【第208節】
呉国を担う 第3の男
                                  新司令官・悪ガキ呂蒙

「老い耄れメ〜!!”猟り”の次の脅し文句は、
馬の水飲み場” だと 言って来おったか!?」

呉の
孫権曹操誘降の書状を手に、歯噛みした。

《赤壁》の時は”
会猟せん!”と言い、今度は長江の畔で80万頭の軍馬に水を飲ませよう!と書いて寄越したのである。先の決戦では実数20万、今度は倍の40万である。


赤壁戦の時には不屈の大都督・最高司令官の周瑜公瑾が居て呉れた。又 彼を補佐する大元勲の程普が居て呉れた。そして勝利の火攻めを敢行した黄蓋が居て呉れたーーだが今や、その3人共が既に亡い・・・然も、周瑜の遺命を受けて跡を継いだ、現役の都督・魯粛迄もが逝ってしまったのだ!!
この国家存亡の危機に際し、俄然、呉軍中枢部は手薄に成ってしまったのである。
呉軍 総司令部 潰滅!!ーーとさえ謂える惨状・・・・・だが、それであればこそ尚の事、至急、新たな総司令官を任命して、この危機を乗り切らねばならない。而して今回の場合は、各地に駐屯して居る将軍達を首都・建業に招集して、改めて軍を発するのでは、徒に時を費やす事になる。兎に角、最前線である濡須塢じゅすへ各自を直行させ、現地集合で新司令部・新軍団を編成する方が合理的であった。

冬の走りーー首都・建業から〔濡須塢〕へ向う長江の船上・・・・孫権は独り新司令官の人選と、その作戦計画の策定 を 練った。 だが、そう思って家臣団を見廻した時・・・・孫権は今更ながらに己には蜀の【関羽】や、魏の【張遼】に匹敵する ”大駒”の不在に歎息せざるを得無かった。その武名を聞いただけで、天上天下を震撼させる如き、絶対的な常勝将軍を持って居無かったのである
と謂うよりも、「周瑜」・「程普」亡き後は大勝利とは無縁で、失態ばかりの孫権であったから、当然 その家臣達に武名を轟かせるチャンスも無かったのである。だから詮方無い事では有ったが、矢張り淋しい。
気を取り直して 家臣団を思い浮かべれば・・・・
周瑜や程普の様な カリスマ性は望むらくも無いが、《おお結構、居るではないか!》 とも思える。矢張り長い将来を考慮すれば、先ずは兎に角、現在既に
将軍で在る者でなければ、大都督として、全軍に威厳・威令は行き届かない。
既に、ほぼ人選と作戦の腹を固めた孫権では在ったが、今一度改めて将軍連中の顔を思い浮かべ、その人格や智略・勇敢さや人望を勘案して試る。
最有力の本命は後廻しとして置くと・・・・

偏将軍では→【韓当】【董襲】【陵統】
          【
王番璋】【朱然】【全j】
盪寇将軍の→【蒋欣】折衝将軍の→【甘寧】
平虜将軍の→【周泰】裨将軍の→【朱桓】
安東将軍の→【賀斉】・・・・と謂った処が候補であろう。

然しながら此の内で、自ずから総司令官としては除外される者も在った。・・・現在、濡須塢の司令官である平虜将軍・
周泰は人柄・勇敢さは申し分無い人物であったが、如何せん寒門の出である為に、とかく部下達からは軽く見られ、わざわざ孫権自身が出向いて、其の戦功の数々を 周囲に知らせて遣らねばならぬ ハンディが在った。 とても 全軍に威令が行き渡るとはゆかぬであろう。又、つい最近になって”将軍”に昇格したばかりの者達も対象外とせねばなるまい。陵統は30歳、朱然は37歳と未だ若い。逆に、既に年長に過ぎる者も 対象からは外さねばなるまい。初代 からの武辺韓当や、8尺の巨漢董襲がそうであった。又、その個性が強烈に過ぎて、どうも全軍を束ねるには不向き・不穏当な猛者達も 外さねばなるまい。その最たる
人物は→
甘寧であった。勇猛果敢さに於いては、彼の右に出る者とて少なかったが、気に喰わねば直ぐ部下を殺してしまう激越な性向があった。又 彼の得意とするのは大軍の指揮よりも少数精鋭を率いての神出鬼没・変幻自在な”奇襲攻撃”であった故に総司令官向きの、グッと隠忍する状況には適さずと謂わざるを得まい。 【王番は、性格粗暴・贅沢を本文として居たし、朱桓気位が高く自分の落度を絶対に認めず人の下に就く事を忌み嫌う人物だった。賀斉は呉軍きってのド派手なパフォーアーで、その軍備の仰々しい装飾には顔を顰める者達も少なくは無かった。 逆に全jは地味で、専ら「山越」討伐の功で将軍に成った人物だった。

