第14章

3者激突の火蓋


           曹操と劉備 積年の対決

この当時、人々は しばしば軍役に狩り出され、その上に伝染病も流行し、民戸は減少していた。 呉国の家臣・駱統は、上疏して言った。


『臣が聞き及びます所
一国の主君たる者疆域きょういきをしっかりと保つ事に拠って国を富強に導き、威と福とを適切に施す事に拠って人々の上に立つ地位を確かなものとし徳と義とを輝かす事に拠って栄誉と名声とを得末永く子孫に位を伝えて豊かな祚さいわいを受けるのだ!との事で御座います。然し乍ら
財貨
と申す物は民衆が居って創めて生み出される物であり
国の強さと申すものは、民衆の力を背景とするものであり
と申すものは、民衆達の勢いを基礎とするものであり
さいわいと申すものは、民衆の働きを介して殖やされるものであり
と申すものは、民衆が在って創めて盛んに成るものであり
と申すものは、民衆を背景にして実行に移されるもので
                                御座います。
是れら6つのものが十全に備わって創めて、天の御心に叶って王位を子孫に伝えるべき祚いを授かり、御一族が恙無く、国家も万事うまく行くので御座います。『尚書』にも民衆は主君無しには互いに仲良くやってゆく事が出来ず、主君の方も民衆が居らねば四方に君臨する事が出来無い』と申しております。この事を広げて申しますればーー
民衆は 主君が居る事に拠って安定し、主君は 民衆が居る事に拠ってその仕事を成し遂げてゆく事が出来る・・・・ と 謂うのであって、
是れは古今不易の道なので御座います。

只今
強力な敵は未だ絶滅して居らず天下も未だ治まっては居りません我が軍は、挙げて終る事の無い戦役に従い、長江一帯の警備は 片時も揺るがせには出来ず
租税や労役が
もう幾十年にも渡って頻繁に課せられて来ましたそれに加えて伝染病のため死者が多数でると云う災いが重なり郡や県は荒れ果て、田畑には雑草が繁り、配下の城々からの 情報に
拠りますれば
民戸は段々と減少し然も残って居りますのは力の無い老人ばかりで働き盛りの大人達は其の数が多く無い・・・・との事で御座います。

こうした報告を聞きます時、心は火に焙られて居る様な焦燥を覚えます。こうした事態に成った原因を考えて見まするにーー賤しい民衆達は無知で在って、故郷に愛着して他郷に移されるのを、ひどく嫌がるのが本性であります上に、
これまで幾度にも渡って兵士として狩り出された者達も、生きて居ても苦しみばかりで衣服も食事も十分には与えられず、死ねば其のまま打ち棄てられて骨が故郷に帰る事も出来無かった為、益々土地を離れて遠くに狩り出される事を恐怖し、そうされます事を、恰も殺されるかの様に考えたからなので御座います。
兵士の徴発は、いつも貧乏で実直な者達や、家に係累が多くて逃げられぬ者達が 真っ先に狩り出され、些か財産の有る者達は家財を 投げ出して賄賂を行なって兵役逃れをし、その為に財産を蕩尽する事に成るのも構う事無く、無頼の連中は険阻な土地に逃げ込んで悪党達の仲間に加わります。
人々はみな蓄財を失って、怨嗟の声を挙げて心を惑わせ、心を惑わせて居れば仕事も手に着かず
仕事が手に着かねば貧乏のドン底に陥り貧乏のドン底に在れば、もう 生死などは何うでもよい! と 云う事に成り、そのため 飢えに駆られて悪心を抱き、叛徒の仲間と成る者が多いので御座います。
聞き及びますに民衆達の間では、その家に些かの蓄えの有ります者以外の大部分は子供を産んでも 取り上げて 養おう とはせず屯田の貧しい兵士達も、子供を棄てて居る者が多い との事で御座います。天が此の世に生み出されました者を、父母が殺してしまうとすれば、そうした事が天地の和気を犯し、陰陽に影響を及ぼし乱してしまうのではないかと心配されます。それにまた思いますれば強力な隣邦や大きな敵対者は簡単に亡ぼしてしまう と謂う訳にはゆかず、国境地帯での恒常的な警戒体制も 1年や そこらで其の備えが不要に成るものでは御座いません。そうした中で兵士も民衆も消耗し、次代を担う者達が育たぬと致しまれば、それは、長い年月を掛けて国家を育て上げ、終には中国統一の大事業を完成させる! と謂う道に 沿わぬもので御座います。

