【第150節】
時に、建安13年(西暦208年)12月上旬、ついに【烏林】の地に、魏・呉両軍の主力艦隊同士が集結した。冬のモンスーンは北西から引っ切り無しに吹きつけて、両軍の軍旗を水面にたなびかせている。時に突風も混じるが、総じて強風と云う程ではない。然し寒い!遠目にも、将兵の吐く息が白く見える。ーーその人間どもの上空を1羽の鳶(トビ)が、我関せずとばかりに、ゆるやかに滑空している。その鳶の眼が、上空から捉えた光景を俯瞰すれば・・・
ここ〔烏林〕の川幅は、最大で2キロメートルに近い。
北岸沿いに曹操艦隊がビッシリと並んで居る。艦隊の縦列幅は東西2キロ以上にも及び、取り分け中央部の密集度は濃く、水面が見えぬ程である。川幅に占めている自軍の展開範囲の厚さは、岸から200メートル以上、300メートルに近い。其れに続く陸地にも厚く陣が敷かれその更に1番奥に本陣が置かれて居るその地形は飽くまでも平らかである。
対する南岸の周瑜艦隊の縦列は、相手の4半分、500メートル程に展開・対峙して居る。川幅に占める勢力圏は、流石に曹操軍よりは薄く、岸から100メートル余の厚さである。その直ぐ後背の南岸には、僅かな岩山の赤茶けた壁が露出している。
きのう迄は1隻の船影すら無い烏林一帯であった。が、今や、その川面2キロ余の長江上は、北岸から300メートル、南岸から100メートルずつ、夥しい艦船群によって、その両岸が埋め尽くされて居るのが判る。・・・・両軍が対峙する中間の水域はおよそ1000メートル余もある。島国の民には想像も着かぬ「江」の姿である。 この水面の広さでの戦いは、”水戦”と云うよりも、もはや
”海戦”と言ってよい程の広大さである。初めて見る島国人には、《これが川か!》と仰天してしまう程の川幅である。曹操の命を受けて曹丕が人造した〔玄武池〕なぞは、もはや比較の対象にもならぬ。向こう岸が朝靄に霞んでいる・・・・・。
とは言え、いざ戦闘ともなれば、曹操か周瑜かのどちらかが、一声「突撃イ!」と叫びさえすれば、直ちに大海戦が起こり得る至近距離ではある。眼の効く者なら、敵船上の牙旗(将軍旗)が識別できる距離であった。全速で漕ぎ渡ろうとしたなら、恐らく、ものの1刻(15分)も掛からないであろう。まして両者が互いに漕ぎ出せば烏林の川面はアッと言う間に修羅場と化そう。将に両軍が、虎視眈々と互いの動きを牽制し合っている状況であった。 これでは互いに、瞬時も息を抜けない。緊迫した極限状況が絶え間無く、急速に反復され続けては震えるトレモロと成っている。
滑空に飽いた《鳶》が、風に乗って下流に飛びゆくと・・・・おや、其処にポツンと小艦隊が取り残されたかの呈で見えて来た。
劉備水軍である。『進退ノ計ヲ為ス也』・・・詰り、周瑜が勝てば参陣し、敗れる様なら遁走するーーだが是れも亦、1つの戦いには違い無かった。兵員不足に悩む呉の君主・孫権は、諸葛亮の説得に応じ、劉備軍を同盟相手として認可していた。が、戦後の発言力を警戒する周瑜によって、事実上、参戦を拒否されていた
・・・結果、劉備にしてみれば《してやったり!》の、何とも美味しい現実となって、事態は進行していたのであった。
その【劉備】、実は、トンデモナイ約束手形を取り付けてあったのである。(それは長阪坡の敗走〜劉g軍との合流→樊口への移動の間どの地点での出来事であったのかは特定でき無いが)、ようやく生きた心地を取り戻した頃の事であった。突然、途方も無いビックなプレゼントを担いだ、見も知らぬ大サンタクロースの訪問を受けたのである!
取り次ぎの者の話しでは、来訪者は容貌怪異にして短躯、益州牧・劉璋の別駕従事で【張松永年】と名乗ったと言う。
「−−張松?益州の別駕従事とな・・・?」
「才気煥発にして万事に造詣深く弁も立つ、益州随一の俊秀と聞こえております。」
流石に諸葛亮は、名士社会の事情には精通したいた。
「・・で、儂に一体何の用であろうか?益州の使者なら、真っ先に曹操の所へ行くのでは無いのか?」
まさに其の通りである。益州は今、その北の漢中で、五斗米道の張魯の侵攻を受けつつあった。庇護して貰う心算なら、今や曹操を頼みとすべきである。なのに、その曹操に蹴散らされたばかりの自分の所へ遣って来るとは、一体どうした事であろうか?
