【第135節】
荊州に、「13歳の君主」が誕生した。
【劉jりゅうそう】・・・・重臣・在地名士達の”人身御供”でしか在り得無かった此の少年の字を、史書は残す事さえしていない。
つい先頃、劉表の跡目を継いだが、君主としての実権など有ろう筈も無い。その劉j宛てに、曹操から〔誘降の詔書〕が届いた。
劉備達が気付く1週間も前の事である。荊州の国境を侵した時点で発せられていた。
ーー重臣会議が開かれる・・・が、始まる前から既に、結論は出ているのも同然であった。実力ナンバー1の【萠越(異度)】を筆頭に、居並ぶ重臣の全てが、前々から曹操受け入れ派・降伏論であった。と言うより、その為にこそ、未だ己の意志を持ち得ぬ少年劉jを選んだのである。
彼等の表向きの主張は、「曹公は天子を戴いて居られる。その命に背けば朝敵・逆賊と成ってしまいまする。」と云うものであった。兄の【萠良】、【韓嵩】・【張允】も皆然り。だが其れより何より、誰しもが、最大の論拠となる事実を認識して居た。
《勝てない!どう足掻いてみても、今の荊州軍では、勝てる見込みはゼロだ・・・・!!》ーー是れが全てであった。劉jの外戚(母親が姉)である【蔡瑁】は軍権を牛耳っているが、軍人の眼には尚更それが良く判る。
無論、この最高意思決定会議の席に、「劉備」は呼ばれて居無い。劉備自体の存在・その取り扱いが、密かに”討議の対象”とされるからであった。ーー独り、抗戦の立場に置かれている劉備は今となっては厄介者でしか無い。流れ者の客将ごときに、会議を紛糾させられては堪らない。降伏の時を失して、曹操軍に攻撃でもされたら馬鹿を見るだけだ。又、下手に暴れられてトバッチリを喰らっても詰らない・・・・だから、『曹軍来襲の情報も、この会議の結論も、一切、劉備には知らせ無い。』・・・・この1件が先ず、全員一致でスンナリ可決された。邪魔者は、曹操に追っ払われればよい。
あとは、降伏の為の”儀式”に過ぎ無かった。が、【劉j】にして見れば、せめて1回だけでも〔君主として〕、それらしき態度を示して見たかった。だから一応、言うだけは言ってみた。
「今、諸君と共に荊州全土を押さえ、先君の事業を守って、天下の情勢を観望しよう。それが、どうして好く無い事であろうか?」
たちまち、猛反論が返って来る。
「ものの順逆には基本的な道理が存在し、強弱には決まった状勢が存在します!」
先ず噛み付いたのは東曹掾の【傅巽】だった。
「臣下でありながら君主に刃向うのは、道理に逆らう事であり、新興の楚国(荊州)を以って国家(漢朝)に抵抗するのは、情勢から謂って対抗出来ません。劉備を以って曹公に敵対させるのは、やはり対抗出来る事ではありませぬ。この3点の全てで劣りながら、漢朝の鋭鋒(曹操軍)に反抗しようとするのは、必然的に滅亡への道に繋がりまする!」と言いつつ、傳巽は更に少年に、劉備害悪論を再確認させる。君主様とか御主君・殿などとは呼ばない。
「将軍(劉j少年)は、御自身と劉備を比べて見られては、どう思われますか?」 遣り込められた少年は、こう答えるしか無い。
「−−私の方が及ばない・・・・。」
「実際に劉備が曹公に対抗出来ぬとするならば、仮に荊州の地を保持されて居たとしても、貴方が自力で存立する事は出来ますまい。又もし、劉備が曹公に対抗出来るとするならば、劉備は貴方の下位に居る者では在りませんぞ!どうか、御迷い為されぬ様に願いたい!」
と釘を刺される。更に追い撃ちを掛けるが如く、【王粲】が続く。
「私に愚計が御座います。それを将軍(劉j)に進言したいと存知ますが、宜しいでしょうか?」
王粲の此の慇懃な態度には下心が有る。余りにも遣り込められた少年が気分を害し、変に臍でも曲げられたら、後が面倒に成るからであった。実権は無いとは雖え、形式上、最終的には此の少年の口から「降伏いたす」と言わせねばならぬのである。
「私も聴きたいと願って居る事じゃ。」
