第178節
阿斗 誘拐さる!
                                  ジャジャ馬姫よ 永遠なれ
《ーーまあ、この児ったら・・・・!?》

劉備の一粒種である
阿斗を、その胸に抱き上げた瞬間の気持だった。思わず頬擦したく

なる様な、澄み切った純真さ が感じられなかったのである。ハッキリ言えば、余り可愛く無かった

のだ・・・他人が生んだ児だからと云うのでは無い。
凛華とて子供好きであった。何人もの赤

をダッコ した経験は有った。 特に天使の様な 邪気の無い、花の様に優しい 女の児の笑顔には、

抱いている自分の心が洗われる程に大好きであった。ーーだが、この「
阿斗」は違った。

男の児だった所為もあろうが、
歳 (満では2歳) の癖に 異様に ドテッと重かった。その笑い顔が

変に ”大人じみて” いた。一般的に満
歳歳と謂えば、未だ己の意志・言葉さえ持たぬ命である。

それだけに却って本能的で、生まれついての本源的な人格のコアが表に出ている。凛華とて別に

骨相術を知っている訳では無い。だが、その表情に愛らしさが欠如している点には直ぐ気付いた。

時々見せる笑顔もニコニコッと云う感じでは無く、寧ろケタケタッと云う風に感じられる。そして決定

的だったのは、不意に見せるニタ〜とした表情であった。それが今また出たのである。

《ーーそう言えば・・・・》 と
孫夫人と成った凛華は、〔阿斗の武勇伝〕を思い出した。

天下無双の豪傑!と自他共に認める【
張飛】が、長阪橋の手柄話のついでに言った。

「あの、武人でも ビビる様な 乱戦の最中、 泣き声ひとつ 挙げられずに、趙雲 の戦袍に 包まって
ニコニコ と笑って 居られた のじゃ! いやあ〜、あれには 内心、儂も ド肝を 抜かれたワイ!
流石に 御主君の嫡男 ともなると、赤
坊の時から 違うモノ じゃ と ナア〜!!」


張飛の眼から見れば、確かに そう見えたかも知れ無い。が・・・・普通なら泣きじゃくる、であろう。

少なくともムズ掻ゆがるであろう。それを笑って居たとはーー寧ろ異常ではないか!?

