【第212節】
曹操は、思って居た以上の”孫権の降伏”と云う凱歌を手土産に、この一連の〔準行幸〕を終えて本軍より一足先に業卩に帰還した。
すると其処で魏王・曹操を待ち受けて居たのは・・・・献帝からの矢継ぎ早の殊礼の数々であった!!既述の如く、皇帝と全く同等の、後は単に称号が無いだけの、有りと有らゆる皇帝専権・皇帝専有の特権を、次々と大盤振舞いされたのである。
4月には・・・天子の旌旗を設け、出入に「警」「蹕」と称す
9月ーー居巣から26軍の大軍団が帰還。するや
其れを待ち侘びての如く
10月には・・・冕十有ニ旒。金根車に乗り、六馬を駕し、
五時副車を設ける。
見た目にも実力でも、完璧に現皇帝・漢帝を超える魏王 曹操!!・・・・ここまで徹底的に〔皇帝の特権・専権事項〕の全てを与えるからには、最早 【漢帝・劉協=献帝】の曹操への
”阿り”とか”諂い”を云々する段階は、もう、とっくに超えている。献帝側が曹操側からの圧力に屈した結果・などと謂うレベルでは無い。寧ろ・・・・漢帝・劉協個人としては、
〔積極的な自己放棄〕 を望んで居る・・・・そんな風にすら受け取れる、朝廷からの殊礼の連発であった。だが、劉協の粘り強い資質から推して、”自暴自棄”と謂う言葉は当て嵌まらぬであろう。敢えて謂うならば〔達観〕ーーそんな心境に在るのではないのだろうか??
《もう 朕には、そなたに与える如何なる特権も無いぞよ。全ては
汝に渡したのじゃ。もはや、朕が皇帝の座に在る事には、何の
意味も有るまい。 さあ 後は、汝の決断ひとつに掛かって居る
のじゃ。・・・・どうする曹操よ!?》
そんな、〔或る決定〕 を催促するが如き、人間・劉協個人からの、曹操個人へのメーッセージ・・・それが籠められた究極・最後の殊礼・・・・いずれにせよ我々は、以後、公式の場での曹操を想う時、ほぼ 皇帝と同じ姿を イメージして構わない事となる。
では 何故 ”ほぼ” なのか? ーー と謂えば、曹操の個性をよ〜く識る我々ならば、 彼が 其の動きずらい姿形で、然も 行儀 良く
何時までもデデーンと納まり返って居る筈も無い・・・からである。まあ実際にも、曹操の馬上姿は、未だ未だ続くのではある。
この間の5月には、シ半宮 (諸侯が作る学校) を設けた。
6月には軍師の【華音欠】を御史大夫に任命。又〔衛尉〕を創設。
そして8月・・・所謂、〔求才令・第3弾〕を発した。
その内容は、尚一段と 「激越」・「過激」なものと成っていた。
第1弾 (210年発令) に曰く→『今の天下、褐を被、玉を懐きて渭濱に釣りする者無きを得んや。嫂を盗み、金を受けて、未まだ遭わず、知らるる無き者無きを得んや。』 ー→そして最後に結語する。
『唯才是挙。吾得而用之』・・・・唯 才を是れ挙げん吾れ 得て 而すなわち 之を 用いん。即ち・・・( 唯才!)