こうして消去してゆくと・・・・個性豊かとは言い状、総合的に及第する人物は殆んど皆無ではないか!?だとすると、この顔ぶれで残るのは、
蒋欣ただ1人か??ーー確かに蒋欣であれば、質素倹約を旨とし、勇猛さに於いても先の「遼来来」では孫権を守り通し、無学文盲を克服し現在では〔右護軍〕として訴訟処理の重責をこなす程の人物に 成長しては居た。・・・・だが、惜しむ
らくは、今ひとつ、
敵に対するインパクトが弱い。名前だけでなら敵に侮られる恐れが在った。寧ろ実戦では、副将として実力を発揮させた方が味方の為にもなろう・・・・ーーと成れば、後はもう、矢張り新しい総司令官には、この男しか居無いではないか!!

呂蒙りょもうーー字は子明しめい・・・・
               嘗ては、筋金入りの
悪ガキであった。
 
兎に角、物心付いた時から〔3度の飯より喧嘩が大好き!〕と云う荒くれ者。その暮らし振りは、正に極道そのものだったがガキンチョの癖に勇敢で戦さ ともなれば 滅法強い。そんな風聞が孫権の耳にも入って来た。そこで孫権は先ず、其の悪ガキを、生粋の叩き上げ軍人である黄蓋に付け武人としての男を磨かせた。そして何時しか・・・・悪ガキも、そんな黄蓋に感化薫育されイッパシの青年将校らしく成っていった。極道者の看板も、どうやら自分で降ろした様であった。その”進化”を聞いた孫権は、仕上げとして、今度は呂蒙を軍政家として育てるべく周瑜の靡下に転属させた。周瑜は呂蒙の覇気を見込んで、のっけから1軍を与えて任せた。予見に違わず、呂蒙は見る見る 勇将・猛将として頭角を現わし、重大な戦いに於いて先鋒を任せるに相応しい部将へと成長していった。
が、惜しむらくは・・・・
完璧な勉強嫌い!〕・〔漢字アレルギー!
文字嫌悪症候群!であった!!
武将に文字など要らんワィ!殺し合いに文字の一体ドコが役に立つ?眺めただけで虫酸が走るワィ!俺っち勉強ダ〜イッ嫌い!! と公言して憚ら無かった。
《惜しい!如何にも惜しい!!是れでは、何時まで経っても、俺の単なる手駒の1つに過ぎ無い。この武勇に見識が備われば鬼に金棒、”軍政家”として、いずれ国を託せる人物とも成ろうものを・・・・。》
その呂蒙の潜在能力を、彼方此方に見い出した【周瑜】は、一計を案じた。主君孫権を直接登場させる事により呂蒙の自負心・負けず嫌いを擽ろうと云うのであった。周瑜の1配下に甘んずるのでは無く、呉国の重臣として君主から期待されている事を自覚させ発奮させようとしたのである。彼の上に、そうした人間が居て呉れたのは、呂蒙の幸運だったと言えよう。

君主孫権は周瑜の勧めに従って、その呂蒙を謁見説諭する事にした。呂蒙1人だけでは叱責と受け取られ兼ねないので、古参で矢張武辺一点張りの蒋欽
を共に呼んだ。
「そなた達は、今や重要な地位を占める、一廉の武将と成って呉れた。だが更に大きく成って欲しいと思う。武芸だけでは無く学問を修め、自らを磨き、啓発しなければなるまいぞ!」 すると呂蒙の腹の中に、ムクムクと 悪ガキの根性が、頭を擡げて来た。主君を前に、いかにも面倒臭そうに言ってしまう。
私め、何ぶん軍務多忙な身で在りまして、本を読んだり、字の練習なぞにカマけて居る暇など御座いませんな!そんな呂蒙に対し、若い孫権は色を為すと、語気を強めて言った。
今から
17年前孫権18歳呂蒙22歳の時であった。
何も学者に成れと言うのでは無い!此処ぞ、と云う学問の精髄だけを把握し、過去の例を学んで欲しいのだ。先ずは1軍の将として、何処に出しても恥ずかしく無いだけの教養を身に着けて欲しいのじゃ。忙しいと言った処で、この私と比べてどうであるか?余ほどでは在るまい!?
主君から、そう言われれば、グウの音も出ない。

