【第196節】
逆赤壁 合肥の戦いU
                                  裏切り戦略の原点
もはや逃れるイトは無い!と観た孫権
流石に肝が戻って居た。日頃の
虎狩りは伊達では無い。こう云う時にこそ役立った。又 若輩の頃、幾度も〔山越〕の夜襲・奇襲を浴びた経験も、孫権の武人としての血を滾らせた。
「おお!来てみよ、老いぼれ!」
言うや
孫権長い柄の戟を構えて待ち受けた。その間、数瞬・・・・ 張遼の、乾坤一擲の戟が振り下ろされた。物凄い一撃であった。 ガシーン!!と受け止めた、孫権の腕が痺れる程の強打であった。ウグググ・・・!!必死の形相の両者が、初めて互いの顔を見た一瞬でもあった。 然し、いくら 孫権が若いとは言っても
その武力・武芸の差は歴然であった。もし一瞬でも、谷利の横槍が繰り出されるのが遅かったならーー孫権の命は此処で涯てて居たであろう。
「殿、今で御座います!あの丘の上に御逃げ下され〜!」
この時間の流れが、かろうじて孫権に逃走の機会を与えた。
「逃すものか!!」
尚も第2撃を浴びせんと追求する張遼!が流石に本陣であった。近衛の兵達がワッと駆け付けて来た。応戦を已む無くされた張遼の隙を捉えて、孫権は直ぐ脇の高台へと駆け上がった。
「逃げるか卑怯者!降りて来て堂々と戦え〜!」
だが幾ら卑怯者呼ばわりされようとも、もう孫権は絶対に手合わせする気など起こら無かった。ケタが違った。
ドッと吹き出す冷や汗・・・・
「腰抜けめ〜、降りて来ぬなら此っ方から参るまでじゃ!」
更なる追撃を敢行しよと試みる張遼ーーだが然し、長蛇を逸した事は、もはや明白であった。 《無念じゃが、致し方あるまい。》 
あと一歩及ばなかった張遼の突貫であった。
之も亦、我の武運、孫権の天運か・・・・
見切り時と感じた張遼。だが気が付けばーー己の位置は敵陣の最深部、周りは全て敵兵、敵兵、また敵兵の度真ん中で在った!
・・・・さあ之からが又、一段と困難な帰還の旅路である。見廻すとそれでも未だ、流石に100騎程の猛者達が張遼に付き従って居て呉れた。「よ〜し、さあ、戻るぞ!遅れるで無いぞ!」
言うや張遼、馬首を返して再び羅刹と化した。

一方の孫権、丘の上でホッと胸を撫で下ろして見渡せば・・・
張遼攻撃部隊の数の少なさに眼を疑った。 何と其の数、たったの
100騎! 「何と云う剛胆さよ・・・!!」自分を襲った敵ながら、思わず感歎の声を漏らした。
「捕えよ!押し包め〜!敵は僅か5、60に過ぎぬぞ!」
生け捕りに出来る筈など絶対に無いと知りつつ、孫権はそれでも尚、《張遼が欲しい!》 と思いながら下命した。 命ぜられる迄も無く、呉の軍勢は続々と集まり、張遼が既に十重二十重の重包囲の中に在るのは 一目歴然であった。 
「張遼よ、美事脱出して見せるか・・・・」 丘の上から見守る孫権。 するや眼下の
張遼ーー左右に押し寄せる大軍を物ともせず、
逆に襲い掛かる。どっちが攻め て居るのか判らぬ程の突破力!
・・・・孫権側の兵馬は皆、その裂迫の気合に恐れを為し、思わず 道を開け、思い切ってぶつかって行く者が見え無い。5重の囲みは、有って無きが同然であった。


今ぞ!我に続け〜! 遂に張遼、我に1000倍する敵陣を突破。60騎と共に 遠去かって行く。この儘まっしぐらに脱出するか!?・・・・と思った瞬間であった。
「将軍〜!我々を見棄てるのですかア〜!!」 との声が届いた。見返ると、突破して来た後方に、未だ味方の部隊員が2、30騎とり残された儘であった。
「おおスマン!今いって遣るぞ〜!」 
言いざま張遼、せっかく 突破して来た重包囲の中へ、それが当然の振る舞いで在るが如く、たった騎で引き返す
遣り過した!とホッとして居る所へ又も
遼来来!!
取り残されて居た 味方と合流するや、もう1度囲みを再突破して見せた。
張遼 51歳
であった。

