第169節
西の核爆発
                                 馬超の強襲

馬超は出陣の前に、韓遂に向かって言い切っていた。

血を吐く様な、凄絶な覚悟であった。

「私の父親は・・・・既に此の世には 居無くなりました。本日只今
 からは、私は 貴方を 実の父として 仰ぎます・・・・!!」


勿論、馬超の父親
馬騰業卩城に存命して居た。父だけでは無く、母も兄弟も一族郎党の
全員が曹操の元で暮らしている。 父は己の意志で、自ずから
業卩に出向いた。 だが 事実上は
人質に過ぎ無かった。だから、息子である自分が曹操に叛抗すれば、どうなるか!?・・・・それを
誰よりも一番切実に識っているのが馬超であった。それに最も懊悩して居たのが馬超であった。

にも拘らずこの男は、鬼神を欺くが如き決断の道を選択したのである。

時代こそ違え、もし我々が、父母も兄弟も親戚の全員をも殺されて尚、貫きたいとするものが在る

とするなら、一体それは何なのであろうか??ーー無論、そんなパラドクスは、現代社会に当て嵌

める事自体に無理があり、無意味ではある。然し馬超の決断は、当時としても尚、尋常一様なもの

では無かった、と云う事だけは思い遣られるのではなかろうか・・・・・。

其れを「誇り」とか「叛心」とか「男気」とか「意地」などの言葉で片つけてしまうのは容易いが、社会

心理学・人間心理学・哲学・倫理学ETCETCを総動員しても尚、本当の処は分からない。





211年3月ーー曹操は、河東郡(黄河の北岸)に駐留する司隷校尉の鐘遙 前軍師に昇格させると作戦行動開始を命じた。と同時に太原に駐留して居た征西護軍夏侯淵に南下を命じ、河東での合流を指示。遂に征西の軍を起こした。
公式発表では、その目指す相手は
漢中の張魯であった。となると 当然ながら、曹操軍は 関中を通過・行軍して行く事となる。その場合、進撃ルートは2つ、方法は3つ在った。

つは・・・・黄河〜渭水の南岸沿いに長安に至る〔南岸コース〕。洛陽→函谷関潼関長安
船舶を一切使用せずに、陸路を一直線に突き進む進撃路。
つは・・・・河東郡から(北に直角に折れた) 黄河を西に渡り、渭水の北岸沿いに進んだ後、今度は
渭水を渡河して長安に至る〔
北岸コース〕。黄河と渭水を2度、渡河する事となる。但し、単に渡河の為の船舶だけで臨む場合には、とてもの事、10万単位の大軍を一気に渭水上流(西)へ運ぶ事は出来無い。ピストン輸送していたのでは、先着した少数の揚陸軍が襲われる恐れが有る。故に結局は、渭水の入口付近での渡河を余儀無くされる。
では
つ目の戦術として・・・赤壁戦に用いた如き大艦隊を編成して、黄河から渭水へと乗り込み
一気に長安へ揚陸するーー謂わば
海兵隊構想である。・・・・が流石に、この大艦隊構想は実現
不可能であった。只でさえ手元オケラ気味の曹魏政権である。この一戦の為にだけの、使い捨て
大艦隊を建造するだけの余裕は無かった。


ーーとなれば矢張り、現実的には上記2コースとなる。

だが其の現実・・・・曹操軍よりも更に早く、相手の方が先に軍事行動を開始していたのであった。

曹操の
先遣軍が到着する前に、韓遂馬超に率いられた関中連合軍 既に「潼関」を占拠して待ち構えて居たのである!!