「孔子様も 『寝食を忘れ、夜も昼も一日中、独りで思索に耽った処で大した智恵が湧く訳では無い。やはり進歩を得るには読書により、先人達に学ぶのが早道だ』と申されているではないか。光武帝は陣中でも書物を手放さなかったと言うぞ。現代では曹操とて勉強家として知られ、『歳を取っても学問は好きだ!』 と申して居るそうじゃ。そなた達だけが軍務多忙と言って安穏として居て良いものか・・・そなた達は未だ若い。頭も悪く無い。きっと勉強した成果は現われる。余は、そう思う故に、そなた達を呼んだのじゃ。余は、そなた達に大いに期待すればこそ、こんな苦言めいた事を申して居るのじゃぞ。そこの処を、よ〜く考えて呉れ。しっかりやって欲しい。そしていずれ、余の右腕、左腕と成って呉れ!頼んだぞ・・・・!!
こうまで主君に見込まれて、言われた呂蒙ーー此処はもう、その期待に応えて”男に成る”しか無い。奮起一番・・・・人が変わった様に、勉学に取り組んだ。文字すら碌に読め無かった悪ガキは、夜も日も撓まず独学し学び続けた。他人に頭を下げ廻っては教えを乞うた。元々才能は有った。誰にも有る。気力も人一倍ある。・・・・次第に学問・兵法そのものが面白くなる。更に欲が出、倦む事なく書物を読破していったーーそして、やがて、呉下の阿蒙と、半ば蔑まれて呼ばれていた悪ガキは・・・成り上がり名士の「魯粛」なども及ばぬ程の、素養・教養を持つ大戦略家へと変貌を遂げる。

初メハ軽果けいかニシテ、殺さつヲ妄みだリニスト雖いえどモ終ついニ 己ニ 克ツ。国士ノ量 有リ。豈ニ 徒ただニ、武将ナル耳のみナラン哉    ーー(陳寿評)ーー
周瑜病没後の事・・・・後任の司令官として前線に赴く
魯粛が、途中で呂蒙の幕舎を訪れた。魯粛は悪ガキ時代の呂蒙しか知らずに、両者すれ違いの任務が続いていた。 酒が巡り、宴も酣の頃、魯粛は呂蒙に尋ねられた。
「先輩は周瑜殿に代わり、蜀将・関羽と隣接する地に赴かれるとか万一に備えて、如何なる方策をお持ちですか?」  「臨機応変、その時に応じて適当にやる心算じゃよ。」
野放図な処のある魯粛は、適当に答えておいた。
「今、呉と蜀は表向きは一家を成しているとは申せ、関羽は熊か虎の如き恐るべき相手と推慮致します。予め計略を立てて措くべきでは御座いませぬか。」 
ーー《 おや、こいつ・・・・?》
思わぬ悪ガキの言葉に驚いて居る魯粛の前に、呂蒙は理路整然とした。
「尊兄は今、周瑜どのの跡を引き継がれる訳ですが、立派に跡を継ぐのは中々困難である上、関羽と境を接する事に事に成られるのです。関羽と云う人物は、成人してから学問を好む様になり『左伝』を読んで殆んど暗誦できる程であり、豪放な性格で、為す有らんとする気概を持って居りますが、但し自負心の強い性格で屡しば人を人とも思わぬ態度に出ます。今その関羽と相い対峙する事に成られたのですから、様々な方略を立てて措いて、之に対処されねば為りません!
人を遠ざけ5つ (3つとも) の具体策を提示して見せた。(史料には、其の項目は残って居無いが。)

其れを聴き、感じ入った魯粛は、呂蒙に近づくとその背中をトントンと叩きながら言った。
「いやあ〜、見直したぞ呂子明どの!是れまで 武辺一点張りの、実戦だけの男だと
ばかり思っていたが、何時の間にやら、ドエライ博識ぶりじゃ!是れ程、智謀遠慮の御仁だとは夢にも想わなかったワイ。昔の悪ガキ、何時迄も 〔呉の阿蒙ちゃん〕呼ばわりは出来んわな・・・・!!」  それに応えて、呂蒙は言ったものである。
「士たる者、別れて3日経てば、よくよく目を見開いて、 相手に接せねばなりますまい。」