下手に出た事で、少年は気分を好くしたらしい。
「天下は大いに乱れ、豪傑が並び起こって居りますが、変転極まり無い時代のこと、その強弱は未だハッキリしませぬ。そのため人は夫れ夫れ違った思惑を抱いて居るのです。この様な時局に於いては、家々みな帝王に成ろうと望み、人々はみな公侯と成ろうと望むもので御座います。古今の成功・失敗の例を観察致しますれば、予め事の変化を見通す事の出来た者は、常にその幸運を受けました。今、将軍は御自身で比べてみて、曹公とはどうで御座いまするや?」
好い気分は認めるが、付け上がって貰ってはいけないのだ。
劉jはシュンとなり、答えられない。
「私が聞いた通りであれば、曹公は元々人傑であります。雄略は時代の第一人者であり、智謀は世に抜きん出て居ります。袁氏を官渡に撃ち砕き、孫権を長江の向こうに駆逐し(修飾の辞である)、劉備を隴右に逐いやり、烏丸を白登に撃破しました。その外、掃滅・平定した相手は数え切れぬ程であり、屡々神の如き能力を発揮して居ります。」
ここではもう、再就職先のトップの御機嫌を念頭に置いた、讃辞ばかりが並んでいる。いずれ此の会議の発言内容は曹操の知る処となる。
「もう、お判りでしょうな。今日の事態に於いて、誰に付けば良いか判断出来るでしょう。」
居並ぶ重臣達はとっくに打ち合わせ済みの事であった。
「将軍がもし、私の計をお聴き入れ下さいますならば、鎧をしまい戈を逆さにして、天命に順応して、曹公に帰伏なさいませ!!
曹公は必ずや将軍を重んじ、徳と致しましょう。我が身を保ち、
一族を全うし、長く幸福を享受し、それを後継者達に受け継がせます事は、それこそ万全の策で御座います。私は動乱に遭遇して流浪し、この州に命を託し、将軍父子の重い恩顧を被って居ります。それ故にこそ、お為を思い、思い切って言葉を尽して申し上げずに居られましょうや!」
この【王粲】−−のち、曹操の軍謀祭酒・侍中へと昇進する。が何よりも後世に有名なのは、〔建安の七子〕として、詩才を通じ合った【曹植】との親交の深さであろう。いずれ述べる時は来る・・・・
史書は、是れ以上の具体的人物の発言は記していないが、まあ寄って多寡って有無も言わせず、劉jに”最終決断”を下させたのである。
かくて、劉備一行がつゆも知らぬ間に、荊州の御前会議・つまり劉jは、曹操への《全面降伏を決定》してしまったのである。そして、その降伏文書(降表)は、その日のうちに、直ちに進軍中の曹操の元へ発送された。
この『降表』は、国家最高の機密公文書である為、正式な使節団が届ける。急ぐとは言え、車駕を連ねての道ゆきでは、そうそうスピードは上がらない。然し一刻の遅れは、1つの城市の潰滅に繋がり兼ねない。そこで使節団に先行して、”早馬”が事を伝えに全速力で疾駆する。次々に馬を乗り潰しては〔駅〕と〔伝〕をリレーしてゆく。この当時、国有の伝達施設が全国の街道沿いに備えられていた。公用旅行者専用の宿泊施設や車駕も常設され、早馬も待機する。 州都に在る大きいものが〔伝〕、小さいのが〔駅〕で30里ごと、更に10里ごとに〔亭〕、5里ごとに〔郵〕が配置されていた。所謂〔駅伝制〕である。普通は郵から郵へとリレーされるから『郵便』と言った。然し今の場合は特別指定便である。役人が直接に早馬せ目的地まで駆け通す〔吏馬馳行〕の特急便であった。
【曹操】が、この『降表』を受領、受諾したのは、かつて劉備が居城としていた「新野城」内に於いてである。州都・襄陽(樊城)まで、あと僅か70キロの地点であった!いかに曹操軍の進撃速度が凄まじいか、推測できると言うものである・・・・・だが、その直後、敢然として抗戦を直訴した武将が居た。その忠臣の名は「王威」、字は伝わっていない。