そもそも、国家と民衆との関係は、ちょうど水と舟との関係の様なもので、水が停止しておれば舟は安定して居りますが、もし水が乱れる時、舟は危なく成ります。民衆は無知では在っても侮ってはならず、無力では在っても権柄ずくで支配する事は出来ません。この故に聖王達も民衆を重んじて、禍も福も 民衆との関係の中から生み出されるのだと考えられ、それ故、民衆達と一体に成って世の動きに対処し、時代を見定めつつ政治を行われたのであります。

然るに
現在では、地方の長官など 直接に民衆に接触する職務に
在る者達はもっぱら割り当てられた税金や徴用の数を揃える事のみに有能さを発揮し目前の急務を処理してゆく事に心を注ぐばかりで、民衆の為を計った統治を行なう事に拠って万民を包み込んだ仁愛と、人々の為に心を砕かれて居る 御徳とに沿おうと
する者は少のう御座います。その為、官の政治も民衆の風俗も、日ごとに 不完全に成り、次第に 活力を失い、この儘では危機も遠くは無い! と云う状況に 立ち至って居ります。

病気を治療するには 重く成らぬ裡に、患を除くには 根が深く成らぬ裡に 処置を施す
のが肝要で御座います
どうか 御多忙の政務の合間に些かの時間を お割き下さり、
心を留め 思いを巡らされて、
荒廃を復興され、遠い未来までの計り事を定められ生き残った民衆達を大切に育てられ人々の経済活動を豊かにされて、御徳をして日・月・星の3つの天体と輝かしさを並べ、天地と其の高さを等しくして戴けます様に。  
これが臣の切なる願いで在り、もし叶いますならば、我が肉体は死んでも、臣の精神は無窮に伝わるので御座います・・・・。』

この 《第14章》・《第15章》・更に《第16章》は、歴史時間だけで謂えば、僅か4年にも満たぬ一瞬の出来事に過ぎ無い。
《14章》216年10月〜219年 1月迄の2年3ヶ月
《15章》219年 2月〜219年10月迄の7ヶ月
《16章》219年11月〜220年 1月迄の3ヶ月・・・・
だが、この足掛け
4年の間にこそ、様々な出来事が集中的にビッシリと連続して起こり、魏・呉・蜀、三国時代の核・コアが生成されるのである。それは漢王朝最期の4年間であり、中国に3つの太陽が現われる直前の緊迫状況でもある。又、最大の武人・関羽雲長の死 と、
乱世の英雄・
曹操孟徳の死 を以って終る、本書・
三国統一志の第U部を飾る、象徴的な歴史空間なのでもある。




     【第206節
   魏王の大軍 呉へ!
  魏 VS 呉 RAUNDT ・・・・・御祝儀代りの全26軍

時に 建安21年
(216年)10月・・・・5月に 魏王 と成った
曹操
は、その御披露目の挨拶代りとばかりに、現時点で可能な限りの 全軍団を業卩城に結集させ、空前の 総合軍事大演習と
大観閲式・総攬を挙行した。その軍団の規模は、かつて荊州へ雪崩れ込み、赤壁の決戦に臨んだ時に勝るとも劣らぬ未曾有の大兵団であった。
30軍・100万を号した

