第158節
恐妻家 発生す
                               美女将軍のウェディング


昔むかし或る所に、それはそれは美しくて強い、独身の女王様が居りました。それを聞いた隣りの

国の王様は、是非にも自分のお嫁さんにしたくなりました。ところが噂では其の女王様は、結婚を

申し込んで来る男達には、必ず自分との武術試合を行ない、自分を負かさぬ限り嫁にはゆかぬと

宣言しているとの事。そして実際にも多くの英雄・豪傑達が打ち負かされて求婚に失敗し、未だに

乙女の儘で在り続けて居ると云う事でした。 そこで王様は大変不安になり、心強い
勇者を従えて

隣りの国に行く事にしました。何しろ其の勇者はドラゴン(毒龍)と戦って勝ち、その血を浴びた為に


不死身
と成っておりました。(但しその龍の血を浴びた時に、両肩の間に菩提樹の葉が落ちて来て

其処が唯一の弱点と成っていました・・・・ギリシャ神話のアキレスの逸話が加わったものですネ。)


更には、小人族の王を降伏させた時の戦利品として、其れを着ると姿が見えなくなる〔
隠れ蓑〕も

持っている、世界1の勇者と言われていたのです。だから王様は、彼の助けがあれば、きっと武術

試合に勝って、目出度く女王様を妻にする事が出来るに違い無いと考えたのです。そして其の事

を打ち明けて相談すると、勇者は直ぐに協力して呉れる事になりました。但しこの時、勇者は或る

1つの約束を王様としました。もし無事に王様の願いが叶ったなら、王様の妹を自分のお嫁さんに

下さいと申し込んだのです。 元々王様は其れが相応しいと思っていたので直ちに承諾し、かくて

王様と勇者は、女王様の国へと乗り込んだのでした。

 ーーさて、その武術試合のお話しですが・・・・女王様が設定する競技種目は連続して3つ有り、

1つでも負けたら直ちに其の場で殺されてしまうと云う決まりでした。


(女王国に入ったよそ者は例外無く武器を預けさせられ、家来ともども丸腰になって試合に臨む決まりだったので、異議を唱える事は許されずに、即刻処刑は実施されるのでした。)
 

ちなみに1つ目の競技は、大石の投擲距離比べ(岩投げ)。大体この1種目で既に誰も勝てなかっ

たのです。何しろ丸い石の重さは、騎士12人が総掛かりでやっと持ち上がる巨石だったからです

2つ目は其の石を飛び越える跳躍距離比べ(幅跳び)。 3つ目はもっと凄くて、100キロの重さの

黄金の槍1本を交互に相手に投げ合い、互いに楯で防ぎ合うと云う命懸けの試合でした。

その用意された巨石と黄金製の槍と楯を見た時、王様の家来達は口々に「是れは美しい処女と云

うより魔女ですぞ!」 「あんな女は地獄で悪魔の花嫁にでも呉れてやればよいのじゃ!」とビビリ

まくったものです。然し実際に登場して来た女王様は、噂以上の輝く如き妖艶な超美人でした。

とてもそんな力を持っている様には見えません。処がいざ試合が始まると、その強さと来たら王様

一同全員が度肝を抜かれる様な物凄さでありました。

そこで勇者は、密かに持ち込んでいた隠れ蓑を身に着けて姿を消すと、全ての競技を王様の代わ

りに行ないました。王様は只、その動作を物真似するだけでよかったのです。元々龍と戦って勝つ

位の勇者でしたが、
隠れ蓑には更に、着た者の力を20倍にパワーアップさせる秘密の効果があ

った
のです。だから楽勝したかと申しますと然に非ず。槍投げ試合では危うく楯を貫かれる危機に

遭い、勇者も唇を切る程だったのです。 ーー然し結局は、勇者の隠れ蓑作戦の御蔭で、王様は

見事?勝利を得て念願を果し、美しい女王様を妻に迎える事に成功したのです。勿論、勇者も亦

約束通りに、王様の美しい妹姫を妻に迎えたのでした。之で万事めでたしメデタシ・・・・とはゆかぬ

のが、このお話しの面白い処で御座います。

ーー実はその婚礼の初夜の事ーー勇者と妹姫のカップルは男女の幸せを十二分に味わい、永遠

の愛を契り合ったので御座いますが・・・・問題は、王様と女王様のカップルの方で御座いました。

恥ずかしくて、とてもウェブサイトには公表出来無い様な、トンデモナイ事態が繰り広げられていた

ので御座います。
(でも、語り部の私と致しますと、矢張り黙って居るのが苦しいので、此処だけの内緒・オフレコにして措いて下さる事を前提に、真実をバラしてしまいますネ)

