【第235節】
「ーー何??降伏しない・・・と云うのか!?」
于禁軍が怨みを呑んだ、あの浮島から更に北東方向。樊城からは真北に4`の地点・・・・其処にも、〔5千の騎馬軍団〕が濁流に孤立して居た。【曹仁】から命じられて樊城を出、于禁軍の来着
ルートを確保する為に野営して居た广龍悳ほうとく軍団で在った。
その地点に布陣したのが、10日前の事であった。着陣するや、直後に大氾濫が起こり、高台に逃れたものの身動き出来ぬ状況に追い込まれて居た。故に着陣以来、于禁軍との連絡はおろか樊城との連絡すらも途絶えた儘の状態であった。念の為に小船を帯同して来ては在ったが、余りに濁流の勢いが凄まじく伝令を派出させる事も儘ならなかった。于禁軍と全く同じ苦境下に置かれて居たのであるーーだが、にも関わらず明らかに于禁軍とは異なる点が在った。それは・・・・士気の高さ!!である。
その原因は一に掛かって、軍団司令官の人生観の違いであったと謂える。美学・美意識の相違だとも謂えようか。既述の如くホウ悳は最初から、この関羽との対決に死を以って臨む覚悟を固めて居たので在る。周囲にも「殺るか、殺られるかだ!」と宣言し、己の死を捧げる態度こそが曹操への唯一の恩返しで有る!と、固く自身に誓って居たのだった。
广龍悳・・・字は令明。涼州と境を連ねる雍州は南安郡出身
〔西方を代表する武人〕で在ったと
謂って良かろう。初平年間(190〜193)に【馬騰】に付き従ったと在るから、今45歳前後で在ろうか?生粋の武人で政治には一切関わらず、ひたすら馬騰の麾下部将として西方を暴れ廻った。
正史の伝は『武勇は馬騰の軍で第1で在った』と記す。その馬騰が引退して魏に身を移した後は息子の【馬超】に付き従い、その叛の精神を共有して徹底的に曹操と戦い続けた。その馬超が終に曹操に敗れて「関中」を失い「漢中」へと落ち延びる迄、終始一貫して馬超と共に在り続けた。即ち馬超と广龍悳の軌跡は 全くの一心同体で在ったのであり、曹操とは不倶戴天の仇敵と見做されて居たので在った。では何故にそんな广龍悳が、曹操への帰服を肯んじ無かったのか??
生粋の武人であるから多くは口にしないが广龍悳が【馬超】と袂を別った心境には、様々な思いが在ったに違い無いーー
それまで何の疑問を抱く事も無く、西方に生まれた武人として、
ただ只管に”地元指導者”の下で、《故郷を守る!》を旗印に、謂わば、その行き掛かり上、命令に従って戦闘に明け暮れて来て居た广龍悳で在ったが、ふと気付いて見れば・・・果して己の来し方には〔大義〕が在ったか??時代に貢献する生き方で在ったか?己の武勇は歴史の評価に値する働きで在ったのか??そもそも曹操に抗い続ける事に一体建設的な価値が在るのであろうか?
《もし、曹操が新しい時代の到来を告げる”魁”で在るとしたなら、俺は単に無駄な生き方を過ごして来たのでは無いのか・・・!?》
その人生観の大転換を為さしめる切っ掛けは、破れた馬超が独りで西へ募兵に去った時であった。广龍悳に生まれて初めて、自問する時間が与えられた。・・・父や兄弟・その一族・妻や子迄を犠牲にして尚、〔叛〕を標榜して已まぬ馬超の姿の中からは既に〔叛の大義〕は色褪せ、もはや其処に残るものは、彼の〔私怨〕でしかなくなっていた・・・・。
《正統な評価を得る場所で活躍したい!俺は偶々この地に生れ落ちたが、このまま狭い了見を持った”井の中の蛙”で終わりたくは無い!!》
《同じ一生でも青史に名を留める側に立って己を活躍させたい!
同じ1個の死で在っても、歴史を築く立場で最期を飾りたい!