第2弾 (214年発令) に曰く→『そもそも行い有る士は、未まだ必ずしも能く進取せず。進取する士は、未まだ必ずしも能く行い有らず。』
そして第3弾 (217年発令) は言うーー
『汚辱の名と、笑わるべき行いを負い、或いは
不仁不孝なりとも、而かも治国用兵の術有る
者、無きを得ん!』
↓(全文)
『昔、伊尹と傅説は賤しい身分の出であり、管仲は桓公の敵対者で在ったが、共に起用されて国を興隆させた。蕭何と曹参は県の小役人であり、韓信・陳平は汚らわしい評判を立てられ嘲笑され辱められながら、最後には善く王業を成し遂げ、名声を千年の後までも残した。呉起は将軍の地位に執着し、敵国出身の妻を殺して信頼を勝ち得た上、金をバラ撒いて官職を求め、母親が死んでも帰郷しなかった。然し乍ら、彼が魏に居る時は、秦の軍は敢えて東方に向おうとせず、楚に居る時は3晋 (韓・魏・趙 )は 敢えて南方に対して 策謀を巡らさ無かったのである。
今、天下に最上の徳を持ちながら、民間に棄て置かれた者が無い訳は無かろう。又、勇敢で我が身を顧みず、敵に向って力の限り戦う者、或いは文書を扱う俗吏で優れた才能、特別な手腕を持ち、将軍・太守の任に堪えられる者、汚らわしい評判を立てられ、嘲笑されたり、不仁不孝で有りながら、国を治め兵を用いる技術を持った者が居るであろう。
各人、知っている人物を推挙し、疎漏の無き様に致せ!』
ーー( 魏書 )ーー
毎度お馴染みの猛烈さでは有るが、改めて読み直せば直す程、イヤハヤ何とも凄まじい命令ではある。 こんな目っ茶苦っ茶な「求人広告」を出す会社は絶対に「アリエネ〜!」であろう。況して1国の首脳の「教書」や「施政方針演説」で、こんな事をのたくったら即・辞任、間違い無し!!・・・・当時だとて、こんな反社会的な事を触れ出せる 〔こてこてキャラ〕 は、曹操以外には在り得ないノダ。如何に乱世とは雖も、世は未だ押し並べて厳格な《儒教倫理》を標榜する道徳社会で在ったのだから・・・!!にも関わらず皇帝の冠を被る直前に在る魏王曹操は、敢えて声高に、既存の社会規範・道徳通念に挑み掛かるので在った。稀代の姦雄たる面目躍如たり!?
ちなみに、先に紹介してある 〔丁斐の牛ドロボー〕 事件は、丁度この時期に裁かれている。曹操の 人材登用術 の一端を 髣髴とさせる逸話であるから、簡単に再録して措く。
曹操は同郷の彼を特に可愛がったのだが、丁斐は金銭には眼が無い質でチョクチョク賄賂を要求しては法に触れたが、その度に大目に見られた。典軍校尉に成って内外を取り仕切ったが仕事は出来た。今回の遠征にも従軍したのだが、故郷の言焦に立ち寄った際、自分の家の牛達が痩せ衰えているのを発見。そこでコッソリ丸々と肥えている官牛とすり替えて知らんぷりを決め込んで居た。処が目敏い者に告発され逮捕、業卩の牢獄にブチ込まれ、官位を剥奪されたーー。
折しも業卩に帰還した曹操は、さっそく丁斐をからかいに牢屋に顔を出した。
「おいこら、牛ドロボーの丁ちゃん!典軍校尉の印綬は何処に有る?」
「ああ、其れなら、ついウッカリ餅と取り替えてしまいました。」
「ワハハハ、相変わらず 頓知の通ずる奴め。まあ好い。大目に見てやるから仕事は
今後もキッチリせいよ!」
大笑いしながら曹操は側近達に言うのであった。
「東曹の毛掾が 屡々 コイツの罪を告発して、儂に 厳重な処分をさせる心算で居る。
儂とてコイツが清廉で無い事を知らん訳では無い。それでもコイツを用いて居るのには理由が有るのじゃ。儂の元に丁斐が居るのは丁度、或る家に鼠を捕まえるのが上手い盗っ人犬が居るのと同んじなのだ。
盗みに因ってチョビットは損をするが、然し儂の袋の中の貯えは完全に守って呉れると云う訳じゃ」
かくて丁斐は元通りに復職し、その意見も従前同様に採用され続ける。(数年後に病没)
節操を尊ぶ漢代の美しい風俗は、かくて
曹孟徳に拠って、完全に破壊し尽くされた!!
・・・・とは、清代の史家・顧炎武の慨歎・・・・である。
然し曹操流の徹底した「唯才主義」に拠る人材発掘と登用は誕生したばかりの 魏王国に一段の活気を齎し、人々には更なる
活躍の場を与え続けてゆくのである。
この217年(建安22年)の出来事は、いずれも余人であれば、宙に舞い上がる如き、物凄い事のオンパレードである・・・・だが魏王・曹操にとってみれば、全ては最早、ただ既定の路線を邁進して居たに過ぎ無かった、と謂っても構わぬであろう。
然し、そんな物凄い出来事の中でも、一際重大だったのは矢張り
ーー魏国の太子決定!!であろう。
《ーーさて、何を言ってやろうか・・・?》
人間の裡には、人に「何かを与える」、人に「何かを贈る」 と云う
”悦び”が有る。相手が喜ぶ姿を見て、自分も共に嬉しさや幸福感を共有するのだ。また自分が其れを贈れる人物・地位である事を誇りに思い、大いなる満足感を得る機会でもあろう。その贈る内容や形態は《物》の場合も在ろうし、《心》で在る場合も在ろう。その相手も恋人で在ったり、友人で在ったり、部下で在ったりと、 様々な人間関係が存在するが、 親が子に贈る ケースで最大の
ものーーそれは 「国譲り」 であろう。しかも1州の譲渡では無く、
〔帝国〕と成る可能性大の、「王国」の贈与なのである!
