【第146節】
〔連衡の計〕−−孫権と劉備とが共同して曹操の進攻を喰い止める。それが孫権が生き残る唯一の道である・・・・!!
この戦略を1番最初から明確に抱いて居たのは【魯粛】であっただが実は・・・その魯粛の構想の中身は、ここ1ヶ月の間に大きく変容せざるを得無くなっていたのである。 最初、魯粛が孫権に言上して荊州へ旅立った時点の構想は・・・・劉備の荊州掌握(乗っ取り)を焚き付け、実現させる事であった。呉は其れを承認して後押し・掩護する。即ち、同盟と称して劉備の軍拡を認める代わりに曹操軍への矢面に立って貰い、その緩衝地帯(バッファゾーン)の出現に拠り、呉国の安全保障を確立する・・・・
だが其の魯粛の構想は、出発して間も無く、早くも頓挫した事が判明する。魯粛の頭の中よりも、現実の進行の方が早かったのである。結局、魯粛が期待していた劉備の軍事力は、全く想定外の微々たる物(敗残軍+劉g軍)でしか無くなったいた。これでは、呉の本国に渦巻く「降伏・恭順論」の最大の論拠である”軍事力の圧倒的不利”を説得し、国論を逆転する事は覚束ない。・・・然しそれでも尚、外交官たる魯粛には、この〔連衡〕の推進しか道は残って居無かった。増してや根無し草と成り果てた劉備側には、もはや選択の余地など有ろう筈も無い。だが然し、大した軍事力も持たない現状で一体どうやって反対論者達の口を封ずる事が出来ようか?
ハッキリ言って魯粛には”討論即応能力”が無かった。
議論の場で相手が次々に突っ込んで来る鋭い舌鋒に対して、それ等を直ちに切り返してズバズバ薙ぎ倒す如き訓練と能力が不足していた。その訓練不測の欠点は、学生時代を体験して居無い魯粛自身が1番よく認識していた。では、どうするか・・・?
《俺に出来無きゃ、出来る奴に頼むしかあんメェよ!》
孔明である。水鏡サロンで並居る学友達と日々論談して鍛え上げた、そのキラめく如き討論即応能力は、夙に世に鳴り響いているではないか。《しっかり頼むぜ、若旦那!!》
そんな魯粛以上に深刻なのは【劉備一行】であった。劉備の仁徳を信じて付き従う2万余の将兵と、かろうじて生き残った民衆達であった。彼等には最早ゆくべき明日が無くなっていた。どん詰まりに追い込まれ、野垂れ死に寸前の窮地に逼塞させられていたのである。進む事も退く事も出来ぬ、地獄の1丁目に迷い込んだ格好であった。ーー劉備を其処まで追い遣った曹操陣営では、そんな劉備の末路について大方の者が〈チェックメイト!〉=(王手!)だと取り沙汰していた。その推測に関しては『正史・程c伝』に次の如き記述が見える。『太祖ガ荊州ヲ征討スルト劉備ハ呉ニ奔ッタ。意見ヲ述ベタ者達ハ、孫権ガ劉備ヲ殺スニ違イ無イト判断シタ』・・・・即ち衆目の観る処では、たとえ劉備が呉に逃げ延びようと考えても、呉の方では劉備を生かして置かず、その首を差し出して和睦の材料にするであろうーーと予想されていた事が判るのである。(但し程cだけは、劉備は一筋縄ではゆかぬ男だから生き延びるであろうと観ていた、との趣旨だが)その観方・警戒心は当然、劉備陣営にも根強かった。「ゆけば殺されますぞ!」 と関羽。
「魯粛自身が、呉の国論は降伏・帰順に固まっていると認めているのですぞ!」 張飛も同感である。
「かと言って、他にどんな手が在ろうか!?」 劉備には最善策が思い浮かばない。
「荊州は広う御座る。長江の南側は未だ曹操の支配が及んではいまい。先ずは何処か適当な所に根拠を築きましょうぞ。」