「曹操は、既に殿が降伏なされ、劉備も逃走したとなれば、必ず油断して警備も無く、軽はずみに単独で進んで参りましょう。私に奇襲部隊数千をお与え下されば、之を要害の地に迎え撃ちまして曹操を捕える事が出来ましょう。早々を捕えれば、威信は天下を震わせ、居ながらにして虎の如く闊歩できまする。中原は広大と申しましても、檄文を飛ばせば平定する事が出来ます。その成果は単に1度の勝利を手中にし、現在を保持するだけには留まらないので御座いますぞ!是れこそ千載一遇の好機!逃すべきでは有りませぬ!!」
ーー或いは成功するかも知れぬ・・・・然し、劉jの体内からは、既に君主の意識は消え失せ、失敗した場合のみの恐怖が心を占領していたのであった。もはや其処に居るのは唯、臆病風に吹かれた13歳の子供だけであった・・・・。
こうした事の顛末からは、全く蚊帳の外に置かれた儘の【劉備集団】・・・・既に〔全面降伏〕が決定された事など思いも寄らず、兎に角、漢水を襄陽側に渡り終わっていた。将兵は勿論だが、麋夫人・甘夫人・阿斗・侍女達、そして此の7年間で関係を持った全ての者達(農民)を含めた、根こそぎ総動員の大移動であった。
《ーー是れが、今の俺の全財産か・・・・。》背後に付き従う者達を振り返りつつ、劉備の腹は次第に固まっていた。軍師孔明が示した上中下3策の内、一体どれを選んで此の窮地を脱すべきか?
「さて、如何なされまするか?」
諸葛亮の問い掛けに対し、劉備は予想外の言葉を返した。
「−−先ず、劉表殿の墓参りを致す。」
一同、《えっ?》と云う顔付になった。
《そんな悠長な事をしている時間など無かろうのに?》
だが、諸葛亮だけは眉1つ動かさず、更に主君の次の言葉を促した。「次には如何なされまする?」
「劉j殿と会って、その気持を確かめる。」
「上策は棄てられまするので御座いますな。」
「戦術的には上策であっても、それが此の場合、最善とは限らない。」
「御意に御座います。」この遣り取りで、諸葛亮は、主君・劉備の心の在り様を深く理解した。と言うより感動したのであった。
己1個人の延命だけを考えれば、最も安全確実な方法の上策(艦船での逃亡)を棄て去る覚悟を定めたのである。
「お会いに為られる時の、御存念は?」
「無論、徹底抗戦を説得する。」
「分かりました。」諸葛亮は敢えて今は、主君にそれ以上の発言を求めなかった。だが、その眼の色の中には《流石で在られますな!》と云う讃意の煌きが溢れていた。
かつての劉備であれば、誰に言われずとも、真っ先に己独りで
スタコラ逃げ出していたに違い無い。その過去の生き様に比べたら、明らかに劉備と云う人間は、その根底から、自身の在り様に大きな変容を遂げて居たのである。その変貌を彼に迫った理由や動機は様々に在ったが、最大の因子は彼の年齢、己の寿命であったに違い無い。もはや青雲の時は遙か彼方へと過ぎ去り、今や老境に入ろうとしている劉備玄徳であった。
《もう是れ以上、ただ醜態を晒し続けて生きてゆくのは終わりに
しよう。この先、どんな運命が待っているにしても、せめて最後は自分らしく振舞って、己の一生に悔いだけは残すまい・・・・》
だが、それは決して諦めの境地では無かった。其処が唯一、この男の”人傑”と謂われる所以でもある。何しろ此の男が若い時から手本として来た、漢の高祖・劉邦の〔開運の始業〕は、全くこの年齢からスタートしたのであったのだから。差し詰め此の場面は、若い軍師の”頭脳”よりも、老熟した劉備の”心情”の方こそが、
歴史を司る《天の意志》に叶った・・・・とも見える場面ではあった。
ーー断じて降伏許すまじ!況してや、単に逃走など致さじ!一戦を辞さず!!・・・・そうと決まれば、その気概の漲りは、忽ち全軍に広まった。そして改めて、襄陽城への進軍が開始されたのだった。曹魏100万に比べたら決して多く無い、いや蟷螂の斧とさえ謂い得る劉備部隊ではあったが、その気概だけは天をも突く如き凄まじさであった。各人が大声で怒声を発し、将兵達の眼は獰猛にギラついている。張飛の怒声が一際荒々しい。但し、その進軍の中に関羽の姿だけは無かった。諸葛亮の献策の中から、関羽水軍の南下だけは最優先事項として実施される事に決まったのである。万が一の事態を忘れず、事の万全を期したのであった。
