第228節
ネオコン の 密議
                                    歴史潮流を創る者達


で、孔明と劉備が、〔苦渋の密談〕 を交わして居たのと同時刻・・・でも亦 その〔未来に向けての重大な密議〕が 交わされて居た。更にでも、〔時代の方向性を左右する大密談〕が交わされて居た。ーー正に世は、押し並べて
水面下での鬩ぎ合い時代》の観を呈している。但し其の密議の内容に関しては、全く異質で同列に語れるものでは無い。

そこで本節では先ず、「魏」 国内の動き を観る。「呉」での密議 については 次節で 扱う事とする。

ーーさて、3国の中で最も強大な【魏】の動きだが・・・・

俄に憔悴したかに見える曹操ーー未まだ 「長安」から動かずに在った。だが、その掌握する権力の絶大さは、不動のもので在り続ける。今も 尚、中国全土に展開する魏軍団は彼の指令1つで動く。そして時代も亦、全て此の男の意思の在り様で変動する。それだけの力を持ち続けて居た。だが然し、
その長安から西へ遙か600キロ・・・・
魏国の1部では、密かに曹操の次の時代の到来に向けての準備が既に動き出していたのである。ーー曹操の年齢と、最近の健康状態から推して 其れは当然の動きではあった。 即ち、正式に 後継者!と 決定
された
曹丕の周辺、その”側近”と目される者達を中心に、
曹操亡き後の新政権の基本方針・政策大綱の下地づくりが始められ様と していたのである。 但し無論まだ、表立っての動きでは無い。 老いたりと雖も 曹操は尚、意気軒昂で在る。だから【曹丕】自身は何の方針も示さ無いし、諮問すら しない。飽く迄も
側近達による 「試案の擦り合わせ」 段階であった。だがその際
他国には無い魏国だけに与えられた巨大な課題に直面する事と成る。謂う迄も無く、2代目・曹丕政権にとって”最大かつ緊急の課題”は、曹操が果そうとして果し得無かった究極の政治課題。そして国家最高の目標・・・あの大曹操でさえ、慎重な上に慎重で、石橋を叩いて尚、終に自からが渡る事を断念した至高国の姿・・・・・
新王朝開闢曹丕皇帝即位!その実現であった。是れは何を差し置いてもの絶対の命題。

だが然し、案外な事だが・・・・此の難しい課題の実現に対する「
次世代」の反応は、呆気ない程のアッケラカンさを抱いて居た。いや、抱ける様に成って居たのである。彼ら 「次世代」 は 既に、
漢王朝の呪縛からは解放された地平に生まれ育って来て居た。 頭の中の理念としては漢王室の至尊を理解するが、彼等が体験して来た現実からは、何の”実感”も感得でき無かった。どころか寧ろ、《曹魏の巨大さ》だけしか知ら無い者達だった。
曹操および其の重鎮達は、自身が若い時に〔漢王朝の威光〕を体験した一種の「
トラウマ世代」で在ったからその至高の存在を完全に否定する事には大きな抵抗感・罪悪感が伴なった。然し、曹丕自身と、その世代の者達の 時代感覚は、ストンと違った。
大胆に謂うならば、彼等は、何も今更に 騒ぎ立てる必要性なぞ、全く感じて居無かったのだ。精々思うのは、その儀典・有職故実に通暁する古参重鎮の選定程度だった。事実、いざ〔その時〕と成っても、既に在る 朝廷の機構を、そのままスライドして、ただ
新しい名だけを冠すれば済む。そうでは無く、彼等の思うのは、〔”其れ”を前提〕とした、爾後の治世方針・経営戦略の方にこそ在ったのだ・・・・。