関羽は参っては居無い。
「ですが、それでは、いずれ追い詰められて、今よりも厳しい事態に陥いりますぞ。」 趙雲は冷静であった。
「−−嗚呼、我等の夢も、此処で終いえるのか・・・・。」
劉備は流石に頭を抱え込む。
「事態は切迫しております。御命令を戴いて、孫将軍に救援を求めたいと存じます。」
軍師・【諸葛亮孔明】が、そう劉備に言上したのは、「夏口」へ辿り着いた直後の事であったか、「樊口」へ渡った後であったのかは定かでは無い。だが、それは大した問題では無い。
「いいや、お前一人だけを遣る訳にはゆかぬ。我等一同、死なば諸共である。皆で参ろう。」 と劉備。
「いえ、諸般の状況から観て、私と魯粛の2人だけの方が却って事は成就し易いと思います。又、その為にこそ居るのが軍師と云うもの。ここは万事、この諸葛亮にお任せ下され。」
「・・・・死ぬかもしれぬぞ。」
「元より其の覚悟は出来て居りますが、むざむざと失敗する私では御座いませぬ。必ずや成功させる成算が在る故に参るので御座います。」
「−−行って呉れるか・・・!?」 「お任せあれ!」
劉備は孔明の手を取ると、自身の運命をその若き軍師にキッパリと委ねて待つ事とした。いや、そうするしか無かった。
「私が龍であるならば、必ずや貴方様を天の高みへとお導き致すでありましょう。」
「臥龍、飛天すか!」
「いかにも、天翔けて見せまする。」
肝腎なのは、劉備一行が追い込まれた現実の深刻さであり、それに対する打開の方策である。呉の反対論を押さえ込んで納得させるだけの理論武装と討論即応能力に対する、諸葛亮の自信と確心の有無であった。 その劉備陣営の現状が、如何に切羽詰った事態であったか・・・・その様子が『江表伝』に載っている。
『諸葛亮が呉に行ったまま未だ帰還しない間、劉備は曹公の軍が攻め下って来ると聞き、恐れ慄いて、毎日見廻り役人を水辺に遣って、孫権の軍を待ち望んだ。』 のである。然程にまで追い込まれ、長江の上下流どちらへも身動き出来ぬ状況の劉備一行・・
その運命・生死は、一に掛かって諸葛亮の弁舌ひとつに委ねられる事となった。何が何でも呉国との連衡・提携を取り付けなくてはならない。その双肩に、劉備・関羽・張飛・趙雲・そして甘夫人や阿斗はじめ、多くの人々の夢と命が懸かっている・・・・
かくて臥龍と呼ばれた【諸葛亮孔明】は唯独り、人々の祈る様な思いを感じながら、魯粛に伴われて船中の人となったのである。目指すは呉の本営の置かれている「柴桑」であった。
「おお、魯粛よ、無事であったか!そなたの帰りを首を長くして待って居ったぞ!!」
孤立していた【孫権】の本音であった。
「実は是非、殿にお会いして戴きたい人物を同道して参りました」
「−−まさか、劉備か!?」
「いえ、劉備どの本人では有りません。その名代の軍師に御座います。」 「・・・・軍師とな?」
「はい。諸葛瑾どのの御舎弟で御座います。」
「おお確か、諸葛亮孔明と申したな?」
「殿より1つ上の27歳の、若き天才で御座いまする。」
「では許都の献帝と同い年だな・・・。」
「先刻御存知の事とは思いまするが、荊州の名士間では、臥龍とか伏龍と呼ばれた逸材に御座います。彼の意図する対曹操戦略は、私めの考えと完全に一致いたしております。」
「・・・・儂と連携して曹操めに対抗しようと云うのじゃな!?」
