三国統一志 第U部

                          第16章

巨人達 の 最期


     まこと一世の雄なり。 非常の人超世の傑

   清平の姦賊乱世の英雄。治世の能臣乱世の姦雄






   絶倫逸羣。 勇 三軍に冠として将たり。 万人の敵
  名将は唯、羽のみ。
剛にして自ら矜る
  
 善く 士卒を待して士大夫に 驕る














                    第241節


 終り の 始まり

 かず、かず  (蘇轍)




             裏切り の 実行!


11呉の首都 建業・・・・
先発させた呂蒙に引き続き 君主の
孫権自身も西へと向う。
その直前、孫権は自ら進んで、或る家臣の館に 足を運んだ。

「私は今長江を溯って関羽を捕えにゆくが
  貴方は私に代わって 建業の守りに当って欲しい。」

「然と承りました。赤壁の時を思い出しまするナ。」

今や重鎮と成って居る平南将軍の呂範であった。赤壁の戦いの時も首都に残って決戦の帰趨を見守った。
先代 孫策の初期に私兵を引き連れ出仕した
あの囲碁都督も 今や 押しも押されもせぬ呉軍の元勲と成って居た。赤壁戦の時は張昭と共に 首都防衛の任に当たったが、張昭は名士層を代表する『降伏論者』だった。だから 孫権が信頼したのは
寧ろ 生粋の武人たる 呂範の方であった。その恨みも在って
今回も最重鎮の張昭を差し置いて呂範の屋敷を訪れたのだ。

「それにしても返す返す悔やまれるのは昔 貴方の意見に従い
 劉備を呉に留めて置けば、今こんな苦労も無かった事だ」

いま孫権が後悔して居るのは 10年前の事であった・・・
赤壁戦直後のドサクサに紛れて 荊州を掠め取った劉備が、図々しくも同盟を求めて独りで呉に遣って来た時、ズバリ
『殺してしまい為され!』と意見具申したのが、この呂範だったのだ。そのとき孫権は、強大な曹操に対抗する為には
同盟者が必要として却下してしまった。だが今思えば、呂範の直感の方が正しかった事は、以後の経緯が明白に証明している。
「まあ覆水盆に還らず・・で御座いましょう。ですが今また上手い具合に、関羽が開戦の口実を自ら作って呉れました。今度こそ 狡賢い劉備の首根っこを押さえ付けて下され。」

例の
湘関の備蓄米事件は孫権の”策謀”に格好の大義名分を与える事と成っていたのである。

「フム、どのみち3者とも 互いに 汚い騙し合いじゃ。だが
 一応の大義名分は在った方がマシと謂うもの。帰還は年を
 越えるであろう。然と頼んだぞよ!」

過去の大戦役同様 この作戦も亦
3国共が《農閑期中の決着》を目論むのであった。この時代、全ての戦いは 其処から逆算されて開始されるのだーー今11月。充分間に合うであろう。


その
建業から1千`上流の 江陵・・・関羽の居城である。
劉備が益州(蜀)へ乗り込んで以来8年間、関羽が独りで維持して来た荊州経営の根拠地であり”我が家”である。謂う迄も無く 水軍基地を擁する
荊州で最強の城砦都市でも在った。元々 劉表が曹操の南下に備え、いざと成れば立て籠もる為に着々と軍備強化した都市であった。図らずも其の堅固さは、呉の周瑜の手に因って逆証明をされていた。赤壁で大敗北した直後に籠城した曹仁が、そのまま半年以上も 周瑜の包囲に抵抗し得たのは、この江陵城の堅固さに在ったのだ。だから関羽は安心して200`北の「」を包囲し続ける事が可能だったのである。万一呉が攻めて来た場合でも、この堅固な拠城が在る限り、関羽は悠然と引き返せば充分に対応できる自信が有ったのだ。
だが然し、如何に構造物が強固で在っても、それを守るのは感情を持つ人間である。其処に住む人々の心いかんである。果して、8年に渡る関羽の統治は、人々の心をガッチリ掴んで来て居たと謂えるか?何うか?・・・その評価についての記述は史書に1言も無い。而して その答えは この後の史実が 自ずから語る処と成ろう。