因みに、曹丕と特に親しく、その「側近」として曹操も認める者達は4人居た。 群雄割拠時代を生き抜いて来た”曹操世代”
とは2廻り若い人材・・・所謂
四友と呼ばれる面々である 曹氏一門から 2人、臣下から 2人の、計4名が次代を担うホープとして配されて居たのである。
曹真曹休司馬懿そして陳羣
4名!!
注目すべきは、この中に曹丕のお気に入りで、後継者レースでも派手派手しく立ち廻った【
呉質】の名が無い点であろう。曹操の「人物眼」は流石であり、如何に曹丕の覚えが目出度くとも、その人物が”太鼓持ち”に過ぎぬ事を見抜き、側近の位置からは除外させたのであるーーさて此の4人の中で最も期待されて居たのは曹真で在った。曹操からも厚く信任され、漢中への先遣軍団司令官を果して居た「曹丕」とは幼少時から1つ屋根の下で育てられ 曹氏一門として、その忠誠心には1点の翳りも無い。次代の魏国を支える中心人物!と見做されるのも当然の位置に在った
曹休も全く同じ来歴と資格を有し、下弁討伐戦では曹洪の参軍事として、事実上の司令官を任されていた。但し年齢的に未だ少し若かった。だから曹操は、年齢構成を考慮して、曹丕の上と下に〔虎豹騎の司令官〕を経た1族のホープを配したと観るべきであろう。ーーそれに対し後の 2人は飽くまで家臣の中からの抜擢であった。而して司馬懿の場合は曹丕との間柄は”師友”として仕官の最初から格別であった 故に以上の3人は器は勿論だが、謂わば曹丕の情愛に拠る信任を得て《四友》に選ばれた!と謂ってよいだろう。だが、もう1人の「陳羣」だけは、明らかに 任命推挙の根拠が異なって居た。ーー『正史・陳羣伝』 に曰く・・・
文帝曹丕は東宮に居る時、深い敬意を持って彼を重んじ、友人に対する儀礼を以って処遇した。 常に感歎して 「儂には、しっかり
”顔回”が居て呉れるから、門人達は日に日に仲良くなるわい!」 と言って居た。
』 とある。 (※ 顔回は孔子の1番弟子。)

糞真面目を絵に描いた様な〔石部金吉〕。かつて、曹操の寵愛と信任を一手に負って居た、飲む・打つ・買うの デカダンス軍師・【郭嘉】の行状を真っ向から弾劾した経歴を有する 直言居士
更には、曹操の 「肉刑導入諮問会議」に於いては、先輩大名士達の保守的な意見に対しても全く臆する処なく、その陋習を打破すべきである!との独自の意見を開陳して見せた、

革新気鋭の理論家
でも在る人物・・・・
陳羣ちんぐん長文。祖父・父・叔父は、時代の大名望家だった
因みに此の節は
彼の”頭脳”が主役である彼が抱く次の時代への理念〕が主人公である。故に、この際どうしても 陳羣の履歴と人物については、事前情報として観て措かねばならない。そして其の場合、特に注目すべき点は・・・・現在は栄光の座に在る陳羣だが実は彼が曹操の元に仕官する迄の決して順調だったとは言い難い苦労の多い経緯で在る何故その仕官までの経緯を重大視するのか??
・・・と言えば、その陳羣自身の苦々しい体験こそが、
次の時代の人材登用制度に色濃く投影され、やがては時代を画する大改革へと直結するからである!そして、陳羣が建議し・・・・この後の、歴史の結果として、
創設された登用・昇進制度こそが司馬氏の台頭を保証し、終には 晋の 「三国統一」 へと 向わせる 根源・原動力と成る・・・・からである!!

