第221節
  蜀 の 逆襲
漢中争奪戦X
                                    夏侯淵 戦死 の 衝撃

”の行方が””まった””ー→定軍山じょうぐんざん・・・・
軍、即ち戦争・戦役である。漢中の支配を巡って争われた【魏】と【蜀】との戦争ーーその全体の趨勢が定まった山、その山の名である。
(陝西省ベン県) 背後の大巴山脈には、2千mを越える峰々が連なるのだが、その山塊とは関係無く、その手前にポツン鎮座
する格好で、盆地の南縁に1山を成していた。特に険峻でも無く
極く普通一般の山容である。恐らく当時は未だ、”何とか山”と呼ばれて居たものがこの戦いに因んで直後から其の様に名付けられたのに相違無い但しその占める位置の重要性は既に古くから極めて高かった。ーー陽平関が漢中盆地の西の外周に在るのに対しこの定軍山は 盆地の内側 に入り込んで直ぐの南側、正に喉笛の位置に在るのだった。

2ヶ月も時間を浪費して居た
劉備は愈々切羽詰り、決戦を挑む覚悟を固めた模様である。 蜀軍は、それまで立て籠もって居た
険塞「
陽平関」を棄てた。そして少しずつ、魏の駐留軍に接近して行った。だが、その行軍の様は、恰も、おっかなビックリの体勢で虎の尻尾を踏まない様に、ビビリ捲くっての忍び足に似ていた。
「あれでも”隠密行動”の心算で居るのか!?」・・・・魏側からは丸見えの呆れ返られる如き進軍であった。

「それにしても、奴等の意図、目標地点が判らぬ??」

陽平関を出た劉備は、蜀の全軍を率いると漢水の源流を左手に見ながらその峡谷沿いに南下を開始。程無く正面に
シ丐べんすい (漢水の支流) が現れる。其れを渡った。だが其の地点は未だ、
漢中盆地の外周である。
「奴等、盆地内に入り込む心算か?」と
夏侯淵
予想する通り、蜀軍は今度は渡河した
シ丐水を東の方向に進み出した。と言うより、下流 (東) に向うしかない峡谷地形であった。やがてシ丐べんすいは漢水に合流し盆地の中央を東に流れ下る。【魏軍】は、最初から漢水の南岸に本陣を構えて居る。このまま大巴山脈の裾を、その縁伝いに進んで来れば、早晩、蜀の軍は魏軍にぶつかる。
「奴等やはり、我等に直接向って来る心算でしょうか?」

「もし其うであるなら、不本意では在るが、我等は南鄭の城に籠って、只管 魏王の来援を待つしか有るまい・・・・。」

平地での決戦を挑むには、余りにも兵力に差があり過ぎた。籠城戦に持ち込むしか手は無い。ーー処が、処がであった。何と蜀の全軍は、盆地に入るや否や、進軍をピタリと止めてしまったのである。ばかりか、1部だけを山麓に配置すると、そのほぼ全軍を近くの”
定軍山”に登らせてしまったのである!!

「あれは正気の沙汰か!?」 半信半疑の魏軍陣営。何とも拙劣な陣構えの御手本の如き展開では無いか!??

「あれは見せ掛けで、本軍は近くに潜んで居るのでは無いか?」

誰しもが其う勘ぐった。兵理の常道では、そうで無くては成らなかった。もし全軍を山の上に配置してしまえば、その山麓を包囲された場合、水と兵糧の供給が断たれ易い。包囲が完全なら自滅する。ーー無論、利点は有った。先ず1つは、高い位置からだと敵陣営の全てが俯瞰できる。敵兵力の薄い地点を見つけて一気に集中攻撃をする事も出来る。また臨機応変に四方八方へ増援部隊を最短距離で派出・駆け下させる事が出来る。2つ目の利点は
戦闘に成った場合味方は高い位置から敵陣に駆け下る訳だから、その勢いが違う。突破力が数倍にも高まる事になるーー。