「遺憾ながら此の魯粛めは、この呉の帷幕に於いては未だ人望薄く、衆議にて口も出せぬ状態で御座います。そんな私めに代って孔明どのには、客観的立場から弁舌も整然と、降伏論者どもを論破して呉れるでありましょう。どうか是非に、孔明どのを衆議の席に召し出されて下さいますよう、御願い申し上げます。」
「そちの申す三国鼎立の論を、皆に得心させようと云う訳だな?」
「はい。然し今急に”鼎立の件”を持ち出しましても、誰も未だ其の遠大な話しには付いて来ないでありましょう。そこで取り合えずは先ず、降伏論を事実上押さえ込む手立てとして、劉備殿との同盟を承知させまする。同じ内容であっても、私が申せば皆、感情的にも反発致しますでしょう。 然しながら、大天才の噂も高く、同じ名士仲間の彼の言葉であれば、皆も冷静に聴く耳を持つと思われます。」
張昭ら在郷名士層に言わせれば、魯粛なぞには衆議に顔を出す資格さえ無いと云う事になるのであった。魯粛は財貨に拠って出仕を果した者なのであり、〔名士〕とは認められぬと云う訳であった。呉の帷幕に於ける魯粛の弱点は、”厨”(財を惜しまず人を救う事)に拠り名声を得て出仕した事であり、又その自論の根底に、漢王室の権威をハナから否定し去る不遜な態度が窺える・・・・と云う、名士たる者の猛反発を喰らう資質を持っていた点にあった。
「そして此の際、それを契機に国論を一気に抗戦へと大逆転いたす事も出来ようかと、愚考致して居るので御座います。」
「善し、あい解った!さっそく明日、諸葛亮なる其の者を、衆議の場に召し出そうぞ!!」
ルーツは一緒の孫権は、その魯粛の進言を了承した。
それを聞くや、魯粛は宿営に待つ諸葛亮の元へと飛んで帰った。
「ガハハ孔明殿、殿の了解を取り付けましたぞ!明日、衆議の席にお召しになるとの事ーー此処は1つ、ド〜ンと頼みましたぞ!」
それを聞いた諸葛亮は、穏やかな笑みで静かに頷いて見せた。既に孫権の真意は、魯粛から聴かされている。
《ーー問題は、重臣どもだな・・・・。》明日は、孫権との問答すると云う形を採りながら、その実は群臣達に言い聴かせるのが目的となる。ーー先ずは、逆賊汚名説を論破せずばなるまい。だが、そんな事はどうでもよい。要は、曹操の軍事力に脅える不安感を払拭させる事だ・・・・。
主君劉備をはじめ、樊口の地で待つ多くの者達の命運は、いつに此の自分の説得の成否に懸かっているのだ。
《−−どう話しを持ってゆけば、最も効果的であろうか・・・・?》
既に理路は整然と付けては有ったが、流石に今一度、それを検証する諸葛孔明であった・・・・。
呉の重臣会議・・・・文武百官居並ぶ中、諸葛亮は独り、手に白羽扇を携えて孫権の面前へと進み出た。堂内、寂として声無くただ大天才と噂に高いスラリとした青年の1挙手1投足に、全員の耳目が集中している。
「−−余が孫権仲謀である。」
大きな口と顎の張った、堂々たる体躯の若い君主であった。眼にはキラキラした独特の輝きが宿っていた。
「元の豫州刺史・漢の左将軍・劉玄徳の臣、諸葛亮孔明に御座います。この度は討虜将軍様からの特別な御計らいを得て呉国の衆議にお召し戴きまして、心より感謝致しておりまする。」
その涼やかな表情には、些かの力みも無い。
「今節、曹操から我が国に対して、降伏を促す文書が届きおるはその方も聞き及んで居よう。それに対して、我が国の家臣達が如何なる考えを持っているか、先ずは知って置いて貰おう。」
孫権も、上手く話を持っていって呉れる。
