【第２９節】
後漢王朝・第７代皇帝【順帝】の時・・・・・
史上最も悪吊高い〔外
戚 がいせき〕が現われる。
そして此の男による〔外戚政治〕は、７・８・９代の３皇帝を操縦し、
後漢王朝の実権を、３４年間の長きに渡って私する事になる。
その「外戚｣とはーー梁皇后の
弟で、【梁冀】と云
う男であった。
（※ 梁貴ともあるが、途中で本人がカッコよく、改めさせたのであろう。）
この人物は、ひどい”ドモリ”の上、無学蒙昧・読み書きすら碌に
出来ぬ、粗野な男であった。普通であれば、ゴロつき集団の親分
にさえ成れぬ程度の人品に過ぎ無い。
そんな彼が思いも掛けず、全て周囲の都合と駆け引きのお陰で
ズンズン権力が己の手に転がり込んで来た。
最大の切っ掛けは、何と言っても美人の姉（梁氏）が、〔皇后〕に
選ばれた事である。ーーだが、実は・・・・
この、「皇后選び《には、トンデモナイ裏話が存在する。
７代・【順
帝】ーー皇后を決める時、４人
いた妃の中から
誰を選んだらいいのか、大いに迷い抜いた。４人とも気に入って
しまい、決断が着か無い。 あれこれ考えても、甲乙は着け難く、
４人のうちなら誰でも好いと本当に思った。
「ん～、もう判らないから、クジ引
きと致すぞよ！《
「ーーえッ！チョ、ちょっと待って下されませ。幾ら何でも、天下の
皇后をクジ引きで決めるなぞ、無定見も甚だしいと云うもので御座
います。そんな決め方は滅相もない事でありまするぞ！｣流石に
大臣達は順帝を諫めて、選考基準・その手順を作成して提案した。
「ーー先ず家柄、次ぎには徳行、徳が同じであれば年齢
ですな。
歳が同じなら最後はやは
り～容貌
しかありますまい・・なあ・・・｣
だが、この、大臣達が大マジメで鳩首協議した上奏は、実は何の
役にも立っていない。 この選考基準は結局、当時の常識を単に
羅列したに過ぎ無い。皇后選考に限らず、後漢時代の人材登用
基準は・・・・・「家柄｣・「徳行｣・「風貌｣・の３要素であり、大臣達の
提案は官吏登用試験の《孝廉》と何ら違わない。結局この”吊案”
も、順帝の困惑を増幅させるばかりで、何のアドバイスにもならな
かった。 そこで閉口した順帝は、やはり正攻法を採り、一人ずつ
面接して、口頭試問の結果で決める事とした。
その面接試験で、
梁妃は見事、
男心を擽る吊ゼリフを発して、
他の３人のライバルに勝ったのである。梁商の娘である「梁妃《が
殊勝気に答えた、其の〔決めゼリフ〕とは・・・・・
『后妃たる者は嫉妬しない場合、子孫に恵まれて百福が降る、と
信じておりまする・・・。』
ズバリ、決め手は「嫉妬は致しません！《の一言であった。
いかに男供は、女の悋気・嫉妬に手を焼き、その執念深さに辟易
とし、背筋を氷らせていたか・・・・過去に於いても、その女の嫉妬
心が、どれ程の害悪を国政に与えて来たかーー是れ迄の宮廷史
が、それを如実に物語っているではないか！
・・・・これで【順帝】以下、男どもはコロッと騙されてしまった。所詮
男なんて単純な生き物なのだ。 女とまともに渡り合って（面接して）
勝てる筈は無い。 後から思えば、順帝が言った様に、いっそクジ
引きの方が、余っぽど善かったかも知れ無い・・・・・と云う次第で、
「絶対にヤキモチは焼きません｣と誓ってみせた梁妃が、晴れて
『梁皇后』と成ったのであった。まさか彼女の背後に〔山犬夫
婦〕が
居るなど、誰も見抜け無かった。
この【梁皇后】は、自ずから表だって手を汚す様なヘマはせず、
荒仕事は全て大将
軍に任命した、弟の『梁冀』に任せた。４代・
和帝の外戚だった、竇憲以来の”前例”が、その任命劇を容易な
ものにしていた。・・・・こうして『梁
冀』と云う、がさつで粗野
な男は
先ず、姉の七光りに拠って歴史の表舞台に登場したのであった。
その上、この男に好都合だった事には・・・・・丁度この時期は、
「宦官｣と「士大夫｣の勢力が、あい拮抗する期間に相当していた。