それはそうであろう。10余万もの大軍団の準備行動が相手に伝わらぬ筈が無い。況してや、曹操

本人が大々的に吹聴して居たのである。いくら「お前達が相手では無い」などと誤魔化そうとしても

百戦練磨の
糞ジジイが黙って見逃す筈も無かった。又、実戦の総大将である馬超は、この

時の為にこそ生きて来たのである。それに呼応した残る8諸将も、続々と「潼関」に集結して来た。

その数およそ数万。全てが騎兵だった。曹操の「
虎豹騎」と全く引けを取らぬ、「胡騎」精強軍団で

ある。この後にも更に、歩・騎兵が陸続として駆けつけて来る予定であった。まともに激突したら、

双方に甚大な損害が生ずる可能性があった。否、地元の利を活かした連合軍の方が、寧ろ有利

だとさえ言える程の大軍団であった。 ・・・・・※『典略』 参照・・・・↓

10部隊と共に反乱を起こした。その軍勢は10万で、共に黄河・潼水を楯に陣営を列ねた。


それを予測していた曹操は予定通り、この潼関へ向けて 直ちに〔本軍先鋒部隊〕を送り出した。

その司令官は、従弟で
安西将軍曹仁であった。江陵城で周瑜と対峙し続け呉軍

を散々に悩ませた、歴戦の血族部将である。粘り強さを学んでいた。 

夏侯淵が《攻撃型の猛将》なら、この曹仁は《守備型の勇将》であった。慎重を期して、直ちに事を

決しようとはしないであろう。ーーその曹仁に対して曹操は、更に命じた。

関西ノ兵ハ精悍ナレバ、壁ヲ堅ウシ、共ニ戦ウ事ナカレ!

・・・・儂がゆく迄は軽挙盲動する事なく、ひたすら守りを固めてジッとして居れ!

・・・・此方が気圧されて、身動き出来ずに難渋して居る様に振舞え!

・・・・相手を勢いづかせ、もっともっと増援部隊が遣って来る様、調子に乗せさせよ!

ビビッて見せる事も、曹操の作戦の1つであった。

更に曹操は自身が出陣する前に、後方支援体制を強化した。函谷関〜潼関を南北に挟む2つの

郡に臨戦態勢を施したのである。既に北に隣接する
河東郡には太守の杜畿が在り

備えは万全だったが、潼関の南 に隣接
と言うより潼関を所轄する弘農郡を”西道の要”として

重大視したのである。そこで議郎・参司隷軍事の
賈逵を太守として送り込み、その支援体制

の万全を期したのであった。


尚、再確認して措くべきは・・・・この曹操の〔張魯=漢中討伐〕を名目にした、「関中」に対する軍事行動の開始は、その更に南に在る益州の【劉璋】をビビらせ、もう1つの大きな潮流を呼び醒ましていたのである。ー→既述の如く・・・・
十六年(211年) 州牧の劉璋は、曹公が鐘遥らを遣わして 漢中に向かわせ、張魯を討伐しようとしていると遙かに聞き、内心恐れ慄いた。別駕従事・蜀郡の張松は劉璋に進言した。
曹公の軍は強力で天下無敵でありますから、もしも張魯の軍需物資を利用して蜀の地を取ろうとしたならば、誰が之を防禦できましょうや。
「儂も言う迄もなく、それを心配しているのだが、未だ計略が立たないのだ。」
劉豫州は殿の御一族に当たる上、曹公の仇敵です。 用兵も巧みですから、もし彼に張魯を討伐させれば、張魯もきっと敗北するでしょう。張魯が敗北すれば益州は強力と成り、曹公が来攻して来ても、為す術も無いでしょう。
劉璋は之を尤もだと考え、法正に4千の兵を統率して先主を迎えに遣らせ、前後にわたり巨額な
贈物を送った。法正は其の機会に益州を取る為の策を具申した。
』ー→劉璋から迎え入れられる格好で、劉備が益州に乗り込んだのは、実に今、此のタイミングであったのだ!!曹操が北から、劉備は南から、ほぼ同時にヨ〜イドン!をして夫れ夫れに「益州」獲得の争奪レースが開始されていたのである。