それにしても、丸々全軍を山の上に登らせてしまうとは通常では考えられぬ布陣である。何処かに”仕掛け”が隠されて居る筈だ

「どう云う事じゃ?物見兵の報告は、全て『伏勢無し!』ばかりだ。ヒョットすると 本当かも知れんぞ。 もし 事実で有るなら、我等に
勝機ありだ。 ここは1つ、張将軍 みずからの 眼で確かめて来て
貰おう。」 と 【
夏侯淵】。

張合卩】ーー『合卩ハ変数ヲ識リテ、善処ニ陣ヲ営ミ、戦勢地形ヲ料はかレバ計ノ如クならざる無シ。』 その張合卩に、自身の眼で現地状況を調べさせ最終判断を下させた結果ならば、こちらが動いても善かろう。・・・・果して張合卩の報告は、「確かに伏勢は無し!!全軍が丸ごと山中に在り!但し、山麓の興勢の地に数部隊が展開。山上への輸送ルートを確保すると同時に、我が軍の侵入を阻止するべく築陣して居ります。」

流石に劉備は、全軍が定軍山に孤立する事を恐れて、その麓のエリアも確保する心算らしい。その平地の防衛拠点が「
興勢」だと謂うのだ。
「では、その興勢の敵部隊を急襲し、奴等を山上に追い上げてしまえば、劉備軍は完全に定軍の山中に籠る形に成る・・・・と謂う事じゃな!?」
「左様で御座います。未だ築陣が整わぬ今なら、興勢の敵部隊は容易に駆逐できると思われます。」
「しめた!!」 と、夏侯淵が膝を打った。
「千載一遇の好機が現れたぞここまで入念に調べ上げたのだ。よもや敵に策は有るまい。敵の失態を突く!これ兵法の常道である。直ちに全軍で興勢を急襲するぞ!!そして、蜀の全軍を山の上に追い上げて包囲する!そうすれば、相当な日数が稼げる。最終的には南鄭の城に籠るにしても、魏王が到着される迄には 充分な余裕が持てる。即ち、劉備の敗北が確実に成る訳じゃ。どうじゃ、諸将の見解は!?」

異議を唱える者は無かった。誰が観ても間違った判断では無い。間違って居るとすれば、それは劉備側の方で在った。
「よし、先ずは興勢の敵を駆逐するぞ!定軍山の麓は、全て我が軍が占拠するのじゃ。いずれ劉備を、山の上で日干し寸前にして呉れるワ!」
そうと決まれば、夏侯淵の進軍速度は急であった。恐らく3国の中でもその進軍スピードは 随一であったろう。間髪を置かずに、魏の駐留軍
5万が疾風怒濤の勢いで、「興勢」に展開する蜀部隊に襲い掛かった。定軍山の前哨戦たる、所謂・
     興勢争奪戦が敢行されたのである。

