第193節
史上最大の珍勝?
                               アレレのレ?
勝っちゃたの!大作戦
撤退じゃ!!この戦いは我に利 非ず。ただ徒に兵を失う耳にて、何ら得る処無し。
直ちに攻撃を中止し、敵の追撃を被らぬ様に措置した上で
本国へ引き返す


誰も異議を唱える者は無かった。時間切れ・燃料切れの戦艦大和であった。見せ掛けの撤退では
無かった。正真正銘、兵糧が枯渇し、その上、攻め手の糸口さえ見い出せぬ、険固な敵の城砦であった。敵と刃を合わせぬ裡の敗北・・・・その原因は、曹操の見通しの甘さに他なら無かった・・・・

曹操は見通しを誤った。致命的な 〔情報解読のミス!〕であったーー

「陽平関は平城で御座います。」ーーとは、投降した羌族兵や涼州出身の”某”の言。
「10余万の大軍で攻め掛かれば、その陥落は造作も無い事に過ぎませぬ!」 とも言い切った。

だが無論、之とは正反対の情報も皆無だった筈は無い。就中、武都郡太守の【蘇則】が途中から

先導役に成ったとあらば、その彼が「陽平関」の正確な情報を持たぬ訳は無いと思うのだが??

どうも、そこいら辺の事情が不可解で判然としない。(結局、蘇則も亦、陽平関は識らなかった、と

する以外に上手い説明の方法が見当たらない事になる。) ーーで、要は、

先ず遠征ありき!で、事前にきちんとした偵察・調査をせぬ儘に、曹操を含めた幕僚全員が

この大遠征を認証し、ゴーサインを出した事の裡に問題が在った。・・・・いずれにせよ史書を見る

限り、〔詳しい情報収得〕は長安到達後に漸く 真剣に始められた様子である。我々としてはチョット

俄には信じ難い、余りにも大雑把な統帥府の態度である。ーーだが思い起こしてみるとーー

万里の長城越えの時も現地に着いてから、地元の者(田疇)に先導させ成功してはいた。だから

まあ、良く謂えば”
臨機応変”なのかも知れ無い。なにせ事は今から2千年も昔の、電波も映像も

無い世界での〔
未知への挑戦〕であったのだ・・・・存外、大遠征に対する取り組み方としては、そう

謂った 或る種
無茶な思い切りの良さ無謀とも見えるチャレンジ精神が無ければ、事は

進展しなかった次第ではあったろう。別に曹操を弁護する心算は無いが、自信過剰 とか甘く 観て

居た とか言うより、この
漢中への侵攻は、それ迄の体験を絶する様な、想定外の 自然地形・

苛烈な険峻で在った・・・・と謂う事 なのであろう。 それにしても 尚、余りにも御粗末に過ぎる事前

情報の集め方だった。また、その集まった情報の真偽判定を等閑にした、その竹箆返しが現在の

苦境であり、大きな代償を払わされる羽目に至った原因であるには違い無い。

ーー無理だ!!百戦錬磨の曹操をして呻かせた敗北の直感であった。

「被害甚大!!」「死傷者多数!!」
・・・・次々に届けられる各部隊からの戦況報告に

陽平関の山麓に在った曹操は、キッパリと見切りを着けた

名将の資質は、勝つ場合よりも破れる場合にこそ真価が問われる。退き際の素早い決断こそが

大敗北を回避し、後日の再起に繋がる。
この漢中侵攻・陽平関の戦いは、謂わば
逆・兵糧攻めに遭った格好である。

輜重搬送の見通しを誤り、其の供給に失敗。攻める側の方が却って苦境を招いた。自滅であった

このまま更に1日でも駐営し続ければ、今度は帰りの兵糧が尽きてしまう。ガダルカナルの惨劇に

陥るは必定であった。もはや勝利を棄てた曹操の頭の中に有るのは唯1点ーー

如何にして敗北の被害を最小限に喰い止めるか!・・・その事のみに絞られて居た。

ーーだが、だが然し、であった・・・!! この 漢中平定戦結末 はーー・・・・
敵味方の双方ともが、互いに見込み違いを犯し合う・・・と云う、
何とも 曰く 言い難い
ビビリ合いの産物 と成るのである。


そこで今度は視点を変えて、攻められる側の張魯の様子を観て措こう。

一言でいえば・・・・
張魯は最初からビビリまくって居たのである。 もっと ハッキリ言えば、
曹操の侵攻意図を知った時点で
降伏帰順する覚悟して居たので

ある。曹操を受け入れ、寧ろ其の庇護を受ける事の中にこそ、五斗米道の生き残りを志向して居

たのであった。(その張魯の宗教的な論拠については後節で詳しく検証するが。) その態度をして

臆病者・卑怯者と即断すること勿れ。・・・・冷静に彼我の軍事力を比較して観た場合、一体何処に

勝算が見い出し得ようか!? 張魯の手持兵力は
5万余。多く観ても7〜8万であったろう。

10万には遠く届か無かったと想われる。その推測の根拠は・・・・宿敵 (漢中を乗っ取った仕返しに母親

少容一族を皆殺しにされていた)
劉璋に対する進攻報復作戦の不実行であり、また劉備が劉璋から依頼

されて張魯討伐に向った時に渡された兵力、 更には「世語」に載る陽平関に集結した防衛軍数

から割り出す事が出来よう。対するに曹操は、その気にさえなれば10万はおろか20万でも30万

でも注ぎ込む事が可能であった。たとえ1度か2度は撃退し得ても、結局は時間の問題に過ぎず、

もし徹底抵抗すれば、曹操も手加減はせずに根絶やしの方針で向って来よう。そう成れば最早、

五斗米道が此の世に生き残る道は存在しなくなる・・・・


だが実際の展開はーー
張衛が、無抵抗の屈服には猛烈に反対した。無論、軍事

部門の者達は建前上から言っても (その為にこそ彼等は存在して居たので在るから) 張衛の強行路線を支持した。又その上に、張魯が最も信頼して居る
腹心閻圃も言った。

同じ帰順では有っても、無抵抗では軽く見られます。一戦の後に帰順して見せた方が、貴方様の

評価が高まりましょう!
」 とアドバイスして居たのである。

そうした事から張魯側は、〔陽平関〕に迎撃態勢を敷いて居たのであったーーだが、では徹底抗戦

を主張した【張衛】に絶対の自信が在ったか?・・・・と謂うと、それは大いに疑問である。否、寧ろ

曹操の威名を最も畏怖し、その実力にビビッて居たのは、この張衛自身で在った筈である。何故
なら彼を含めた 張魯軍の殆んどの将兵は
実戦未体験★★★の者達ばかりで在り、僅かに