贈る方にとっても、 贈られる方にとっても、是れ以上の悦び・満足は無い。
先に”引導”を渡した【曹植】との対面と比べれば、どれ程、心が軽く明るい対面である事か・・・・
その日の前・・・・曹操は考えた。曹丕にとっては待ちに待った人生で最も重い、父からの言葉に成る。その聴いた言葉の一言半句も、深く心に残って生涯忘れはすまい。
《ーーさて、何を言ってやろうか・・・?》
だが曹操の心の中には、何の言葉も浮かんでは来なかった。
今更ながらに、改めて言う事は無い様な気がする。全ては既に、己の生き様、来し方の中で語り尽して居るではないか・・・・何年も何年も長い間、ジット父親の背中を凝視し続けながら、身を持し情を矯め、ひたすら後継者と認めて貰う為の努力を積み重ねて来て居るのだ。重臣・側近達からの進言や諫言も 縷々聴いて心構えは充分に出来て居よう。
嫡男・曹丕・・・・煌めく様な才能の輝きは見え無いが、総合
的に観れば、沈着冷静で手堅い人格である。次の時代は3国が膠着状態の儘に推移してゆくであろう。その場合、国を保ってゆくに必要なのは、小手先の才能よりも寧ろ、無骨な位の忍耐力であろう。その資質さえ見極めれば、後は本人に全てを委ねるしか無いではないか。然も周囲をガッチリと次世代の重臣候補達が固めて居るのだ。そうした面でも安心出来るーー
いや本音で言えば・・・・家臣団の其の圧倒的な支持・常識的な後押しが在ればこその「跡目決定」である。その事は曹丕自身が一番よく識って居よう。だから、暴走・独走はすまい。
《・・・・じゃが、ただーー》 との懸念も在った。
余りにも待たせ過ぎた。いや、弟・曹丕と競い合わせた期間が長過ぎた。その事に因って、2人の間に在るべき兄弟愛を、父親が永遠に引き裂き、奪い去ったのは明白であった。今の処は、その深刻な葛藤の亀裂が表面化する様は見えないし、曹操が生きて居る間は見かけ上、飽くまで平穏で在り続けるでは有ろう。然し
《今さら元に戻す事は出来ぬが、せめて》 との思いが横切る・・・
だが其の責めは曹操自身に帰されるべき問題であった。
《肝腎なのは、そんな事では無い!》 吹っ切る様に思考回路を戻す。今、曹操が最も強く望んで果せぬ夢・野望・・・・其れこそが跡を継ぐ我が子に伝えるべき最優先事項・最大案件である。
《その時に思った事を、率直に言ってやるのが最善であろう。》
その日・・・魏王・謁見の間
曹操は、余人を交えず、ただ曹丕とだけの対面を設定した。
「おお〜、参ったか。本日は、儂にとっても御前にとっても、真に
喜ばしい話しを致す事になる故、もそっと近こうに来よ。」
「ハハッ!!」 普段よりも数段緊張した様子の曹丕。無論 察しは付いて居る筈だ。心無しか顔色が青褪めて居る。
「もそっと、もそっと近こうじゃ。」 上機嫌の曹操。
「ハハッ!!」 言われる儘に膝行する曹丕。
「面を上げよ、五官中郎将・曹丕子桓!」
親子としてでは無く、主従の関係に於いての下命である。
「魏王・曹操孟徳は、なんじ五官中郎将・曹丕子桓に対し・・・・」
曹操は其の余韻を愉しむかの様にやや間を置いて遂に言った。
「魏国の太子を申し付ける!!」
《どうじゃ!》 と云った嬉し気な顔付で身を乗り出す。
「ハハァ〜!有り難き幸せ!!」
青褪めていた顔がパッと上気し、しっかり父の眼を見た後、深々と叩頭する曹丕。この時 31歳。
「ウム長い間待たせる事となってしまったが、最終的に儂の眼に叶ったのは 矢張り、子桓、その方であったぞよ!」
ようやく其の事を言って遣れる日が来たのだった。
「以後も益々精励努力して、美事、我が跡を継いで呉れ!」
「ハイ!仰せの通りに努めまする!」
ようやく、そう答えられる日が巡って来たのだった。
「目出度い!誠に目出度い日である!」
曹操の表情も晴れ晴れとして居る。無論この日の〔跡目決定〕は独り 曹父子の 個人的な 鬱屈を解決しただけには留まらない。