ーー
ノ 背中ヲ 拊チテ 曰いわーー
われおもえラク、大弟だいていハ但ただ武略有ル耳のみト。今ニ至リテハ、学識英博、復タ 呉下ノ旧阿蒙
きゅうあもう
ニ 非あら』 ト。  蒙 曰ク
士、別レテ三日さんじつ、即チ 更々こもごも
         刮目
シテ 相侍あいじ』 ト
孫権
は述懐するーー『晩学のなかでも、呂蒙や蒋欽の様に、目覚しい進歩を遂げた者は在るまい。既に富貴を手にした後で、よくもまあ、人に頭を下げて、学問をしたものだ。地位や財産より真理を学ぶ・・・・出来ぬ事だ。そして今や2人ともに、国に掛け替えの無い人物と成って呉れた。誠に見上げたものじゃ・・・・!』 そして、こうも評した。
子明りょもうノ少わかキ時ハ、孤(自分)劇易げきえきヲ辞セズ果敢ニシテ肝きも有ル耳のみト謂おもエリ。身ノ長大スルニ及ビ、学問開益シ、籌略奇至ちゅうりゃくきしニシテ、以テ公瑾しゅうゆニ次グベシ。但ダ言議ノ英発ハ、之ニ及バザル耳のみ。はかリテ関羽ヲ取ルハ、子敬ろしゅくニ勝ル。』

ちなみに
呉下の阿蒙→昔の儘で進歩の無い人物の事・・・・
刮目かつもく→深い関心を持って観る事・・・の語源★★出典★★となる。



【周瑜】→【魯粛】と、2代に渡る 〔都督〕 を失った 呉国にとって、今や、この呂蒙子明こそは、国の死命を左右する其の使命に指名されるべき唯一の氏名であった。周瑜の跡を継いだ 魯粛は、どちらかと謂えば、戦略専門の参謀総長の役割を担うだけで実際の作戦に於ける戦術は事実上この呂蒙が殆んど建策・献言・人選を為し、常に 全軍に影響力を
及ぼして来て居たのである。濡須防衛戦 然り、皖城戦も亦然り。 そして周知の如き先鋒での歴戦の武勲。最近では皖城一番乗りが記憶に新しい。その武勇は誰しもが認めて居る。

出自は寧ろ寒門と謂ってよいし、最初は全くの脳天ホワイラーで脳味噌までが筋肉マンでしか無かった。ーーだが、現在は全くの別人に成長して居た。学問・見識は格段にレベルアップが為されて居たし、「荊州分割事変」に於いては【
赤卩普】を欺く”策謀”を駆使する柔軟さも身に着けて居た。そして何よりも特筆すべきは
他人に対する配慮の行き届く人間 と成って居た事であろう。
孫権が、病死した3武将の兵を没収して呂蒙の軍に併合させ様とした時には断然と固辞し、その遺児を養ってまで跡を継がせた。
又とかく因縁・軋轢の在る「甘寧VS陵統」の間に入っては、常に両者の顔を立てつつ、個々を推挙して彼等の勇猛さ引き出して来て居た。武勇と智略と人望、其の3者のバランスの取れた人物ーーそして寧ろ、実戦の指導力に於いては、前任の【魯粛】を凌ぐ男・・・・
それが、
呉軍の新都督呂蒙で在った!!  216年の10月に、曹操軍が100万を呼号する大軍団で業卩を発進した と謂う情報を得た孫権。直ちに檄を各地に飛ばした。その結果 1ヶ月後には、呉の諸将軍は続々と濡須塢に集結して来た。その総兵力は凡そ7万 砦=塢に立て籠もっての専守防衛戦であれば、この7万でも充分と謂えた。
然も、備えは既に万全であった。先の合肥戦役の際、【呂蒙】の建策に拠って、塢の周囲には分厚い保塁の険塞がガッチリと築かれて居たのである。そして其の小高い土塁の上に、今回は何と、強弩1万張りを ビッシリと据え付け、強烈な一斉射撃の連射で敵の総攻撃を喰い止める手筈も整った。後の3万は 念の為に其の周辺に待機させ、魏の策動に備える。赤壁戦の時と同様、準備期間は充分に在った。いや曹操が与えたのである。呉の国論が再び降伏に傾く様に仕掛けるべく、”威圧の時間”をたっぷり味わせる魂胆であろう。だが、あれから約10年・・・・国内整備は進んだにせよ、曹操の版図は大して拡大はして居無い。寧ろ版図を荊州に拡げたのは孫呉の方である。
(尤も、3者の中では、劉備の奴が一番上手く立ち廻っては居たのだが・・・・) 是れだけの
備えと兵力が在り、しかも 籠城して防禦だけに専念する覚悟であれば、赫々たる勝利は無理だとしても、決して敗れる事は無いに違い無い・・・・!!
徹底した防禦戦術を以って、この危機に臨む事を決意した孫権。だが其の一方で、壮年に在る孫権故に、其の脳裡に焼き付いて離れぬ、或る胃痛の思いが噴き出すーーそれは・・・・
屈辱合肥大敗北であった!!
呉軍10万が張遼部隊に追い詰められ、あわや君主の首が討ち取られる寸前の体たらく。その屈辱感は、時間が経てば、いずれ忘れ去られると思いきや、却って時と共に益々鮮明に蘇って来ては、孫権を四六時中魘し続けて居たのだ。
忸怩たる口惜しさ
恥辱その鬱屈は独り君主だけのモノでは無かった。主君の傍らに在りながら其の恥辱を招いてしまった、誇り高き部将達の心中たるや、顔から火が出る様な屈辱・末代までの恥辱と感じて居るのであった。
この恥辱と怨み、必ず晴らさずに置くものか!
ばかりでは無かった。下士官・一般将兵の間には、あの敗残の生々しい記憶がネガティブな自信喪失を産み、戦う前から既に
《魏軍恐るべし!!》 との、怖気づいた負け犬根性すらを発生させ士気の沈滞は明々白々であったのである。

