【第242節】
   じん エヌ ピー
人 N P  ナンバー 1 の 男
                             

 個性派ぞろいの三国志・部将列伝の中でも、人間的な伸びしろ・その成長幅=いわゆる〔人間成長率〕人NPが 最も
大きかった人物・・・・それは
であろう。何せ此の世に「文字」と云うモノが在る事に気が付いたのがスッカリ大人に成ってからで、将校に昇進しても名前すら書けなかった。そもそも10歳にして既に180cmを超えるス餓鬼ンチョだったが、3度の飯よりケンカが大好物。13歳の頃には近隣のやくざモンを悉く凹し尽してしまうと謂うトンデモナイ悪ガキだった!挙句、ケンカ相手が無くなってしまったので戦場に紛れ込んで勝手に大暴れの大活躍。而して無学を馬鹿にする上官を叩っ斬って逃亡、と云う破天荒ぶり!!

だが それから2 5・・・その超悪ガキは成長し続け、遂には呉国総司令官と成ってあの大英雄関羽を追い詰めて捕えそして・・・斬るのである!!その上役目を終えるや彼自身も亦42歳と云う若さでサッサと此の世を去ってゆく
真に以って絵に描いた様な鮮やかでゴタな 短い生涯!!
彼こそ正に三国志を代表するドリーミでユニークな部将である然しながら古来より””の評価は不当に低く 且つ描かれ方も御座なりに過ぎ無いのが常である。何となれば、彼の属する国が「演義」では最も影の薄い【呉】だからであり、況してや演義の主役・関羽を罠に嵌めて殺した悪玉であるのだから其の筆致の方向性は謂わずも哉であろう。
そこで我々は、その〔演義の悪意〕を改め、彼を有りの儘のスケールで追跡し、その
人NP(人間成長率)が如何に驚異的であったかを再認識しつつ、同時に今まさに彼の指揮の下に始められた 関羽討滅戦の 壮大な進展ぶりを観ていく事としよう。蓋し彼が其の遠謀深慮に拠って終に大英雄関羽を破滅の淵へと追い詰めてゆく様は、敢えて言うなら
天網恢恢疎にして漏らさず!と絶賛し得ようか。
ちなみに悪ガキから猛将へ、更には
賢人の域にさえ到達した呉国総司令官とは・・・呂蒙子明その人である

思い起こせば
・・・・洟垂れの頃から向うっ気が強く、何より喧嘩が大好きで、物心ついた時以来、1年中、身体に青アザの絶える事が無いと云う、近所でも評判の暴れ者であった。 何せ齢10歳にして既にガタイは180cmを超えると云う スーパー餓鬼んちょ
そのうえ困った事には オンギャーと生れ落ちた時からの熱血DNA! ジッとして居る事が大の苦手で兎にも角にも常に身体を動かして居なければ納まらぬ。詰り、常に自己エネルギーを放出して居無いと頭が変に成ってしまうのだ。(変に成る程の脳味噌が在るとは 到底 思え無いのではあるが) そして其の手っ取り早い”放電方法”が喧嘩だったのだ。それも出来るだけ強そうな、ずっと年上のアンちゃん達をめっけては、5対1とか10対1とかのシュチュエーションを好んだ。吹っ掛けられたアンちゃん達は押し並べてガラの悪い剣呑な人相が選ばれた。素手が信条?で、相手が凶器を取り出しても蹴りと拳だけで応戦する。また背後から棍棒で頭を叩き付けても、蚊が刺した程の反応も示さず、嬉しそうにニッと笑って「面白れ〜!!」と感動する。ガタイから見て、まさか相手が未だ123歳ガキンチョだとは誰も想わない。兎に角、目ッ茶苦茶つお〜い!!のだ・・・そのパワーは人間離れしていて、腕っ節自慢のアニイ達が束に成って掛かっても、丸で赤子扱い。
「ま、参りました!!勘弁して下さい。どうか御勘弁を!!」
凹凹にされた大の兄イ達が土下座して許しを乞う。

「ダ〜メ!未だオイラもやもやしてるんだ。スッキリするにゃあ、
                        あと5〜6回は付き合え。」
「ゲ、ゲゲゲ・・・そ、そんなア〜〜!!何でも欲しい物は差し上げますから、どうか堪忍して下さ〜い!! (ヒクヒク) 」
泣き声の相手は最後には貢物を献上して事を収めようとする。

「そいじゃ、あと2〜3回にオマケしておこうかな。そん代わり絶対手抜きすんじゃ無えぞ!それからな、次の相手を必ず探して措くんだぞ。で無きゃ、詰んないけど、又お前達が相手だかんな。」

「め、滅相も有りやせん。絶対に探して措きますデス!はい!」

そこは未だガキンチョ。金品の強奪が目的では無いから、精々腹一杯の飯でも喰えれば、それで大満足。無理は言わない。
「別に。何も欲しい物なんか無えヨ。」
と言って、そのまま立ち去る事も間々あった。

