【第232節】
策謀家 の 免許状
                                    呂蒙から 小僧っ子・陸遜へ

関羽出撃!
の報は直ちに陸口の呂蒙の耳に届けられた。
想定された成り行きだったから特に驚きはしない。密偵を大量に放った。関羽軍にピタリ張り付かせ、逐次その戦況を知る事と、荊州に置き残していった予備兵団の動きを見張らせる為である。
「・・・ウ〜ム、たった其れだけの兵力で行ったのか!それで勝つ自信が有るとは、げに 関羽とは恐ろしい男じゃな・・・!!」
意外だったのは、「江陵」と「公安」に残された守備兵力の多さであった。1兵でも多くを率いて行きたい筈であるのに、関羽は寧ろ此ちらの方が心配だと謂わんばかりに全軍を振り分け 荊州には臨戦態勢そのものの陣容を構築して行ったのである。
《ーー是れでは迂闊に手を出せんではないか・・・・。》

己不在への手厚い〔細心さ〕と、自身率いる寡兵への〔剛胆さ〕・・
そんな関羽の手配りの前には、流石の呂蒙も舌を巻いた。仕方ない。こう なれば暫くは、関羽の趨勢を見定めるしか無い。
関羽軍大勝す!・・・ものの3日も経たぬ裡の報告であった
漢水を溯上した関羽軍は「樊」の西に揚陸を敢行。その郊外に於いて迎撃した魏軍を撃破。曹仁は樊城に逃げ込み、包囲されてしまったと謂う。
「ーーそうか、矢張り関羽は強いのう・・・・!!」
改めて関羽と云う部将の凄さを認識する呂蒙であった。

《・・・だが待てよ・・・》と思ったーー城攻めの包囲戦と成ると、この後は其う易々と事は運ばないだろう。曹操は必ず救援の大軍を送り込む。だとすれば関羽は、前面の包囲戦と背後の迎撃戦との〔両方向〕に対して陣を構えなくてはならなく成る。当然、兵力不足の懸念が生じて来よう。それを補う為には、荊州の予備兵力を呼び寄せるであろう。

ーーだが、その呂蒙の読みは外れた。
関羽軍、再び勝利す!・・・・曹操が急派した寄せ集めの増援軍は、到着する前に待ち伏せに遭い、潰滅させられたとの報告だった。
「これでは、付け入る隙など無いではないか。」
打つ手無しであった。然し未だ10日も経っては居無いのだ。
《曹操め、今度は正規の大部隊を投入するに違い無い。》

ーーと今度は呂蒙の読みが当った。曹操側は【于禁】を総大将とする5万規模の大部隊の編成に着手したとの情報が入って来たのだ。当然ながら関羽にも其の情報は入っている筈だ。とすれば今度こそ援軍を要請して来るに違い無い。
「どうだ、江陵や公安に出動の動きは有るか?」
「いえ、全く其の気配すら御座いませぬ。」

「なに?1兵も北へは向わぬと謂うのか!?」
「はい、寧ろ防禦を固めて居る様子に御座いまする。」

「ウ〜ム、我等からの奇襲を用心して居ると申すのじゃな?」
「その様に見受けられまする。」

「関羽め、余程 己の武勇には自信が有ると見える。未だ当分は手持の兵力だけで事足りると存念して居る様じゃな・・・・。」

「北方では各地に不穏な動きが現れ、魏側も対応に手を焼いて居るとの事ゆえ、関羽にとっては有利な状況で御座いまする。」

「じゃが、兵力を望まぬ部将なぞ居らぬ。まして城攻めとなれば、関羽とて内心では援軍を欲して居る筈じゃが・・・・。」

「はい。余程、我等の動向を懸念して居る様で御座いますな。」

この儘では荊州の防備態勢が変らぬ!と観て取った
呂蒙は、予てから考えて居た”謀略”を実行に移す事を決断した。そこで直ちに建業に居る孫権に宛てて”密書”を送り、事の決着を急いだ。
関羽は樊の討伐に向かいましたが、多くの守備兵を後に留め
置いたのは私が其の背後を衝く事を心配したからで有るに相違ありません。私は常々より病気がちで在りますから軍勢の1部を引き連れて建業に帰らせて戴き、その際には病気治療を名目に致したいと存知ます。之を聞けば、関羽は必ずや守備兵を引き上げさせ、全ての兵力を襄陽に向かわせるでしょう。我等は其れを見定めてた上で、長江に船を浮べて兵員を載せ、大挙して昼夜兼行で上流に馳せ上り、手薄に成った 関羽の根拠地を襲えば
南郡を降す事が出来、終には 関羽を囚にする事も 不可能では
御座いません。

