【第155節】
曹操は荊州から退場していった。そして此の後は、2度と再び己自身が親征する事は無くなる。 以後の経略は全て配下部将に任せ、自分は他方面からの版図拡大を図る事となる。赤壁戦を
ターニングポイントとして新たなに生まれた難敵の出現が、彼を
して、そうするしか無くならせた・・・と謂うべきかも知れ無い。それは相対的に、何がし、曹操と云う男のスケールを急激に萎ませ、その壮図をも俄に小じんまりと矮小化させていったかの観を生じせる程である。さて、
そんな〔赤壁戦の第2幕〕は予想外の展開から始まった。
「おーい、儂は甘寧じゃ〜!お前ら俺に降伏しろ〜!!」
何かどっかで聞き覚えのある声がしたかと思って、外に顔を覗かせた兵達は、眼が点になった。 「−−へっ??」
まさか、こんなド田舎の小城を攻めて来る敵が有ろうとは、夢にも思って居無かったから、歩哨も居なければ、門も開きっ放し。旗立用の掲揚棒には洗濯物がブラ下がっている。豚や鶏が中庭をうろつき廻り、それにエサをやっている城兵は丸腰で、剣さえ持っていない。「命は取らんし、給料は2倍じゃ〜!どうだ、好い話しだろう?今から儂の配下に鞍替えせんか〜!」
気が付くと、突然降って湧いた様に、完全武装の精鋭分団が中庭に整列して居た。「ーーアワワワワ・・・・」
「どうだ、今からお前達は儂の配下じゃ!」
顔見知りの甘寧がニヤニヤ笑って居た。
「四の五のぬかす奴は、今すぐ斬り殺しちまうぞ。さあ、どっちにする?直ぐ決めろイ!!」
流石に元ヤーサン。若い頃の婆沙羅兄ィの面目躍如たる場面となった。「物分りの良い者は右、命の惜しくない奴は左へ集まれ〜ィ!ええい、モタモタするな!」 整列して居た兵達が一斉に抜刀した。 「ヒェー!」 ワッとばかりに砦の全員が右側に集まって、左肩を脱いで見せた。”左袒=さたん”である。以後は2心無く、お味方致しますとの誓約である。
「よ〜し、お互い顔見知りの旧友じゃ。以後は儂の部下だ!」
【甘寧】は帰順した城兵500を自軍に編入すると直ちに「夷陵」城砦の修築に取り掛からせたのである。
−−是れが《第1の展開》それに対し、こと重大と観た【曹仁】は、何と騎兵を含む6千の兵力を派出させたのである!忽ち夷陵は逆包囲に陥ってしまった。主力を退いたとは言え、曹操軍には未だ之程の余力が有ったのだ。 守将となった甘寧は只管首を竦め、亀の如くに城砦を固めた。そして1千対6千の包囲戦は長期化した。たとえ小城とは言え、攻城戦に於いては、如何に攻撃側が苦労するかと云う見本の如き様相と成る。−−是れが《第2の展開》そこで魏軍は高い櫓を建てて、其の上から雨の様に城内に矢を射掛けた。江陵の武器庫には、攻城用の兵器まで備蓄されていたのが判る。その攻勢に晒されっ放しの城内の兵達は、次第に恐れ慄き、士気が低下し始めた。だが甘寧だけは楽し気に談笑を為し、些かも気に掛ける様子を見せ無かった。「こんな奴等、援軍が来れば直ぐに逃げ出すに決まっておる。その時にタップリ礼を返してやるわい!」
『鹿鹿鹿猛(そもう)ニシテ殺ヲ好ムト雖モ、然ドモ開爽ニシテ計略有リ。財ヲ軽ンジテ士ヲ敬イ、能ク厚く健児ヲ養イ、健児モマタ楽シミテ為ニ命ヲ用テス』
確かに甘寧は、事態を報せる伝令を出すには出して措いた・・・・だが実の処、援軍が来る保証の無い事は、甘寧自身が一番よく識って居たのである。呉軍には兎に角、兵力にゆとりが無いのだ事実、甘寧からの報せを受け取った周瑜の本営では、諸将の意見は、援軍派遣に否定的であった。眼の前の曹仁軍との対峙にすらギリギリの兵力である。 いずれ本格的な城攻めとなれば、1兵たりとて惜しい実情であった。ここで万余の兵力を割き与える訳にはゆかないのだ。現在の周瑜の手持ちは柴桑の孫権から派遣された2万を加えて5万余であった。遣り繰りが難しい
此処で俄然、注目されたのが〔劉備の持つ3万の兵力〕であった。今、その価値が最大限に輝いている!周瑜と、ほぼ対等に口をきける数字である。
それを見逃す【諸葛亮孔明】では無かった。いや其れをこそ待ち望んで居た臥龍であった。