「−−フム・・・・成る程。読めましたぞ。」
諸葛亮にはピンと来るものが有った。
「恐らく曹操から邪険にされたものでしょう。・・・・是れは、ヒョットすると、〔大大吉の天の声〕であるかも知れませんぞ!」
「どう云う事じゃ?」
「殿は強運の持主だと云う事です。曹操が憎ければ、敵の敵は味方・・・・と云う気持にも成りましょうな。」
「なぜ孫権を頼まぬ?」
「呉は我々とは異なり母国が在りますから、自由に動く事は出来ません。また益州とは西と東に離れ過ぎております。そこがミソですな。」
「どんな態度で迎えればよかろう?」
「最高の礼を以ってお会い為されませ。多分、益州1国がそっくり手に入るかも知れませぬ。《天下3分の計》が、図らずも向こうの方から遣って来た・・・・とも言えますかな?」
「何!それ程重大な人物なのか?」
「但し、先日、魯粛殿が呉国との同盟を持って来た時の様に、只黙って相手の申す事をだけを茫洋とお聴き下さいますように。
さすれば、ジレた相手は思わぬ切り札を出して来ましょう程に。」
「よし、分かった!」 この辺りは、2人の阿吽の呼吸である。
「その事なれば曹操孟徳にこそ御依頼なされるべきではありませぬか?」
劉備は、張松から益州の現状を聞かされ、張魯撃退依頼の件に話しが及ぶや、そうスカした。
「タハハ、先刻ご承知で在られましたか。実は曹操めには既に会って来ました。ですが、奴はダメですな!とても我が意に叶う様な人物では在りませんでした。ただ驕り高ぶっただけの俗物でした」
「それは、それは・・・・。」
「そこで私は、かねがね仁徳の噂の高い貴方様にお会いしてみたくなった訳で御座いますよ。」
「で、その噂の人物は如何で御座いましたかな?」 と劉備。
「いやいや、これが又、何とも噂以上の御仁で御座いましてな〜
この張松、ぞっこん惚れ込んでしまいました。我が一命を捧げても良いと、覚悟の程を固めました次第に御座いまする。」
「いやあ〜、目出度い目出度い!宜しゅう御座いまするなあ!」
諸葛亮が目を細めて、更に一献を勧めた・・・・。
かくて張松は、曹操とは全く逆の手厚く温かい歓待を受け、甚く感銘した。そして決断した。《ーーこの御仁に賭けてみよう!!》
【一期一会】 であった。瞬時にして張松は劉備を信頼した。
そのファーストインプレッションこそが、この時代の人間達の唯一の縁(よすが)であったのだ。一度会ったらニ度とは会えぬかも知れぬ相手に全てを託す・・・・張松は唯一度会っただけの此の時に
その初見の人物でる劉備と云う男に、祖国を売り渡す事=禅譲・乗っ取らせを決断したのであった。ーー事実この後、張松は2度と再び劉備と顔を会わせる事の無い儘、処刑の日を迎えるのである。その間4年、張松は表立った事の一切を腹心の「法正」に任せ、己自身は常に裏で糸を引く黒子に徹し、劉備の”入蜀”を実現させるのである・・・・だがこの時、張松は未だ、全てを話すのは時期早尚である事も忘れ無かった。今の段階で劉備を益州に招けば、それは単に逃亡者・亡命者として迎えるに過ぎ無くなってしまう。それでは困る。事の成就に支障が多過ぎる。来て貰うからには、それ相応の実力と大義名分とを持って居て貰わねばならぬ・・・・そこで張松は、こう切り出した。
「我が益州は無条件で貴方様を支援致します。何時でも遠慮無く益州にお越し下さいませ。然し出来まするなら、なるべく力を着けた上での御来訪をお待ち致して居ります。その時こそ此の張松、犬馬の労を厭わず、貴方様を我が”御主君”としてお出迎え致しましょう。」
そして、この話しが正真正銘の真心である事を開陳する為に、張松はその証しとして、思い切った行動を示して見せたのである。即ち、世紀の一大プレゼントとも謂える、益州の国家最重要機密の全てを曝け出し、漏洩して見せたのだった。