『有司
(王の専門官)は、上奏した。
「四季毎に
農閑期を見計らって軍事訓練を行なっておりますが漢は秦の制度を継承し春夏秋・3つの季節には 訓練を為さず、ただ冬の10月にだけ戦車と騎馬を全部集めて演習をし、長水の南門に行幸し賜い、五営の士卒 ( 屯騎・ 越騎・ 歩兵・ 長水・ 射声 5校尉の軍 )を集結させ8つの陣立を構えて進んだり退かせたりし、是れを《乗之じょうし》と名付けて居りました。今戦争は未だ終らず士卒民衆は平素より訓練して居りますから今後は 四季の軍事訓練を 無くしても 宜しいかと 存知ます。 ただ立秋の時節に 吉日を選び、戦車と騎馬を大集結させ閲兵と呼び為せば、上は儀礼上の名称に合致し下は漢の制度を継承した事に成りましょう。」  上奏は許可された。』ーー(魏書)ーー

「うひょ〜!こいつぁ〜凄っげ〜〜!!」
観閲台のヒナ檀に居並ぶ魏国・最高指導部の面々。曹操は直ぐ傍らの席に、最も気心の知れた宗族の【
夏侯惇】を呼んで居た。無論その位置は曹操の左隣りである。今から20年前、呂布との戦いの折に左眼に流れ矢を受けて以来の鉄則であった。
「正に壮観!物凄いモンですわいナア〜!!」
 【
独眼流夏侯惇
もう 彼れ是れ
70歳に近づきつつ在った。曹操自身が 還暦を 既に越えて居るのだから、当り前と云えば当り前だが、僅か1千の 〔部曲〕 を以って 旗挙げした時以来の、捌けた人柄は相変わらずで、最も信頼出来き、気兼ね無い口ぶりも、未まだに健在であった。ーー後半生は主として「許都の鎮守」を任されて居たが、最初の最初から曹操の右腕として、生死苦楽を共に積み重ねて来ている 〔オジ貴〕 で在り、腹心で在り、友人で在り、最忠臣で
在った。だからこの【惇】にだけは頭初から、『
法令に拘束されず自己の判断で適宜に処置を執る特別権限を許可』し曹操の分身としてツウカアの間柄で遣って来た。此処一番での”剛胆さ”とは裏腹に、多少オッチョコチョイでは在ったが、それが今では却って気さくで人を和ませる”人徳”にまで昇華して居た。

「どうじゃ惇よ。お前が此の全30軍の総司令官に成ってみるか?
「カハハハ・・・・とてもとても・・・・こんな大軍、一体どうやって使い切ったら いいのか?見当も着きませぬワイ。」

「まあ、そう言わずに1回やって試んか?」

「殿も人がお悪いですナ〜。儂なぞ眼一杯頑張っても、精々10万の方面司令官が良いとこですワナ。実際には過去最高でも5万でしたしな。」

何ともハヤ、豪気な会話ではあった。きっと、手元不如意の劉備や孫権が聞いたら、羨望の眼差しで涎を垂らしながら、拗ネ拗ネしちゃうであろう。何しろ、東西3キロ余・南北2キロ余・周囲10余キロ、さしも巨大な業卩城 (東京ドーム280個分) 別名七五城でも入り切らず、およそ半数は 城外に野営せざるを得無い大軍団の偉容であった。 その 大地を埋め尽す将兵・人馬・車駕がビシッと整列し、観閲行進の栄誉を待って居るのだった!!
魏王直属の〔
親衛4軍〕を除いても全26軍の偉容である。
実数では
40有余万か・・・厖大な輜重部隊を含めれば、その数は更に膨れ上がるーー故に魏王軍100万!!と号す。

「【夏侯淵】や【曹仁】にも、見せて遣りとう御座いますナ〜!」

「ウムいずれ
もっと 凄いのを見せてやろうずその前に先ず
たった1万で孫権を抑え続けて居てくれる【張遼】や【楽進】じゃ。」

「ウヒヒ、如何に”肝っ玉将軍”でも、之を見たら仰天するじゃろうナア〜!」

「ところで、本日の〔鬨の声〕は、惇に任せよう。」

ゲッ!エエ〜?こ、この儂が・・・・ですか!?