「まっ
阿蒙ったら、又、喧嘩したねお前まさか、弱い者イジメ
して、人様に迷惑かけてんじゃ無いだろうね

母一人の苦労家庭・・・・其の
母親も威勢が良い。ちょっと油断して居ればゲンコが飛んで来る。だから此の”悪ガキ”、半分及び腰体勢で答える。
「おっ母あ、オリャそんな事はしねえズラ。」 この異様にデカクて大食いの悪ガキも、その小柄な母親だけには辛っきし弱い。女手1つで貧しかった分、母親の苦労と愛情は骨身に沁みて感じて居たのだ。それが呂蒙と云う人間の”温かさの原風景”であった。

今は呉(江南)に住んで居るが、元々は汝南郡の富陂が呂家の本籍地。父親の死去に因り生計が立ち行かなく成った母は未だ幼い呂蒙の手を引いて、娘の嫁ぎ先を頼って江南の地に身を寄せて来たのである。だから母親の言いつけだけは絶対に守る。それが悪ガキの唯一の救いでは在った。果して将来、その庶民の心根こそが、呂蒙の人と成りに重要な因子(隠し味)と成って働き、他の将軍とは1味も2味も異なる「細やかな情愛と気配り」に基いた温情政治の素=即ち「賢者的要素」を醸養したと謂えよう。

然し乍ら 此の時点での母親には 一抹の不安も有った。確かに今の処は精々食い物どまりで納まっている。だが、是れが長じて物欲や金品の旨味を識った時にはどうなる成るか!?
とは言え、我が子をよ〜く観察して観れば、母親はホッと安堵の胸を下ろすのだった。御本尊に邪念・悪気は丸で無い。ただ無性に暴れたいだけの様子である。己自身もて余し気味の、持って生まれた猛々しい血潮が騒ぐのに違い無かった。

《・・・・暴れてえ〜〜
        フルパワーをブチ撒けてえ〜!!》

何とも物騒なガキであるが、近頃では喧嘩相手が居無くなってしまった。目星しい処は全部のしてしまった結果、辺り一帯恐れを為して唯々諾々である。 《ーーツマラねえなあ・・・・。》 
そこで此の悪ガキ、喧嘩相手を探している最中に、ふと閃いた。

《そうだ
もっとデカイ 喧嘩が有るじゃねえか
!!

ーー軍隊だ!! 兵隊に成って 戦場へ行けば、其処では何の遠慮もせずに思う存分相手を凹す事が許される。否むしろ大暴れすればする程褒められ、その上褒美まで貰える!と来たもんだ。
《ウヒ!そりゃ堪らんわな!!》
《エヘ、これで思いっ切し暴れ捲くれるぞ〜♪♪》
俄にルンルン気分に昂揚した
15歳の悪ガキ。だが其処は未だ世間知らず脳天ホワイラーだから、一体どうやって軍隊に入ったら良いのか分からない。
「やっぱ軍人の兄貴に頼み込むしか無いかな〜?
因みにその義兄(姉の夫)のケ当とうとうであるが
・・・折しも江南は2代目孫策が【呉の建国戦争】を開始したばかりの怒涛の真っ只中だった。そこでケ当は一念発起して孫策軍に馳せ参じたのだ。このケ当の詳細は伝わらぬがひと簾の人物だった様で孫策から直ちに〔部将〕に取り立てられ、最後は〔別部司馬〕=別動軍司令官の任に就いている。
→→
この事(姉との縁組)から憶測するなら、呂蒙の父親(呂家)は寧ろ本籍地の界隈では存外に高名な武人で在った可能性が高い。だから実は、呂蒙のガタイと資質の中には、其の大物DNAが密かに組み込まれていたのに違い無いだとすれば母親も亦当然ながら教養人で在った事となる
更には又
呂蒙が軍隊入りを望んだ真意についてもデカイ喧嘩をしたいのが唯一の目的だった! とするのは些か筆者オチャラケ過ぎとの謗りを免れまい。その事を承知の上で(既述の引用も含め)筆を進めよう。


さて、齢
15歳と成った悪ガキ・・・・その義兄に,無理矢理頼んで、元服の真似事をして貰い、イッチョ前に子明と言う”字”を付けて貰った。
「兄貴、そいつア何て読むんだ??」

「是れはな、シ・メ・イ・・・だ。その謂われはな・・・・言ってもムダか。まあ、お前に言っても無理だとは思うが、元服したんだから、せめて自分の姓名くらいは書ける様にして置くんだな。」

「あ、それなら御心配無く。」 「ほう〜、名前は書けるのか!」

「いや、そうじゃ無くて、この辺りじゃ、俺の名前を知らん奴なんて居無えから大丈夫って事さね。」

「−−・・・・・。」 「そんな
些細な事よりさあ・・・・」

と、この悪ガキ、いよいよ本題を切り出した。

「兄貴、俺も元服した事だしィ〜、兄貴の
軍隊に入れて呉んなよ。俺りゃあもう、小っせえ出入りにゃ飽き飽きしてんだ。な、何とか頼まあ。歳は満たねえが、どっかの隅っこで構わねえから、潜り込ませて呉んねえか?ね、ね、ね、お願いしま〜す!ねえ〜、ア・ニ・ウ・エ・様あ〜〜!! (ウフ、ゴロニャ〜ン・・・・)。」