・・・・然し、襄陽城に近づけば近づく程、周囲の空気が異様に静まり返っていた。普通なら当然、伝わって来る筈の軍事的緊迫感が一向に感じられぬのである。それ処か、出陣に備えての慌しい兵馬の動き1つさえ望見出来ぬのであった。伝令の騎馬が飛び交うでも無く、城壁上にも、軍旗1本揚がってはいない。
《−−面妖しい・・・・!?−−もしや・・・!!》
ただ1陣の砂塵だけが城門前の地面を払っているだけであった。
「殿、劉jらは、既に降伏を決定済みと思われます!」
「何!決定済みだと!?では曹操の襲来もとっくに知って居ったと申すか?直ぐ隣りに居る、この儂を会議にも呼ばずにか!?」
「間違いありますまい。この門を閉ざした城邑の様子は尋常ではありませぬ。曹操とは大分以前から、気脈を通じ合っていたやも知れませぬぞ!」
「−−そんな事は・・・・?」
完璧に出し抜かれ、虚仮にされたのだ。
「お・の・れ〜!劉jのクソ餓鬼めがア〜!!」
劉備より先に、張飛が虎髭を戦慄かせた。それが事実であれば許せるものでは無い。
「ウヌ〜、ぶち殺して呉れるぞ!!」
諸葛亮の軍師としての面目も丸潰れである。
「まあ待て。兎に角、城へ急ごう。」流石に劉備は、伊達に大放浪を味わっては居無かった。何が起きても不思議では無い半生を体験して来ている。
ーー襄陽城の城門前・・・・須差ぶった劉備部隊が、轡を並べて詰め寄った。劉備が大音声で城中へ呼ばわった。
「我等、奸賊・曹操を討つ為、劉j殿に合力に馳せ参じ申した〜速やかに開門致されよ〜!」
・・・・然し、城門は固く閉ざされて、シンと静まり返った儘である。
「この劉備玄徳、劉j殿に進言したき儀が御座る。劉j殿とお会いして、その存念の程も承りた〜し!開門されよ!!」
梨の礫である。劉備が目配せした。張飛が、割れ鐘の大音声で吠えた。
「このまま返答無くば、力ずくで門をブチ破って攻め入るぞ!城内に火矢を放ち燻り出して呉れようぞ!それでも良いのだな〜!」
城兵1人、顔すら覗かせず、城全体は巨大な沈黙の底に建たずむばかりであった。
「鬨の声を挙げさせよ。」
諸葛亮は何としてでも、確かな事実把握が欲しかった。
「ワア〜!!」「ワア〜!!」と怒りに充ちた鯨波が大地を揺るがし、静まり返る襄陽城内へと注ぎ込まれる。
ーーと、その劉備部隊に向かって唯1騎、彼方から土煙を蹴立てて近づく者が在った。姿格好からして武者では無い。
「私はここ襄陽の生まれで、馬良と申しまする。」
その青年の理知的な顔の中で、眉の中に白い毛が混じっているのが印象的であった。彼の郷里では、秀才5兄弟として有名な人物であった。その兄弟の字には”常”が使われており、馬氏5常、白眉 最も良しーーと讃えられる大天才であった。『白眉』の御本尊である。【馬良】の字は「季常」で2男。末の弟には「幼常」の【馬謖】が居る。いずれ2人ともに、劉備に仕える日が来る・・・
「矢張り劉備様には御存知無かったか!実は既に、城内は降伏と決し、”降表”は曹操陣に届けられた由に御座います。少なくとも、使者の出立は紛れも無い事実で御座いまする。もしや!と思い、念の為にお知らせに参った次第で御座います。」
諸葛亮は当然、名士社会の情報として、この自分より少し年下の「馬良」の噂を聞き知っていた。眉の中の白い毛といい、人品骨柄といい、本人に間違いあるまい。
「我が母国として、誠に以って情け無い仕儀にございます。されどこう為った以上は、劉備様御一行におかれましては、先ずは速やかなる退避行動を採られ、お命お大切になされるべきかと存念致しまする。」
「これは、忝い。我が軍師が予感した如くであったか・・・・!」
劉備の部隊にどよめきが起こり、次には怒りの声が湧き上がった。ーー曹操の襲来ばかりか、降伏と云う最も重大な情報すら、隠して伝え無いとは・・・・!!