将軍の【楊昂】だけが、馬超叛乱時に共同派遣された体験を有する程度に過ぎ無かったのである

まして相手は、天下最強を誇る大曹操軍団である!!然も、軍神とさえ謂われる曹操本人が直接

陣頭指揮する親征軍団なので在った。だから実の処、誰も彼もが内心では、己の勝利に懐疑的で

在り、ビクビクもので在ったのである。

ーー処が・・・・存外の事に・・・・いざ陽平関に立て籠もり、その険固な要害で緒戦を迎えてみると、

曹操軍は其の地形の険峻さに手こずり、交戦する事さえ出来ずに立往生して居る様子であった。

《これならイケル!》 かも知れ無い。即ち、決して撃って出ずに、ひたすら要害を恃んで立て籠って

居さえすれば、もしかすれば曹操は諦めて撤収して行くのではないか・・・・!?

それでも確信は持てない。何せ相手は百戦錬磨。奇策を生み出す事に関しては神掛り的な軍才を

常に見せて来た大曹操である。どんな巧妙な手を使って来るか!?息を呑む思いで対峙して居た

のである。万が一、まともに交戦する様な局面に成ってしまったら、絶対に勝てる相手では無い。

心の何処には、常に其の危惧と畏怖とが、こびり付いて居た。この〔心理的な萎縮〕が、その後の

展開を決定的な方向に持ってゆく事と成る。ーーだから、まさか、其の【大曹操】が、本気で撤退を

決断して居た事なぞ、夢想だにして居ぬ張魯側ではあった・・・・


さて、この3日間の攻防戦の後に訪れた、余りにも意外な結末は、正にーー

史実は小説より奇なり!の面白さを 存分に発揮するが如き展開と成る。

その
何とも珍妙な出来事椿事を、後に楊既が上表文の中で次の如く記している。

(1部は既述したが、念の為に全文掲載して措く。)

武皇帝が初めて張魯を征伐された際には、10万の軍勢を率い御自ら出陣なされ、計略を授け、

住民の麦を頼りとして兵糧に当てられました。そして張衛の守備など問題にならぬと考えて居られ

ました。処が実際には、地勢険固で守備側に有利な土地であり、我が軍に精鋭の兵士や勇猛な

武将が居ても、手の打ち様の無い情勢でした。相 対峙する事3日。 軍を引き上げて帰還される

御心算で「兵を挙げてから30年になるが、偶には一旦、勝ちを人に呉れて遣るのも一興じゃな。」

と申され、かくて其の撤退計画は決定されました。

処が天が大魏に幸い下し賜い
    張魯が
自壊し
       その機に乗じて之を平定なされたのです。』


その天が下した幸い
については、大別して つのSTORY
史書に存在する。また 張魯が取った態度についても、その時期を巡っては
説が存在する。

そう云う場合、敢えて1つに断定してしまわず、4つ全てを公開してしまった上で、最終判断を読者

諸氏に委ね、(責任転嫁してしまう?) のが本書の基本スパン・利点である。

ーーで、本書は先ず、その
つの説に従って、夫れ夫れに場面を描いて試る。その後に4史料を

掲載し、全体としての真偽の程を検討してみたいと思う。その際、当然ながら、一番愉快なモノは

最後に登場させる (余り面白く無い順に紹介する) 事とする。

その前に、余りにも簡潔に過ぎて、筆者が口を挟む余地無し!の史料を1つ挙げて置く。

正史・張魯伝』であるが、之は陳寿が記述の重複を避ける為に、敢えて簡素にした箇所ではある

建安20年(215年)太祖は散関から武都に出て張魯征伐に向かい、陽平関まで達した。張魯は
関中を挙げて降伏しようとしたが、彼の弟の張衛が承知せず、軍勢数万を率いて陽平関を防禦し
守りを固めた。
太祖は之を攻め破り、遂に蜀(漢中)に侵入した。


〔ストーリー・・・・『正史・劉曄りゅうよう』に在る展開・・・・

曹操は漢中に到着したものの
陽平関の要害は登ること自体さえ困難であり、然も自軍の

兵糧は底を突いてしまっている状況であった。

「此処は化け物の国だぞ!どうやっても打つ手は無しじゃ。我が軍は食糧も尽きたし、もはや帰国

した方が善い!」 と周囲に告げ、主簿の劉曄に命じて、後続の諸軍撤退の手順一切を任せるや、

間髪を置かずに自身が先頭になって、撤退を実行してしまった。

だが、その命令を聞いた
劉曄は、《マズイ!》 と判断した。ーー劉曄が考えるには・・・・

《戦いさえすれば絶対に勝てる!》・・・・その上もし、此のまま撤退したとしても、

本国からの兵糧輸送は上手く行かず、今さら軍を退いてみても、却って全員が無事に生還できる

事は不可能である
・・・・と観て取った。

そこで劉曄は、自ずから馬を疾駆させて曹操に面会すると、強い口調で進言した。

「いま苦しいからとして撤退しても、必ずや途中で兵糧切れと成り、多くの将兵が飢え死にするだけです。この際は攻撃を挑むのが最善の策で御座いますぞ!」

そして曹操を叱咤激励すると同時に、その陽平関攻略の戦術も建策した。

「どんな手が在る?」 曹操とて、勝てる見込みが有れば撤退などしたくは無い。

「先ずは決して撤退を前提としないとの強い意志を、殿ご自身が全軍に示される事です而して実戦は、短期決戦の集中的な、一撃必滅の総攻撃を仕掛けます。その場合に 最も有効なのは、我が強弩部隊の一斉射撃で御座いましょう。山の地形をよく観察してみますると、尾根伝いの高みの何ヶ所かには、射手が陣取れる場所が在りまする。敵の防禦思想は、下からの攻撃に対するものだけです。その盲点を突き、上からの猛烈な集中射撃を同時に加えますれば、意表を突かれた敵は戦意を挫かれ、全軍の猛攻を浴びて、必ずや降伏して参りましょう。」

