【第153節
            炎のフャイナル楽章








「ーー吹き始めました・・・・。」
「−−吹いたな・・・・!!」
暫し言葉も無く、男2人は烈風にさざ波立つ川面を、ジッと凝視めた儘であった。待ちに待った〔その時〕が今こそ巡って来たのだ。

枯れた荻と芝、よく乾いた焚き木、そして魚油。更には赤い幔幕、そして松明・・・・艦船に拠る火攻めには不可欠な、必須アイテムである。黄蓋は淡々と、然し確固たる信念を持って、最後の点検をしている。ポイントは《着火・発火の確実さ》である。その為には敵船団の水面に大量の魚油を流出させて引火させる事である。油は水に浮く。水面が一斉に燃え上がれば、火攻めの効果は倍加するのだ。燃焼実験は、既に繰り返し施して来ていた。あとは、逆さ風が吹けば完璧であった・・・・。

「ーー長らく待たせたが、今ようやく、作戦の全貌を明らかにする時が来た・・・・」 建安13年も押し詰まった12月下旬、烏林対岸の段丘上・「翼江亭」に於ける、最後の全指揮官会同であった。
此処には今、祖国の運命を担う諸将・軍吏達が、キラ星の如くに居流れた。総司令官(左都督)の
周瑜の傍らに副司令官(右都督)の程普。呉軍元老中でも最年長であり、皆彼を「程公」と呼んで
敬って居る。かつては周瑜に反発していたが、今はすっかり心酔し切って居る。オールド世代とヤング世代とが、美事に合致した名コンビである。こうした組み合わせは全軍に亘り配慮されていた。本軍先鋒の
黄蓋には19歳の凌統が左衛となり、孫一族のが右衛となる。水軍本隊の甘寧や赤備えの呂蒙(30歳)には古参の韓当が組む。陸軍でも25歳の陸遜には孫賁藩璋と云った具合である。かつて命懸けで主君を守った周泰全j胡綜呂岱らの顔も在る。参謀総長の魯粛も、周瑜の脇に居る・・・・だが劉備玄徳諸葛亮孔明は呼ばれて居無い。

総司令官・周瑜の口から、密かに進められて来た作戦の全貌が説明され、その要綱が明示された。それを聴いた諸将の顔には、微かな興奮と大いなる必勝の信念とが横溢してゆく。単純明快に正面攻撃したとしても、水軍戦には絶対の自信を有する諸将であった。それが此の奇策を用いるのである。《よし、必ず勝てる!》
・・・・どの者の顔にも、その確信が表れていた。そんな男達の表情に頷きながら、最後に周瑜は言った。

「よいな。勝敗の帰趨は、最初の連続攻撃に懸かっている!一挙にカタを着けるのだ。各自、遺漏なき様に致せ。」
各将とも麾下の精鋭を選りすぐり、先鋒艦隊に潜り込ませ、奇襲特攻部隊とするのである。そして、その奇襲を合図に全軍の総攻撃が敢行されるのだ。
「逆賊曹操を捕捉せよ!その生死には拘らぬ。必ず討ち果たすのだ。《会猟の辞》なぞと云う驕り昂ぶった手紙を送り付けて来た梟雄には我が呉国男児の心意気で返答してやるのだ!今更多くは語らぬが、我々の妻子・父・母・兄弟姉妹の未来も、全て此の一戦に懸かっているのだ。命は惜しまず、名をこそ惜しもうぞ!」
周瑜は訓示を終えるや、愛用の指揮刀を抜き放ち、その切っ先を対岸の曹操にピタリと定めた。赤いマントが漆黒の闇に溶け込んで風を孕む。
「曹魏に代わり、我が孫呉の男供が、天下に覇を唱えるのだ!」
短いが、万感が籠っている。初代・孫堅からは35年、2代・孫策の無念の死からは8年・・・・再び天下を臨む時節の到来である。
初代恩顧の者達も、2代譜代の者達も、そして3代新参の者達もみな夫れ夫れに熱き思い胸に抱き、キッと対岸に瞳を向けた。
「全軍、総攻撃の準備を為せ!」
凛呼たる周瑜の命令が下された。それに対し、最長老の程普が、低い声で”鬨”を先唱した。その呻く様な抑制された気迫に、全ての将が和した。
「戦わん哉、時来る!」 「オオ〜、戦わん哉、時来る!」
力が体中に漲って来る様な、戦士達の光景であった・・・・。