「気、気持のワリイ声出すんじゃ無い。」 義兄のケ当は、孫策軍の将校を務めるプロの軍人であった。日頃から、この義弟の所業については、ガキンチョの母親から常々、「何とか大人しくして居る様に、お前さんからシッカリ意見してやってお呉れなよ!」 と、頼まれていた。

《ま、町中で人様に迷惑がられるよりはマシと云うもんか・・・・。》 

そこでケ当は、一本クギを刺して措きつつ、取り合えずは様子を観る事とした。
「・・・そうだな・・・。体はデカいし力も有るんだから、ま、いいか。但し言って置くぞ。
いくら図体がデカくてもお前は未だ10歳を4つ5つ出たばかりなんだから暫くは〔見習い〕だ。実戦には連れていかん。せいぜい後方の荷物運びの役目をして居ろ!それで、いいんなら考えてやろう。・・・・どうだ?」
「は〜い、解りましたア〜♪♪」

「・・・・あ・の・なあ〜、戦さは遊びでは無いのだぞ。そこ等のゴロツキ相手の喧嘩とは訳が違うのだ。命の遣り取りなんだぞ。矢もビュンビュン飛んで来る。斬れば返り血が3メートルも噴き上がる。腕や足の無い死体がゴロゴロしておるのじゃぞ!辺り一面が血の海じゃ!!」
「ひぇ〜、おお恐わ!ボクちゃん小便チビリそうで〜す。」
「フム、その点は、よ〜く解って置くんだぞ!」

「は〜い、その点は、よ〜く解って置きま〜す!」


ジェンジェ〜ン解って居無〜い・・・・此の悪ガキにとっては戦争も喧嘩の大型版・・・・位にしか思って居無い。丸っきり軽い乗りである。
《ま、この俺でさえ、初めてナマの戦場に出た時には、ビビったもんだ。世間知らずのガキンチョには、ちょうど良い薬に成るこったろう・・・・。》

ーーで、この阿蒙改め子明と成った悪ガキ・・・ケ当と約束した通り、輜重隊の人足として、おとなしく義兄の尻にくっ付いて従軍した。
処が、いざ、敵 (山越) とぶつかり、白兵戦と成った時・・・・

お〜い、兄貴イ〜!」 
《−−・・・・!?
その聞き覚えの有る
能天気バカ声に、《もしや!?》と振り返ったケ当は仰天した。 矢玉が降り注ぐ最前線のド真ん中に
、”阿蒙”(子明)の野郎がニコニコ手を振って居るではないか!!
あ!馬鹿、何で此処にお前が居るんだ!?
「チャハハ、どうも道に迷っちゃったみたい。何とか逃げようとは思ってんだけんど、何故か僕ちゃんにも判らないの。」
バカ、アホ、直ぐ戻れ!逃げようとする奴が、選りに選って、こんな乱戦のド真ん中に居るな

「やだなあ〜兄貴、今更そんな硬い事、言わねえで呉んなよ。ねホラ、これ兄貴への手土産にしてお呉んな。たぶん大将のも入ってると思うよ。」
申し訳なさそうにゴソゴソと開けて見せたズタ袋の中には な、な、何と、敵の大将首が3つも入っていた!!
「お、お前、何処で・・・・!?」

「何処って?此処でだよ? 済まねえ兄貴。だってよう〜相手が
こ〜んな顔して掛かって来っからさあ、仕方無かったんだよ・・・」
両手の指で顔の皮をツッパってこ〜んな顔を再現して見せるアホガキ・・・・
「−−・・・・!!」此れにはプロ軍人のケ当も、流石に舌を巻いた。とても13・4のガキとは思え無い。無鉄砲だが、肝っ玉が据わっている。この修羅場でも、全くブルって居無い。
「ホントずら。こっちにゃあ、そんな気はジェンジェ〜ン無えのにさあ、つい出来心で手が出ちまったんだよ・・・・。」

「・・・あ・の・なあ〜・・出来心で、敵の大将首なんか取るな!俺らプロの軍人の立つ瀬が無いじゃねえかよ。」
「ス、スンマセ〜ン!兄貴との約束やぶる気は、フントに無かったんだからさア〜・・・・。」

《ーーひょっとしたら、トンデモナイ大物に成るか・・・・?》
            
だが未だ15歳にも成らぬ子供である。調子に乗り過ぎて命でも落とされたら、母親から永久に恨まれる。そこでケ当は一応、母親から再度厳重に、ぶっ太いクギを刺させる事にした。この当時、呉の地方は格別に母系制社会規範の色合が濃く、母親の存在は絶対だったのだ。然も母子の苦労家庭だったから、呂蒙の母親思いの心根だけは、常人の何倍も強かったのである。
「このバカタレ!あんだけ無茶すんなと言い聴かせたのに、未だ分かんないのかい!おっ母の言う事が聞けないんなら、罰を与えるよ!」 
母親も気性の激しい、市井の女であった。
「いいかい阿蒙。おっ母あはな、お前の事が心配で心配で、夜も眠れないんだよ。今もし、ここでお前に死なれでもしたら、後に残されたおっ母は、独りで一体どうしたらいいんだい・・・・。」