さて、その北の曹操・・・・自身が、本軍主力数万余を率いて潼関に着陣したのは
7月に入ってからの事であった。その随行させた幕僚の顔ぶれたるや如何にも曹操好みの

一癖も二癖も有るぶっ飛んだ面々であった。・・・・太中大夫の
言羽かくは言わずと知られる

策士。また将軍の
婁圭ろうけいは、曹操をして「子伯の計略は、私の及ぶ処では無い!」と言

わしめる謀士であり、余りの智謀を恐れた曹操は後日、難癖を着けて粛清してしまう程であった。

軍師祭酒の【
張承】、丞相主簿の【趙儼】、掾属として【徐奕】・【竇輔】・【鄭渾】も亦みな只者では

無い。護羌校尉の【
楊沛】なぞは、督軍と喧嘩した廉で コン刑 (ツル禿げ)5年を喰らっていたが、

その厳格有能さを見込まれて、服役中だったのを引っ張り出されていた。



さて、そんな面々を従えた曹操は、潼関に集結した関中連合軍の実態を目の当たりにして、ハタと

考えたーー
夫関に当れば万夫の能わざる・・・・と謳われる函谷関だ。潼関はそれ以上の嶮所・

狭隘な難所であった。それだからこそ、
韓遂の糞ジジイは此処に陣を敷いたのである。

《こりゃ、とても力押しに頼っても、突破は無理だワイ!》

曹操が出て来た と知った韓遂・馬超の連合軍には、更に続々と 増援部隊が来着し、この潼関の

地点に全軍を集結させる作戦の様であった。益々もって潼関の突破は不可能と成ってゆく。

曹操は守りを固め、双方の睨み合い状態が続いた。守るは有利、攻めるは不利・・・・此処・潼関

での会戦だけは、是非にも避けねばならない。だが曹操はわざと、直ぐには動かなかった。

それ処か、何故ゆえにか判らぬが、どこか面白がって居る風さえ有った。

《ーーウフフフ・・・・どんどん集まって来い。もっともっと皆〜んな集まって来て呉れヨ!》

内心では手を打って喜びたい気分だったのだ。広大な関中に点在割拠して居る諸将を、1つ1つ

潰していたのでは何時まで経っても埒が明かない。それを向うの方から、一網打尽にして下さい!

と言わんばかりの大集結・・・・願ったり叶ったりの”勿怪の幸い!”であったのだ。

月に入っても事態は一向に好転する兆しも無い儘、ただ徒に時間だけが過ぎていった。

実は曹操・・・・とっくに方針は決めて居たのだが、時間稼ぎをして居たのである。

《一旦黄河を北に渡って河東に出た後、今度は黄河を西に渡河して潼関を迂回するしかあるまい》

そう決断した曹操は密かに
除晃朱霊等に命じて潼関の迂回路を確保させた

のである。すなわち、敵に気付かれぬ夜間を利用して、北流する黄河上流20キロ程に位置する

蒲阪津ほはんしんの渡しを西に渡河させ、揚陸地点を確保させたのである。そうして措けば、此処からUターンした格好で 潼関を避けて、敵の背後に出る事が出来る。
その方策の決定について、『
正史・徐晃伝』では 徐晃の方が進言した記述となっている。

『韓遂・馬超らが関右で反乱を起こすと、徐晃を汾陰に駐屯させて河東を鎮撫させ、牛酒を賜わい

先祖の墓を祀らせた
(徐晃は河東出身)。太祖は潼関まで来ると、黄河を渡河できぬのを懸念し、徐晃

を召し寄せて質問した。徐晃は言った
(※曹操がそう言わせた、と観る方が理に適ってはいる)

「公が此処で兵力を誇示して居られますのに、賊は更に別軍を出して、 蒲阪を守備して居ります。彼等の思慮の無さが判ります。いま私に精兵をお貸し下さい。蒲阪津を渡り、我が軍の為に先に陣営を設置し、敵の背後を絶ちましょう。賊を捕える事が出来まする!」 太祖、「もっともじゃ!」

徐晃に4千の歩騎兵を与え、蒲阪津を渡らせた。塹壕と木柵が未だ完成しない裡に、敵の
梁興

夜間5千余の歩騎兵を引き連れて、徐晃を攻撃して来た。だが徐晃は之を撃退し、曹操の渡河を

可能にした。』ーーこの記述から判る事は、連合軍側も、ただ潼関を守って居ただけでは無かった

と云う事である。いや寧ろ 『山陽公載記』によれば、【馬超】は曹操の此のUターン作戦を見破って

居たのである・・・・その記述・・・・『曹公の軍が蒲阪に駐留し、黄河の西岸に渡る計画を立てた時

馬超は韓遂に向かって言った。「渭水の北で之を防ぐべきである。20日に満たずして河東の穀物は底を尽き、彼は必ず逃走するであろう。」 それに対して韓遂は、こう答えた。

