第142節
筋金入りの売国奴
                                 国売りの秘密結社




その
曹操のおごについてだが・・・『漢晋春秋』の「習鑿歯しゅうさくし」は次の様な所感を述べている。
『昔、斉の桓公がひとたび己の功績を誇ると、反乱する者は9ヶ国に及んだ。
曹操が僅かの慢心に陥ると、天下は3つに分かれた。どちらの場合も、数十年もの間努力し続けた事を
一瞬の内に棄て去る事になったのである。何と残念な事であろう。
 だからこそ君子は、日が暮れるまで謙虚さを持って努力し続け、人にへりくだる事を考え、手柄が高くとも謙譲の態度を持し、地位が尊くても低姿勢を取り続けるのである。一般の人々に近い心情を持っているからこそ、高貴であっても人々から其の重さを嫌われず、民衆に行き渡る徳を具えているからこそ、事業は広大となり、天下からいよいよ其の恵みを喜ばれるのである。 そもそも
此の様であるからこそ、その富貴を保ち、その功業を保持して、その時代に於いて隆盛となり、百代の後までも幸福を伝える事が出来るのである。決して慢心してはならない。この事から君子は曹操の挫折した理由を理解するのである。』 と・・・・。


ーーさて、其の問題の曹操慢心の一瞬の場面であるが・・・・当の曹操自身、まさか其の接見の相手が、腹の底に

売国の覚悟
を秘めていたとは思いも寄らなかったであろう。いかに策謀渦巻く戦乱の世とは言え、そんな先例は未まだ嘗て何処にも存在し無かったのである。問題は其の【相手の人物】である。その人物の心情・思考・倫理観である。
・・・・のち、その人物の生き方に対しては、晉の官吏である張王番は、その「後漢紀」の中で彼を評して、ズバリこう言い切っている。
彼の主君は愚かで脆弱ぜいじゃくな男ではあったが、善言を守った。無道の君主という程では無い。然るに彼は、君主にハッキリと状況を説明しようともせず、又、絶縁を宣言して自分の方から立ち去る事もせずに、二股を掛けて異心を抱き、巡らせた計策も忠義から出たものでは無かった。罪人に類する輩★★★★★★★と言えよう。』 と。但し、ここで弾劾されている人物は協力者でり、本当の仕掛け人では
無い。真の黒幕である人物は(当然の事ながら)史書の合間にチラリ
チラリと顔を覗かせるだけで、「伝」としては記されては居無い。
処で、『三国志』の中に出て来る数ある”裏切り者”の中でも、彼等2人は、折り紙付きの確信犯である。最初から最後まで徹底して、其の行為に命を賭け続けた稀有の例である。普通は途中から変節するから”裏切り”と言う。だが彼等の場合は必ずしもそうした範疇には当て嵌まらない。然も、そのお蔭で《の国》が出現したと云う、徹頭徹尾、完全なる売国奴であり続ける。多分彼等自身は、後世に其の汚名を着るであろう事も覚悟の上で国を売り、主君を騙し続け、完璧に裏切った。
そして裏切りが成功すると国を差配し続け、あの【諸葛亮】ですら彼の権勢を御する事が出来ぬ程の信頼を、新君主の【劉備】から獲得する。だから《蜀》にとっては建国期に於ける第一の功臣とも言える。・・・・故に、その行動については、評価が大きく分かれる所である。蜀の遺臣である『正史』の著者・【
陳寿】としても、最も頭の痛い祖国建国秘話の”恥部”である。然し事実である以上は、それを書かずには措けない。さりとて、我が故国を貶める事は忍びない。そこで、真の黒幕である方は、(どの国に於いても活躍はしなかったとして)「伝」を立てず、実際に蜀で権勢を振るった協力者の方だけに「伝」を立てる事としたのである。
−−故に、事が事だけに尚更、我々としては、その謀略の全貌を知る手立てとして、史書だけに頼る事は出来無い。又、事の性質上、詳しい日付や場所の特定が出来無いのは已むを得無い。
ましてや其の会話など知るべくも無い。そしてポツンポツンと記されているに過ぎない史書の空白部分には、我々の推測・想像が入り込まざるを得無い。そもそも、曹操が何時何処で”黒幕”に謁見したのかさえも、大凡の記述しか残っていないのである。とは言え、全く手掛かりが無い訳では無い。そこで先ず、この出来事が最初に正史に出て来る部分から見てみよう。