この密書を受け取った孫権、阿吽の呼吸よろしく、周囲には呂蒙が危篤に陥った!と大騒ぎの芝居を打つと共に、直ちに呂蒙を呼び還す為の
露檄 ろげき を送った。露檄とは封緘をしないで送る速達便の事で、もし内容が漏れても構わぬ意図を有する。
無論、呂蒙自身も倒れて見せた。何も知らぬ陸口陣営は大騒ぎと成った。実際にも呂蒙の健康状態は ここ数年来、悪化して来て居たから真迫の演技と成った。半年後には享年42にして本当に病没する呂蒙であるから、あながち 演技だけでは無く、本当に
半病人状態で在ったかも知れぬ。それだけに尚、味方の者達は本当に心配した。況や間諜が完全に欺かれたのは言う迄も無い

かくて呉軍総司令官の呂蒙は、病気を理由に艦隊の1部を引き連れると、その任地である 陸口 を離れ、本国の首都・建業へと長江を下って行った。途中(建業へ百キロの蕪湖の辺り?)休息して居る呂蒙の下へ、見舞いの者が駆け付けて来た。と謂うより後の展開から推せば、寧ろ呂蒙が呼び寄せたと観るべきかも知れ無い。

その男は、仕官の初めから地方に派遣され、専ら「山越」の討伐と慰撫に当り、常に大きな業績を挙げて来て居た。だが其の為に広く天下に名が知れ渡る事は無く、呉国内部でさえも極く1部の者にしか能力を評価されては居無かった。今年で
37歳の、未だ無名の人物と謂ってよかろう。
さて一通りの挨拶が済むと、その人物は病気見舞いに来た筈であるのに、居を正すと、ズカリと呉軍総司令官に直言して来た。呂蒙個人の健康より国家の未来の事が心配である・・・・と謂った心情が面に表れて居た。

「敢えて都督様に申し上げまする。貴方様は関羽と隣り合う任地に居られましたのに、何故かくも遠くにまで長江を下って来られたのでしょう?果して、後の事は心配無いので御座いましょうや!」

鋭く詰問する様な語調であった。呂蒙は不意に急所を突かれた思いで些か面喰らった。会ったばかりの男に事の真相を打ち明ける訳にもゆかぬ。

「いや誠に申される通りではあるが、何しろ私の病気が重く成ってしまい、致し方ないのじゃ・・・・。」

だが相手は、そんな返答くらいでは納得しそうも無かった。そこで呂蒙は、此の際、その人物がどの程度の考えを持って居るのか聞き出そうと思い、シラを切る事にして惚けた。

「私自身が此んな状態では、一体何が出来るで有ろうか・・・?」

するや其の男は、それまで常に熟考して居たのであろう思いの丈を、熱を込めて語って見せるのであった。

「関羽は向っ気の強い性格で、他人に対し人を人とも思わぬ振る舞いを数多く致して参りました。只今も彼は大きな手柄を立てたばかりで心は驕り、志を膨らませ、ひたすら北へ軍を進める事ばかりに力を注ぎ、我が方に対しては警戒を致しては居りません。」

些か呂蒙とは見解が違う所も有るが、まあ此んな遠地では正確な情報は得られまい。荊州が無防備だと思うのは当然であろう。但し関羽の性格や、その根本の戦略については的を射ている。

「都督たる貴方様が、病気で本国へ還ったとの知らせを聞けば、ますます無防備に成るに違い有りませぬ。ですから逆に今こそがチャンスなのです今彼の不意を衝けば易々と彼を手中に収める事が出来ます。何卒この事を、江を下って陛下に御会いになられましたら、宜しく計略をお練り下さいます様、お伝え願いたく存知まする。」

呂蒙は内心で感動した。ーー嗚呼、こんな遠方の任地に在っても尚、常に本気で国家の未来に思いを馳せ、その大きな戦略を考え続けて居て呉れる人物が在ったのか・・・・!!