既に戦闘開始の明け方から、
時間は経過していた。信じられぬ強壮さである。途中、全ての特攻隊員を救い出し、再合流を果した時、張遼部隊は100騎 未満に激減していた。ーーが、此処で心強い新手が加わった。
李典部隊が出撃して来て呉れたのだ 其れを観た孫権軍、合肥城の近くまで 進出して居たのだが、更に恐慌を来たして、どんどん後退し始めた。
「よ〜し、もう一暴れして遣ろうぞ!」 何と 張遼部隊、息つく 暇も有らばこそ、李典部隊と合流するや、又も 敵陣へ斬り込んでいったのである。今度は 敵を追っ払うだけの通常戦闘であったから、先程までの戦いに比べたら容易いものであった。
半ば戦意を喪失して、退く一方の孫権軍を 散々に打ちのめし、張遼が合肥城内に 引き上げたのは、既に 夏の太陽が正午の
位置に来る頃であった。
「孫権め、さぞや胆を潰した事じゃろう。是れで、おいそれとは
 遣って来れまい。」
「嗚呼、我等に張遼将軍ある限り、此の合肥の城は安泰じゃ!」

この、敵の虚を突いた先制攻撃に拠って、城内の士気は一挙に高まり、戦意は孫権側を完全に凌駕したのであった。城を守って居た【楽進】はじめ、全ての将軍達も、改めて感服し、張遼の武勇を称讃して惜しみ無かった。

たった800で、10万の敵の ド真ん中を突破し、終には敵の君主に斬り付ける!!
実際に有った驚愕すべき史実!!
ーーだが、だが然し、
孫呉軍の猛者達が、未だに誰も登場して居無い事からも判る通り・・・・この
合肥の戦いには、もっと凄い後半戦が待ち受けて居たのである。
更なる
遼来来!!第2章が始まるのだ!!


孫権、ガックリ来て居たーーさあ是れから、大軍で城を
包囲し、ジワジワと相手を締め上げてやろうぞ
と思って居た
矢先・・・・未だ 戦さの準備も 整わぬ処を、思いっきり叩きのめ
された
!!然も、たったの800騎、相手は人だった・・・・・
攻める側が反対に手の施し様も無い程に 打ちのめされ、
10万の本陣を襲われ、事も有ろうに君主自身が応戦する羽目にまで追い詰められた・・・・
呉の将兵 意気消沈して居た。誰一人、張遼の突進を止める事が出来無かった。遣りたい放題に遣られる一方であった
それが眼の前で起こった事実だった。恥ずかしいとか無念だとかそう謂う心象風景では無かった。数こそ恃んでは居るが、自分達独り独りは、本当は随分と弱いのではないか??ーー誰言うとも無く、そう謂った 情け無い空気が、戦場全体を 蔽い尽くし始めて居た。不用意だったとか、機先を 制せられた! と云うレベルでは無かった。みな黙り こくった。死傷者の数字も大きかったが、其れ以上に、筆舌では表わせぬ、精神的なダメージは測り知れ無い
大打撃であった。ーー逆に言えば、まことに張遼の先制奇襲攻撃は効果甚大!!呉軍全体に与えた、此の先制攻撃の衝撃は、既に包囲戦を行なう前の段階から巨大なダメージと成って、戦局全体を支配していた。

それでも呉軍は合肥城を包囲した。東西南北完全包囲であった。然し流石は 《劉馥城》である。
10万の大軍を前にしてもビクともしない。張遼の大勝で士気高揚する城側に対し、全く意気消沈した儘の包囲軍・・・・攻撃を仕掛けて試るが、一向に気勢が揚がらない。反対に猛烈な弓矢攻撃や投石に遭い、被害ばかりが続出する有様であった。そうこうする裡にも 時は流れ・・・・包囲する事10日余りが経った頃ーー泣きっ面に蜂の事態が起こった。
陣営内に、
疫病が 発生したのである!!無論、初めての事では無い。この時代、寧ろ、疫病の無い年の方が少なかった。蔓延するか沈静するかは、偏にその病原菌が保有する感染力
次第であった。現代医学から観れば様々に分類されるべき伝染病も三国時代では全て
疫病の総称で一絡げされていた。原因は不明の儘、治療法も絶無の時代だった。故にこそ、太平道 (黄巾) や五斗米道の治病効果が信心された。