「こう為った上は、劉jを討ち取り、城と軍権を
奪いなされよ!!」
【諸葛亮】が、遂に爆弾発言を口にした。
諸葛亮、先主に説く『jを攻め荊州有つべし』と
−−当時、最も手っ取り早く、軍事力を奪取し得る方法であった。前君主を殺害して其の国都を占拠する・・・・古来より、英雄と呼ばれる者達は全てそうして来ている。諸葛亮が示した第2案・中の策の実行を勧めたのである。
「そうじゃ!許さぬぞ!我等を虚仮にし腐りおって。劉j、萠兄弟めらの素っ首、この俺が今すぐ刎ねて呉れるわ!!」
諸葛亮の進言に、張飛も眼を剥いて憤激し、今にも突撃しそうな剣幕であった。
「−−・・・・。」然し、劉備玄徳は首を横に振った。
「亡き劉表殿は、儂の恩人じゃ。未だ喪も明けぬのに、その子を討つ事は出来ぬ・・・・。」
先主曰く、『吾 忍び不るなり也』 と
諸葛亮の予期した通りの主君の言葉であった。進軍の直前にも示して措いた策ではあったが、変わらぬ劉備の信条ではある。
其処が、諸葛亮の最も劉備の好きな処であった。だから一応は軍師として勧めたが、その返答に対して無理押しなどはする筈も無かった。だが張飛の方は収まらない。
「然し、この背信行為は其の恩義を越え、断じて許せませんぞ!せめて拳固の1発も喰らわして遣りとう御座る!」
「・・・・いや、今頃、13歳の子供は、城の中で恐ろしさに打ち震えて居るだろう。それだけで充分ではないか・・・・。」
乃ち(備)馬を駐めてjを呼べども、
j 懼れて起つ能わず
「軍事力の入手がダメなら、人の心を手に為されまするか?」
「ああ。劉表殿の墓参りだけは、省く事は出来ぬ。」
「殿が仁徳の士で在られる事こそが、今の我々の財産の全て・・・
人心の集まる所・・・・それが殿の〔開運の始業〕と成りましょう。」
「ウム、それは我が意に叶う事じゃ。」
劉備部隊は踵を返すと、郊外に在る劉表の墓へと駒を進めた。そして其の墓前で声をあげて哀哭して見せた。
(※この墓参りの件は正史には見えず、『典略』による)
その噂がパッと襄陽一円に広まった。ギスギスした憂国・亡国の思いに捕われて居た人々の心には、その行為が一際尊く感じられた。ーー墓前に留まること2刻ばかり・・・・降伏の決定を知り、無念を感ずる将兵が、続々と墓苑に集結して来た。あの王威の如き骨の有る武人達が多数居たのである。又、13歳の劉jには何の義理も抱かぬが、劉表には恩顧を禁じ得無い者達も多く存在して居たのだ。そこら辺の”読み”が、このタイムロスの中には含まれてもいた筈だ。お蔭で、墓を後にした時には、劉備の兵力は、かろうじて「軍」と呼べる迄に増強されていた。と同時に、一向に付き従う様に群れ集まった民草の数は、何と其の数十倍にも達していたのであった!!整然と指示に従って、混乱の発生する心配は全く無かったが、如何せん余りにも巨大群衆となって来た為、肝腎な軍隊の行動自体が、思いの儘に身動き取れぬ程となっていた。
それにしても、この10万を超える難民希望者の多さはどうだ!?
・・・・単に曹操恐ろしの1念だけでは、説明が着くまい。過去の噂だけで、故郷を捨てる迄の決断を為すであろうか?子供を連れ、老人を背負い、当ての無い逃避行に加わるものであろうか?