いよいよ床入り・・・・王様は、今こそ生涯の念願が叶ったと思い、新妻のベットに潜り込むと、その

両の腕で妖艶な花嫁を掻き抱いたので御座います。と、ところが、此処で思わぬ展開が待ち受け

ていたのです。何と花嫁は、物凄い剣幕で腹を立てると、こう宣言したので御座います。

「そんな事はおよし遊ばせ!事の道筋が判りませぬうちは、私はバージンで居る心算なのです!」

「−−へ??」 何のこっちゃ? 《・・・・ムフフ、きっと恥ずかしいのじゃな。》

そこで無理矢理手を握ってやると、ギョヘエ〜!今度は花嫁、物凄い力で王様の手を捻り上げて

来るではありませんか。

《クッソウ〜、こんな事で怯んでいたら男が廃るわい。》

で、王様は再チャレンジして、花嫁の喪裾を掻き分けて、強引に思いを遂げようと為さったので御

座います。と、有ろう事か有るまい事か、花嫁は猛反撃して来て、逆に王様をアッと言う間に組み

敷いてしまったので御座います。その力の強い事と来た比には、王様がビクとも出来ぬ有様でした

正に尻に敷かれてしまった訳で御座います。

「おいおい、一体是れは何う云う事じゃ?」

「私は眠いのです。今夜は独りでゆっくり眠りたいのです。」

「えっ?そりゃ無いだろう。私達は夫婦に成ったのだぞ。」

「ウンもう〜、ゴチャゴチャと五月蝿いわね〜。」

言うや花嫁サマは、腰に巻いていた頑丈な帯を外すと、あれよあれよと云う間に王様の手足を4本

纏めて縛り上げてしまわれたのです。それ処か、壁にあるフック(鉤)を見つけると、夫となったばか

りの王様を、その鉤に引っ掛けてブラ下げてしまわれたので御座います。
・・・・アチャ〜〜!!

丸でペット以下の扱い。是れでは男の面目丸潰れもイイトコ!せっかく極楽を眼の前にしたのに、

その甘い夢想は急転直下。誰も見て居無いのが唯一の救いと云う、惨め極まるどん底状態に嵌

められてしまったのです。
《グスン・・・・何でこう成っちゃう訳??》  

そんな事は2の次3の次。王様は只々必死に嘆願しました。

「おお、高貴な姫よ。どうか此の帯を解いて呉れ。今後決して 儂は、御身を我がものにしようとは思わず、2度と御身の側に寝もしないから・・・・」

だが然し美しき花嫁は、もうグッスリと寝込んでいて、夫の訴えなど耳にしても居無かったのでした

かくて
王様は、初夜の一晩中を壁に吊るされた儘で過し、朝の光が花嫁の熟睡を目覚めさせて、

ようやく縄目を解かれる迄、何とも無様で情けない一夜を過された
ので御座いました。

ーーさて、その翌日の事・・・・ガックリ沈み込んだ王様の姿を訝しんだ勇者は、ようやく其の訳を聞

き出すと、流石に同情を禁じ得ず、もう一肌脱ぐ事としたのです。そして其の夜、勇者は例の隠れ

蓑を着用して王様と共に寝室に入ると、未だ乙女の儘の花嫁に敢然と襲い掛かりました。

「王様、其れはおよし為さいませ。でないと昨夜の様な目に会いますよ。」

だが勇者は構わず抱き付いていきました。するや花嫁はビックリする様な怪力を発揮して、剛勇無

比な勇者と格闘を始めたのです。そして遂には何と、逆に其の世界1の勇者の体を抱え込むと、

箪笥と壁の間の隙間に押し込んでしまったのです。何たる豪力!!これでも女か!?

・・・・然し女性から敗北の屈辱を味わされた勇者の心は怒りに燃え滾り、テンションをフルパワー

に全開させるや、今度は勇者の逆襲が始まり、終には女王をベットの上に押さえ込む事に成功し

たのです。かくて戦い?は止み、彼女は王様に身を許す覚悟を決めたのでした。ここで身代わりは

バトンタッチ。怒りと羞恥を捨てた花嫁は目出度く王様に抱かれたのでありました。

尚、
夫の愛を受け入れた此の晩を以って、女王様は多くの力を失われ、もはや世の常の女性より

も強い事は無く成ったので御座います。
いやア〜、ハラハラドキドキ致しましたが、何はともあれ、

よかった、よかった・・・・と思いきや、このお話しは未だ未だ延々と続くのです。勇者は組んず解れ

つの格闘の最中、思わず知らずの裡に、女王様の指から〔黄金の指輪〕を抜き取っていたのです

が、其の指輪を勇者の妻と成った王様の妹姫にプレゼントした事から、この後の大きな禍いの元

が始まってしまうので御座います。 ーーでも、この後の長〜い話は、今は関係無いので、今回は

此処まで・・・・以上、語り手は”知ったか振りっ子”こと、わたくし
シッタカブリイ嬢で御座いました。


以上の話は、ヨーロッパ神話の『ニーベルンゲンの歌(指輪)』
英雄ジークフリート伝説の1部である。 勿論、上記の勇者とは〔ジークフリート〕で
あり、国王とは
グンテル、怪力の美人女王はブリュンヒルト、勇者の新妻とは此の神話の恐ろしいヒロインとなる〔クリームヒルト〕を指す。(※ 夫・ジーグフリートの弱点をつい漏らしてしまった為に夫を殺された彼女が、その殺した相手(ハーゲン)と其の相手国の全員を、根絶やしの皆殺しにしてゆく残虐な復讐譚が後半のメインとなる。故に人気が無い。)

だが、此の《第158節》に関係あるのは、超美人でありながら男優りの豪傑?ブリュンヒルトの方である。国王のグンテルが 新婚初夜で味わされた如き悲惨な体験を、我が【劉備玄徳】も体験する時が遣って来る・・・・??かも かも・・・・なのである・・・・・。




「ア・ニ・ウ・エ!!〜〜

「−−・・・・。」
「隙あり、キェ〜ィ!」
ボコッ!
「−−・・・・。」
「あっれェ〜?兄上、どうしちゃったの?急に不感症にでも成っちゃった?」
「−−・・・・。」
「おやまあ、珍しいわネ〜。久々に深刻な顔なんかしちゃってサ。」
だが
孫権、何を言われても無反応に黙りこくった儘である。
「合肥で負けて帰って来たから凹んでる訳?」
「−−・・・・。」
「そりゃ、そうよネ。公瑾オジ様がイッチバ〜ン番苦しい時だって云うのに、素っ屯狂な方角にノコノコ出掛けてってサ、然も負けて逃げ帰って来たんだもんネ〜」
「−−・・・・。」

