【3冊目】: ( 2年目の 第1日より )
4月15日
昭和二十五年四月十五日 満一ヵ年が過ぎた第一日。
立って 両手を ぴちゃぴちゃ 叩いて喜ぶ。
4月16日 歩きはじめ
公民館へ ツベルクリン反応を見て戴きに行く。美佐子ちゃんに 行きがけは、おんぶ してもらふ。陰性だったので予防注射して戴く。 お医者様が、「なかなか よい子だなあ」 と 褒めて下さった。 帰り、降幡先生の借りている家に初めて寄って、お茶を戴く。保美は這い廻すので大騒ぎ。
午後八時、家中そろって団らんの折、保美一歩出て、又三歩と、大地へ歩き出した時が来た。十六日は、一人立ち歩き初め の記念日。
4月18日
裏側の雨戸を開けると、急に明るくなる。外が見へぬ故、下側の障子紙を切り取ってやると、そこへ掴まって外を眺める。
ダーイタイタイタイ、ツッタ ツター ターウー テッテタータア と、大声を張り上げて外を眺める。二、三歩づつ歩く。
4月19日
頭へ油つけて、こびついた ふけを取る。 入浴に さゆりさん方へ行く。眠いので泣くが、入ると気持よさそうだ。
4月20日
今日は、仁ちゃんの受持の 佐久先生、家庭訪問に来て下さる。辺りの 散らかったのを 片付けるのに大騒ぎ。子守も 仁ちゃんの背中に。
玉子の黄味を割って置いたら、そのまま 手で掴み上げて 口へ持って行き、驚く。両足を踏ん張って立って居る回数多くなる。御飯を欲しがって食べる。
「うんまうんま」 と 云ふと、口を ぴちょぴちょ 舌つづみする。
4月21日 時々立ったり、ピチュピチュ 手を叩く。
4月26日
顔を隠して「いたあ」と上げる。両手で目をかくす。外へ出て家へ入ると喚く。ビスケットを ポリポリ かぢって 食べる。
4月27日
兄ちゃんの 勉強しているものを 取ろうとしたので 隠したら、すぐ ラッパで
兄ちゃんの頭を こつん と叩く。そして 出て行って、幾つでも 叩いている。
次に 美佐子が、鉛筆を取られそうになり 隠すと、又 美佐子を 叩く。
二人が、「叩かれるので、おっかなくて 勉強 出来ぬ」 と 云ふ。
4月28日 夜、生花会、公民館にあり。お父ちゃんにお守して戴く。
5月1日
なかなか思い乍ら小林先生方へ御無沙汰故、思い切って行く。この富士見立沢の道が長いので、ほんとうに閉口する。午後一時の上り列車にて信濃境高森の御宅をお訪ねする。生憎おるすで留守の所へお借りして、保美をおんぶから下ろして、座敷で遊ばせている。
障子が藁半紙なので保美が立ち上がって掴まると、ぶすり ぶすり と 破れてしまふ。母ちゃん冷汗が出る。お帰りが遅く、小林先生、山より夕刻、お母様お帰り。泊めて下さるままに一泊させて戴く。
日本に たった一鉢の 「みやま きりしま」 の つぼみを、 知らぬ間に むしってしまふ。隅に盛り花あり、それを掴んで崩してしまふ。きれいな畳の上に おしっこする。 ほんとうに困る。
お湯を焚いて戴き、薬湯に入る。よく温まる。保美も よく眠る。
5月2日
朝御飯いただく。まだ眠っていて助かる。朝おいとまして駅前の芳雄様方へ久しぶりにお訪ねする。約一時間ほど御茶を戴き遊ぶ。いろいろのおもちゃが有り、殊にセルロイドの白い毬の中に鈴の入ったのが嬉しくて、それを一生懸命転がして追っかけていた。
九時で下り、上諏訪へ 紙を買いに行く。 伊藤のおばちゃん方へ寄る。おばちゃんにお守して戴き、ゆっくり入浴して久しぶりに垢を落す。保美も入って、いい御機嫌。床の間に這い上がったり、そこらを掻き廻す。
午後四時に本郷へ帰る。どうしても荷物あり困り、電話で学校へ迎えに来て戴くよう連絡して、ぼつぼつ上る途中、豆腐屋の小僧さんに 荷物を自転車に つけて行ってもらふ。途中へ来るとお父ちゃんが迎へに来て下さって、又車に乗せてもらい、話して来る。風が寒いので保美を風に当てぬ様にしながら来る。下羽場の入り口へ 来ると、仁と 美佐子、大声で 飛んで来る。これまた乗せて戴き、皆して帰る。
イナイヨー イター よちよち歩く。
5月4日 よほど歩く。便の回数多く心配なり。明日下諏訪へ行く用意。
5月5日
朝九時に乗るのに大騒ぎ。雨の中を出て行くのには大変だ。お父ちゃんに