「・・・・では、参ります。」対岸を睨んだまま仁王立つ周瑜の背中に一礼すると、黄蓋はサッと踵を返した。
「公覆どの!」 一瞬歩を止め、振り向く老将。
「貴殿の生涯の晴れ姿、この周瑜公瑾、とくと拝見させて戴きまするぞ!」鬢も髭もすっかり白くなった黄蓋は、初めてニコッと笑うとただ黙って拱揖の礼をした。周琿も深く其れに返礼した。こうして《赤壁の戦い》は、静かな佇まいの裡に始められようとしていた・・
月は低く、空には冬の星団が、凍て付く様に燦ざめく。
急激に冷え込んだ夜の川面を、南の岸辺から次々と、呉軍の船影が発進してゆく・・・・1艦、又1艦と音も立てず、そろりと自陣を抜け出した船影は、その数およそ数十艘。闘艦(戦艦)と蒙衝(重巡)から成る、黄蓋の先鋒艦隊であった・・・・。
その全ての艦にはーーたっぷりと魚油を染み込ませた、焚き木と枯れ芝が満載されている。だが其の仕掛けは、昼間ですら見た目には判らない。闇に最もよく溶け込む赤い色の幔幕で巧みに覆い隠されているのだ。然も其の上には、旗指物や幅広の竜の幟が立てられ、眼を欺いていた。
ふと気が付けば、それらの旗は全て、何時もと逆の、烏林の岸に向かってたなびいている。中央の旗艦には、黄蓋の牙旗(将帥旗)が、これ見よがしに掲げられている。・・・程無く、長江の中央まで進出した其の艦隊は、隊列を「鶴翼の陣形」に整え始めた。各艦が20メートル間隔で、曹軍本陣正面に、ほぼ500メートルに渡り横一列に展開してゆく。しかも二列横隊で、後列艦は前列艦に重ならぬ様、その隙間ごとに船首を並べた。詰り、曹軍の水上要塞正面500メートルに渡り、10メートル間隔の密集した二列横隊の艦隊陣形が出来上がったのである。だが、星月夜の明るさだけでは、岸辺からは然とは判別出来無かった。 ーーと、闇夜の長江中央に
突然、無数の明りが灯された。両岸から驚きのざわめきが湧き起った。美しい光の行列に見える。各艦の将校達が、一斉に炬火に点火したのだ。それが合図となったのか、全艦一斉に帆が揚げられた。折しも激しくなった東南の風が、瞬時にして帆を大きく孕ませる。先ず、前列の艦艇が発進した。その船速は、見る見る全速全開に達する。続いて後列の第2陣も発進した。忽ち全艦船はフルスピードとなり、矢の様な速さで水面を滑っていった。然し対岸から迎撃用艦船が出て来る様子は無い。黄蓋の松明が大きく左右に、ゆっくりと2・3度振られた。
と、今度は、兵士達の大合唱が湧き起った。
「降伏!降伏!我ら降伏〜!!」
指示されていた其の大絶叫は、3度4度と繰り返された。


一方、北岸・烏林の曹操陣では・・・其れを知るや、兵士と軍吏達が、忽ち船縁に鈴生りとなって集まった。互いに首を伸ばし、身を乗り出して言い立てる。
「黄蓋だ!黄蓋が投降して来たぞ〜!」黄蓋投降の情報は、隠し遂せるものでは無く、何時しか曹操陣営中では公然の秘密となっていたらしい。艦橋で押し合いへし合い、指をさしては手招きする陸上の将兵達も軍営を飛び出し、岸辺に蝟集しては突っ立って成り行きを見て居る。
「黄蓋軍だ!やったぞ!」 「お〜い、早く来〜い!」
「やった、やった。是れで我等の勝利じゃ!」
互いに肩を叩き合い、抱き合っては喜びが弾け合っている。一般の兵士達は戦いたくないのだ。誰も好き好んで、こんな異郷の地で命を落としたくはない。まして悪疫に犯され、苦しみ続けて来た魏の将兵達であった。
ーーだが・・・・曹操側からは死角となって気付きにくいが、この投降艦隊には、明らかに異様な物が付随していたのである。
よく観れば、全艦とも夫れ夫れに、その後ろに走舸(小型快速船)を曳航しているのだった。こんな事は通常あり得無い。実はその走舸こそ、事成った時の脱出用ユニットであったのだ。
(一説には、こちらの走舸そうかの方に火攻め用の仕掛けを施したとするものも有るが、この際、周瑜はそんなケチな選択を採る筈は無かろう。効果が大きいのは、巨艦を燃やすに限るのだから。但し設計上、オープンカア的な走舸の方が、可燃物を満載し易いのも事実である。両方を混在的に用いたと観るのが無難かも知れない。)
佯降ようこう艦隊が見る見る近付く。岸から2里(800メートル)に迫った辺りであった。「着火せよ!火を放て〜!!」
最も火勢が強くなった時に、ちょうど敵船にぶつける頃合と観た気蓋の号令一下、前列の1番隊20数隻が一斉に火を噴いた。