実は(別節で詳述するが)、この赤壁戦直後の、孫権の独断による合肥出陣は
薮蛇であったのだ。

昨年末に大敗北を喫した曹操は一旦業卩城に退き上げたものの捲土重来を期して居たのである

そして其の鉾先を、刺激を受けた合肥と定め、早くも此の3月には言焦にまで進軍。其処で水軍の

大演習を繰り返した上で、7月には合肥に陣取り、呉国本土を窺う作戦を決行するのである。その

曹操
業卩城出陣の情報が届いたのが、此の時期に相当するのである。

「グウの音も出ないでしょ!然も、つい最近、公瑾オジ様、大怪我なされたって言うじゃないノ!もし公瑾様に何か有ったら何うする心算なの!?私、公瑾様が居無くなったら生きて居無いかんネ!!」

「−−・・・・。」 益々、切り出しにくくなってゆく兄・孫権。

「凛華、お前は本当に公瑾殿が好きなんだナア〜・・・・。」

「ヘン、今更なに言ってんのヨ。私のお婿さんは公瑾様って、生まれた時から決まってんでしょ!!」

「−−それは本気なのか?」 「当り前でしょ!」

「で、公瑾殿は、お前の気持を知って居るのか?」

「馬鹿ねえ〜、公瑾様は誰かサンとは違って、信義に生きて居るお方ですヨ。義兄弟の妹を嫁にする筈なんか有る訳無いでしょ!」

「−−では、分かって居るんだな・・・・。」

「何よ、奥歯に物の引っ掛かった様な言い方しちゃってサア。」

「−−・・・・。」


この、劉備と妹・凛華との《
政略結婚の話》は、どちら側から持ち出されたものなのかハッキリした

史料は無い。ただ言える事は、どちら側にとっても此の時点では、非常に有効な同盟の強化策で

ある点に相違は無かったと云う事である。殊に、劉備を排除して天下統一を目指す〔周瑜の戦略

構想〕に現実性を見い出し得ぬ孫権としては、魯粛が推奨する〔天下3分構想〕こそを己の(国の

根本命題としたいと強く思念し始めて居た時期に相当する。実際にも、曹操の来襲が間近に迫っ

ていたのだから、荊州が穏便であって欲しいと願うのは当然であった。だから君主たる孫権として

は、臣下である周瑜の影響力を事実上削いで措く為にも、此の際、劉備との協調路線を確保して

措きたかったのである。とは言え、男たるもの、天下制覇を望まない筈は無い。 だから、周瑜の

壮大な構想が実現可能なら、決して邪魔すべき理由は無い。寧ろ有り難い心意気である。 だが

現実は果してどうか?ハッキリ言って、それ所では無かったのだ。先ず、曹操の合肥進出に備える

事こそが愁眉の急であった。万一の場合を想定して措くのも必要不可欠な君主の態度であろう。

ストイックで理想主義的な周瑜。シビアで現実主義的な魯粛・・・・その中庸で舵取りするのが孫権

であるべきなのだ。先代の兄・孫策も臨終の場で言っていたではないか。

『江東の軍勢を総動員して敵と対峙しつつ機を観て行動を起こし
天下の群雄達と雌雄を決する点ではお前は俺に及ばない。然し、賢者を取り立て能力有る者を任用し、彼等に喜んで仕事に力を尽させ、江東を保ってゆく点では、お前の方が俺よりも上手だ』−−

即ち兄の遺言は、呉国の維持・存続に重きを置けよ!と云う事であり、無闇に膨張策を採っては

ならぬ・・・・と云う事でもあったのだろうと考え始めて居たのである。そして何と言っても大きかった

のは、周瑜が推挙して呉れた【魯粛】との出会いであった。魯粛の説く〔天下3分の現実路線〕は、

孫権の考えに合致し、より安全確実な国家存続策と思えるのであった。その魯粛も、劉備との絆を

深める此の政略結婚には大賛成であった。と言うより、魯粛が真っ先に提案した可能性が1番強

い。いずれにせよ、当の花嫁候補である凛華自身が承諾しなくては事は進まないし、其れが最大

の難関であるのは、誰の眼にも明らかであった。



「スマン、凛華!劉備の処へ嫁って呉れ!」

突然、ガバと孫権が地べたに這いつくばった。

「スマン、本当にスマン!この通りじゃ。国の為に嫁っては呉れぬか!?」

孫権は低頭したまま顔も上げられない。

『んマア!可愛い妹に、何と云う事を言うの!劉備って50の爺サマでしょが!私はネ、公瑾様以外にはお嫁には行かないワヨ!』 ボコッ!