「撃滅する必要は無いぞ。兎に角、
平地の敵を
山の上へ追い上げてしまえ!!」
ワザと山への逃げ道は開けて措いての、3方向からの猛攻撃であった。一方
不意を襲われる形となった蜀の平地部隊はその守将には 名立たる人物は 配置して居無かった。そのうえ未だ、
防禦柵すらも完成して居無い時点であったから、魏軍騎馬軍団の急襲をモロに浴びてしまった。次々に突貫して来る騎兵の勇猛さは、歩兵中心の守備側をズタズタに轢き破ってゆく。蜀軍も必死の応戦を試みるが、所詮は多勢に無勢。一頻り抵抗したものの
圧されまくって潰走を始めるそこへ更に定軍山からの援軍よりも早く魏の歩兵本隊が殺到した。
(※興勢の所在地点は不明。但、定軍山からは距離が有ったと推定される。)
こう成ればもう、撤退する以外に道は無かった。幸いにも定軍山への撤退路方面には魏軍の姿が無かった。命令を下す迄も無く蜀の平地部隊は我先にと定軍山へと逃げ込んで行った。
「深追いは無用ぞ!逃げる敵は放って置け。」
夏侯淵は、興勢の地を占領するや、全軍に厳命した。
「それよりも、直ちに堅陣の構築に取り掛かるのだ!」・・・・蓋し、夏侯淵の進軍速度とは、単にその移動の速度を指すだけでは
無かった。
目標地点に到達したら、其の地に陣営を構え終る迄を含んだ速さを謂った。そして先ずやる事は、敵前に 逆茂木 (鹿角さかもぎ) を巡らせる事であった。読んで字の如く、敵側に向って鹿の角の様な防禦柵・バリケードを構築するのだ。この前哨戦に引き続く 定軍山の戦いこそは正にその”逆茂木の強度いかん”が包囲作戦そのもの の 帰趨を決する事となるに違い無かった。
即ち、魏の駐留軍が何日の間、劉備軍を山の上に釘付けに出来るか?果また劉備軍が其の包囲を突き崩し、山上から一気の雪崩攻撃によって魏軍を殲滅し得るか!?・・・・その事の成否が、その逆茂木の強度に込められる重要性・キイポイントに成るのであった。
「ーー是れで本当に善いのじゃな??」 忽ちにして足元を包囲された
劉備は、些か不安になって法正に訊ねた。
         
「宜しいのです。」 軍師の
法正は、自信たっぷりに答える。
「先ずは籠城すべき敵が 今 眼の前に居るでは御座いませんか」
言われてみれば正に其の通りであった。ーー本来ならば堅く守勢に廻って動かぬのが、魏・駐留軍の本分である筈だった。処が、こちらがミスを重ねる事に因って、欲が出た。欲を掻かされたのである。結局は、
誘びき出されたのだ!!・・・・
「敵が、あの逆茂木を後生大事に築けば築く程、其れを破られた時に隙が生じます。動転して補修に奔ります。特に夏侯淵の守備範囲の逆茂木を襲えば、彼の性向から観て、必ずや自身で駆け付けましょう。そこが此の陣取りの真の狙いなのです。殿に於かれましては努々、その手配だけは怠り無き様、御願い申し上げて置きまする。」
「ウム、
黄忠の部隊の事だな?」
「はい。我が軍の中では、黄忠将軍が最も年配で堪え性が有り、又いざと成っても冷静に動く事が出来ましょう。」
確かに【
張飛】や【馬超】などは、直ぐにでも決戦すべし!と切歯扼腕ぎみであった。【魏延】や【馬謖】・【劉封】などの若手は、更に勇み切って居る。比較的冷静なのは【趙雲】位のものであった。

そんな法正の軍略が有るのを知ってか知らずか、魏側の包囲柵は日毎に強化されてゆき、山上の劉蜀軍は、終に、其の山麓を 完全に包囲されてしまったのである。

魏・蜀の両軍共に、〔総兵力〕についての記述は無い。諸説紛々たる問題であるが、まあ最低でも蜀軍は8〜9万。魏の駐留軍は5万弱程度で在ったろうか?・・・劉備は此の後、曹操本軍が来た時に、再三に渡って成都の諸葛亮に対し、増派の至急伝を要請しているから、未だ此の時点では10万には達して居無かったと推測される。この戦いの結果次第で、益州に張り付けて在る〔対叛乱用鎮圧部隊〕を増派できるか何うかが決まるのである
そうした意味からも、劉備は絶対に此の戦いに勝たねばならなかった。