それを想うと、劉備の治世の現実の中には、民衆を惹き付ける、より具体的な施策が為されて来ていた、と思わざるを得無い。彼
以前の為政者には見られない、民への優遇が在った筈である。抽象的な仁徳論では無い、経済上での余程の実利が無ければ、この異常な数の難民の渦は説明が着かない・・・・。
だが、いずれにせよ、劉備玄徳にとって、今が人生で最悪のピンチである事は、紛れも無い事実である。今度こそ、本当に”当て”が無いのである、。今迄の大放浪時代には、必ず逃げ延びる先々に、それなりのメドが有っての事であった。だが今回ばかりは、是れと言って頼りになる先方ほの”渡り”が着いて居無いのだ。兎に角この場を逃げるだけの惨めさであった。
ーーにも関わらず・・・・劉備は何故か、妙に自信の様なものを持って居る自分を感じていた。その源泉は孔明であった。これ迄の人生では想いもしなかった、大きな目標を与えて呉れていたのである。
《天は未だ俺を見放しては居無いのだ。 天は、諸葛亮と謂う龍を俺に与えて、今から始めよ!と命じているのだ・・・・》
「襄陽」を退いて南下を始めた劉備軍ーー大渋滞に嵌り込んでしまった。避難民の速度に合わせているうちに、次から次へと現われて来ては合流する、人間の大洪水に呑み込まれ様に、統制が効かなく為ってしまったのだ。街道幅を超えた、予想外の人間の群れで閉塞され、進むより立ち止まって居る時間の方が長くなってしまった。そして終には、1日たったの5キロしか進めぬ大混乱と成ってしまう。曹操軍との距離は、確実に縮まっている筈だ。
見るに見兼ねた”或る人物”(不詳)が、今後の事態を懸念して、劉備に進言した。
「こんな大群衆を伴っていては、行軍も儘ならず、忽ち曹操に追い着かれてしまいます。今は緊急非常の時で御座います。ここは心を鬼にして、民には自分達で後を追わせ、我等だけで速やかに江陵を占拠してしまわれるべきです。一見、我等は大軍団の様に思われますが、兵士と見做す事の出来る者は殆んど居りませぬ。一体、途中で曹操の軍に追い着かれたら、どうやって命脈が保たれましょうか!?」
十分に有り得る事態であった。ーーが劉備は言い切った。
「古来より、英雄と謂われて大事を達成した者達は皆、必ず”民”をその根本に置き、大切にして来ている。今、その民が私を頼って集まって来て居るのだ。なのにどうして、この私がそれを見捨てて、自分独りだけで逃げられようものか!」
ーー後から思えば、この劉備の言葉こそは、まさに彼の今後を
決定づけた、〔創業の資産〕だったのである!
ジリジリする思いであったが、諸葛亮が予定した「当陽」の地
までは、やっと辿り着く事が出来た。−−と云う事は・・・・今すぐにも、曹操の高速騎兵軍団が出現しても、不可しく無いと云うタイムリミットである。与えられた時間の猶予は、全て使い切ってしまった訳である!軍内に緊張感が高まった。
曹公南征表。會表卒。子j代立。遣使請降。先主屯樊
不知曹公卒至。至宛乃聞之。遂将其衆去過襄陽。諸葛亮説先主攻j荊州可有。先主曰。吾不忍也。乃駐馬呼j。j懼不能起。j左右及荊州人多歸先主。 比到當陽衆十餘萬。輜重數千兩。日行十餘里。別遣関羽乗船數百艘使會江陵。或謂先主曰。宜速行保江陵。今雖擁大衆被甲者少。若曹公兵至。何以拒之。
先主曰。夫濟大事必以人為本。今人歸吾。吾何忍棄去。
曹公、南のかた表を征す。たまたま表卒す。子j代わり立つ。使を遣わして降を請う。先主は樊に屯し、曹公の卒かに至るを知らず。宛に至りて乃(はじ)めて之を聞く。遂に其の衆を将いて去って襄陽を過る。
諸葛亮、先主に説く。『jを攻め荊州有つべし』 と。先主曰く、
『吾忍び不る也』と。乃ち馬を駐めjを呼ぶ。j懼れて起つ能ず。jの左右及び荊州の人、多く先主に帰す。
当陽に至るころ、衆十余万、輜重数千両あり。日に十余里を行く別に関羽を遣わし船数百艘に乗りて江陵に会せしむ。
