【1950年・・・昭和25年】 元旦

除夜の鐘の音と共にいよいよ元旦となる。大きな袋に一ぱい御年玉を入れて御年神様の棚へ乗せて置く。三時半頃、仁、美佐子が見て眠れぬらしい。又五時ころ、寝床の中できゃあきゃあ喜んで騒いでいる。(新聞紙全面大の袋一杯に、南京豆やミカン、干し芋、キャラメルなどの菓子類、そして・・・!!!未だクリスマスの慣習が一般的では無かった頃の、子供には最大の楽しみ)

若水を お父様汲んで下さり、みんなで初の 顔洗ひ。豆がらで 一年中まめで居るよう祈って火を焚く。保美も今日は元気でにこにこ笑う様になり家中元気で朗らかに嬉しく幸せに、一家そろって神前に並ぶ。お父様の先頭で一家の健康であるよう、幸福であるよう、心よりお願ひ申し上げる。
いろいろ御馳走にて 炬燵で美味しく お雑煮戴く。仁、美佐子ちゃんも、もういろいろお手伝ひ出来る。袋のお年玉を出して二人が大喜びだ。保美ちゃんのは、もう炬燵の上を掻き回すのでお守にようようだ。元気が出て嬉しい。
お父ちゃんに保美ちゃんお守して戴いて、三人で近所へ新年の御目出度う申し上げに行く。十時頃大やで呼んで下さって家中で呼ばれて行く。お父ちゃんはもう(年賀状の)仕事が大忙しで、書いたり読んだりしてから行く。
お昼に 五目めしを戴く。御馳走も あっさりしている。 夕刻まで遊び、夕食は そばを戴く。そばも足りなく出して(少なめだったので)、皆んな おかしい様だった。家へ帰って お餅を食べる。年賀郵便が 宝くじの のが(ものが) 何枚も来た。お父ちゃん又 大仕事だ。トランプ 子供が やり 眠る。

1月2日
去年は家で御年始よびをしたけれど、今年はお父ちゃん忙しいので取りやめ、威久子ちゃんの命日なので、お繭玉(まゆ大の団子)をこしらへて上げる(供える)。夜は 夜遊び(天下公認の夜更かし)に呼ばれて、六年生の仲間(ほぼ学年単位:子供の講)になって行って、十時過ぎ 帰って来る。
いよいよ保美の歯がちらり指の先へ触るようになった。右下一枚出始める。

1月3日   晴
朝、正三様方で 御年始よびに 来てくださって十二時頃行く。お父ちゃんは七時で岡谷へ行く。油屋の同級会と、第二の八千代の会と二つ。
私共四人で正三さん方へ行く。お昼はとろろ、夕食そば。いつもの事だが、どっさりの御馳走に どっさり頂戴する。保美は 母におんぶしたり、又 炬燵で
抱かれて 長いこと眠る。夜食まで ゆっくり戴き、九時まで居る。
帰って来て炬燵へ立たせて他を向いているうち、薬の瓶を持たせて遊ばせておいたら、知らぬうち、匙で叩いて薬をこぼし、硝子瓶を壊してめちゃめちゃにして、あの柔らかい手で 掴んで 遊んで居て、手から血を流しているので、びっくり仰天。大急ぎで 赤チンつけるが 平気で居る。
右の指を切ったり、ちょいちょい 傷がある。
十二時、お泊りになると思ったら、お父ちゃん、寒い夜中に 御帰りだ。
此の頃毎晩おしっこで背中から脇の下までがびしょびしょづっくりで、きまって着替えを用意して温めて措かぬといけない。まるでおしっこの中に寝て居る程 沢山まる のだ。外で抱いてしっこしてやろうと思っても、泣いてそっくり返ってしまって、どうしてもやらず。下へ置くと直ぐやって辺りを濡らしてしまふ。

1月7日  晴
今日はもう二度ぬれて着替へる。四日の日は咳がひどかったが幾分遠退いたが未だ出る。痰が絡むかエヘンと言えないので可哀想だ。母が針仕事をするのには仁、美佐子におぶわせるが、足を痛めているので長時間は無理だ。 この寒いのにスケート場まで二人で行って来たが赤旗で駄目だった。子守を 替り番子に して むらふ(もらう)。
鼻を めた(どんどん)出して、ごってり 二本下がる。昨夕 三浦先生に戴いたおもちゃで 母の顔を叩いて喜んでいる。口の中を覗いて見ると、ちらり歯の出始めたのが判る様になる。
もう寝せて置いても一人で ごてんと起き、一人で ひっくり返って元の位置へ仰向く。寒いのでなかなか下では よく眠らず。おんぶすると眠る。もう九ヶ月頃ともなれば、おむつも段々ぼろぼろになり、よく乾かぬ日は大困り。
今年は しみも ひどく 大雪だ。
(凍え刺す様な 内陸の極寒を 諏訪地方では ”しみる” と 謂う : ミが 強音)