3国最強を誇る魏王国が抱える、唯一の不安定要素が取り除かれた のである。 常に その国内に蟠っていた重苦しい緊張と軋轢の火種が切除され、その上空を蔽って居た黒雲が去ったのである。
是れで曹操は、初めて スッキリとした気持で、覇道の真ん中を
邁進できる態勢が整った・・・のでもある。
「この際、太子・跡継ぎと成った御前に、言って置く事がある。
心して聴け。」 曹操がスッと背筋を伸ばした。
「然と、お聴き致しまする。」
「儂が、我が曹氏が真に望むものは何か!?」
曹操の言葉は、己への自問自答が如きであった。
「ーー・・・・・。」 聴き入る曹丕。
「 それはーー新王朝の樹立である!!」
終に曹操の口から、本心が現われた。
「魏王朝の開闢 以外には無い!!」
是れまで公式サイトでは、常に否定し続けて来た曹操。
《・・・・矢張り、そうで在られたか・・・》
「ーーじゃが、その為には先ずやらねばならぬ事が在る。」
珍しく言い淀む父を促す様に、曹丕が言葉の穂を継いだ。
「旧王朝への 処断で御座いますな?」
「ウム、見ての通り、儂は最早、皇帝と何ら違う事も無い。いや
寧ろ漢帝を凌いで居ろう。・・・・じゃが然し、天下の誰1人たりともこの儂自身でさえ、曹操孟徳を皇帝とは思っては居らぬ・・・・。」
奥歯に物の挟まった様な歯切れの悪さだと曹丕はチラと感じた。
「儂の覇業は未だ、道半ばに在る。今回は 降伏して見せたとは
申せ、呉には孫権が在り、蜀には 劉備が居座っておる。
そして 其のいずれとも未だ国境すら確定しておらぬ。だから魏は今後も尚、奴等の版図を切り取ってゆかねばならぬ。その一方で、我が魏は漢帝を擁して来た。だがハッキリ言って
最早、漢王室の利用価値はゼロと成った。漢帝も達観し、何時でも〔禅譲〕を受け容れる気持で在る様子じゃ。然し今の段階では、其れを強行するのは時期尚早である。」
重々しい口調の父王・曹操。だが対面して、そんな父の気苦労・配慮を聴く曹丕の何処かには、 《なあ〜んだ、そんな事か。》 と
謂う 不可解な気分が在った。すんなりとは 腑に落ちない。
〔世代間のギャップ〕である。後漢末の大動乱を知らぬ、謂わば戦後生まれの曹丕にしてみれば、なぜ父が其処迄〔朝廷の権威〕 を重大視するのかの ”実感”が無い。 物心ついた時には既に、世は 【曹操の時代】 と成っていた。 朝廷の力なぞ 無きに等しい時代だけを生きて居たのだ。
《サッサと皇帝に就いてしまえば、それで済む事ではないか!》と謂う大雑把な認識しか抱け無い。とは言え、父親の言う事が間違いである!などと云う、大それた気持は更々無い。だから同時に
《そんなモノなのでは有るのだろう》 とも思う。黙って拝聴する。
「やって出来ぬ事は無い・・・・。じゃが、儂の時代では却って世の反発だけを招き、寧ろマイナスの方が大きい。それが 人の世の
”しがらみ”と謂うものであり、儂の背負う”宿命”と謂うものなのであろう。ーー本音を申せば儂とて人の子。誰が皇帝の座を望まぬ者が在ろうか?」
10年も前の曹操で在ったなら、こんな事は謂わ無かった。矢張老境の為せる業か??だが、そうは言いつつも曹操の表情には苦々しさは微塵も感じられ無い。いっそ爽やかで在る様にすら見える。
《ーー達観して居るのは、漢帝より寧ろ、父君の方だ・・・・。》
「然し冷静に判断して観るに、無念じゃが、儂には最早、残された時間は限られて居る。ジタバタはせぬ。儂は己に出来得る限りの事業をし尽し、〔簒奪〕の汚名を一手に引き受ける覚悟を決めた。『漢王朝を亡ぼしたのは曹操である!』と言わしめて呉れようぞ。清平の姦雄たる曹操が、今更 善い子ぶっても始まるまい。
儂の真の敵は唯一 司馬遷である!!」
ハハハハ・・・・と軽く笑った後、曹操は曹丕を手招き、王座の直ぐ傍らに迄昇らせた。そして其の手を取って握ると、然と告げた。
「全て我が究極の望みは、子桓、お前に託す!