油を伝わった炎は、忽ち船内を駆け巡り、紅蓮に燃え上がった。と同時に油性の黒煙がモクモクと湧き上がり、中空で白く変色しながら北西へと押し寄せてゆく。その密度が余りにも濃いので、暫しの間は視界が遮蔽され、火焔の向こう側が全く見え無くなる程であった。然し其れも束の間・・・ボンッと云う炸裂音と共にバックファイアー現象が起こり、火勢は爆発的な猛火へと突然変異した。それは最早、人間の力では制御不可能な業火である。折しも吹き募る東南の風が、更に其れを煽ってバチバチと音を立てながら、巨大な火柱と成ってゆく!帆も焼け落ちるが、既にフルスピードを得ている火船の速度は鈍らない慣性に乗って、矢の様な速さで敵船群の中へと突っ込んでゆく。
「走舸を切り離せ〜!」 引き綱が叩っ切られる。するや重石を取り除かれた闘艦と蒙衝は、猛り狂った獣の如くに、一段とスピードを上げて敵陣へと突っ込んでいった。
損耗を厭わぬ自爆攻撃の突進の前には、水柵など何の役にも立たなかった。次々と押し倒され、水中に没してしまった。その柵の奥に密集していた敵船群は、艫と舳先とが錯綜していた為、咄嗟には身動きも出来ぬ。為されるがままに業火に呑み込まれてゆく
衝突の轟音と共に、火の粉が
ザアア〜と降り注いだ。その激突の直前、燃え盛る呉の火船から、黒い影が次々と水面に飛び込んでゆく。特別に3枚の厚着をした操舵手達である。彼等は最後の最後まで踏み止まり、出来得る限り敵船の間隙に、己の火船を割り込ませる使命を果したのだ。普通なら、心臓麻痺を起こす水の冷たさであった。だが油紙を挿んで厚着した彼等は、曳航して来た走舸によって直ちに救助されていく。
グァーン、グァーンと、第2陣の火船群も、次々に突っ込んでゆく。既に火焔の竜巻が起こっている渦中へ、新たな火種・発火材が注ぎ込まれたのも同様、強風に乗った炎の舌縁は、敵陣の奥へ奥へと、嘗め尽くす様に燃え拡がり始める。そして終には水面に流された魚油にも引火し、曹操自慢の楼船群は、それを防ぐ術も無く、ただ紅蓮の業火の前に、脆くも焼け爛れてゆく。
片や、仕掛けられた風上の曹操側は、思いも寄らなかった夜襲に巻き込まれ、唖然・愕然の大パニックに突き落とされていた。
突如出現した火焔地獄の前に、為す術とて無い儘、阿鼻叫喚にのた打ち廻る。応戦すべき周囲の艦船は、その兵士達の全てが任務を放棄して幽霊船と化していった。又、「巨大水塞」の周辺に配備されていた移動可能な艦艇は、迎撃には役立たぬ小型艦船ばかりであった。戦う事より、岸に向かって逃れるばかりである。
だが火のスピードの方が圧倒的に速い。至る所で断末魔の絶叫と悲鳴とが湧き起こっている・・・・が、暫しの恐慌が過ぎると未だ延焼を免れている曹操艦隊のあちこちから、反撃の弓矢攻撃が一斉に開始された。煙と火とで照準も定かでは無かったが、兎に角、恐怖に駈られての目暗滅法の射撃であった。その飛来する弓矢の数は半端では無かった。丸で矢玉の暴風であった。元々曹操側は侵入して来る敵を警戒して、防禦用の強弩を各船にビッシリ配備してあったのだ。それ等が一斉に放たれれば中空には常時10万本以上の矢玉が飛来する事となった。その為、黄蓋部隊の艦船はアッと言う間に、その悉くがハリネズミ状態に矢を突き立てられていった。・・・然し、そんな弓矢による抵抗も空しく、燃え盛る火焔の勢いは増す増す狂暴な悪魔と化し、射手の乗る船は次々と火の顎に呑み込まれてゆく。炎が 是れ程の音響を立てるものとは驚愕する位、耳元で轟々と唸り始めたいた。熱風と煙と矢玉と轟音そして闇と炎。火は風を呼び風は火焔を呼んだ。 「今だ!敵船に斬り込むぞ!!」
黄蓋ら主だった将の乗る戦闘艦群は、飽くまで戦闘用に確保してあった。だが下命してはみたものの、予想を超える火焔の凄まじさであった。延焼を免れた敵船を探すのが困難なのだ。火の粉が舞い飛び、顔が焼け攣りそうである。船上の敵兵は火焔を逃れようと、風下の船へ乗り移ろうとする。が、逃げ場を失い、押し合いへし合いの大恐慌を来たし、ワラワラと水面へ落下してゆく。狂奔する軍馬までが落ちていく。燃え盛った儘、ゆっくりと下流へ押し流されていく艦もある。この時代、大半が泳げぬ兵達であるその上、病魔に犯されている。多少心得が有る者も、氷の如き水温であった。溺れ死ぬ者、焼け死ぬ者は、時間と共に夥しい数となっていく。かろうじて延焼を免れた船上では、呉の精兵による虐殺同然の戦闘が行われている・・・・だが、屈強な敵兵も居た。黄蓋の相手は、その1人であった。数合切り結ぶ中で不覚にも、焼け崩れて来た巨大なマストに打ちつけられ、黄蓋はもんどり打って水中に投げ出されてしまった。その際、したたかに頭を打った黄蓋は、意識を失って水中に没していった・・・・・