1月8日
スケート会、青年会主催あり。仁、美佐子行き、お父ちゃん日直で みんな留守。昼過ぎ帰宅の子供に 子守を頼み、大洗濯。半ばやり掛け、湯を沢山
たらひにあけた所へ 来客にて困る。暗くなり、仕方なく、元に 洗濯の 遣り掛けをする。保美は ひゃあひゃあ泣くし、(洗濯物は)氷ってしまふし大困り。
昼間大便外でやる。いいうんちだ。やっているうちポチが来てぺろりと舐めてしまふ。

1月9日  晴
和臣様方にて年始よび。保美に薬のませても、美味しい重湯をとってやっても、ぷうぷう ぷうぷう と、みんな吐き出して しまって、口の中へ飲み込まぬ。
歯が右下へ出始めたので、やたら、ぷうぷうぷうぷう言ふ。又それでもと何か与へても又ぷうぷうぷうぷう。昼から和臣さん方へ呼ばれる。じっと背中でよい子。おりて 皆大勢いる炬燵で にこにこ笑っている。夜よばれて家中少食だ。背中の保美の子守り一日中は 疲れ切ってしまふ。

1月10日  雪
朝から吹雪。学校へ行くのに可哀想だ。戸を閉め切って措かないと居られない程だ。二人きりになると、もう淋しいのかぐづぐづ云ふ。朝の重湯も美味しいのに又ぷうぷう吐き出してしまって駄目。おしっこやっても泣いて反っくり返るその力の強さ。夜、着物を づっくり(ずぶ濡れ)させる程ぬらして びしょびしょだ。夜中に着替えしたり、朝 寒いのに 素っ裸で着替へす。 未だ、痰が出て
エヘンと 力を入れて 吐き出せないので、喉に絡んで 苦しそうだ。

1月11日
外はギラギラ雪の白さに目が痛む。皆な出た後お掃除や洗濯でお昼過ぎに組合まで行く。道が滑りそうな所へ 重い保美があるので 足が痛い程だ。
初詣をする。それから米の配給を頼み、買物して帰宅。もう足も出ない。
背でよく眠る保美。夕刻、大やのサカ代さん呼びに来て、お花の会の役員とお茶のむ。その時みかんの切ったのを持たせたら、背中でちゅうちゅうちゅう、ぐんぐん吸っていた。重湯も昼少し飲んだ。夜なかなかよく眠らず。十五日のお客の煮物で父母一時に寝る。

1月14日
明日の来客の用意に大童。美貴叔母ちゃん(父の上の妹)の手伝ひで 御馳走が出来る。父は上諏訪へ出張。夕刻、和貴叔母ちゃん(下の妹)来る。
チラチラ雪の中を仁、美佐子、孔美ちゃん(いとこ:美貴叔母の子)、どんど火(どんど焼き)に行き、繭玉(まゆ型の餅団子)焼いて 早めに帰る。
お父ちゃん御帰りになったので、道祖神様の所へお参りに行く。保美は母ちゃんにぬくぬくおんぶで美佐子ちゃん付いて行く。健康、幸福、安全をお祈りして、厄払いに銭を投げて、振り返らずに家に帰る。気分せいせいした。
厄投げ後、輝男様方へ入浴に行く。久しぶりの入浴して、ぐんぐん足を動かし少しもじっとして居ない。いろいろ手に取りたくて、母の足の上で、めた足を動かす。よい子で背中まで入れるのにやっと。気持ちがよくなっただろう、久しぶりの入浴で。夜中、大人達は語り明かす。

1月15日
昨日にひきかへ、からり晴れた上天気。朝からばたばた来客の用意に大忙し。七時半、上りで十五日会員(毎月15日に集まる同級会:半世紀続く)の人々来られる予定。 十時、賑々しく、棒へ荷物を差して二人で担いで、五人来る。そのうち左千夫叔父ちゃん(父の弟)も来て下さる。用意の御馳走が出る。座が賑やかい。三浦先生も招く。みな朗らかににこにこ、酒の座の賑やかさ。飲めや歌への大騒ぎに、お父ちゃんと保美の厄払いの宴、厄も何処かへ吹っ飛べ吹っ飛べ。赤城の子守唄に抱かれて踊る保美もニコニコとしている。母ちゃんまで歌ふ。一日中破れる様な賑やかさ。夕刻、東京より吉衛さんの来客に又ひと騒ぎ。昼食はあんころ餅、夕食は本郷名物のそばの御馳走。寒い中を元気で、万歳を唱えてから帰宅の十五日会員。清水さんは一泊。いろいろ話をして、この狭い所へ来客五人泊る。吉衛さん、左千夫叔父ちゃん、美貴叔母、和貴叔母ちゃん、孔美子ちゃん。とても清々してみんな大喜び。こんなに嬉しく酔ったのは初めてだと言ふ。
楽しい一日だった。今年も元気で家中楽しく元気でやっていけるだろう。

