ーーー在るのは、ただの 闇・・・・・

















 と、数秒後、その闇の一点がポッと淡く光る

    そして、
すうーっと流れて消える・・・ 




 また光る。今度は光が大きくなる。
うす緑色・・・・

                                   (ーーカメラがズームする。)












 ーーー
だ・・・!





草葉にとまり、息 づく様に光っては消える
      
一匹のはかなく小さな命・・・・
(カメラが少しずつ動く。)
すると、どの草葉にも無数の蛍たちが、びっしり発光している
のが判ってくる。・・・・凄い数だ。
そして次の瞬間、カサッと草葉に触れる衣ずれの音がして、
何万匹もの蛍たちが一斉に宙に舞い上がる。


ーー命賭けの逃避行・・・・

一歩・・・また一歩・・・と、注意深い影が踏み出す毎に、その
光の拡散はドッと増え、ついには何十万、何百万の蛍たちが
夜空に飛び交い、
闇を照らす。・・・・やがて、月明かりの如き
この発光体の大乱舞によってモニター全面に・・・・・・一匹の

が、 おぼろに浮かび上がって来る・・・・

そで刺繍ししゅうされた黄金の龍である。其の縫い取ら
れた龍の袖口から子供の手が覗いている。
                  ーー龍は
皇 帝を示す。
ふっくりと肥えたその手はやがて、救いを求める様に上安気ふあんげに、
前方の虚空に差し出される。すると其の手に、更に小さな手が
近づいて来て触れ、それをギュッと握りしめる。(ーーカメラが引かれ・・・・)
その人影は、14歳の大柄な兄と、9歳の小柄な弟の二人で在る
事が判る。 裳裾は泥にまみれているが、二人とも極上仕立ての
綾錦を着ている。(更に中空カメラから観てみると)
その小柄な弟が、でっぷりと太って少々できの悪い兄を、グイグイ
引っ張っている事も判る。 すっかり疲れ果てた兄は、しどけなく
着衣を肌け、
通天冠は背中にずり下がり、鼻水まじりに泣き腫ら
している。・・・・・だが、130センチにも満たぬ弟の方は、
遠遊冠を顎紐でギュッと締め付け、キッと前方の闇を注意深く
窺いながら、生きる気力を失ってはいない。(ーーカメラがパンすると)
其処は・・・・月も星も無い、荒野のど真ん中。ただ幾千万匹の蛍
達だけが唯一、幼い兄弟にとっての光明である事が知れる。だが
捕まれば殺される・・・・
一人の従者も無く、はかないむしたちだけを頼りに、命のやみ彷徨さまよ
事となった幼い兄弟2人・・・・何を隠そう、この2人こそは・・・・

( 画面下方に、2世紀末・中国・洛陽宮郊 外・・・・の
                                      文字が打ち出される。) 
〈ーー画面中央奥からこちらに向かって〉


暗い、歴史の闇の 底を、
    
       二つの小さな影が歩いて来る
・・・・・



あばら家とて無い、漆黒しっこくの闇の中・・・・見知らぬ荒野をかすかに
照らして呉れるのは、無数に飛び交う蛍の瞬きだけである。
しっかり者の弟が、少し足りない兄の手を健気に引っ張っていく。
ーー時に 
西暦189年、 8月27日。
所はユーラシア大陸の東方
後漢帝国の首都・
洛陽郊外の荒野
・・・・
・・・・時刻は
午後8時を30分ほど過ぎた頃
玉体ぎょくたい』と呼ばれる幼い身は、ひもじさと恐れの集積にもうすっかり
疲れ果てている。 だが一体これが、どんな状況なのかさえ、幼い
二人には未だ完全には呑み込めていない。ーー然し・・・・突如
起った今日一日の様々な出来事は、《死の恐怖》となって、小さな
全身にこびり付いている・・・・
この日の未明、未だ眠い時間に突然、中常侍(宦官かんがん)達に揺り起こされた。あとはただ