陳羣は遅かれ早かれ、いずれは出世するべき”父祖の名望”を具えて生まれて来たとも謂える。それだけに尚一層、サラブレッドで在る己の遅い仕官が不合理・不条理にも思えたであろう。
祖父の
陳寔ちんしょくは、後漢時代を代表する「当代1の士大夫!」と謳われて居た。”党錮の禁”に遭い荊山に隠れ住んだが人々は彼を敬慕し、「国家の罪に問われようとも、陳寔様だけからは誹りを受けまいぞ!」 と言い合い、彼の肖像を描いては掲げる程で在った。やがて大将軍の何進から招聘されたが、未まだ宦官の巣食う政権への出仕を拒否し、その節操を全うした。その葬儀には全国から士大夫が参列し、車駕 数千台・3万人が集まった。
現役の三公九卿は
糸思しま=最も軽い3ヶ月の喪に服し、糸衰さいま=最も重い3年間の喪に服した者は3ケタに上った、と謂う。
父の
陳紀は平原の相(太守)侍中・大鴻臚を歴任。叔父の陳ェは早逝したが司空掾を務めた。世間では此の3人を、『三君』と尊称した。そんな父祖を持つ陳羣だったから、【孔融】が激賞して有名と成った。そんな折、陳羣は、たまたま「陶謙」から上表されて豫州刺史と成って居た劉備から招聘されて別駕と成った。その直後に陶謙が病死。劉備が後釜に座る情勢に成った。このとき陳羣は 諸般の状況から推して、その徐州への赴任を諌めたが
劉備は
その仁侠集団の持つ偏狭性から聞き入れず、結局は徐州を失い後悔する事となる。そこで陳羣は、劉備の逃亡を機に主従関係を絶縁!!老いた父親を連れての逃避行を 味わう羽目と成る。
この体験は堪えた・・・やがて
曹操が南下して来て「呂布」を討滅。ようやく逃亡生活に終止符が打たれ、曹操から招聘されて 〔司空西曹掾〕 に抜擢された。然し、逃避行で病んだ父が死んだ為に一旦 官を辞して喪に服した・・・・喪が明けて再び召請され、〔司徒掾〕でありながら高成績で推挙され 〔治書侍御史〕と成り、〔参丞相軍事〕に転任魏が建国され〔御史中丞〕に昇進現在は側近中の側近侍中の任に在って東西の曹掾を配下に置く程の重きを為して居る。
ーーかくて曹丕の《四友》と成った
陳羣だが、此処までの履歴を観る限りでは、その任務は専ら内政・内治担当で在り、未だ軍事方面での任務は稀薄である。有能な内務官僚として期待されて居た事が窺える。 是れに対し、【曹真】【曹休】の2人は、
寧ろ ”
部将”としての活躍が期待されて居た。その中間、両方を
兼ね合わせた能力の発揮を期待されて居るのが・・・・曹丕1番のお気に入り司馬懿 仲達 と謂えようか。

その司馬懿陳羣の2人が、公務を終えて退庁して来た。何時もなら政庁の前で簡単な挨拶をして右と左に分かれる2人だったが、今日は珍しく司馬懿の方から声を掛けた

「ちと辺りを散策しませんか?同じ御役を仰せ遣って居る者同士ですが、未だ役所の中では御互いに話せぬ事も有りますし・・・。」

それが、”
曹操亡き後の事” を指すのは 直ぐに解った。曹丕の
四友としての重責に在る者としては、本音の所、爾後の方針を
互いに確認して置きたかった。だが 事が事 だけに、大っぴらな
論議は憚られる。
「宜しいですな。では暫し、夕涼みと洒落こみましょうか。」

出来れば司馬懿は自宅でジックリ陳羣と語り合いたかった。だが陳羣は普段から私的な談合を忌避し、常に情実を排す姿勢を崩さぬ男で在った。 だからこそ 直言も進言も堂々と出来ると思って居る。陳羣が私的な交流を好まず
公務以外での付き合いを厳に慎む姿勢は夙に有名であったのだ。

「長安の大王様は如何して居られるのですかなあ〜?」

司馬懿が会話の接ぎ穂に曹操の身を案じて見せた。

「何分お歳ですから、些か心配で御座いますます。」

「聞き及べば、《洛陽宮》の修復工事を命じられ、その宮殿の完成を待って入城なされるとか。矢張り大王様にとっては、洛陽こそを次の時代の新しい国の首都にしたい!との御心が御ありなので御座いましょうな。」