『劉備は先に張松に会い、後では法正と会ったのであるが、どちらに対しても手厚く恩情を込めて接し、心からの歓待を行なった。其の時劉備は、蜀地の広さ・兵器・倉庫・人馬の数量、および諸要害・道のりを尋ね、張松ハ詳細ニ説明シタ。又、地面ニ山川ノ地図ヲ書イテ示シタ。是レニ拠ッテ、悉ク益州ノ内幕ヲ知ル事ガ出来タのである。』《呉書》
その売国の誓いを表明し終わると、張松は最後にこう言い置いて辞去していった。
「どうか暮れ暮れも、今は只ひたすら”その時”に備えて、力をお貯え下さい。お力が備わった暁には、法正と云う者を差し向けまする。」
そして今、劉備は〔その時〕の為に向けて己の力を温存していた
その劉備艦隊の上空をクルリと旋回した鳶は、やがてサアーっと風を切って降下してゆく・・・・と、その小高い峰の頂上にあの小男が握り飯を頬張りながら、両軍の対陣を見物して居るのが見えて来た。《曹操の奴、負けてくれんかな。》
それは取りも直さず、周瑜軍への期待でもあった。
《いずれにせよ、この決着を見届けなくては国へも帰れぬワイ。》
帰国したら先ず、愚主・劉璋へは、曹操との絶縁・絶交を進言する心算の張松であった。その際、曹操が敗れていたら、その説得力は効果抜群となる。
長江上に天下制覇を目論んで対峙し合う2人の男、曹操と周瑜。現代ではとても考えられぬ事であるが、一期一会で言えば、この両者は、ついに終生、互いに宿敵の顔を知らぬ儘、終わるのである。・・・・その後方で進退の計を為す劉備。その岸辺で祖国の行く末を案ずる張松。更に後方の柴桑で結果を待つ孫権。そしてその又後方に息を殺して見守る無数の命・・・・この戦いに対する人間達の思惑が複雑に渦巻いている地ーー烏林
ーーそして鳶は飛び去った。
鳶が烏林の上空に現われ、そして飛び去った日から1週間前の11月下旬の事・・・・士気の上がらぬ荊州水軍を督励する為長江沿いを巡察する曹操の元に早馬が届いた。
「孫権は、我が軍との抗戦に踏み切った由に御座いまする。」
「−−フム、小癪な・・・!」 半ば以上は期待していた呉の帰順は《無し!》と決まった。経済力では荊州1国にも及ばぬ呉の国力である。格上の荊州がすんなり降伏したと云うのに、呉は屈せぬという。
「確かじゃな?」 珍しく曹操が念を押した。
「間違い御座いませぬ。」
「上に立つ者の気概の差か・・・・」 それにしても些かガッカリしたのは事実である。 疫病さえ無ければこうはガッカリしなかったであろうと思う。
「して、その兵力は?」 「およそ水軍が3万。」
「何?たったの3万だと!?」 傍らの曹丕が驚いて、思わず父の横顔を見遣った。だが曹操の表情には、何の変化も起こらず、厳しい佇まいの儘であった。
「大都督(総司令官)は周瑜公瑾か?」 「仰せの通り。」
「洒落た挑戦状の一つも寄越さぬか・・・・。」
まあ、そんなゆとりは無かろう。
「それにしても、3万で突っ込んで来るとは、どう云う心算なのでしょうか?」 曹丕には解せぬ。
「窮鼠猫を噛むの例えも有る。油断はなるまいぞ。」
幕僚達の手前、そう言ってはみせたが、曹操は内心、何かイヤな予感に襲われている自分を感じて居た。
《周瑜公瑾。その男、全てを見透かして居るのではないか!?》
『呉の地にて会猟せん』 と自信満々に恫喝の手紙を送り付けた直後に、疫病は発生した。そして今・・・・それが全てを少しずつだが確実に狂わせようとしている。その最たる変更は、進攻作戦を表向きの看板とはするが、実質的には〔迎撃体勢〕に切り替えざるを得無くなった事である。即ち、味方水軍の主力を方形楼船をはじめとする防禦型艦船中心の編成とし、攻撃型戦闘艦とは切り離して独立させた。そして其の楼船群を接近させて、水面上に〔巨大要塞〕を出現させるのだ。此方からは仕掛けず長期戦に持ち込み、敵の自壊作用を誘い出す!多少進撃力を無視しても弩弓の配備は10万にも及ぶ。 旗艦周辺の密集艦船の前面にジグザグ状の段差をつけて、城砦で言えば”馬面”状に配備して置き一斉射撃すれば、敵の軍船は寸刻たりとも留まっては居られ無いであろう。又、進攻を目的とせぬ事としたからには、接岸地点も進撃用の南岸では無く、守備補給に都合の好い北岸とした。