保美おんぶして戴き、どしゃぶりの中を出る。お花の会と諏訪大社への打合せ有り。仁・美佐子は お子守に連れて行く。
上諏訪にて小林先生と御一緒になる。下諏訪、安部さんの所へ荷物たのみ、保美を子守させておいて諏訪大社に行く。打合せ済ませ、裏通りを中山様方へ行く。もうお腹が空いて、子供達可哀想。会をするうち中、子守してもらふ。夕刻、岡谷へ。母、パーマネントをやってもらってすっかり遅く、九時のバスで三沢へ行く。
5月6日 体重 二メ四百三十ニ匁(9、12kg)
午後、山田写真館へ行き、写真を写す。お父ちゃん 御一緒でなくて残念。
写真を撮る時びっくりした顔。笑はせようとしてもびっくりして なかなか笑はぬ。写真屋さんが、そっと 保美のほっぺたへ 触ってみて、
「こんな 肌のきれいな子は 見た事がない」 と 褒めたり 驚いたり していた。
帰途 買物して、三沢まで 中央通り より歩く。風寒く、咳 保美でる。
5月7日
薬鮎沢さんより咳止めを戴く。三沢より立沢へ。駅長室にて会員乗車を頼み十一時の学生列車に。お父ちゃんと打合せしておいて仁、美佐子は茅野駅で下車。上社、御柱を見る。つや子さんの家へも寄って御馳走になって一日よく見て来る。母ちゃんは保美を連れ歩いても混雑すればと思い、御柱を見ないで本郷へ帰ってしまふ。荷物が沢山だったが、ひろみさんの姉ちゃんに持ってもらい、途中 休み休み、やっと 上って来た。夜は小林先生、松本より母様と、さゆりさん方へ来たので一緒に御馳走に呼ばれて、家中でいろいろ御馳走になる。
5月8日 上社 御柱祭なれど 学校休みと ならず。
5月9日
午後四時より生花会をやる。お守に美佐子ちゃん来てくれる。村人達も寄って来て、明日の手伝ひをする。
5月10日
雨と風とで立沢の公園祭りに生ける花も、風でみな吹き倒される。天幕を巡らせて列べるが なかなか。明日の事がある故、展示会は会員に任せて家へ帰ると、さゆりさんの家で御馳走におよばれして嬉しくて、三沢へ帰る用意して、行き掛けに御馳走になり、お腹をこしらへて山を下る。
雨が激しく荷物は重たいし、休む所は無いし、背中の重い保美をおんぶして、一歩も足が出ず。しばし雨の中に立ちすくむ。ようようの思いで駅へ。三沢へ夕方ついたら、もう布団敷いて寝るばかりにしておいて下さって、こんな嬉しい事はなかった。保美も早速お祖父ちゃんおんぶで嬉しがる。
5月11日 諏訪大社下社 御柱記念 生花奉納会
もう、おぢいちゃん、おばあちゃん、暗いうちから起きて、弁当や食事の用意して下さった。髪結ひさんへ行くつもりなので、早目に出ねばならず、保美を上のおばさんのかし子さんに頼んで、家を一足先に出る。約一時間できれいにパーマの髪を結ってもらひ、バスで下諏訪へ。本郷の会員、一足先に着いた所だった。幸、雨もやみ、生花日和とも言ふ所。続々と会員来場して、広い事務所の座敷も一杯となる。
保美はかし子さと後から一時間程たってから来る。もう母は大忙し。一人で、あれこれ世話焼きだ。乳を与えるのも惜しい程の忙しさだったが、かし子さがよく子守ってくれるし保美も咳がひどかったが余ほど遠退いたのでよかった。薬も相沢さんからもらって来たので飲ませる。一日中おんぶされて保美も可哀想だったが、山崎とみ子さんの家でも遊ばせてもらったとの事。
夜うんと遅くまで子守って帰りは母の背中におんぶする。とにかく無事に奉納会も済み、よかった。出席の居合わせた会員と保美も母の膝で(記念の集合)写真をうつす。
5月14日
出張の所でキップ買ふ。駅へと急いだが人混みに押されて、みすみす汽車の臨時へ乗れず残念。兄と姉の二人はホームへ出て行ったが、人波に隠れて見えず、明日学校がある故に心配でたまらぬが、二人を先に本郷へ帰すのが悲しかった。おきば(騎馬行列)の上の 小さい殿様を見たのみ、何一つ見る事も出来ず、子持ちの母では見せる事も出来ず、只歩かせたのみ。欲しいお土産も只一つキャラメル買ったのみで帰さねばならなかった事を思いながらも、駅の人混みで別れた。