魏の駐留軍は、此処ぞとばかりに全部隊を定軍山の山麓に集結させた。全山を包囲すると言っても、山からの降り口は限られていたから、5万あれば充分に可能であった
定軍山は大袈裟に謂えば独立峰だった。そのグルリ東西南北の主要口に諸将を配置。手分けして阻止ラインを受け持った。史料で判っているのはーー南鄭の方向に面した「東側」に【張合卩】、山脈に面した「南側」を【夏侯淵】が受け持って居たらしい点である。
だから【
徐晃】は其の外の北か西の方面を担当したと想われる。残る1方面には曹操が任命した益州刺史の【禺頁ちょうぎょう無論名目だけの刺史であり、此処1ヶ所に名前だけ出て来る人物である。そして、もう1人、若干13歳の少年が、部将として配置されて居た。夏侯淵の末子・【夏侯栄】であった。
本書お得意?の脱線になるが、どのみち紹介せねばならぬ故、戦いの始まる前に記して措く事とする・・・・〔夏侯淵の子についてである。正史には5人の息子の名と官位が簡略に記録されている。だが其の中には【】の名は無い。又、彼等の字や、面白い話題・数奇な運命については殆んどが補注の「魏略」と「世語」に頼る事となる故に信頼度は可なり劣化するが仕方ない。 『正史・夏侯淵伝』が記す息子は、以下の5人である。(但し字は全く記されて居らず、他の史料に拠る)
いずれ追々に登場する筈であるが、その殆んどの者は、余りにも記述が少なくて、筆者の能力では書き漏らす可能性が高い?

長男
ー→夏侯 (字?)・・・曹操の弟(曹玉)の娘が妻。安寧亭侯
2男ー→夏侯
(仲権)・・・討蜀護軍・右将軍。博昌亭侯。
3男ー→夏侯
(季権)・・・兌州刺史。
4男ー→夏侯
(稚権)・・・楽安太守。
5男ー→夏侯
(義権)・・・河南尹。

※ 『
世語=(西晋の郭頒撰?)にも息子達の記述が有る。だが・・・・
3男に→夏侯
(叔権)を挙げ、5男に→夏侯(幼権)を挙げている。夏侯威と夏侯恵・夏侯和も紹介しているから、長男たる夏侯衡と2男の夏侯霸が平気で?抜けているーー詰り『世語』なる史料は、斐松之自身が、「最も鄙劣であるが、時に他と異なった記述が在る為によく読まれる」 との 《逆折紙付き》 の悪書!で
ある。然りながら、その程度の信憑性しか無い史料にも関わらず
・・・・
小説仕立にする場合には、この13歳の悲哀の少年部将は「世語」にしか存在しないものだから (3男の称も同様)ついつい採用してしまいたくなるのである (字あざなだけを拝借して置いて、後は知らん顔しているのも不可しいシ)まあ折角だから、紹介(採用) して措こうと思う次第

夏侯栄は字を幼権 と言う。 幼い時から聡明で、7歳で 文章を書く事が出来た。1日に千字書物を読み、眼を通せば忽ち覚えた。曹丕(文帝)が其の評判を聞いて、彼を招いた。曹丕の元には賓客が百人以上おり1人1人が名刺を差し出した。 名刺には其の人の本籍地・氏名が書かれており、世で言う 〔爵里刺〕であった。客が之を刺し示し、夏侯栄にチラッと見せた後で、彼ら全部と話をさせたのだが、彼は1人も間違え無かった。曹丕は彼の能力を大そう高く買った。』・・・・と云う事になって居る少年だった。

取り合えず本書は、この 〔13歳の夏侯淵の息子
〕 の事だけを紹介して措けば一応、事は済むのであるが、もう1人ーー2男の【夏侯霸】だけは、いや【夏侯霸の従妹いとこ】だけは、戦後のエピソードに登場するので、矢張り今ここで紹介して措こう。今度は 『魏略』の記述である。記憶の良い方は覚えて居られると思うのだが・・・・

『その昔建安5年200年の事当時夏侯霸の従妹の1314歳の少女が、本籍地の郡に居住していたが、焚き木を取りに出掛け其処で”怪物”に出喰わし、捕まった。怪物は彼女が良家の娘で有ると知ると、そのまま妻にしてしまった。』ーーその怪物とは・・・劉備に置いてけ堀にされた挙句、関羽とも逸れて、スッカリ野生化して野を彷徨っていた張飛で在った!!
『彼女は(張飛の)娘を産み、その娘が後主・劉禅の皇后と成った。』 詰り、既に此の段階で夏侯淵は、不本意ながら、敵将・張飛とは親戚で在った訳である・・・・更に数奇な事 (史実) にはその【夏侯霸】本人も後年になって、宿敵だった〔蜀の国へ亡命する〕事態に遭い(詳細は其の時に描く)、その従妹と再会するのである。