「まあ、自由に渡らせておけ。河の中で苦しませるのも、いい気持じゃないか。」

その為に馬超の計画は実行されなかった。のちに其の事を聞いた曹公は言った。

「馬の小僧が死なない限り、儂には埋葬される土地も無い!」 と。』



ーーかくて、その徐晃の 「蒲阪津確保!」 の連絡が届くや、曹操は全軍を黄河の北へ

渡河させる事にした。自身は、全軍の渡河が完了したのを見届けた上で、後からゆっくり行く心算

であった。・・・・だが、だが然し・・・・ここで、


糞ジジイ秘蔵の
核爆弾が炸裂した
馬超乾坤の強襲であった!!

馬超は出陣の前に、韓遂に向かって言い切っていた。

血を吐く様な、凄絶な覚悟であった。

「私の父親は・・・・既に此の世には居無くなりました。本日只今
 からは、私は貴方を 実の父として仰ぎます・・・・!!」


勿論、馬超の父親【馬騰】業卩城に存命して居た。父だけでは無く、母も兄弟も一族郎党の

全員が曹操の元で暮らしている。 父は己の意志で、自ずから
業卩に出向いた。 だが 事実上は

人質に過ぎ無かった。だから、息子である自分が曹操に叛抗すれば、どうなるか!?・・・・それを

誰よりも一番切実に識っているのが馬超であった。それに最も懊悩して居たのが馬超であった。

にも拘らずこの男は、鬼神を欺くが如き決断の道を選択したのであった。

時代こそ違え、もし我々が、父母も兄弟も親戚の全員をも殺されて尚、貫きたいとするものが在る

とするなら、一体それは何なのであろうか??・・・・答えは解らない。ただそうした全ての事どもが

綯い交ぜと成って表に現われた時、それは・・・・
〔煮え滾る憤怒〕 として噴出するに違い無い。相手を殺し滅ぼす迄は収まらぬ激怒・憎悪であろう。

それが曹操を襲った!!