仁と美佐子の顔が淋しそうで可哀想で胸が一ぱいになり、御柱だったけれど少しも楽しく面白くなく、重い足取りで下諏訪マルエスのバスが一分も待たぬよう、どんどんと客を乗せたので、直ぐ乗れて岡谷へ。駅へ着いたら、未だ上りの汽車が来ていないので、余けい後悔した。こちらまで連れて来て乗せれば良かったのに、バスの都合が分からぬので、あの混雑へ二人置いてと、悲しくなってしまった。帰ってからも、よく眠れなかった。二人で無事に本郷へ帰れるよう心より祈る。
5月15日
今日は落ち着いた気分で、本郷行きの荷造りなどする。 ご飯の時、保美をお祖父ちゃんおんぶで外を歩き回って下さる。夕方、上の家の小林へお茶に呼ばれ、入浴させてもらふ。お祖母ちゃんが手伝って脱いだり着せたりして下さる。汗っぽかったのに、清々してよかった。夜はすっかり用意して寝る。
5月16日
朝早くから下諏訪の生花の後片付けに行く。お子守に困り、山崎とみ子さんを頼み、保美をおんぶしてもらふ。大助かり。一人きりだったが、早く片付けせねば夕方山へ帰れぬと一生懸命だ。殆んど花も片付いた頃、ぼつぼつ会員みえ漸次大勢となり、小林先生も来て下さって、やっと清々する迄は五時の汽車に ようよう(ギリギリ一杯の思い)だった。
みんなと一緒だった故、保美を汽車から下りて駅で美江子さんにおんぶして戴いて帰る。荷物もみんなに持ってもらい途中まで来るとトラックが来たので、皆で大騒ぎして乗せてもらふ。嬉しくて帰って来た。
仁、美佐子、お父ちゃんと待ち兼ねていて下さった様子がよくわかる。
次の日、お父ちゃん、吉衛さん方の用件で東京行きなので寝ずに旅の支度をする。でも家程よい所はないと、つくづく思ふ。
5月17日 体重 二メ四百五十五匁(9、21kg)
学校より東京へお出掛けのお父ちゃん。幾日も留守にすると用意が山の様にたまる。お兄ちゃんの修学旅行清水行きも十九日早朝なので、又その用意に忙しい。疲れていても気を引き締めてやる。
座敷を廻る。歩き、しっかり。歯よほど見へる。
5月19日 晴天
昨日御帰りになれるかと思ったおとうちゃんより『よい子で行って来い。』との電報来たので、今朝は寝忘れては困ると一睡もせづ、三時半頃より火を炊き御飯の用意して仁も起き、早目に支度して四時家を出る。辺りは真っ暗なので一本松まで送って行く。保美眠っていたが、昨夜よく美佐子に頼んでおいて、泣いたら子守っていてくれと言っておいたので、安心して行く。途中待ち合わせ、一本松へ行く。皆嬉しそうに元気だ。先生をお待ちして、お願ひ様して、母帰る。案じてた通り保美目をさまし、美佐子が子守って淋しそうに待っていた。それから一眠りさせる。
夜お父ちゃん、大きなまぐろと、生のサケを一箱おみやげに戴いて御帰りになる。
5月20日
一日中しょぼしょぼ降る雨。又時々には土砂降りともなり、昨日の晴天に引き換え、にくらしき雨よ。旅の仁を想い、濡れしょぼの子等を思ふ。 夜、雨具や衣類など用意して駅へお迎えに、お父ちゃんに行って戴く。元気で帰って来た。雨は沢山ふらず、濡れなくバスで見学して歩いた由。食料持参の荷が重過ぎて、顔を見るなり母うらまれて切なく、旅のうち中、母をうらんで居たのかと思ったら堪らなかった。確かに、お腹を空かせてはいけぬと持たせ過ぎたのだ。ばかな母だ。
5月23日
外が見える 出口の所へ、幅一間・高さ一尺余の 格子を、大工さんに 作ってもらふ。これなら保美も一安心。そこへ掴まって、立って外を見て遊ぶ。
重い様な物を 抱えて 歩く。
吉衛さん多恵子さん(夫婦)来る。和貴叔母ちゃん来客。
5月24日
和貴叔母ちゃん御帰りの時さよならと云ふと、手をついて、頭をぺこぺこ下げる。おはぎ、手づかみで食べる。
5月26日
毬を持って 腕を後へやり、「よおん」と 勢いつけては 投げる。又 「よおん」と投げて喜ぶ。
5月30日 寝ている美佐子の所へ行き、かまって起こしてしまふ。
5月31日
布団の上に居るので布団を引っ張ってやると大喜び。大の字なりになって、喜んで引っ張って もらふ。まりを投げる うまさ。乳首を さかんにかじる。いろいろ発音をする様になる。 重い保美を 美佐子、四時間も子守してくれる。
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