「ウム、やってみよう。いや、必ず敵を屈服させてみせる!」

かくて曹操は劉曄の建策に従い、全軍を進め、何万張りの強弩を揃えた上で、猛烈なる総攻撃を

敢行し、終に張魯軍は陽平関から逃走し、曹操軍の危機は去ったのであった・・・・。


〔ストーリー・・・・『正史・武帝紀』の記述に在る展開・・・・

曹操は陽平関を攻撃して試たが、その険塞は余りにも堅固で、ただ味方の被害が続出するばかり

であった。如何とも仕難いと判断した曹操は全軍の撤退を決意し、終には陽平関から立ち去った。

それを観た張魯軍は大歓声を挙げ、欣喜雀躍して互いに抱き合い、喜びを表わし合った。そして

曹操軍の撤退が本物である事を、シッカリと確かめた 何日かの後、 陽平関の守備兵力を順次、

警戒態勢のレベル2から→平時通常のレベル3へと戻した。但し、万々が一に備え、主将としては

弟の【張衛】と将軍の【楊任】が引き続き駐屯する事とした。ーー処が、実は・・・・

この
曹操の撤退は見せ掛けであった のだった!!


ーーその間、果して幾日が過ぎ去ったのかは判然としないがーー曹操は敵が安心しきる日にちを
費やした後、密かに
解剽高祚 の2将軍に命じて、陽平関に連なる高い峰に、隠密の 部隊を登攀させて置き、闇夜に乗じて夜間の奇襲攻撃を敢行させたのである

無論、後続部隊との連繋を緊密に取った上での一斉攻撃であった。既に陽平関の守兵は千人規

模に過ぎ無く成っていたから此の突如、闇の中から現われた不意打ち攻撃は、まんまと成功した。

関の前方に居た【
楊任】はアッと言う間に斬り捨てられた。雪崩れ込んだ夜襲部隊は、更に尾根

伝いに関の上を進撃し、最後に残った主将の【
張衛】を攻め立てた。その結果、砦の兵達は皆

降伏し、辛うじて張衛だけが闇夜に紛れて逃走する・・と云う大戦果を挙げ、終に陽平関は曹操軍

の手に陥ちたのであった。その陽平関陥落!の報を聞いた張魯軍は総崩れと成り、先を争って

南の「巴中」へと、山を越えて逃亡したのであった・・・・・


さて次の2説は、〔
珍プレイ大賞〕の候補作である。但し、それだけに、真偽の程は可なり
胡散臭い!と言わざるを得無い。だが可笑しいから、当然ながら削除はしないで採用する。

〔ストーリー・・・・補注・『世語』の記述に在る展開・・・・

張魯は、曹操軍が陽平関に現われたと知ると、直ちに曹操の元へ腹心の部下(五官掾)を派遣し、

降伏を申し入れた。
張魯自身には最初から戦う意志は無かったのである。

だが弟の張衛らは徹底抗戦を主張し、張魯とは別行動を取って、陽平関に頑強に立て籠もった。

そのため曹操は張魯からの降伏文書を受け取ったものの実際には前進する事が出来ずに居た。

仕方なく曹操は使者を手元に留め置いて措いた。すると張魯は使者が戻って来ない事から巴中へ

と逃亡してしまった。だが其の後、曹操軍の兵糧は尽きてしまい、その事から曹操は撤退を決意し帰還命令を発しようとした。だが其の時、西曹掾の
郭ェ かくしん が諌めて進言した。

「いけません。張魯は既に降伏し、その使者を引き留めた儘ですし、たとえ張衛が同調しなくとも、彼は孤立して居ります故、攻め落とす事が出来ます。敵地深く軍を遠征させ、突き進みますれば、必ず勝利を得られましょう。撤退すれば、絶対に敗北を免れられませんぞ!」