《頼んだぞよ!》 と云う気持が、有り有りと伝わって来た。
「はい!然と承りました!!」
父と嫡男の心が、初めて完全に合致した一瞬であった。
「よいな、今から 〔其の時〕に備えて、密かに、而して着々と、
万全を期すのだぞ!!儂は、其の日を、此の眼で見届ける事は無いが、その夢を見続ける事が出来る訳じゃ。」
何故か、曹丕の眼からドッと涙が溢れ出ていた。それは、安堵か歓びか、果また去来する苦悩の日々か、それとも 父の熱き思い
だったのか・・・・ 「ーー泣く奴が在るか・・・・」
意外な我が子の反応に、曹操も思わず目頭が熱くなっていた。
乱世の英雄の髪にも髭にも、大分白い物が目立っている。
「どうじゃ、今ここで、儂の夢を少しだけ見せて呉れ。」
「ーー??・・・・」 何の事か戸惑って居る曹丕。
すると曹操は、仰天する様な行動を起こしたのであるーー。
つと 王座を立つと、代わりに曹丕を座らせたのだ。ばかりでは
無かった。自分が被っていた〔冕12琉〕を脱ぐと、何と、其れを
曹丕の頭上に冕ぶらせたのである!!ーーと、其処には・・・・
【通天冠】を冕ぶって、【玉座】に就いた、
魏帝・曹丕の姿が現われたではないか!!
63歳の、やや老眼の混じった曹操の眼には・・・・
王座は〔玉座〕に、冕12琉は〔通天冠〕と変化し、五官中郎将は正しく、堂々たる〔魏皇帝〕へと変身を遂げて居たのであった。
「おお〜!魏王朝じゃ!!これぞ雅に我が夢の現である!!」
稚戯と笑う事勿れ。父親の心とは、そうしたものなのである。
徐々に衰えゆく己に代って、同じ血を継いだ若々しい生命力が、己を継承し発展させて行って呉れる歓びと 頼もしさと 安堵・・・・
それは限り在る人間が、《永遠》 と云う抽象を、唯一実感できる
生命体としての証しなのであった。
「父君の為された大業を、更に推し進めるべく、この子桓・曹丕、一段と身を修め力を蓄え、必ずや御期待に沿って見せまする!
「よう言うた。じゃが子桓よ。今からは《修羅の道》が始まるのだ。もう 2度と再び、心の安寧は得られまいぞ。己の身も心も、己のもので在って己のものでは無く成るのじゃ。それが絶対者の宿命であるのだ・・・・。まあ、其の事は、追々に解って来よう。今は唯、只管に此の父の為す事の意味を考え、その目指す姿を、然と眼に焼き付けて置くが善い。」
「仰せの通りに励みまする。」
「あとは、側近じゃ。用いる者次第で、国の姿は 大きく変わる。
磐石不変の忠臣を見極め、侫倖・讒言を排し、耳に痛い諫言を聴く度量を磨け。」
言われて曹丕の頭の中には【司馬懿】と【曹真】の顔が浮かんだ
「あと5年・・・・あと5年の内には、曹操の時代を完結させて見せよう。その後は御前に任す。ワハハハハ、さても未だ未だ忙しい事じゃわい。」
冕を着け直し王座にドッカリと座った曹操の顔には、再び乱世を生き抜く 《覇王の生気》 が、凛爛と 漲り溢れて居た。
父から直接の任命を受けた後、謁見の間を退出した曹丕
丸で雲の上をフワフワ歩く様な、夢見心地を味わって居た。このまま両手を広げれば、それが翼と成って、空を自由自在に飛べると思える程の歓喜!!
