【3年目】(昭和27年:1952年)

1月9日
母が洗濯の湯を、たらいにあけた(注いだ)時、鉄瓶を置きに家に入った途端、灰をゴッテリ 湯の中へぶち込む。傍で泥を ピチョピチョと 母に飛ばすので叱ると、今度は 歯磨きの粉の瓶を持って来て、膝や背中へばら撒く。
「これこれ」と 叱ると、お勝手へ入り、母の知らぬ間に、歯磨きの粉へ水を入れ、板の間へぶち明ける。お醤油の入れ物から 玄関先へ、みんな(全部)流し出して しまふ。油の瓶や、乳の瓶 などなど も。

2月8日
もう付けようと思った日記も、余りのいたづらの激しさに、ついペンも取れず。
来客にて話をして送り出し、座敷を見ると雪だらけ。座敷中とけてビショビショ。外から戸の開け放した座敷へ平気で雪を投げ込む。庭でケロリとして遊んで居る。びしょびしょ溶けて畳が ビショビショ。
夜、生花の姉ちゃん来て、榊を生ける所をぐるぐる廻り歩いて、何としてもやめぬ。折角(太竹筒へ)よく生けたのを、筒さら(筒ごと)持ち去ろうと 力む。


2月某日
もう此の頃は、全部の言葉を使い分ける。ずっと以前の事を覚えて居て、いろいろ話のうちに取り入れる。唱歌も調子がとても上手いし、いろいろの歌詞を覚へる。ラジオのよい音楽は何時の間にか、首振り手振り拍子を取っている。 母が何処かへ用事に行く時、付いて来られると困る場合には、「お医者様へ行ってチクン(注射)をしてもらって来るで(来るから)一緒に行くか?」 と言ふと、「いやだ!」 と 慌てて逃げる。
お母ちゃんは、もう此の頃、気分がとても悪い。体が寒気がして胸がムカムカする様になったが、もしかすると保美ちゃんの弟か妹が出来るかも知れないと思ふ。
母がお茶の湯の会(茶道会:母は茶道の師範でもあった)に行って来るうち、父は何一つ仕事が出来ず、遊び相手をせねば、いたづらが激し過ぎて・・


2月12日
この頃おんぶして歩くのが、重くて 重くて 困る。上目 計ってみたら、四メ百匁(15、4kg) も有り、重い筈なり。


2月18日
冷たいのに、小さい机の上や腰掛けへ一杯おもちゃを列べて、お店屋ごっこする。枕を腰掛にして座って、「自動車が二十円だよ」なんて、一人ですまして居る。昼過ぎ、下諏訪へ入浴に行く。ぬるい綿の湯。湯つぼに立って居ると、肩がすっかり出る。一人で手拭を輪にして、池をこしらへて遊ぶ。


2月終り
小さい机の上や腰掛の上へ、もう一杯に色々のおもちゃを列べる。何も彼もいろいろ。それを一寸でも いぢると 泣いて怒る。位置を崩すと 泣いて怒る。その所だけは絶対にいぢらせぬ。「これ二十円だよ」 なんて、お店のお番頭さん気どり。食べる物でも何でも皆列べてある。兄姉がこっそり何時の間にか口へ運んで減ってしまふ。悲しそうにしながら何時迄も列べて置き、何時の間にか皆、何処かへやられてしまふ。
この頃、(蓄音器のレコードで)唱歌も 幾つか覚える。調子も上手く、間違い無く唱ふ。「砂山」を第一に覚へる。「浦島」「桃太郎」。「すずめのお宿」の歌では、お土産つづらの所へ来ると、お茶に お菓子、おまんじゅう、かりんとう など、自分の欲しい物を みんな歌い込む。


2月某日
朝、(保美)百貨店の所に列べたキャラメルが、皆 消えて 無くなっていた。
悲しい顔をして父子の会話。
「お父ちゃん、大きい鼠がねえ、みんな取っちゃったよ。」
「その鼠、どこへ行っちゃったや?」
「三沢へ行っちゃった。」 と、何も彼も 承知して、仁兄ちゃんが持って 三沢へ行った事を、百も承知でいる。


3月2日
乳首へも手を入れなくなる。「赤ちゃんがぽんぽに居る」 と嬉しそう。
来客毎に「ねえ母ちゃんの ぽんぽの 赤ちゃん 居るねえ」 と、さも嬉しそうに一番先に言ふ。未だ誰にも 知らさないので、母 赤くなる。