此の世に广龍悳令明 と云う男が生きて居た証を残したい!!》
そうした願望が彼を強く揺さぶったのだーーだが其れは余りにも虫の好い話であった。曹操にすれば恨み骨髄の相手で在った。然し、にも関わらず曹操は「漢中」を平定した時、張魯の元に在って投降した广龍悳の武勇を愛で、何と直ちに立義将軍に任命しばかりか、〔関門亭侯〕にさえ取り立てたのである。其の場で首を刎ねられて当然であったものを、何という厚遇か!!その名も
”立義”将軍→美事、義を立てて見せよ!との曹操の命名である
爾来、广龍悳の生き甲斐は、その曹操の厚い恩に報いる事と成ったのだ。
「儂は国恩を受けて居り、道義から謂って、死を捧げねばならぬのじゃ。儂は関羽を叩く。いま儂が関羽を殺さなければ、関羽が儂を殺すのだ。」・・・との、有名な台詞の背景には、そうした報恩の美学・美意識が在ったのである。
「ーー本当に降伏しない・・・と云うのか!?」
関羽は、もう1度念を押した。全く同じ状況下に在った于禁の全軍5万は既に全面降伏したのにである。ホウ悳が擁する兵力は、その10分の1にしか過ぎぬ。更に悪条件の中に居るのだ。
「はい。誘降の使者を上陸させようとすらせず、逆に弓矢を撃ち込んで来る有様で、徹底的に戦う!と豪語して居りまする。」
「ーーフム、それも亦、在るべき部将の1つの姿では在る・・・・。」
関羽は先きの日に、己に独り立ち向かい、自分の額に弓矢を命中させた、猛々しい男の姿を眼に描いた。
「殺すには惜しい人物じゃ。だが詮方無い。戦いを望むと在らば、此方は其の望み通りに応じて遣る迄の事。戦うからには容赦は無用ぞ。互いに死力を尽し、全力で向うのが本分じゃ。努々油断すな。たとえ寡兵とは雖も、必死・必殺の覚悟を定めた敵を侮ってはならぬ!」
かくて此処に、于禁7軍の降伏から推して誰もが予期して居無かった関羽軍 vs 广龍悳軍による、血で血を染める凄絶なる戦闘が、その日の早朝から日没に至る迄の丸1日に渡り、繰り広げられる事と成るのであった。
ーー〔AM7:00〕ーー
广龍悳軍が避難した高台・・・・実は自然の地形では無く、”堤防”の上であった。漢水へ流れ込む山脈からの支流に沿って築かれた、細長く畝った高台であったのだ。幸いにして、その堤の幅は基礎部分を含めると200m程は在った。長さは凡そ1キロ。その砂洲状態の堤防の上に、5千の騎馬軍団が取り残される格好と成って居たのである。従って、諸部隊の配置は自ずから縦長に成らざるを得ず、騎馬軍団の最大の強みである筈の突進攻撃は戦闘の初めから、その威力を封じられて居た事に成る・・・・更に不利な事には、いざ 激突が始まれば、各部隊間の連絡が分断
されるのは確実であり、最後は各個が死力を尽す以外に手立は無い事であった。ーーそして最大の弱点は・・・何処へも退却する余地は無く、また何処からも援軍が遣っては来ぬ事であった。
即ち〔全滅覚悟の決死の戦い!〕だけが唯一の道で在ったのだ。その事を確認する為の、最後の軍議が持たれた。
総司令官たる广龍悳が血を吐く様な語気を込めて言った。
「今日こそは、日頃の国恩に報いる時である。己の命を惜しまず敵を1兵でも多く殺して、漢中王などとホザいて居る劉備の野郎に大きな打撃を与えるのだ。そして魏王様の天下平定の礎と成り、その栄誉有る尖兵と成るのだ!たとえ此処で我等が死んだとしても、魏王様は必ずや残った一族を厚く遇して呉れよう。愛する者達の為にも、きょう此の戦場で赫々たる武勇を示す様、兵卒の隅々にまで
然と申し伝えて呉れ!」
督将の成何が、その言葉を受けて決然と誓った。