尚、お断りして置くが、筆者は都合上、〔
売国奴〕だの〔黒幕〕だのと云う、殊更にネガティブな表現を用いるが、そもそも国家などと云う巨大な代物は、売り買い出来るモノでは無い。又、事が事だけに成功する確率は非常に低く、失敗すれば確実に命は無い。又、犯罪の中でも最悪の罪であり、処罰は3族にまで及び皆殺しである。生半可な気持では抱ける思いでは無い。だから、この出来事に関わった2人は、己個人の利害を超越した、確固たる信念の基に、命懸けの道を選んだ真っ直ぐで、勇気ある人間だったのも事実である。俗に言えば、世の為・人々の為に命を捧げた、已むに已まれぬ行為であった、とは言えよう。
ーー果して彼等は
売国奴なのかそれとも真の愛国者なのか・・・・観る者の立場によって、どちらにも成り得る、何とも微妙な問題を含む事案ではある。

「−−ダメだな、これは・・・・」

1人の小男が、険しい山並を見上げながら、深い溜息を吐いた。

「矢張り、ですな。」 もう1人の男が、その溜息に相槌を打った。

「この儘では、国が亡びる・・・・」

「もはや事は急を要しますな。」

「君も充分わかって居ると思うが。」
溜息の男は、相手の口から答えを促す様に言葉尻を濁した。

「取り除きますか?」

「取り除いたとて、跡が持たん。」

「では如何なされるのですか?」

此処は、曹操が在る「江陵」からは遙か西方の
益州蜀郡の地。
溜息を吐いたのは益州の重臣である。その名を
張松ちょうしょうと言う言葉は不適切かも知れ無いが〔黒幕〕である。相手は彼よりは大分若いが、以前から友人として付き合っている浪人者だった。名は法正ほうせいと言った。品行が良くないとの風評の為に、未まだに主君から招かれていない。同じく〔協力者〕となる男である。

・・・・だが此の場合ーー最も推測困難なのは彼等の
動機である。『正史・法正伝』には只こう有るのみである。
張松は法正と仲が良かったが、
 劉璋が共に大事を行なう器量を持たない事を
 思い遣って、いつも心中で歎息していた
』・・・・


「君の仕官ひとつ取ってみても分かる様に、自分の考えと云うものが1つも無い。最初から人の言い成りでしか無かった。」

「確かに、人物では有りませんな。よく此処まで国が続いて来たと不思議な位です。」
その話しの対象は張松の主君・
劉璋である。人は善い。善過ぎる。市井の好々爺の如きである。家臣の言う事を全部聴く。人任せとも言えよう。内治はそれでも良い。だが、事、軍事方面・国家の安全保障については丸でダメである。直ぐ北の漢中盆地に居る、張魯(五斗米道)から一方的に攻勢を掛けられ続け、防戦だけに汲々としているのみであった。
それにも増して情けないのは、其の局地戦が国家安全保障の全てだとしか思えない視野の狭さであった。井の中の蛙である事に気付かない。と言うより無関心に近い。こちらが善意で在りさえすれば、相手も善意であるものと決め付けて疑わない。太平の世であれば、中庸の名君で居られたかも知れぬが、とても此の激動の時代を乗り切る資質では無い。

「その事よ。今迄は只、単に我が国の場所が、天下争乱の蚊帳の外に置かれていたからの僥倖に過ぎぬ。誰であっても構わなかったのじゃ。」

「時勢は最早、それを許さぬと?」

「いかにも。この儘では近々、我が国は争乱の禍いに呑み込まれる。多くの無辜の民が死ぬ事になろう。我が山河は荒れ果てて傷付き、民は塗炭の苦しみに喘ぎ続ける日々を招く事となる。儂には其れが耐えられぬ。座して此の儘、その悲劇を見過す訳にはゆかんのじゃ・・・・」