初めは腹を立てて居た母親であったが、最後は涙声に成っていた。悪ガキも、どうも此の母の涙だけには弱い。
「ーーおっ母あ、泣かねえで呉れよ。おっ母あの気持は、俺にだって分かってるさ・・・。でもよ、でもな、男には男の考えってモンが有るんだよ・・・・。」 流石の悪ガキも、しんみりして言った。

「俺も男として、何時までもこんな貧乏暮らしの儘、賤しい境涯に燻って居る訳にはいかねえと思ってるんだよ。 軍隊に入って、
ひょっとして手柄を立てりゃあ、”富貴”ってえもんが手に入る。
おっ母あは危ねえ事すんなと言うけどよ、昔のエラ〜イ将軍様はこうおっしゃって居るんだぜ。『
虎穴に入らずんば虎子を得ず!』 ってね。解って呉れよ、おっ母あ!
俺はもう、こんな惨めな暮らしから、おさらばしてえんだ・・・・。」

何処で聴き齧ったか、イッチョ前に、【班超】の故事など持ち出して、悪ガキなりに本音を吐露した。
《まあ一体何時の間に、こんな事を言い出す様に成ったのか!》

マジマジと我が子の顔を覗きこむ母親。丸で亡き夫の口癖そっくりの言い様ではないか・・・・〔男児の本懐〕・〔男の生き甲斐〕・・・ケンカ三昧の日々の中から、武人のDNAが目覚めたのであろう。
母親ハ、其ノ心根ヲ哀レンデ、其レ以上ハ何モ言ワ無カッタ。』  

ーーだが・・・・この悪ガキ・・・・
入隊すると間も無く、人を殺めてしまった。
「・・・・兄貴、やっちまったよ・・・・」入営直後から、年少で学も無い阿蒙を小馬鹿にし続けて来た、ムカつく野郎が居たのである。
「お、穀潰しの阿蒙チャマのお出ましだ。ヘ〜ン、この小童っぱに何が出来ると言うのだア?腹ペコ豚にムダ肉を呉れて遣ってるだけでは無いか!目障りだから向うへ消えな!」
その小役人が義兄 (ケ当)の部下だったから、兄貴に迷惑を掛けまいと、ずっと我慢して来た。この悪ガキに今迄は「我慢」などと云うモノは存在し無かったのだから、大した進歩である。 だが、それを見越してイイコトに其の日も亦、しつこい嘲笑で、彼を辱める。 

ーー
阿蒙が、ゾロリと抜刀した
「な、何だ、貴様。上官に刃向う心算か!?」
「ーーー俺が・・・抜いたら・・・・斬る!!
ワッ、よせ、バカ!すまん、冗談だ・・・・と後ずさって逃げ出すのを真っ向唐竹に、ズンと斬り下げてしまった。文字通りの真っぷたつ
・・・・憤怒の籠った分、凄まじい切り口であった。だが此処は戦場では無い。手柄どころか
殺人罪である。然も、直属の上官を殺してしまったのだ。
「取り合えず俺は、同じ邑出身の鄭長さん家(ち)へ逃げる。だが俺は、絶対、悪くねえかんな
この後、校尉の「袁雄」に取り継いで貰い、出頭して自首した。
間に立って弁明して呉れる者が居て、(氏名は記されていない)、此の事件が孫策の耳にまで届いた。孫策は、この一件を捨て置かなかった。軍紀にも関わる事として、みずから其の当人を呼び出して引見した。

「なんだ、未だ子供ではないか。詮議に及ぶ事も無かろう。許してやれ。」
・・・・と、此の悪ガキ、主君の前に出て居るのに、全く悪びれ臆する風も見せず堂々として居た。 余りの能天気ぶり孫策はもう一度まじまじとガキンチョの顔を覗き込んだ。

「ほう〜なかなか良い面魂ではないか。
  気に入った。こ奴は 儂が貰い受けよう。」 

是れが
人を観る眼、所謂 人力眼と云うものであろうか・・・殺人容疑者が一転、鶴の一声で、「御主君直参」 と成ったのである豪胆さとその器の大きさでは、【ガキンチョ】の遥かに上をゆく【孫策】では在ったーーだが、そんな事くらいで恐れ入る「玉」では無かった。行いを慎むどころか、大好きな戦さが無い時は、相いも変わらず博打に大酒の日々・・・・而して一旦戦場に出るや大人を凌ぐ大活躍をして退ける・・・・