《やったぞ!遂にやったぞ!!》 許されるなら 絶叫
したい様な衝動・・・・歩を進める毎に沸々と込み上げて来る狂歓
そんな興奮状態の曹丕の足が、先ず向ったのは・・・母親でも無く妻でも無く、愛妾でも親戚縁者でも無く、誰あろうーー自分の苦悩の青春時代を支え、励まし続けて来て呉れた 最大の師友、最も信頼し、兄事して来た忠臣・・・彼の前でなら何の遠慮も躊躇いも無く、自分の全てを 曝け出せる相手。 己の全てを知る 最大の
理解者ーーなまじ血縁で無い他人だからこそ、この歓喜を 洗い
晒らいぶつけて、分かち合う事の出来る人物・・・・
そう、【司馬懿仲達】の私邸であった!! 曹丕子桓は今、この欣喜雀躍すべき歓びを、素直にぶつけられる相手が欲しかったのだ。この決定の知らせを、心から喜んで呉れるのは、天下広しと雖も、今日昨日の知己では無い、もう 其の交流は 20年
近くにも成る、腹心中の腹心。未まだ少年だった己を、陰になり日向になり、公私全面に渡って常に変る事なく励まし導いて来て呉れたのは、この司馬懿仲達でしか無かったのだ。
「やったぞ!やったぞ仲達!!
俺は遂に栄光を掴んだんだ!!」
司馬懿の顔を見るなり開口一番、曹丕は叫んだ。
「おお〜!決まりましたか!?」
パッと顔を輝かせ大ニコニコで両手を広げて迎え入れる司馬懿
「決まった〜!余が太子じゃ!余が、魏の跡継ぎじゃア〜!!」
叫び様、曹丕は仲達の胸に飛び込み、抱き付いた。
「おお、やりましたな!終に遣り遂げましたな!
大の男が2人、何の気兼ねも 恥じらいも無しに、丸で恋人同士
みたいに抱き合って、ピョンピョン、ドスドスと、辺り構わずに飛び跳ね廻る。わあわあと雄叫びを挙げながら狂喜乱舞した。
「今さっき、直接、父上からの御言葉を戴いたばかりじゃ!!」
「お目出度う御座いまする!!誠に、誠に・・・・!!」
仲達の眼には嬉し涙が光る。
「此処まで来れたのも、偏に仲達の御蔭じゃ!」
欣喜雀躍の乱舞が済むと、今度は共に、長かった道程が、互いの脳裡を掠め合った。
「父上は余に、『魏王朝を開け!』 と命じられた。」
「当然の事で御座いましょう。」
「全て、仲達の言った通りに事は進んでいる。」
「父君は、叡明深慮な御方で御座います。」
「じゃが、中国は未だ3つに分裂した儘だ。」
「ようやく3つに纏まった・・・・とも申せましょう。」
「1つに統一出来るであろうか?」
「天下を統一されまするか?」
「真の皇帝とは、中国全土を統治する者で在る筈じゃ。」
「その意気や善し!・・・・で御座りまするな。」
「困難な道程では有ろう。だが不可能だとは思わぬ!」
「いずれにせよ、皇帝の心掛け1つ。奢侈に溺れる事無く、
国力の増強に専念なされて、機の熟するを待つ・・・・。」
「余には父・曹操孟徳が築き遺していって呉れる巨大な”資業”が在るのだ。其れを単に
継承するだけで 満足するのでは無く、更なる大帝国を此の世に打ち建てようと思う!!」
「壮大なる男の夢・・・で御座いますナア!この司馬懿仲達、微力ながらも、其の夢の実現に尽力させて戴きましょう!」
「恃むぞよ!仲達は我が生涯の股肱じゃからな!」
「ハハッ!有り難き御言葉。身に余る光栄で御座いまする!」
「・・・・皇帝・・・か。一体、どんな ものなので在ろうかの〜!?」
「その日の来るのを楽しみに、シッカと準備だけは致して措きまするが、さあ、今は、祝いの美酒を酌み交わしましょうぞ!」
すると曹丕は意外な事を言い出すのだった。
「祝い酒の前に、”例の場所”へ野駆を致そう。」
「おお、成あ〜る程。久し振りに、あの丘の上に立ちますか!?」
「ああ、其処で思いっきり、この嬉しさを叫びたい。」
「思い返せば、それが殿との出会いの日で有りましたナア・・・・。」
「そして余は、あの丘の上で、折節につけ成長させて貰った。」
晩秋の紅葉路を、次の時代を担う 主従2騎が疾駆するーー
やがて、その目指す地平の彼方に見えて来るものは・・・・果して如何なる明日であるのであろうか!?