然し曹操は尚、迷い躊躇って居る儘であった。ーーだが其の
夜の事・・・・

敵の主将・張衛の陣営に、1つの「珍事」と、もう1つの「椿事」とが、立て続きに起こったのである。

何と 
夜中に野生のシカ数千頭が暴走して来て

張衛の軍営をズタズタにぶち壊してしまったのである!!ーー

「すわっ!敵の奇襲攻撃じゃあ〜!」

咄嗟には全員が敵の夜襲を受けたものと思い、大パニックに陥って逃げ惑った。やがて其れは、

野生の鹿の大群の仕業と判ったが、全員がすっかりビビリまくり、”玉”が上がってしまって居た。

そして其の怖気づいた儘の精神状態が、更に次の「椿事」に遭遇した時の心理的な下地と成って

居たのである。・・・・すっかり陣地を踏み崩されて、全く使い物に成らなくなってしまった砦を棄て、

張衛部隊は新しい部署へ赴こうと、星月夜の中を移動し始めた。だが鬱蒼と生い茂る木立の

中は全くの闇夜状態であった。 その時、全く同じ暗闇状態の中を、道に迷った曹操軍の先鋒・

高祚こうそ部隊が亦、同じ谷筋を逆方向に進んでいた。敵同士の両者が 鉢合わせするのは

時間の問題であった。ーー果して・・・・・

両部隊は、闇夜の中で、突然出っ喰わした

両者ともにビックリ仰天した。だが、より大きく動転したのは張衛軍の方であった。

ビビる下地が出来上がって居た からである。その上、敢えて先鋒を命じられる位の

高祚の肝は太かった。咄嗟に手にしていた太鼓を打ち鳴らした。すると其れに応じて一斉に、

あちこちから陣太鼓の音が鳴り響き出した。猛烈な音響は谷々に木霊し合い、より効果的な錯覚を誘発した。

「しまった!敵の罠に嵌ってしまったぞ!」 「敵襲じゃあ〜!」

「この儘では全軍が包囲されてしまうぞ!」 「逃げろ〜!」 

「駄目だ、こんな狭い場所で逃げ場も無い。」 「皆殺しにされるぞ!」 

「いやじゃ!元々張魯様は戦う心算は無かったのじゃ!」

「そうだ。こんな所で戦って皆殺しにされるのはいやじゃ〜!」 

「あの陣太鼓の音を聞け!敵は大軍だぞ。勝ち目は無いぞ!」

「降伏して下され!」 「そうだ、降伏するしか無いぞ!」

実際、この陣太鼓を聞き付けた曹操軍の別部隊が、続々と駆け付けて来た。こうした状況から張衛】は、遭遇した相手が大軍団であると
早トチリし、降伏したのであった。

ーーその結果、主将が降伏した為に、陽平関の全体も亦、陥落したのであった・・・・



〔ストーリー・・・・補注『董昭の上表文』に在る展開・・・・

曹操は陽平関に着く前に、涼州従事や武都の降伏者達の口から、「張魯攻撃は容易である」とか

「陽平の城は、南北ともに山からは隔たっており、
平地に孤立した”平城”でありますれば、 総攻撃を受ければ一堪りも無く 陥落するでありましょう!」 

などとの情報を得ていた為、とにかく 陽平関に到達さえすれば、事は成ったも同然と考えて居た。

ーー処が、いざ現地に着いて見ると、豈はからん哉!・・・・孤立した”平城”であるどころか、ほぼ

垂直に屹立する様な、大山塊が連綿と続く、鉄壁の大要害であったではないか!!

その現実を目の当たりにした曹操は、己の判断の甘さを慨歎して周囲に漏らした。

「嗚呼、他人の見方と自分の考えとは、こんなにも異なるものなのか・・・・!!」

だが、遠路遥々此処まで遣って来たからには、今更ただ嘆いて居る訳には行かなかった。そこで

山頂の尾根伝いに構えられた敵の城砦に対して、攻撃を開始した。

だが然し、余りにも険峻な地形に阻まれ、いくら反復攻撃を繰り返しても、一向に有効な打撃を敵

に与える事は出来無かった。それ処か逆に、山頂の尾根から巨岩や巨木を投げ落とされ、狭隘な

谷間に蝟集して身動き出来無い将兵達が次々に圧殺される始末・・・・何度試みても結果は悲劇

の繰り返しであった。下からの攻略は無理だと判断せざるを得無かった。ーーそこで参謀本部は、

非常に迂遠な策ではあるが、陽平の山頂に連なる、別の山筋から遊撃軍を尾根伝いに廻り込ま

せる手に出た。然し其の手とて、実際に登ってみてからでないと、果して有効な策と成り得るか否

かも判ら無かった。また有効であればあったで、敵は其れに対する手段を設けて居よう。だが兎に

角やってみなければ、苦境打開の糸口すら見つからない・・・・結局、先鋒遊撃部隊を送り出した。

だが一旦山中に消えた遊撃部隊の姿は、もはや視認する事も連絡を取る事も出来兼ねた。

その間にも、味方の損害は日増しに甚大なものと成っていった。ーーそして終に・・・・

曹操は、この張魯討伐戦そのものを放棄して撤退、帰還する事を決断し、全軍に布令した。

(※ 尚、この上表文で注目すべきは、”兵糧の枯渇”の件が1文字も記されて居ない事である。この上表文の書き方では曹操が 撤退を決意した理由を、純粋に、軍事戦術面での困難さに帰している。他の史料から推せば、兵糧の枯渇は事実であったろう。まあ、それ程に陽平関の城砦は難攻不落の要害であった・・・・と言う事である 。)


と、なると、先に送り出した遊撃部隊を呼び戻さねばならない。とは言え、大体の方角は判っている

ものの、実際の細かい道筋となると全くの五里霧中。そもそも最初から道なぞ無い所へ踏み込ん

で行ったのであるから、その跡を追うのは至難の業であった。然も、敵のエリア内を、隠密に探し

出さなければならない。・・・・そこで曹操は、手元に居残っていた者の中から、特に勇猛な独眼流

夏侯惇と侍衛の許猪の2人を指名して、その任に当たらせた。 また曹操は

念の為に、2人のあとに後方支援部隊として、侍中の
田比しんぴと主簿の劉曄を随伴させた。

ーーだが、いざ実際に山中に踏み入ってみると・・・・之がまた想像を絶する世界だった。昼間だと

云うのに繁茂する木立の陰で、辺りは鬱蒼として薄暗く、密集する樹木の為に、全く見通しが利か

無かった。立って居る事さえ困難な急勾配だから、見渡せば絶景の1部でも見えそうなものだが、

直ぐ隣りの山肌すら窺い知る事は不可能であった。

「おい、こりゃ確かに化け物の国かも知れんナア〜!」 と夏侯惇。

「そいじゃあ丁度、誰かさんにはお似合いの場所と謂う事だな?」

「其れって、もしかしたら、お前の精一杯の冗談の心算か?」

「冗談では無いし、そう云うキャラでは在りませぬ。ただ事実を言っただけですワイ。」

「ーーへ? じゃあ〜何か。此の儂が化け物だとでも言うのか?」

「充分、化け物の資格は兼ね備えて居られますナ。」

「レレレ〜?では訊くが、肝腎な御前サンは一体何なんだ?こんな薄暗い場所で出会ったら、虎や 熊の方が仰天して逃げ出すと思うんだがナア〜。」

「俺は昔から、化け物だ〜!と云う叫び声は何度も耳元で聞いてるけど、自分では未だ1度も見た 事が無いから、よ〜判らんですじゃ。」

「あ ・ の ・ なあ〜 ・・・・それこそが、本物の バ ・ ケ ・ モ ・ ン!!」

「???意味不明だけどーーま、いっか。」

そんな馬鹿な話に気を取られて居た訳では無かったのだがーーふと気が付くと、何時の間にやら方角が全く判らなく成ってしまって居た。折りの悪い事に陽が沈み、只でさえ手探りだった行く手は、完全に闇夜の前進と成り果ててしまった。何とか方向を探ろうとして夜空を仰いで見ても、木陰が邪魔して星影さえ見えぬ。かと言って松明を灯す訳にもゆかぬ。