独眼龍が 仰天するのも無理は無い。式典の最高の見せ場で
あり、当然、それは魏王・曹操の役柄であった。

「お前の 是れ迄の功績を考えれば、最も相応しい!」

「ーーあ、あの、あの、そ、それは・・・・・!!」

「是非に頼んだぞよ。」

曹操はニコリとして、夏侯惇の背中をバンと叩いた。


やがて、式典の開幕を告げる楽器が打ち鳴らされ・・・・続いて、軍楽隊が魏の愛国歌 (普段から親しまれている故郷の民謡) を奏でる
と、前奏に続いて、幾十万の大合唱が天地を覆って心を1つにしてゆく。そして、それが歌い終わられると、一瞬の静寂が強調され・・・いよいよ遂に、荘重な楽曲が、魏王登場 を奏告した。100万の眼差が一斉に、中空の 銅雀台 を仰ぎ見る。この日、この時の為にこそ建てたのか!と思われる程に、全ての将兵官吏・一般民衆から見える高みに、その人影が現われた!・・・・魏王と成られた曹操孟徳様の御姿である!!

魏王様万歳!!魏国万歳!!

感激の唱和が、雄叫びと成って天地を 弩よもす。熱狂と 興奮と 忠誠とが混じり合って、人々の感情が 最高潮に達するーーと、
魏王様の隣りに、もう1つの影・・・・あ、あれは将しく独眼流・夏侯惇様じゃ!ーーその独眼龍が、スラリと宝剣を抜き放った・・・・
全将兵が得物を手にする。そして総司令官たる夏侯惇が宝剣を突き上げるのに合わせて、今度は戦闘に向っての
鬨の声が轟き渡った!!
無論、曹操は、これだけの大軍団を、ただ閲兵の為にだけ呼集したのでは無かったーーと今度は、軍楽隊がガラリと曲調を変えて勇壮なマーチを演奏し始めた。観閲行進の為である・・・・そして、観閲を終えた全30軍は、そのまま大遠征に出発するのだ。
目指すはーー長江。
孫権を討伐するのである!!

陳琳が気合を入れて檄文を書いた。今回は自分も一緒に従軍するのであるから、その筆先には自ずと普段以上の気迫が籠った。折しも持病の頭瘋 (偏頭痛)に苦しんで居た曹操は、その陳琳の檄文を眼にするや余りの痛快さに思わず病が吹っ飛んでしまった。・・・・『太祖は以前より頭風に苦しんで居た。この日も病気が起り、横になりつつ 陳琳の作った物を読んだが、すっくと起き上がって言った。「こいつぁ〜儂の病気を治したぞ!」 と。』 
                                            ーー(
典略)ーー
それ程迄に 曹操をして激賞なさしめた【陳琳】の檄文ーーまさか
其れが 彼の最後の仕事に成ろうとは、一体誰が 予想し得たで
あろうか・・・・!?


              

蓋しこの遠征の第一義的な目的・・・それは曹魏国家 独立記念の 国家的大祝賀パレードであった。
簡単に謂うなら、曹操を筆頭にした「曹一族」や「夏侯一族」らの宗族が、
故郷に錦を飾る! 為の、政治的で、私的な、
メモリアル・セレモニー
であった。