訳も解らず、追い立てられる様にして 着のみ着の儘で王宮を逃れ出た。以後は車駕も

無しの徒歩で、道無き山野ばかりを潜伏・逃避し続けた。 途中、洛陽宮と覚しき方角

からは黒煙が上がっていた。休憩なしの強行軍だった。周囲の大人達は全て日頃から

父親・母親代わりを勤める優しい『宦官』達だけであった。だが 彼等は皆、今迄に見た

事も無い様な真っ青に引き攣った顔をしていた。ピクニックでは無い、異常事態だと云う

事だけは解る。『逆賊に拠る
謀叛 で御座います
』 とは一体どんな事なのか・・・・

ところが昼前、黄河の断崖上で行き場を失った。するや彼等は急激に絶望し、 『 陛下、

おんみ御自愛下さいまし』 と言い遺すと、兄弟の眼の前で次々と身を投げ、集団自殺

してしまったのだ!信じられぬ光景であった・・・・普段あれ程 堂々と、威厳を

以って宮殿を取り仕切り、大臣達や 将軍連中を 平れ伏させていた宦官達であった。

そして何より、幼い兄弟にとっては 生まれた日から今日迄、愛情を持って育てて呉れて

来た、限り無く優しい”身内びと”であった。それが一瞬の裡に眼の前で全て死に絶えた。

・・・・・そして後には唯、2人だけが取り残された・・・・


あの突風の様な昼間の出来事は、一体何だったのか?
《ーー自分達は生きて居られるのだろうか・・・
《ーー誰が味方で、誰が敵なのだろうか・・

鼻水を垂らして、ジュクジュク泣き続けている大柄な兄ーー
これが、後漢王朝・第12代目 の現役皇帝と成った
ばかりの14歳少 帝しょうていこと劉弁りゅうべんの姿であった。
     
この直後、逆賊「
董 卓とうたく」の手に依って廃位され・・・・その僅か
5ヶ月後には、朊毒を強いられる運命にあるなど、未だ知る
由も無い。
そして、その兄の手を引っ張って、洛陽宮の我が家に戻ろう
としている9歳の弟こそーー
後漢王朝
最後の皇帝と成る、『献帝けんてい』・
劉 協りゅうきょうの姿であった。
         
前後あわせて400年間にも及ぶ《大漢帝国》の皇帝が、
一人の供も無く、ただ泣き濡れて今、

 暗い、歴史の闇の底を、
    二つの小さな影が彷徨い、歩いてゆく
・・・・


(此処からはコンピューターグラフイックで処理)
3000万の発光体が、画面中央のブラックホールに一斉に吸い
寄せられて・・・遂には・・・・再びの暗黒と成る。














やがて、そのブラックホールが内側から鼓動する様に光りだし
一個の球体と化しているのが判って来る。
転瞬、その球体は閃光せんこうを放つと、黄金のぎょくへと変質し、
超高速で天空へと弾け飛ぶ。
ーーと、幼帝の袖口に縫い取られていた
黄金の 龍
ムクムクと生命を帯びて雄叫び、ぎょくを追って天翔あまがけていく。
そして、まさにを呑み込まんとする一刹那・・・・

は砕け散ってタイトルと化す。



だが、余りにも 『形而上学けいじじょうがく』的に過ぎるメインテーマだ。
と、そのタイトルの間を翔け巡った
は、や がて巨大化して
画面一杯に現われながら、之れもまた変容してサブタイトルへと
化身し
、画面の全面に真紅の文字が輝く。



     
   
(カメラは一転・・・・この兄弟の父親であった・・・・後漢王朝・
第11代皇帝霊 帝れいていこと
劉宏りゅうこうの、生前の姿を捉える。)ーーこの放浪いの夜の5年前、西暦では184年

洛陽宮
、と在る一室・・・・・これから始まろうとしているのは、退屈な皇帝陛下の

日常をお慰めする為の【
悦楽遊戯】である。詰り・・・・端的に言えば、『暇つぶし』の

ブログラムなのだった。来る日も来る日も贅沢三昧の、気倦るい日常。変化の乏しい
満腹感に飽き飽きして居られる陛下をお慰めする為の座興・・・・お膳立は全て
宦官かんがん