敢えて言うなら・・・・いずれ”男”と 成った暁の、生々しい未来が想像される様な、妙な”業”を予感

させる赤子であった。未だに乙女の儘の孫夫人で在れば尚の事、その生理的な気色悪さを払拭

する事が出来無かった。その癖、女の膨らみ だけには敏感な反応を示し、小さな手でモゾモゾと

弄ぐって来るのであった。

「んもう〜、この子ったら・・・!?」 呆れ気味に、直ぐ乳母の手に戻してしまった。

それが、ファースト・インプレッションであった。ーーあれから早、2年が過ぎようとしていた・・・・・。




さて、お話は凛華サマ、いえ
孫夫人サマの事で御座いますが・・・・あ、申し遅れましたが、私は

凛華さま担当のレポーターで、 知ったか振りッ子こと 「
シッタカブリィ」 で御座います。前回同様、

宜しく御願い致します。ーーで、
孫夫人サマ・・・・劉備サンの処へ嫁いで来てから、兎にも角にも

年目が過ぎようとして居ります。(阿斗ちゃんは数えで5歳に成ってマス)その間、孫夫人の生活は

全くのマイペース。呉国で暮らして居た時と、少しも変る事は御座いません。無論、劉備陣営には

劉備
サンなりの法律が有りましたが、そんなモノには平気の平左。

「私は 呉の人間ですから、呉の法律には 従いましょう。 じゃが、其れ以外のモノ なぞに縛られる

謂われは無いのです!」 とキッパリ!御自分のしたい様に、遣りたい様に振舞われ続けて居いで

なので御座います。ですから、もし 変った点が有るとすれば、それは全て 劉備サン側の方です。

ガラリと 豹変させられしまって居るので御座います。

♪〜〜♪♪なんてムードは欠片も無くなっちゃいまして、もう大変!本来なら、赤組白組

なんて分け隔てが在ってはならぬ訳なのですが、劉備側の女房・女官サン達は、孫夫人の一挙手

一投足に戦々恐々と成って居ります。何故なら・・・・寝ても醒めても24時間、何時いかなるバヤイ

でも、オッカナイ100人の腰元軍団が、抜き身の薙刀をギラつかせて、シッカリ〔
臨戦態勢〕を

敷いて居るからで御座います。そもそも公安の奥御殿 (もちろん仮設ですが)に到着した其の瞬間

から、「無礼モノ!!」とやられてしまったものですから爾来、〜
頡頡頡閨I!〜のオンパレード・・

癒しの殿堂で在った筈の【
大奥】は忽ち戦場と化してしまったので御座います。だって、その美女

軍団の面々の顔付たるや、丸で敵地に乗り込んだ決死隊の形相・・・・並々ならぬ決意が漲り溢れ

ているのですから。

《姫様に対しての無礼は勿論、それに仕える 我等に対する無礼は 即、呉の国に対する恥辱!

国辱で御座いますぞえ!其れが仮令、爪の先程の事であろうとも、断じて許してなりませぬ!!》


もうその誇り高さと鼻息の荒さは物凄いモノで御座いまして、とてもの事、女房達が束に成ったって

敵いませぬ。女だけでは御座いません。男だって例外は無いのでして、奥向き担当の文官サン達

なぞは、四六時中の叱責と威嚇に辟易となり、もう殆んどノイローゼ寸前。次々にお役御免を願い

出て、ショックの余りに寝込んでしまう有様・・・・ それでも、曹操サンの様に 「宦官」 を召し寄せる

余裕の無い劉備
サンとしては、誰かを担当に就けなければならず、すっかり頭を抱え込んでしまっ

たのです。それ処では有りません。肝腎要の”夫婦仲”なのですが・・・・『
正史・法正伝』中の記述


その昔、孫権は妹を劉備に娶わせたが、妹は才気と剛勇に於いて兄達の面影があった。侍婢100余人は皆、自分で刀を持ち侍立して居た。劉備は奥に入ると何時も、心底から恐怖を覚え、ビクビクした。
劉備は公安に居た時、北方では曹公の強大さに脅え、東方では孫権の圧迫に気兼ねし、近くは孫夫人が手元に在って変事を起こさぬかと心配して居た。