「こりゃマズイぞ。相手を探す処か、自分達の足元さえ見え無くなってしまったワイ。」

「しょうが無いから、もう目茶苦茶にズンズン行くしか在りませんナ!」

「お〜い、みんな。チャンと付いて来ているかア〜?」

「へ〜い!取り合えずは揃って居りまする。」

「取り合えず?・・・・とは、どう云う事だ!?」

「何とか 我々の部隊だけは揃って居ますが、後方支援の〔劉曄軍〕 や 〔辛ピ軍〕とは、完全に 離れ 離れに成ってしまって居りまする〜!」

「まあ、仕方あるまい。お前等だけは逸れるなよ〜!」 「は〜い、頑張りまする〜。」

とは言うものの、崖にはビッシリと”苔”が生えて、足元がツルツル滑る。眼の前の枝先に手を掛け 体重移動しては、崖っぷちを1歩1歩手探りで伝い進むしか無い。

「此処は化け物の国だそうだから、絶〜対に谷底に落ちるなよ〜!」 巨大漢の許猪が注意した矢先だった。
ボキッ!!ズリズリ、ズズ〜

「アヤ、アヤヤヤ〜〜!!」 何とも珍妙な声と共に、許猪の図体が谷底に擦り落ち始めた。

「ワッ!ホエ〜!止まらん。お、落ちる〜〜!!」一同、唖然茫然・・・・

「お、お〜い、虎痴ィ〜、大丈夫かあ〜!?」
「ああ、何とか木の根に引っ掛かったみたいですだ〜。」

「待ってろ。いま助けに行ってやる〜!」

ボキッ!メリメリ、ズズズ〜〜
「ワオ〜!アヘ〜〜!」
今度は助けに行った筈の夏侯惇が足を踏み外して落っこちた。
「え〜い、こう成りゃ、
もう破れかぶれジャ〜イ!!虎痴★★ィ、お前も一緒に落っこち★★ろ〜!!」 許猪の脇を擦り落ちながら、夏侯惇が叫んだ。

「よう〜し、俺も一緒ダア〜!!」 ベキベキ!ズリズリ、ズズズ〜〜 どっす〜ん〜!!・・・・・

「アヂッ!痛ててて〜!!」 「ああ、思いっきし腰打ったア!お、イジッ!!」

「あれ?何〜んだ、大した崖でも無かったんかナ?」

「・・・・そうでも無い様だぞ・・・・」 ←(冷や汗タラ〜リ)

「ま、いいや。奴等も呼びましょう。」 ケロリとした許猪、上の兵達に呼ばわった。

「おお〜い、この”坂”は全然大した事無いぞ〜い。どんどん降りて来〜い!とっても面白えぞ〜!!」
「早く来ないモンは置いてくかんナ〜!解ったカア〜!?」
「解りましたア〜!直ぐに続きま〜す!!」
程無く、頭上から派手派手しい騒音が立て続けに降り始めた。ワォ〜!ヒェ〜!アリャ〜!お母ちゃ〜ん!ドヒャ〜!金返せ〜!

「ウム、中々元気が有って好い!!」

ーーと、その時、感心して居る独眼流の脇腹を、チョンチョンと虎痴が突付いた。

「・・・・ウン、何じゃい?」

「ちょっと此処、変に明るくないかなあ〜?それに真ッ平だシ〜」

「明るい?ーーおお、そう言われてみれば確かになあ!」

「アッ、丁度いい具合に 人が居るぞい。ちょっくら訊いてみよう〜っと。」

「お〜い、其処の お兄さ〜ん!」

すると・・・・気軽に近づき、ほんの優しく声を掛けただけなのに、相手は腰を抜かさん
ばかりのオーバーリアクショで後ずさりをするのだった。現われる筈も無い崖の
真上から、2人の巨人がヌッと現われたのだ。 然も 未だ
空の上
からは続々と 突貫の雄叫びを挙げた大軍が急襲して来る
!!

「ア、アワワワ・・・・・ば、
怪け物じゃあ〜!!
〔一つ眼〕〔超デブ〕怪け物が”天兵”を連れて舞い降りて来たぞ〜!!」
「ちゃう、ちゃう!そりゃ、独眼流の夏侯惇と、虎痴の許猪じゃぞ!!」
「敵襲〜!!敵の夜襲だあ〜!!」
「大軍が現われたぞ〜!!」
夏侯惇許猪襲撃じゃあ〜!!」
「全山すっかり占領されたぞ〜!」

忽ち、その絶叫は陽平関中に響き渡って、
勝手に増幅され、敵を大パニックに陥れた。

「逃げろ〜!捕まれば皆殺しじゃあ〜!」
「もう駄目だあ〜!退却しろ〜!!」


相手 (敵?) が 勝手に逃げて行く。

「ーー・・・・?????」 「ーーどう云うこっちゃ??」 と、一つ眼に超デブのコンビ。

「まっ、いいや。兎に角、平らなトコに出られたんだから・・・・。」

「然し、之では先鋒部隊探しは、壱からの出直しじゃナア〜。」

「将軍、一体ここは何処なのでありますか?」

「儂にも、よ〜判らん。兎に角、敵に陣地の端っこ辺りで在ろうカナ?」

「で、この後、我々は何うするのでありますか?」

「仕方無い。一旦山を降りて、本陣に引き返そう。やれやれ、お仕事は 最初から遣り
直しだワイ。」
「スイマセヌ。俺がドジ踏んだばっかりに・・・・・」 しょげ返る許猪。

「まあ幸い、付近の敵は 何をトチ狂ったのか知らんが、全部いなくなって呉れたから、
帰り道は松明を灯しても平気じゃろう。こんな場所は一刻も早く立ち去るに限るワイ。」

状況が全く飲み込めない儘に
夏侯惇許猪の連絡部隊は、そそくさと山を降り始めた。ーーやがて存外早くに、支援部隊の劉曄・辛ピの陣屋が見えて来た。するや劉曄が素っ飛んで来た。

「いやあ〜凄い作戦を敢行されましたナア
一同みな感服致して居りまするぞ

「真に
是れぞ正に、独眼流の奥義!!流石で御座る!!