「−−さて、具体的には何処へ本陣を敷く?」
候補地は2・3決めては有る。あとは実際に、自分の眼で現地を確かめるだけである。孫権は柴桑に居るらしいが、是れは後方基地であろう。敵主力艦隊は、樊口か夏口を前進基地としている筈である。
「やはり位置的には烏林が最適でありましょう。」
「・・・・であるな。」
北岸一帯は〔雲夢〕と呼ばれる大湿地帯ではあるが、烏林周辺にだけは可也の平地が存在していると言う。陸上に本営を置きたい曹操としては、絶好の候補地であった。其処を先んじて占拠する為には、そろそろ動き出す必要があった。そこで曹操は一先ず、江陵と夏口の中間地点である「巴丘」に、全艦隊を進めて措く事にした。
《生涯で初めての水軍の指揮とは一体どの様なものなのか?》
合理主義者の曹操でる。頭の中だけの想定では無く、自分自身で実体験して措く必要もあった。又、長江の流れに乗ればよいとは云え、巨大楼船の速度は遅い。
更には中国史上空前の大艦隊の密集船団である。果してどの程度整然と操船し得るものなのか?実戦は蔡瑁に任せるしか無いが、己の眼で確かめて措きたかった。
呉の開戦決定を聴いた翌日、曹操は直ちに江陵基地を発進した
《重態患者は、巴丘へ残すしかないな・・・・》
もう一つは、もはや江陵では是れ以上、人目を欺く事が不可能な程に、疫病は猛威を振るっていたのだ。既に大量の死者が出ていた。名目は予備艦隊として、重病人を巴丘に残す措置を採らざるを得無かった。
「いざとなったら、船もろとも焼き捨ててやれ。」
冷酷とも取れる指令を言い残して、曹操主力は烏林を目指して下流へと向かう。恐らく是れ程の大艦隊は、始皇帝でも光武帝でも率いた事は無いであろう。水面が見えない。
ーーやがて目指す【烏林】が見えて来た。確かに広い。船上から観る限り〔水陸合体陣〕の構想にピッタリの地である。それに対し向かいの岸は、この辺りの雲夢地帯には珍しく、ちょっとした崖に成っている。長江が途中の小山を真っ二つに削り取った跡が岩の壁と成って、剥き出しに残ったのだろう。特に名とて無い、只の岩壁である。其れが今後『赤壁』と呼ばれる様に成ろうとは、未だ誰一人として識る者とて無い・・・・。
もし敵が此の南岸に対陣すれば、陸上には兵力を展開しずらく将兵はズッと船上暮らしが続くかも知れぬ。それは可也の苦痛になるに違い無い、と馬上に慣れた曹操は思った。閉ざされた空間に長時間、それも極限状況の睨み合いの中に居れば、精神の均衡は保ちずらく成ろう。その裡には、眼の前にした圧倒的な敵影に脅えて、「投降」に奔る者も必ず出て来よう・・・・と、中原育ちの曹操は思う。
「よし、気に入った。予定通り、ここ烏林に本陣を構える!」
この一言で、艦隊は2手に割れた。巨大水塞用の大型艦は全て烏林に停泊した。一方、戦闘艦を中心とした先鋒艦隊は、敵影を求めて更に下流へと進んでゆく・・・・。
その先鋒艦隊群を指揮するのは【蔡瑁】であった。後世にその字が伝わらない事からも推断し得る様に、一言で評せば、「コノ男、ソノ任ニ非ズ」であろう。曹操に任された周瑜水軍撃滅の役柄は、この男には荷が重過ぎる。 取り分け彼の悲劇は、歴史の皮肉に翻弄され、水軍総司令官と云う分不相応な地位に押し上げられてしまった点であろう。元々彼には、その実力は無かったのである。彼の半生は、常に政治・政争の中に身を置いて来たものであり、野戦や水戦で直接軍を率いた事は皆無であった、と言ってよい。いつも後方の作戦室に在って、部下の将軍達に命令だけを発する、超高級軍人で在り続けて来たのである。現地の実戦指揮官としての能力は、全くの未知数に過ぎ無い。 まして史上空前の大艦隊の提督なぞ、果してこなし切れるものか?