その
江陵の 直ぐ手前の 南岸に在るのが 公安である。元は
油江の出口に由来して「油江口」の地名だったが、劉備が荊州で最初に自分の幕府を置いた時に「公安」と改名した小都市。今は 江陵の”出城”としての機能を与えられ、呉水軍の急襲を阻止し、江陵の備えを万全にするのが主要任務と成っていた。その前提としては、公安から下流に設置して在る

見張り台
からの急報が鍵となる・・・即ち烽火台を有する多数の監視所には2つの役割が有った事になる。1つは関羽への通報であり、1つは公安と江陵への緊急警報を発信する事であった。だが今 その情報網は既に 呂蒙の商人変装作戦=艤装船に拠って 悉く潰され、その監視機能を果す事の無い儘に 呉軍先鋒艦隊の侵入を許してしまっていたのであった。

人々の心を捉え 靡かせる為には
   手荒な事は出来る限り控えたい!!

それが
呂蒙基本的な戦略であった。此ののち、江陵を中心とした荊州の中央地帯は、蜀と魏の2国に対する抑えの地として、また呉本国の安全と豊かさを保障してくれる要地としてズ〜ッと保ってゆかねばならぬのである。だから将来に恨みを残す様な、軍事力での制圧は極力避けて措きたかったのだ。
「此方は和戦両方の構えでゆくが、爾後の事を考えれば、
 無血占領が望ましい。その辺の見通しは何うじゃ?」
呂蒙は
5歳年下の新都督陸遜に 改めて問うた。彼を見い出した呂蒙の、陸遜への信頼には 不動のものが在った。

「公安の士仁・江陵の麋芳 共に即座に誘降に応じましょう」

陸遜の返答には並々ならぬ確信が込められていた。仮病を称して引退した呂蒙から後任を託されて以来、この陸遜が為して来た事は
関羽を瞞着する事徹底した情報の収集の2つであった。この陸遜は 既に、呂蒙に会って都督に推挙される以前の段階から、関羽研究の第一人者で在ったのだった。過去に溯っての全ての資料を取り寄せ、事の大小に関わらず、その人格や人柄は勿論、癖や嗜好・女性の好みまで丹念に調べ尽くし、関羽以上に関羽を識り尽した上で相手の行動パターン・心理反応を割り出し、数次に渡る《黹激^ー攻勢》を仕掛けた。細工は流々、関羽はコロリと仕上がってしまったーーそして更に、この関羽研究は、思わぬ”副産物”を陸遜に提供して呉れたのだった。
即ち、関羽陣営内の
不協和音を探り当てたのである。だが最初陸遜は《幾ら何でもガセネタであろう》と信じられず、直ぐには飛び付かなかった。だが然し、もし事実で有るとするならば、もう其れだけで「関羽の命運は尽きた!」と言い切ってしまっても良い程の仰天情報であった。
ーー人を人とも思わぬ言動・・・調べ上げてゆくと、様々な私的葛藤場面が 浮かび上がって来た。例えば、公安を守る士仁には、こんなケースが在った。