62歳を迎えた曹操は、我が人生の総仕上げとして、皇帝用語なら行幸に相当する華やかな大祝賀遠征を壮行したのである・・・曹操も人の子・・・皇帝同然と成った自分の晴れ姿を、少年時代を過した故郷の人々に是非見て貰いたかったのだ。無論、帰郷は初めての事では無い。然し今回ばかりは、仰天する様な一世一代の晴れ姿。見て貰うだけでは無い。讃嘆し、感謝する知人や幼馴染の顔が見たいのだった。
だから大軍団は勿論の事、軍事とは全く無縁な文官・文人達も、全て随伴させた。同道せぬのは、何うしても現場を離れられない
X(漢中)・Y(襄樊)・Z(合肥)・3地点方面軍の者達だけであった。
それでも曹操は尚、Yから曹仁を一時的に呼び寄せ随伴させた。曹操の、この軍事パレードに対する、思い入れの程が知れようと謂うものだ。と同時に 《関羽の北上は当分は無い!》 と観て居た証左でもあろう。Zの張遼へは是れから会いに行くのであるから
実際に参加し得ないのは、Xの夏侯淵ただ1人・・・・
準・行幸 なのだから 当然、妻の卞夫人、長男・曹丕、その子で孫の曹叡東郷公主をはじめ、側室達・その侍女達を含め、とても遠征には不釣り合いな、艶やかで賑々しい車駕の一団も 加わる。若い女官達などはもう、すっかり浮き浮きしてジャーニー気分!かてて加えて鼓吹の大オーケストラに歌舞団・曲芸師・道化師までも連れてゆく・・・・。建安の七子ら、錚々たる豪華メンバーも打ち揃い、謂わば、曹魏国家そのものが大移動する、御披露目・示威のオンパレードと云った塩梅。 更に又、
「行幸」には、豪華な賜り物・プレゼントは不可欠!故郷の人々が喜び驚く様な 品々を満載した 牛車の列だけでも数里に及ぶ。
無論、公式な遠征の目標は
孫権討伐!であり、その最終目的地は、呉側の最前線基地・濡須塢であった。之を包囲陥落させ、同時に救援の呉軍本隊と会戦して之も撃滅呉の全兵力を、長江の南岸へ駆逐する!その結果として、
孫権を降伏させ、臣従を誓わせる!!・・・・それが此の遠征の”筋書”であったーー是れは《お遊び》では済まない。凄絶な血戦は必至だろう。だから大演習も施して来たのである。


ちなみに曹魏国家の故郷はーー豫州の
言焦しょうで在る。
業卩城からその最終地点の「濡須塢」まで片道およそ700キロ。その正にピッタリ中間地点に「
言焦」は在る当然、卞夫人はじめ美女軍団の終着地は此の「言焦」となる。それでも片道350キロ。遠征軍の凱旋まで其処に留まり続ける事となる。道程だけでは無く、その滞在期間も亦、軍事作戦が決着する迄の、相当な長さに成るであろう
但し、この大移動の軍団の中に、何故か、「曹植」と「甄夫人」の姿だけが無かった。
曹植馳道事件を起こした為に、その罰として蟄居を命じられて居たのであった。
又、
甄夫人体調不良の為に、夫・曹丕と2人の子とも離れ離れに成って業卩に残ったのである・・・・・。
曹操父子・その兄弟間には・・・・ 一人の美女を巡る骨肉の裏面史愛憎秘話不倫の悲劇が、その家族全体をも巻き込んで、 最悪だが、 最も在り得る形で深く密かに進行していた・・・・・
以下の記述は、やや暴露的なものと成らざるを得無いが本書は敢えて其の
禁断の領域 に 踏み込んで措かねばならぬであろう。何となれば・・・其の災いがやんごと無き雲上人同士の閨房に纏わる〔4角・5角関係の縺れ話〕ともなれば、事はもはや個人的な恋愛話では済まぬ、のっぴきならぬ国家存亡の危機に直結するからである。
寿がれるべき【魏国の誕生】、ひいては【魏王朝樹立】の行く末を左右する事にも成り兼ねぬ。蓋し往々にして、此の人の世には他人同士の ”3角関係” と云う、男女の愛憎劇は 侭 存在する。而して其れが 《肉親間での出来事》となると、その様相はガラリと変質し、救い様の無い無間地獄を現出するに至るであろう。