・・・・その不安・危惧は、曹操も蔡瑁自身にも判っている。だが、互いに其れを口に出しては言えない状況下に在った。処が両者にとって不幸だったのは、『水戦』と云う特殊な戦いでしか臨め無かった事である。百戦錬磨の曹操と雖ども、「水軍」だけは指揮した事が無い。とは言え、曹操ほどの人物だから、研鑽練磨して自ら指揮を取っても、それなりにこなして仕舞えるだろう。−−だが如何せん、時間が無かった。生兵法は怪我の元である。だから大事を採って矢張り専門家と謂われる者を使う事の方を選んだいや、選ばざるを得無かった。水軍の100パーセントが荊州兵である以上、部外者が突然に口出ししたら余計に混乱するだけであろう。餅は餅屋である。
一方の蔡瑁にしてみれば、今更ながらに 「其れは私には出来ません。実の処、私には実戦経験が有りませぬ。」などとは言えない。それに、あわよくば、此処で一挙に点数を稼げる可能性が高かった。何せ自称100万なのである。負けようと思っても負ける筈の無い大兵力がバックには在るのだ。曹操はその能力主義に基づき、不要と観れば平然と人を切り捨てると聞く。
《ここは一番、俺の存在価値を見せ付けて置かねばなるまい!》
実績より欲望が先行する。その【蔡瑁】・・・では、その政事畑ではどうだったか?と言えば、これも亦決して一流とは言い難い結末を迎えてしまっていた。 と言うより、彼が手を組んで来た相棒がスゴ過ぎた為に、自分で権謀術策を考える必要も無く過して来ていたのである。但し、権勢欲だけは強烈であったから、姉を劉表の後妻として嫁がせ、先妻の産んだ長男・劉gを江夏太守に追い出して、姉の子・劉jを跡継ぎに仕立てる事に成功した。これで荊州1国を手に入れたと思いきや、それも束の間、劉表が没すると同時に曹操80万が攻め込んで来た・・・・。
そして全てが終わってみれば、結局1番得をしたのは、相棒の萠越・萠良兄弟であった。特に萠越の方は『荊州を得た事は嬉しくも無いが、異度を得た事は本当に嬉しい事じゃ!』と曹操に言わしめサッサと光禄君の官と列侯の身分に迎え入れられていた無論、蔡瑁もお零れには預かったが、謂わば目先のエサに釣られて、結局は他人に踊らされ、上手く利用され続けただけの、小人物と言ってよかろう。そう云う意味では、どこか目端の効かぬ御人好しな面もある。
−−然し如何せん、将兵が追いて来ない。荊州の兵達の多くの感情は、なぜ〔俄か君主〕・曹操の為に己の命を捧げなくてはならぬのか?と納得・得心がいって居無い。然も戦うのは荊州水軍が中心で、魏の者達はただ見ているだけである。共に戦うなら未だしも、自分達だけがワリを喰わされ犬死させられる・・・・堪ったものでは無い!そんな他所他所しい空気が充満している。 また、下士官の中には、曹操に直ちに尻尾を振って降伏した軍首脳部の不甲斐無さに対して、明ら様に侮蔑と反発の眼を向けて来る者さえ在る。そんな者達に対して「荊州水軍の誇りを持て!」などとは言えるものではない。事実、敗色濃厚となるや、荊州に長く居た劉備軍の元へと駆け込んでゆく者達が続出したのである。
−−こうして内部に問題を抱え、いま一つ士気の揚がらぬ儘、蔡瑁の先鋒艦隊は下流へと進んでゆく・・・・・
・・・・『敵艦隊発見セリ!!』・・・・
折しも、夏口の大屈曲部を曲り終え、尚も遡上中の周瑜艦隊の眼の前に、烽火が上がった。直後、快速艇からの報告も入る。
『敵・先鋒艦隊発見!主力は烏林に停泊したまま動かず。先鋒艦隊だけが此方に向かって航行中であります。その数およそ1千艘全て戦闘艦のみであります。』
「フン、曹操め。余ほど自信が無いな。己は奥座敷で、物量に頼るか。よし、予想通りだ。このまま第3隊形で進め。作戦は”乙”でゆく。旗信号を掲げよ!」
大都督旗艦にスルスルと色旗が揚がり、其れがバタバタと北風に煽られて勇ましい。だが、各艦からはどよめき1つ聞こえるでも無く、予行演習でもしているかの如き平静の儘、呉軍艦隊は少しの乱れも無く進んでゆく。
−−その2刻後・・・・ついに互いが互いの船影を視認し合った。いよいよ中国史上最大規模で、曹操と周瑜の艦隊が、長江上で激突せんとしている。
その遭遇地点は、烏林から少し下流の「蒲口」付近。上流から荊州艦隊が、下流からは呉艦隊が、共にその船足を戦闘速度に高めつつ、見る見る互いの間合を詰めてゆく。激突まであと数瞬先ず荊州水軍から弓矢の雨が放たれ始めた。
いよいよ赤壁戦の開始である!!