こう成るともう、一体全体、何処までが史実で、どの部分が虚構なのか?その線引きがゴチャゴチャと成って来る。だから・・・紙面に限りの有る 本や書籍 に於いては、こうした丁寧な注釈を一々
付けずに端折ってしまい、ついつい諸先生方も『〜〜である!』なぞと断定口調になる。そして結果的には、心ならずも、読者を惑わす事態を齎しているケースが非常に多い。さぞかし慙愧に耐えず無念であろう。その点、本書は
えっへん!贅沢である
ーー本線に戻ろう。
          

定軍山の山頂
劉備の眼からは、足下に展開する 魏側の陣営の様子が、東西南北ともに、丸で手に取る様によく
分った。夏侯淵・張合卩・徐晃の所在は勿論、全ての動きが一目瞭然に俯瞰できた。
「奴等、逆茂木の強化に躍起に成って居るな・・・・」 と 劉備。

「彼等にとっては唯一最大の防禦陣ですからな。」 と 法正。

「何時、仕掛けるのじゃ?」

「もう、そろそろ頃合で御座いましょう。」

「よし、では諸将を会同させ、最後の手筈を確認しよう。」

「始まれば、事は一気に決しましょう。」
 
法正は飽くまで自信に満ちて居た。やがて 蜀の錚々たる部将達が山頂の劉備本営に召集された。軍師の法正が、机上に作戦地図を広げて、全将に最後の指令と役割を再確認させる。
「では、作戦の全容と各将の任務を、最終的に確認いたす。」
我々も此処で、事前に此の〔定軍山周辺の状況〕をインプットして措こう。但し、その際の史料は全て、『正史』中に分記されている各人の「伝」から、筆者が推定したものとなる。 
先に筆者は定軍山を「独立峰」と仮称したが、実は 正確に言えば
平地にポコンと1つだけ隆起した山では無く・・・・その周囲には
小さな峰々も附属する 山塊★★〕 で あったらしい。
夏侯淵が別の道を通り、劉備と遭遇し』・・・・と謂う記述が在るからである。”遭遇”したのであるから、平地とは雖も、互いに互いを視認する事が出来ぬ地勢が存在した事になる。但し、この
戦いは『
夜中に』行なわれたから暗闇で出っ喰わした状況を称して ”遭遇”と記した面もあろう。とは言え
”別の道”とあるからには全くの平地では無く、幾本かの道筋が存在する地形で在った事は確実であろう。詰り、御椀を伏せた様なスッキリした山容では無く、裾野には若干のギザギザや凸凹を有する、やや草臥れた姿の小山塊だったと想われる。( ※ 山では無く、地名だったとする説も有る。)

次に出て来る地名は『
走馬谷』であるが、其処が”夏侯淵の怨みの地”と成る。位置は定軍山の南=『南の囲い』である。南には大巴山脈が控えているから、その間に”谷”が在ったのであろう。
ちなみに、両軍にとって最も重要だったのは「東方」である筈だ。何故なら東へすすめば主都の「南鄭城」に行き着くからである。特に魏軍にとっては、いざ!と成ったら籠城せねばならぬ拠点である。だから、この東側の守備陣は最も厚く、かつ最強の騎馬軍団を集結させて居たと想われる。騎兵は足が速いから、どの方面に異変が生じても即応し得る。