だが呂蒙の口からは、全く反対の言葉が発せられていた。

「関羽は元来から勇猛で在って、正面から太刀打するのは容易では無い。その上、既に荊州を手中にし、その地には彼の恩徳と威信とが善く行なわれている。然も最近
手柄を立てたばかりでその意気はますます盛んだ。容易に手を出す事は出来ぬ。」

その男は、ひどく落胆すると、憮然とした面持ちで帰って行った。だが反対に呂蒙の顔は、嬉し気に綻んで居た。

その人物ーー
陸遜りくそんであった。字は伯言
無名だが血筋は良い。いや 「孫一族」よりも 大名門の御曹司であった。家は代々から
「呉の4姓」と謳われた江東の大豪族で、4姓の中でも最大の名家で在った。然し25年前、袁術の命を受けた2代目・孫策が已む無く戦い、盧江太守で在った陸氏一族は殆んど潰滅した。当時
まだ幼児だった本家の「陸績」に代り12歳だった【陸遜】が残った一族を統率した。やがて4姓ら江東の豪族は全て孫氏に仕官したが、陸遜だけは拒み続け、ようやく代が孫権に代った3年目に21歳に成って出仕した。地元豪族の協力無しには政権を維持
できぬと観た孫権は、陸孫を厚く遇し
孫策の娘を妻として与え、〔帳下右部督〕に任じ、屡々意見具申をさせた。
だが、元々からの地方豪族だった故に、「山越」への慰撫工作に於いては他の武将達よりも数段すぐれた治績を挙げた事から、爾来の任務は、殆んどが地方でのものだったのである。だから
大きな戦役の時にも常に地方に在り続け、天下に武名を轟かす様な場面にも出会わず、国内での評価も決して高いものでは無い儘に来て居たのだった。
今し37歳の男盛り。
建業に到着した
呂蒙(41歳)。すると心配した孫権(38歳)は自ずから船着場まで出張って来て、手を取って呂蒙を迎えたのであった。

「おお、呂蒙よ!加減は何うだ?医者も連れて来てあるぞよ。」

「殿には御心配を御掛けてしまい、面目も御座いませぬ。」

「起きずとも苦しゅう無い。このまま輿に横になって行け。」

何処までが演技で何処までが本当か判らぬ程の主従では在った

ーーその1刻ほど後の事・・・・建業の内殿、孫権の居室に特別に設えられた病室では早速にも主従2人だけの密談が交わされていた。
「そなたからの密書はジックリ読み返した。・・・で、取り合えずの課題だが、そなたの代理を務めるべき人物には、一体誰が適任であろうかの?」
「さて、その事で御座います。殿には今直ちに
陸遜を召喚して下されませ。」

「フム、陸遜・・・とな?」

「左様で御座います。以前から見込みの有る人物だと目星を付けては居たのでは御座いますが、このたび還りの途中で面談致しまして、いよいよ此の人物を置いて、他に私の後任は居無いとの確信を得ました。」

「ほう〜、それ程の人物に成長して居たのか!?」

「はい。陸遜は、その思慮広くして深く、彼の才能は重任にも堪えるもので御座います。彼が巡らす将来への計画の周到さを見ましても、十分に大事を任せる事が出来ると申せましょう。」

「確固たる戦略、具体的な戦術を持って居ると謂うのじゃな!?」

「しかも、彼の名は未だ遠くに迄は伝わっておらず、関羽から警戒されて居りませんから、彼以上の適任者は御座いません。」

「ウム、この儂とて、そなたに言われなければ見逃す処で在ったのだから、それは確かであるな。」

「もし 彼を お用いになるならば、外に対しては 其の意図を秘め
隠させ、密かに形勢が有利に成るのを窺う様にと命ぜられませ。その様に為さいますならば、関羽を打ち破る事も決して不可能
では御座いません!」