「お、味方の死体だ。掬い上げて措け!」水面に漂っていた黄蓋は、幸いにも味方に発見され拾い上げられた。然し顔中が魚油と煤で、誰だか判別も着かない有様であった。
「死体置き場へ積んで置け!」
弟子に当たる韓当の指示で、便所へ放り込まれた。この大戦で軍功第一位の黄蓋は惨めにも、朦朧とした意識の儘、狭い便所の中へ、他の死体と共に積まれてしまったのである。濡れて冷え切った体温を、吹き曝しの寒風が更に奪ってゆく。
「・・・・・か・ん・とう・・・・!」気力を振り絞って僚友の名を呼んだ。だが、誰1人気付かない。意識が又途切れそうになった。
「・・・・・韓当〜!!」 最後の気力を奮い立たせた叫びであった。
「−−ん?誰か呼んだか?」
「韓当、便所じゃ!」 「−−あ!黄蓋殿!!」
空耳か・・・・?もしやと思って覗いて呉れた韓当によって、この火攻めの功労者・黄蓋公覆は、危うく戦死を免れたのである。
「いかにも儂らしく、丸っきしの無様ジャのう〜・・・・。」
やっと老将に苦笑いが戻った。

その一方、呉軍旗艦上・・・業火の反射にくっきりと1つのシルエットが浮かび上がって居た。赤いマントが颯爽と翻える。
全軍を突撃させよ!」
呉軍総司令官は 静かな口調で、一気に勝負を決めに掛かった。・・・するや、雷鳴の様な軍鼓の轟きが、今や遅しと待機していた全艦隊に鳴り響いた。もはや明りを灯す必要とて無い。

眼の前は一面の火の海となって、昼を欺くばかりである。それは正に赤い闇だった。余りの赤さに、呂蒙の赤備え部隊は寧ろ背景に同化し、闇夜に溶け込んでゆく様である。その赤鬼達は、この時の為にこそ鍛え上げられて来たのである。燃え盛る業火と吹きつける火の粉を物ともせず、我先にと敵船へ飛び移ってゆく。
其処へ目掛けて、敵の強弩が嵐の様に降り注ぐ。それに対して、此方からの一斉応射も初めて指令された。敵味方の双方が放つ弓矢の風きり音が、戦場の音響に又新たに混じっては、更なる恐怖を演出してゆく。一体、この僅か1刻の間に、どれ程の矢玉が費やされた事か。何十万本が常に耳元に飛び交い、その流れ矢のトータルは何百万本にも及んだであろう。蓋し、その1本1本に死の危険が含まれている。それを掻い潜って、呉の赤鬼・青鬼達が突進する・・・・忽ち起こる剣劇の音と絶叫。逃げ惑うのは曹操の兵士ばかり。体勢を立て直す暇もあらばこそ、赤い闇を赤い鬼達が我が物顔に跳梁する。そんな中でも一際凄いのは、岩の如き体躯の巨漢であった。名乗る迄も無い呂蒙その人である。部隊の先頭に立って金棒の如き長戟をブン廻すも、息ひとつ乱さず、全く無駄な動きもしないのに、彼の通った跡には次々と敵兵の屍が積み上げられていた。丸で重戦車か圧殺重機である。その爆風の如き進攻を見た敵兵の中には、最初から戦意を放棄して自分から河の中に飛び込んでゆく者が続出している。この呂蒙が豪力の正面突破を示せば、片や華麗な技を示すのが甘寧であった。甘寧は弓の名手でもある。狙った獲物は絶対に外さない然も速射が得意ときていたから、彼の矢を浴びて絶命する敵兵の数は既に数十名に及んでいた。又、的確に火矢も射ち込んで未だ燃えて居無い場所に、新たな火災を拡大させる。文字通りの狙い撃ちであった。為す術も無く焼け崩れる曹操艦隊・・・・