「来たる【魏王朝】は「漢」を継ぐのですから、自分の時代は、由緒ある洛陽宮から始める・・・・それが曹丕様の御希望の様です。」

「ほう、そう仰られたので御座いますか?」

「曹丕様も内心では次の時代の姿を描いて居られる御様子ですそこで御仕えする我々の覚悟ですが・・・・来たる太子様の新しい仕置きについて、君殿は内外の諸問題について、一体どの様な青写真を描いて居られるのですかな?」

「これは又・・・・貴方様を差し置いて、この私ごときが先に私見を
 述べるなど僭越と申すもので御座いましょう。」

「おやおや君と私の仲ではないか。今更何の気兼が要るものか。いずれはキチンとした論議の場は与えられようが、その前に我々仲間内で、気楽に 腹蔵も忌憚も無い 意見交換をして措こうでは御座らぬか。」

「そうですな。その必要性は、私も強く感じて居ります。」

「では先ず、対外的な方策について、私の考えをお聞き下さい
 ますかな?」

「拝聴させて戴きましょう。」 逍遥しながらの会話となった。だが、これが”誘い水”だったとは、実直一途の陳羣には気付かぬ展開だった。先ず司馬懿自身が 当たり障りの無い 〔外交問題〕を切り出し、次には眼目である〔内政〕に話題を持って行き、一家言あるだろう陳羣の口を開かせる作戦の様だ。

「来る時代は先ず、”内治”を最重要視し、対外的な遠征は 厳に
 慎むべきであろうと、私は考えて居ります。」

頷く 陳羣。もう少し具体的な内容を聴きたい。

「未まだ各地の国境線は定まっては居無いのが現状です。然し、時代状況を大局的に観た場合、もはや天下統一は実現不可能だと考えます。この点、貴方の見解は如何ですかな?」

それとなく論議に誘い込む司馬懿。問われて陳羣は答える。

「多少の切り取り・版図の拡大は可能では有りましょうが、私の
 観方も亦、 貴方と同様で御座います。」

「取り合えずの課題は、関羽が居座る荊州問題ですが、是れは早晩、大王様の時代の裡に見通しが着くでありましょう。ですから結局、次の時代は3つの国が鼎立した儘の状態が暫くは続く事と成ります。局地での小競り合いは続きましょうが、最強国で在る【魏】さえ、内治・文治を重要視する姿勢を貫いて
覇権主義政策を採用しない限りは・・・・或る意味では、3国が鼎立する儘の
〔安定期〕の段階を迎える事が可能です。我々は、その内治重視の方針を強く進言し、実現させねばならぬと思います。」

「いや正に冷静な御判断・・・天下統一を政治日程に上げるのは国内の整備と充実が果されてからの後の事。今の我が国は連年の遠征で疲弊し切っています。それを癒して建て直し、国の基を磐石にする事が肝要かと。」

「それには何年位を要しましょうか?」

「まず、最低でも10年。但し、劉備と孫権もジリ貧にならぬ為に、時々は国境付近までは出張って気勢を挙げる方針を採るでしょうから、中々に平坦な道程とは成らぬでしょう。」

「今は【劉備】が些か勢い付いては居りますが、存外厄介なのは【孫権】の方かも知れませぬな。」

「まあ、孫権の最大の野望は、精々、荊州の独占どまりで御座いましょう。それ以上の望みは持ち得ぬのが、【呉】の限界で有りましょう。」

「荊州独占は寧ろ今は劉備の方が狙って居る様です。然し、その辺りの仕置きは、大王様が御存命に片を着けられましょうから、我々は その結果を観た上で、具体的な方針を立てる事と成りましょうかな。」

陽は とっぷりと暮れ、このまま逍遥するには 足元が暗く成って
来ていた。
「いやあ〜
それにしても驚きました。実を申さばてっきり私は、陳羣殿は内政には通暁して居られても、外交方面には些か疎いとばかり思って居りました。アハハ、それが何うじゃ。こうして実際に話してみれば、何と、この私以上の見識をお持ちだったとは!それに引き替え此の私は、内政については空っきしで御座る。」