正史呂蒙伝は、この孫策との出会い迄を次の様に記している。
呂蒙の字は子明といい、汝南郡・富陂の人。年少にして江南に渡り、姉の夫であるケ当の元に身を寄せた。ケ当は孫策の部将と成り、しばしば山越の討伐を行なった。呂蒙は15、6歳で在ったが、ケ当が賊の討伐に征くのに無断で付いて行った。途中で振り向いたケ当は呂蒙が居るのに驚いて叱り付けたが、呂蒙は全く戻ろうとはしなかった。家に還ってから 呂蒙の母親に其の事を告げた。母親が腹を立てて罰しようとすると呂蒙は言った。
「何時迄も、貧しく賤しい境涯に留まって居る訳には参りません。もしも手柄が立てられれば、富貴を得る事が出来るのです。それには虎の穴を探さぬ限り、何で虎の児が得られましょう!」
母親は其の心根を哀れんで、それ以上は何も言わ無かった。
この当時、ケ当の下にいた役人が、呂蒙が年端も行かぬので軽蔑した。
「あの小ワッパに何が出来る?虎に肉を与えて遣るだけではないか!」
のちに呂蒙に出会うと、また嘲笑して辱めた。呂蒙はかっと腹を立て、抜刀して役人を斬り殺すと逃走し、同じ邑出身の鄭長の家に逃げ込んだ。そのあと校尉の袁雄に取り次いで貰い、出頭して自首した。弁明して呉れる者が在ったので、此の事件が孫策の耳に伝わった。
 孫策は呂蒙を呼び出して引見すると、その非凡さを見て取り、召し寄せて自分の側近に置いて使う事とした。 数年の後、ケ当が死ぬと、張昭の推薦があって、呂蒙がケ当の役目を引き継ぎ、別部司馬に任じられた。

かくて【小覇王・孫策】に見い出された呂蒙なのではあったが・・・
その孫策は呂蒙の成長を見る事の無い儘、25歳の若さで凶刃に倒れた。呂蒙21歳、西暦では200年の事であった。尚、義兄のケ当が死去したのも此の時期と重なる。恐らく戦死したのであろうが、呂蒙はそのケ当の役職・〔別部司馬〕を引き継いでいる。
ここで注目すべきは、任官に際してあの【大長老・張昭】が、その推薦人と成って(呉れて)いる点である。この時期の張昭の”重鎮度数”はマックスを指して居り、軍部の人事についても多大な影響力を有していた。 だが元々は 学者で在ったから、張昭の推挙は 専ら高名な 文官達に関してであり、畑違いの武官に対する推挙は極めて稀であった。況してや何処の馬の骨とも判らぬ寒門出身の人物に対する推挙は絶無だった。にも関わらず張昭は、己の名前すら書けぬ 無教養で筋肉一辺倒の呂蒙を敢えて推挙したのだ。・・・・確かに、主君・孫策が拾い上げ側近に置いて居た青年だから、触れ合う機会は多々有ったろう。 だが、だからとて、それだけで張昭ともあろう人物が推薦人と成る訳が無い。即ち
呂蒙と云う青年の中には、大学者・元老の目にも叶い、文武の分野を度返して人を魅惑する人間的な”何か”が在った!・・・・その事の証左である。

 爾来219年の今日まで、呂蒙40余年の人生に大きく関わった人物は押し並べてみな個性強烈な者達であった。その中で何と言っても最大の人物は、彼の仕えた
【主君孫権である。
呂蒙より
つ年下に当るが、孫権の視点に立ってものを謂うならば・・・呂蒙と云う人物は・・・孫権が育て上げた”家臣の最高傑作”であり、呂蒙自身に謂わせれば
”最良の二人三脚のパートナーだった・・・・と互いに回想し合う ”主従の佇まい” で在ったに違い無い。 そして様々な逸話を残す両者だが、中でも最大の出来事は、悪ガキ呂蒙の秘められた才能を見い出し、彼を大変身させた 孫権の炯眼と啓発とであろう。 そして其の事が達せられた理由は、主従関係や立場を超越した、人としての真心・誠意と愛情とが互いに満ち溢れて居る、底の深い信頼関係が在ったればこそであった。但し、その説諭の場面が何時の頃だったのか?その詳細な日時については定かでは無い。ーー以下、第127節よりの抜粋を交えつつ世に有名な場面を振り返ってみる。


予見に違わず、呂蒙は見る見る勇将・猛将としての頭角を現して来た。重大な戦いに於いて、先鋒を任せるに相応しい部将へと成長していく。 出世払いのツケ買いで 度派手な”赤備え”として出発した呂蒙の部隊は、今や泣く子も黙る赤鬼最強軍団へと変貌を遂げつつあった。
ーーが、惜しむらくは・・・・
   
完璧な勉強嫌い!
   〔
漢字アレルギー!
   〔
文字嫌悪症候群!
 ・・・・であった!!
「武将に文字など要らんワイ!殺し合いのドコに役立つ?眺めただけで虫酸が走るワ!俺っち、勉強ダ〜イッ嫌い!!」
と公言して憚らない。

君主と成った
孫権は、周瑜の勧めに従って呂蒙を謁見説諭する事にした。呂蒙1人だけでは”叱責”と受け取られ兼ねないので、古参でやはり武辺一点張りの蒋欽を共に呼んだ。