「今、魏軍は全山のグルリを逆茂木で囲み、それを歩兵に守らせつつ、騎馬部隊は東側に集結させて、どの方面への即応体勢を敷いて居ります。最初の作戦は先ず、その騎馬軍団を分散させる事にあります。そして・・・・」
軍師・法正を中心にした、劉備軍の最後の指揮官会同が終った。
 以下本書は、『正史』に基き 定軍山の戦い
シュミレートする。但し、予め御断りして措くが・・・・蜀側の部将で個人名が記されて居るのは、
劉備法正の他は 黄忠のみ である。戦場で大奮闘したであろう【張飛】も【馬超】も【趙雲】の名も皆無である。又、魏側も【徐晃】の名が出て来ない況や 「魏延」 以下の諸将に於いてをやデアル。ーー簡単に言えば・・・・
この、事実上 〔
3国鼎立を確定した!〕 とも謂える 極めて重大な
戦役にも関わらず、登場部将は
たった4人=「劉備」「夏侯淵」「黄忠」そして「張合卩」だけなのである。その原因については後述するが、余りにも淋しいので適当な場面で名前だけは、戦況を歪曲しない範囲内で 登場させる事とする。又、夏侯淵が最期を迎える場面は・・・『劉備』と在る記述を、『劉備個人』と限定して解釈した場合、4者の「伝」の間に整合性が無く成り、矛盾が出て来てしまう。その矛盾をクリアーする為には、『劉備』を→『劉備』と拡大解釈するしか無い。その拡大解釈の部分に、張飛らを登場させる余地が有るか・・・??更には、「騎馬」とか「騎兵」の文字も皆無なのであるーー結局、最終的なシュミレーションは、矢張り、読者諸氏の御炯眼に委ねられる事とは成るのである・・・・最後に史料の全てを転載して措きますので、本書と比較されつつ、是非とも御自身で戦闘の模様を
再現・構築して試て戴きたい。そして御友人とディスカッションを戦わして戴きたいものである。

満点の冬空には星々が燦ざめき、蒼白い十六夜の寒月が、皓々と地上を照らし出していた・・・・。その星月夜の、山陰の一角に、凍て付く息を潜めながら蠢く集団が在った。皆夫れ夫れの背と手に、何やらを背負い抱えて忍んで来る。それは定軍山の”東”と
”南”の斜面で、同時の動きだった。蓋し、其の隠密部隊の行動をカモフラージュするかの如く、山頂の篝火は 昨夜以上に 赤々と
燃え盛って見える。まさか其れが見せ掛けの偽兵・擬装だとは、この月明かりでも判別は出来無かった。
その影の軍団が月光の中で獲物に狙いを定めた様だ。 彼等の視線の先には 魏軍の防禦ラインを成す重層の逆茂木が、その鹿の角を此方の山側に向けて突き立てて居た・・・と其の部隊の1部からサッと黒豹どもが突出し、歩哨の手薄な逆茂木の1画に忍び寄った。油脂をタップリ浸み込ませた枯芝が手際よく、その逆茂木の隙間一杯に詰め込まれた。 転瞬、予想も出来ぬ様な
業火が定軍山の南面に吹き上がった。メラメラッでは無く、轟轟と鳴る火柱が、”走馬の谷”を 朱色に揺らめかせた。ーーと同時に
天地を怒よもす鯨波 ときのこえ が 湧き起こり、夜のしじまを劈いて、軍鼓と鐘が乱れ打たれた。ーー遂に、此処に今、

定軍山戦役の火蓋が、
         切って落とされたのである!!

「来たか!」と ”南”の空を振り仰ぐ【
夏侯淵】。赤く染まっていた。
「来ましたな。」 と【
張合卩】。今、2人が居るのは”東面”の防禦陣である。2人の言葉に余裕が有るのは、未だ 此の東部戦線には 異状が見られぬからであった。 どうやら蜀軍は、その攻撃目標を最も防禦の厚い〔東面〕を避け、比較的手薄な〔南面〕に選んだ様であった。
「南を完全に破壊されたらマズイな。」
その火点は、逆茂木に仕掛けられたものとしか考えられぬ。
「私が参って対応致しましょう。」 と【
徐晃】。

「いや、敵の真の狙いは此の東面じゃ。此処を通らねば漢中へは入れぬ。”南”は陽動策であろう。主力は必ず此処へ遣って来る。張合卩と徐晃は此処を固めて呉れ。儂が手当して戻って来よう」