緒戦、戦いの勢いは、意外や意外。長江の流れに乗った形の荊州水軍の方に有る様に見える。矢玉の数も圧倒的に多く、ドラや軍鼓の轟きも呉軍に勝っている。 それに対して、下流側から遡上してゆく呉艦隊の勢いは、ひっそりして居て全く意気が揚がらぬ様に見える。一体、戦意が有るのかさえ疑わしい程の静けさだ。ただ黙々と作戦行動に移ってゆく・・・・と、ついに河の中央部で、両軍の戦闘艦同士が激突した。文字通りの”激突”である。殊に『艨衝』と呼ばれる戦闘艦の最大の攻撃力は、体当たりに拠る敵船の破壊である。そして其の破壊力がマックスに発揮されるのは、相手の横腹めがけて、鉄で覆われた己の尖った船首部分をメリ込ませる時だ。上手くすれば一撃で敵船を轟沈させる事も出来る。だから今、敵味方の双方が、互いに相手の側方に廻り込もうとして必死の操舵・漕船を繰り返し、その位置取りに鎬を削り始めた。それまで整然として居た艦船の隊列が、戦端部から徐々に乱れ出し、1刻後には水面一杯に敵味方が入り乱れての〔艦対艦の戦闘〕となってゆく。ーーそして終には、船縁を接して矛を突き合い、長柄の戟を振るい、刃を交し合う白兵戦へと突入する艦船も出始める。其処へ目掛けて後方からは、一段と激しい弓矢の雨が情け容赦も無く降り注ぐ。武運拙く流れ矢の餌食となって、水中にもんどり打って落下していく兵が続出する。
「よ〜し、いいぞ!呉水軍は口程にも無いではないか。この調子で押しまくれ!攻め手を緩めず、中衛艦隊も投入せよ。一気に敵を総崩れに追い込むのじゃ!!」
激突する直前まで、自軍の戦闘能力に対して不安で心配で堪らなかった総指揮官・蔡瑁は、意外な緒戦の展開にすっかりハイテンションとなり、つい命令の声も大きくなっていた。その視線は、いま激闘している河の中央部に釘付けになっていた。だが、対する呉軍総司令・周瑜の視線は別の場所に注がれている。彼の視線は河の中央では無く、左右の両岸を視認し続けていた。その視線の先ーー両岸沿いの水面には、敵に蹴散らされる如くにして呉水軍の戦闘艦が、丸で台風で増水した時のワカサギの群れの様に、岸にへばり付き始めていた。その数は時間の経過と共に増大しつつあった。其れを尻目に蔡瑁軍は流れに乗って、どんどん下流へと押してゆく。
「フフ、蔡瑁め、今頃は有頂天になって居りましょうな。」
大都督・周瑜の作戦に従って、その〔弱劣艦隊〕を演出しているのは【甘寧】と【全j】であった。この任務の指揮官には、底力は有りながらもグッと”己を矯める”事の出来る人柄が求められる。退く事も厭わぬ冷静沈着さと同時に、その被害を最小限に止どめられ得る実力が必要であった。劣勢にカッとなって我を忘れる様な者では務まらぬのだ。一時の恥を忍んで、飽くまで耐え続けられる人格が要求された。敢えて苦境の中に身を置いて、しかもイザの瞬間には大胆さを発揮し得る者・・・・そうした条件を備えた指揮官として選抜されたのが、この2人であった。勇猛さだけなら他に幾等でも将は居たが、「呂蒙」や「凌統」などではチト覇気が勝り過ぎて、劣敗の”演技”には適さない。相手が弱ければ、そのまま一気に突撃を敢行してしまう可能性が有った。逆に「黄蓋」や「周泰」を用いる手もあったが、緒戦から先頭に立てるのには未だ時期尚早であろう。 そこで白羽の矢が立ったのが【甘寧】と【全j】だった。甘寧とて、ド派手なヤクザ時代の儘であったならば不適任であったろうが、荊州時代の堪忍(黄祖の引き止め体験)の御蔭で、すっかり忍耐が身に沁みて変貌を遂げて居た。また全jの方は生来から無口実践タイプの忍耐型人間だった。寒門出身の事もあり、決して独断専行する様な心根は持って居無かった。若き孫権を身を挺して救った逸話は夙に有名であった。