「これ迄は悉くに我々を無視して来た周瑜ですが、今は我が5万の兵力は、咽から手が出る程に欲しい筈です。今こそ立場を逆転させ、劉備玄徳を天下に認知させる時で御座います。此の日の為にこそ、関羽水軍を温存し、殿には敢えて長阪坡で死地を渡って戴きました・・・・。客将・劉備では無く、独立勢力としての登場を果すのは、今が絶好の機会!我々の今後の身分保証・証明としても、呉に対して誠意を示して措かねばなりません。」
「よし、解った。・・・・但、此方から頭を下げる様な形にはしたく無いな。何かこう、相手が呑める程度の交換条件を付けたいと思うのだが・・・。」
「宜しゅう御座いますな。では交換条件として、互いの将兵の交流を持ち掛けましょう。此方が誠意を示すのだから、そちらも応えて欲しいと云う訳です。差し詰め張飛将軍あたりを周瑜の指揮下に入れる代りに、あちらからも兵員を廻して貰う。長阪坡で勇名を轟かせた国士無双の猛将なら周瑜も悪い気はしないでしょう」
「ウンそれは良い。張飛には儂から上手く因果を含めるとしよう。で、その後はどうする?」
「我々はいずれ折を見て、此処を退き払います。周瑜もそれを望みましょう。そして我々は、周瑜が曹仁に掛かり切りに成っている間に、長江以南の諸郡を全て手に入れてしまいましょう。その時我等には【劉g】殿と云う切り札が御座います。取り敢えず劉g殿を、仮の荊州長官として孫権に認めさせれば、我々は大手を振って行動できるフリーパスを得た事となります。血筋から謂っても、現に夏口太守の劉g殿が、南郡の太守に就いても、誰も異議を申し立てられませぬ。万一障害が出た場合でも、”一時的に荊州を借り受ける”と云う名目で既成事実を作ってしまうのです」
「一時的に借り受ける、とは何う云う事じゃ?」
「我々が真に目指すのは益州・巴蜀の地!・・・・【張松】殿の決意は、既に国を譲る事で固まって居りまする故、その手引が有れば必ずや時節は訪れて参ります。先日彼から贈られた〔益州の機密地図〕こそが、その証で御座います。孫権には・・・我々の志は巴蜀の地にこそ有り、今は単に其の力を貯えて居るだけであると云う事情を、しっかりと伝えましょう。我々は、荊州は呉の1部として認めているが、今は其の日が来るまで一時借り受けて措くだけだと申せば、孫権も嫌とは言えませぬ。その場合、孫権の安心感と信用度を高めますのは、殿と曹操とがのっぴきならぬ不倶戴天の間柄であると云う事実です。 そのうえ、孫権には【魯粛】殿が前々から、〔天下三分の計〕を献策して居りますから、我々が一々説明する必要も御座いません。但し、問題はやはり【周瑜】・・・・あの男、峻烈なリアリストかと思えば、途轍もないロマンチストでも在る様です・・・・まさかとは思いますが、呉に拠る天下統一を夢想して居るフシが感じられます。」
「ハハハ、それはチト無理に過ぎようぞ。巨象に蟻んこが取り付く様なものではないか!・・・・だが、それにしても、周瑜だけは儂も苦手じゃ。何を考えて居るのかよく判らんが、やたら我々を警戒して居る。君主が下した我等との同盟にも、内心不服を持っておる様だしな・・・・。」
「確かに。此方も周瑜公瑾にだけは気をつけつつ、魯粛殿とのパイプを太くして参りましょう。そして孫権本人とは・・・・やんごとなき間柄に成ってゆきましょうぞ!」 「−−やんごとなき間柄??」
「孫権には、妹が居りまする。」 「−−あ!ああ!まさか・・・。」
「その、まさかも、いずれ考えねばなりますまい。」 「う〜ん!!」
海千山千の劉備玄徳も、流石に、諸葛亮孔明と云う人物の物凄さに絶句した。
〔臥龍〕は完全に目を醒ました様だ・・・
劉備からの書状が周瑜の元に届けられた。
『曹仁が江陵城に立て籠もって居ますが、城中には食糧が多い故、大きな障害と成る可能性が有ると思われます。そこで張飛に千人の部下を率いて貴公に従わせますので、そちらからは2千を分けて、私の後について来るよう御配慮願いたい。この際、両軍ともども夏水から侵攻して、曹仁の退路を絶ちましょうぞ。曹仁は我々が攻め寄せたと聞けば、必ずや逃走するでありましょう。』