達が行い、今も帝の来室に備えて大わらわであった。ーーそれにしても凄いその

一室に集められた女性達は、全員がハッと息を呑む様な
極めつけの美貌の持ち主達

ばかりである。それがキッカリ100人。この日、この瞬間の為にだけ、全国から選りすぐ

られて来ていた。その美女百人が皆、薄衣一枚の全裸状態に透かされて、羞恥に満ちた

嬌態を強いられ、広間一面に妖しく散り嵌められて居る。

・・・・やがて其処へ 『
霊 帝』が、唯一の男性として入室して来る。顎に手を当てる。

丸で一流の芸術家の眼で裸に剥かれた美女の群れを眺めやる。

           
彼女等の『前後』は、花器に見立てられ、いろとりの草花がけられる・・・と云う趣向

なのだったーー3刻後(1刻は15分)汗みずくと成った脳満腸肥(肥満体)が 近従達を

振り返る。  「どうじゃ、今日の出来映えは?」

「やあお美事お美事
流石に心得がお有りだと違いまするなあ!

大仰に感朊して見せる宦官達のオベンチャラに、それでも霊帝は些か得意げに小鼻を

蠢かせた。取り敢えず『活け花教室』は気に入って戴けたらしい。

処で今、この座興と同時刻・・・・都から僅か200キロ界隈では中国史上未曾有みぞう
《大乱》
が勃発している真っ最中なのであった!!

ーー
黄巾農民軍が一斉蜂起し、漢王朝打倒を叫んで、血みどろの死闘を

繰り広げているのだった。 その兵力は 200万 とも 300万とも 謂われている。 当時は

人口の九十九パーセントが農民で在るのだから、農民すなわち国民である。その国民が

飢え苦しんでいる事を知ってか知らずか・・・霊帝の時間つぶしは続く。

「陛下、今度はこちらへお越し下され。活け花の次は新趣向の器楽演奏で御座います。」

先導する者達も、ゾロゾロと 従う者達も 皆、全員が 一様に 眉も 髭も 無く、ツルンとした

《ゆで卵》 の如き顔付であった。 「フム、新趣向とな?一寸、愉しみじゃな。」


「様々に緊縛した美しい楽器を、我らがテクニックで鳴らして御覧に入れまする。 一番よい
 音色を上げさせた者には、どうか御褒美をお賜り下さりませ。」




   【第 2 章 】 


此処はーーらく陽宮・・・・後漢王朝の歴代皇帝が暮らした、大宮殿である。

(※尚、〔らく〕の正しい字は各隹である)ずっと以前は 『洛★』 と書いた。

が・・・・「木《→「火《→「土《→「金《→「水《→の5つの支配原素(
五徳)が、王朝交替の

根本を成すモノだとする『
五行説(いずれ詳述)に基づき、漢王朝は《火徳》と定めた

時に、の字を【
各隹】に変えた。 (※さんずいは水で、は水を嫌う。または鳥を
意味し、〔循環表〕中の〔火行の動物配列〕に相当する故である。) 再び
洛陽★☆の字 に

戻るのは、漢王朝が滅亡する時となる。


※因みに「
《と呼ぶのは後世の都合であって、当時の人々にとっては、飽く迄も
以外では在り得ず、三国志で『
陽』とか『漢』の字や表記を用いるのは、
誤りである。 ( 然し本書・三国統一志は 都合により
の字を用いている。)