或るひと先主に謂いて曰く『宜しく速かに行きて江陵を保つべしいま大衆を擁すと雖も甲を
被る者少なし。若し曹公の兵至らば何を以って之を拒がん』 と。先主曰く、
『夫れ大事を済すには必ず人を以って本と為す。今、人 吾に帰す。吾、何ぞ棄て去るに忍びん』 と。 ーー『正史』ーー
【魯粛】が面会を求めて来たのは、まさに、そんな緊迫状況の中であった・・・・。
《三国鼎立の夢は一に懸かって、この会見にこそ有り!!》 魯粛の使命感は、静かに燃え上がっていた。
《全ては今日から始まる。いや、始めるのだ!》
それもこれも、劉備の返答いかんである。
《何としてでも、同盟の意志を引き出さなくてはならない。そして
今後は、その様に振舞って貰わなくては、呉の存立は無い・・!》
我々読者は、既に何十回と観て来た御馴染みの人物達であるが彼等は互いに今初めて直接に姿を見、顔を合わせるのである。そして人の出会いが、歴史を大きく動かす場面と云うものが在る
−−この両者の出会いも、それに匹敵する。曹操に追い詰められた劉備(後の蜀)と呉国とが、初めて公式に接触するのだ。今後の天下の動向に、重大な影響を与えざるを得無い、必死の思いの出会いである。それも、逃避行の切迫した状況の中、自己紹介もソコソコに、要点だけを確認し合うと云う、慌しい会見となった。
「時がありませんので手短に、然し誠意を以ってお話し致します」
魯粛は修辞抜きに、劉備にそう挨拶した。大耳のどっしりした男の傍には、綸巾鶴裳の涼やかな青年が控えて居る。
「孔明殿の兄上とは御昵懇に願っている間柄の者で御座います」
何よりの挨拶であった。
「魯粛殿であれば、我等も亦、信頼致して居りまする。」
諸葛亮も、自分より1廻り上の、ゴツイが姿の良い相手に和やかに答礼した。ここで、両者にとって【諸葛瑾】の存在が、最大限のパイプ役と成ったのである。この際、互いの腹のを探り合ったり一々事情を説明する必要が省かれたのである。ばかりか、一瞬にして互いの友好感が醸成されたのであった。言わずも哉、諸葛瑾は孔明の実の兄である。日頃から互いに連絡を取り合っていた。当然、魯粛の人物・立場なども聞こえていたに違い無い。
小説では殊更に、この兄弟が互いに不干渉を貫いた事を強調するのであるが、肉親としての情愛が無かった筈は無い。のち、子の無かった諸葛亮は、孫権の承諾を得て、この諸葛瑾の2男・喬を養子に貰い受ける程なのである。
もう1人、参謀として【徐庶】も傍らに控えて居たが、互いに目礼だけで済ませ、いよいよ本題へと入ってゆく。
「曹操の野望に直面する今、天下の耳目は、我が呉国の動向に集中しております。・・・・然し残念ながら、我が呉国内の国論は、悲観論・降伏派が大勢を占めております。」
是れは、重大な”国家機密”である。
「ーー左様であったか・・・・。」 ポーカーフェイスを装う劉備ではあったが、チラと落胆の表情が覗いた。
「然し、我が主君・孫権様御自身は、断固抗戦の揺るぎ無い決意を持たれ、その意向をお伝えすべく私を遣わされました。呉国の軍事戦略は、基本的には周瑜殿の献策による、長江を挟んでの南北対峙であります。−−然し私は尚ひそかに、別な構想を抱いて居ります。・・・・それは、劉備殿との同盟で御座る!」
《ーー是は、我が軍師と同じ考えか!?》
「劉備殿には第3の勢力と成って頂き、3勢力鼎立の策を以って、曹操に対抗する!是れこそ最も現実的であり、かつ有効な戦略だと確信致しております!」
丸で此方の言いたい事、その儘ズバリの内容であった。だが、劉備も諸葛亮も押し黙った儘である。その鈍い反応に、魯粛は些か透かされた格好である。
「・・・・処で、劉備殿は今、一体どこへ向かわれる御心算なのでしょうか?」
