白銀も 黄金も 玉も 何せんに 
        勝れる宝 子に しかめ やも
 
【4月 14日】                                
昨夜は 四月だと いふのに、かなりの 雪降りだったが、今朝は からりと 晴れ
上がった。 いよいよ 出産の予定日 (22日) も 近づいて来たが、まだ 今日は生まれない だろうと思って、学校へ 御主人の 御出勤を お見送りする 時は、 「まだ大丈夫よ。今夜はゆっくり式を済ませてから お帰りになってね。」と申し上げた。それは今年、学校の校長先生がお代わりになったので、今夜はその送迎会有る由。 みんな出掛けた後、十時頃から お腹が時々痛くなる。
12日には、長く床の中に居る のにはと、髪を きれいに洗い、当分 よい様に 洗濯物を どっさり 洗って置いた。その他つぎ物も一生懸命やる。
お腹が痛むので、一人きりで不安な気持で居るが、まだ騒ぎ出しても と思い
つぎ物を 一心にやる。 外は晴天。それでもと思い、色々と かねて用意の 出産の品々を 取り出す。 腹痛もだんだん早くなる。お産婆さんに知らせるにも一人きりだし、まだ早いだろうし と 考えて居るうち、美佐子が 元気よく 「只今」 と 帰宅。午後 四時。

「お母ちゃん、ぽんぽが 痛くて 困るよ」 と 言うと
「美佐子が お産婆さんに 行って来てやる」 と申します。
どうしようかと思って居るうち、変わった おりものが するので びっくり。
「さあ早くしないと お産婆さんが来ないうちに 生まれりゃあ困るで、美佐子が行って来るよ」 と、もう行く仕度をする。モスの防空頭巾をきりっと被って靴を履く。あわてて 手紙を 産婆さんの所 と 学校の父ちゃんの許へと 書く。
『式が済み次第お帰りになって下さい』 と。
美佐子がコロコロ一生懸命で走って行った。ますます腹痛。美佐子のお使いでは どうだかなと 考えて 心細くなって居ると、下の大家の若いおばちゃんが飛んで来て、「いま美佐子ちゃんが産婆へ飛んで行く途中、ヤマが行逢ったが生まれそうなら 来てやるよ」 と云って来て下さる。まだ大丈夫だから 帰ってもらった。しばらくすると 仁が息せき切ってハアハア云って飛び帰って来る。

「お母ちゃん!!」 と、もう 赤ちゃんが 生まれちゃったのかと 大急ぎで飛び帰った由。それから大騒ぎで、辺りの物を二階へ運び上げたりお掃除したり手伝ってもらふ。 美佐子が帰って来た。お産婆さん留守で、手紙は縁側へ石を乗せて置いてすぐ 学校の お父ちゃんの所へ 飛んで行って、
「お母ちゃんが、ぽんぽが とても痛いで、すぐ帰ってね。お産婆さんは 居なかったよ」 と。お父ちゃん、送迎会の式の始まる直前だったが、直ぐ産婆さんの家へ行って、行き先を 訪ね訪ねて、お宮の上の方の、御婚礼の家を訪ねて、呼んで来て下さって 一安心。

産婆さんに見て戴くと さあ大変、このまま 何時までも お腹に入れて置くと、中で 赤ちゃんが 駄目になる と云う 危険信号が出ているから、早く生まれる
様に、ぐんぐん 仕事を して、痛くても 我慢して 居るようにと、子袋を 切って
下さってから、 雑巾を 何度も 掛けたり、二階へ上がったり 下ったり、痛くて
痛くて 堪らぬのに、歯を 食いしばって 働いている。
もう 床まで歩くのに やっとの様で、床の中へ 這い込む。

どうか 無事に生まれて呉れる様にと、苦しい中で 一心に 祈る。長い間この手術後の体の中で育て、お父様には殊に御心配かけ、御苦労かけたのに
ここで駄目では申し訳なし と 気をしっかり持って、早く生まれるのを 願ふ。

お腹にあるうち中、お腹が痛む。胸が苦しい。体が痛む。もう ようよう 苦しいのを 十ヶ月生月まで もたせたのに、どうか よい子が生まれますよう、腹痛に体の力も くたくたに 成る程の 疲れの中で 一心に祈る。
お産婆さんの力づける声、お勝手の方でお父ちゃんと降幡由子先生の何かする声が聞こえる。ちょうど 生まれる少し前、学校から 由子先生が 大急ぎで
お手伝いに来て下さったのだ。仁と美佐子は 二階へ上がって、早く眠る様にするので、二人は多分、ねむって居るので(せう)しょう。