今その2人は、内意を受けた通りに、上手く”囮”の役割を演じ切っている。進行方向右岸に甘寧、左岸に全jが退却し、ジッと防戦に徹している。ーーだが、この戦況全体を上空から俯瞰して観れば・・・・長江の両岸に満を持して待機して居る呉水軍の罠の中へ、調子に乗った蔡瑁軍がまんまと嵌り込んでいるのが判る。
果して、開戦から2刻経った頃、戦局に明らかな変化が起きた。押しに押しまくっていた荊州艦隊の眼の前から、突如、敵船団の姿が掻き消えてしまったのである。詰り、サッと左右に別れて後退したのである。その操船の速度が余りにも素早かったために、一瞬、眼の前の敵影が消え去ったこの如き錯覚に陥ったのだ。番卩陽湖での猛演習は伊達では無かった。呉の艦船の動きは、流れの中でも前後左右に自由自在で素早い。
「−−??」 一瞬、狐に抓まれた様な当惑に面喰らう蔡瑁。
と、次の刹那・・・・出た!!行く手を遮るべく、川幅一杯に、威風堂々の船隊を組んだ新手の大艦隊が、ドッカリと待ち構えて居たのである!その軍容は見るからに力に満ち、明らかに今迄の敵とは違っていた。然もその鏃(やじり)陣形の切っ先に当たる中央部を占める戦艦群は全て真っ赤かであった。今や遅しと腕を撫して出番を待って居たのは、呉軍最強で、然も目立ちたがりの、あの〔赤備え軍団〕であった!かつては悪ガキと呼ばれたが、今は見違える様な大変貌を遂げて周囲を”刮目”させた、その【呂蒙】・・・実は、この呂蒙こそが本物の先鋒艦隊であった。
「し、しまった!敵の罠に嵌ったか?」
今まで戦って劣勢の振りをしていたのは、敵を誘き出す為の”囮艦隊”でしか無かったのか!?
「マズイ!引き返させよう。」真っ青に成る蔡瑁。曹操に叱責され処刑される己の姿が脳裡をよぎった。だが呻く間も有らばこそ、周瑜の旗艦マストにスルスルと、『ゼングン、トツゲキセヨ!』の〔Z旗〕が揚がった。・・・・するや、今まで不気味に静まり返っていた呉水軍の全艦船から一斉に、川面をどよもす鯨波が噴出し、軍鼓と相まった其の音響は、恰も長江を揺るがす大シンフォニー序曲となって轟き渡ったのである!それを合図に、赤備え艦隊を先頭にした呉の全軍がドッ前進を開始した。呂蒙部隊だけでは無い。この周瑜艦隊には、呉国の猛将・勇将と言われる者達が全て結集されていたのだ。と同時に、両岸沿いに退避する格好で鬱屈していた囮艦隊が、今迄の仕返しに燃えて、左右から敵を押し包む形で殺到してゆく。こう成ってからではもう、蔡瑁軍は身動き出来無かった。退却するにしても、殆んど隙間の無い水面の中で軍船を180度反転させ、然も今度は流れに逆らった上流へ向かわなくてはならないのだ。それは最早手遅れであった。急いで撤退のドラ(鐘)を打たせたが、その措置は却って味方に大混乱を招くだけとなった。錬度不足の上に、過密とも言える密集隊形が災いして、味方同士が衝突してしまう有様となった。右往左往するばかりの敵艦船群。そこへ”撃滅”を指令されている呉の全力が襲い掛かる。既に河の中央部では「呂蒙」の赤鬼達が敵船に跳び移り、逃げ惑う雑魚どもを突き立て、斬り倒し、更に次の獲物を求めては跳梁していた。船上での白兵戦では圧倒的に呉軍将兵の動きが勝っている。恰も地上を進む如くである。先頭に遅れじとばかり左翼でも「黄蓋」船隊が、右翼でも「韓当」船隊が猛襲を仕掛け始める。更には「凌統」や「周泰」・「呂岱」・「胡綜」の艦隊が、川面の僅かな隙間を我が物顔に操船し、敵船団の間をスイスイと掻い潜り、奥深くへと侵入してゆく。