「いかにも!私もそう思って居ります。されど、それを打破する方策が私には分かりませぬ。」

「それは既に此処に在る。」
小男は己の胸の上に手を乗せて見せた。

「私に其れを御示し下さりまするか?」

「ウム、その時が来たようじゃ。」
事は秘事中の秘事だが、2人は是れまで充分に語り合い、お互いの本音を打ち明けあって来た仲であった。

「君だけが我が同志である。今後一切の事は、我等2人だけで進める。だが、この秘策を伝えた今この瞬間から、我等は命懸けの道に踏み出す事となるが、覚悟はよいか。」

「元より士たる者、国を救うに、我が1身の事などに拘って居られましょうか!」

「その言や好し。では我が胸の裡を明かそう。」
ゴクリと咽を鳴らして、その秘策を聴く同志。

この国を、そっくり英傑に譲り渡す!

「・・・・・!」

「無駄な血を流さず、我が民と山河を守る為には、この方策しか無い。最も賢明な道じゃ。」

「なる程!・・・・で、その相手の英傑とは!?」

「曹操しかあるまい。」
「ですな。」

「じゃが、この儂自身の眼で、その人物を確かめる迄は安心出来ぬ。確証を得る迄は迂闊には動き出せぬ。」
実は
(後述するが)既に、張松の兄が1度だけ曹操との謁見を果していたのではある。 然し無論、張松は其の兄に対しても”本心”を伝えては居無い。

「慎重な上にも慎重であるべきでしょう。」

「今、曹操は荊州の平定戦に全力を注ぎ、更には其の後の呉との決戦に掛かり切りだろう。果して此の時期に、益州ごときに関心を示すかどうかは微妙な段階じゃ。否、寧ろ難しかろう。 然し、さりとて今この時機を逸すれば、張魯からの総攻撃を受けて、我が国そのものが滅亡してしまうやも知れぬ。もはや時は待っては呉れぬ段階に在るのだ。兎に角、曹操に会って説得するしかあるまい。」
「具体的には如何が進める御心算ですか?」

「北の張魯を討って貰う事を口実に、儂が曹操軍を導いて来る。」

「そして其の儘、国を譲らせるので御座いますな。」

「人は我等を”売国奴”と呼ぶやも知れぬ。だが何と呼ばれようと、民を思い、国を憂う真心が在る限り、誰に恥ずる事の有ろうや。」

「して此の私めは、どの様にお役に立てば宜しいので御座いましょう。」
「曹操との交渉は1回では済まぬ。儂が行った後の次回以降は、その役を君に任せる。その間に、儂は本国に居て状勢を説き伏せる。先に曹操と面会した兄の件は、我等とは全くの無関係な事とせねばなるまい。」
その兄は
張粛ちょうしゅくと言う。そしてこの兄弟の主君は益州牧の劉璋であり、彼等兄弟は夫れ夫れに〔別駕べつが従事・別駕〕と云う、最も重要な地位に在った。別駕とは文字通り、主君が国内を巡検する際に別の駕籠に乗って主君に随行すると云う、謂わば首席家老・筆頭家老とでも言うべき最高職である。
 尚、益州は既述の如く、一州が全て険しい山嶽に取り囲まれた西の孤立(独立)国家である。 初代の劉焉が188年に州牧の第1号としてみずから求めて(後漢王朝を見限って)入り込んでからは20年後の事。その劉焉が6年後の194年に死に、2代目を継いだ劉璋の代になってからは14年が経っていた時の事である。
まあ、天下の争乱からは見向きもされず、半ば置き残されていた為に
(北の漢中盆地に五斗米道の張魯と対立してはいたが)、何とか過して来た国・主君と言えよう。
 