曹操としては、殿から悠然と渡河する心算で居た。対峙しているとは謂え、敵との間には尚相当の

距離が有り、互いが視認し合える程では無かった。更に、渡河地点は、より後方を選定してあった

から、何の危惧も無いと判断して居たのである。無論、万が一に備えての警備態勢も手抜かりは

無かった。だから渡河作戦自体は全て順調に捗り、途中何のトラブルも生じ無かった。

曹操はそれを見ながら、悠悠と軍扇をくゆらせると輿に乗り込んだ。詩賦の1つでも捻ろうかーーと

その手にした扇が根元から吹き飛んだ。・・・・????一瞬、何が起こったのか解らなかった。

思わず振り向いたが、全軍が船上に去った跡の辺り一円は、ただ ヒソと静まり返っているだけで

あった。だが
侍衛の許猪だけは、ビクンと総毛立っていた。獣の本能が危険を感じ取って

サッと主人の身を庇っていた。今、手元に在るのは 近衛の虎士百人に過ぎなかった。その周囲に

は更に2、3千の部隊も在ったが、既に北岸に上陸した諸将は、幾ら経っても渡って来ない曹操を

訝しんで、ただ小手を翳して対岸を見遣って居るばかり・・・・。

「ーー馬超・・・・でしょう!」 許猪は肝の据わった低い声で、それだけを言うと、後は曹操の襟首を

引っ掴むと、有無を言わせず主君を輿から引き摺り出していた。ーーそれは、許猪が曹操を小船

に押し込むのと同瞬だった。・・・・ただ、地鳴りだけが伝わって来た。 然し次の瞬間、空気を切り

裂く飛矢の嵐が、虎士100人の半数を一挙に射殺していた。無言の敵こそ真に強い。虚仮脅しの

喚声など不要なのだ。ただ真っしぐらに、絞り込んだ1点に襲い掛かる。憤怒が全身を覆い怨みが

燃え滾る。それだけで充分であった。 馬超 率いる最精鋭1万騎が、全速力で迫って来た。恐らく

矯めに矯めて、此の一瞬の隙だけを狙って居たのであろう。 眼も開けて居られぬ程の暴風雨で

あった。そして 泡を喰らった曹操が ズブ濡れ状態で、乗船にモタついて居る間に、 敵の突撃隊が

突如、爆走して来た。その先頭で戟を振り翳しているのが馬超本人であろう。

ーー
ヤバイ!可也ヤバイ!!非常にヤバイ!!ヤバ ッ!! 

このまま突っ込まれたら、津波に飲み込まれる様なものだった。絶対に助からないであろう!!

・・・・と其の時、〔或る男〕が、咄嗟の機転を利かせて
”時間稼ぎの手”を打って呉れたのである。

校尉の
丁斐であった。と言うより牛泥棒の丁やんの方が通りが早い。何せ

事もあろうに、主君・曹操の牛を掠め盗り、監獄にぶち込まれて居たのを、曹操が面白がって引き

連れて来ていたのである。 謂わば、バリバリの?服役囚・ 現役のコソ泥 だった訳 ナノデス。

ーー以前、呉に遠征した折の事・・・従軍していた丁斐は、丸々と肥えた官牛
(牽牛)を見ている裡に

ふと、自分の家の牛クン達が、皆〜んな痩せっぽちな事を思い出した。そこで丁やん、こっそりと

官牛を家に連れ帰ると自分チの痩せ牛と総入れ替えして、後は知らんぷり。結局バレて牢屋ゆき

官位も剥奪され印綬は没収された。ーーそこで曹操、「おい文侯
(アザナです)、印綬はどうした?」と

からかった。丁斐、「餅と取り替えてしまいました。」曹操、大笑い。放免して元の通りに復帰させた

「何で、ですか??」 訳を訊いた者に曹操は言った。

「或る家に、鼠を捕まえるのが上手い 盗っ人犬が 居るのと同じ事ヨ。盗みによってチョットは損をするが、然し、儂の袋の中の貯えの方は、完全に守って居て呉れる・・・・と謂う訳サ!」


今し丁やん、その御期待通り、そのお得意の牛クンや馬サン達の手綱を全〜ん部ほどいて、敵の

眼の前にオッポリ出し、プレゼントしてやる作戦に出たのである!

公は潼関から北に渡河した。 渡り切らぬ裡に、馬超は岸の船に向かい激しく戦いを仕掛けた。

校尉の丁斐は、牛や馬を解き放って賊軍を釣る餌とした。賊は混乱して牛や馬を取りに行った。

                                           
 ーー『正史・武帝紀』ーー

それは其処、ひとサマの良い家畜を欲しがる魂胆に懸けてはお手の物の丁やん・・・・敵の兵士達

は皆、家畜イノチの遊牧民だから、その業突く張り振りは自分以上だろうと読んだ。するや案の定

「ワオ〜、お宝が逃げちまう〜!!」とばかり、戦争そっち退けで四つ足の方に血眼となった。

丁やんの読み筋も大したモンだが、それ以上に曹操の眼力は上を行った訳である。


「早く、船をだせ!」 許猪に怒鳴りつけられる迄、恐怖の余りに立ち竦んでいた船頭が、やっとの

事で櫓を漕ぎ出した時、既に
馬超の愛馬は汀に踏み入っていた。岸辺に取り残された兵達は

防ぐ暇も有らばこそ、バタバタと薙ぎ倒されている。敵わぬと観た味方の兵達に残された逃走路は

つ。数少ない船にしがみ付く事だけであった。一斉に波打際に殺到する。だが皮肉にも、この

大パニックが曹操を延命させた。馬超の眼の前もザコで溢れ返り、追撃が阻まれてしまったので

ある。そこで馬超はキリキリと
の矢を引き絞った。の矢は寸手の所で曹操の軍扇だけを吹き

飛ばしていた。曹操の命を絶つ為に特別誂えした黄金の矢であった。

「曹操〜、我が一族の怨みを思い知れ〜〜!!」  矢が放たれると同時に 馬超は叫んでいた。

この近距離からの狙撃である。馬超ほどの者が射損じる筈も無い。


叛と憤怒を載せた黄金の飛矢は
狙い違わず
          曹操の脳髄を砕け散らせた!!