「そなた達は今や重要な地位を占める一廉の武将と成って呉れた。だが、更に大きく成って欲しいと思う。武芸だけでは無く学問を修め、自らを磨き、啓発しなければなるまいぞ!」

すると呂蒙の腹の中に、ムクムクと悪ガキの根性が、頭を擡げて来た。いかにも面倒臭そうに言ってしまう。


「私め、何ぶん軍務多忙な身でして、本を読んだり、字の練習なぞにカマけて居る暇など有りませんな!」
そんな呂蒙に対し、若い孫権は色を為すと、語気を強めて言った。
「何も学者に成れと言うのでは無い!此処ぞ、と云う学問の精髄だけを把握し、過去の例を学んで欲しいのだ。先ずは1軍の将として、何処に出しても恥ずかしく無いだけの教養を身に着けて欲しいのだ。忙しいと言った処で、この私と比べてどうであるか?余ほどでは在るまい!?」
主君から、そう言われれば、グウの音も出ない。

「余は若い頃、陣中に於いても詩経・書経・礼記・左伝・国語などの古典を、片っ端から読んだものだ。易経だけは例外だったがの。兄の跡を継いでからも、戦国策・史記・漢書・の3史と重要な兵法書を読んで、大いに啓発されておる処だ。
 そなた達には素質が在る。必ずや勉強しただけの事は有る筈だと思う。何はともあれ、兵法書では孫氏・六韜、史書では左伝・国語、それに3史を読むが良い。孔子様も 『
寝食を忘れ、夜も昼も一日中、独りで思索に耽った処で、大した智恵が湧く訳では無い。やはり進歩を得るには読書により、先人達に学ぶのが早道だ』と申されているではないか。光武帝は陣中でも書物を手放さなかったと言うぞ。現代では曹操とて勉強家として知られ、『歳を取っても学問は好きだ!』と申して居るそうじゃ。そなた達だけが軍務多忙と言って安穏として居て良いものか・・・そなた達は未だ若い。頭も悪く無い。きっと勉強した成果は現われる。余はそう思う故に、そなた達を呼んだにじゃ。余はそなた達に大いに期待すればこそこんな苦言めいた事を申して居るのじゃぞ。そこの処をよ〜く考えて呉れ。しっかりやって欲しい。 そしていずれ、余の右腕、左腕と成って呉れ!頼んだぞ・・・・!!」

こうまで主君に見込まれて、言われた呂蒙ーー此処はもう、その期待に応えて”男に成る”しか無い。

奮起一番・・・・人が変わった様に、勉学に取り組んだ。文字すら碌に読め無かった悪ガキは、夜も日も撓まず独学し、学び続けた。他人に頭を下げ廻っては、教えを乞うた。 元々才能は有った。誰にも有る。気力も人一倍ある・・・・次第に学問・兵法そのものが面白くなる。更に欲が出、倦む事なく書物を読破していったーーやがて、〔
呉の阿蒙〕と、半ば蔑まれて呼ばれていた悪ガキは・・・・成り上がり名士の「魯粛」なども及ばぬ程の、素養・教養を持つ大戦略家へと変貌を遂げる。
初メハ軽果けいかニシテさつヲ妄みだリニスト雖いえど
ついニ 己おのれニ 克 国士ノ量りょう有リ
ニ徒ただ武将ナル耳のみナラン哉
  (陳寿評)

周瑜病没後の事ではあるが・・・・後任の総司令官(都督)として前線に赴く魯粛が、途中で呂蒙の幕舎を訪れた。魯粛は、悪ガキ時代の呂蒙しか知らずに、両者すれ違いの任務が続いていた。酒が巡り、宴も酣たけなわの頃、魯粛は呂蒙に尋ねられた。

「先輩は周瑜殿に代わり、蜀将・関羽と隣接する地に赴かれるとか万一に備えて、如何なる方策をお持ちですか?」
「臨機応変、その時に応じて適当にやる心算じゃよ。」
野放図な処のある魯粛は、適当に答えておいた。

「今、呉と蜀は表向きは一家を成しているとは申せ、関羽は熊か虎の如き恐るべき相手と推慮致します。予
あらかじめ計略を立てて措くべきでは御座いませぬか。」
《−−おや、こいつ・・・・?》
思わぬ悪ガキの言葉に驚いて居る魯粛の前に、呂蒙は理路整然とした5つの具体策を提示して見せた。(史料には、其の5項目は残って居無いが。) 其れを聴き、感じ入った魯粛は呂蒙に近づくとその背中を叩きながら言った。

「いやあ〜、見直したぞ呂子明どの!是れまで武辺一点張りの、実戦だけの男だとばかり思っていたが、何時の間にやら、ドエライ博識ぶりじゃ!是れ程、智謀遠慮の御仁だとは夢にも想わなかったワイ。昔の悪ガキ、何時迄も、〔呉の阿蒙ちゃん〕呼ばわりは出来んわな・・・・!!」
それに応えて、呂蒙は言ったものである。