「ーーん? 何のこっちゃ??」

「クヒ〜又々奥ゆかしい事を仰られる。大勲功を鼻に掛けない其の態度。嗚呼、士人の鏡じゃ!」

「ささ、先ずは一献。大勝利の祝杯と参りましょうぞ

「ーー・・・・???」 何が何だか判らずに、顔を見合す化け物コンビ。

「ちょっと大袈裟では有りませぬか?」

「いえいえ、決してその様な事は御座いませぬ。 おお、そうじゃ。後に控える勇戦の
猛者達にも、労いの御酒を振舞わんといかんワイ!」

「ちょ、ちょっとタンマ。悪ふざけも大概にして措いて貰いたい!」

夏侯惇は己達が揶揄されて居ると思い、仏頂面で言った。


「ハイハイ、確かに私達は、連絡に失敗致しマシタ!!」 ・・・・プリプリ

「ーーえっ!?では、もしやして、未だ状況を御存知無い?」

「ハイハイ、御存知アリマセヌ!」・・・・ブスッ

「いやあ〜、そうで御座いましたか。」

「酒を戴く前に、今の状況を判る様に説明して貰いたい!」・・・・未だ御機嫌ナナメ

「陽平関の敵は、もう散り散りに成って、全部退却してしまったのです!」

「ですから我が軍は、既にすっかり敵の重要拠点を占拠してしまったので御座います!」

「ーー儂らの所為で・・・・か??」

「左様で御座いますとも。将軍の意表を突いた夜襲の為に、敵は総崩れに敗走したのです!」

「こっちは、たった50人なのに、5万の敵が全〜部逃げちゃった・・・・のか??」

「は〜い!御蔭で我々の部隊は何の造作も無く、易々と陽平関占拠の光栄に預かった次第!」

「ーー虎痴よ、信じられるか?」

「うんにゃ。自分の眼ん玉で確かめる迄は信じられんぞい。」

「だよな。じゃ、行って見て来るか!?」  「それが一番ですぞい。」

そこで2匹の化け物コンビ?は、阪神半疑のタイガースの儘、馬で彼方此方を駆け
廻り、それでも未だ得心が得られず、最後は徒歩で山の上にまで再登頂した。

「ーーどうも本当らしい・・・・。」  「エライ事してしまったんだなア・・・・。」

「ーー余り威張れぬぞ・・・・。」  「何だか小っ恥ずかしいぞい・・・・。」

「まさか、道に迷った挙句、足を踏み外して落っこちた・・・・なんてナア・・・・。」

「まあ、何はともあれ、殿には報告せにゃならんが・・・・」



「ーースイマセヌ・・・・
間違って・・・・陽平関を陥としちゃいました・・・・。 ←モジモジ

「何?よ〜聞こえん。もっとデカイ声で元気好く申せ。」

許猪が夏侯惇をチョンチョンと突付いた。

「あのう〜・・・
陽平関を陥落させちゃいましタ!←注・太字だけ早口

「是れで良いんだろ?」 「そんなトコでしょうナ。」

何!本当か!あれだけ手こ摺っていた陽平関を落としたと申すのか!

「はい、その様でアリマスな。」

「ーーン?? な〜んか怪しいナ。
こら、虎痴!正直に全部申せ!本当なのか?
「は、はい。本当で御座います。」  ←・・・・精一杯小さく成った許猪。

「では何故、人事みたいに申すのじゃ!?本当だとすれば大・大・大勲功ではないか!」

「殿も人がお悪い・・・・もう、是れ以上からかわんで下され。」 

「一体、何を拗ねて居るんじゃ?儂は未だ、何の報告も受けて居らんぞ。」



「アリ?? あの〜、実は・・・・かくかくしかじか・・・・・」


「ギャハハハハ!!・・・・そ、それは真の事か?
 ワッ〜ハハハハ!!ああ〜腹が捩れる〜!
 ヒィ〜ヒヒヒヒ!!でかしたぞ
 やったではないか虎痴
 ギャ〜ヒヒヒヒひィ〜〜!!」

「ーー・・・・。」 ブスッ 「ーー・・・・。」 プリプリ

では改めて
陽平関陥落即ち〔漢中平定戦〕の4つのストーリー

検証・考察してみよう。
一体全体、果してどの説が本当??なのか。 また
4説を突き合わせた場合、果して
どんな真実!?が浮かび上がって来るのか。

読者諸氏も御一緒に御考え下さりませ。・・・・で、順序として先ず『
つの史料』 を列記してみる。

正史・劉曄伝の記述ーー
『太祖は張魯を征討した時、劉曄を主簿に転任させた。漢中に着くと、山は険しく登るに困難であり
兵糧も可なり欠乏していた。太祖は「此処は化け物の国だぞ。どうしてアレコレと手を打つ事が出来ようぞ。我が軍は食糧も少ないし、早く帰る方が善い!」と言い、直ちに自分から撤退し、劉曄に命じて、後続の諸軍を取り仕切らせ、順序に従って引き上げさせた。
劉曄は張魯に勝てると判断した上、兵糧の輸送は繋がらず、軍を引き上げても尚、全員が無事で在る事は不可能と観て取り、馬を走らせて太祖に「攻撃を挑む方が宜しいです!」と進言した。
かくて兵を進め、沢山の弩を繰り出して彼等の陣営を射た
張魯は逃走し、かくて漢中は平定された。』

正史・武帝紀の記述ーー
『秋7月、公は陽平に到達した。張魯は弟の張衛と将軍の楊昂らを陽平関に立て籠もらせた。彼等は山を横切って10余里に渡り城を築いており、攻撃したが陥とせ無かったので、軍を引き上げた。賊は大軍の引き退くのを観て、その守備を解いた。

公は
密かに解剽・高祚らに、険しい山を登らせて夜襲させ、散々に之を撃ち破りその将・楊任を斬り、進撃して張衛を攻めた。 張衛は夜に紛れて遁走し、張魯は 総崩れと成って巴中に逃亡した。公の軍は南鄭に入城した。』

補注・ 世語の記述ーー
『張魯は五官掾を派遣して降伏を申し入れたが、弟の張衛が山を横断して陽平城を構築して抵抗した為、官軍は前進する事が出来無かった。張魯は巴中に逃亡したものの、官軍は兵糧が尽きてしまい、太祖は帰還しようとした。 西曹掾の東郡の
郭ェ が、「いけません。張魯は既に降伏し、その使者を引き留めて、未まだに帰しておりませんし、たとえ張衛が同調しないとしても、孤立して居ります故、攻め落とす事が出来ます。敵地深く 軍を遠征させ、突き進みますれば、必ず勝利を得られましょう。撤退すれば絶対に敗北は免れられませんぞ!」と言ったが太祖は躊躇って居た。
夜、野生の鹿・数千頭が張衛の陣営を突き壊したので、張衛の軍はビックリ仰天した
夜、高祚らが誤って張衛の軍勢と出喰わした。高祚らは盛んに軍鼓を打ち鳴らして軍勢を呼び集めた。張衛は恐れ慄き、大軍に急襲されたのだと思い込んで、降伏した。』