周瑜にしてみれば、劉備の腹の裡は見え見えであった。今後の事を考えると、劉備には口出しさせる機会を与えたくは無かった。
《劉備と云う男、ひいては諸葛亮と云う人物とその勢力はいずれ敵対関係と成らざるを得まい。彼等は呉の覇業の妨げにこそ成れ、決して助けとは成らぬ、胡乱な集団である・・・!》と観ている周瑜であった。だが将来は兎も角、今はそんな事は言って居られない。背に腹は代えられぬ現状であった。そこで周瑜は、取り敢えず其の協力の申し出を呑む腹を固めたが、物欲し気に即答はせず、暫くはウヤムヤにして置く事とした。とは言え、現実的には是れは有難い。バックアップのシステムが完成した様なものである。其れを考慮に入れた周瑜は、夷陵の苦境に対しては「呂蒙」の進言を採用する事にした。諸将おしなべて兵の抽出に反対する中、赤備えの【呂蒙】は、こう言って周囲を説得した。
「凌公績(凌統)殿に留守をして貰い、諸君と一緒に甘寧の救出に向かおうではありませぬか!我が主力軍を以って臨めば、夷陵の包囲を崩して甘寧の危機を救うのに、そんなに時間が懸かる筈も無いでしょう。公績殿であれば、たとえ急襲を受けたとしても10日間は持ち堪えられる事を、この呂蒙が保証致しまする!」
劉備軍が共に残って居るとあらば、この策は採用し得る。
呂蒙は更に付け加えた。
「その内300人を割いて険阻な道に障害物を設置させれば敵が逃亡する時、その馬を手に入れる事が出来ましょう。」
呉下の阿蒙(悪ガキ)は、既に”刮目”すべき堂々たる智将に変貌していた。 「よし、其れを採用しよう!」
周瑜には軍馬の不足も深刻だった事が窺い知れる。ーーそうと決まれば実行あるのみ。周瑜軍は間髪おかず、5万の全兵力を夷陵に注ぎ込んだ。その少なさを惜しんで、兵力を小出しにしない処に、周瑜の軍才が光る。この決断は、存外難しいのだ。(後世、兵力温存と称して小出しに兵力を派出させ続け破滅した、島国根性丸出しの軍国の例もある。)ーー是れが《第3の展開》。
呉の本軍主力の想わぬ来襲に、夷陵を包囲して居た魏軍6千は逃げる間も無く逆包囲されてしまった。ビッシリ包囲の環を完成させると、周瑜は其の日の内に総攻撃を開始した。曹仁に気付かれる前に、ケリを着けてしまわねばならない。赤備えの呂蒙が、最長老の程普が、周泰が、韓当が、蒋欣・陳武・董襲・そして黄蓋が一斉に襲い掛かった。この攻撃によって魏軍兵力の半数以上が殺された。然し殺されても、北方出身者ばかりで固められている魏の兵は、荊州兵とは違って降伏はしない。何とか夜まで持ち堪えると、かろうじて夜陰に紛れて逃避行に移った。一塊となった騎兵を先頭に、遮二無二強行突破を試みた。だが歩兵は次々に討ち取られてゆく。やっとの思いで追撃をかわした騎兵達も、やがて行く手を阻まれた。狭隘になった道路一杯に、丸太と大石がうず高く積まれた障壁が現われたのだ。迫り来る追っ手の声。焦る騎兵達は馬を捨てると、四つん這いになって、その障害物を攀じ登った。全員が馬を捨て去ったのを見届けるや、伏兵がワッと喚声を挙げる。こうして呂蒙の策は美事に的中した。軍馬300頭を手に入れた周瑜軍は、船を横に繋ぎ合わせて、それに馬を載せて帰った。夷陵の陣は全て退き払い、甘寧を含めた5万余の軍勢はアッと云う間に帰還を果したのである。電光石火であった曹仁が知った時には、はや全軍は江陵へ向かって長江を押し渡ろうとしていたのである。だがハッキリ言って、甘寧の進言を採用したのは周瑜の失敗・焦り過ぎであった。だが直後の決断で其の失敗を取り戻し、余りある戦果と成った。6千の敵はほぼ潰滅した赤壁戦に続く此の戦勝に、周瑜軍将兵の士気は否やが応にも盛んと成ってゆく。−−是れが《第4の展開》であった。
周瑜は此の「戦気」を大切にしたい。《そろそろ頃合か・・・・》