「今日は我等の命日だと覚悟を決めよう。相手が関羽ならば不足は無い。魏国魂の凄まじさを天下に知らしめる絶好の機会だと思いましょうぞ!」
この成何・・・广龍悳の督将で在るからには其の右腕、西方時代からの縁続きの人物で在ろうか?正史には唯1ヶ所に名のみの人物であるが、先ず想い付くのは・・・韓遂の死まで随身し、今は曹操に寵愛されて居る【成公英】との関連である。西方の武将には独特な仲間意識が強いから互いが助け合う顔見知りの間柄であった。西方の暴れん坊=反抗の主役は【馬騰】→【馬超】親子と反抗1筋70年の〔厄介な糞ジジイ〕・【韓遂】であったが、广龍悳ほどの人物で在れば当然、韓遂との縁も深かろう。故に、成何と成公英は一族で在った公算が強い。
「あい分り申した。人間、生まれたからには何れは死ぬ身。同じ死ぬなら華々しく涯てて見せようぞ!!」
それに潔く応じたのは、将軍の董衡だった。彼も正史に1ヶ所・名のみの人物である。その彼の部隊長には 【董超】 の名が在るが、息子か親戚で在ったか?彼も亦名のみ1ヶ所の人物である。ちなみに、魏側の指揮官として『正史』に名が記されて居るのは 此の4人が全てである。
ーー最後に广龍悳は宣言した。
「如何なる戦況に成ろうとも、降伏する事は絶対に許さぬ!!もし 降伏しようとする者が 在らば、 躊躇無く、その場で斬り捨てよ!不退転の決意無くして武功も武功も在り得ん。我等はただ只管に関羽を討たん!!」
ーー〔AM8:00〕ーー
「来たか関羽!今日こそは我が死に場所を得る日と成ろう。だが徒では済ませぬぞ!必ずや我に倍する痛手を与えて呉れる!」
絶対不利な广龍悳軍では在ったが、唯一、せめてもの救いは・・・
濁流の凄まじさであった。于禁軍の水没地点は、濁流の勢いが未だ比較的に弱く、関羽水軍の大型戦艦を以ってすれば、操船は自在であった。だが河沿の堤防の周囲は、そのカーブにぶち当たる奔流の勢いが轟轟として迸って逆巻き、操舵・操船は儘ならぬのであった。だから関羽の艦艇は悠然と岸部に迫る訳には行かず、1地点に停泊させる事にすら汲々として居り、寧ろ水勢に押し流される状態に近かったのであるーーこの時代未だ錨いかりは発明されて居らず、為に濁流の中での停船は至難の業であったのだ。即ち、接岸→揚陸を強行しようとする、その瞬間の弱点に付け込む余地が在り得たのである。
广龍悳軍は、関羽側の艦船が揚陸しようとしてモタモタして居る隙を狙って、弓矢の集中攻撃を浴びせた。それを阻止しようと艦隊側も弓矢で応戦する。堤の至る所で弓矢による空中戦が展開された。
「拙いな。一旦揚陸は見合わせ、先ずは岸部から敵を追い払おう艦隊を堤の縁に沿ってグルグル旋回させつつ、弓矢で岸部の兵を掃討してから上陸する事としよう。」
弓矢攻撃の応酬、それが戦闘の〔第1段階〕であった。
ーー〔AM9:00〕ーー
関羽水軍艦艇上からの猛烈な射撃によって、广龍悳軍は島の内陸地点に後退せざるを得無く成った。それを見極めた関羽側は、その一瞬の間隙を突いて各地点への揚陸を個々に強行。するや广龍悳側も上陸は許さじ!とばかりに再び岸部に押し寄せ、関羽側最大の弱点を攻め立てる。今度は矢が飛び交うだけでは無く、揚陸したばかりで態勢の整わぬ関羽部隊へ騎兵の群れが殺到し
”水際での阻止戦”が繰り広げられる。その戦闘は陸上側に絶対的に有利だった。関羽側に相当な被害が続出する。無論、广龍悳側とて無傷で在る筈は無い。細長い堤防上の各地点で、両軍必死の攻防戦が現出した。だが物量では圧倒的に優位に有る関羽軍は徐々に揚陸に成功する部隊が増加してゆく。广龍悳側は弓矢の予備が底を突き掛け始めた様である。いずれ