而して此の場合、疫病の発生は、孫権にとっては却って有り難い
”口実”と成った。包囲10日の様子を窺うに、今回の合肥攻撃は其の端っから、完全なる失敗であった。到着早々に蒙った、あの張遼に拠る奇襲攻撃のボディブローが、想像以上に尾を引いていたのである。このまま包囲を続行しても、好い結果が出せるとは、到底思え無い。
陣内に疫病が発生した故を以って今回の攻撃は中止とし、後日に達成を期す!
この布令が、呉の全軍に伝えられたのは、程無くであった。

「出直しじゃ!」内心、呉の将兵は喜んだ。1兵卒でも”戦機”とか
”戦運”が今どちらに有るかは、直感で肌に判る。
全員が 《出直した方が善い!》 と感じて居たのである。だが流石に顔色や言葉に出す者は居無かった。勿論、君主たる孫権にも亦、面子・面目と云うものが在った。
《せめて、引き上げる時くらいは悠悠と、余裕の有る処を見せ付けて措かなければ・・・・》君主みずからがアタフタと、撤退の先頭に立ったのでは、その様は丸で負け犬の如くである。
敗れたのでは無く、疫病の為に、已む無く撤退する ノデアル・・・
だから君主は最後から悠然と、軍楽隊の演奏に乗って、仕方なく引き揚げてゆくーーそれが孫権の、せめてもの沽券であった。
但し、緒戦に味わされた苦い体験から、身辺には 呉軍の猛将・勇将達を 随伴させ、警護体勢はキッチリと施して措く・・・そうした配慮をした上で、孫権軍の撤退が始まった。

君主・孫権の眼の前を通った後、渡し場で乗船した呉の艦艇が次々に、
逍遥津を南岸へと渡って行く。軍勢の一部は、渡し場(津)に架けられている逍遥橋を渡って行った。全軍が此の逍遥津を南岸に渡り切ってしまえば、撤退は事実上完了である。後は只一路船上の帰還となる。続々として撤収する呉軍を、やや場違いな感のする軍楽隊の吹奏が後押した。まあ、無いよりは元気も出ようと謂うものではあったーーやがて朝から始まった撤退作業は順調に進み、【潘璋】や【賀斉】らはじめ、殆んどの軍団は南岸への撤収を完了した。 そして 正午頃には、北岸に残るのは唯、君主・孫権の直属部隊だけとなった。その近衛部隊は、凡そ1千余り。決して少なくは無い。その上、孫権が陣取って居る場所は、逍遥津を直ぐ背後にした、合肥の城からは最も離れた地点であった。更に随伴の供廻りには、【呂蒙】・【甘寧】・【陳武】・【陵統】・【蒋欽】・【徐盛】・【宋謙】といった将軍達が控えて居た。よもや、緒戦の如き苦杯は喫しよう筈も無かった。

ーーこの時の合肥城・・・・城壁上の守備兵達の間から歓声が挙がっていた。みな肩を叩き合い抱き付き合っては、喜びと安堵の声を挙げ、その戦闘の終結を祝福し合って居た・・・・。
だがその城兵の歓喜の姿は、実は・・・・呉軍を油断させる為の カモフラージュ であった。その証拠に城門の内側にはビッシリと
合肥城の歩騎全兵力が出撃態勢を完了し虎視眈々と襲撃の機会を窺って居たのである!!
今度は僅か
800では無い。歩兵と騎兵の総力6000に拠る追撃戦を敢行するのである。先日は守備に甘んじた楽進も加わった、総攻撃を仕掛けるのだ。
《よもや、2度までも出撃はして来ないであろう・・・・。》
その
敵の予断の虚を突く!!張遼と云う武人の、飽くなき攻撃精神と、優れた戦術眼の賜物であった。僅か800で、あの大戦果を挙げた 自信と誇りが全軍に漲って居る。小部隊の奇襲では無い。全軍の追撃戦なのであるーー最終確認の指示。
「よいな。軽騎兵は真っしぐらに逍遥橋を目指せ。先ず橋を破壊
 して孫権の退路を絶つのじゃ!」
「お任せ下さい。必ず遣り遂げまする!」
今や城に南面する大地は全ての敵兵が撤退し、恰も無人の野に等しく成っていた。逍遥津までの距離は、僅か
15里 (600m)。電光石火の疾走で駆ければ、ものの分も掛からずに到達できよう。歩兵の徒歩駆けでさえ、刻 (15分) は要しない。
「ーーウム」 と頷くと、
張遼 は 静かに、鋭く下指した。 
「時は今ぞ。開門致せ。出撃じゃ!」
漲る闘志が、
千の隅々まで 深く静かに蓄えられていた。