さて、其の
筆者が憶測する所の禍禍しくも 余りに人間的で衝動的、かつ公然の秘密的な 愛憎の相関図は、凡そ次の如くに 集約されるであろう。
直接の関係者は4人ーー
曹操】・【曹丕】・【曹植・・・・
そして、只管に受身の立場に在り続ける
しんである。

先ず事の発端は・・・曹操が、略奪した甄氏に”手を着けて”から長男・曹丕に〔正妻〕として
下げ渡した事である。そして恐らく甄氏が生んだ【曹叡】=3代明帝は、曹操の子であった可能性が高い。ー→この推測は可なりの確度で信憑性が有る。(その疑惑については既に、第110節・『女だけの城』の中で触れてあるが)
この後の史実に於いて、
曹丕が甄氏を殺しその遺体を 公然と嬲り物にし又その子・叡を太子とする事を拒み続けるのである。
この常軌を大きく逸脱した異常な曹丕の行動と、甄氏の産んだ子・曹叡=3代明帝の年齢・出生日疑惑が、それを裏付けている・・・・と観て構わないであろう。

其の惨劇の訪れを予知して居たのは、この悲劇の張本人・曹操であった。だから曹操は、せめて甄氏に対する曹丕からの憎悪を軽減して遣ろうと、本当の愛の対象とさせるべく、今度こそ手付かずの
郭氏を曹丕に与えた!・・・・それに因って、曹丕の心を郭氏に占有させ、甄夫人への関心を薄めさせ、”報復・いじめ”を軽減させ様とする配慮が在ったのだーー曹操の胸中には、我が子(隠し子)・叡と、その母親である甄氏に対する、世間には決して公表できぬ、〔父親としての秘めたる愛情〕が存在していた・・・・・のであるーー余りにも禍々しい閨房の真実・・・・父子の間に秘匿された愛と憎しみの悲惨・・・・

哀れを極めたのは
【甄氏】であった。最初の何年かは、若い
曹丕から愛欲の対象として、其の美貌を寵愛されたが、所詮は、〔真の愛なき夫婦〕 でしか無かった。どんな絶世の美女であれ、
毎日毎日顔を見て居れば色は褪せて来る。況して
曹丕の根底には、甄氏の奥処に在るであろう虚無運命への怨みに起因する
”不信”が 恒に在った。 己への愛情を疑いながらも、夫婦で在り
続けなけらば、《後継者の指名争い》 からは 脱落させられる。
表面上の形だけでも正妻として遇して措かねば・・・・父王・曹操からも、重臣達からも見放される。又、良きにつけ悪しきにつけ、曹丕は情の濃い資質であった。だからもし、その愛欲が褪めた時逆に幾層倍もの憎しみへと転化・変容する事は自明の展開では有った。・・・・其処へ更に、
曹植の一方的で激しい愛が割り込んでいた。無論、直接的な言動が交わされる事の無い、謂わば、
”片想い”のプラトニックな形でしか在り得無かったが、忍ぶれど色に出にけり・・・・である

曹丕
は勿論その2人の雰囲気には勘付いて居た。但し、心の裡の中でだけの事で有る以上は、証拠も無しに弟を非難する訳にもゆかぬ。その事が更に、甄氏への冷酷さに拍車が掛けられていった。今や甄氏にとって唯一つのシールドは、彼女が〔正妻〕と云う地位に在る事だけであった・・・・。
曹操も亦、気付いて居た。然し、曹操の場合は対応が複雑であった・・・・〔甄氏不幸せの原因〕が、己の一時的な欲業に在った慙愧の自覚が有る。と同時に、その 《贖罪の意識 》 とが在った。チグハグな感情だが、そこは曹操と云う人間の持つ、生来からの正直さ故であろう。いっそ根っからの悪人であれば、そんな気遣いもせずに済もうものを・・・・。
だが【曹丕】に対しては、 〔太子〕 と云う、最大最高の贈物を呉れて遣るのだから、多少の我慢をさせても 何うと言う事も有るまい
との思いが在る。それに対し、希望を奪った【曹植】へは、矢張り〔贖罪の意識〕が生じていた。
《ーー儂の手で、その幸せや 希望を 失わせた者同士、もし 慰め合って生きて行けるのであれば、まして其処に愛が在るのであれば、何で咎める事なぞ 出来ようか。実害さえ無ければ、其れは其れで好いではないか・・・》
魏王・曹操と太子・曹丕。夢破れた曹植と甄氏・・・・栄光を掴んだ者と、脱落した者との修羅の道・・・・