あの 初夜の【
クリームヒルト宣言】は、未だ、有効期限の継続中で、依然として 其の効力を発揮し

続けて居る模様なので御座います。その証拠には劉備サン、ここの処ジェンジェ〜ン奥へは顔さえ

出さなくなってしまって居るのです。まあ元々からして、女性には可なり淡泊な方の劉備
サンであり

お年も
50近くですから、若い頃ほどの 必要性も無かった のでは御座いましょうが、

それにしてもサッパリの御無沙汰。下手に 違う女性の所を訪れ様ものなら、それこそ 「無礼者!」

とやられてしまうでしょうシーーかと言って、孫夫人の所へゆけば 、スワッ!とばかり 美女軍団に

取り囲まれ、命さえ危ない・・・・

《んっもう、オラ知らん!触らぬ神に祟り無しで行こうっと!》 と決意された塩梅なので御座います。

ですが、《奥》はただ、”そっちの事”だけだは有りません。こっちの事、つまり”育児”問題も重要な

課題なので御座います。御存知の通り、劉備サンには長いこと子供が授かりませんでした。全くの

空射ちでは無く、皆〜んな可愛い姫さまだったので御座います。※
(ヒドイ事ですけれど此の当時女の子は

子としては扱われず、史書は子の数に加えませんでしたからハッキリした事は申せませんけれど。)
そこでもうスッカリ

諦めて、「
劉封クンを跡取り養子に迎えた途端、まあ何と皮肉な事に47歳にしてやっと男の子が

生まれたのでした。それが「
阿斗」チャンなのです。母親は可なりの高齢出産だった「甘夫人」。

彼女は、『沛の人で、先主が豫州を支配し小沛に居た頃、家に入れて妾とした。』と正史にある如く

死ぬ迄「
妾の地位」の儘で在り続けた女性です。「豫州を支配し」などと書かれていますが 実態は

只逃げ廻って居ただけの事。その合間に出来心?で手を出したと云うのですから、家柄などと云う

大したモノなぞ御座いません。いくら男児を産んだからとて、急に身分を上げてやる訳には行かぬ

のでした。 此処にも、劉備サンの弱さが 滲み出ている訳なのです。つまり、凛華サンの例の如く、

「正妻の座」は 常に空けて措く・・・・それを 1つの戦略 とせねばならぬ程、劉備サンには 実力が

無かった訳なのですネ。ーーですから、もし、幾ら実体が無くても、「正妻の孫夫人」から、

「阿斗は私の手元で育てます!」 と申し渡されれば、拒否する事など 出来る筈も御座いません。

と云う次第で現在も、「阿斗」チャンは孫夫人の所で育てられて居るので御座います。

ですが、生れ付きでしょうか?それとも母親としての孫夫人の愛情不足で御座いましょうか?この

阿斗チャン、あんまり活発では無く、どうも独り遊びばっかりで、私の目から見ても少し不安な面が

見受けられるのです。現代風に申せば、ちょっと自閉気味なのが心配です。とにかく「利発で活発」

とは申せません。『
つ児の魂、百迄も 』 と謂う諺が在りますけれど、この儘の生育環境では少し

可哀相だナア〜と思う、レポーターの私で御座います。

いえ無論、孫夫人が阿斗チャンを邪険に扱う様な事は決して有りません。但、御自分が未だ未だ

遣りたい事が多過ぎて、一緒に過す時間が少なすぎるのは事実です。もっとも大名の御曹司には

こうした乳母任せのケースはママ在る事なのでは御座いますが・・・・。

それにしても大変なのは劉備
サン。自分の命ばかりか、一粒種の息子の命まで握られてしまった

様な塩梅では、真に気の休まる暇とて無い。諸事多難の時節がら、不安でならぬ御様子。まして

此の歳ともなれば、大業の目的の中には、〔
2代目への継承〕 と謂う思いが強くなって来るのが、

父親としての人情で御座いましょう。

《ーー誰か、あの
クリームヒルトを御せる者は居らんだろうか??》

生真面目だが 大人しい【麋竺】では、とても歯が立ちそうも無い。 【孫乾】は 歳を取り過ぎて迫力

不足。【ホ統】も【馬良】も【陳震】も【伊籍】も皆、未だ来て呉れたばっかりだしナア〜・・・・

考えあぐねて居ると、何と突然、【
簡雍】の顔が出て来たではありませぬか!

《ワッ!いかん、いかん。何で此処でアイツの顔なんかが出て来んだよう〜。》

幾らヒマこいて居るにしても、勝負は緒っから着いている。

「ああ、俺も大ぶ参ってんだナア〜・・・・」 持ち駒の少なさに 改めて愕然とする劉備サンでは在り

ました。かと言って、まさか軍師の【孔明】に登場して貰うのでは・・・・流石に恥ずかしい。でも、然し

無い袖は振れぬ。ーーが、そのとき劉備サンはハタと閃いたのです。

《そうか!みんな出払ってしまっているから、ついつい文官ばかりに眼が行ってしまったが・・・・》

この問題だって戦争と同んじジャ!ーーと思ってみれば、何も文官に限らなくても良いではないか。

とは言え、まさか 曹操軍と張り合って呉れて居る 【関羽】 を呼び出して、”奥付き”に 置いて措く訳

にはゆかぬ。さりとて【張飛】では、火に油を注ぐ様なモノだ。探し当てたばかりの【黄忠】には未だ

内輪の恥を晒す訳にもゆかぬし・・・・

うん矢張り、あの男しか居らぬナ!》ーーその最終候補に絞られた”あの男”とは、

それは・・・・
趙雲サンで御座いました。 趙雲子龍 と申さば、あの 長阪坡での 命を張った

阿斗救出劇の御本人 正に打って付けの人物。 然も、阿斗誕生の以前から、甘夫人に

対しても亦、常日頃から家族同然な愛情を示し続けていて呉れる男性で御座います。

一時は「
主騎」として奥の事も取り仕切って来た、経験者でも御座いました。その〔趙雲〕サン・・・

今し正に縁談話の真っ最中であったので御座いますが、劉備サンはつい最近、その結果を聞いた

ばかりだったのでした。その経緯を聞かされた事を思い出した劉備サン、思わず叫びました。

「ウム、益々以って、我が意に叶う
”女強さ”じゃワイ!!