「関羽の事なら 本人以上に 良く識り抜いて居る 御前の事じゃ。その御前が言うのであるから、この儂に何の異存が有ろうや!」

ここが孫権の偉い処である。普通なら君主が自分の考えを優先して後任を任命するであろう。だが孫権の場合は、先ず最初に家臣の言う事を聴き、その後に承認する姿勢が常に在る。曹操なら絶対に在り得無い事である。家臣の方でも其れが当然と思って居るから、熟思して言上する。

「つきましては、今後の方策を考えるに当っては、是非にも彼を同席させ、共に秘策を練るべきだと思いまする。具体的な細かい作戦は、その時に最終決定したいと思うのですが。」

「よ〜し、解った!直ぐに手配しよう。」

無論、孫権自身の候補者リストの中に陸遜の名が無かったならこうはスンナリ合意を見ないであろう。そこは流石である。

「処で、そなたの身じゃが、暫くは此の孫権が預かるぞ。」

「はて、どう云う事で御座いましょう?」

「陸遜が到着して秘策が練り上がり、その後彼が陸口に着任する迄の間は、そなたは此のまま 内殿に留まって、休息致すが善い。此処は良い医師も常駐して居るから、この際は ジックリと療養しいざ!の時に備えて欲しいのじゃ。」

「そ、そんな、滅相も無い事で御座いまする。御主君と1つ屋根の下に家臣が同居するなぞ、聞いた事もありませぬ!!私はただ仮病を装って居るだけの事。お気遣いは無用で御座います。」

「何を惚けて居るのじゃ。お前の健康状態が判らぬ孫権だと思うのか?今さら遠慮なぞ、それこそ無用である。是れは君命じゃ。私邸に帰るのは罷りならぬ!よいな、御前の身は国家にとっても儂にとっても掛け替えの無い大事な命なのじゃ。我が儘は許さん

「と、殿〜・・・・!!」 呂蒙の眼から熱いものが迸り出た。

「泣く奴が在るか。」 孫権は大らかに笑って屈託無い。

「そこまで私の如き者の身を案じて下さるとは、もう私は・・・・。」

感激した呂蒙は一頻り泣くと、涙の中から言った。

「殿、内殿での養生は御辞退させて戴きますが、その代りに1つだけ私の我が儘をお聞き届け下さい。」

「強情な奴だな。で、願いとは何じゃ?」

「私の病気を診て呉れる医者の人選なのですが・・・・。」

「何だ、そんな事か。自由に誰でも、何人でも付けるが善いぞ。」

「では、御言葉に甘えまして、私が最も信頼する者を、今ここで
選ばせて戴きます。」

「さて、一体誰の事かの?」  「
虞 仲翔どので御座います。」
「ーーえっ!!・・・あ、あ奴をか!?」  
途端に孫権の表情から 大らかさが失せて 険しくなった。

「はい彼は医術にも詳しい御仁です。多少変わり者ですが、その才能は万人が認める処で御座います。何とぞ、私の主治医として側に置く事を御許し下さいませ。よもや騒ぎは起させませぬ。」

「あ奴は”多少の変人”程度の玉では無いぞ。」

「確かに、そう思われて居りますが、この私めに対しては1度たりとも其の様な事を口にした事も態度に示した事も御座いませぬ。もし本当に私めの身を案じて下されるのでしたら、断っての願いと思し召し、どうか、この私の主治医に選ばさせて下さいませ!」

「そなたの断っての願いと有っては許すしか無いがの〜・・・」

「有り難き御言葉、さぞや仲翔どのも喜ぶ事で御座いましょう。」

「全くお前と云う男は、自分の事より、飽くまで他人への気配りを怠らぬのじゃな!そんなお前に免じて、もう1度だけは呼び戻してやろう・・・・。」

この2人の会話の対象と成っている人物・虞仲翔とはーーそう、あの
いにしえの 狂直 こと 虞翻ぐはん である。


孫策の時代に仕官した当初からズバズバ直言した。だが孫策は豪快に笑い飛ばして彼を愛でた。 ( 第89節に詳述あり ) スッカリ惚れ込んで更に張り切ったが、孫権とはウマが合わ無かった。
孫権は虞翻を騎都尉に任じた。然し彼が屡々孫権の意向に
逆らって諫言した為に、孫権は不愉快な気持を募らせ、加えて
彼の性格が人々と協調できぬものであったので、度々 非難を
受け、その為に罰せられ丹楊郡の
けい県に所払い=強制移住
させられて居た。