3月3日    小井川校 音楽会
十時、聴きに行く。お父ちゃんの組の「ひなまつり」の歌の時、上手に弾く
お父ちゃんに、母 涙が出る思いだ。保美も よい子で聞く。
病院へ行って診て戴く。大分よいのでよかった。
帰り、校長先生宅でお茶を戴く。
「お母ちゃんのぽんぽに赤ちゃん居るねえ」 と 嬉しそうに言ふ。
「おばちゃん欲しいで(欲しいから)、貰ふかな」 と 言われると、
「可哀想だで(だから)、呉れねえ!」 と、はっきり 言ふ。
「これには 参ったわ」 と 大笑い。
午後、美佐子ちゃんの縦笛の音楽を聴いて来る。


3月4日
歯医者へ行く。路が悪いのと寒いので、おんぶして行くが重いこと重いこと。
炬燵に当って居ればよいのに、じっと母の所へ来て寒そうに、眠くなる時間は懸かる。もごい様だったが、でもよい子で居た。余程おとなしくなったものだ。


4月3日
(保美)夏みかん戴いたのを、お勝手へ持って行って、包丁で切る。
「手々を切るで(から)、いけないよ」 と云っても、「いいよ」 と 平気で答へて、そのうち ギャッと 泣いて来て、見ると 指から血がどんどん。血だらけになり、「痛い、痛い」 と泣く。夏みかんを じょんじょんに(目茶苦茶に)切って、左指先を切った。泣き寝入りに寝る。
背中や尻の辺へボツボツが出来、とても嫌がる。


4月10日
洗濯している時に 保美見へず。方々探したが 見へず。心配 しているうちに西堀の高林睦ちゃんの家へ、睦ちゃんに連れられて行って来たとて、又二人で(戻って)来る。陽に当って、真赤い顔をしている。


4月11日
急に美貴さん(父の妹)来る。婚礼の着物を取りに来たが、此処に無いので三沢へ行く。川端づたいに保美も歩いて行く。三沢へ行き、じっと庭の大石の傍で砂いぢりして遊び、食欲も無し。帰りも時間の都合上、川端づたいに歩かせて帰る。途中の鉄橋の上を汽車が走るのを嬉しそうに見る。疲れたと云ふのを騙し騙し、つい駅まで歩く。よく歩いたと思ったら、暑に当ったのか、夜中に吐く。


4月12日
昨夜の事が心配だったが、朝になったら普通に遊ぶので、安心して医者へ連れて行かず。夜になったら、夜中二三度、苦しそうに吐くので心配で堪らず。


4月13日
日曜なので病院へも行けず心配していると、丸でしょう(元気・精気)の無い様に(→しょう無し:意識不明・無感覚)ぐったりと、昼過ぎまで眠り続ける。熱が無いので疲れ切ったのか?暑に当ったのか?食べ物に当ったのか?と心配になるが、よく眠る。午後、目を開いたら、だんだん元気を取り戻してくる。


4月14日    (満3歳の誕生日)
病院で診て戴くと、何か食べ物が、悪い物を 与えた らしい とのこと。西堀へ連れて行ってもらって、食べたらしい物が、いっぱい 吐いて 思い当る。お薬いただき静かに休ませる。


4月15日
元気になった保美を連れて一家中で早朝、宮原(父の実家)へ行く。雨がびしょびしょ降る中を父の背中に。でも皆、和貴叔母ちゃん(父の妹)の結婚式なので喜んで行く。皆大忙しに、働くやら支度やら。きれいな御嫁様の姿の和貴叔母ちゃんでよかった。無事に式も済み、お父ちゃんも式場から帰り、学校があるので仁、美佐子と夜帰る。保美が寂しがって、「付いて帰る!」と
ぐざるので、「山の向うの方へ、注射しに行って帰って来るので」 と、騙して(出て)行く。もう泣いて泣いて、騙して泊るのに一苦労。夜中に目ばかり開いて、「お家へ行く」と言って困った。


4月16日
朝になったら、よい子で遊んだ。嫁様、婿様、姑様、十一時頃来る。御馳走のあと夕刻、一緒の自転車へ乗せてもらって茅野まで助かる。矢島つや子さんの衆に逢い、みかん等いただく。六時の汽車で帰る。荷物が多く、バスの中でねんねしてしまい、ようようおんぶして無事帰る。











         
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