そも、その縁談話で御座いますが・・・この頃、趙雲サンは偏将軍に任じられ、切り取ったばかりの

桂陽太守
(荊州最南端) を兼務されて居られました。平定されるまで其処の太守だったのは「趙範」と

言う男なのですが、彼は何とかして趙雲と縁故関係に成ろうと、この縁談話を持ち出した訳ですネ

その縁談の相手はーー「女やもめ」と成っていた、
超・ウルトラ・スーパー美人の噂も高い

兄嫁の未亡人で名は【
はん】と申します。女の私から見ても、それはそれは妖艶で、ちょっと

敵わないナ!って感じの若い後家サンで御座います。

(※ちなみに、今更ながらでは御座いますが、何で女性は結婚相手、ハズバンドとは別な姓・名字で書かれるのかと申しますと、それは〔夫婦別姓〕だからで、現代中国でもその慣習は続いている訳なのです。本邦では最近ようやく其の動きも見えますが、一応念の為の”知ったか振り”で御座いマシタ。)


さて、チョ〜美人の樊氏を見た趙雲サン、イチコロで参っちゃった!
       
何て事はありませんでした。それ処かキッパリと断わってしまったので御座います。又その断わり

の言葉が、何ともシビレるものでした。其処ら辺の誰か
サンに、是非とも聴かせて遣りたい位です。

「天下に女は星の数ほど居るのだから!」

(誰かサン)ー→
ク〜〜、堪んネエなあ!・・・・こんな台詞、死ぬ迄に1度もいいから言ってみた〜い!宇宙の真ん中で叫んでみた〜イ! アホ!絶対ムリじゃ!!←ー(天の声)


「同姓である故、貴方の兄さんなら、私の兄と同じ事です。」

同姓不婚〕ーー是れが、中国5千年の社会倫理なので御座います。ですから固い事を謂えば

趙範 と 趙雲 の家の者同士は 、絶対に 婚姻関係には成れなかった、とも 言えたのですネ。でも

周囲の中には、更に勧める者も居たのです。

「まあまあ、そんな固い事言わずに、折角の美女ですぞ。ぜひ貰って措きなされ。彼女自身は違う姓なのですから、何の問題も有りません。後悔は先に立ちませぬのですよ。」

その時に言ったのが、先の言葉。

趙範は 切羽詰って降伏したに過ぎない。だから心底は 未まだ測り兼ねる。 それに、天下に女は大勢いるのだから。

その直後、『案の定、趙範は逃亡したが、趙雲は何の未練も持たなかった』・・・・と
正史・趙雲伝

書いております。まあ、美女と云う個人の欲望よりも、お家大事を最優先にした、御手本通りの

潔さを貫いた訳ですネ。《美女だけ頂いて!》などと思わぬ処が、流石に御立派!