「士たる者、別れて3日経てば、よくよく目を見開いて、
                   相手に接せねばなりますまい。」


ーー
ノ背中ヲ拊チテ曰いわク、
われおもえラク、大弟だいていハ但ただ武略有ル耳のみト。今ニ至リテハ、学識英博、復タ 呉下ノ旧阿蒙きゅうあもうニ非あら』 ト。
曰ク、『士、別レテ 三日さんじつ、即すなわチ 更々こもごも
刮目かつもくシテ 相侍あいじ』 ト・・・・。
※《刮目かつもく 深い関心を持って観る事・・・の語源★★出典★★となる。

のち
孫権は述懐する。
『晩学のなかでも、呂蒙や蒋欽
しょうきんの様に、目覚しい進歩を遂げた者は在るまい。既に富貴を手にした後で、よくもまあ、人に頭を下げて、学問をしたものだ。地位や財産より真理を学ぶ・・・・出来ぬ事だ。そして今や2人ともに、国に掛け替えの無い人物と成って呉れた。誠に見上げたものじゃ・・・!』 

又、3代の大都督(総司令官)を懐かしんで、こうも評す事となる。

子明りょもうノ 少わかキ時ハ、孤(自分)劇易げきえきヲ辞セズ果敢ニシテ肝きも有ル耳のみト謂おもエリ。身ノ長大スルニ及ビ、学問開益シ、籌略奇至ちゅうりゃくきしニシテ、以もっ公瑾しゅうゆニ次グベシ。但ダ言議ノ英発ハ、之ニ及バザル耳のみ。図はかリテ関羽ヲ取ルハ、子敬ろしゅくニ勝まさ。』

誠に正鵠を射た美事な家臣(人物)評価であるが、3人の呉国総司令官が夫れ夫れに抱いた〔国家大戦略構想〕には、自ずとその時々の三国(魏呉蜀)の盛衰・逼迫状況が反映されて来た。
初代・周瑜→2代・魯粛→そして3代目と成った呂蒙だが・・・・或る意味では彼の任務・役割は自ずと運命づけられていた、と謂って良いであろう。−−即ち、赤壁戦直後から常に 呉国の発展・安定の前に立ちはだかり続ける不倶戴天の怨敵=荊州を占拠し続ける関羽の除去!であった。何となれば、呉国の側から観れば観る程、思えば思う程、関羽の存在は邪魔者・厄介者で在り続けて来て居た。そもそも、折角、周瑜が赤壁で曹操を撃破し、一気に勢力を西に伸ばそうとした絶好の機会に、火事場泥棒よろしく横合いから荊州を掠め取った最大の相手が関羽(劉備・諸葛亮)であった。その周瑜の無念を呂蒙は肌で知って居た。爾来、同盟推進論者の魯粛の時期を挟んで、益々関羽(劉備)は増長し、劉備らが益州を乗っ取った後も尚、独り荊州に残って虎視眈々と呉国側への領土拡張を窺い続けて来て居たのである。
関羽を除かぬ限り、呉国の発展は在り得ぬ!
即ち、”荊州の全面領有”以外に、曹魏との対峙は覚束ないのである。そして其の戦略は、恰も〔周瑜の声=遺志〕の様に魯蒙には思えるのだった。【周瑜】こそは呂蒙を育てて呉れた憧れの上司で在り、尊敬する気宇壮大な軍政家で在った。
「見ていて下され周瑜様。この呂蒙が必ずや関羽を除いてみせまする!」周瑜が倒れた直後から、人知れず呂蒙はその準備に取り掛かった。実に、今から10も前の事であった。その後の7年間は同盟推進論者の【魯粛】が国の舵取りを任され、曲りなりにも表面上は呉国の平穏が保たれ、主に南方への領土拡張が地道に続けられた。だがその間の代償として魏は益々強大化し、曹操は〔魏王〕を呼号。益州と漢中を占拠した劉備は〔漢中王〕を名乗った。独り呉の孫権だけが〔藩国〕を宣言する体たらく・・・・
而して【孫策・周瑜】の建国コンビ以来、呉国に脈々と流れて来た〔天下制覇の意志!〕が、未だ野望として息づいて居た背景を見逃す事は出来まい。【鈍牛・孫権】も実は胸中深くに秘め収め、夢見る事を諦めては居無かったのだ・・・・赤壁戦に勝利した呉国にとって「荊州」は、赤の他人(劉備)に”貸与”すべき筋合いの土地では無く、其処を足場にして「益州」を奪うべき、本源的な己の領土だと自負して居たので在る。だから、其の奪還は当然の権利でも在り、そして必然の課題でも在ったのだ。
今し
呂蒙子明は、その智謀によって、天下の名将・『関羽』を捕え、終に其の命を絶つ事となる・・・・。
勇ニシテ謀断ぼうだん有リ、軍計ヲ識ル。赤卩普かくふあざむ
関羽ヲ禽
とらウルハ最モ其ノ妙ナル者ナリ。 (陳寿)