この 《太子決定》 の報は、直ちに ”奥” にも伝えられた。女官長である〔長御〕が、曹丕の実母であり、 曹操の正妻である 【卞夫人】の元へ遣わされた。その長御は祝辞を述べた後に、こう言った。
「将軍(曹丕)は太子を拝命され、天下の者は揃って歓喜に浸って
居ります。御生母様には此の際、倉の中の物を全て出されて、
慶賀の者達に褒美を
賜わり為されます様に!」
すると卞夫人は言うのだった。
「魏王は、曹丕が年長で在る故に、後継者に成されたのです。
私は只、『教育が成って居無い!』 と云う責任を免れられれば、
それだけで幸せ・・・と考えるだけの事です。何で大そうな贈り物をする必要などが在りましょうや。」
長御は戻ると、逐一その様子を曹操に報告した。曹操は唸った。
「腹を立てた時にも 顔色を変えず、喜んだ時にも 節度を忘れ
無い。是れこそ最も難しい事なのだ・・・!!」ーー(正史・卞皇后伝)ーー
だが、曹丕の太子即位を一番喜んだのは、矢張卞夫人であったろう事に間違いは無い。 然し、其の心境は 必ずしも 晴れやかなものでは
在り得無かった。長男・曹丕の最大のライバルは、同じ卞夫人が産んだ 3男の曹植であったのだから、 兄弟の行く末を
想う時、決して歓び一辺倒では居られ無かった。ーーだからこそ敢えて『この決定は単に、長幼の慣に則ったものに過ぎ無い!』
と公言する事に拠って、夫が兄弟を競わせた苛酷な事実を薄めて見せ、もう是れ以上は兄弟の傷跡を拡げさせない・・・そうした母親の愛情と配慮とを、忘れる事が無かったのである。 母親に
とって、同じお腹を痛めて産み、愛うしんで育てて来た兄と弟が、互いに憎しみ合う様な事だけは 絶対に、させたく無かった。
そんな「卞夫人の配慮」を感じた為であろうか。曹操は太子公表と同時に、他の子供達全員にも”新しい封領”を与えた。中でも
後継者レースに破れた格好の【曹植】に対する処遇は、他の弟達に比べると格段のものであった。一挙に5千石が加増され、今迄の領邑と合わせて1万石となったのである。是れは ”曹丕とも同格扱い”で在り、曹操の曹植に対する恩寵が、今回の一件に因って決して衰えては居無い事を、内外に告げる措置であった。
他の弟達が名目だけの「転封=国替」に留まった事を観ても、その目的は明らかである。流石に曹操も、人の子の父で在ったのだ。
かくて建安22年(217年)の【魏王国】は順風万帆・・・・
曹操は天子の旌旗を設け、出入に「警」「蹕」と称し、
冕十有ニ旒を被り、金根車に乗り、六馬を駕し、五時副車を設ける。更には積年の課題であった〔太子の公表!〕・・・・と、一見する限りでは、慶賀・慶祝ムードに華やいで、其の隆盛を謳歌する如くに想われるのだが・・・・
実は、それは表面上の事であり、水面下では寧ろ、警戒レベルが最大限に引き上げられ、諸軍・諸将は緊張した状態を保つ様に下命されての事だったのである。何故なら、この【曹魏】の一連の動きを、冷ややかな眼で観て居る者達が、国の内外に存在する事を、曹操自身が最もよく識って居たからである。そんな者達にとっては、これ等の出来事は、
《漢室を蔑ろにして、我が物顔に振舞う 曹操と其の一族め!!》
と映るであろう。漢の皇帝を奉戴している限り、その怨念と叛乱の危険性は常に曹魏には付き纏う。況して、漢皇帝と全く同等・同格と成った今、その叛乱勃発の可能性は、臨界点に最も近づいて居る!!と観るべきであった。又、逆転を狙う「反曹丕派の不満分子」が自暴自棄的に突発の動きを見せぬとも言い切れぬ
ーーそれが〔国内の実情〕で在ったのだ。
そして〔国外〕でも、そんな曹魏の緊迫状況を見透かした様に、曹操が想定して居た以上の、
トンデモナイ事態が起ったのである!!
事も有ろうに、あの
逃げるしか能の無かった劉備が、何と、
〔漢中奪取〕を狙って、本気で
総攻撃を仕掛けて来たのである!【第213節】 蜀の逆襲!(漢中争奪戦T)→へ