顔へ 油汗が にじみ出す。大陣痛と共に 大きな 大きな 産声が 聞こえた。
ああ よかった と思い、五体満足かしら と 直ぐ お産婆さんに 尋く。
「いい赤ちゃんだよ。とても大きい。だけど 美佐子ちゃんが お連れで なくて困ったね」 と 笑いながらおっしゃる。
ああ男の子だ。嬉しい。どんなにか、男の子を 望んで居た のか知れない
お父ちゃんだ。 仁も 男の子を生んでくれ と 云い 通した。
男で一入 幸な 子よ。こんなにも欲しがった 家の子として生まれる子は 幸だ。
美佐子は女の子を欲しがったので産婆さんがそう云ったのだ。お父ちゃんはお勝手の方で、お産婆さんが何か 美佐子ちゃん とか 云うのが 聞こえたので 女の子が生まれた と 思って居らっしゃって、男の子だと分かったら、とても嬉しそうに、「よかったな、大手柄だ。よかった よかった!」 と 大喜び でした。

お母ちゃんの枕許でお湯を使わせてもらう。真っ赤い背中、長い髪、しっかり握った 小さい お手々、くるり くるりと 上手に 入浴させて もらって いる。
やわらかいガーゼの襦袢に、赤いフランネルの襦袢と、桃色の胴着。上着は 黄色い手通し。目方は 九百 二十 匁 (もんめ:3450g) の 大きい赤ちゃん。

一晩中、一睡もせづ、お父ちゃん 看護して下さる。お乳も まだ のませず、
列んで 一人づつ、布団 の中。お産婆さん、一通り やって 下さって お帰り。
どうか 天気のよい日に 生まれるように と 祈った 効 があり、十四日は 一日中 よい天気で 風も無く 静かな夜であった。
泣き声がすると 急に 賑やかくなる。一人ふえると、力強く また にぎやかい。

一生 幸せに、健康で 安らかに 長生きするよう、いろいろに 恵まれるよう、
しみじみ祈る。 誕生記念日は覚えよい日だ。
二十四年四月十四日。気候も とても よい時だ。学校へ上がるのにも早生れなら 可哀想にと 思うのに、四月で よかった と思う。
仁 十一歳。美佐子 九歳。 後で考えると、美佐子が 早く飛び歩いてくれたので 産婆さんも間に合い、赤ちゃんも 無事で 生まれて来れて よかったなあ と 思ふ。長い間、お父様、仁、美佐子に 心配かけ 御苦労かけて、一人 無事に 生まれて 来れたことを 心から 感謝して います。
昭和24年=1949年 4月14日 午後 8時45分 次男誕生
                               父 横内 市夫  41歳
                               母 横内 寿々子 39歳 


【4月15日】 (生後2日目) 晴
大や おばあちゃん、湯を沸かしに 来て下さる。お昼近く、お産婆さん来て、入浴させて下さる。お父ちゃん、学校を半日休んで、午後より出勤。
まだ乳は 張って来ない。二十四時間 のませないでよろしい との事に、何も
のませず。大家と 輝男さんの おばちゃんが お祝いに 来て 下さる。
夕刻、岡谷から 井口直二さんの嫁さんの 良子さん、手伝ひに 来てくれた。
朝、仁は男の子と聞いて躍り上がって喜ぶ。美佐子は女の子で なかったので 御機嫌が悪く、兄ちゃんを ひっかいて、ぶすぶす 言っていた由。
二人で 朝そっと のぞきに 来る。仁の 嬉しそうな顔。 美佐子に、
「男の赤ちゃんだけれど、お顔は美佐子にそっくりだで、とても可愛いいよ」と申しますと、それで やっと 胸が落ちたそうで、にっこり 笑って 嬉しそう。
お顔を 洗って来て、母ちゃんの 枕許へ 来て 両手をついて、
「お早うございます。 お母ちゃん、お目出度う ございます。よい 赤ちゃんが
生まれて よかったね」 と。 だれに 教わる でも なかったのに、たった 九歳の
美佐子が、こんな おべんこう(マセた:利発)な事を申して、びっくりしたり、嬉しかったり。 夜は 赤ちゃん 泣くとも 泣くとも、一晩中、大きい声でなく。