・・・・と云う展開も覚悟の上の兄・孫権。

「−−−・・・・??」 

だが一向に答えも罵声も返って来ない・・・・恐る恐る顔を上げるとアレレ、妹の姿は眼の前から掻き消え、何処にも見えないではないか。

《ーー矢張り、むごい所業だったか・・・・》

不意に数々の妹との思い出が蘇って来た。小さい時からお転婆で自由奔放、女で在る事を何時も

歎いていた。平気で裸馬を乗り廻し、女だてらに武芸に打ち込み、その腕前は半端では無かった

確かに口は悪いが、その反対に純粋で心根は羨ましい位に気高く美しい。学問に精通する一方、

琴や横笛の名人でもあり、花鳥風月を愛でる様は気品に満ち溢れている。その強烈な個性は、孫

権よりは寧ろ孫策の気質を多く受け継いでいる風だった。

妹ハ才気ト剛勇ニ於イテ兄達ノ面影ガ有ッ(正史・法正伝)』・・・・もう20歳を過ぎたから、当時と

してはウバ桜の域なのだが、実際はキラキラ輝く大輪の花の様に妖艶であった。

「ア・ニ・ウ・エ・・・・」妹の声が聞こえた気がして、ふと振り返って眼を遣ると其処には只、一束の花

の冠が置かれて居るだけであった。四季折々に野の花を摘んではブーケを作り、憎まれ口をきき

ながらも、それを孫権に届けて呉れる妹であった。

とは言え、そんな妹の嫁ぎ先については実際、孫権も肉親の情として、本気で頭を悩ましてはいた

のだった。何処を見廻しても、誇り高く勝気な彼女に相応しい相手は、居そうも無かったのである。

彼女の性格からして、無理矢理に嫁がせても、恐らく2日も持たずに出戻って来るのは目に見えて

いた。そもそも相手がビビッて、遠廻しに断わって来るに違い無かった。かと言って、一生嫁にも行

かず乙女の儘で送らせるのも、何か切なく可哀そうである。 2年前(207年)に亡くなった母親の

呉夫人も、唯一の心残りとして、この凛華の嫁ぎ先を心配していたものだった。・・・・ホウ〜と深い

溜息を吐くと、兄・孫権は立ち上がって、すごすごと帰途に着いた。




ーーが、その翌日の夜半の事・・・・孫権の耳に、嫋嫋として物悲しい笛の音が聞こえて来た。

それは恰も、月の雫か星の涙の如き、深く澄んで心に沁みる様な曲であった。

《−−凛華だ!!》孫権には直ぐに其の奏者が判った。つと席を立って表に出てみると、夜空には

満天の星々を従える様に、十六夜の月が皓々と蒼く冴え渡っていた。やがて孫権は、其の笛の音

に誘われる様にして、我知らずの裡に其の音源に惹き寄せられて行った。

すると眼の上の巨木の股に、大きな月影を抱いた吹奏者を発見した。その櫟の巨木は、幼い日々

兄妹2人して、よく登って遊んだ懐かしい櫟の樹であった。尚も止まぬ乙女の曲・・・・・

《妹よ、何を想う?》・・・・そしてーー笛の音は止んだ。


「いいわよ!」 明るく一声を放つと、孫権の眼の前に凛華が降って来た。

 「私、お嫁に行ってあげる!」

何の屈託も無い、ボーンフリーの妹が居た。

「・・・・無理せんでも良いのだぞ・・・・」

「ヘ〜ン、ホントは困るんでしょ?」

丸一日と一晩中、彼女なりに考えあぐね、悩み抜いた末の結論なのであろう。だが今、そんな気振りはついぞ見せぬ何時も通りの妹。

「う、うん。まあ、お前が納得していって呉れるのなら、それに越した事は無いが・・・・。」

「納得なんかする筈ないでしょ!! ま、でもね、この儘 お婆さんに成るのも芸が無いしネエ〜。私は私なりに女の戦さを始める事に決めた訳!」

「−−戦さ・・・・か?女のナ?」

「そうよ。私は何時だって、何処に居たって呉国の女だわよ!! 頭の上から爪先まで全〜部、孫家の女。孫夫人で在り続けるの!それで善いでしょ?何か文句有る?」

「い、いや滅相も無い。有り難い心構えじゃ。」

「でもネ。私、ぜ〜たいに、女の操は 守り通すかんネ。 好きでも無い男に抱かれる
なんて胸クソが悪いでしょ? 私が抱かれても好いのは、此の世に唯一人のお方だけだわ・・・・。」

