながら、1日や2日、其処いらを見聞しただけの御使者さまの言葉だけでは、真実味が伝わりませぬ。」

「兵士達の親身に成れるのは矢張、我ら以外には御座いませぬ」

「どうか、ワシ等を行かせて下され!我が荊州の息子達を無駄死にさせぬ為で御座います。荊州の妻や子、親兄弟を悲しませぬ為で御座いまする」

「今迄とは違い、こんな有り難い暮らしが出来る様に成った事を教えてやりますだ。そうすりゃあ皆んな、安心して飛んで帰って来ますだ。いえ絶対に帰らして見せまするだ。そして平和な田畑で一生仲良く暮らしますだ。」

「んだ!折角の善政も、死んだり傷付いたりした後じゃあ受けられ無えだ。じゃによって何が何でも今すぐ説得しに行くだ!」

そんな必死の申し出を受けて、呂蒙は些か戸惑った。

「何と有り難い申し出かな!だが老人や女子供にはキツイ道のりじゃぞ?全員が車に乗って行く訳にはゆかぬが、それでも行って呉れるのか?」

「1歩間違えばワシ等は今頃みな、否応無しに戦争難民と成って食い物も当て所も無く、襤褸を纏った裸の足で原野を彷徨い、野垂れ死の憂き目に曝されて居たのです。其れに比べたら、こんな嬉しい道行の一体何処に不満なぞ在りましょうや!」

「希望者を募った処、寝たきりの老人や3歳の子供まで含めた、その全員が強く志願して居りますのじゃ!」

「それ程迄に、荊州の者達は皆、呂蒙様の優しい人柄をお慕いし、その温かい施策の永続を信じて疑わぬので御座いまする!」

呂蒙としても無血の状態で終戦を迎えるのは理想の姿であった。

「よし、皆の心情はよ〜く分かった。説得の為の〔平和部隊〕・武器を持たぬ老人と女子供による〔平和軍団〕を結成し、北方に出発させよう!」

「では、その規模は如何程と致しましょうか?」 すかさず副官が訊ねた。

「いま直ぐだとすれば、何人の移動が可能であるか?」

「は、五百〜1千人で在れば、何とか明日にでも出立可能かと」

「ーーいや、1万にしよう!」 「えっ!1万で御座いまするか!」

「どうせ遣るからには、五百や千では互いが知り合いに巡り会う可能性は如何にも低い。実効性・確実性を高める為には1万で行こう!!」

度肝を抜かれた副官が思わず呂蒙の顔を見直した。

「これはレッキとした重大作戦である。心して掛かって呉れ。食糧や輜重はケチらず、城内に有る備蓄を今こそ使え。必要なだけの備蓄米と車を準備せよ。この戦いの為にこそ使わずして、何で彼等に顔向け出来ようか!」

実は此の直前に、大ニュースが飛び込んで来ていたのである。

「みな聴いて呉れ。今し方、北方から重大な報せが入った。その中味は、皆にとっては必ずしも朗報では無いかも知れぬが、戦局に重大な変化が起きた様じゃ・・・実は3日前、関羽軍は大敗北し今は漢水の南岸に撤退した模様じゃ。」

「関羽様が破れた?ので御座いますか!?」

俄には信じられぬ情報で在った。

「岸部に追い詰められた荊州の兵士の多くが、溺れて死んだとも謂う・・・」

「ええ〜っ!それでは尚のこと急がねばなりませぬ!もう是れ以上の死人や怪我人を出しては為りません!!」

「皆の衆、直ぐに発とう。一刻の猶予も為らぬ事態じゃぞ!」



 
「おい、聞いたか?江陵が呉に降参したのは本当らしいぞ!」

「江陵だけじゃあ無え。南郡は全部が呉に降ったちゅう事じゃ。」

「要するに、関羽様にゃあ、へえ帰るトコが無えってこった!」

「だとすりゃあ、いま死ぬのは馬鹿らしいぞ。」

「考えて見りゃあ、劉備様にしたって、俺ん等にとっては結局は余所者だ。そんな余所者の為に何で俺等が戦って死ななきゃならねえんだ!?」

「そうだよな。俺等の様な下っ端の兵隊にゃあ出世も軍功も全く縁は無えんだし、戦って死ぬ理由が無いわな〜??」

「ーーーシッ!将校が来たぞ。」

「何をしてるんじゃ。集合じゃ。出発するぞ!」

「一体、何処へ出発するんですかい?」

「南へ向うのじゃ。」

「じゃあ故郷へ戻るんですかい!?」

「いや、今度は呉軍と戦う為じゃ!」

「南郡は呉に降参したと謂う話ですが?」

「だから戦って取り戻すんじゃ!」

「自分達の故郷で戦うのですか??」

「呉茶呉茶言うな。兵隊は黙って命令を聴いてれば良いんじゃ!

「何でえ何でえ、今までは”生き神様”とか”軍神”だとか謂われて来たらしいけんど、本当は只の人間だったんじゃ無えんか??関羽様は・・・・」

「どうも怪しい・・・・とオイラも思えて来た。1回や2回の敗北なら未だしも、味方の城が全〜部、次々に無抵抗で降参しちまうなんざあ、如何にも不可しいじゃ無えか。生き神様と崇められるんならそんな事が起こる筈が無えじゃんかよう〜!?」

「実は関羽様只の人だったのか!?」
 
【第249節】麦城孤影・最後の思い
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