”矢尽き” の状態に陥るであろう。そんな中、愛馬ごと岸辺に飛び移る騎兵の数も次第次第に増えてゆく・・・・。
水際での攻防戦、それが、戦闘の〔第2段階〕であった。
ーー〔AM10:00〕ーー
狭い戦場故に、最大の威力である”突撃”こそ不能では有ったが騎兵が最強のウェポンである事に違いは無かった。歩兵にしてみれば、戦車に晒された如き脅威である。それなのに5千全ての兵力が騎馬軍団で在るのだから、数の上では圧倒する関羽軍も決して優勢とは言い難かった。そこで対戦車砲の役割として有効なのは、矢張り”弓矢”での応戦だった。大きな馬を狙えば命中率は高い。多大な犠牲を被りながらも、関羽側は揚陸の為の橋頭堡を確保せねばならなかった。その為の対騎馬戦が其処此処で展開され続けた・・・やがて2・3ヶ所の地点に関羽側の橋頭堡が確保される。そして其処を基点として大量の騎兵が揚陸を果し、
新たな歩兵部隊も加わり、徐々に関羽側の戦力が整い始める。
橋頭堡の確保と阻止それが戦闘の〔第3段階〕であった
ーー〔AM11:00〕ーー
戦場と成った細長い堤を、上空から俯瞰すれば・・・次第に関羽側の兵力が广龍悳側に喰い込み、その兵力的な優位さが時間の経過と共に明らかに成ってゆくのが判る。但し両軍の陣形には明確な境が無く、浮島と化した堤防の全面に渡って敵味方双方がモザイク状に入り乱れて居るのも判る。最初から乱戦状態の様相である。そんな中、一際目覚ましい奮戦をして居る部隊が、双方ともに在った。言わずと知れた【関平】と【广龍悳】の部隊である。だが、その敵味方2つの有力部隊は遠く隔たった位置関係に在り、未だ直接ぶつかる気配は無い。両者とも自軍の綻びを救う為に駆け廻り、叱咤激励の指揮を振って居る。【関羽】自身は未だ上陸せず、戦況全般を観察しながら旗艦上に在る。
「流石に广龍悳じゃ。性根の座った、好い戦さ振りじゃわい!!益々以って、あ奴が欲しく成って来るのう〜。無駄かも知れぬが一旦停戦し、降伏勧告を致せ。」
余裕が出て来た関羽は广龍悳に対し誘降の使者を送った。高々と白旗を掲げた騎兵が豪雨の中、まっしぐらに戦場を疾駆した。猛り狂い沸騰していた戦場に、一瞬だけの静寂が現出する。
「そんな気は全く無い。殺るか殺られるか!唯それだけの事じゃ。帰って関羽に伝えよ。魏の国家こそが天下で唯一の国である。曹操さまは偉大じゃ。お前の劉備なぞは只のカスじゃ!とな。」
飽く迄も戦闘意欲旺盛な广龍悳は、改めて挑戦状を叩き付けて見せると、直ちに再び白馬に打ち跨った。
「そうか。未だ此の程度では、”其の気”には為らぬのであろう・・・では此方も遠慮無く、総攻撃に撃って出る準備を致せ。一気に
ケリを着ける!但し、降伏を申し出て来た者は受け容れてやれ。どの道、勝敗は時間の問題に過ぎんのだからな。」
ーー〔AM12:00〕ーー
戦場の直ぐ脇を逆巻く濁流は益々その勢いを強め氾濫の水位を更に高めつつあった。狭まる戦場。この奔流に呑み込まれれば泳ぎを知らぬ魏の将兵は確実に溺死する。いや練達の泳ぎ手で在っても助かるまい。退くは地獄、進むも地獄。广龍悳軍の将兵にとって、生き延びる希望は無い。生還の可能性が有るとすればそれは唯”投降”のみであった。そんな極限状況の中、遂に両軍必死の大激突が開始された。既に午前中の戦闘で、广龍悳軍は多くの軍馬を射殺され、手持の弓矢も殆んど撃ち果してしまって居た。もはや頼りとするは、刀剣と槍を振り翳す白兵戦のみの状態で在った。泥濘の足場にズブ濡れの将兵。流れる血の雨・・・・樊の北に轟くは雷鳴か、果また兵の雄叫びか!?