曹操側と小競り合いが在った時の事、士仁は張り切って軍議の席上関羽に申し出たと謂う。

「ここはひとつ私めに御任せ下され。必ずや御期待に応えて見せまする!」 するや関羽、ニベも無く突っ撥ねた。

「全て儂が決める事だ。お前達は只、儂の申す通りに動けば好いのじゃ。新参の分際で出過ぎた真似をするでは無い!」

関羽にすれば 統帥権について、当然の事を言った迄の心算だったかも知れぬが、物には言い様・人には立つ瀬と云うものが在る。折角ヤル気満々だった士仁は、己の能力を衆目の面前で否定されたも同然の屈辱を味わされ、大恥を掻かされた
ーーと謂うのである。
関羽なら在り得る言動だ。又もし仮に、事実無根の噂話しで在ったとしても、人々の間に其うした類いの話題が、実しやかに囁かれていると云う事の中にこそ何がしかの真実を観て取るべきであろう。
それだけなら怪しいが、陸遜の眼の前には、そうでなくては説明の付かない現実が在った。・・・関羽にしてみれば今は1兵でも多く援軍が欲しい局面である筈なのに、士仁の陣営からは派兵の動きが一切無い儘なのである。その不可解極り無い状況は、関羽の拠城たる江陵の
麋竺にも当て嵌まった。
麋竺の場合には〔城内失火への譴責問題〕が、夙に知られていた。「この重大な時に失火して軍器を失うとは何事じゃ!貴様は日頃から弛んで居るから此う云う事を仕出かすのだ!全軍の恥晒しである。首を洗って覚悟して置け!!」」
恐らく関羽は、矢張り衆人環視の中で麋竺を頭ごなしに叱り付け、後日の厳しい処分を口にしたに違い無い。
卑しくも麋竺は南郡太守と云う、位人臣を極めた最高官職に在る大名士である。それを丸でガキ呼ばわりで襤褸屑同然扱い・・・如何に軍規引き締めの為とは雖も、相手の立場や誇りを傷付ける事を肯んじ無い関羽の剛直。


ーー是れは絶対、何か在るぞ!!》
今度は本腰を入れ、忍びを総動員して情報を収集。そして其れ等を整理して浮かび上がって来たのは・・・
関羽陣営内に於ける驚くべき分裂の構図であった。
           
〔彼等は 関羽に対し、許し難い私怨を鬱積させて居た。〕
            ↓
〔彼等は 関羽が最も困る局面で”意趣返し”を行なった。〕
            ↓
〔激怒した関羽は 彼等を処分する事を宣告した。〕
            ↓
〔益々彼等は 関羽を恐れ、その帰還を望まなく成った。〕
            ↓
《詰り彼等は 関羽の勝利・凱旋を望んでは居無いのだ!》
            ↓
〔だから再三の要請にも応ぜず派兵を停止させている。〕
            ↓
《そして今や彼等は 関羽が敗北する事を願って居るのだ!》

そこから導かれる結論は 最早 唯1つ・・・・即ち、彼等は

関羽と袂を分ち投降する腹を固めたのだ!

そう推論してから改めて事の全体像を観てみると、現時点で確実に現われて来るものは
ーー裏切のスタンバイ状態 に在る士仁麋芳の 抜き差しならぬ状態に追い詰められた姿だった。何も好き好んで、最初から裏切る心算なぞ 毛頭無かったで在ろう2人の敵将・・それが私怨の行き掛かり上もはや 二進も三進も行かなく成り、懊悩煩悶しつつ 唯一の出口を待ち望んで居る・・・正に”触れなば落ちん”の状況ーーそれが陸遜の確信する、呂蒙への返答であったのだ。

「・・・よくぞ其処まで調べ挙げたものじゃ!
以前からの逐一の報告によって大凡の察しは着いて居たが、是れで完全に得心がいった。」

呂蒙は 己の見込んだ後継者が、見込み以上で在った事に大満足の面持ちで話を進めた。

「では御主君・孫権様より預かって参った”誘降の書状”を公安と 江陵、両将の元へ 直ちに届けさせよう。 ついでに 儂と貴公も 一筆書き添えて遣れば、向こうも更に安心致すじゃろう。無論、我が艦隊の護衛付きじゃがな。」

呂蒙は既に 建業を先発する際、手廻し良く、孫権に誘降の書状を認めさせ 携行していたのであった。

「矢張り その使者は、虞翻どので御座いますか?」

「ウン最初から其の心算で来て貰って居る。多少偏屈な所は
 有る御仁じゃが、シラフで在りさえすれば、珠玉の輝きを
 発する我が国の至宝じゃ。使わずに置く法は無い。」