「見よ、背後の岩壁を・・・・。」
言われて振り返ると
烏林の業火が岩肌を真紅に染め上げていた
「おお、真っ赤じゃ!丸で赤い壁の様ですな!」
「ウム・・
赤壁じゃ。よし、この大戦を〔赤壁の戦い〕と呼ぼうぞ!」
「−−赤壁・・・・よう御座いますな!」
以後、《赤壁》と呼ばれる眼の前の戦場では、焼け朽ちた楼船群を押し退ける様にして、全艦隊が敵の本陣へと殺到してゆく。
猛り狂うは東の風か、呉の兵か?火焔の後を追う様に、呉の大軍が曹操の首を求めて雪崩れ込んでゆく。

それを観た周瑜が司令する。「全軍を左翼へ廻り込ませよ!」
敵本陣の左には《
華容道》が通じている。もし曹操が生きて居れば此の華容道を伝って、陸路を「江陵」へと落ち延びるしか無い。江陵からの救援軍も、この華容道を遣って来るしか無いのだ。それを断ち切り、曹操の息の根を止める!!

2刻後、最早赤壁戦の帰趨は明々白々であった
「・・・・決まったな・・・。」 「まさに大勝利で御座いまするな!!」
背後で参謀総長の魯粛が、信じられぬ表情で立ち尽くして居る。
余りにも美事である。完璧と言ってよい。魯粛はつい2ヶ月前、《
長阪坡》に於いて、津波の如く襲い掛かって来る、曹操軍の圧倒的実力を肌身に沁みて体験していた。その曹操軍が今、眼の前で崩壊しようとしているのである!!・・・・魯粛は今、己に背中を見せて立って居る周瑜公瑾と云う男の凄さに、驚愕を通り越した畏怖の念を抱いている自分を感じていた。
「曹操の首を取らねばならん!きゃつを討ち漏らせば戦禍は止まぬ。」 「曹操め、逃げおおせるでしょうか?」
今や、その1点だけが最大の焦点と成って来ていた。予想外だったのは、火力の猛烈さであった。折からの烈風に乗って、まさか陸上の敵本陣まで呑み込んでしまうとは、周瑜でさえ想って居無かった。それが誤算と言えば、唯一の誤算であったかも知れぬ。
その為、火の手が挙がってから2刻以上経った今も、味方は揚陸を果せずに停滞し始めていた。この何刻かが、曹操の逃げ足を助ける事になったら、悔やむに悔やみきれぬ・・・・・
「よし、周瑜参る!儂自身の手で曹操を討ち果して呉れようぞ!」
「おお、遂に大都督おん自ら出陣めされるか!?」
「目指すは華容道!其処を曹操の墓場として呉れる。」
『ワレニツヅケ!』 長江南岸・赤壁に残って居た本軍全てを率いて、ついに周瑜みずからが上陸する。後軍・陸軍をも伴った最終攻撃の開始であった・・・・!!