魯粛は一旦、話題を逸らして見せる。訊ねられた劉備は、事前の打ち合わせ通りに答えて見せる。
「蒼悟太守の”呉巨”とは昔馴染みなので、彼の処へ身を寄せる心算で居ます。」
魯粛が面会を求めて来た時点で、同盟勧告あるを推察した諸葛亮である。政治力学上、此方から物欲し顔に擦り寄る姿勢を見せてはならない。後々の力関係を、建前上は五分五分にして措くのが肝腎である。ちなみに”蒼悟郡”とは、江陵を真南へ800キロ、何と荊州を突き抜けて、中国13州には含まれぬ”交州”に在る
広信を指す。思いっ切り遠方である。ま、其処ら辺の事は、魯粛も呑み込んで居る。呉国側の方から同盟要請するが如くに、話しを纏めてゆく。
「孫権様は聡明にして仁徳の有る方でして、賢者を敬い、士人を礼遇されますので、江東の豪傑は皆、この方に心服して居ります既に6郡を支配され、軍兵は精鋭であり兵糧も豊かで御座いまして、大業を打ち立てられるに充分なものをお持ちでです。
今、劉備殿の為に考えまするに、腹心と頼む人物を御遣わしになり、東方・呉国と手を結ばれ、同盟関係を大事になさって、一緒に子孫へ伝わる大業を成し遂げられるに越した事に事はありますまい!」
魯粛は劉備と孔明を交互に見詰めながら提言した。諸葛亮こそがキイパーソンで在る事を察知した魯粛である。
「それなのに呉巨に身を寄せたいとの御言葉。呉巨は平凡な人物で、遙か僻地の郡に居りまして、いずれ誰かに併呑されてしまうでしょう。 一体、頼りになされる価値が在りましょうや?是非、我が孫権様と同盟なされませ!!」
是れはもう、願っても無い申し出である。〔三国鼎立〕は、諸葛亮孔明の中核構想そのものである。何の異存ががあろうか。
「−−分かりました。魯粛殿の御申し出の如くに、前向きに取り組みましょう!」
《−−やった!!・・・・》
両者ともが、百%の満足度を得た、完全合意の珍しいケースと
なった。ーー但し、この魯粛の申し出は、出先機関に過ぎぬ、彼の全くの《独断専行》であった。孫権の内意を受けているとは言え、母国の総意を経た正式な要請では無かったのである。
【張昭】ら文官達は勿論、推挙人の【周瑜】ですら反対するであろう、〔劉備との同盟〕を、勝手に推進させてしまった訳である。如何にも”ヤサグレ名士”の魯粛らしい思い切った全権行使であった。己の度胸ひとつで、同盟を取り付け、既成事実を作ってしまったのである!
ーー是れで劉備の前には、大きな未来が、向こうの方から転がり込んで来て、その前途を開いて呉れた事となった。それにしても間一髪の、実に際どい、ギリギリのタイミングであった。
だが問題は、果して無事に、呉の地まで辿り着けるかどうかの、険しい現実状況である。曹操の追撃部隊は、もう直ぐ其処まで来ている筈である。一体、どれ程の兵力で襲って来るのか?追い着かれれば、只では済まない。命の保証も無い。
「さあ、そうと決まれば、さっさと逃げましょうぞ!」
「明日へ向かっての逃避行じゃな。」
「我等、此処で死ぬる訳には参りませぬぞ!」
・・・・と、まさに一同が席を立とうとした其の時であった。
「あ、あれを御覧ください!」
警護兵の1人が、背後の山の端を指差しながら叫んだ。ギクリとして一同が振り仰いだ山の稜線には・・・・唯1条、曹操軍の襲来を告げる、真っ白な狼煙が立ち昇っていたのである・・・・!!
「来たか!」
「来ましたな。」
「さあ、生きるか死ぬかの決死行じゃ!」
「事が成るも成らぬも、この危難の結果次第。腹を括って、いざ、参りましょうぞ!」
さあ、逃げよ、同盟者・・・・!!
時は西暦208、秋9月の荊の州・・・・秋桜子が揺れている
逃げよ、明日へ向かって、
ーー三国時代を手繰り寄せる為に・・・・!!
【第136節】 趙雲子龍、此処に在り!
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