「張昭、そちの考えを、今一度申し述べてみせよ!」
「ははっ、畏まりました。」
呉国に置ける【張昭】の人望は、名士層の総帥として巨大なものであった。先代・孫策から厚く請われて出仕して以来、内政・治世の一切を委ねられて来ていた。今この場に居並ぶ群臣達の殆んどは、彼の推挙や呼びかけに応じて来た者達で占められている。実際、孫氏が独立国家の形態にまで発展し得たのは、彼の才腕に拠る処が大きかった。半ば孫呉政権は、張昭閥によって成り立っていると言っても過言では無い。事実この先も生涯に渡って、張昭は恒に(孫権の意に反して)呉の丞相候補として群臣の人望を失う事が無い。その容貌も重厚で堂々たる巨躯を有し、3代目・孫権に対しては、耳の痛い御意見番で在り続ける。
詰り、基本的に張昭の立場は、常にシビリアンコントロールの司令塔の位置に在って、君主個人の利益よりも、政権を構成する家臣団(利益共同体)の長として、国の在り方を考える立場の人物であったのだ。謂わば、国家を支える影の実力者である。だがこうした人物が在ればこそ、国は治まるのである。従っておのずと其の思考方向は安全策を採り、国家基盤の崩壊を最も警戒する・・・その張昭、例の”大局的見地”を、長々と力説して見せる。
1つーー大義名分に利あらず・・・・
2つーーもはや地の利もあらず・・・・
3つーー軍事力の差に至っては、全く利あらず・・・・
「今、張昭の申し述べた論に、異議の有る者はおるか?」
孫権は念の為、朝堂全体をゆっくりと見廻した。魯粛は一番後ろで、口を噤んで居る。孔明の実兄・諸葛瑾の姿も在ったが、この兄弟は公式の席で顔を合わす事はあっても、公の場を退いた後私的に面会する事は、生涯に渡って1度たりとも無いのである。無論、此処に【周瑜公瑾】の姿は無い。
「・・・・と云う次第じゃが、孔明殿には如何が御考えかな?我が国の臣では無いそなたの考えは、或る意味では客観的であろう。又、実際に曹操と戦った体験からも、何か違った考え方が有るやも知れぬ。遠慮は要らぬ。この際、その方の考えを、存分に聴かせて呉れ!」
ーーその時がやって来た・・・・・
(以下、諸葛亮と孫権との対話部分は正史・諸葛亮伝に拠る)
然し諸葛亮は、同じ自然体の儘、半歩だけ前に進むと、穏やかな佇まいで口を開く。
「・・・天下は乱れに乱れ、将軍(孫権)は挙兵して江東を所有され、劉豫州(劉備)も亦、漢水の南方で軍勢を納めて、曹操と轡を並べて天下を争って居られます。」
静かな話し出しであった。だが此の語り出しの中には、既に微妙な言い廻しが含まれている。心意気は兎も角、劉備が曹操と肩を並べて居るなど、現場を知る者ならとても謂える状態では無い。然し、此処に居る者達の中で、其の惨状を実際に見ているのは魯粛だけであった。静かに話す事によって、その虚構は真実味を増すのだ。
「いま曹操は大乱を切り従え、ほぼ平定し終わり、更に荊州を破って、威勢は四海を震わせております。英雄も武力を用うる余地無く、その為に劉豫州は遁走して此処に来られたのです。」
余り極端な言い廻しは不信を招く。そこで劉備が逃げて来た事実だけは認めて見せる。
「将軍(孫権)よ、貴方も自分の力量を測って、此の事態に対処なされませ!」
口調一転、諸葛亮の舌鋒は、俄に孫権自身に向けられる。そしてズカリと相手の懐に踏み行ってゆく。