于禁軍5万が降伏したので在るから、たった5千なぞいとも簡単に片着くと想われていた 此の狭い堤の上で、誰も想像して居無
かった凄絶な戦いが延々と繰り拡げられていった・・・・。
ーー〔PM2:00〕ーー
元より劣勢な广龍悳軍に徐々に破断界が迫りつつあった。
ズタズタに戦線を喰い破られ、局地に追い詰められた挙句、終に全滅する部隊が出始めたので在る。然し广龍悳自身も周囲の敵への応戦が手一杯であり、救援に向う事は出来無く成って居た。
・・・・と、
「ご注進〜ん!敵に降伏しようとの動きが観られまする〜!!」
「何だと〜!?この期に及んで臆すのはド奴じゃ!?」
「董衡将軍と董超の部隊であります!」
「おのれ〜許さん!皆が死に物狂いで忠烈を尽して居るのに!」
广龍悳は烈火の如く憤怒すると、督将の成何を随伴して白馬を押し進めた。
「キサマ〜、先刻の誓いを破る気かァ〜!!」
怒髪天を突く形相の广龍悳を見た【董衡】と【董超】は流石にビクンとした。だが此方も決然として主張した。
「最早 是れ迄で御座る。味方は魏の名に恥じぬ奮戦をしました。もう是れ以上は戦闘では御座らぬ。刀折れ矢も尽き果て申した。部下を殺戮させる訳には参らぬ!」
「それに聞けば、于禁殿の7軍は全て降伏したとの事ですぞ!!こんな状況では于禁殿の判断こそが正しいと思います。犬死は避けるべきです!!」
「何を〜!くだらん敵の謀略に乗りおって!于禁殿とも在ろう者が降伏なぞする筈が無かろうに!!万が一そうで在っても、我等は我等じゃ!この痴れ者めが、恥を知れ〜ィ!!」
言うが早いか广龍悳は眼にも留まらぬ素早さで
〔董衡〕の体を真っ向唐竹に斬り下げていた。
転瞬、怯んだ〔董超〕も亦、成何の怒りの袈裟懸に絶命していた。
「人間、同じ死で在っても最期を汚すな!!味方に斬られる様な卑怯者で 終るでは無いぞ!!」
「降伏は絶対に許さぬ!たとえ将軍であっても此の通りに処す!よいな、最期まで本分を全うし、国家に忠節を尽すのじゃ〜!!」
「おおぅ〜!!」 呼応する決死の雄叫び。この毅然たる処断が更に广龍悳軍の士気を昂揚させていった。”狂鬼”と化した必死の抵抗戦・・・その絶望的な最期の結末を識ってか識らずか半分以下に消耗した广龍悳軍は、その破断界に向って、決死のホゾを固めてゆく。
この【董衡】と【董超】の投降騒ぎに象徴される如く、終に、广龍悳の側に破断界が近づきつつ在る状況ーー
それが戦闘の、〔第4段階〕であった。
ーー〔PM4:00〕ーー
”命の蝋燭”が燃え尽き様とする時、その直前の輝きこそが最大最高の燭光を放つ・・・此処からの凡そ2時間は、正に广龍悳軍最期の燃焼、燃え尽き果てる寸前の、凄絶きわまる激戦と成っていった。最早”部隊”としてでは無く、各個が其の地点で”小集団”として、押し寄せる敵と力尽きるまで闘う・・・・その味方奮戦の原動力は、广龍悳そのものの存在で在った。この戦場に广龍悳の軍旗が旗めく限り、魏軍は健在であるのだった。
「成何よ、我等が軍神と成るのも、あと一息じゃな。」
これが互いに今生の会話と成るで在ろう事は自明の状況だった。
「よくぞ此処まで儂と共に居て呉れた。心から礼を申す!」
「何の私こそ、お蔭で真っ直ぐに武人の道を進んで来れました」
豪雨と喚声の中、互いに叫び合う如き会話であった。
「良将は、死を恐れて好い加減に生き延び様とはせず、烈士は
節義を失ってまで生を求めない・・・・そう儂は聞かされて生きて来た。正に今日こそは、その通りに儂が死ぬ日じゃ!」
「如何にも痛快な最期で御座いますな〜!!」
「あの世で会おうぞ!」 「了解しました。では是にて御免!」
その主従2人の間にも ドッと関羽軍の将兵が 割り込んで来て、
互いの姿は もう2度と再び相手を見る事の出来ぬ 乱戦の渦に
巻き込まれていった。
そして遂に、関羽 本人が 戦場に降り立った。
燻し銀の鎧兜に身を包み、手には豪刀を引っ提げつ、馬上姿も颯爽と胸に美髯を蓄えた巨将・・・その威風堂々の勇姿が周囲を圧して悠然と、全軍の前に現われたのである!!