さて、その『陽宮』だが、南と北の2宮から成り立っている

今、妖しげな遊戯が繰り広げられているのは、そのうち『
北宮』と呼ばれる《後 宮》の、

と在る広間の事である。所謂ハーレム、大奥である北宮には、『宦官』しか入って来れ無い。

と言うより、宦官だけは南北どちらの宮殿へも、何時でも何処へでも制限無しのフリーパス

が許されている。それに対し、正規の官僚達は、最高官位の三公九卿・大将軍と雖ども、

通常的には宮殿の外・官庁街の別館に出仕している。所用で宮中に入っても
北 宮へは

絶対近づけない。 「南宮」の一角、〔崇徳殿〕止まりと決められていた。この際、折角だから

南北2宮をもう少し詳しく観て置こう。


  周囲ほぼ1キロ四方(1×1.2キロ)の、
                       
南 宮が、皇帝の住居であ る
その一角に在る、「崇徳殿すうとくでん」が所謂
朝廷であった。

宮廷専任官である 〔侍中〕 〔尚書令〕 と雖ども、この南宮の一隅の詰め所に居り、宮中の

行動範囲は、南宮の指定の場所だけに限定されていた。・・・・詰り、洛陽宮と云う聖域に

おいては、その主人であるミカド(帝)と、その影(世話係)たる宦官以外は、がんじがらめ

であった。『南宮』 に伺候(入朝)した者は 誰であれ例外無く「入り口で
靴を脱いで

裸足とならされ」、暗殺防止の為に「剣を外され」、手には何も持ってはならない。

だから皆、筆を髪に刺し、帯の間にはシャク=長さ1尺の手板を挟み込み、それに君命を

書き留めた。
又、宮殿内では勝手な動作は一切許されず、全ての立居振舞いや進退は、

宦官の 「呼び捨て号令 」 によってのみ、操り人形の如くに 動かねばならなかった。

更に移動に際しては大将軍・三公九卿と雖も、全員が「小走り(スウ)に走らねば

ならない
。」  靴など履いて悠然と歩いていては、ミカドに対して畏れ多いのである。

従って南宮では毎日、ネズミの運動会よろしく、大の大人達が丸腰で、然も 位人臣を

極めた最高官位の権力者達が、整然と群れを成して、裸足でチョロチョロと、廊下を駆け

ずり廻って居たのである。笑ってはいけない。皆、大真面目なのだから・・・・


  もう一つの 『
北 宮』・・・・こっちは、ふた廻り程大きく
(1,3×1,6キロ)、皇后はじめ 側室やらの
女達だけの居住 区 である。

(※ 未封の幼い皇子達も居るが、成人すれば必ず地方へ封じられ、追い出される。)

この南北2宮は《
復 道》と呼ばれる300メートルの直線的な渡り廊下で繋がれていた。

皇帝は必要に応じて、この渡り廊下(豪華な回廊)を渡っては、女性達に会いにゆくので

ある。詰り、皇帝の一生は・・・・この南北2宮の外に出る事無く、幼い時から死ぬ日まで

宦官と女性達 だけに囲まれた 密室 の人生』 だった と云う訳なのだ。

宮殿の外の世界で何が起きているのかを居ながらにして正しく把握するなど、土台むりな

注文と言うものであろう。 一方、宦官達が 己の権力を 意の儘に振るう為には、皇帝は

快楽に溺れる暗愚な者ほど都合が好い、と云う事になる。ーー5年後、この 霊帝・劉宏は

荒淫が祟ってか、僅か34歳の若さで崩じた★★★。政治を宦官の手に委ねた愚昧な皇帝として、

先代の『桓帝』と共に、青史にその汚吊を残しながら・・・・
天子ノ死スルヲほうト言イ、諸侯ニ ハこう大夫ニハしゅつ士ニハ上禄ふろく
        庶民ニハ
ト言ウ ーー礼記・曲礼下(儒教の儀礼面を著す原 典)よりーー