孫権、やおら腰を上げると余裕の表情で「お召し車」に乗り込んだ。背後の船着場までは ホンノ僅かな距離しか無いのに、
格好をつけて見せた。その周囲を、諸将の騎馬が随伴する。
軍楽隊の吹奏が一段と華やかに奏でられた。大型の「御座船」も接岸し、君主撤退の準備は全て完了していた。 
「では、ボチボチ参ろうかイ。」ーーと、その時であった。
 全員が思わず振り返った。
突如、合肥の大地が揺れたのだ。
1000騎の馬蹄が、此処を先途とばかりの勢いで大地を蹴って突っ込んで来た!!その砂塵の後からは、黒々とした歩兵の大軍団が押し寄せる。そして、その怒濤の先頭に在るのは・・・・
し、しまった又しても 張遼 じゃ!!
見ただけで、孫呉軍が勝てる兵力では無い事が判断できた。
「伝令!先に発ってしまった味方の軍勢を直ちに呼び戻せ〜!」
「殿、車は棄て、騎乗して下され!」  
「分った。どうじゃ、防げるか!?」  「私が出撃して時間を稼ぎまする!殿は何としても無事に帰還して下され。」
進み出たのは
寸の巨漢、偏将軍の陳武であった。18歳で2代目孫策に出仕して以来23年、その武威は無敵を誇っていた。41歳。・・・・が今、引き連れて行けるのは精々200。
それ以上は望めぬ状況であった。それでさえ孫権の旗本には
800しか残らない。討ち死に覚悟の捨て身の時間稼ぎと成るのは必定であった。
「すまぬ!行って呉れるか?」 その忠節が有り難かった。
「孫策様に出会ったら褒めて貰える様、精々奮戦いたしましょう!御免!」 そんな会話も許されぬ程に、事態は逼迫していた。もう敵の騎馬軍団は眼の前に迫り来ていた。
「我に続け〜!」 一声叫ぶや、陳武の姿が敵の大津波の中に突っ込んで行った。いや、飲み込まれてゆく。だが、その結末を見届ける暇も有らばこそ、孫権の本陣自体が 窮地に追い込まれつつあった。「味方の救援は間に合わぬ我等だけの力で殿を脱出させ奉るのじゃ
手勢
300陵統 (盪寇中郎将)が孫権の周囲に密着しながら移動を開始した。それと共に
〔牙門旗〕を担当する徐盛(中郎将)の部隊100が動く。 だが、呂蒙甘寧と云った将軍達は己の部隊を持って居無かった。自身だけが御座船に同乗する心算であった為に彼等の部隊は既に南岸に移動させてしまっていたのである。同じ理由で、中郎将だが 孫権お気に入りの 蒋欽
宋謙
の精鋭部隊も亦、此処には居無かった。
「皆、此処を死に場所と肝を据えよ!」 
「忠義を尽くすのは今こそぞ!」 悲愴な檄が飛び交った。
見る見る迫る敵の騎馬軍団。もう相手の顔が判別できる距離と
なっていた。
甘寧が 自慢の弓で射撃を開始する。百発百中で騎馬武者が転がり落ちてゆく。