【江陵城】は何は差し置いても、早期に手に入れなければならぬ最重要拠点である。地勢学的に観ても、荊州経略の為の中枢に位置する。軍事的にも、その後の北方進出にとっては、要め石となる中核基地として、絶対に確保せねばならない。やはり劉備の3万は魅惑的である。 《メドが着く迄は共同戦線でいって、時が来たら御引取り願うとするか・・・・》 飽くまで江陵城の占拠は、最終的には呉軍だけの手で果す必要がある。万事お見通しの周瑜はウヤムヤにして措いた劉備からの申し出を正式に受け容れた張飛は千の兵と共に周瑜の指揮下に入り、呉の兵2千も劉備軍に編入された。両者の兵力交流が為され、此処に初めて実質的な〔呉と劉備との歴史的同盟〕が、軍事面に於いても姿を現わしたのである!それは又、この後も連綿として続く〔虚々実々の国盗り合戦〕の始まりでもあった・・・・意気大いに揚がる攻城軍は、大挙長江を押し渡り始めた。第一次総攻撃の幕が切って落とされたのだ。是れが一連の最終章と成る第5の展開であった。江陵城を東西に挟み撃ちにする地点を目指し、夫れ夫れが2手に別れて上陸、軍営を北岸に構えるのだ。劉備軍は江陵の東・夏水方面に、周瑜軍は城の西に布陣し、日時を定めて一斉に両軍が攻め掛かる事となった。互いに互いの軍目付役が混じって居る。片方が手を抜く事は有り得無い。いや寧ろ、報復の思いを抱く劉備軍の方が鼻息が荒かった。赤壁戦の間中、ただ指を咥えて控えるばかりで出番は無かった。やっと、長阪坡での怨みを晴らすべき時が巡って来たのだ!武人たる関羽・張飛・趙雲などの面々は、その持てる膂力の全てを怒りに変えてぶつけるに違い無い。凄まじい総攻撃に成るであろう事は必至であった・・・・。
一方の「江陵城内」・・・・城壁より其の動きを観望した曹仁、敵の揚陸を波打ち際で叩こうと考えた。その発想は決して悪くない。寧ろ正統な戦術であった。だが、思い切りが悪い。迎撃部隊長に猛将・【牛金】を指名した迄は良かったが、そこに付けた兵力が、何とも御粗末で煮え切らぬものであった。敵の先遣揚陸部隊数千に対し、牛金に与えられた兵力は、たったの300であった。(尤も此の数字は余りにもバカげているから、この後の曹仁の活躍を演出する為の伏線と観る方がまともであろう。) いずれにせよ、志願者を募るなどと云う、まどろっこしい態度を採らず、もっと毅然とした軍令を以って、万単位の大兵力をぶつけていたら、勝敗の結果は違っていたかも知れ無い。お蔭で攻城軍は全くの無傷で揚陸を果したばかりか、結局、牛金部隊は忽ち逆包囲されてしまった。城壁から其の様が手に取る様に判る至近距離であった。一緒に城壁に登って居た長史(参謀)の陳矯ら側近の者は、今にも牛金が殲滅されそうになるのを観て顔面蒼白となった。曹仁は憤怒の絶頂に達した。己の失策と牛金の退き際の悪さ、そして何よりも自軍兵士の無気力・負け犬根性が許せなかったのだ。沸々と猛将としての血が滾って来た。 《おのれ〜、許せん!!》 プチンと脳が鳴った。
「馬ひけえ〜ィ!儂みずから牛金を助け出して呉れるワ!ええい何をしている!馬じゃ、馬ひけぇ〜い!!」
隣りに居た陳矯はド肝を抜かれ、必死に止めにかかった。
「お止め下され!敵軍は大兵力で勢いも盛んです。とても対抗は出来ませぬ。たとえ数百人を見殺しにした処で、何程の損害が有りましょうや。それを将軍おん自ら出向かれるなどとは、言語道断で御座いまするぞ!」
止めた心算が、却って火に油を注いでしまった。
「何じゃその言い草は!ええいどけ!何が何でも牛金は救い出すのじゃ!」 こうなってしまったら、もう何うにも止まらない。曹仁にはこうした激情家の顔が有る。側近達の手を振り払うと、サッサと馬上の者となり、城門を独り駆け抜けて行った。それに続くのは、曹仁直属の〔虎豹騎〕数十騎。皆、命知らずの最精鋭の若武者であった。 《城兵どもの目を醒まさせて呉れるワ!》
「よいな、南方のヒョロヒョロ兵どもに、我が北原兵の勇者ぶりを見せ付けてやれえ〜ィ!!」 城兵達は城壁に鈴生りとなって、事の顛末を見守って居る。・・・・と、曹仁の虎豹騎達は、見る見る全速で敵の大兵に迫ってゆく。そして遂には、敵の百歩前に掘られた水濠に近付いた。城内の陳矯らは当然、曹仁が其処で止まり、牛金が退却して来るのを支援する形を採るだろうと想った。
処が曹仁は馬速を緩めるどころか、却って一鞭くれるや、その儘一気に水濠に乗り入れてゆくではないか!