『魏名臣奏』記載・董昭上表文の記述ーー
『武皇帝は、涼州従事と武都の降伏者の言葉に「張魯を攻撃するのは容易である。陽平の城下は南北ともに、山から遠融たっていて守り切る事は出来無い。」 とあるのをお聞きになり、真に其の通りだと考えられました。処が、出掛けられて其の場に臨まれますと、聞いて居たのとは大違いでしたので、「他人の判断が自分の考えと同じである事は少ないものだ!」と慨歎なさったのでした。

陽平山の山上に在る諸陣営を攻撃された時、中々攻め落とせ無かった上に、兵士達の中に多数の負傷者が出る有様でした。武皇帝は意気沮喪なされ、直ぐに軍隊を引き上げ、山上からの追撃を断ち切りつつ帰還しようと考え、故大将軍・
夏侯惇、将軍・許猪を派遣なされて、山上に居る軍勢を呼び戻す様に命じられました。 折しも、前衛部隊が未だ帰り着かない内に、
夜中になって道に迷い、誤って敵の陣営の中に飛び込んでしまいました
すると敵は散り散りになって退却してしまったのです
侍中の
辛ピ劉曄らは軍勢の後方に居りましたが、夏侯惇と許猪に、
「官軍は既に敵の重要な陣営を占拠し、敵はもう散り散りに成って逃げ失せましたぞ!」
と告げました。
然し彼等はそれでも信用致しませんでした。夏侯惇が出掛けて行って、自分の眼で確かめ、そこで初めて、帰って来て 武皇帝に報告し、軍隊を進めて 其の地を平定し、幸いにして勝利を得る事が出来ました。
これは最近の出来事であり、兵士達がみな知って居る事で御座います。』



ーーと、以上が史料の全てである。 但し
は、(殊に蛯ヘ日頃の行いが悪く) 余り信用の

置けないモノである。謔燒秩A最後に態々、「之は皆が知って居る事で御座います」 などと余計な

事を書いて、思わず馬脚を暴わしてしまっている。・・・・だが、かと言って「正史」だけの記述では、

余り面白く無い。
→→だから此の際、この件についてだけは、五月蝿い事は言わずに、眼を瞑ってしまいましょう。


・・・・さて、曹操側の登場人物は全部で
人。その内で【郭ェ】は進言しただけだから除外。残りは
人だが、【辛ピ】と【劉曄】も脇役だから除外して、人となる。残った顔ぶれを見ると・・・・

夏侯惇許猪、そして高祚解剽である。然し、よく見ると夏侯惇と許猪

2人1組のペアであるから、事実上は
人である。同様に〔解剽も高祚〕とのペアで記されている。 ーー詰り、2つの史料に渡って登場するのは唯1人・・・・高祚だけである。では、そも高祚とは

何者ぞ??我々には何の挨拶も無く、突然顔を出すとは不埒千万な奴である!(解剽 もだが)

で判った事だが、この高祚 も 解剽 も、『三国志』 全部の中で、
此処オンリーの、然も
名前だけ
の登場人物なのである。ーーアチャ〜〜!!・・・・→→分り様が無〜い!ではないか

こう成ると、人物の履歴から真相に迫るのは無理だと云う事である。

だとすれば矢張り、全ては史料そのものの信憑性に懸かって来る。その際
の『世語』は斐松之

自身が「全く脈絡無く 最も鄙劣である!」 と弾劾しているから却下。

問題は
の『魏名臣奏』だが、どうもハッキリしない書物である。元は【陳羣】が上表文を集めて

作った「名臣奏議」である・・・と『魏書』にあるが、それを陳寿が本にしたのだ・・・と今度は隋時代

の書物が謂うーーと云った塩梅で、間接証拠しか無い。「黒」では無いが「灰色」レベルの史料。

ーーと成ると、面白くも何とも無いが、ヤッパシ『
正史』に軍配が上がってしまう訳である。その際、

有り難い事に、正史は「武帝紀」と「劉曄伝」の2つに同じ場面を記しているから、両者間の整合性

さえ合致すれば、可也の確度で信用出来る事となる。

そう思いながら2者を読み比べて観ると・・・・
の『劉曄伝』はーーかくて兵を進め、沢山の弩を

繰り出して彼等の陣営を射た。張魯は逃走し、かくて漢中は平定された
・・・・のであり、

の『武帝紀』に在るーー 公は密かに解剽・高祚らに、険しい山を登らせて夜襲させ、
散々に

之を撃ち破りその将・楊任を斬り、進撃して張衛を攻めた。 張衛は夜に紛れて遁走し
・・・・とは、

(かろうじて) 齟齬を来たしていない。 また別の視点で言えば、敵将・楊任の戦死を自信を持って

記しているのは「正史」だけである。ちなみに【楊任】も、此処オンリーの名前だけの人物である。

同様な態度で【解剽】と【高祚】の存在も、一切の説明無しでズケリと、此処オンリーで記している。

この一見ぶっきら棒の態度は、実は、相当な自信と裏付が無い史家には取れぬ態度である。

矢張り、リアルタイムの『正史』に敵う史書などは存在しないと云う処に落ち着く。


で、
陽平関陥落の真相・・・と言えば・・・最も無難な手堅い観方として

曹操の
擬装撤退隠密部隊夜襲に拠る勝利!!ーーだと云うのが最有力であろう。そして其の実行部隊は、
夏侯惇と許猪のペアでは無く解剽高祚であった。

残念ながら最も愉快な
夏侯惇・許猪ペア説 は落選である。そもそも、面白さを除外しても

事実だとすれば、こんな大作戦の功労を、陳寿が彼等のどちらかの「伝」に記さぬ筈が無い。

況してや、”つい最近の事であり、兵士達ですらみな知って居る” 事だったなら 尚更ではないか。

まあ、マンガや小説なら大いに受ける場面には違い無いであろうが、本書は採用し兼ねる

の『董昭の上表文』なる史料は、どう観ても、最初から”受け狙い”の俗説と読むべきであろう。




かくて曹操は、十八番の奇策に拠り、美事陽平関の難敵を潰走させた。だが、歓びも
束の間、曹魏軍10余万は息つく暇も有らばこそ、脱兎の如く東に走り始めた。むろん先頭は 快速
軽騎兵軍団。走りつつ皆が懸念し、心配したのは唯1点・・・・
《張魯城内の食糧庫に、果して食べ物は在るのか!?》
《持ち去られたり、焼き捨てられたりして居無いであろうか!?》
・・・・と云う不安であった。ーー果して到達して見るや、南鄭なんていはひっそりと静まり返り、

城門は大きく開け放たれ、僅かに居残った者達だけが完全降伏・恭順の意志を示して跪いて居る

のだった。思わず挙がる安堵と歓喜の鯨波!!