「もしも呉・越の軍勢を以って中国に対抗できるのならば、即刻、国交を断絶されるに越した事はありませんし、もしも対抗できぬのであれば、兵器甲冑を束ね、臣下の礼をとって、これに服従なされるのが宜しいでしょう!!」
何時まで愚図愚図やって居るのだ、ハッキリせよ!と君主に決断を迫ったのである。
《おいおい、そんな事言っちまって大丈夫なのかよ?》
流石の魯粛も一瞬唖然とした。
『将軍、力ヲ量リテ之ニ処セヨ。 若シ能ク呉越ノ衆ヲ以テ中国ト抗衡セバ、早ク之ト絶ツニ如ズ。若シ能ク当ラズバ、何ゾ兵ヲ案ジ甲ヲ束ネ、北面シテ之ニ事エザルヤ。』
「いま将軍は、外では服従の名義に寄り掛かりつつも、内では引き延ばし策を採って居られます。事態が切迫しているのに、決断をお下しに為らないならば、災禍は日ならずして訪れるでありましょうぞ!」
『今、将軍、外・服従ノ名ニ託シ、内・猶予ノ計ヲ懐キ、事急ニシテ断ゼズ。禍至ルコト日無ケレン。』
解ってはいるが満座の面前で言われて、若い孫権ムカッと来た。
「そう云う言い状であれば、そちの主・劉豫州の方こそ、何で曹操に仕えないのか!?彼こそ敗残者ではないか!!」
《はは〜ん、その手であったか・・・・》魯粛、納得。相手が感情的になって来てくれた。同盟の言質を取ってしまう好機到来である。
「田横は斉の壮士に過ぎなかったのに、尚も義を守って屈辱を受けませんでした。まして劉豫州は漢朝の後裔で在られ、その英才は世に卓絶して居ります。多くの士が敬慕するのは、丸で水が海に注ぎ込むのと同じです。もし事が成就しなかったならば、それは詰りは天命なのです。何で曹操ごとき者の下に付く事など出来ましょうや!!」
『田横ハ斉ノ壮士ナル耳。猶オ義ヲ守リテ辱シメラレズ。況ンヤ劉豫州ハ王室ノ冑。英才世ヲ蓋イ、衆士ノ慕イ仰グコト水ノ海ニ帰スル如シ。若シ事ノ済ラズンバ、此レ乃チ天ナリ。安ンゾ能ク復タ之ノ下タラン乎。』
−−貴方は只の壮士以下なのですか?劉備の如く、万事天命だと覚悟する屑さも無いグズなのですね!?
此処まで言われて、孫権は半ば本気で頭に来ている。
「余を誰と心得おるか!余は呉の国の君主、孫権仲謀なるぞ!
余には今、呉の土地全部と10万もの軍勢が、そっくり其のまま残っておるのだ!他人の掣肘など、受ける訳には参らぬわ!
よし、儂の決断は着いたぞ!!劉豫州以外には、呉と同盟して曹操に当れる者は居無い。ーーだが然し、劉豫州は曹操に敗れたばかりじゃ。この後、どうやって此の難局にぶつかる事が出来ようぞ?」
『吾、全呉ノ地、十万ノ衆ヲ挙リテ、制ヲ人ニ受クル能ワズ。
吾ガ計、決セリ。劉豫州ニ非ズンバ以テ曹操ニ当ルベキ者ナシ。然レドモ豫州新タニ敗レタル後、安ンゾ能ク此ノ難ニ抗セン乎。』
《・・・・うまい!両方とも上手過ぎる!!》
独り魯粛だけが、会心の笑みを圧し殺すのに苦労していた。
「劉豫州の軍は、長阪に於いて敗北したとは申しましても、現在、逃げ帰った兵と関羽の水軍の精鋭合わせて1万人。劉gが江夏の軍兵を集めれば、これも亦1万人を下りません。曹操の軍勢は遠征で疲れ切っております。 聞けば劉豫州を追って、軽騎兵は1日1夜で300里以上も馳せたとの事・・・・これは所謂、『強弓に射られた矢も、その最後は魯の絹さえ貫けない程に弱くなる』と云う事態です。故に兵法では是れを嫌って、『必ずいきり立ち勝ち誇った前軍の将は倒される』と言っております。(孫氏・軍争篇)
その上、北方の人間は、水戦に不馴れです。また荊州の民衆・将兵が曹操に靡いているのは、軍事力に脅圧された結果であり心から従って居るのではありませぬ。」