そんな虞翻を思い遣って、呂蒙は 自分の元へ呼び返し、彼の
医術を頼ると同時に、彼が許される糸口にしようと取り計らった
のである。ーー果して、虞翻は後の江陵城接収に際し、彼の進言によって呂蒙の命と、呉軍の危機を救う事と成るのである・・・・。

詳しい事情は一切知らされぬ儘に、陸遜が急遽、任地から至急の速さで召喚され建業に到着したのは、関羽が出撃してから未だ10日も経たぬ7月中の事であった。

「久し振りじゃな陸遜!随分と成長して呉れた様じゃな。そなたの事は此の呂蒙からスッカリ聴かせて貰った。見れば確かに、堂々の士大夫じゃ!!今後は国家の太柱として、この孫権を祐けて呉れよ!」

「有り難き御言葉!忝かたじけなく存知まする!」

「うんうん頼んだぞよ。では陸遜伯言よ。本日を以って、その方を新たに偏将軍 右部督に任ずる。よく其の重責に応えよ!」

「ハハ〜恐悦至極に御座いまする!この陸遜伯言、身命を賭し全知全能・全身全霊を傾けて、その責務を遂行致しまする!」

その拝謁の様子を横で見て居た呂蒙が笑いながら言った。

「いや あの時は すまなかった。君が憮然とした様子で肩を落としながら帰って行く後姿を見送りつつ私の心は其のとき既に決まって居ったのだ。」

鯱ちょこ張って居る 陸遜に近寄ると、呂蒙は 肩を抱く様にして
迎え入れた。
「知らぬ事とは申せ、随分失礼な言い様で在ったと深く恥じ入って居りまする。どうぞ御許し下さい・・・・。」

「いやいや気にせんで呉れ。頼もしい人物に出会えたと
                            嬉しかったわい。」
「よし、これで揃ったな!では先ず、前祝いの盃を交わしてから、その後で作戦会議と参ろうではないか!葡萄の酒は体にも良いと聞いている。」

「有り難い御配慮。お受け致すしか御座いませぬな。」

「ワハハハ、この酒好きメが!」

「その言葉はソックリそちらに御返し致しますわい。なあ陸遜よ。」

「はあ、私も人後に落ちぬものですから、何ともハヤ・・・・。」

「よ〜し酒好き3人衆が、関羽を討つ秘策を練ろうではないか!」

「こんな不逞の様子を知ったら、さぞや関羽は怒るでしょうな〜」

「いやいや、所詮われ等は関羽の武勇には敵わぬのじゃ。だからこそ正面からは参らぬのだ。酒くらい飲んで丁度よい加減なのだ

「飽くまで関羽を恐れよ・・・と謂う事で御座いまするな。」

「その通りじゃ。関羽は強い。いや強過ぎる!だから主従共々にこうして恐れ慄き、策を練るのだ。直接に関羽を倒す事は誰にも出来まい・・・・。」


この直後の孫権ーー何を思ったか、トンデモナイ行動に出た。突如、曹操に攻撃を仕掛けたのである!!即ち、夏侯惇・張遼らが駐屯して居る合肥に派兵したのだ。・・・・ん?? 曹操に対しては、つい先日、お追従の手紙を差し出したばかりではないか?ーーその舌の根も乾かぬ裡に攻撃を仕掛けるとは、一体どう云う魂胆なのか??・・・・実は、ここが策謀家の策謀家たる所以なのである。
一石で二鳥の効果を狙ったのだ。元より出兵は本気では無い。【】に対しては飽くまで〔付加価値の吊り上げ〕が狙いであった。

《もし、当方の申し出を受け入れ無い場合には、こうして攻撃する事も在り得るのですぞ。そこの処を努々お忘れ無き様に!》・・・と

云う脅し幾分の勧告なのであった。 と 同時に、一方では【蜀】=関羽に対し、《コチラは此の通り、魏とは敵対関係に在る同盟国なのですぞ。そこの処は御安心めされよ!》・・・と云う喚起を促す事と成る。正に一石二鳥の仕掛けなので在った。
合肥城でも其の辺りの政治性を嗅ぎ当てた人物が居た。【温恢おんかい】である。丞相主簿を経て揚州刺史と成って居たが、曹操は彼の軍事的な才腕をも高く評価し、張遼ら対しては、
「温恢は軍事に通達して居るから、一緒に相談して行動せよ!」 と 特に命ずる程であった。呉軍の接近を観た温恢は言った。