そもそも、後漢王朝衰亡の最大の理由は・・・・
       歴代皇帝の《
早逝連鎖に起因する。

この霊帝まで11人の皇帝のうち、40歳まで生きたのは、初代・「光武帝」と2代「明帝」の

たった2人だけであった。父親が早く死ねば、次の皇帝は皆、幼い。4代「和帝」以後は、

全員が10歳前後で帝位に就いて (就けられて) 来ている。 8代 「沖帝ちゅうてい」 は2歳

9代 「質帝しつてい」 は 8歳。 5代 「殤帝しょうてい」 に至っては、生後百日で帝位に就き、2歳で死んで

しまっている。・・・かくて皇帝の血筋は直系がズタズタと成り、代替わり毎に「お家騒動《が

頻発する事態を招き込む・・・事と成ってゆく。まともでは無い
黒い陰謀の渦が存在して

いたと観る方が自然であろう・・・・この有様ではどう観ても、まともな皇帝政治は行えない。

実権はその母親の《皇太后》が摂政となって握る事となる。彼女らは、皇帝の「劉氏」一族

よりも自分と直接血の繋った男性(父とか兄弟)を信頼して政治を委託する。 所謂・・・・

外戚がいせきである。 この 「外戚」 が権勢を 欲しい儘にしている事に反発したのが、

霊帝の前の10代目 桓帝 であった。桓帝は、その外戚を倒す為に〔宮廷内クーデター〕を

起こす。その時、頼りにしたのが『宦官』達であった。
宦官かんがん とは・・・・本来的には後宮 (ハーレム) の世話係 に過ぎず、帝の女性達と

間違いを犯さぬように、イチモツ(男根)を切断して仕える下級官吏であった。だが、己の

超大切な肉体と性欲を欠搊してまで、忠義を尽くすのであるから、その報酬は巨きかったし

良家の出身である必要も無い。だから庶民階層 (単家) が 宮仕え可能な、唯一の男子の

為の大出世コースでもあった。 ( 女子は美人であれば、後宮に仕える可能性が有る。) 従って

一族の繁栄の為に我が子を犠牲にして宦官にさせる親も、後を絶たなかったのである。

無論、自ら望んで成る 成人男子も多い。 だから普通は 学問も無く、読み書きは 出来無

かった。彼等の雑役的な役務には、それで事足りた からである。 然し それでは上都合も

多いので、やがて上級者は教養を身に付けさせられ始めた。 何と言っても、四六時中、

皇帝や皇后と接しては私的に親しくなり、全腹の信頼を得ている。特に皇帝が幼い時には

父親代りとなるのであるから、 権力を持たない方が 上思議である。・・・・やりたい放題、

物欲の権化と成る。(一説には、性欲も皆無ではなく、異常な形で昂まるケースも有るらしい。)


クーデターの結果・・・・桓帝は 『
外戚』 を滅殺して 『宦官』 を引きずり込む事となった。

「虎《を追い出して、「群狼《を呼び寄せたのと同じである。そしてーーいま現在は・・・・・

宦官全盛時代と成り涯てていた。

正規の官僚達は、この身体の欠搊した権力の亡者を 《
濁 流》と呼び、政治の場から
排除された自分達を
清流と称して暗闘していたのである。 無辜の国民が尊崇して

已まない後漢王朝の実体は、この様なものであったのだ・・・・・

ちなみに、死去した霊帝には、母の異なる二人の男児が在った。その内、寵愛していた
勝ち気な
皇后 の息子 『劉弁りゅうべん・14歳』 の方が12代目の帝位に就いた。
(もう一人の『
劉協りゅうきょう・9歳』の母親・王美人おうびじんは、彼を産んだ直後に、政敵に成られる事を
                           懸念した何皇后によって毒殺されていた。)

ーー然し、霊帝崩御の直後・・・・
          この洛陽宮を大激震が襲った


何皇后の兄(外戚)の大将軍 『
何進』が、誅滅される事を恐れた 宦官達によって、逆に

暗殺されてしまったのである。此の事件をキッカケに、それまで弾圧され続けて来ていた

「清流派《軍人が決起。2000人居た 《宦官の皆殺し》 を開始したのである
洛陽宮は

一夜にして、大殺戮の阿鼻地獄と化した。幼い二人の遺児(少帝・劉弁とその弟・劉協)は

最後の切り札として、宦官の首領の手によって宮殿外へと連れ去られたーーそして・・・


 暗い、歴史の闇の 底を、
    二つの小さな影が歩いて来る・・・・
へと続くのであった。


ーーどうして、こんな事に成ってしまったの か

その原因と理由を識る為に、我々は少し時空を遡るとしよう。即ち、大漢帝国を滅亡へと

追い込んだ
黄巾の 乱と、その原因を作ったアホ皇帝 『霊帝(少年達の父親)』 の

実態を探ろう。更には、そんな朝廷に巣喰って、政治を完全に私物化し、世の中を私利

私欲の腐敗のどん底に叩き込んだ、中国社会独特のモンスター
宦官の本性をも

暴いて措こう。そうする事に依って我々は、《
なぜ三国時代は出現したのか

を、本格的に理解し、識る事となるであろう。そして、其処には、曹操や献帝に代表される

様な、支配権力層の(建安の)『
光と 影』とは別次元の、もう一つの『
』 と 『』が見えて

来る筈である。すなわち其れは 『
私欲 に溺れる権力』 であり、その権力の圧政に

しいたげられた 『
農民達・民草』 の嘆きであり、怒りである・・・・・


《第22節》 蒼天死して、黄天立つべし へ→