「−−まあ、男女の仲は誰にも判らぬ事じゃ。在るが儘で良いだろう。」

「でもネ、私もう子供では在りませぬ。兄上を困らせる様な事は致しませんから、その点は心配しなくても良いわよ。」

「うん。もし劉備に無礼な事があれば、何時でも言って寄越せ。」

「あらマア。ゆく前から其んな事言っちゃって良いの?」

「お前が何処に居ようとも、俺の可愛い妹で在る事は片時も忘れ無い・・・そう云う事だ」

「あ〜あ、その言葉は、兄上じゃない人から言って欲しかったナア〜・・・・」

「−−・・・・。」

「もう、行って。あと1曲、独りで吹きたいから・・・・」



阿〜欠!」・・・・・ 【劉備がでっかいクシャミをしていた。

「目出度い話で出掛けてゆくのじゃ。まさか、縁談相手の命まで取ろうとはせんじゃろう。」

カハハハと笑い飛ばすと一同の心配を他所に、劉備玄徳は供を1人も連れずに、単身、無手勝つ

流で呉国へと乗り込んで行った。

一方、その情報は直ちに、江陵に在る【
周瑜】の耳に届いた。 この時の周瑜は、やっとの思いで

曹仁を江陵城から敗走させた直後で、孫権から〔南郡太守〕を兼務するよう頼まれていた。

ちなみに此の
南郡こそは、争覇の要地・荊州の中でも最重要な地域を含んでいる、是れぞ

心臓部の郡であった。長江の要衝・「
江陵」は勿論、張飛や趙雲が名を馳せた「長阪坡・当陽」も

在り、いずれ関羽が敗死する「
麦城」、いま劉備が幕府を置く「公安」、更には「赤壁」をも含む。

そして北では州都・「襄陽」と軍事都市の「樊城」に臨み、 西では魏の文聘が死守する江夏郡

(呉本国と接する)
に接し、西は益州への唯一の出入り口となる宜都郡 (いずれ劉備が致命的な大敗

北を喫する事となる夷陵の所在)
に接していた。詰り一言で表現するなら、

三国志の争乱が凝縮され、その栄枯盛衰を象徴する郡』なのであり〔南郡〕の歴史を辿るだけ

でも三国志の要点を語り尽せる〕
程の、激越・苛烈な争奪の原点なのであった。

そんな要地を今、周瑜は離れる訳にはゆかない。それに曹仁との最終戦で受けた流れ矢の傷の

回復が思わしく無く、嫌な感じがして居た。多分、毒矢であったのだろう。最近になってから解毒の

処置は受けていたが、どうも予後の体調は芳しくなかった。この後の大事業(益州攻略→曹操への

東西挟撃作戦)の為には体力を温存して置く必要を感ずる周瑜であった。そこで周瑜は、この南郡

に逼塞して居た”
或る人”を招聘して、彼に意を含めた上で、本国に居る孫権に意見書を持たせ

て送り出した。
(その男については後述する)

ーーその献策書に曰く・・・・(
正史・周瑜伝より)・・・・

劉備が京に迄やって来て、孫権に目通りした際、周瑜は上疏して述べた。


劉備は梟雄としての資質を備え、然も関羽や張飛と云った勇猛無比の将を部下に持って居ります故、必ずや何時迄も人の下に屈し、他人の命令に従っては居らぬでありましょう。愚考致しますに、遠い将来を見通して劉備を呉に移し置かれ、彼の為に盛大な宮殿を建てて、其処に美女や愛玩物を多数集めて、その耳目を楽しませてやり、一方では、関羽と張飛との2人を分けて別々の地方に配置し、たとえば私の様な者が彼等を手足として使って戦さを進めれば、天下統一の大事業も、その成功は確かなものと成りまする。それに対し、もし今、妄りに土地を割き与えて劉備に基盤を作ってやり、この3人を一緒にして国境地帯に在らせるならば、 蛟みずちや龍が雨雲を得て天に昇る如く、恐らく何時迄も地中に留まっては居無いに違いありませぬ。』 
孫権は、曹公が北方に在る事から、なるべく多くの英雄を手懐けねばならぬと考え、一方、劉備はどんな事をしても結局は自分の下を離れてゆくだろうと考えて、周瑜の進言を納れ無かった。

・・・・まあ陳寿の筆だから、劉備や関羽・張飛の扱いはチョット大袈裟ではあろうけれども、如何に

周瑜が劉備集団を危険視して居たかは伝わって来る。 
(※クドイ様だが、こんな密書の”実物”が、

陳寿の手に入る筈は無い。雰囲気が伝われば、古代の史書とすればOKなのである。)


尚、裴松之は補註の『
江表伝』で、このとき周瑜が劉備の暗殺を指令していた事を、或る人物

肯定させている。一応紹介して措く。

『先主は”或る人物”とノンビリ雑談している時(周瑜の死後)、質問した。

「君は周公瑾の功曹(副官)であったが、儂が呉に行った時、この人(周瑜)が密かに建白し、仲謀に
私を
留め置く様に勧めたと聞いたが、それは事実なのか?主君の事を考えれば主君の為に尽すのは当然の事じゃ。咎めはしないから、君よ、隠し立てしないで呉れ。」

すると”或る人物”は「
事実です」と答えた。劉備は歎息して言った。

「あの時ワシは切羽詰っており、頼む事が有ったので、どうしても行かねばならなかったのじゃが、危うく周瑜の手に掛かる処であった。天下の智謀の士は、大体同じ事を考えるものじゃナア。そのとき孔明はワシに行くなと諌めたが、その主張に熱心だったのは矢張り其の事を心配しての事であった。ワシは仲謀の防禦相手は北方だから、当然、儂を援軍として頼りにする筈だと考えた。だから心を決めて躊躇わなかったのじゃが、あれは真に危険な遣り方であって、万全の策では無かった。」

まあ、本気で暗殺する気であれば幾等でもチャンスは有った訳だから、流石に周瑜はそんな汚い

手を指令する様な、卑劣な人物では無かったと謂えよう。また孔明が諌めたとするのも不可しい。

但もし、周瑜が己の死期の近いを悟っていたのであれば、極く極く僅かでは有るが、その可能性

はゼロだったとは言い難いかも知れぬ。己個人の矜持と祖国の行く末とを秤に掛けた場合、然も

死を覚悟しての最期の行動としてなら、有り得たか? 筆者個人としては、そうで在って欲しくは無

い思いが強いのだが、諸氏には如何であろうか??