「”古の狂直”とは如何にも謂い得て妙では御座いますな」

猛者揃いの呉国でも屈指の、強烈な個性の持主。
「ヘ、ヘ、ヘ〜クショイ!!」

その呉国の至宝サマ、噂クシャミで鼻をもぞもぞさせて居た

「と云う訳で、ここは1つ誘降の使者に発って下され。」

公安の守将・士仁の説得役を 呂蒙から要請された
虞翻ーー

《フフン、儂が使者に成るのは当然の事じゃ
文句あっか?》
と云う顔付で、胸をバシバシと 叩いて見せた。
「万事お任せ有れ!」自信の塊りを強調して憚らない。

何せ虞翻と謂えば・・・日の出の孫策が曹操陣営への最初の使者として白羽の矢を立てた逸材で在る
もっとも其の時は「嫌で御座る!」の一点張りで、仕方なく 代りに「張紘」が成ったのだが、後に明かした拒否の理由が亦、振っていた。

「私の如き国の宝が魏に行けば、曹操が放って置く筈は有りません。必ず臣下に取り立てて帰さないでしょう。殿が国家の至宝を失うのを恐れたからこそ私は拒絶したので御座る」

無論
以後は各地への使者を自ら申し出て活躍「華独座=華音欠」との対決は〔古の狂直VS華独座〕として語り草と成っている。・・・自負心の強烈さ と 矜持の高さ・・・三国志に於いては【関羽】と双璧を為す逸材?で在ろう。ーー但し、虞翻の場合は臣下として人に仕えたから何処かに可愛い気が付随する。而して関羽は敵を寄せ付けぬ無双の国士で在った上に 人を用いる立場に在った。同じ自己主張の強烈さでも虞翻は舌先三寸の世界で相手を見下すのであり、関羽は武勇で相手を畏怖した。其処が決定的に異なる。
        (※第16節に出て来た禰衡でいこう君はチョット桁外れ過ぎ)


「−−へ・・・!??」
眼が点に成った者、眼ん玉が飛び出した者、公安の守備隊は全員が腰を抜かした。突如、何の前触れも無く、見た事も無い大艦隊が、次から次へと眼の前に入港して来たのである。然も其の艦上に翻るのは敵国・呉の軍艦旗・・・!!丸で己の基地に寄港するかの如き悠然たる侵入であった。見る見る埋まる公安の水面。
「おい、嘘だろう!?」 「し、信じられぬ!?」
ルハの日曜・早朝であった。
「是れは演習に非ず。敵襲なり!呉軍の襲来なり!」
そのアナンスも無い裡に、港は呉艦隊と其の将兵に占拠され武装解除されてしまったのだった。そして城門を閉じる暇すら与えぬ素早さで陸戦隊が突進。瞬く間に城門をも占拠してしまった。そのまま一気に雪崩れ込めば事は終わる・・・筈だったが、何故か呉軍の動きは其処でピタリと止まった。嘘の様な静寂が現われた。・・・と其処へ1人の男がスタスタと登場した。
《何だ、文句あっか!?》と云う態度
ーー虞翻である。

「御前達の将軍に話が有る。虞翻が参ったと取り次げ!」

「えっ!では貴方様が、あの有名な!?」

「そう、その有名な虞翻が至急に会いたいと伝えよ。」

何で有名なのかは判らぬが、城門の守備兵は 泡を喰らって
城内へと駆け込んで行った・・・だが、士仁からの返答は「会いたく無い」とだけであった。それは其うであろう。
如何に 本心では《関羽憎し!!》と思っては居ても、唯それだけの理由で1軍の将たる者が敵の誘いにホイホイと尻尾を振って擦り寄る様な真似だけはしたく無いのであろう。

ーー
だが、そう成ると互いに只では済まなく成る。いざ戦いが始まってしまえば本気の殺し合いと成るのは必定。もはや虞翻の出る幕は無くなり、呂蒙の温情戦略は其の根本から瓦解してしまう事と成る・・・・