そんな趙雲子龍であれば必ずや、気位が高く鼻っ柱の強い孫夫人を御して呉れるであろう。



ちょうど劉備
サンがそう思った頃、益州からの出動要請が為されたので御座います。

鳩首協議した結果ーー皆様ご存知の通り・・・・
劉備サンはホウ統や法正など小数の幕僚だけを

連れて、
益州へ乗り込む事となったので御座います。ちなみに此の時期の劉備陣営は・・

呉国の不幸 (大都督・周瑜の死) を勿怪の幸いとばかりに荊州全域に進出!火事場泥棒よろしく

長江以南の荊州全部を手中に収めてしまって居たのでした。同盟条約の約束ではーー

荊州のオーナーは孫権だが、劉備が益州を手に入れて実力を着ける迄の間、一時的に貸与

する。益州獲得のメドがついたら
返還する・・・・と云う内容でした。処が劉備陣営は、そんな約束

など何処吹く風ーー本来は孫権の所有地である筈の荊州内を、我が物顔に跋扈して憚らぬ軍事

行動を推進していたので御座います。そこで頭に来たのは呉の国の面々。ーーかくて友好同盟を

締結した両陣営の間には、刻々と険悪なムードが募ってゆく・・・・と云う、只ならぬ空気が漲り始め

様としていたので御座います。凛華サマにも大ショックだった「周瑜公瑾の逝去」をキッカケにして、


呉国の停滞劉備の伸張との 勢いの差が、次第に 明確に成ってゆくーーそんな

ターニングポイントの只中に、孫夫人は置かれ様とされて居たので御座います。

所詮は愛など無い、〔
政略結婚の犠牲者〕・・・・そうは思いたく無い!そうで在ってはならぬ!!

その強烈な思いこそが、生来のお転婆と合体して、運命に対する抗議・反発と成って発露している

のが、孫夫人の「我がまま流」だったのではないかーー私は密かにそう感じて居ります。


ーーさて、この益州からの誘いに如何に対処すべきか!?・・・・と云う訳で、各地に飛んで居た重

臣達が、久々に「公安幕府」に会同した。無論、趙雲も遙か桂陽の駐屯地から駆け付けて来た。

公式な作戦会議が撥ねた後・・・・劉備サンは特別に趙雲を呼んで頼みました。


「お前には儂が留守の間、もう1つ重大な役を兼務して欲しい。営奥の諸事をシッカリと頼みたいのじゃ。兎に角ワシは、あの女傑にはホトホト手を焼いて来た。女達も戦々恐々として、スッカリ脅え切ってしまって居る。そして何より、彼女の手に在る阿斗の事が心配じゃ。どうか遠慮なく、儂に代ってビシバシ取り仕切って欲しい!女にも強いそなたを見込んでの頼みじゃ!」

内心ホットして居る・・・・とは流石に言わない劉備サン。

「分かりました。女の1人や2人、この趙雲がキッチリ仕付けて御覧にいれまする!」

「あ、いや。今し、こんな情勢じゃから、暮れ暮れも穏便に、波風の立たぬ様には頼むぞよ。」

劉備陣営の様子は逐一、手紙で向こうに伝えられていた。

「その辺も心得て居りまする。」

「ハア〜ア、然し、もう勘弁して欲しいワイ。・・・・出来る事なら、向こうの方から出て行って呉れんかナア〜〜。それがお互い、一番善い道じゃと思うのだが・・・・。」

「お察し申し上げます。」

ーーで劉備サン、
趙雲留営司馬と云う、前代未聞の肩書を与えて格式を持たせ、奥向き

に関する一切の全権を委任したので御座います。はてさて、果して上手くゆくのでありましょうか?

そのイキサツを『
正史・趙雲伝』は、かく記している。

先主が益州に入る時、趙雲は留営司馬の役を兼務した。この頃先主の孫夫人は、孫権の妹である事を鼻に掛け驕慢で、多数の呉の官兵を率いて、したい放題の限りを尽くし法を守らなかった。先主は趙雲が厳格である事から、引き締める事が出来るに違い無いと判断し、特に任命して奥向きの事を取り仕切らせた。


孫権怒った劉備との同盟破棄全面戦争を決意した。
ひとの好意を踏み躙り、約束を無視し、ひたすら己の利益だけを貪欲に追い求め、その上臆面も
無く、孫権の版図までをも奪い盗った。その自己チュウの軍事行動には流石に
「劉備支援者
たる
魯粛も面目丸潰れ。先頭に立って全面戦争を主張した。だが其の前に解決して措かねば
ならぬ事が在った。劉備に嫁がせた
可愛い妹の命の安全身柄の奪還を果さ
ねばならぬ!! こんな事態も在り得ようかと、出来る限りの護衛部隊は送り込んでは在ったが、
何せ居場所は劉備幕府のド真ん中である。