その背後には最精鋭の1千騎がズラリと付き従う。いよいよ戦局は、総仕上げの掃討・殲滅の時を迎えたと云う事である。自ずから湧き起る、勝利を確信した歓喜の雄叫び!!
この関羽の降臨ーーこれが戦闘の〔最終段階〕であった。
ーー〔PM5:00〕ーー
関羽は 戦場を闊歩する如く、悠然と部隊を進め、その戦闘の
場所場所毎に足を止めては相手に勧告した。
「よくぞ此処まで戦った。その武勇の程は 然と見届けた。最早
充分であろう。精強を謳われた于禁軍でさえ、是れ程の奮戦は見せずに降ったのだ。恥じる事は無い。さあ降れ。降るのじゃ!」
その勧告を受ける广龍悳側の末端部隊には、もう抗うだけの余力すらも残って居無かった。刀折れ、矢玉は悉く尽きて居たのだった。完全な絶望状況・・・殆んどの集団は指揮官さえ失って居た
「是れ以上は犬死じゃ。此方も無益な殺生はしたくない。降れ!」
その威厳と慈愛に満ちた大将軍・関羽の情けの前に、遂に投降する兵士達が現われ始めた。と、それが連鎖反応の呼び水と成って関羽の進む先々では次々に投降する部隊が続出し始めた。
ーー実は此の時、降伏の道しかない、もう1つの状況が同時に
発生していたのである。・・・・この堤上の戦場そのものが、完全水没の危機に曝され始めて居たのだ。山から流れ込む濁流は 益々その流量を増し、遂には 堤防頂上に在った戦場の台地をも呑み込もうとして居たのである。・・・・詰り関羽の上陸は敵を救助する為であったのだ。何もせず、敵が溺れ死ぬのを見殺しにする事も出来たものを、敢えて関羽は自ずからが救助に乗り出したのである。
「此処が水没する迄に時は無い。戦いは既に終った。全軍を艦隊に乗船させよ。また降伏する敵は全て収容してやれ。」
但し最後まで降伏する事を拒絶する者が在った。
「たとえ儂は独りに成っても、絶対に屈せぬぞ!!必ず関羽を
倒すのだ!それ迄は何が何でも生き抜いて、捲土重来を期す!儂と関羽との勝負は未だ着いては居らんのだ!この最後の矢はその為に残してある!」
この絶望的な戦況の中广龍悳の決意だけは揺らが無かった。
「こう成れば已むを得ぬ。曹仁殿と合流して関羽を討とう!!
幸い手元に小船が有る。この儘で終わらせる訳にはゆかん!」
「ですが、あの程度の小船では此の濁流を乗り越える事は無理です。岸部を離れた途端に転覆するのは必至ですぞ!?」
指摘される迄も無い事であった。いま背後に逆巻く濁流の勢いは関羽の大戦艦ですらを翻弄される程に荒れ狂っていた。たった4人乗りの喫水の浅いボロ船なぞ、在って無きも同然、気休めにも成らぬ。結局は溺死覚悟で飛び込むに等しい”自殺行為”に違い無かった。
「是非も無い。こう成った以上、後は只、人事を尽すのみじゃ。
天命は此処まで、余りにも関羽にばかり 味方して来ている。
だから、もう関羽の奴は、そろそろ天運を使い果しても好い頃
じゃ。少しは此方にも運は有ろうサ!」
「分りました。お伴致しまする。此処まで来れば、死ぬるも生くるも天命の為す所。所詮、人の生死は人智の及ばぬもの・・・!!」
『广龍悳ハ配下ノ将1人、伍伯2人と小船ニ乗リ曹仁ノ陣営ニ
帰ろうトシタ』ーーその〔配下ノ将〕が【成公】で在れば、より小説的ではあるが、それなら其うと記される筈である。又、〔伍伯〕とは伍長クラスの下士官を謂う。いずれにせよ、广龍悳は近くに残って居た3人の味方と共に小船1艘に乗り込み、転覆・溺死覚悟で「樊城」への帰還を期したのである!!