驚くべき事に張魯は、巴中へ逃亡する際に 家臣に厳命し、食糧は無論の事、城内の珍品

財貨の全てに封印をさせ、己は何1つ持たずして立ち去っていたのである!

その余りの徹底ぶりに驚いた曹操は、居残っていた者に訳を問い糺した。すると其の者の口から

張魯の本心〕が、な辺に在ったかが窺い知れる様な状況が語られた。ーー城を落ちる時、側近の

者達は宝物や貨財の入っている全ての蔵を焼き払う心算だった。処が、張魯は言ったそうだ。

「私は元々から国家に帰順したいと願いつつも、本懐が遂げられ無いで居るのだ。いま逃亡するのも、鋭い鉾先をかわす為であり決して悪意が有る訳では無いのだ。宝物貨財の入った蔵は全て国家のものである!」

そう言って全てに封印をして立ち去った・・・・と云うのであった。曹操の喜ぶまい事か!!

すっかり感心し、張魯を称讃さえして見せるのだった。そして此処に、事実上・・・・

漢中平定戦は 終止符を打ったのである
時に215年7月半ばの事であった

後は只、巴中へ逃げた【張魯】本人が降伏・帰順を願い出て来るのを待つだけとなった。さて

その【張魯】が、南の山塊を越えて逃走した先の巴中だが・・・1年前の5月から、蜀乗っ取り

成功した劉備の版図に成っていたのであった。ーーと云う事は、もしかして張魯は

助けを求めて劉備の元に転がりこんだのか?? ーーいや、だが、此の時、

劉備は益州には居無かったのである!・・・・此処から遙か1000キロの彼方

荊州の「公安」で、10万の【孫権軍】と、全面戦争寸前の一触即発の睨み合いをして居る

真っ最中であったのだ!・・・・所謂、孫権と劉備との荊州問題!が勃発したのは
正に此の時点★★★★★★であったのである。ーー既述の如く、その先、孫権と劉備は曹操に対抗

する為に、友好軍事同盟を結んでいた。その当初に於いては、荊州は東西半分ずつを互いが

占有していた。処が総司令官の周瑜が逝去した為に、呉側は一時荊州から撤退した。また曹操の

進攻を受け、荊州経営までは手が廻らなく成っていった。するや劉備側は其の機会を勿怪の幸い

とばかりに軍を動かし、瞬く間に荊州全土 (長江以南) を占拠してしまったのであった。その時の

劉備側の申し出 (言い訳) は、「蜀を奪取する迄の間だけの期間限定」で孫権から呉寄りの3郡を

借り受け、蜀 (益州) の奪取成った暁には返還する
・・・・と謂うものであった。当時の孫権は諸般の

事情から、その言い訳を已む無く了承した。

ーー然し、それから5年が経ち、劉備は蜀取りに成功!孫権も国内整備が整った。そして曹操は

漢中へと向って遠征に出発・・・・この5年の間、鈍牛の如く隠忍して居た孫権。失った荊州を

取り戻すチャンス到来とばかりに、劉備に荊州の返還を要求した。だが劉備は其れを無視。既成

事実として荊州の独占を続けた。そこで孫権は終に、国家総動員態勢の軍事行動を決行。実力で

荊州の奪還に踏み出した。慌てたのは劉備であった。主要な家臣も軍隊も全て益州に来て居り、

その時荊州には関羽唯独りだけが江陵に在るだけだった。対する孫権は10万余の

大軍団!・・・・そこで劉備は、【関羽】を益陽に進出させて対抗させると同時に、自らも軍を

率いて長江を降り、公安に駐屯。 《呉》・《蜀》 の両者一歩も退かずに、あわや両軍の

全面戦争の危機が醸成された!!のであった。ーー処が此の時、劉備を驚愕させる

重大情報が届いたのである。曹操が漢中を平定した!・・・・と謂う

ものであった!! スワッ、こんな所で、同盟者の孫権と揉めて居る場合では無かった。

「いや、本当〜に申し訳なかった。ついつい忙しくて失念して居り申した。いま約束通りに、荊州の
東半分は貴殿にお返し致すまする。どうぞ之でまた元通り、互いに仲良くやって参りましょうぞ!」

何とも調子の良い申し出はあったが、元より両者の真の強敵は曹操である。2対1で対抗せずば、

いずれ両者共倒れは必定であった。「善いだろう。」急遽、和議の使者が往復し合い、問題は急転

直下に解決され、互いが荊州を半分ずつ領有する事で合意した。そして
〔呉・蜀同盟〕も再び復活した。ーこれが215年の7月・・・正に「曹操が 南鄭城へ入城した瞬間★★」であった

この時に胆を冷やしたのは【劉備】だったが、次に驚愕するのは曹操の番であった!
準備した10万の大軍を1兵も失う事なく、劉備とのイザコザを解決した孫権
返す刀 (陸口に駐屯して居た) で、曹操の東の拠点・
合肥を突如、総攻撃し始めたのである!

曹操軍の主力は今、遙か彼方の「漢中」に在り、「合肥」を守るのは 僅か7千! ーー10万の呉軍の総攻撃を受けたら、その守備に在る将兵の運命は風前の灯火・・・・曹操は東の進出拠点を失い、一転して孫呉からの侵攻の危機に陥る・・・・
時に215年8月。南鄭入場を果したものの、張魯は未まだ出頭して居らず、また1000キロを飛んで行ける訳でも無かった。


危うし合肥城!!守るは【楽進】【李典】そして【張遼】の、3将のみであった。
【第194節】  泣く子も黙る 「遼来来!」 (合肥戦のオールキャスト) →へ