然し、〔留め置く=軟禁する〕範囲であるなら、其れはレッキとした策として許されよう。

※なお『演義』では、孔明が御供に趙雲を指名した上で、秘策を記した〔3つの錦の袋〕を与え、その都度それを開封しては危地を逃れ、結局めでたく無事帰還する塩梅にしてある。

実際には、互いに事前の使者を幾度か行き来させ合い、準備万端を整えた上での事であったろう

なにしろ表向きは、大国・呉のお姫様の、初めての外国への嫁入りなのである。双方とも、国家の

面子に懸けても、最高の礼と贅を尽した贈答品の山を用意し合い、六礼に則った正規の儀礼を

バッチリとこなした筈である。多分、劉備側の儀礼の使者は、古参の麋竺・孫乾・劉王炎あたりが

担当したと想われる。

尚この友好ムードの同時期に、未だ子の無かった【
諸葛亮】も、その友好促進に一肌脱いでいる

すでに孫権の臣下として重きを成している実の兄・【
諸葛瑾】に対して、その2男を”跡継ぎ養子”に

欲しいと申し入れたのである。名は〔
〕と言い、203年生まれだから7〜8歳の少年であった。

(228年に25歳で早逝する。) 事の成否は最終的に孫権の許しが必要であるし、兄弟ともが重臣

なのであるから、其れは最早兄弟間の私的な話では無く、国家間の慶事であった。無論、孫権は

2つ返事で許可する。そして諸葛亮は喬を正式に跡継ぎと定め、彼の字を仲慎から伯松と改める

其れが丁度この時期と重なるのである。

そうして措いてから、いよいよ劉備は単身で
(名の有る者を伴わずに)呉国に乗り込んで行ったので

ある。無論、真の目的は、孫権の苦境(曹操の来襲)に付け込んで、4郡占拠の既成事実を黙認

させる(借り受ける)事である。


なお余談であるが、その会見舞台と成る〔
京城〕とは・・・・長江も最下流の河口付近に完成された

ばかりのピカピカの城であった。 以前から存在してはいたが其れを大規模に改修し、軍事防衛

都市に仕上げたのは【孫韶】であった。『身の丈八は尺(190p)で、温雅な風貌を備えていた』 と

ある。既述の如く、伯父の孫河(元の姓は愈氏)が孫策に寵愛されて孫の姓を賜わり親族に加えら

れた一族で、爾来、京城を担当していた。孫韶は17歳で跡を継ぐと、営々として改修・増築を続け

遂に先頃、完成させたのであった。・・・・孫権はその京城の強さを試してみたいと思い、軍事作戦

の帰途、突然夜間に包囲させて攻撃を仕掛けた。すると城側は慌てたり混乱する事も無く、兵士

達の士気の高さは大地を揺るがす程で、直ちに弓矢が雨霰と射掛けられた。孫権は自分である

事を知らせ、孫韶に引見すると絶賛して大きな権限を付与した。ーーのち孫韶は対岸の広陵太守

に任じられるが、彼が訓練した斥候兵の能力は極めて優秀だったので次々に遠征軍に引き抜か

れ、為に駐屯部隊を縮小せざるを得無い程だったと言う。

国境守備の部将として幾十年を務めるが、常に敵の動静を素早く把握して不敗を誇る優秀な人物

が完成させたのが、その〔京城〕であったのである。ーー以上、『孫韶伝』よりの余談。

処で、現代に在る我々にとっては意外な史実であるが・・・・思えば劉備と孫権の2人は、是れが〔初対面〕なのである!!

それ処か、実は此の2人
(未だ知る由も無いが) この顔合わせが最初で最後の対談となるのである

この5年後には呉と蜀の間に最悪の状況が勃発し、両軍があわや激突の寸前までゆくのだが、

その時でさえも互いは直接面談する事あたわず、使者の往来交渉を以って円満決着に持ち込む

(持ち込まざるを得無かった) のである。 写真も電波も無い古代・三国志の事・・・・・

正に
一期一会の世界なのである。故に尚の事、当事者同士の直接面談は、我々が想う

以上に至上の重さを持ち、互いの絆を強め合う、特別で神聖な意味を有していたのである。特に

敵対関係にある英雄同士は、互いに互いの顔を知る事は絶無に近いと謂ってよかった・・・・だが、

にも関わらず、この両雄会見の場面・双方の遣り取りは、いずれの史書にも記述が無い。 それ

程に此の時期は多事多発の連続であり、時流の勢いが激変していたと云う事なのである。

とは言え、本書としては此の場面を無下に切り捨てる訳にもゆくまい。 

ーーで、2人の対面の時・・・・所は長江も河口に近い、真新しい京(鎮江)の城・・・・



文武百官、国を挙げての熱烈歓迎!・・・・ と思いきや、案に相違して、何処かヒンヤリとした刺々

しい空気が至る処に充満していた。誰も面と向かって口にこそ出さぬが、《フン、泥棒猫め!》・

《C調の火事場泥棒メが!》と云う雰囲気が有り有りと滲み出ている。流石に劉備も最初はチョット

戸惑った。だが、こんな程度は予想の範囲内。過去の経歴からすれば屁でも無い。鷹揚に歩を進

めてゆく。 と、其処へ救いの神?あの
魯粛が急ぎ足でやって来ると、手を取らんばかりの

大ニコニコで先導役を勤めて呉れる。是れですっかり劉備はマイペースを取り戻す。今更ジタバタ

した処で始まらない。腹は据わっていた。

「我が御主君には、貴方様のお着きを、首を長くして御待ちかねで御座いますぞ!」  

「左様で御座いますか。」

「あっ、デカイ声では言えませんが、こんな連中の事なんザア〜、全然気にしなくて結構ですぞ。
飽くまで御主君は、私達と御同心で在りまする故。」

デカイ声で言い散らす魯粛。どうやら魯粛は、母国では文官達には爪弾きにされて居る様だ。


正史・魯粛伝』−→
のちに劉備が京に遣って来て、荊州の都督と成らせて欲しいと求めた時、魯粛だけが荊州の土地を劉備に貸し与え、協同して曹公を拒けるのが善いと孫権に勧めた。曹公は、孫権が土地を分け与えて劉備の後ろ楯と成ったとの知らせを聞くと、ちょうど手紙を書いていたのであるが、その筆を床に取り落とした