そこで一先ず、全面戦争の決意と準備の方は隠して措き、不快な”気持”だけを伝える手に出た。

そして、その遺憾な気持の表れとして、
嫁の実家帰りを要求して見せた。国交断絶では無く

その1段階前の 大使館員の引き上げ を行なう様なものである。相手国に、此方はそっちの出方

次第、飽まで「様子見」なんだぞ!と云う素振りであった。 是れなら劉備側は、直接手を出す事は

出来まい。・・・・かくて事前通告を為した後、孫権は間髪措かずに、迎えの大艦隊を出発させた。

もし万が一、その要求を拒否するならば、此方は実力行使も持さぬぞ!と云う脅しであった。

然も、君主たる劉備本人は、もう公安には居無かった。今頃は国境を越え、益州内へ入り込んで

いるであろう。となれば家臣
(軍師の諸葛亮) の独断で、全面戦争と云う国家存亡の危険を犯す様な

道は、100%の確率で忌避するであろう。君主との連絡が間に合わぬ以上、ただ黙って見逃す

しかあるまい・・・・果して・・・・

「この日付では、もはや孫権は艦隊を出撃させていよう。仕方無い。この際は只、見て見ぬ振りを決め込むとしよう。完全無視に徹しようぞ。」

「まあ、ちょうど厄介払いが出来て、さぞや御主君もお喜び為さるでしょうナ!」

「ワザワザこんな事の為に、出先の諸将を呼び戻す迄もありませんゾ!」

どうぞ御勝手に!此方は一切預かり知りません!・・・・嫌がらせと云う訳で無いが、見送りの要員

なぞも一切手配しない事に徹した。ーーだが其処に、想わぬ隙が生じた。

「な〜る程ね。徹底的に私を無視して、日頃の恨みを晴らそうって訳ね・・・・好いでしょう。そんなら此方にも考えが有るワ。見ておいで、後で泣きべそ掻かせ上げるから!」

転んでもタダでは起きぬのが呉国の女の底力、、君主の妹たる女性の生き方であったーーそこで

孫夫人
は、ただ迎えの大艦隊を待って居る事を潔しとはせず、自分の方から能動的に動いて
劉備側を出し抜く作戦に出た。

「阿斗ちゃ〜ん、
お姉さんと 一緒に お船遊び に行く?」

だが阿斗は振り向きもせずに、相変わらず独り遊びに熱中して居た。

「もし、好い子に付いて来るんなら、
お姉さんのピチピチおっぱい、揉み揉みさせて上げちゃっおう かナア〜? もしかして オッパイちゅうちゅう の オマケ付き かもネ〜〜?」

「ーーおっぱい!!オッパイ、オッパイ、オッパイなら、ボク大ちゅき(好き)〜!!」

誰だって好きです。況してや普段は、チョビッと 触る事さえ 許され無かった阿斗でした。

眼の色を変えてスッ飛んで来た。
《ったく一体だれに似たんでショ!》ー→ま、こんな遣り取りは、さて置いて・・・・

孫夫人まんまと周囲を出し抜いたのである

真っ先に気付いたのは、矢張り、「留営司馬」趙雲であった。たまたま2、3日の出張で

出掛けていたのだが、帰って来てみて愕然とした!当然、阿斗は甘夫人の胸に返されているもの

とばかり思って居たのだが、何か不意に胸騒ぎを覚え、念の為に《奥》へ顔を出してみたのである

ーーすると、どうだ。何時もは「キェ〜イ!」「トゥ〜!」と裂迫の気合が木霊している孫夫人の館は

ヒソと静まり返り、美女軍団は勿論の事、ネコの仔
匹見当たらぬではないか

「それは未だ2日先の事だと聞いて居りますが・・・・?」

キョトンとした顔をするだけの甘夫人。他の女達もキツネに抓まれた様な怪訝な顔をするばかり。

しまった!拉致じゃ!阿斗サマは誘拐されたのじゃ!!