ーーと見えた・・・が、その寸前、馬超の飛矢は間一髪の所で阻止されていた。許猪が楯代わりに

翳した馬の鞍が、その意志を吸い取ったのである。

「おのれ〜小癪な!」言うや馬超、今度は船頭を狙った。今、許猪は左手で鞍を翳しつつ、右手の

剣は船縁に縋り付こうとする、味方の兵を斬り殺す事に躍起となっていた。漕ぎ手の船頭さえ射殺

せば、曹操の乗る小船は黄河に流されるばかりとなり、再び岸側に漂着してしまう・・・

そして第
の矢は、馬超の思惑どうり、船頭の胸板を貫通した。

「よし!」 と呟くと、馬超は愛馬を更に黄河の中へ煽り立て、曹操に接近した。するや願い通り、

曹操の小船は此方に向かって徐々に押し戻され始めた。

「今度こそ、きゃつの最期じゃ!」 弓矢が届かぬならば、直接この手でトドメを刺してやる!!

牙を剥いた馬超の怨念と執念とが、曹操を地獄へと導く。下流へ下流へと馬超も亦、小船を追い

かけて愛馬を進める。あと僅か10数メートル!曹操と馬超と許猪の眼が交錯した。曹操の顔には

驚きと恐怖の色が刷かれている。それが見て判る程の至近距離となった。馬超の耳元にも、絶え

間ない飛矢の切り裂き音が響いている。 「流れ矢なぞで死なせるものか!」

此処まで来たら望みは唯一つ・・・・己の手で曹操の命を断ち切る事!!


が此の時、その馬超の眼の前で、
信じられぬ事態が起こった・・・・な、何と、剣を置いた
許猪が其の右手本だけで、鈴生り状態の雑兵達を引き摺った格好の儘、委細構わず 櫓を漕ぎ始めたのである。 流れの抵抗力と、今にも沈没しそうな人間達の重さに耐え、然も左手
には針鼠と成った馬の鞍を翳しながらの
超人業を開始したのである!!
  
折角縮まった曹操との距離が、このアホの馬鹿力の為に、再び遠ざかり始めたではないか!?

「やい、この超デブ野郎〜!此処で、そんな事すんな〜〜!!」
歯噛みして罵る馬超・・・・・だが、その怨みの声を無視する様に、徐々に遠ざかる舟影・・・・
もはや人間の仕業では無かった。アホ虎=
虎痴 の 面目躍如たる一場面であった。

やがて弓矢の届かぬ距離まで来ると、許猪は鞍を船底に置き、鈴生りの雑兵達全員を斬り殺した

それでやっと沈没を免れると、今度は両の手で再び櫓を使い、全速力で北岸に達したのである・・・


かくて曹操は赤壁での敗走より、もっと危険な生涯最悪の死地を 脱する事が出来た。而して其の原因は全て曹操の油断が生んだズッコケ劇であった。許猪の男振りは一段と上がったものの、それに対する軍神=曹操の、何とも はやカッコの

悪い事ーー全体、こんな見っとも無い起ち上がりで、この先果して無事にやって行けるのだろう

か?? 非常に怪しいムードが濃厚である・・・・だがまあ、そんなキツイ事を言わずに、この時の


様子を『
正史・許猪伝』に見て措こう。 尚、重複を避ける為か、『馬超伝』 の方には唯、

「潼関ニ着陣シタ」 とだけの記述しか見えない。
←←← ( だから紀伝体はキライじゃ!!)