又、「
漢晋春秋(3級史料)」ではー→『呂範は、劉備をこのまま呉に引き留めるよう、孫権に勧めた(之は正史にも記述が有る)が、魯粛は言った。

それはいけません!将軍様は神の如き武略によって一代の英雄であられますが、曹公の威声と実力とは誠に大きいので御座います。但、曹公は荊州を領有する様になったばかりで、その地に彼の恩義や信頼関係が未だ充分には行き渡っていませぬ。ですから荊州を劉備に貸し与えられて、彼にその地の人々を手懐けさせられるのが宜しゅう御座います。曹操の敵を多くし、味方の勢力を強力にするのが、最上の計略で御座います。」 孫権は、即座に此の意見に従った。』 
と、訳知り気に記す。

その魯粛の言葉に半信半疑のタイガースの儘、劉備は奥御殿に案内されたが・・・果して其処には

魯粛の言う通りの展開が待っていたのであった。



「やあ、
婿殿!遠路はるばる、よくぞお出で下さった!」

途轍もなく短足胴長の、野太い声の青年が、巨大な身体で席を立つと、満面の笑みを以って迎えに出て来た。その風貌は、虎と云うより熊に近い。このとき孫権27歳。跡目を継いだ頃からは更に巨大化し、父親・「孫堅」ソックリに成って来ていた。

オヤジ・孫堅→




「いえいえ、此方こそ大事な妹姫様との婚儀をお許し戴き幸甚の極みに御座いまする」

片や思いっ切りのデカ耳と、半端では無い手足の長さ。劉備は48歳である。
2人の年齢で言えば アベコベの、親子の如き組み合わせである。 が、挨拶は先ず、目出度い話から始まったのだから、この後に控える交渉事の円満決着も 目に見えていたと言って良かろう。

「れいの一件も好しなに。」

「無論で御座る。全ては此の約状に書して御座る。」

「では、善は急げと申しますから。」

言いつつ魯粛は用意されていた約定を両者に示し、2人の間を交互に廻し花押を取って一件落着 ・・・・・要するに・・・・・

【1】ー→曹操が合肥方面に攻めて来た場合、呉は其の防衛戦に集中し、
       その間、劉備は周瑜を後方から支援して荊州を確保する。
【2】ー→その為に、劉備には当分の間、荊州4郡
貸し与える
【3】ー→但し、いずれ劉備が益州方面に進出を果した場合は、直ちに
       荊州
全土を孫権に返還する・・・・と云う内容であった。

呉にすれば、何とも人の好い交換条件だ。だが、巨大な敵・曹操と2方面で対決する為には、背に

腹は替えられぬ。否も応も無い状況なのだった。

それより此の会見の重きは、互いに相手がどの程度まで信用し得るかを、己自身の眼で見、肌で

感じ合う事の方に有った、とも言えよう。何がし、劉備と孫権の器量くらべと謂った塩梅。然し未だ

此の時点では、互いの腹の裡を探り合う、と云った風な姑息な雰囲気には至らない。どっちも必死

の抜き差しならぬ、”実質的には初めての同盟”なのであった。尤も、こんな長閑で御人好しの間

柄は一瞬の事。この直後からは丁々発止の駆け引き・出し抜き合いが始まるのではあるがーー

ともあれ、この場はお互い丸く収まって一安心・・・・・


劉備が上表して孫権に車騎将軍代行の任が与えられ、徐州の牧を兼任する事になった。劉備は荊州の牧の職務に当たり、公安に其の軍を留めた。ーー(正史・孫権伝) と云う事で合意する。

さて、本題がスンナリ解決されたからには、次は或る意味こちらよりも難しい、〔姫サマの問題〕が残っている。無論、婚儀は既に成立していたのであるから、問題は夫婦2人だけの間の事ーーと言えば、それはそうなのだが・・・其処ら辺の事情は、
シッタカブリィ嬢のガイドに任せるとしよう。(ゴクリ!)
 此処は〔大奥〕・・・・いくら相手の国とは申せ、流石に男は誰1人たりとも

入っては来られませぬ。で劉備サン、いよいよ其の気に成って、美しく着飾った花嫁衣裳の新妻に

迫っていったので御座います。と、ところが花嫁は、此処で意外な言葉を口にしたので御座います

「そんな事はおよし遊ばせ!事の道筋が判りませぬうちは、私はバージンで居る心算なのです!」

「−−へ??」 何のこっちゃ? 《・・・・ムフフ、きっと恥ずかしいのじゃな。》

そこで無理矢理手を握ってやると、ギョヘエ〜!今度は花嫁、物凄い力で王様の手を捻り上げて

来るではありませんか。

《クッソウ〜、こんな事で怯んでいたら男が廃るわい。》

で、王様は再チャレンジして、花嫁の喪裾を掻き分けて、強引に思いを遂げようと為さったので御

座います。と、有ろう事か有るまい事か、花嫁は猛反撃して来て、逆に王様をアッと言う間に組み

敷いてしまったので御座います。その力の強い事と来た比には、王様がビクとも出来ぬ有様でした

正に尻に敷かれてしまった訳で御座います。何たる豪力!!これでも女か!? 