「・・・・已むを得ん。一旦、退くぞ!」 つまり、逃げ出すのだ。
「味方を見殺しにせよと申されるのですか!?」
「そんな余裕は無い。見捨てよ!此方も危ういのだ!!」
「−−・・・・。」
「愚図愚図するな!全滅よりはマシであろう!」
蔡瑁の、その見通しだけは当った。両軍の実力の差は、余りにもひどかったのだ。すっかり押し包まれた荊州水軍は、次々と乗り手を討たれて無人船と化してゆく。そして幽霊船となった無数の残骸船が、あちこちに押し流されては空しい姿を曝け出している若しくは拿捕されるか鹵獲・曳航される結末と成ってゆく。こう迄ひどい勝ち負けの差が着くのが、”海戦”の持つ恐ろしさである。陸上戦とは異なり逃げ場の無い水の上では100対0のスコアーが在り得るのだ。トラファルガー然り、日本海・ミッドウェイ然り、世界史上に於ける大海戦の完勝・完敗の例は枚挙に暇が無い。 そしてこの「蒲口の水軍戦」も亦、100対0に持ち込む事が可能な様相を呈し始めていたのである。
一体、この差は何処から来たものであろうか?無論、日常から船に慣れ親しんでいる操船技術の優秀さ、水軍としての鍛錬度の高さなど、能力的な差異が根底に有るのは確かである。だが筆者想うに、この外にも、艦船そのものに差異が在ったのでは無いかと考える。恐らくそれは、本のちょっとした技術的アイデアの差が齎す、而して実戦に於いては決定的な優秀さを現わす様なものであったに違い無い。正史の中でも、劉備の家臣が「荊州の船と呉の船にはチョッとした違いが有るのです」と、区別の基準を吐露している。四六時中、水軍の事を考え、その強化に取り組んで来た周瑜ではないか。その思考や発想が、船体そのものの改良に向かわぬ筈が無い、と想うのである。
−−さて、実際の戦場では・・・・周瑜が目指す”撃滅戦”が着々と完成しつつあった。〔緒戦で徹底的に曹操軍を叩く!〕の戦術は、必勝を期す周瑜のダイヤグラムには絶対不可欠なものである。
是れ以後は、2度と再び下流への出撃を断念させ、曹操本人を烏林に釘付けにする!!そして其処から本当の戦いを始める!
船足の優る呉艦隊は逃走する蔡瑁軍を捕捉し、1艦また1艦と次々に餌食にし尽す。最早戦局は、撃滅戦から殲滅戦に移ろうとしていた。進攻して来た蔡瑁の先鋒艦隊は、見る影も無い迄の無残さで敗北してゆく・・・・。
「これで一先ずは曹操の出鼻を挫く事は出来申したな。」
右都督の【程普】が満足気に顎鬚を撫でた。
「だが、是れでも未だ敵の10分の1にも及ばんだろう。」
左都督の【周瑜】は泰然かつ恬淡として先を見る。
「然し此の勝利は、我が将兵には何よりの励みで御座る。必勝の自信と呉軍不敗の誇りとが1兵卒の隅々にまで満ち溢れて居り申す。」 初代からの全てを知る【黄蓋】の感慨は深い。
「まこと、頼もしき者どもで御座いまするなあ!」 今更ながらに【魯粛】も頷く。再び旗艦に会同した諸将は、夫れ夫れの任務を全うし終えた興奮の中で、少しからずにさんざめく。だが、そんな中、独り周瑜は之からの重さ思う。
《・・・・曹操、この後、どう動く?それとも動かぬか・・・?》
いずれにせよ、決戦はその火蓋を切ったのだ。
「一旦体勢を整え直した後、今度は此方から参る。」
作戦会議に着席した諸将へ向かって周瑜は宣言した。
「今度こそ決着をつけるぞ。」
そして広げられた地図の1点を鞭の先でピタリと指した。
「決戦の地は烏林じゃ。其処で曹操を屠る!!」
果してそう成るか!?夕映えの中の誓いであった。
【第151節】 幻の艦隊 (不沈戦艦出現!)→へ