「いえいえ、私の方こそ良い御話しを聴かせて戴きました。」

「こうなればコリャ、是非にも陳羣殿の内政論をジックリと御聴き致さねば、この司馬懿仲達の気が済みませぬ。どうですかな?今度いつか一献 ”天の美禄”を酌み交わしながら、ゆっくりと。」

司馬懿は手首で盃を傾ける仕草をしながら、陳羣の眼を覗き込んだ。一瞬、陳羣の表情に戸惑いの色が浮かんだ。
《私的交流は厳に慎む!》その自戒コードに抵触するか何うか?
だが司馬懿の磊落さは、そんな相手の躊躇を吹き飛ばす。

「我ら《四友》!貴方と私は一心同体!公私の区別なんざあ無いも同然!ワハハハ、お国の為と在らば 酒の奴も、さぞや喜んで
飲まれて呉れるに違い有りませんぞ!?」

四友とは謂うが曹真・曹休は一族で在るから、実際には司馬懿と陳羣の2人だけが”家臣”で在る。然も司馬懿は出仕の当初から曹丕の教育係を務め、その間柄は格別だった。独り陳羣だけが
やや付き合いが浅かった。

「左様。酒の奴を喜ばせて遣るのも、一興かも知れません。」

珍しく陳羣の顔が笑った。

「たった2人の家臣が、互いに酒を酌み交わす事も無い・・・では、
 さぞかし曹丕様も歎かれましょうしな。」

「ワハハハ、出来ましたな。では近いうちに・・・・!」

其処で2人は左右に分かれ、夫れ夫れの帰途に着いたーーその帰り道・・・・【
司馬懿仲達】は独り思いに耽ったいや我が思いを再確認して居た。

《曹丕様は、何んな君主に成られるのであろうか?曹操さま亡き
 後の時代は、一体どの様な御世と成るので在ろうか?》

その思いは純粋でも在り、また同時に 不純とも謂えるかも知れ無かった。而してそれは後世の観方に違い無い。
司馬懿当人は勿論、当時の家臣達にとって・・・・その所属する
国家と自分とは運命共同体だった ので在るから、
主君を思うと云う事は、自身の将来を思う事と、大部分の所で同意義で在った故である。
今、司馬懿仲達が思いを巡らせて居るのも、”その事”だった。
《国家の繁栄とは何か!?》 《そも、国家・朝廷とは何か!?》
その答えは幾つか在ろうが司馬懿と云う男の答は明快で在った。

特定の者達だけが 利権を独占し続ける事が可能な政治機構。選ばれた支配階層が 安定的に存続し、繁栄を謳歌し続け得る権力機関・・・・その象徴としてトップに戴くのが〔国王や皇帝〕である。だが有史以来王朝の不沈は有為転変。不死鳥と信じられて来た【大漢帝国】でさえ、いま正に 亡びん としている。終りの無い王朝など此の地上には存在し無いのだ。 まして 3つの勢力が鼎立する異常事態の中、一体誰がその未来を断言できようか!?
だが其の反面、歴史は常に権力そのものを求めて已まない。否、人間が社会を形成した其の瞬間から、もはや無政府状態を許容しないのだ。常に支配する1部の階層と、支配される大多数の階層とを欲して来た。
ハッキリ謂おう。いま【
司馬懿仲達】が考えて居るのは・・・・

君主権を持つ 「曹氏一門の繁栄」 の事では無く、それを支える
形の家臣団=
自分達の繁栄の事であった。いや、もっと
ズバリ謂えば、
己一族の繁栄の事であった。ーー而して此の思いは、決して不忠でも 不義でも無い。延いては 其れが
主君の繁栄に直結するのであるから、寧ろ当時としては自然な発想・倫理で在ったのだ。
《ーー如何にして、その願望を”合法的に”達成するか!?》
政権が受け継がれ、時代が移ろうとしている今こそが、その絶好唯一の機会である!そして、その改革を実現し得る最も近い位置に在るのが・・・このネオコン=影の支配者・利権受益者達・・・
司馬懿 仲達 で在り、陳羣 で在るのだった!! 「いやあ〜、お待ち致して居りましたぞ!よくぞ、よくぞ御出いで下さった!今宵はトコトン飲んで、語らい明かそうでは御座いませぬか。ササ、どうぞ どうぞ此方へ!」
司馬家が総力挙げて準備した席だった。然りながら、成り上がり者には真似できぬ客への持て成し・・・・押し付けず、全てを受け入れ、目立たぬ所に 粋を 集めた 心尽し。隅々まで 行き届いた
歓待であった。