「ーー凄い男じゃな!・・・・で、孔明、我々はどうする?」
呉の全軍が突入した後も、なお後方で動かぬ
劉備軍であった
「参りましょう。曹操が破れた今この瞬間から、劉備玄徳の時代が始まるのです。いえ、始めるのです。取り敢えずは、実より名を取りましょう。」
水軍兵力は僅か2千である。今更、呉の艦隊を追いかけても詮無き事であった。それよりは呉軍からは離れた所で、劉備軍としての独自の展開を示して置く事が肝要である。『劉備軍ガ曹操ヲ追撃シタ』と云う〔名〕を残して置きたいのだ。
諸葛亮は、燃え盛る戦場を離脱し、軍船をやや上流の北岸に着けさせた。其処で揚陸し、華容道へと急行した。
「周瑜は此の際、一気に追撃戦を断行して江陵を陥そうとするでしょう。然し、江陵城に陣取る曹仁・徐晃軍は極めて強力で江陵攻防戦は長引きましょう。周瑜がその戦さで手一杯になっている隙に劉備玄徳は、長江以南の地を悉く手に入れてしまう事です」
虎の子の陸軍4万は、そっくり温存されているのだ。北岸の2千は〔政事〕の為に動き、南岸の4万は実質的な〔領土獲得〕の為に動き出す。言葉は悪いが、火事場泥棒よろしく、今の内に南荊州を奪ってしまうのだ。
「孫権に許可を取らなくても良いかの?」
今更なにを悠長な・・・と言いたい処だが、その馬鹿正直さが劉備の魅力でもあると諸葛亮は思う。
「いえ大丈夫です。そもそも 今の荊州は 誰の物でも在りませぬ。持主の無い土地なのですから、それを拾って何の罪科が有り得ましょうぞ。大手を振って闊歩なされませ。その為にこそ此の孔明、単身柴桑に乗り込んで、孫権との同盟を成して来たのです。念の為、魯粛殿を通じて、事後承諾を認めさせるよう、手は廻して措きましょう。」
「フム、誰も持主が居らんのなら、拾ってやろうか。それに今、我々が強くなるのは、曹操が弱くなると云う事じゃものな・・・・。」
「周瑜の御蔭で、我等の国取りが見えて来ました。今こそ、その基いを築き、足場を固める待望の時節で御座います。是れも天の命ずる処と御心得ください!」
眼の前で繰り広げられている戦闘を尻目に、諸葛亮孔明の視線は、既に〔戦後〕を凝視め、その戦略は動き出そうとしていた・・・・
その数刻前・・・・夜間は船を降り、常に陸上の幕舎で寝る曹操であった。だが今は未だ軍装を解いて床に就くには、やや早い時刻であった。いつも通りに愛読書を手に取ると、灯火の下で一頻り読み耽る・・・・と、その時、何とも説明のつかぬ、イヤな予感が曹操の全身を蔽った。
《−−何か起きている・・・!?》
曹沖の死・疫病の蔓延・水軍の緒戦敗退ーーと、想わぬ苦難が連鎖し、引き続いて起こっていた。
「虎痴よ、虎痴。外の様子を見て参れ!」
幕舎の外に侍立して居る許猪に向かって曹操が声を掛けた。と、言いも終わらぬ裡に、物見兵が転がり込んで来た。
「黄蓋の裏切りで御座います!きゃつめは佯降で御座いました!火船が次々と突入し、我が艦隊は火達磨に成り始めて居りまする!」  「ーー何!なぜ燃える?」
風向きは、向こう側に吹いているではないか。
「風が、風向きが変りました!」 「まことか!?」
夕刻から少しずつ変り始めていた其の現象に、誰ひとり重大性を認識して居無かったのだ。いや、連日あたり前の季節風が吹き続けていた為、すっかり慣れっこに成ってしまい、意識レベルが薄らいでしまって居たと云うべきであった。スワッとばかりに参集して来る重臣と将軍達。改めて確認する迄も無かった。一同の視線の先で、
長江が燃え上がろうとしていたのである!!・・・・だが此処からでは未だ、火の手は小さく、チロチロとしか見えなかった。音も伝わっては来ない。陸上の本陣からのは1キロ以上離れた地点の火焔である。陸上陣地は何の影響も見られず今迄通り、どっしりと構えられている様に見える。
「慌てる事は有りませぬな・・・」
その距離感が、一先ず幕僚達を安堵させた。
「−−マズイぞ・・・・。」
独り曹操の口から、呻きともつかぬ言葉が漏れていた。
「よく見よ。火の手の大きさでは無い。火の手の幅じゃ!」
1ヶ所では無かった。
正面の全てに渡ってチロチロと火点が連続している。そしてその赤い水平線が、一斉に此方に向かって押し寄せようとしている風にも見える。
「あれは津波じゃ!火の津波が襲って来る予兆じゃ!」
「・・・・ツ・ナ・ミ・・・で御座いますか?」
その曹操の的確な比喩が、幕僚達には呑み込めない。
「−−もはや、無理だな・・・・。」
楼船群を密集させた〔巨大水塞〕構想が裏目に出ていた。各艦独自の動きは取れず延焼を喰い止める手立ては無かった。それに此の強風だ。時間が経てば、眼の前は火の海と化す事は必至であろう。・・・・だが、事はそんな事では無かった。
曹操53年の全てが曹操に言わしめた。

「ーー負けじゃ。退くぞ!! 
「えっ?はや退くので御座いますか?」未だ味方艦船群の4分の3もが無傷で残っている段階での決断であった。それは曹操自身にも詳しくは説明できぬ、凝縮された〔姦雄の勘〕と謂うしかない。
だが此の、曹操の思い切りの良さ、見切りの嗅覚・スパッとした決断力が、戦後体勢の天下の動向にとって、重大なポイントとなる。
構うな。逃げるぞ! 撃って出ようと逸る諸将を制すと、曹操は身1つで絶影に飛び乗った。
「当てには出来ぬが、江陵の曹仁に早馬を出して措け!」
名将の真価は、負け戦さ・劣勢の時にこそ問われる。勝っている時は、誰しもが最大の力を発揮する。然し敗れるときにも最良の判断を下す事は難しい。況してや、未だ相当の余力を保有している場合に於いては、その見切り時が死命を制する事となる。多くは、未練か一縷の願望にしがみ付き、そのままズルズルと破滅の淵に嵌り込んでいってしまいがちである。
優れた指導者なら、再起の為に、退くべきは退くのである。世間体や評判など気にもせず、断固実行する。人間、追い込まれた時、経営が危うくなった時の決断こそ至難である。
「今は”時”こそが我らの守り神じゃ。時を稼げ!敵の上陸を遅らせるよう、此方からも火を放て!軍船は1隻たりとも敵に渡してはならん!此処も燃やしてしまえ。暫くは敵が近づけぬ様な大火にするのじゃ!時こそ惜しめ!時間を確保して措くのじゃ!」