「なれば尚の事、総司令官殿は此処に居られた方が・・・・」

張合卩が言い終わらぬ裡に、夏侯淵は制した。

「今、救援に肝要なのは速さじゃ。我等の中では儂が1番速い。無論、必要なだけの騎兵は引き抜いてゆく。」

確かに夏侯淵の進軍速度は抜群であった。それを言われたら
頷くしか無い。
「1千騎を連れて行くが、構わぬか?」 ほぼ騎馬部隊の半分に相当する。1千騎あれば、よもや危険は有るまい。

「分りました。暮れ暮れも御気を付けられて!」 軽騎兵でだけでなら、南の走馬谷には、ものの1刻余で着けるであろう。

「ウム では頼んだぞ。」 言い置くと流石は夏侯淵。鮮やかな速さで、軽騎兵1千と共に、その姿を月明りの中に奔出させていた。
1千の松明が山麓を疾駆する光景は勇壮そのもので在った。が、その直後の事であった。今度は今来たばかりの”東”の陣営にも巨大な火の手と 鯨波が挙がったのである!!

「やっ、些か逸まったか?」 
夏侯淵は全軍を停止させると、一瞬迷った。
《このまま南へ駆け付けるべきか?それとも引き返すべきか!》

東部戦線こそは、敵が全力を傾けて攻撃を仕掛けて来よう。だが南部戦線を見棄てる事も出来ぬ・・・・。

「よし、今さら 右往左往は すまい。南の敵を蹴散らせたら、引き返そう!東には張合卩と徐晃が居るのじゃ。1時や2時は充分、持ち堪える筈だ。」

そう判断すると、夏侯淵は再び全部隊に南への疾走を命じた。
・・・果して走馬谷の出口に築かれた防禦陣地は、正に白兵戦の真っ只中であった。だが予想した通り、敵の兵力は大した数では無かった。敵・味方ほぼ互角に戦って居る様であった。
「猪口才な奴ばら供メ!いま直ぐ叩き潰して呉れるワ!!」
歩兵同士の白兵戦の場面に、突如1千もの騎馬部隊が突っ込んでゆくのだから”反則”もイイ所。形勢は一挙に魏の押し捲り状態と成った。それでも、ほぼ制圧するのには2刻(30分)近くの時間を所用した。ーーと其処へ、東部戦線からの伝令が急報を持って駆け込んで来た。
「張合卩将軍からの緊急要請で御座います!敵は大兵力を集中して攻め掛かって来て居り、騎馬部隊の至急なる増援を求められて居りまする!」

「それ程の苦戦か?」 「はい、敵の主力・劉備本軍の総攻撃かと想われます。我が軍は圧され捲くって居ります!」

つい先っき、出陣する時には、周囲に 斯んな大軍の気配を全く
感得し無かった夏侯淵・・・・あの勇将2人が言って寄越すとは、敵は予想以上の大軍団を東部に注ぎ込んで来たのであろう。

「よし分った!即刻、半分の500騎を連れて戻れ!儂も此処の
始末を着けたら直ちに駆け付ける!ゆけ!!」

500騎でも歩兵の10倍の威力は有る。嘗て夏侯淵が、その急進撃を持て囃された典軍校尉だった頃は
、そもそも騎馬軍団は500で構成されていた。 《取り合えずは大きな戦力に成ろう・・・・》
最も妥当 とも、最悪の判断 だった とも 謂える措置であった。
確かに此の南部陣地は 1刻も有れば完全鎮圧出来そうであった ーーだが結局は、それだけ夏侯淵の戦局眼が甘かった!と謂う事であろう。〔目先の完璧〕に拘り、〔全局の動き〕を認識できずに貴重な時間を失った・・・・。