「心配する程の事は無い。寧ろ、気掛かりなのは征南の軍に今、思い掛けぬ事が起こる事だ。今、漢水の水嵩が増えているのに将来の危険に備えて居無い様だ。関羽は勇猛であり、その状況を利して進撃して来れば、災難を惹き起こすに違い無い・・・・。」

その同じ頃・・・・
偏将軍右部督・陸遜の姿は、早くも陸口の陣営に在った。その間にも関羽軍は、更に戦果を拡大し続け、その勢いは留まる所を知らぬとの報告が相次いだーー
そこで陸遜が先ず為した事は・・日の出の勢いに乗る関羽に対し遜った態度で、着任の挨拶状を認める事であった。
先に承りました処によりますと貴方様は相手の隙を見て取るや素早く 行動を起こされ、 兵法通り 軍を進められ、小さな力をして
大きな勝利を収められたとの事。何と高々しく聳え立つ、立派な御手腕で御座いましょう!
敵国が 大敗を喫しました事は、 同盟国である我が国にとっても
幸いな事であり、勝利を収められたとの目出度い知らせを聞いて手を打って喜んだ次第で御座います。
想いますに、やがて敵国を完全に伐ち平らげられ両国が共々に王者の統治を実現するべく、協力し合う事とも成りましょう。
このたび非才の私が任務を授けられ 西方に遣って参りましたが貴方様の輝かしさを仰ぎ慕い、立派な御計略で以って、我々にも御助言いただけます様、願って居りまする。


些か歯の浮く様な、赤面モノの文面であるが 『正史・陸遜伝』の全文である。勿論、実物が陳寿の手に渡る筈も無いが、「それを言っちゃあ〜オシマイだよ!」の世界だから、まあイイだろうーーいずれにせよ陸遜は、好い歳をした大の壮士が、自分でも恥かしく成る様な、「恋文然たる文章」を書き連ねて、関羽の元へ送ったのである。無論 呂蒙からの強いアドバイスも在ったでは在ろうが貰う方にすれば悪い気はしない。試しに、上の手紙を自分が貰った物として読み返してみて戴きたい。筆者なぞ 有頂天に成る事 請け合いである。

果して、陣中に在る
関羽・・・・一笑に附して、直ちに破り棄てたか? はた又、周囲に見せた後に破棄させたか? それとも何と無く 残して置いたものか?? 読者諸氏なら、どんな光景を想像されるであろうや??

いずれにせよ呉の国の立場から観ると、歴代都督・国軍総司令官のバトンリレーは、ひと先ず成功した模様である。
【周瑜】から【魯粛】へ、そして【呂蒙】から【陸遜】へ・・・・その器は各自大小が在り、また描く戦略は全く異なるが、少なくとも、どの受け渡しに於いても一瞬の間隙無く、ちゃんと後継者を指名して権力抗争を生まないのは流石である。但し、この4人の内 3人迄が 早逝するのは不吉であろう。果して陸遜の場合には、何んな運命が待ち受けて居るのであろうか!?

さて気になるのはーー孫権と呂蒙と陸遜の3人が額を寄せ合って練りに練り上げた
策謀の中味 である。一体、具体的には何んな事を計画して関羽を破滅の淵に追い込もうと謂うのであろうか・・・!?その実態は今後の局面に於いて、追々に明らかと成ってゆくのだろうが、所詮は策略であり、実戦では無い。その策謀が功を奏するも奏しないも、ただ偏に関羽雲長の戦いの行方しだいに懸かっているのである。

そして実際に、そんな策謀など塵芥の如く吹き飛ばす様な、万人が予想もして居無かった関羽の大栄光が、一閃の雷光と共に、樊の大地に出現するのである!

恐るべし 関羽 雲長!!
天まで をも 味方に付けるか!?

【第233節】恐るべし関羽の実力!樊城・曹仁孤立す→へ