・・・・付き従って韓遂・馬超を潼関に討伐した。太祖は北方に渡ろうとしたが、黄河を渡る前に 

先に兵を渡し、許猪および虎士100余人だけと南岸に留まって背後を遮断した。 馬超は歩兵・

騎兵1万余人を引き連れ、太祖の軍に攻め寄せ、雨の様に矢を降り注いだ。 許猪は太祖に、

「賊の来襲が多く、今や兵の渡河も終ったからには、直ちに去るべきだ!」 と言上した。


そして太祖を助けて船に乗せた。賊の攻勢は激しく、味方の軍兵が争って渡ろうとし、

船は重みで沈没しそうになった。 許猪は船に攀じ登って来る者を切り捨て、左手で馬の

鞍を掲げ、太祖を庇った。 船頭が流れ矢に当たって死ぬと、許猪は右手で船を漕いで

溯のぼらせ、やっとの事で渡る事が出来た。

この日、許猪なくば、本当に危ない処であった。

真に以って際どい生還であった・・・・訳である。なのに曹操、減らず口を叩いて見せた。

その間、先に北岸に上陸して居た 諸将・諸官吏たちは、対岸で巻き起こった事態を憂慮し、幾ら

経っても姿を現さぬ曹操を心配して、只オロオロするばかりであった。中にはとうとう涙ぐんだり、泣き出す者さえ 出て来ていた。 口にこそ出さぬが、誰しもが心の片隅に
もしや!!

という不吉な想いを抱かざるを得無い時間経過であった。

・・・・処がやがて、
【許猪】の操る小船に乗った【曹操】が、何時もの通りに 手を振りながら、

「ピース! ピース!」 の パフォーマンスで現われた。

《てへへ、チョットばかし 恥ずかしい
カモ・・・・》

どっとばかりに駆け寄る群臣たち。泣き笑いでグショグショの顔、顔、顔!!

ーーで、曹操、そこで一言。

「余は・・・・
一同ゴクリと固唾を呑む 余は・・・・今日、 チビッと 遊んじゃった♪」 ズコッ!←← (家臣一同)

曹操ー→頭、掻き掻き・・・・でへへ、メンゴ、メンゴ ・・・・『
曹瞞伝』より





一方、地団駄踏んで口惜しがったのは
馬超であった。今一歩の所で 大魚を逸した

その強襲は届かなかったのである。

「まあ、曹操の小僧をビショ濡れにビビらせたのは愉快ではないか!」  「ーー・・・・・・・」

韓遂のオヤジは、そう言って慰めてくれたが
ストイック馬超にはどうにも収まらない

「未だ未だ此の先は長いぞ。幾等でもチャンスは有ろうサ!」

そう言いつつも
韓遂は、父母や弟妹達を偲ぶ思いを忍んでいる、この若者の心を思い遣って

思わず知らずに天を仰いだ。 もはや2人とも、後戻り出来無い地平まで踏み込んだのだ。自分は

いい。もう充分とも言える。だが馬超達は違う。

「それにしても、チョット拍子抜けのする弱さであったナア〜。あの必死の逃げっぷりは、どう見ても芝居とは思えんシ・・・・。」

「所詮、あれだけの男なのでしょう。それが最初から判っていたらーー返す返すも無念です・・・・。」

「逆に、此方から人質を要求しよう。その後に人質交換すれば良い!」

「私個人は、もう拘りませぬ。然し、諸将の中には其れを願う者の有りましょう。ーーいずれにせよ此方が勝たねば進まぬ話しです。」

「その点は、油断さえしなければ、追い返せるじゃろう。追い返すだけなら、此方が有利だ。」

「追い返す・・・・だけ・・・・ですか?」

「それ以上を望むと怪我をするぞ。」

「覚悟の上で立ちました。」

「まあ、好いだろう。じゃが焦るではないぞ。」

「ーー・・・・・。」 若い者には 若い者の 考えも有ろう。




すっかり敵に侮られた曹操ーー軍神が聞いて呆れる。

・・・だが、このまま引っ込んで居る男では無いであろう。初っ端にコケたがーー

此処からの 〔巻き返し〕 こそが、この男の真骨頂であった。

軍神
畏敬されて来た人物奥義遺憾なく発揮される事となる!! 【第170節】 軍神の奥義 (大草原の単馬会)→ へ