「我は張遼なり〜!! 戦場に轟く雄叫び。

「おのれ猪口才な!呉には猛将が居らんとでも思ってかア!」
行く手に初めて、ヌッと巨大漢が立ち塞がった。既に全身が返り血に染まっている。
お前が張遼なら俺は陳武じゃア〜!文句あるか〜!
「おお、やっと、少しは骨の有りそうな者に出会えたか。」
「紗羅臭い!冥土でほざけ〜ィ!!」 言い様、陳武の巨体が憤怒と共に突貫し、その全身と全霊を 込めた必殺豪腕の一撃が 誤つ事なく張遼の脳天を斬り下げたガシーン!かろうじて其の必殺の一打を両手で受け止めた張遼は馬上で僅かに身を左に落としざま、戟の柄を滑らせるや、腰を入れた姿勢で横殴りに、陳武の胴を抜き斬った。狙い違わず充分な手応えを感じた。殆んど擦れ違い様の、一瞬の出来事であった。だが、張遼は振り向く事もせず、そのまま突き進む。
ウワア〜、陳武様が殺られたア〜!!
全て、異変に気付いてから 物の
分も経たぬ裡の事であった。
忽ち孫権の周囲は揉み合い状態の白兵戦と化していった。その様は丸で、大群衆の中を グルグル回転しながら 流れてゆく暴れ神輿の如き密集戦闘となった。其処此処に、凄絶な修羅場が出現した。喚き合い、斬り合い突き合い、眼の前の敵だけを殺し尽くす。ーーだが、突破口が開かぬ裡に、遂に・・・・
敵の歩兵6千が到達してしまったのである!!
「今度は、
楽進の斬り込みじゃア〜!!
  
これで孫権は、完全な重包囲の環の中に孤立してしまった。こうなれば、もう、頼みは己の武威ただ1つ・・・・斬って斬って斬りまくり、命の続く限り、ひたすら燃え尽きるだけであった。だが孫権側の将兵の敵は正面だけでは無かった。左右にも背後にも在った。如何に剛勇無双を誇る強者であろうとも誰1人として無傷で居られ様筈も無い。
呂蒙が斬る。蒋欽が突く。甘寧が射る。そして陵統が雄叫ぶ!!ーーだが幾ら倒しても 倒しても、敵兵は 次から次へと息つぐ間も与えずに押し寄せて来るばかり・・・既に彼等は各々が、1人で50人以上を殺傷している筈である。然し、敵の攻撃は衰える処か、益々苛烈であった。この場面、張遼vs呂蒙だとか、楽進vs甘寧だとかの、敵将同士のガチンコ勝負が有れば、講談的には大いに盛り上がる所ではあるが、残念ながら、史書には一切そうした記述は無い。100%有り得ぬとは言い難いが、まあ、こんな乱戦状態では1対1での対決は不可能であろう。 (※ 先述した 張遼vs陳武 の場面も 創作デアル)

「味方が戻る迄、何としても持ち堪えよ!!」
「あと1刻も頑張れば、必ず味方が戻って来るからナア!!」

だが、周囲の味方兵は力尽き、バタバタと絶命してゆく。
「孫権を船に乗せるナア〜!!」
「退路を絶ってしまうのじゃア〜!!」
楽進の軍は鉾先を変えて、船着場へと殺到してゆく。それで
一瞬だけ圧力が弱まった。