『豫州ノ軍、長阪ニ敗レタリト雖ドモ、今、戦士還ル者及ビ関羽ノ水軍、精甲万人アリ。劉g、江夏ノ戦士ヲ合メシモ亦万人ヲ下ラズ。曹操ノ衆ハ遠来シ疲弊セリ。 聞ク、豫州ヲ追ウニ軽騎モテ一日一夜、行ク事三百里ナリト。此レ所謂、強弩の末勢、魯糸高を穿つ能わざるモノ。故ニ兵法コレヲ忌ミテ曰ク、必ず上将軍を蹶すト。且ツ北方ノ人、水戦ニ習ワズ。又、荊州ノ民、操ニ附スル者ハ兵勢ニ逼ラレシ耳。心服スルニ非ザル也。』
《いいぞ、いいぞ、その調子だ!日ごろ名士を鼻に掛けて居る
連中、グウの音も出せぬわい・・・・。》
「今、将軍が本当に勇猛なる大将に命じて、兵士数万を統率させ劉豫州と計を共にし、力を合わせる事がお出来になるならば、曹操の軍勢を撃破するのは間違いありませぬ!曹操軍は敗北したならば、必ず北方へ帰還致しましょう。そうなれば荊・呉の勢力は強大に成り、3者鼎立の状況が形成されます。成功失敗の切っ掛けは、いつに掛かって今日に在りますぞ!!」
ーー言中に〔荊・呉の勢力〕と云う表現・文言を用いたのは、戦後に於いて、劉備陣営が荊州の地を担け持つ、即ち荊州の領有権を劉備に認める・・・・と云う1条である!!
『今、将軍誠シ能ク猛将ニ命ジ 兵数万ヲ統ベ、豫州ト協規同カセバ、操ノ軍ヲ破ルこと必セリ。操ノ軍破ルレバ必ズ北ニ還ラン。此クノ如クンバ則ち荊呉ノ勢彊ク、鼎立ノ形成ラン。成敗ノ機、今日ニ在り!!』
ーー以上、ここ迄は『正史・諸葛亮伝』に拠る・・・・
魯粛は初めて劉備と会見した際、独断専行で同盟を持ちかけ、その見返りとして『戦勝後には荊州経営を劉備に任せる』・・・・と云う事まで確約(密約)していた。無論、魯粛個人に最終的な決定権が有る訳では無かったが、孫権からの信任の厚さを思えば、十二分に実現可能な約束であった。但しその前提は呉軍の勝利である。勝ちさえすれば、そう出来る自信は在った。そう成るしかあるまい。
《やった!完璧な理論だ。さすが孔明殿、これで事は成ったぞ!》
「よう、言って呉れた。そなたの話しは、全て儂の心と一致する内容であったぞよ!どうじゃ皆の者。今の諸葛孔明の論談に、非の打ち処は在るまい。」
愁眉を開いた孫権は、自信満々家臣一同を睥睨した。
「余はここに、劉玄徳との同盟を宣言する!」
是れぞ、諸葛亮外交の大成果であった。名士は名士によって、論破されたのである。
《よっしゃア!ついに曹操軍との全面対決の断が下されるか!》
同盟が成立したからには、当然、最後の締め括りとして、
〔決戦の宣言〕が高らかに発せられる筈である。魯粛はじめ全ての者達が、若き君主・孫権仲謀の最後の一言を待った。
「お待ち下され〜ィ!!」
思いがけぬ所から、凛とした大声が響き渡って来た。
「−−!?」声の主が誰なのか判らなかった。今まで聞いた事も無い者の声であった。
「−−誰じゃ!?」 孫権も見当が付かない。
「拙者には、只今の孔明殿の言辞に、些か納得いたし兼ねる処が御座いまする!」
「構わぬ、余の前に出て顔を見せよ!」
群臣達がザワザワと周囲を見廻す中、孫権の面前に其の姿を現わしたのは意外な人物であった。身に甲冑を纏った軍人である。
−−その武将の名は【黄蓋】・・・・字は公覆