「それにしても大王様は、つくづく凄過ぎる御方で御座いますな〜その独特で 強烈な 個性と 指導力は、今後、如何なる王者にも
真似できるものでは御座らぬでしょうなあ〜!!」

ひと頻りの酒食が済むと、司馬懿は先ず、遠廻しに 曹操の人物を話題に上らせた。既に『非常の人!』との評価が為されている曹操の事蹟を引き合いに出し
この後の話を〔次の時代〕の方向に持ってゆこうとの計算か?

「真に、傑出した英雄!と申せましょうなあ〜」

すっかり打ち解け寛いだ陳羣からは、もはや遠慮の気配も消えていた。
「但し、大王様が偉大で在られれば在られる程、その跡を継ぐ者達は余程に心して臨まねばなりませぬ。私など、今から其の事が思い遣られて仕方無いので御座います。」

如何にも陳羣らしい応答であった。すかさず司馬懿が突っ込みを入れる。
「確かに!それは謂い得ますなあ。今迄は、乱世に喘ぐ時代そのものが、その混沌を平らげる為の、果断で強烈な君主の出現を待望して居りました。・・・・然し 今後は、些か 様子が異なって行く事だけは確かでしょうな。」

「大王様の指導力は、正に時代の要請にピッタリ適合する、偉大なもので御座いました。時として過激に見えるものすら、今にして思えば誠に時宜を得た御命令で御座いました。」

「過激と申せば、特に、大王様の
人材登用の方針は、とても常人では言い出し得ぬ斬新奇抜さ!些か仰天させられました。」

「・・・所謂、
唯才主義で御座いますな。泥棒でも好い。密通者でも構わぬ。唯1つでも何かの才能さえ有れば推挙せよ!・・・・」

陳羣の表情が 苦虫を噛んだ様に 曇った。かつて 軍議の席で、
天才軍師!と謳われた【郭嘉】の不行跡を弾劾した陳羣で在る。人格破綻者でも構わず用いる曹操の方針を、全面的に肯定して居る訳では無いので在ろう。

「曹丕様の時代には、もう、その様な必要性は無いでしょうな。」
司馬懿は、すかさず相槌を打った。

「国に遺賢なし・・・とは確かに王者の責務だとは思います。然し問題はその方法で御座る。王個人の資質や気分に因って、その時々に人材登用の規準が異なる様では、真の国家・正常な国の姿とは申せません。」

「おお〜正に其の事で御座る。私が危惧するのも正に其の点!」

司馬懿の眼が俄に真剣に成った。身を乗り出す様に言う。

「魏王様は、その強烈な個性から、専ら 〔唯才主義〕 を推進されて来られましたが、是れは 何う観ても、魏王様にしか 為し得ぬ
特異な方策。とても通常普通の場合には採用し兼ねぬと思われます。」
ここからが、ネオコンたる司馬懿の、本日の目的であった。