「ーーん?おい、お前ら。お前達、軍楽隊の任務は何じゃ!?」
この修羅場にポツ然と取り残された格好で、楽士達が立ち竦んで居たのであった。
「俺達の御仕事は戦争じゃ。お前達の御仕事は吹奏だろが??
なぜ演奏せんのじゃイ!」
甘寧が楽士隊を一喝した。
「どうせ居るんなら、ただ突っ立て無いで、景気好くやれ〜!!」
「あ、ハ、ハイ〜ィ・・・・」 で、戦況まったく無視の勇壮な軍楽が、再び戦場に流れ始めた。
「よう〜し、これで又、調子が出たぞ。」 だが、そんなバックグランド・ミュージュックに 聞き惚れて居られたのも 束の間。それが合図であったかの如く、更なる敵の大攻勢が再開された。1刻持ち堪えるのが精一杯であった。終に、孫権軍に其の
〔破断界〕が迫りつつあった。徐盛も深手を負い、遂に牙門旗まで敵の手に渡ってしまう有様。
「殿、もはや御座船へ乗るは困難!単騎で逍遥の橋を渡って下され〜!」
傷だらけの陵統が叫んだ。
「おお、案内せい!」
孫権
殿を橋までお連れするぞ!我ら全滅しようとも、この任務を全うするのじゃア!!
さあ、此処からが、この戦闘のハイライトと成るのであった。陵統の直属部隊は300名であった。が、既に200程に激減していた。とは謂え呉軍には元々から敢死軍とか解煩軍と云う、命知らずの特殊部隊が伝統的に存在していた。今回の遠征では組織されては居無かったが、この陵統の部隊は皆、その体験者ばかりから構成されていた。今となっては、この陵統 部隊200の突破能力に、孫権の命は懸かっていた。無論、一緒に行動して呉れている【呂蒙】・【甘寧】・【蒋欽】の武勇は、1人で100人以上に匹敵したから全員が一丸と成って命を的に突進すれば、さしも分厚い敵の包囲網も1点突破で其の一角を喰い破れるかも知れ無い。その代りに命の保証は絶無であった。壮烈なる”討ち死”だけが待っている。
「谷利よ、殿の轡をしっかり取って、必ずや殿を、橋の袂まで誘導致すのじゃ!良いな!?」  「覚悟は出来て居りまする!」
普段は使いパシリの谷利が、キリリと頼もしく応えた。
この本陣の異変は、
対岸に撤収して居た友軍にも直ちに判った。朦々と撒き上がる土煙。そして戦場独特の、人馬と武器と喚声が混濁した、不気味な大気の轟きと軋み・・・・!!
「しまった!張遼め、又しても攻撃して来おったか!?」
南岸に居た、あの、超ド派手な軍装の奮威将軍賀斉。伝令が着く前に全軍に急行を命じるや 、自慢の戦艦を置いて、地味だが最速の小型艇に乗り込んだ。賀斉の手勢は3千。と同時に次々と スクランブル発進する友軍艇。川面一面に救援艇が殺到し始めた。
「殿〜今直ぐ参りますぞ〜!何としても無事で居て下されや〜!
武猛校尉の潘璋も、船団の先を争って突き進む。
「急げ〜!漕げ、漕げ、死に物狂いで漕ぎまくれ〜!!」
一体、その川幅が何の位あったかは判然とせぬが、一刻一寸を争う緊急事態であった。ジリジリする時間の進み方であった・・・。
やがて北岸の喧騒と怒号がハッキリと聞こえだした。
「橋じゃ!橋の袂に接岸させろ!」 見遣ると、逍遥橋の森一帯には人影すら見えない。
「殿は未だ、包囲の環の中じゃ!我等の手で御救い致すぞ!」
賀斉は暫し友軍の到着を待ち、何とか500程の部隊に成った時点で、橋の袂から進撃を開始。するや森を抜けた途端、眼の前の光景は一変。凄まじい戦場の様子が展開されていた!

「殿は何処じゃ!?」必死に戦場を見渡すと・・・「あ、あそこに!」 部下の指さす方向を見ると確かに
〔孫権の牙門旗〕が、大混戦の兵馬の中に揺れていた。
「待て、チョット様子が変じゃぞ。」 言われてみれば、”牙門旗”の進んでゆく方向が怪しかった。 此方には向かわず、逆に敵中を目指して進んでいるではないか!?
「や、是れは、我が牙門旗が敵に奪われたのじゃ!」
牙門旗・・・全軍の象徴であった。その旗の下に死ぬのが軍人の本懐とされた。その大事な牙門旗が敵の手に渡ったーーと云う事は・・・それを戴く孫権の、本営そのものの崩壊を意味する。
「お、おのれ〜!!我が呉軍全体の恥ではないか!取り戻して呉れるワ!」 その近くに孫権は居る筈である。 
「あの牙門旗を目掛けて突貫じゃ!」
賀斉の部隊が敵に背後を突く形で、戦列に加わった。

「おお、やっと味方が到着し始めたぞ!」
折しも、孫権を守護した
陵統部隊が、一か八かの包囲突破を敢行する直前であった。
「有り難し!あの賀斉部隊と合流すれば、包囲は突破できるぞ!進め〜!!」
絶望の中に1つの光明が灯った。それが身体の裡に残って居た最後の武勇を引き出して呉れた。
ウオオ〜〜!!野獣の咆哮にも似た奮戦が展開された。
だが敵も其の意図に気付いて、更なる新手を注ぎ込んで来る。
1歩進むに味方1人の命が奪われるーーと云う血で血を洗う激闘と成った。その最中
やや遅れて北岸に着いたのは武猛校尉の潘璋であった。北岸に飛び降りるや潘璋は 後も振り向かずに戦場へと駆け出した。森陰を突っ切り、喚声の源へと直行すると、味方の敗残兵達が我先にと逃げて来るのに遭遇した。