呉の全武将中最古参の老将であった。 初代・孫堅の旗挙げに馳せ参じて以来、洛陽での董卓戦・荊州での黄祖戦を皮切りに、2代目孫策、今の孫権と、3代に渡って常に白刃を犯して各地を転戦して来た。孫氏一族にとっては掛け替えの無い、武門の大忠臣であった。風貌は叩き上げの軍人らしい威厳に満ちていたが、日頃から兵士達の生活によく気を配り慈しんだ為、いざ戦いとなると兵達は皆いつも先を争って戦うのであった。その温厚だが毅然とした人柄から、〔山越〕問題のエキスパートでもある。
《自分は不徳にして、ただ武功によって公の役目を果しは来たが文官としての評価を受けた事は無い。》・・・・それが彼の、生涯の慙愧であった。この黄蓋は生粋の軍人だと想われがちだが実は秀才で「孝廉」合格者のキャリア組だったのである。その才能を、終に文治に活かせなかった事に対する些かの悔やみが有る・・・
「おお、黄蓋であったか。何か気になる事でも有るのかな?」
小五月蝿い文官連中では無かったので、孫権は少しホッとした。
「はい。恐れながら申し上げます。いざ曹操と雌雄を決する時に、実際に戦うのは一体誰で御座いましょう?此の場で舌先三寸の議論を為すお歴々で御座いましょうか?
私めは軍を指揮して、直接戦さ場に立つ者としての立場から、モノを言わせて戴きまする。・・・只今の孔明殿の論は一見、文官の方々を納得させるに足る様に聞こえますが、その論拠と成っている兵力差についての見解は、可也の無理が御座います。」
百戦練磨の最長老の発言に、一同ホウと耳を傾けた。
「お話しによれば、劉備軍は最大で2万。僅かそれだけの兵力が加わったからと言って、曹操軍80万との戦いに、一体どれ程の変化が生まれると云うのでありましょうや!?」
この黄蓋の爆弾発言によって、それまで魅入られた様に静かだった議事堂が、急にザワめき出した。孔明が掛けた魔法が解けて、皆が我に返ってしまったのだ。
「そうだ!危うく我々は道を誤る処だったのじゃ!」
「おお、誠にその通りじゃ。やはり無理であろうよのう!」
「我々の従来からの考えは、間違っては居無いのじゃ!」
《ああ〜、是れで全てがブチ壊しじゃア〜!
元の木阿弥に成ってしまった!!》
魯粛は頭を抱え込んでしまった。一方、俄に息を吹き返した降伏論者達の口説は、ワイワイと再び攻勢に転じ始めた。こう成ってしまっては、孫権としても、是れを強引に押さえ込んで、断を下す訳にはゆかなく成ってしまった。
「−−本日の衆議はこれ迄と致す!皆の者、大儀であった!」
この事態を収拾する為に、閉会を宣言するのがやっとの羽目と成ってしまった。それでも尚、誰1人として退席する者は無く、議場は騒然とした儘の大混沌の様相を呈した。
「皆の者、静まれ〜イ!!」
未だザワついている一座の上に、孫権の一喝が落ちた。
「もう、時が許さぬ。次の衆議の結果を以って、余は最終決断を下す!!一同の者も、その覚悟で居て呉れ〜イ!!」
「−−駄目であったなあ・・・・。」
孫権も流石に気落ちしている。同盟は何とか成立させたものの、肝腎な最終決断を宣言する処までにはいけ無かった。
「−−惜しゅう御座った・・・・。」
この場面では諸葛亮の独り勝ち、孫権・魯粛にとっては1歩前進半歩後退と云う処であった。
「まさか、あそこで黄蓋が出て来るとは、思いも寄らぬ事で御座いました。」
かくて諸葛亮の熱弁は、取り合えず劉備の逃げ場所を確保する事に成功した。だが一面では、劉備陣営の非力さが露わになり、諸葛亮の論舌を以ってしても、呉の国論を一気に決戦へと引っくり返す事は出来無かった・・・・とも言えるのであった。
ーーー議論だけでは戦さには勝てぬ!!