慌てて駆け出す趙雲。忽ち、公安の劉備幕府は騒然と成った。

趙雲が激走した先は、長江の岸部に在る艦隊司令部だったーーが既に時遅し。見渡す川面には

其れらしき船影を見つける事は出来無かった。考えてみれば、此んな目立つ基地から出航する筈

も無い。だとすれば、乗っている船は小型な物であろう。一縷の望みであった。

《快速艇で追いかければ、追い着けるやも知れぬ!》

出迎えの大艦隊と合流されたら万事休す!である。何としても、その前に・・・・

「船だ!直ぐに艦隊にスクランブル出撃を命じよ!万が一の場合には、呉との艦隊決戦も辞さぬ覚悟でテキパキと致せィ!!」

声を励まし、苛立つ趙雲。と其の時、気の利く部下の1人が言った。

「今、下流の××津には、張飛将軍 が居られます!そちらと 連絡さえ取れれば、随分と時間が
稼げましょうものを・・・・!」

「そうか!よくぞ申して呉れた。では儂自身が、その役と成ろう!その方、儂の供をせい!」

「イエッサー!万事承知致しました。直ちに最速船と、そのカコ (漕ぎ手) を準備致しまする!」

「頼む!阿斗さまの命は全て汝の手に懸かっておるのじゃ!」

「ラジャー、サー!!」

その特殊伝令船の、速いこと速いこと!・・・・趙雲が叱咤激励をする必要もなく、丸で長水の上を

翔ぶが如くであった。《ーーナムサン、間に合って呉れ!》

猛追すること半日。遂に 【それらしき船団】 を発見した。だが趙雲は焦らず、冷静沈着であった。

船団に近づくと船速を普通のスピードの落とさせ、自身は船底に身を隠しつつ、何喰わぬ呈で脇を

擦り抜けた。その後で、船団が不審を持たぬ距離に先行するや、また再び猛烈なスピードで張飛

の軍営を目指させた。そして更に半日・・・・・

「ガハハハ、また急な来訪じゃな。先ずは駆け付け三杯だ。」

一升徳利を肩に掛けた姿で、
張飛益徳 が現われた。

「それにしても ヒデエ姿だナア〜! 何時もダンディな 御前らしくも無えぞ。丸で、長阪坡
 遭った時みてえな、ヒデエ塩梅では無えかヨ。」

「それです!江の長阪坡で御座る

「はあ〜?何のコッチャ??」

事の一部始終を語る趙雲。
「何イ!」 眼の玉をひん剥いて驚く張飛。

「ヨッシャ分かった!一刻の猶予も無エナ!後は此の俺様に、ズンと任せて置け!」

愛用の一升徳利を趙雲に手渡すと張飛、直ちに表へ飛び出して命を下す。

「ーーそれにしても、オメエと俺の組み合わせは、何時も此んな場面ばっかしだナア〜!」

何とか阿斗の危急に間に合いそうだと判り、幾分ホッとした顔付の趙雲に向って張飛が言った。

「1度お救いした阿斗様に 此処で遭難されては、御主君の期待を裏切る事となりまする。」

「ガハハハ、まあ精々、兄者の期待に応えようではないか!」

処で・・・このオッパイ坊やの阿斗こと後主劉禅 (字は公嗣) の生育歴
については
トンデモナイ妄説が存在する。紙面のムダかも知れぬが大して長くは 無いので一応照会して措く。その真意については後述する。