「こら待てィ!貴様ら、一体どこの部隊の者じゃ?」
誰何された兵士達は、宋謙と徐盛の部隊の者達であった。
「部隊は全滅してしまいましたア〜。」 ガタガタと全身を震わせ、恐怖に竦み上がっていた。
「なに、全滅だとお〜?未だお前達が生きて居るではないか!!味方が苦戦して居るのを見棄てて己の身だけを保つ心算かア!戻れ!直ぐに引き返して戦え!」
言いつつ潘璋は、ゾロリと抜刀した。 「お、お許し下さい。」 
「もう、戦う力が残って居りませぬ。」
「問答は無用じゃ。卑怯者の最期はこう成るだけだ!」
潘璋は眼の前の逃亡兵を続け様に2人、ズン!ズン!と
斬り下げ、
殺した
「ヒ、ヒェ〜〜!」 それを見た逃亡兵の一群は、それが”軍規”である事を識って居るだけに1 も 2 も無く、戦場へと駆け戻って行った。ーーその戦場では、
賀斉が牙門旗を奪い返し、陵統との合流に成功していた。だが、陵統の部隊は既に50人以下と成っていたのである。もし此の時、賀斉の救援が一瞬でも遅れていたら、孫権の命も、此処に潰え去っていたであろう。

「殿〜、包囲は突破できましたぞ!あの森陰に逍遥の橋が御座います!駆け抜ければ南岸の味方の陣営に着けまする!お行き下され〜!!」
陵統は此処で踏み留まり、死ぬ心算で敵の追撃を喰い止め、孫権を落ち延びさせ様と叫んだ。
「よう、やって呉れた!この恩は生涯忘れはせぬぞ!」
「後は任せた。死ぬで無いぞ!」 
呂蒙甘寧蒋欽が随伴した。

「あ 殿。逍遥の橋が見えましたぞ!」谷利が狂喜の声を挙げた。
かくて孫権、九死に一生を得たか!?・・・幸いにも深い森陰がちょうど ”漏斗の口” の役割と 成って敵の大軍に拠る追撃を緩和して呉れていた。さて此の
逍遥橋ーー簡易な板の橋であった。幅は、騎馬2頭がギリギリ並走できる程度。欄干や手摺など一切無い、ただ民間の往来の為に架けられた、オンボロの”裸”橋。所々が朽ち果てて穴が開いており、とても軍用には使用できぬ強度しか無かった。とは言え、孫権の1騎が通過するには支障は無さそうであった。その橋に踏み込んだ孫権、此処でやっと生きた心地を取り戻した。
「嗚呼、何ともミットモナイ仕儀と相い成ってしもうたものじゃワイ」
「いずれにせよ、御無事で何よりで御座った。」
やっと随伴する諸将との会話が出来た。
「然し、真に危なかったナア!それにしても 恐るべきは 張遼の
武勇!げに誠、あんな化け物みたいな人間が居るのじゃナア〜」

横に渡された薄い板を踏み抜かぬ様、ソロソロと進む一行。・・・・と、背後に又、あの大喝が浴びせられた。

遼来来〜!!その首、頂戴仕る〜!!

ーー
ギョッ!ドキン! 一斉に皆が振り返った。長戟を振り翳した騎馬武者一騎・・・・間違う事なき 張遼文遠 の姿であったその後には敵兵の群れが押し寄せていた。
「しつこい奴め!返り討ちにして呉れるワ!」 呂蒙蒋欽が、馬首を返して飛び出してゆく。甘寧は 一射必殺の半弓に矢を番えて狙撃態勢に入った。


ーーと、その時、谷利 が 絶叫を挙げた。

と、殿! 橋が破壊されておりまする〜!

【第197節】逆赤壁、合肥の戦いV(裏切り戦略の原点)→へ