「いかん何事も”過激”はいかん!気持は解らんでも無いが『過ぎたるは 及ばざるが如し』の結果を齎すだけじゃぞ。

余人で有れば”極刑”が当然の
馳道突破事件を、敢えて起こして見せた直後に、曹操曹植に諭した言葉だった。

「法を犯す様な遣り方を 繰り返しては、いかな儂とて 庇い切れ
無い事態とも成ろう。それでは何の為の演技か、無意味に成ってしまうぞ。」
「酒が最も良い。元々お前は酒が好きなのだから酒と女に溺れて見せるのも好かろう。
酒と女と詩賦の中に飲めり込むが好い。儂も若い頃は放蕩の限りを尽したものじゃ。ーー但し、女に対しても矢張り”過激・過剰”はならんぞ!!」・・・・
具体的な名前こそ出さ無かったものの、父・曹操は矢張り知って居たのである。
そして事件の罰として業卩での
蟄居を命ずると同時に、何の説明もせずに絶世の美女1人を曹植に与えた。サマルカンド人の康姫こうきと言った。中国人には無い、胡人特有のハッとする様な見目と、ドキリとする様な女体を持ち、その上、詩情豊かな感性 をも 有する魅惑的な美少女であった。瞳が青かった。異国の珍しい見聞にも通じており、きっと夜も昼も傷付いた層植の心身を癒して呉れるであろう・・・・・

そのあと曹操は
一族全てを引き連れると孫権討伐へと出陣して行った。女達も全て随伴してゆき、業卩の城下は表も奥も、火の消えた様な淋しさと成っていた。

だが其の ひっそりとした
〔奥〕には・・・・今25歳の曹植が、もう
12年もの間、只一途に思い焦がれて来ている
初恋の女性が在った。然も、”彼の女”は、決して幸せでは無い状態に身を沈めて居た。その美貌故に強奪までして妻に迎えた夫からは今や完全に無視され、新しく来た「側室」にすっかり愛を奪われ、逆に
〔憎しみ〕とさえ思える様な冷酷な辱めを味わされ続ける日々の裡に在るのだった。
愛など欠片も無く、ただ正妻と云う世間体の為にだけ附属させられ、所有されて居るだけの境涯・・・・

もし運命の悪戯さえ無くばーー我が真実の愛を受け止めるべき唯一の女性で在ったものを・・・・何と 残酷な事に、12年もの間、直接に告白する事も許されず、互いは 引き裂かれた儘の関係でしか 在り得無かった。 寝ても醒めても 思うのは只、彼の女の事
ばかり・・・・是れほど思って居るのに、是れほど愛して居るのに、何億年の宇宙時間の中で唯独り、貴女を真に求め 欲して居る
のは、此の自分だけだと謂うのに、何故に、何ゆえに結ばれる事が許され無いと謂うのだ!?
ーー抱きしめたい!! そんな辛い仕打に耐え忍び、己の境涯を歎き儚んで居る貴女を、この燃え滾る様な 永遠の愛で、思い切り強く抱きしめて遣りたい!生きて行る幸せを共に分ち合いたい!
外の誰よりも深く、強く、貴女と云う人を愛して居る、私と云う人間こそが、貴女と共に生きてゆくべきなのだ!・・・・嗚呼それなのに互いに肌を触れ合う事はおろか、指先ひとつ絡ませる事も無い。間近で瞳を見詰め合う事すらさえも無いのが、現実だとはーー
不条理だ!!理不尽過ぎる!!
せめて私が託した詩賦の断片から、我が燃ゆる思いを、風の噂にででも聞き知って、分って欲しい・・・・
今こうして【康姫】の極上な女体を掻き抱き、貪り虐めて居ながらも、情熱は此処に在らず。その魂は彼の女の元に向って居る。