(ーーアレレ〜??何時か何処かで聞いた様なセリフと場面↑・・・・な訳無いか)

・・・・で、実際には、凛華様はブルュンヒルトとは違い、世界1の剛勇と云う訳では御座いません。

いくら50男とは申せ、劉備サンも矢張り英雄の端くれ。本気に成ったら勝敗の帰趨は判りません

ーー危うし凛華様・・・・!! でも其の代わりに、劉備サンにも隠れ蓑を着たジークフリートが居て

呉れる訳ではありません。いい勝負に成るか?と思いきや・・・・

凛華様は一声、呪文を唱えられたのです。 「出でよ、皆の者!」 すると、ジャ〜ン!!

「な、な、な、何じゃ!?お前たち・・・???」

ビックラ仰天、その余りの展開に、流石の劉備サンも唖然、愕然、茫然自失・・・・声は裏返り腰を

抜かして床にヘタリ込んでしまったのです。

あの、凛華様の親衛隊とも云うべき美女軍団100余名が、鎧兜の完全武装で薙刀や弓矢を番え

今にもワッと斬り込んで来そうな形相で現われ出でて参ったので御座います!!どころか、隊長と

思しき乳母の数人は「無礼者!」と怒鳴りつけるや、劉備サンの首筋に刃を突きつけて取り囲んだ

のでした。ギョヘ〜〜!!・・・・無礼者と言われても困ります。

「アワ、あわわわ・・・・スイマシェ〜ン。」
《ま、まさか、僕ちゃん、こんな所で暗殺されちゃう訳?》  

一瞬、是れは本物の暗殺計画だったと思う位のド迫力! でも、そんな事は2の次3の次。王様は
只々必死に嘆願しました。

「おお、高貴な姫よ。どうか此の帯(包囲)を解いて呉れ。今後決して儂は、御身を我がものにしようとは思わず、2度と御身の側に寝もしないから・・・・」

「じゃあ、約束するのよ。向こうへ行っても、私は私の思う通りにさせて戴くから。勿論、この美女軍団は全員連れてゆきます。そして常に大奥や寝室の警護を担当させますから。いい事、この際、ハッキリ約束しなさい!」

「ハ、ハイ、分かりました!」・・・・直立不動。

「あと、それからネ、阿斗ちゃんは正室の私が育てるから。宜しいわネ!」

「ハイ、当然です。宜しく御願いします。」ーーペコペコ。

「じゃあ、今夜は是れで目出度し目出度し・・・・ネ!」

「はい、ホントに目出度い事でした・・・・グスン・・・・」

筆者、些かオチャラケ過ぎだと思われようが、決してそうでは無い。『正史』に、この事を髣髴とさせる記述がちゃんと存在しているのである。
2ヶ所あるので照会しよう。
−−1つは『正史・趙雲伝』中の記述・・・・

此の頃、先主の孫夫人は、孫権の妹なのを鼻に掛けて驕慢で、大勢の呉の官兵を率いて遣りたい放題をし、法を守らなかった。 そこで先主は、趙雲なら厳格であるから引き締める事が出来るに違い無いと判断し、特に任命して奥向きの事を取り仕切らせた。』

ーー2つ目は、より具体的である。『
正史・法正伝』の中で、諸葛亮が法正を追悼して述べた回想の1部分としての記述・・・・

主君は・・・・(略)・・・・近くは孫夫人が手元に在って、変事を起こさぬかと心配して居られた。・・・・(略)・・・・その昔、孫権は妹を先主に娶わせたが、妹は才気と剛勇に於いて兄達の面影が有った。侍婢100余人は皆、各々自分で刀を持ち侍立して居た先主は奥に入ると何時も心底から恐怖を覚え、ビクビクして居られた・・・・(略)。』


・・・・のである。まあ、劉備側にしてみれば、エライモノを抱え込まさた?と云う訳であろうか。逆に

言えば、凛華様は流石に凛華様!と云う事なのだろうか?孫権にしてみれば、可愛い妹を人質に

出した訳だが、一方劉備も大事な跡継ぎ
(阿斗)を人質に取られて居る様なもの・・・・どっちもどっち

のお互い様・・・・ってトコなのかも?

然し、まさか、そんなベットインの実情だったなどとは、流石に劉備も周囲には漏らせぬから、一同

メデタシ・メデタシとばかりに送りだした。その時の様子が『正史・周瑜伝』に有る。


劉備が京から帰還する事になった時、孫権は飛雲と云う大型船に乗り、張昭・秦松・魯粛ら10余人と共に、劉備の船の後を追って見送り(その途中でも)盛大な別れの宴会を開いた。張昭と魯粛らは先に座を立ち、孫権は独り残って劉備を引き留めて語り合った 
そのとき劉備は、周瑜の事を称讃して言った。
「公瑾どのは文武両面の才略を備えて、まこと万人に勝る英傑ですナア!小生が愚考致しまするに、その器量の大きさから考えて、彼は何時迄も人の下に仕える様な事は有りますまいヨ。」
劉備は、周瑜の威名が遠くまで聞こえていたので、孫権との信頼関係を崩そうとして、こんな悪巧みを述べたのである。



はてさて荊州の劉備の元へと嫁いでいった【孫夫人】の行く末や如何に?

そして劉備をして、その別れ際にまで姑息な悪巧みを吐かしめた【
周瑜の覇望】の

行方や如何に!? 其の全ては〔荊州〕で巻き起こる。三国志争覇の象徴・
荊州・・・・

さて、其処で次に展開される新たな動きとは一体何なのか!?


歴史の神は、思い掛けぬストーリーを準備して、
我々を待ち受けているのである・・・・・。
         PS・・・・(次節は元通り、格調高い?筆致でゆく所存で居ります。)
【第159節】 策謀の交差点 (天が与えし荊の道)→へ