「2代目の治世は先ず国内外の安定こそが肝要
もはや人材登用や昇進を、君主の個性眼力に頼る時代では御座らぬ。 万世に通用する様な機構・組織としての法体系登用昇進制度確立こそが望まれます。
現在では最早、国に遺賢は無い状態だと申せましょう。是からは人材の登用よりも、既に登用された人材を如何に適所に配して、その能力を引き出すか!それこそが必要だと思うのです。無論、常に新しい人材を発掘・推挙する事も欠かしてはなりません。
だが、現状の儘では、昇進の目安も定かならず、家臣達は唯、
王の顔色だけを窺って、その寵愛に 阿り 縋るだけの情実人事と成り兼ねませぬ。それでは何れ
侫臣が跋扈し、賢臣が排される危惧が出て参りましょう。 ーー然し、悲しい哉。私には 其の先の〔具体的方策〕が解りません。実際的な法律の創案は、一体どこから手をつけたら良いのかさえ思い着かない有様・・・・。」

司馬懿は大きく溜息をついて、己の不才を歎いて見せた。するとやや間が有ってから、陳羣が徐に口を開いた。

「その危惧については、この私に些かの腹案が御座います・・・。」

「えっ!!それは誠で御座いますか!?」

「まあ、未だ、ほんの大まかな ”私案”に過ぎぬのですが。」

「いやいや、この私と同じ心配を 抱かれている同志が、こんな
身近に居たとは、もう其れだけで心強い限り!矢張り、こうして
語り合って善かった。ま、もう一献。今宵の酒の味は又、格別な
ものですわい。」
司馬懿は酒を注ぎ肴を勧めるが、決して自分の方からは、陳羣の腹案を聞き出そうとはしない。 ただ 其の才能を褒めるだけで在った。すると妙なもので、些か自分の試案に自信の有る者の方は、その中味を認めて貰いたい心理に成るのだった。そして又、
いずれ其の私案が正式に採用される為には、この司馬懿の後押し・賛成が無ければ、絶対に採択されないにも気付かせれるので在った。

「ーー実は・・・・。」

かつて曹操が「肉刑復活」について衆議に下問した時、この陳羣だけが旧習に拘らぬ意見を述べた事を、司馬懿はしっかり覚えて居たのだ。その時は「荀ケ」や「王朗」など、保守派の重鎮の反対に遭い、時期尚早として沙汰やみになったが、その改革の旗手たらんとする彼の積極姿勢は、既に其の時点から内包され、芽生えて居たのである。ーーそして遂に、人材登用・昇進についての、歴史的大改革・超時代性を佩びた最初の叩き台が、その産みの親の口から、非公式に語られる時が来たのである!!それは三国時代の行方と、それ以降の中国の昇進・登用の在り方を方向づける、決定的な瞬間でも在った。そして後から思えば、何よりも
司馬一族が 〔次の次〕を成就する為の糸口・その先鞭を付け、獲得する為に絶対不可欠な道筋の第一歩であった

「う〜ん、素晴しい!流石は陳羣どの!斬新かつ壮大じゃ!ほぼ理想的な機構で御座る!!」

「いえ、未だ未だ熟慮の余地は多分に御座います。今、『ほぼ』と仰られた点を、遠慮無く 御聞かせ下され。曹丕様からの信頼が
最も厚き、貴殿の御意見とあらば、是非にでも採り入れねばなりません。」

「いや何ただ一寸、実際の運用に当っての推薦基準が、いま1つ
 ハッキリせぬ点が引っ掛かるだけです・・・・。」

「ズバリで御座います。私も未だ悩んで居る点が其処なのです。」
「何を最大の基準にすべきか??・・・・唯才主義に後戻りしては
 成りますまいぞ。」

「如何にも!!どうか是非、今後とも御知恵を賜りたい。」

「おお、それは願っても無い光栄。共に手を携え、新しき時代を
 創って参りましょうぞ!」

かくての国では、曹操も 曹丕も知らぬ所で
密かに、歴史潮流を創る者達の 合意形成が
為されんとして居たのである。ーーそして、

創設される登用・昇進制度こそが司馬氏の台頭を保証し、終には 晋の 「三国統一」 へと 向わせる 根源・原動力と成る・・・・!!

ーー所謂・・・この翌年に定められる、(詳細はそのとき折に述べる)

九品官人の法が受胎告知されたのである 【第229節】 孫権、恥辱の藩国宣言 (孫氏の兵法)→へ