「よし分かった。暫し待て。」

言うや虞翻、懐紙を取り出すとスラスラと1筆認める。

真に目の効く者は、未だ禍いが兆さぬ裡に其れを防ぎ止め智恵ある者は未然に憂患に対処すると申します。又、物事の得と失とを知って居て初めて人の上に立てるのであり、生と死とを見通す事が出来て初めて良い結果を選び取る事が出来るのです。
呉の大軍が動いたのに斥候が其れを探知できず、急を知らせる烽火も挙げられ無かったのは、呉に天命があっての事と申せましょう。
将軍
(士仁)は、先んじて時運を見る事もせず、時運が遣って来ても是れに対応する事も無く、唯1人包囲された城を守って降伏されぬのでありますが、戦いの中に生命を落とされれば祖先の祀を絶やし天下の物笑いと成られましょう。かと謂って慌てて逃亡しても逃れられず、降伏すれば今まで守られて来た大義を失う事になります。
私は将軍の其うした苦衷を御察し深く心配致して居るのです

今、呂虎威将軍
(呂蒙)は真っ直ぐ南郡に向って陸路を絶とうとして居ります。その結果、生還の道が塞がれてしまえば、将軍は箕星の舌に飲み込まれ掛かっている様なものと成り果てましょう。どうか熟慮を加えられますように。

それを読んだ
士仁深く溜息を吐くと言った。

ーーお通し致せ・・・。」

会うや虞翻、その本領を発揮して相手の心にグサリと迫る。

「貴方の苦しさは虞翻仲翔よ〜く分かりますぞ。よくぞ是れまで関羽から与えられた屈辱に耐え抜かれましたなあ〜!」

「−−・・・・!!」

「私ならば1瞬たりとも我慢できず、直ぐにでも飛び出してしまうものを、貴方は何とまあ、国を思う心が深い故にこそ去る事も為さらず此うして去就の狭間で、悶々と懊悩の日々を過ごされて来られた。さぞや御辛かったで御座ろう。」

余程に苦しかったので在ろう。士仁の眼には思わず涙が溢れ肩がククッと嗚咽に揺れた。すかさず虞翻が決断を迫る。

「然し乍ら事ここに至ったからには最早選ぶべき道は御分りの筈。我が御主君は心広き御方です。そんな貴方をこそ厚く迎えたいと既に親書を私に託されました。又、呂虎威将軍も態々貴方の為にそれを保証する添え状を託されて居るのですこの様に 貴方は己の進むべき道を 天から与えらたのです。さあ、思い切って、その決断の御言葉を私に告げられよ。」

一瞬の間が在って、士仁は泣き崩れる様に叫んだ。

ーー降伏させて下され
・・・!!」 

有無を言わさず斬り殺されても仕方無い立場なのに、態々こうして降伏する機会を与えて貰ったのだ。

「今この瞬間から私は孫権様に命をお預け致しまする!!」

平伏する士仁に対し、虞翻は鷹揚に頷いて見せた。だが其の表情の下には
ーー 理由は何うあれ、”裏切り”と謂う唾棄
すべき行動を取った相手への、強い軽蔑の念が隠されて居るのでは在った・・・・



かくて、支城たる
公安は1滴の血を流す事も無く、呂蒙の手に陥ちた。次はいよいよ関羽の居城 江陵の制圧である。その巨城を占拠すれば最早、関羽には還る場所は無くなり、その率いる全軍は忽ち根無し草と成り果てその命運は尽きる

ーー結局、城は人!・・・で御座るよ。」

その進撃作戦について、説得の任務を終えて戻った虞翻が、呂蒙に進言した虞翻は呂蒙より2廻り近くも年長で在ったが己の復権を取り成して呉れた呂蒙への恩義を忘れず、飽く迄も随身者としての節度を守った。只の偏屈者では無かったのである。大きな度量で接して呉れる者にはトコトン好意的と成る性向を持って居たのだ。そして生涯では唯2人の者だけが虞翻の琴線を揺さぶった。1人は先代の「孫策」であり、もう1人が この「呂蒙」で在った。