天網恢恢 疎にして 洩らさず!・・・・とは 本来、古代中国人の創造神たる”天”の絶対性・その普く偉大さを讃え畏怖する言葉である。もう少し庶民風に言うならば、『お天道様は全て御見通し!』 と謂った意味合いである。人間の能力などでは到底なし得ぬ 「神の完璧さ」を指す言葉であり、人智の及ばぬ「必然の帰結」をもたらす絶対神=即ち”天”の神秘性を驚嘆する場合に、人間が発する言葉である。 だから幾ら完璧で在っても、1個の人間の為す行いには用い無い のが正しい。 だが筆者は 敢えて 呂蒙 と云う人間が仕掛けた、この〔流々の細工〕に対してだけは 其の誤謬を犯してでも、この言い廻しを使いたく成るーー
それ程迄に用意周到で、熟慮に熟考を重ねた上の奥行きの深い作戦・・・それがこの、
関羽討滅作戦〕の全貌 であるのだった。そもそも其の前段階に相当する「関羽の北上」からして既に余りにも劇的で余りに出来過ぎた筋書きで在った。仮にもし其のストーリイ展開が「歴史と云う作家」の書いたもので無かったならとてものこと荒唐無稽に過ぎて気恥ずかしく、発表するのも憚られる様な大団円!・・・・その事が今、眼の前で起こりつつ在るのだった。 一体ふつう誰が、敵城の完全水没が如き状況を設定するであろうか!?また 直後に、救援軍5万を丸ごと捕虜としその派出軍を潰滅させる様な大活劇を演じさせるだろうか!? 寧ろ思いっ切り講談の世界である。だが然し、関羽の存在自体が既にサプライズ!で在り、その出撃の最初からアンビリーバブルの大車輪だった。・・・・その人智の及ばぬ領域さえをも己のものとしてしまう関羽が相手なのだ。努々油断は出来ぬ。だから、その数刻前・・・・2人の間には此んな会話が為されていた。

「予定通りの進捗で御座いますな。」
旗艦上の
陸遜は、祝賀ムードに溢れ返る江陵城内を横目に見ながら、少しだけ口元を緩めて見せた。

「・・・ウム、だが、いずれ
関羽は此の真実に気付く。」

新たな任務に出港して行く陸遜艦隊を見送る為に乗船して来た
呂蒙は穏やかだが毅然とした口調で、後輩に喝を入れる。

「いま我々に最も求められるものは速さじゃ。・・・・関羽が江陵陥落の報を事実として認識する迄の間に、何れだけ
完璧な罠を完成させてしまうか?ーーそれが勝負じゃ!絶対に討ち洩らす事の無い、万全な罠をだ!」

「心得て居りまする。万事お任せ有れ!」

事前の打ち合わせ通りに半日だけの補給と休養を済ませた陸遜艦隊は、〔江陵の奪還〕 なぞは 当然の事とした上で、更なる任務の為に 引き続き長江を西に溯上するのである。何や彼や謂っても、荊州の西半分は7年の長きに渡って関羽(蜀)の領地・領民であったのだ。そうした残存する蜀側勢力の切り取り・取り込みを進めながら、関羽の逃走路を断つ!!
ーーその巨大罠の仕様ーー
          深さ・・・南北200キロ ( 東京湾〜日本海の距離に匹敵 )
           幅・・・東西150キロ
            
   ( ※ 大雑把に謂えば→ 四国全体を蔽い尽すスペース )
     使用総兵力・・・呉軍主力 15万


ーーそして、今後、想定される動き・・・・

纓、遜による 西方(左翼)の遮断
芒ヨ羽軍と徐晃軍との大会戦

蜻キ権の到着

赳N璋・朱然による 東方(右翼)の遮断

迹蜑戦の勝敗に関わらぬ関羽の帰還(南下)

鞳ゥの封鎖
・・・・そして・・・

「では心して掛かって呉れ。君が進めば進んだだけ、その土地は我が国の領土と成るのだ。荊州を蜀から完全に分離させる為にも、この際は其の連結路をガッチリ押さえ込んでてしまうのだ。
不死身の巨人を倒すには・・・・それに相応しい巨大な罠と、微細で綿密な策謀が必要なのじゃ!!」

呂蒙の視線は自ずと、遙か樊城の方向に馳せられた。

「漸く、第一の段階が始まった・・・・と云う事ですな。」

「そうだ。西へ逃げ込もうとする全てのルートを潰し、関羽が蜀本国へ逃亡する事を断念せざるを得無い様な、完璧な阻止ラインを築いてしまわねばならん。詰り、西への撤退を絶対に許さぬ事じゃ!!」

「それにしてもーー関羽にとっての不運は、同じ時代に呂蒙と云う人物が存在して居た事・・・・その1点で御座いましょう。」

正に、天網恢恢、疎にして洩らさず・・・・
関羽の死まで、あと50余日・・・・
【第243節】 巨神罠の完成(悪ガキ将軍の真骨頂)→へ