総帥の断固たる方針に基づき、曹操を囲んでいた本陣はサッと退いた。然したる混乱も無い。長江上の大混乱とは異質な、肝の据わった落ち着きが、その一画には存在していた。退却も1つの立派な作戦行動である。いや寧ろ、敗北を認め、損害を最小限に喰い止める事こそ、名将の資格とも言えよう。
今の曹操軍は、散を乱して潰走しているとは言えない。粛然として本陣を移動させている。事実、この赤壁戦および撤退行動に於いては、名立たる部将で欠けた者は1人として居無い。文官・軍吏に於いても同様である。
烏林に本陣を固めて居た曹操の中枢・中核は、慌てず騒がず、整然とした撤退を開始していたのであった。元々、こうした事態をも考慮した上での陣構えではあった。
ーーだが、そうそう万事は上手く進まなかった。烏林を引き払ってから2刻後・・・・曹操を先導していた前方部隊に大混乱が生じていたのである!
この辺り一面は《雲夢うんぽう》と呼ばれる大湿地帯であった。江陵・烏林間に延びる唯一の道筋・・・・〔華容道〕も、名こそ立派だが、もう此の辺りでは幹道の呈を成しては居無かった。只一面の泥と濘の連続であり、徒歩の旅人が辛うじて辿れる程度の実態でしか無かったのである。至る所に、底無し沼状態の、地形の罠が口を開けて待ち受けていた。騎乗では重過ぎてズブズブと沈んでしまう曹操も馬を降りて徒歩にならざるを得無い。それですら泥濘に足を取られ、前のめりに倒れ込んでしまう。手を突く位では納まらず衣服の前も顔も泥まみれ。膝は勿論、ともすると腰まで沈み兼ねない。影の如くに付き従う【許猪】が、何度も何度も手を伸ばしては引き上げる状態となっていた。
「何ともミットモナイ仕儀じゃの〜!」 泥ベッチャの情けない姿である。魏の5星将も台無しであった。「そんな事はどうでもイイ事ですじゃ。皆んな、殿の為に必死なのですぞ!」生涯に唯1度の許猪の叱咤であった。「そうだの。この姿を忘れまいぞ。」 だが、こんな退却速度では、いずれ追撃軍に追い着かれるかも知れぬ。流石に曹操も青くなった。とは言え、追う方も同じ状態に陥るのだから、それは恐れぬ。然し、その直後、曹操の頭を不安の影が掠めた。《ーー火!!》の恐怖であった。
この辺り一面には、枯れ芝と密生した潅木が、カラカラの状態で充満している。この立ち往生の状態で火を掛けられたら今度こそ万事は窮す!大風が吹いている。
《まさか、そこ迄は手を廻しては居まいが・・・・!?》
予測と云うよりは、半ば願望が心を占め付けた。


ーー同時刻・・・呉の大軍は津波の如く、北岸へと殺到していた。戦鼓は雷鳴となり、兵の雄叫びが地を覆った。火焔の舌顎は既に陸上の軍営を焼き尽くし、本陣跡は見る影も無い。
曹操軍の人馬は、その何万かが既に長江に消えていた。時間を稼ぐ為の殿軍が残されては居たが、それは全て病兵だった。単に、置き去りにされただけの者達であり、ものの数では無かった。その哀れを留める病人の多さが、まさに曹操百万の実態を曝け出しているのだった。
戦闘は最早、殲滅戦の様相を呈していた。地上に累々と横たわる屍は、これ全て魏の将兵軍馬ばかりである。だが周瑜は阿修羅の如く手を緩めない。軽装の精鋭騎馬部隊を率いると、その先頭に立って矢の様な追撃戦を敢行してゆく。
「江陵からの援軍は来ないぞ!曹操は自分で江陵へ逃げ込むしか無いのだ。雑兵どもは捨て置け何としてでも曹操本軍に追い着くのだ!」
周瑜の騎馬軍は、残敵には眼も呉れず、曹操を求めて華容道に雪崩れ込んでゆく。
ーー逃げる曹操、追う周瑜・・・・

     二龍 争戦して 雌雄を決す
   赤壁の楼船 地を掃って空し
     烈火 天に張りて 雲海を照らし
       周瑜 此において 曹公を破る

                           『赤壁歌送別』・(李白)
     烈火 西して魏帝の旗を焚く
     周郎 開国して虎と争うの時
     交兵 長剣を揮うを仮さず
     巳に挫く  英雄百万の帥
   『赤壁』・(胡曽)