             

この屈辱感を雪がぬ限り 呉軍に明日は無い!

諸将を前にした孫権、基本戦術を示した後で、腹に据え兼ねる思いの丈を率直に吐き出した。若い孫権なればこその、拘わりと心意気であった。

「是非も有りませぬ。断じて遣りましょうぞ!!本格的な戦さは、其の後でジックリ遣れば善いではありませぬか。」

新都督を拝命したばかりの呂蒙が、打てば響く如くに即応した。

「儂が合肥で味わされた恥辱を、そっくり其のまま曹操の老ぼれ爺ジイに味わせて遣りたいのじゃ!」 
今更ながらに歯噛する孫権。

「奇襲した者は、奇襲には弱いもので御座る。」
特攻のスペシャリストたる甘寧が、我が意を得たりとばかりに頷いた。元々奇襲攻撃は、寡兵たる呉軍こそが
”本家”なのである。特に甘寧は、日頃から少数の特殊精鋭部隊を鍛え上げて居た。彼の隠密裡での奇襲スピードは間違い無く、3国でナンバーワンであった。

「よし、では、曹魏軍が着陣した直後に、先制の奇襲攻撃を決行しよう!赤壁は死なず!じゃ。もう1度、呉国魂を見せつけて呉れようぞ!一同、よいな!?」

「お〜合点承知!我ら皆、この機会こそを待ち望んで居りました。先日の恥辱、必ずや雪いで見せましょうぞ!」 

副都督の蒋欣が、一同の気持を代表して答えた。

「そうじゃ!驕り昂ぶった曹操メを縮み上がらせて呉れるワ!」

「敵は多勢を恃んで、我々を軽く観て居りましょう。此方が堅守
一方と見せ掛けて措きますれば、成功は間違い在りませぬ。」


皆やはり、心の底には忸怩たる雪恨の無念さが燃え滾って居たのである。主従ともに、先ずは其の事であった。

かくて再編された帷幕には改めて《不屈の一体感》が生まれた。ビビッて居る兵士達の心に、改めて〔呉国魂〕を吹き込み、その誇りを取り戻させるのだ。

「その奇襲に対する反応に拠って、曹操の真意も判断できよう。」

怒った曹操、本気で逆襲を試みて来るか?それとも・・・・!?

「では改めて、大都督・呂蒙に命ず!」

君主・孫権の、3代目・大都督に対する初めての下命であった。

魏軍に対する先制攻撃の作戦を立てよ。
 
「ーーハッ!!」

続いて孫権は、特別の命令を発した。

「折衝将軍甘寧に命ず!曹操の心胆を寒からしめる精強部隊を編成し、必ずや我が恥辱を晴らして見せよ!」

「お任せあれ。夜襲を以って脅して参りまする!」

「うむ、頼もしい。では一同の者、心して掛かって呉れィ!!」

217年(建安22年)の1月、「居巣」に陣を敷いて満を持すと、いよいよ其の2月・・・・曹操全 30軍 を率いると、

「濡須」の
孫権軍を目指して、西への進撃を開始した。斯くて此処に、実数40万 VS10万を擁した魏呉の総力戦が始まらんとしていた!!【第209節】 呉国魂・溜飲スピリッツ ( 特攻男・甘寧のド性っ骨 ) →へ