「今は武力を控えて、策略で兵を進める時です。この公安城には味方を守備に着け 御自身は士仁を連れて 軍を進められるのが宜しいでしょう。」

虞翻が 士仁に対して行なった説得工作は、その書状の内容も 遣り取りの言葉も、全て〔仕事上の言辞=策略〕に過ぎ無かったのであり、元より裏切者を称讃するなど、彼の最も唾棄する処であったのだ。

虞翻自身は全知全能を傾注して敵を説得する。誠心誠意を込めて相手と接する。だが其れは飽くまで主命を奉じた任務に対する姿勢なので在り、決して 虞翻の人間性そのものから発せられる態度では無かったのだ。虞翻には、敵味方を問わず
不変不抜の一貫した生き様こそが美しい!!
と信ずる性向が在った。だから公務上、相手を誘降する為に口説きはするが、私的には 決して降伏した相手を許さない。特に相手が高位高官で在った場合には最早 人間として認めずもし驕りが見えた時には満座の中でも辱めを与えずには置かないのだ。その一見 冷酷で、些か大人気ないとも謂える
〔理と情のアンバランス〕こそが虞翻の虞翻たる所以であり偏屈・狂直の背景を為していた。だから本心では士仁の人物なぞ、全く物の数では無かった。だが、私情と策略は別物である。
ーー降伏した士仁の姿を見せれば、同じ穴の狢は 必ずや同調するに決まっている・・・所詮は裏切者への説得である。その手を使うに限る!と進言したのである。と同時に、人の心に思いを致さ無かった関羽に対する批評が含まれてもいた。
ーー城は人!・・・で御座いますか。中々に含蓄の在る
 御言葉で御座いまするな。早速その様に進めましょう。」

元より呂蒙は端から其の心算で戦略を構築して居る御本家だだが其んな素振は毛ほども見せず、飽くまで先輩を立てる。此方は「理」より「情」で生きて来た。その様子を更に陸遜が見守る。
「では、直ちに全艦隊に進撃を命じまする。」

陸遜の言葉に頷いて了解を与えながら、呂蒙は既に”次ぎの次”を見据え、諸将の気持を引き締める様に告げた。

「恐らく 江陵も 上手く行くであろう。だが、そなた達には更なる任務が待って居る。努々油断なき様、心して掛かって呉れ。何しろ最後の相手は関羽なのだ!」

『関羽』と謂う究極の敵の名を聞いた諸将の面には、おのずと緊迫した 必勝の気概が刷かれた。

「いざ、江陵へ!!」 「おお〜っ!!」


江陵は、公安なぞ比べ物にならぬ巨城で在る。と謂うより中国で最大の、言い換えれば、即ち世界最大の港湾都市で在った。三国志の時代は《海の無い時代=無海洋時代》だった。沿岸漁民の実態いかんでは無く、内陸に在って天下を統治する王者達の意識の裡には 海は存在する理由を持たず、従って 船は 海を行く物では無く、専ら内陸河川を行き交う物で在ったのだ。 だから 当時の主要港湾都市は海岸線には無く、殆んどが長江の流域に集中しており、軍港を含めて最大だったのが、この「江陵」で在った。恐らく数十万の人間が暮らす荊州随一の大都市だったと想われる。その全ての人々の運命を預けられて居る守将は・・・麋芳だった。

