【昭和26年=1951年】

1月1日    元旦
一家中そろって 神様へ お参りするのを、振り返って 見ていて、にこにこ
笑って、慌てて自分も 真似をする。お勝手の物を、どんどん炬燵の上へ運ぶ。大やへ お客に呼ばれて行く。いたづらすれば困ると思ったが、よい子で居てくれて嬉しい。

1月2日   正三様方へお呼ばれする。今日もよい子だった。

1月3日   和臣様方へ。

1月5日
家で 客よび。保美が邪魔すると お客にならぬので、お子守に みな一苦労。兄姉変わり番子に おんぶしたり 騙したり。狭い家の中で、ようよう 一お客が済んで一安心。

1月8日   ジフテリヤ注射

1月9日   理髪、なかなかやらせぬ。泣かせ乍らやっとやる。

1月11日
「ともあべ!」と、友ちゃんの通るのを縁側で見て居て呼ぶ。惣次、朝行くのを見て呼ぶ。入浴さゆり方。 箸で 豆を 挟む。飴を やると 「アメ アメ」 と云ふ。

1月12日   ごた の 遣り放題。

1月13日
「めっ」と云うと、目をふさいでしまふが、へらへら、けらけら笑って誤魔化してしまふ。 「ポッポッポ  ハト」


1月14日   三沢行き (生後1年9ヶ月目)
バスに乗ろうと 早朝 家を出たが、一時間三十分、羽場坂の停車場で待つ。
ひどい しみ の 朝だ。駅へ着いたら九時の下り出た後で、十一時まで汽車を待つ。日向ぼっこも寒い。冷たい思いをして三沢へ着いて二時。腹は減る、冷たいし、美佐ちゃんも泣ける様だった。やっとお祖父ちゃんにお餅を戴いて生き返った思い。夜よい子で寝せておいて入浴。洗髪して来るうちに泣かれちゃ困ると、どきどきしながら入浴して来たら、よい子でぐっすり寝ていてよかった。

1月15日
母パーマへ行って来て、歩いて昼頃三人して油屋へ同級会(15日会)に。
飴を戴いて口一ぱい頬ばって、姉ちゃん方の美しい洋服に、ぷうぷうと唾を吐き掛けたり、林檎を皆に取って投げたり、いたづらすること大騒ぎ。
朝、手 「痛い痛い」と、余りの ひどい しみ(寒さ) に 泣く。


1月16日
川岸小学校 第二十一回 卒業生 男女合同 同級会 第一回
威久子ちゃんや、御先祖様のお墓詣りの後、十一時半 バスにて 公民館へ行く。何十年ぶりかの会なので、母もどんなに張合いの事か。美佐子ちゃん子守役。出席、男十七人、女十名。 大賑やかの会となり、どんちゃん騒ぎ。母の他には子持ち一人も来ず。皆、子供を連れて行ったので大歓迎して喜んで下さる。
「寿ヾ子さんの お母さんぶりが 気に入ったぞ」 と男子側で云ふ。変わり番子に抱っこしたりおんぶしたり、いっぱい飴を下さったり、大もて。手を叩いて唄ふのをみて一緒に手を叩いてにこにこ笑う保美で、ほんとうによい子で居てくれて嬉しかったり、こんなよい子供三人も持った母は、どんなにか鼻が高かったか。夜道をぬくぬくとおんぶして帰る。

折角よい気持で居るのに、まち子(妹)三沢の家に我が儘いって三年も居て、母に大勢連れて来てうるさいの、何の、かのと、胸えぐる様な事を云いふので口惜しくて母眠れづ。家に波風立たせるまち子。人の道にそむく行いを平気で しては、言いたい放題の事を云っている まち。


1月20日
小口貞行さん新夫婦ご招待。早朝見える。お父ちゃんに主に子供を子守って戴いたので大助かり。写真もうつして戴いたり、一日中賑やかに。
お帰りになってから、お父ちゃん。「やれやれ、子供は えらい(苦労:辛い)よ。気が気じゃない」 と。でも 保美のお陰で 座が大賑やか。

1月21日
自転車へ二本棒立てて「はた、はた」と喜ぶ。口の物をぶうぶう吐いてふざける。

1月24日
よい子で手の爪を切らせる。音楽のよい拍子は、体や手足を振って 気持よさそうに 合わせる。

1月25日   ねんねする時、「ラジオ、止めて止めて」 と 云ふ。

1月27日
いたづらしたので目を見て母「めっ」と睨むと、一寸見ておいて、目をこちらへ向けづ 伏目になり、そのうち新聞紙で、母の方を 見えない様にする。

1月28日
高い縁から真っ逆さまに、あっと云ふ間に落ちる。腹下る。入浴いづみ方。

1月29日
 父:「眼鏡ないかや?」
保美:「ちゃあ」 (さあの意味) にて 辺りを さがす。











         
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