・・・・・で現在も、劉璋本人は天下の状勢など全く気にもして居無かったのだがーー周囲の家臣達は気が気では無い。流石に筆頭家老の「
張粛」は心配になって、主君・劉璋に、曹操に対する好みを通じて措くべきであると進言した。そこで劉璋は、取り合えず家臣(陰溥)を派遣して、曹操に敬意を表させた。すると曹操は返礼として劉璋に”振威将軍”の名称を与えて寄越した。それですっかり用は済んだと思ったのか以後は何の関心も示さぬ主君・劉璋。その余りの呑気さに、又々張粛が気を揉んで、もっと具体的な献上物の上納を進言する。
「そうじゃの。では全ては任せるから、お前自身が行って来て呉れるの?」 ーーその結果、『
劉璋は更に別駕従事の蜀郡の張粛を派遣して、蜀兵300人と種々の御物を曹公に送ったところ、曹公は張粛を広漢太守に任命した。』(正史・劉璋伝)・・・・と云う前段階が有ったのである。だが張松は、この実の兄に対しても”本心”は漏らして居無い。だから当然ながら、曹操に〔国渡しの秘策〕は伝わってはいない。そこで今度は張松自身が、胸に”売国の決意”を秘めて、直接曹操に会う事にしたのである。
向かうは荊州、曹操が乗り込み占拠した「江陵」の地・・・・・
その「
江陵」、釜の底を引っ繰り返した様な大混雑にゴッタ返していた。何処を見廻しても人・人・人の波である。城内に入りきれない軍兵が、野外にまで溢れ出す形で宿営している。それを狙って物売りが行き交い、荷駄の車列が延々と渋滞していた。特に、新しい支配者と成った曹操に1目だけでも接見して貰おうと、進物を携えて各地からやって来た者達は、門前に市を為し、その長蛇の列の最後尾は見えない程である。
そうでなくとも、直後に大作戦を控えて大忙しの
曹操であった。その限られた時間を、謁見だけに割く訳にもゆかない。 その上既に、目星しい者達との接見は粗方済ませていた。−−張松が長江を下り、江陵の船着場に降り立ったのは、そんな折であった
「何?又来たと申すのか?」
劉璋からの使者ならもう既に2回も接見していた。劉璋には”振威将軍”号を授け、使者の張粛にも”広漢太守”の肩書を与えた措いた筈である。
「今度は別な男で御座いまする。別駕の張松と申して居ります。」
「フム、遠方から来たからには仕方あるまい。 会うだけは会ってやるか。」
多忙ゆえとは謂え、ここには既に、曹操の慢心が些か滲み出ていた。もう少し前の曹操であれば、こんな態度は決して取らなかったであろう・・・・。
※『
演義』は此の場面をズッと後に時間設定し、許都城内の事とした上で、張松の風貌を『くわの様な額で尖った頭に潰れた鼻おまけに出っ歯で5尺に満たぬドチビ。声は銅鐘みたいなシャガレ声』とする。これでは丸で、出っ歯のオランウータンであるが、『曹操は先ず、その張松の外見が余りにも貧相だった為に不快感を抱き、然も其の物の言い方が挑戦的だった事から頭に来て、サッと退出してしまった』・・・・事にしている。無論、史書には張松の風貌についての記述は一切無い。前節に述べた「王粲」の風貌を拝借して来て思いっきりデフォルメしているのである。
(※ 但し裴松之の補註は『益部耆旧雑記』に次の如き1文を紹介している。・・・・張粛は威儀正しく、堂々たる容姿をしていた。張松は生まれつき小男で、勝手気儘に振舞い、品行を整えようとしなかったが、識見と判断力を有し、才腕の持主であったとし、続いて此の時の場面をも載せている。−−張松が遣って来た時、曹公は余り礼遇しなかった。曹公の主簿・楊脩は張松の人物を高く評価し、曹公に張松を召し抱えるよう言上したが曹公は承知しなかった。楊脩が曹公の編纂した兵書を張松に見せたところ、張松は宴会の間に通覧して、たちどころに暗誦した。楊脩はその為ますます彼を特別視したーー)

而して曹操こそは、群雄の中でも最も相手の風貌に拘らぬ男であり、その「王粲」を直ちに自分の補佐官に就けているのが事実である。すなわち、創作の世界に於いてでさえも、この場面は上手く説明出来無いのである。

では『
正史』の方は、この場面をどの様に記述しているのだろうか?ーー『劉璋伝』に曰く・・・・
劉璋は又、別駕の張松を曹公の元へ派遣したが、曹公は此の時すでに荊州を平定し、先主を敗走させていたので、もう張松を歯牙にも掛け無かった。この為に張松は怨みを抱いた。