『昔、劉備が小沛に居た頃、思いがけなく曹公が急襲して来たので、慌てて家族を見棄て、のちに

荊州に逃走した。劉禅はその時5、6歳であったが、密かに逃れ、人に付いて西の漢中に潜入し、

人に売り飛ばされた。建安十六年、関中が敗れ混乱に陥ったので、扶風の人・劉括は乱を避けて

漢中に入り、劉禅を買い取った。然し問い糺して彼が良家の子であると知り、そのまま養子とし、

妻を娶らせて一子が生まれた。然し劉禅は劉備と逸れた時、彼の父の字が玄徳だと覚えていた。

そのころ舎人に簡と云う姓の者が居り、劉備が益州を手に入れるに及んで、簡は将軍と成った。

劉備は簡を漢中に派遣し、簡は都邸に宿泊した。そこで劉禅は簡の元へ出向いた。簡は劉禅の

言葉を事実と照らし合わせると、事柄は全て符合した。簡は喜んで張魯に話すと、張魯は劉禅を

沐浴させて益州に送った。そこで劉備は彼を立てて太子とした。・・・・(以下略)・・・・』


是れは補注に斐松之が載せる『
魏略』である。本書・統一志も、断り書きを付しつつではあるが

結構お世話になっている。但し、肝腎な斐松之自身が、「是れはトンデモナイ妄説である!」と検証

して見せているのである。ーー詰り筆者は、『正史・三国志』以外の史書の信憑性は、この程度の

モノである・・・・と云う事を再確認・再認識して戴くと同時に・・・・検証しなくては、「丸っきりのフィク

ションである!」とも断定できぬ程に、三国時代の記録は押し並べて「不確かのモノ」である事・・・・

畢竟
三国志世界は、遙か2千年の時空の彼方に在る 事を言いたかった


ーーとか何とか言いながら (舌の根も乾かぬのに)・・・・

「ウヌ、出たな妖怪!

張飛と凛華の両方ともが、互いの顔を見て、同時に言い合った。確かに言い得る?

「阿斗さま、その女は本当の母上では御座いません!只のオバサンですぞ!」 と趙雲。

「オバサン??・・・・お姉さん、じゃ無いの?」

「そうです。
オネエサンでは無く、確実に”オ・バ・サン”です

「んま、失礼な!変に強調しないで頂戴!
こう見えても、是れで結構ナイーブなんだから・・・・

こんな問答の有る筈も無いが、 張飛率いる艦隊の出現によって、形勢は一気に逆転した。

「呉艦隊の到着を待つ為の”時間稼ぎ”はムダと心得なされ。この際、問答は無用!謝罪の言葉も一切不要!ただ阿斗様だけを此方にお返しして戴きまする!」

「ーー・・・・!」 流石の孫夫人も、趙雲だけは苦手であった。何処とは無しに、周瑜公瑾の佇まいとダブる、”男の香り”がする相手であった。

「今更ジタバタすんなヨ!俺は女でも斬る!」

「へ〜ん、そんな脅し文句にビビる孫凛華サンじゃ無いワヨ!ま、でも、こう成ってしまっては仕方は無いわネ。・・・・じゃ、阿斗クン。これで冒険旅行はお終いヨ。お別れだわネ。あんまり良いお母さんでは無かったけれど、元気でね。きっと忘れてしまうでしょうけど、また何時か会える日も有るかも知れません。」

最後に孫凛華、誰に言うともなく言った。

「両方の国同士が、心の底から信じ合える日は来るのでしょうか!?」


かくて趙雲は、幼い劉禅の窮地を、前後2度に渡って迄も救う事と成ったのではある。

孫権は、劉備が西征の途に昇った と聞くと、妹を迎える為に 大艦隊を派遣して来た。 孫夫人の方は 内心、後主を連れて帰りたいと願って居たのであるが、趙雲が 張飛と共に兵を指揮して長江を遮ったので、かろうじて 後主を取り戻す事が出来た のである。 ーー(正史・趙雲伝)ーー



そして、
孫権の妹・孫夫人の存在は、この逸話を最後として、もはや 2度と再び史書に

登場する事は無くなるのである・・・・淋しいが、仕方の無い現実である。


さらば、孫夫人!さらば孫凛華

そして
ジャジャ馬姫よ永遠に!!








ーーだが然し・・・・いつ迄も、そんな余韻に浸って居られる程、現実は甘く無い・・・・

単身赴任中に
女房に逃げられた格好の劉備玄徳

(もっとも本人はホッと胸を撫で下ろしたに相違ない。実際この後には、チャッカリ敵・劉璋の
兄の未亡人を正妻に迎え、劉備贔屓の習鑿歯しゅうさくしにさえ「漢晋春秋」の中でマチガイで
ある!と指摘される) のであるがーー


終に、
人生最後で 最大の挑戦に、己の存亡を賭けようとして居たのである・・・・!!

果してスンナリと
得て
ダメ男返上と成る事が出来るか?【第179節】 蜀の建国戦争T (ルビコンの鬼) →へ