「−−や、是れは・・・・!?」 城内全ての者達が固唾を呑む中、その一握りの騎馬部隊は、無謀にも敵の大包囲網の中へと突入していった。敵兵も、まさか其の少数の儘で突っ込んで来るとは想っても居無かった様だ。
《−−ゲッ!?》 そこに一瞬の間隙が生じた。
「牛金〜ん!こっちじゃ、追いて参れ〜!」 鎖帷子を装着した重騎兵の威力は大きかった。戦場に重戦車が現われた様なものである。歩兵の海が割れてゆく。其処に一筋の空間が生じていた。
「おお〜、曹仁様!申し訳ござらぬ!」
「いや、儂の失敗じゃった。戻るぞ!」
時として、大軍犇めく戦場では逆に、少人数に拠る、こうした事は起こり得るのである。《まさか!?》と云う気持と、自分だけはトバッチリを受けたく無いと云う、兵達の集団心理が作用して道を開いてしまうのである。無論、その小集団が烈火の如き気概を示している事が条件ではあるが・・・・。
ついに牛金は、やっとの思いで包囲網を脱出した。
「かたじけない!!」 感動の面持が在った。だが、足の遅い歩兵達は未だ、包囲の中に喘いで居た。
「曹仁さま〜!我々も御救い下され〜!!」
その声に気付いた曹仁。「お〜、済まん。今行ってやるぞ〜!!」
又しても馬首を返すと包囲の網に再突入を敢行した。今度は敵も手薬煉敷いて待ち構えて居る。大激闘となった。虎豹騎の数名を失ったが、何とか歩兵の撤収も成し遂げてしまった。
陳矯ら城兵達は最初、曹仁が出撃して行くのを見て皆、恐怖の為に震え上がって居たが、曹仁が無事帰還した壮姿を見るに及んで、深く感歎したものであった。ーー将軍真天人也!!
「将軍は人間とは思えませぬ。まさに天上界の御方じゃわい!」
城内の士気が急騰し、曹仁に対する心服の度合がいや増しと成った事は謂う迄も無い。
だが、之に懲りた曹仁は以後、2度と兵力の小出しはしなかった。己の誤ちを素直に認め、同じ失敗を繰り返さぬ処は、やはり曹仁子孝・・・・並の部将では無かった。
そして是れ以降、周瑜と曹仁とは、この江陵城を巡って、何と1年以上の長きに渡って、激戦死闘を展開する事になってゆく・・・・。
呉国の実質的指導者であり、その軍政の屋台骨を支える周瑜公瑾を、1年余りもの間、此の地に釘付けにした曹仁の武勇ーー
この貴重な時間の空転は、その後の歴史・多方面に渡る影響などを想う時、三国時代を産む為の陣痛であったかも知れ無い。
赤壁戦に連続した周瑜の大攻勢は、ひとまず此処で、その進行の速度をトーンダウンしたのである。
そして、この三国時代の激突を象徴する「江陵」の主は之れ以後「A」→「B」→「C」→「D」→「E」→・・・・と目まぐるしく変転し続けてゆくのである。
思えば、つい僅か2・3旬前までは、天下の誰しもが夢想だにして居無かった《新たな宇宙》が、此処に誕生しているではないか・・・・!!
かくて〔赤壁の戦い〕は・・・・”芳醇な酒”の如き颯爽たる男・『周瑜公瑾』の名と共に、その偉業を永遠に青史に留められる事となった。
そして今まさにーー
【三国時代】の幕が、序々に開き始めようとしている。一旦は曹操の手に落ちた荊州の争奪戦を巡り、はたまた夫れ夫れの野望に向かって、男達の新たな戦いの日々が繰り広げられ様としている。
多くの人物の智謀と武勇とが交錯し、命を賭けた
〔3つの帝国の物語〕が始まる。
時代は今、群雄割拠から三国の時代へと動き出したのである。そして更には、その三国が統一される遙かな未来に向かって歩み出そうとしている・・・・・。
『三国統一志』
【第T部】・《乱世の英雄達》・・・・・
〔完〕
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