※尚、正史を参公にして書かれた「漢晋春秋」では、『張松が曹公に見えた時、曹公は慢心して、張松を歯牙にも掛け無かった。張松は帰還すると、劉璋に絶好するように勧告した。』とのみ、正史の跡をなぞっているだけである。

「今回は特別な献上物は持参して居りませぬ。」
係りの者が何時も通りに、他意なく報告した。
「ほ、田舎者めよの。」 そんなケチ臭い了見で曹操の心が動いたとは思え無い。才能さえ有れば、手ぶらで丸腰の相手を、諸手を挙げて、幾十人迎え入れて来た事か・・・・張松は、そんな曹操の度量を充分に聞き知っていた筈である。その上、張松の胸の中には、是れ以上は無い〔
究極のプレゼント〕を持って来ていると云う自負が有る。益州1国に比べたら、どんな献上品も及ばないではないか。ーーそれだけの予備知識と準備と覚悟を整えて来た張松であるのに、この会見が成功しなかったのは一体何故だったのであろうか??
 曹操にとっても決して損な話しでは無い。寧ろ天下統一が現実のモノとなりつつある曹操にとっては、願っても無い幸運である。それを考えると、どうも此の接見は、会話の糸口さえ無い儘に終了した事になりそうである。詰り、流石の曹操も、まさか相手が、そんな大それた構想を抱いているなぞ、ついぞ念頭に無かったと云う不明さを曝け出したと謂う事である。それ程に、張松の考えは破天荒なものであった訳だ。敢えて曹操を弁明するとすれば、劉璋程度の言って寄越す要望は先刻承知と観ていた・・・と云う点であろう。わざわざ3度も4度も聞かずとも、「北の張魯を何とかして欲しい」と云うに決まっているのだった。それであれば今の曹操には殆んど何の実利も無い。未だ先の話しでも充分に間に合うのであった。
恐らく其の接見に至る迄の間にも、張松は長い間待たされて居たに違い無い。待ち焦がれた大切な相手である事が判っていれば裸足で飛び出して来てでも出迎える曹操である。残念ながら張松の名は、曹操の耳には届いて居無かったと云う証拠である。冷たいあしらいの予感は、既に其の待機時間の長さの裡に現われていたと言えよう。だがまあ其れは、益州と云う辺地に在る以上致し方ない事ではある。我慢もしよう。だが、忘れまい。今回の目的は先ず、〔人物を見定める事〕である。中身の相談は次の段階の事である。相手が真に我が秘事を託し得る人物かどうか・・・・
ーーそして、いよいよ接見の場面・・・・・
「儂は今、多忙の身である。用件だけを簡潔に述べて呉れ。」
《ーー!・・・・?》
これでカチンと来たか張松。噂で聞いていた曹操とは丸で違うではないか。こんな尊大な態度を取る相手ではだったとは・・・・!! 理想の為には命を賭ける程の、ストイックで純粋な、ストレートな人間であるのだから、張松の胸の裡には高い矜持が保たれて居たであろう。一体この構想は、此方から頭を擦りつけて頼み込む様な問題であるのだろうか?第一、人としての温か味が感じられない。どんなに高邁で高尚な理想・思想・哲学であれ、その根底には温かい”人間愛”が脈々と流れていなければ本物では無い。こんなに居丈高で倣岸な相手に未来を託して良いものだろうか?こちらの弱い立場を思い遣る心が全く無い。こんな人物に国を渡したら、却って国は根こそぎ乗っ取られるだけで、在地の者達の安寧・繁栄は難しいのではないか・・・・!?実際に自分の眼で観己の肌と心で感じ取った張松は、そう判断せざるを得無かった。

「今後も良しなに・・・・との事で御座います。」

「よ〜分かった。遠路御苦労であった。」

これでは言葉の接ぎ穂も無い。



ーーかくて、張松の
国売り計画は頓挫した。 と同時に、曹操は知らぬ間に、大きな幸運を1つ失ったのであった。

果して此のあと「
張松」は、一体どう動くのか? 諦めるのか?
もう1度、機を観て曹操に再接近するのか?それとも・・・・

いずれにせよ、このまま手ぶらでは帰国できぬ張松。実際に彼が益州に帰還するのはーー

赤壁戦の決着を見届けた★★★★の事となる・・・
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