少なくとも、遠征軍は3〜4ヶ月は戻っては来無い。
《何と謂う巡り合わせか!!
 私達は、こう成る運命の下に在ったのだ!!》
何をしようなどと云う具体的な計画を持って居る訳では無かったが、ただ是れから当分の間は、この広大な業卩城内に、こうして自分達2人だけで居られるのだ!と想っただけで、無上の歓びを感ずる曹植であった。

《ーーそれとも父上が手を廻した所為なのか?》まさか、と思う。

《もしかしたら、甄氏は自分から此の機会を作って呉れたのではないか!矢張り、私の心の叫びに気付いて居て呉れたのだ!》
だから、だからこそ、こんな機会に巡り会う事が出来るのだ・・・・

《いや、単なる偶然に過ぎぬ・・・・のかも知れぬではないか?》
ーー千路に乱れる我が思いーー

《確かめるのだ!いや直接に告げるのだ!2人だけで逢う機会を絶対に作るのだ!・・・・そして、そして・・・・嗚呼!!》

激しい胸の高鳴りが、曹植を襲う。堪らず床を抜け出して、東宮の見える窓辺に立って瞳を向ける。
《嗚呼、あの一角に、彼の女が独りで伏せって居るのだ!!》

今はもう眠って居るのだろうか?それとも病に苦しんで居るのだろうか?もしかしたら、私と同様に窓辺に立ち、此方を見て呉れて居るのだろうか!
その面影を思い浮かべると、もう曹植は居ても立っても堪らずに急いで着替えて夜のしじまに飛び出した。何の当ても有る訳では無かった。が、兎に角、その人に 少しでも近づきたかった。その存在の傍に在りたかった。

初冬の寒気に星月夜・・・・冴え冴えとした大気に己が影1つ・・・・真っ直ぐ目指す衣擦れの音に、息苦しさが募ってゆく。もう何処の窓にも灯は無い時刻であった。ただ窓の下に近づくのが目的なのに、勇気が必要だったーー《あ、あの窓がそうだ!》と思った瞬間、心臓が勝手に、飛び出す位の激しさで、ドクドクと波打ち始める。何か悪い事でもして居るかの様な後ろ冷たさに襲われる。全身が火の様に燃えていたーー

病気見舞いであるならば、誰に気兼ねなぞする必要があろう!
予後の散歩に付き添って、何の悪い事があろう!
ーーそれが曹植の見つけ出した、糸口であった・・・・。

果して
曹植は、思いを遂げる事が出来るのか!?
そも曹植の究極の思いとは如何なる状態を指すのであろうか?
一体、何を求め、何を与え様と謂うのか!・・・そして最も知りたい
甄氏の真の気持は?はた又その反応は!?お互いは愛し合い理解し合う事が出来るのか!?ーー
その愛の姿が純粋で、一途で在れば在る程に、その状況は余りにも悲愴である・・・・

が、所詮、事は たった2人の男女の問題である。 如何に宇宙の
中心で愛を叫ぼうとも、史書は扱う事を拒むのである・・・・。



そんな、限り無く切ない愛の形が、密かに業卩城で進行して行くのを知るや知らずや

魏軍100万は、最初の目的地を目指して
一路南下を続け、曹操故里に近づく。
果して其処に待ち受けて居る
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