その虎の子の500騎、直ちに東へと再度、移動した。ーー然し、
彼等は終に、東部戦線に辿り着く事は無かったのである。実は
夏侯淵の是れ等の動きは、最初から最後まで逐一山頂の敵から丸見えだったのである。と謂うよりも、全ては軍師【法正】が策した作戦の通りに”
動かされていた”のであるーー虎視眈々・・・・蜀の諸将は、各自が与えられた夫れ夫れの部署に於いて、その襲撃の機会を、今や遅しと待ち構えて居たのだった。

法正が描く作戦と其の部将配置は、凡そ次の如きものであった

縺E・・・先ず南側で、陽動の為に逆茂木に火を放つ。
艨E・・・それに釣られて東側の魏の騎馬部隊が救援に向う。
     (囮部隊が之に応戦して騎馬部隊を南に引き付けて置く)
蛛E・・・騎馬部隊が出発したら其の直後に東の本営に総攻撃を
     掛ける。 (劉備・張飛・馬超・魏延ら本軍主力が担当)
諱E・・・味方の苦戦を知った魏の騎馬部隊の1部か全部が 東へ
     引き返して来る。
轣E・・・その途中を待ち伏せ攻撃して殲滅する。(趙雲が担当)
閨E・・・南に残った騎馬部隊に対して、それまで伏せて居た黄忠
     主力が殲滅に乗り出す。

即ち、「東」・「南」・その「中間点」の3地点で、相い呼応した一連の動きで敵を分断する。そして最終的には、全軍が敵の本営である「東」を挟み撃ちにする格好で、一挙に勝負を決する!!

事態は、ほぼ其の作戦通りに進んでいたのである。但し、流石の法正も予想して居無かった、重大な展開が起っていたのである。何と、総司令官たる夏侯淵自身が、独り飛び出して来たのだ!!彼の性向から推して ヒョットすると?とは 想って居たが、まさか
本当に成るとは、信じ難くも快哉の誤算であった。

さて、
東面の魏・本軍主力 (張合卩と徐晃)・・・・夏侯淵が1千の騎馬部隊を引き抜いて、南部戦線へ出撃して行った直後の事だった。今度は此方の逆茂木が全正面に渡って火を噴いた と同時に信じ難い大音響が天地を劈いて轟いた。蜀の大軍団が総攻撃を仕掛けたのである!定軍山の上で満を持して留まって居た猛将達が、その明りを利用して一斉に駆け下って来たのだ。其の兵力は、ほぼ全力の8万余!!その先鋒には、武功を競い合う様にする征虜将軍【張飛】と平西将軍【馬超】の姿が在った。
先の 〔武都戦〕 では、何の戦いもせず曹洪軍に追い出され、只
すごすごと逃げ帰って居た2将であった。その屈辱を雪ぎ恨みを晴らさんとする気概は凄まじかった。只でさえケタ外れの武勇を誇る2大巨神が、その憤怒を秘めての突撃であった。
「やっと、将軍に相応しい 大軍団を任されたんじゃ
此処で武勲を挙げずんば、天下無双の名が廃るワイ!!」
意外な事実だが、思えば張飛にとっては、5万以上の軍を率いる体験は、是れが初めてであった。何の懸念も無く思いっ切り暴れ捲くれる。その点に於いては、西方の風雲児だった馬超の方が経験豊富だった。5万10万は当り前。
「久々に血が騒ぐ。お先に御免!」 と突っ込んでゆく。
牙門将軍にまで昇進している【魏延】も亦、己の名を天下に轟かす絶好の機会到来とばかりに勇み逸って居る。劉備の養子嫡男【劉封】は、父親の眼の前での活躍を心に秘めて居る
馬良の弟【馬謖】は亦文才のみでは無い所を示したい。是だけの大兵力なら大勝は固い。
「皆んな好い顔して居るナア〜。この戦さ、貰ったぞ!」
劉備自身にも、必勝の自信が漲って居た。

「一挙に魏の本営を揉み潰すせ〜!!」

劉備の号令一下蜀全軍騎虎勢い魏本営へと 雪崩れ込んで行った
【第222節】 諸葛亮の罪 (夏侯淵戦死の衝撃!)→へ