     大江 東に去り 
     浪は淘あらい尽す 千古の風流人物
     故塁の西辺 人は道う 
     是れ 三国周郎の赤壁なりと
     乱るる石いわは 雲を崩し   
     驚く濤なみは 岸を裂き
     千堆の雪を捲き起こす  
     江山 画えがけるが如し
     一時 多少いくばくの豪傑ぞ

     遙かに想う公瑾の当年 
     小喬しょうきょう初めて嫁し了おわ
     雄姿 英発なりしを  
     羽扇綸巾うせんかんきん談笑の間に
     強虜は灰と飛び 煙と滅す

                            『赤壁懐古』・(蘇軾)


〔赤壁の戦い〕 は、まさに周瑜公瑾の為にこそあった・・・・いや、周瑜公瑾こそが赤壁を産んだ
そして、影の主役(キーパソン)は黄蓋であった。

逃げる曹操、追う周瑜・・・・33歳の”未来”が、
      53歳の”過去”を追い詰めてゆく・・・・・





以上が『三国統一志』が描く、〔赤壁の戦い〕に於ける闘場面であるが・・・そのベースと成る貴重な史料を掲げて措くべきであろう。 と言うより以下に示す記述は、多くの謎を秘める赤壁戦について具体的情報源として、唯一最大の重大史料である
正史三国志・周瑜伝
・・・・孫権は、こうした状況の下に、周瑜や程普らを派遣し、劉備と協同しながら曹公を迎え撃たせ、両軍は赤壁で遭遇した。
この時、曹公の軍中には既に疫病が発生しており、最初の交戦で曹公の軍は敗退した。そこで兵を引いて長江の北側に軍営を置いた。周瑜たちは南岸に在った。周瑜の部将の黄蓋が言った。「只今、敵は多勢で味方は少数であり、持久戦に入るのは不利で御座いまする。但、見てみまするに、曹操軍の船艦は、互いに船首と船尾とがひっ付き合った状態でありますから、焼き打ちを掛ければ敗走させる事ができまする!」
そこで蒙衝と闘艦を数十艘選び出し、其れに焚き木と草とを詰め込み、その中に油を注ぎ、それを幔幕で覆うと上に牙旗を立てた前以って曹公に手紙を送り、降伏したい旨の偽りの申し入れをして措いた。更に走舸を用意して、夫れ夫れ大きな軍船の後ろに繋ぐと、次々に曹公の軍営に向かって発進した。曹公の軍の方では、軍吏も兵士達も揃って首を延ばして之を観望し、黄蓋が投降して来るのだと指さして言い合った。
黄蓋は、それ等の船を切り離すと、同時に火を放った。折しも強風が猛り狂い、全ての船に火が移って、岸辺に在る軍営にまで延焼した。やがて煙と焔とは天に漲り、人や馬の焼死・溺死する者は夥しい数に上り、曹公の軍勢は敗退して引き返して南郡へ
補註に載る、江表伝
戦いの日になると、黄蓋は先ず、軽快な軍船を十艘選び、その中に枯れた荻や好く乾いた焚き木を載み込み、魚油を掛けた。
その上を赤い幔幕で覆うと、旗指物や龍の幡を船の上に建てたちょうど東南の風が激しく吹いていたので、十艘の軍船を先頭に立て、長江の中央まで進んだ所で帆を上げると、黄蓋は、火の着いた松明を手に持って、将校達に下知し、兵士達に声を揃えて大声で「降伏」と叫ばせた。曹操軍の者達は、みな軍営を出ると、立ったまま見守って居た。北岸の軍から2里余りの所で、一斉に船に火を点けさせた。火の勢いは激しく、風も吹きつのって船は矢の様に突っ込んでゆくと、火の子が飛び火焔が盛んに上がり、北軍の船を焼き尽くし、岸辺の軍営にまで火災が及んだ。周瑜らは軽装の精鋭兵を率いて、火の延焼を追う様にして攻撃を掛け戦鼓を雷の如くに鳴らして大挙して攻め込むと、北軍は潰滅し、曹公は北方へ逃げ・・・・・・
補註に載る、呉書
赤壁の戦役に於いて黄蓋は流れ矢に当たり寒中に水に落ちた。呉軍の者に救い上げられたが、それが黄蓋であるとは分らず、便所の中に放置された。黄蓋は力を振り絞って一声、韓当を呼んだ。韓当は之を聞くと、「これは公覆どのの声だ」と言い、彼を見つけると、その姿を見て涙を流し、衣服を取り換えた。この様にして命拾いをした。
【第154節】 起死回生のΩオメガシールド →へ