その麋芳、城門を固く閉ざすと交渉の一切を拒絶した。だが彼の本心が何辺に在るかは直ぐに判断し得た。何故なら抵抗や反撃の指示は全く無く、ただ城内に息を潜めるに留まったからである。恐らく、眼の前に出現した事態が、己にとって如何なる意味を持つ事なのかを確認する為の時間を稼いで居るに過ぎぬのであろう。それ程までに、呂蒙の奇襲は完璧で在った訳だ。
そこで
呂蒙は、降ったばかりの「士仁」を送り込んだ。その効果は覿面。何の説明も不要だった。・・・士仁を見て安心した麋芳は直ちに全面降伏を受諾した。そして城の明け渡しの為の”儀式”を準備した。城門の外で 新旧の城主が宴を
張り城の引渡しが両者納得の裡に円満に「禅譲された」事を寿ぐのである。無論、呂蒙に何の異存も無い。だから城内へ強行突入する事はせず、先ずは気長に 城外での酒宴に御付合したのである。現代から観れば随分と悠長な手続・手順だがそこは礼節を重んずる儒教時代の事。又この江陵城は 実質上の州都で在り、州都の譲り渡しイコール=荊州と云う1国の明け渡しを意味するのだからアダや疎かには出来無い。公安などとは比較に成らぬ特別な城市、それが関羽の居城・江陵の持つ意味で在ったのだ。「占領」では無く「禅譲」ならばお目出度い。お祝いしなくてはならない。だから城門の前は忽ち 戦闘とは正反対の 御祭り騒ぎにゴッタ返し始めた。
ニコニコしながら其の様を見守る呂蒙・・・だが実は此の時城内では1部の不満分子(忠義な者達)に拠る、不意打ち攻撃の計画が密かに練られていたのである!!
まあ関羽贔屓の眼から観れば、或る意味ではホッとする様なせめてもの動きである。私怨を抱く麋芳は兎も角、留守居の全員が何の抵抗もせずに、いともアッサリと降伏してしまったのでは 関羽の面目も 立つ瀬も無い??
だが然し、その(折角の?)動きを 未然に封じてしまう者が
現われた。
虞翻である。「ん?何か文句あっか!?」
虞翻は彼独特の鋭い嗅覚で、呂蒙に警戒警報を発した。

「確かに今、麋将軍に全く2心の無い事は明らかでは在りますが、然し城中の全ての者が信頼できる訳では在りませぬぞ。それなのに何故、急いで城内に入って、その鍵を握ってしまわないのですかな?」

確かに一理有る。そこで呂蒙は酒宴準備と並行して、城内の制圧にも部隊を投入した。すると矢張、名も無い伍長クラスの者達では在ったが、《忠節を全うしよう!》として一角に屯して居るグループが発見された。大勢に影響を及ぼす程の人数では無かったが、酒宴の最中に不意打ちを喰らえば、大きな被害が出る危険性はあった。だが寸手の処で捕縛して事なきを得た。

「さあ是れで漸く第一段階が終った。だが未だ準備は不充分じゃ!何せ相手は関羽じゃ。常識では考えられぬ様な事を、いとも平然と 果してしまう相手だ。どんな小さな手抜かり
1つが、関羽を討ち洩らす原因と成るやも知れぬ。万全な上にも万全な態勢を築き上げるとしよう。」


かくて呂蒙に拠る用意周到で電光石火の〔関羽討伐作戦〕はほぼ完璧な成功の裡に其の第1幕である〔江陵無血占領〕を果してしまったのである!!

何と皮肉な事に、この〔公安・江陵の降伏!〕と云う重大な事実はこの戦役の主人公たる
関羽ただ独りだけが、知らぬ間に着々と進められているのだった・・・・

このとき関羽は依然として200キロ北方で「樊」を包囲し続け、その一方では迫り来る魏軍を撃破すべく決戦モードに突入しようとして居たのである。まさか己が既に、帰還する場所を失った”根無し草”に成り果てて居るなぞ、夢想だにせぬ天下無双の英雄で在った・・・・

関羽 最期の日まで 後1ヶ月
その大団円に向って三国志は今、1つの時代に終止符を打つべく、時の奔流を迸らせ様としているのか・・・!? 【第242節】人間成長率bPの男(天網恢恢疎にして洩らさず )→へ