実際に兵を動かして戦うのは、魯粛でも諸葛亮でも無いのである。文民統制とは言い状、いざとなれば軍事力だけがモノを言う戦国乱世の現実の前には、いかな天才的論客を以ってしても、事実を打ち破る事は成し得ぬのであった。魯粛も諸葛亮も、頭脳だけに頼らざるを得無い現段階の、己の限界を思い知らされる事となったのである・・・・ とは言え、単身、未知の外国に赴き、その弁舌ひとつで、瞬く間に同盟を取り付た諸葛亮孔明の外交的成果は、評価しても猶お余りある大きな凱歌・勝利であった。
この見事な同盟締結により、生涯最悪の窮地に追い込まれて居た劉備は、その未来に、1筋の光明を見い出せる可能性を獲得したのである。ーーそして、この諸葛亮の呉への飛天こそが、ダメ男をして、皇帝の高みへと誘う第一歩と成るのであった!!
孫権は、そんな孔明を高く評価して、是非にも自分の陣営に欲しく思った。そこで彼の実兄である【諸葛瑾】と面談して、遠廻しに孔明を招聘しようとした。
「貴方は、孔明殿とは同じ御両親から生まれられた兄弟である。弟が兄に従うのは道理から謂っても当然の事だ。なのに何故、孔明殿を呉に引き留めようとされぬのか?もし孔明殿が貴方の元に留まられるのであれば、私は手紙を書いて、玄徳殿の了解を求めてやろう。思うに玄徳殿も反対は出来ぬであろう。」
すると諸葛瑾は言うのであった。
「弟の諸葛亮は、ひとたび其の身を人に預け、礼式に則って君臣の固めを致しました以上、ニ心を抱く道理が御座いません。弟が呉に留まりませんのは、ちょうど私めが劉備の元へ行ってしまわぬのと同様なので御座います。」
「流石に聡明な御兄弟であられる。その言葉は天地神明をも貫き通すに足るものじゃ!」
孫権は感服し、以後は其の事を持ち出す事は無かった・・・・。
《ーーフフ、儂の演技も、なかなか捨てたモンでは無いかな?》
【黄蓋】は、己の本日の出来映えに、我ながら満足していた。
全て”或る人物”からの指令通りに立ち廻ったのである。
『殿がもし、断を下しそうになったら、必ず其れを阻止せよ。多分こう云う場合には、こうせよ・・・・。』 そして何より、黄蓋自身が、軍人の中では〔最も強硬な降伏推進論者である事〕を、内外に印象づけて置くように・・・・・
「大都督殿、この黄蓋公覆、老い花咲かせる日を、楽しみにして居りまするぞ。」 すっかり白くなった顎髭をしごきながら、老将は遙か番卩陽の地を仰ぎ見るのであった・・・・・。
このギリギリの段階まで、未だ柴桑に姿を現わさぬ呉国軍最高司令官・・・・一体その真意は??はた又、その胸中に秘められている筈の成算や如何に?
建安13年(208年)は、既に12月に入っていた。もはや曹操が江陵を発進するのは時間の問題と成っている。
ーーそして、ついに・・・・静かに、而して必勝の確信を秘めた〔赤壁の主役〕が、その鍛え上げられた大艦隊を従えて、
曹操との決戦の地へと進み出した。番卩陽湖の眩い朝陽を全身に浴びつつ、その旗艦の舳先に立つ男・・・・赤いマントが、新しい時代の風を孕んで心地良げに後方へと流れる。
この人物こそが赤壁戦を支配し、
三国時代を創出するのだ。
いよいよ【周瑜公瑾】の登場である!
【第147節】 孤高の主役、登場(赤いマント再び)→へ