ーー〔PM6:00〕ーー
恐く日没の時刻ではあろうが、この豪雨では定かでは無い。厚い黒雲に覆われた戦場は、早くも夜の気配に近づきつつ在った。
そんな薄闇を利用して、堤防の一角から 小さな船が無謀な賭けに打って出た。既に膝辺りまで水没していたから、ただ其の場で乗り込むだけで済んだ。だが問題はその10m先からであった。信じ難い大濁流が凄まじい勢いで逆巻いていた。手漕ぎの櫓なぞは最初から通用しないのは明瞭であった。乗切る方法は唯1つ。何が起ころうとも船縁に
しがみ付き絶対に手を離さぬ事!・・だが、甘かった。10m先の濁流に乗り入れた瞬間、最初に来た縦揺れの衝撃だけで小船は中空に投げ出されてしまった。次の瞬刻には上下が逆さにもんどり打ち、船尻から水面に突き刺さって居た。この第1撃だけで伍伯の2名は振り飛ばされ、あられも無い方向へ呑み込まれてしまった!と、今度はグルグル廻ったかと思えば、船底が上になったり 下になったりの 大激走を繰り
返す・・・・眼も開ける事は愚か、呼吸すら儘ならぬ大激流が何時果てるとも無く続く。とてもの事、進路を操作するなど不可能で、只々無為に押し流されて行くばかりであった。
《くそ糞!こんな事で死んで堪るか!俺は関羽を倒すのだ!!》
その強烈な一念だけが广龍悳の意識を支え続けた。もはや船底に しがみ付いて居るのは自分1人だけで在るらしい。折角取って措いた最後の矢も弓も身体からは離れ、流されてしまった様だ。ーーと突然、引っ繰り返った儘の格好で、小船が1ヶ所で旋回を始め、その位置に停滞した。何が原因かは判らぬが、大きな渦潮に捕まったのだった。懸命に脚で水を蹴って試るが、形勢が変る事は無かった。
ーー〔PM6:30〕ーー
「戦場に遺体は無かったと云うのか??」
「はい、どうやら脱出した様で御座います。」
「脱出する?一体どうやって抜け出せる、と謂うのじゃ?」
「西方の人物ですから、この濁流を泳ぐ事は出来ますまい。予てから用意して在った小船にでも乗ったので御座いましょう。」
「無事に行くと思うか?」 「まず転覆するでしょうな。」
「ーーフム・・・我が軍に欲しい男じゃ。念の為 一応、周囲を捜索してみよ。何だか生きて居る様な気がする。もし発見したら、鄭重に連れて参れ。」
「おお、流石の面魂じゃ。よくぞ生きて居て呉れた!」
関羽は当然の事として、配下に加える心算で广龍悳を引見
した。無論、縄目など掛けられては居無い。 普通こうした場合、
投降した武将は相手の司令官と会ったら”拝跪”するのが礼儀で在った。だが广龍悳は剛然として突っ立った儘、頭1つ下げる気配も無かった。だが関羽はムッとした表情も見せずに、寧ろ怪訝な顔で言うのだった。
「卿の兄は漢中に居るではないか。又、嘗ての主であった馬超も今や我が主要部将と成って居る。それなのにスンナリと降伏しないのは何故じゃ?」
すると广龍悳の方は、如何にも心外だと謂わんばかりに叫んだ。
「俺は降伏したのでは無い。ただ捕まっただけの事じゃ!」
「何を言って居る??儂は元より卿を我が将とする心算で居るのじゃぞ。」
「お前の方こそ何を言うのだ!俺は今でも御前を殺す心算で居るのだ!!たとえ刀は持たずとも、俺には未だ御前を攻める言葉と云う武器が在る。」
「面白い。君の奮戦に免じて、それを聴いて遣ろうではないか。」
「では、よ〜く聴け、わっぱメが!何で今さら降伏なぞと云う事を持ち出すのだ!そもそも魏王は百万の鎧武者を持ち、威光は天下に轟いて居る。お前の劉備なんぞは、徒の凡才に過ぎんではないか。一体どうして曹操様に敵対できると
ほざくのじゃ!?