【4月16日】 (生後3日目)
三つ目なので おはぎをたいてお祝ひする。まだ乳がよく出ないのでお腹が空いて泣く。お中食は乙事(隣り村)の、お父ちゃんの 教へ子二人、いろいろ持って来て下さって、三つ目のお祝ひの おはぎを進ぜる。
どなたか 御見舞いに 入り替わり 来て下さる。毎日当分の間、お産婆さんに来て戴き、入浴させていただく。この山の村の人達は(通常)三度来てもらふのみ。ろくに入浴もさせぬ由。
夜も泣くので、お母ちゃんは夜ひる眠れづ。
学校の黒板に大きく・・・(以下記述なし)


【4月22日】 (生後9日目)
三沢(母の実家:岡谷市川岸)へ 名前のことも どうしたものかの手紙を前にやって置いたら、お祖父ちゃんが どうでも自分がつけると申して名前を二つ書いてよこした。
保美 と もう一つは茂也しげなり。漢字制限で也はないと思ふ。一目見たとき 保美の字がとてもよいと思ふ。結局、保美がよいことになり 保美と命名。
何度か、やすみ 保美 やすみ 保美 と呼んでみる。
大きく書いて張って戴く。いい字だ。役場へもお父ちゃん本郷役場へ届けて下さる。四月二十二日付。
お乳がだんだん張ってきて、のみきれないので美佐子に吸ってもらふが、赤ちゃんの様な上手な訳にはゆかぬ。
村の近所の家で誰かこうかお祝ひに来て下さるので一日中大にぎやか。ゆっくり体を休めるよう昼間も眠り度いが眠れづ。
おへそがとれる時入浴させないのが一日。後お宮参りまでに入浴させなんだ日が三日あったきり、毎晩お父ちゃんが学校からお帰りになってからお疲れなのにもかまわず湯をわかしていただき入浴させる。産婆さんに二週間毎日来てもらひ、その後、お母ちゃんが、ぶきっちょな手をして入れる。いい気持ちで目をふさぎ大きいたらいの中で ゆっくりと入っている。とてもお湯が好きらしい。いつも よい気持ちで入る。


【4月23日】 (生後10日目)
髪があまり長く 女の赤ちゃんの様に見える。やぶせったい(うっとうしい:野暮ったい)ので、お産婆さんに三分刈りのバリカンで、乳をのみながら 刈って戴いたら、急に男らしく、りりしい顔つきとなる。 しっかり握りしめた手を、ようよう広げて爪を切る。ぐっとのびている。器用な爪つきで いい あんばいだ。