1月16日   体重 ニメ百九十三匁(8、2kg)

1月17日
近所の御年始よびだ。保美は仁、美佐子の背中に替り番子おんぶ。忙しいので乳もろくろく呑ませる隙も無いがよい子でいる。三軒十五人くらい来客に。子供生徒二人、狭い所だが、あんかの炬燵一つ増えたので広く使へる。夜十時半までトランプで遊ぶ。

1月18日
いつも呼ばれる家の人や、遊びに来る人をよぶ。朝十時、もう来客で大忙し。今日も保美は背中でよい子。

1月20日
夜とても咳がひどく、痰が絡んで苦しそう。目ばか開いていて心配となる。

1月22日  日曜
今年初めての生花会、午前九時よりなので保美を兄、姉に たのんで行く。
十一時半帰ると 父の懐に抱かれて ぐっすり眠り続けていた。村平さんの家へ呼ばれて昼食に行って来る。
もう此の頃は一人で起きて、ごとんと這いつくばって又一人でごとんと仰向けになる。歯が二本目が出はじめた。
かぶり かぶり(赤ちゃん語:頷く様)首を振って見せると、真似て 首をしきりに振る。指の力が強くなり乳首をきゅっと摘み上げる。その痛いこと。足にも力が入り、人の膝の上に足をのせて踏ん張る。痛いこと痛いこと。
一人立って炬燵につかまって余程いる。這い這いしている時間も少し増へる。前へ這い出したい様子に、足の裏を手で押さえてやると、ぐんと力を入れて、ひょいと前へ這い出す。
何時もにこにこ、誰を見てもにこにこするので皆に褒められる。可愛い子だ。
目をさまし一尺も乗り出して、ふうふう云ふ。甘酒を戴き、とても喜んでぴちゃぴちゃ舌を云はせて飲む。林檎の汁とみかんの汁、順序をみて与へる。よい便が出ると嬉しい。心が焦るが段々に与へていく苦心あり。

1月23日
歯が 痒いらしく、いよいよ乳首を しっかり噛む。とても痛い。「こらこら」 など
言へば、じっと下から母の顔を見て、にこにこ笑っている。

1月24日
急に配給布の事について組合まで行くのに、よく眠っていたので置いて行く。用事を大急ぎで足したら心配ながら帰って来ると、美佐子がおんぶして泣いているし、仁は炬燵で只めそめそしている。保美は背中できょとんとして、おんぶさっていた。
涎をたらす。二本目の歯がちらり可愛らしい口元だ。
ああああ、のんのんのん、うううう・・・たああたあ、たいたいたいたい・・・

1月27日
午後、日当たりよい所の座敷の布団の上に、えんこ(お座り)させてみたら、よほど長い事えんこして遊ぶ。そのうち、横っちょになり這いこしてしまふ。炬燵の所に寄り掛かって長いこと居るようになった。

1月28日
兄ちゃん姉ちゃん休みなので、交替でお子守してもらい、二人の縞のたっつけ(モンペ:たっつけ袴)を、母一生懸命で縫ふ。父は落合まで会に。

1月29日
お花の会に九時より出かけようとすると、教え子三人父の許へ来る。美佐子におんぶを頼み、行って十二時帰る。途中お寺へ寄りて父と保美の厄払いの祈祷を申し込んで来る。午後夕刻まで教え子トランプで大騒ぎ。昼食出したり、岡谷から降幡先生の留守に子供の来客が来て、また餅を出してやったりする。

1月31日
暖かい大寒で、平均十何度も高い温度。そこらに保美をえんこ(お座り)させると、可なり長い事えんこして 遊ぶようになる。炬燵へ掴まっていて、手を離すと、ゴロゴロと四、五尺も転がるが、泣きもしないでいる。はいこ(這い這い)も、グルグル グルグルと 円を描いて動く。
「ようん」と一足位。手に力を入れて前へ出るが、左右の方へ楽々動く。後へ大きい布団を置いてやると、えんこしたり座ったり、又ようんと立ち上がったり、後の方へ向いたり、又廻って前へ来り、もう一寸支えがあると自由自在となり、面白さうだ。
夜 正三方へ入浴にゆき、やまおっ母あに入れてもらふ。何だか慣れぬのであっさり入れて心配だ。すぐ着物きせて家の炬燵へ寝せて又入りに行って、帰って来てみると泣くとも泣くとも。怒って泣いて泣いて父困り切っていた。
辺りを見廻して母が居ないので、探して泣いて、騙しようが なかったとの事。
食べ物がつい多かったのか、30日、31日とても便が出て、洗濯物大騒ぎ。









         
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