儂は 国家の鬼とは成っても、賊の将なぞには
決して成らぬわい!!」
「ーーあい解った。”敗将”と成っても ”降将”とは成らじ!!・・・・それ程に死を望むのであれば、もはや望み通りにして遣るしか
あるまい。」
「それこそ我が本懐である。さあ、直ちに其の手で首を刎ねよ!」
かくて此処に 于禁とは異なる在り様で、最期まで曹魏への忠烈を貫き徹した勇将・广龍悳 令明は、彼の望み通りに、関羽の手によって、その生涯を散らせたのである・・・・。
〔正史・广龍悳伝〕→『侯音・衛開らが宛に拠って反乱を起した(Yの叛乱)。
广龍悳は、配下の兵を率いて曹仁と共に宛を攻撃して陥落させ、侯音・衛開を斬り其のまま南下して樊に駐屯し、関羽を討伐した。樊に居た諸将は广龍悳の兄が漢中に居る事から彼に大きな疑惑を抱いた。广龍悳は常に言って居た。「儂は国恩を受けており、道義から謂って死を捧げねばならんのだ。儂は自身で関羽を叩く心算だ。ことし儂が関羽を殺さねば、関羽が儂を殺すに違い無いのだ。」
のち関羽と戦闘を交えた時、関羽を射て額に命中させた。当時、广龍悳は 常に白馬に乗って居たので、関羽の軍では彼の事を
白馬将軍と呼んで皆恐れを抱いた。
曹仁は广龍悳に命じて樊の北10里に駐屯させた。折しも10余日に渡って長雨が降り続き、漢水は急に氾濫した。樊の領下の平地は5、6丈も水が溜り、广龍悳は諸将と水を避けて堤に登った。
関羽は船に乗って其れを攻撃し、大船を以って四方から堤の上を射た。广龍悳は鎧を着け弓を持って射たが無駄矢は無かった。将軍の董衡・部隊長の董超らが降伏しようとすると、广龍悳は彼等を全員捕らえて斬り捨てた。夜明から力戦し、日が傾く迄になったが、関羽の攻撃は愈々激しく、矢は尽き刀や剣で白兵戦を行なった。广龍悳は督将の成何に向って言った。
「良将は死を恐れて無駄に生き延び様とせず、烈士は節義を失ってまで生を求め無いと聞いて居る。今日は儂が死ぬ日じゃ!」
尚も戦って益々猛り立ち、意気は愈々盛んであった。だが水の勢いが増して来ると、軍吏や兵士は皆、降伏した。广龍悳は配下の将1人、伍伯2人と弓を引き絞り矢をつがえ、小船に乗って曹仁の陣営に帰ろうとした。だが、水勢が盛んで船は覆り、弓と矢を失った。唯1人船底を抱いて水中に居る所を関羽に捕えられた。
だが突っ立った儘、跪ずか無かった。関羽は彼に向って言った。
「卿の兄は漢中に居る。儂は卿を将とする心算だが、直ぐ降伏しないのは何う謂う訳じゃ?」 すると广龍悳は関羽を罵って言った。
「わっぱ、何で降伏などと言うのだ!魏王は百万の鎧武者を持ち威光は天下に轟いている。お前の劉備なぞは 凡才に過ぎん。
何で敵対できる!儂は国家の鬼と成っても賊の将とは成らん!」
かくて関羽に殺された。』
于禁7軍・人馬5万を丸ごと捕虜とし 更には
广龍悳の騎馬軍団5千をも潰滅させた関羽!!
残るは唯、完全に水没して「樊の城」に孤立する曹人軍5千のみ!!ーー関羽の前に敵は無いのか!?もはや曹操には此の大打撃を補填して、直ちに救援に向わせる予備の兵力は、何処にも見当たらぬ・・・・。
この219年の8月は、関羽軍が 最大の輝きを
放って曹魏を窮地に追い落とした為に、蜀の野望が 俄然、現実味を帯び、反曹操・親劉備の人々の心を
大きく揺り動かす震源の時と成ったのである。ーーかくて関羽の攻勢は更なる怒涛と成って、魏の版図に侵攻してゆく。だが対する曹操は未だ「長安」を動けず予備の兵団を持っては居無かった。
蜀の野望を込めた関羽の北上・
関羽の大攻勢は 尚も続く!!【第236節】 曹操動揺、遷都を検討 ( 窮余の1策・寄せ集め派遣) →へ