【5月14日】 (生後1ヶ月目) 曇 十時半頃より雨
本郷の方のしきたりは、お宮参りは男は一を取ると申して三十一日目にする。三沢では三十二日目にする筈なり。
十二日頃より母一生懸命お客の御馳走の用意。十三日も早朝より用意。井口良子さん十二日来てくれる約束なのに なかなか来てくれず殆んど一人で色々やってしまった。体もまだしっかりせず疲れが激しいが、保美のお祝い故嬉しくてやる。 十三日ひるすぎ良子さん来る。それから御馳走いろいろ出来たのをみて良子さん驚いていた。
十四日は本郷校の遠足故 お父ちゃんも 仁、美佐子も、おいしいまき寿しを
どっさり持って行く。お赤飯を ふかす(蒸す)。よく 柔らかく ふかそう と 思ふので 昼近く迄かかる。天気が曇って案じられたが、生まれた日が上天気故、きっと晴れると思っているうち、とうとう 降り出す。
お昼前、大家のおばあちゃんが おんぶして行ってやろうか と おっしゃったが、晴れてからの方が よいだろうと考えて、お昼過ぎにしてもらふ。
さくら色の美しいお赤飯、おいしく ふかった(蒸し上がった)。神様にお供え申すよう、お祝いの お赤飯を 先に一重 (重箱1つ)とって置いて、それから大やのおぢいちゃん、おばあちゃん方に来ていただく。みんな色々お祝ひを持って来て、お目出度う言って祝って下さる。お昼も大にぎやか。雨が降っているので みんなゆっくりお馳走を召し上がって下さる。そのうち保美は一緒の炬燵で ぐっすり よい子で眠る。不思議の位よい子で眠った。
やむかやむかと待ったけれど、いよいよ降って来る。三時頃、待ち切れないので大やのおばあちゃんに行っていただくことにする。お父ちゃんが丁度お帰りになれてよかった。みなお詣りに行くのを見ていて下さる。しづ代おばあちゃんと 良子さんに 行ってもらふ。お赤飯と おひねり と 持って。
新しい着物、空青色の ちゃんちゃんこに 真っ白い 新しい毛織物の帽子、羽二重の新しい白い涎掛、紫矢かすりの おぶい半天の仕度。おんぶしている保美は 雨が降ろうが風が吹こうが、ぬくぬく安らかに眠っている。
川や橋の神様にみんなお参りをしてから渡って行った由。災難を除けて守っていただく様にとお祈りをする由。
母、家にて保美の幸福をお祈りする。長生きして一生やすらかに幸に暮らせるよう心よりお祈りする。 お詣りの途中、美佐子が遠足から帰る途中を出逢って、一緒についてお詣りに行ってくれてよかった。無事に御詣り出来てよかった。又お茶をのんで、みんなお帰り。それより夕方の御客様をお招きする。雨降りなので又みんな大喜びで来て下さる。夜十二時近く迄賑やかい。
保美は よい子で ぐっすり おねんねだ。
来客芳名。昼:矢沢弥作、矢沢しづよ、矢沢たみ、矢沢ひさし、矢沢惣治、矢沢友雄、矢沢和臣母、植松ちとせ、 夜:井口良子、降幡由子、小池福吉妻、小池武尚母、小池輝男母、小池たけみ、三浦登先生、
御馳走:さくら色赤飯、のり巻き寿し、くるみ入りようかん、人参、キャベツ煮、昆布煮、白豆煮、わかめばうてん三杯酢、林檎、最中菓子、寿るめ、田作り、茸、玉子のり吸物。


【5月15日】  晴
よい天気となる。美佐子がお祝ひ戴いた方々の家へ、赤飯のかわりにアルマイトの大型ボウル一個づづお配りして歩く。井口の良子さんに おはぎをつくって滝沢さんと井口さんへ持って帰ってもらふ。


【5月22日】 四十三日目    一メ 百九十四匁 (4477g)
                 ※ 1メ→1貫(1かん)or(1かんめ)=3.75kg  
                 ※ 1匁→(1もんめ)=3.75g

 
【5月27日】
もう毎日入浴させ、今日は明日はと お通じのあるのを待ったけれども、今日で五日目お通じ無し。大やの庭へ保美を陽にあてる様だっこして行き、その話をすると丁度かんちょうの薬があると二個戴いたので早速かんちょうしてやると、薬を入れるか入れないうち位にすぐ沢山の黄色便が出る。びっくりする程沢山出て、ああやっとよかったと安心する。
夕方ひょっこり産婆さんが「どうしたへ?」と来て下さる。お父ちゃんが案じて今朝 学校へ行きがけ、来て下さる様 お願いして行って下さったのだそうだ。
お顔へ 小さい粒が ぼつぼつ 一ぱい赤く出来ている。それはお腹の通じがないので毒素が顔へ出た由。お通じが一日ない時は時々かんちょうするようにとのこと。又 夜中に乳を呑ませぬ方が お腹の為によいから やめるようにしたら、とお産婆さんの言。三日大泣きに泣けば、なほるだろうとの事。
夜、お父様と相談して、泣いてへそが飛び出さぬ様に、へそと丸いガーゼと絆そうこうをしっかり張り付ける。思い切って今夜から、夜中に乳をくれないことに決める。
さあそれから泣くとも泣くとも。一晩中よくああも声が続くと思ふ程、大きい声で泣き続ける。父も母も とうとう保美と同じに眠れなかった。早く朝のくるのを待ちかねる。


【5月28日】
昼間乳をのみ ぐっすり眠る。夜は十二時すぎから朝方まで泣く。


【5月29日】
夜二時半眼ざめ 三十分間泣いて、後は朝五時迄ねむる。


【5月30日】
おむつ取り替えてやると、八分位でねむってしまふ。






         
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