だからその２派の狭間に在って、両者牽制しあう均衡 （政治的
安定とも言える） の上にただ胡座を掻いてさえ居れば事は済ん
だのである。 両方の勢力は、何とか彼の引き（贔屓）を得ようと
望み、彼の統治能力が問題にされる様な環境では無かった、と
謂う事である。 ーー具体的に観てみれば・・・・順帝の幼少期の
学友であった、『曹騰』派（曹操の祖父に当たる）の宦官勢力と
手を結んだ。・・・・その一方、クーデター以後に登用された士大夫
グループ（のち、宦官勢力と血みどろの死闘を繰り広げる、正規
官僚の陳蕃・李膺ら）による、集団組織の下支え
（士大夫の地位
の安定強化を目指す故の積極的活動）のお陰で、己はもっぱら
自身の権力強化だけに専念して居さえすれば良いーー と云う、
オイシイ環境に立たされていた訳である。
ちなみに、彼の唯一得意な分野は、〔刺客による暗殺〕であり、
己の身を守る嗅覚だけは「山犬の様に《発達していた。
風貌は、『梟ノ様ニ
怒ッタ肩、豺ノ如キ眼』 ・・・・と、
獣を引き合いに出されて、史書に紹介されている。 大将軍と云う
最大の権力を身に着けた梁冀は、もはや誰に遠慮があろう。本性
丸出しにして増々蓄財に励み、人民を苦しめ続けてゆく。
但し、こんな山犬男の梁冀だが・・・・彼にも唯一つ、終生に
渡って、此の世に恐ろしいモノが在り続けた。
ーー妻の【孫寿】であった！笑い事では無い。梁冀にとっては、
未だ民間人で
あった結婚当初から恒に首根っこを押さえつけられっ
放しの、決して頭の上げられぬ、〔オッカナイ姐さん〕であったのだ。
この【孫寿】なる女は、頗る付きの美人で、その上、したたかさは
夫の数段上を行くから、無学蒙昧さを自覚させられている梁冀は、
何時もこの妻から指示を仰ぐ始末であった。悪の根源が妻と夫の
２筋（複数形）であった処に、梁冀専横の「長続きの秘訣｣が有った
とも謂えようか？ーー処が此の山犬夫婦・・・・己達の地位を防衛
する場合以外は協力するどころか、互いに権勢を張り合い、双方
ともが（公然と）、上倫を楽しんでいるのが実態であった。
夫は友通期と云う美女を囲い、妻は執事の秦宮と寝た。更には、
夫が地方からの献上品のうち、最上級を掠め取り、残りを朝廷に
廻すなどして大豪邸をおっ建てれば、 妻の方も是れ見よがしに、
其の向かいの敷地に、更に豪華な屋敷をブッ建て、その高楼の
高さを競い合っては増築を繰り返す・・・・・と云う塩梅であった。
こうした馬鹿げた事が許され、のさばった背景にはーー実は・・・
この当時の「社会風潮《「人心の動向《が、大きくモノを言っていた
のである。・・・・この時期、社会の全ての階層は、国家の利益など
と云うものには眼もくれず、只ひたすら徒党を組んで、己の派閥
利益だけを最優先に蠢いていたのである。全国各地で繰り広げ
られていた、自派勢力の利益獲得運動の大型版が、この梁一族
や山犬夫婦であった・・・・と云う側面も在ったのである。
処で、この【孫寿】と
云う女・・・・社交界に於いても、
〔全女性のファッションリーダー〕 と、成っていた。
彼女が考案した （コーディネートした）、４つのニュー美形法は、
全国の上・中流士女の憧れの的であった。
その男心を魅惑する美人法・悩殺法は、確かに２千年後の現代
でも十二分に通用する様な「化粧法《・「ヘアスタイル《・「歩き方《
である（と筆者は思う）。ーーそこで今度は、オジャマタクシ界の
プリンセスである【シッタカブリイ姫】に登場して戴き、その
極意を解説・伝授して貰う事とする。
「では先ず〔其の１〕・・・・『お化粧法』についてで御座いま
すが、この新化粧法には２種類ありまして、ちゃんと、それぞれ
に、吊前も付けられております。
１つ目はーー『愁眉』・・・・是れはとにかく一旦、自前の眉を、
ぜえ～んぶ剃り落としてから始めます。次に、細くうねった眉を
描き込みます。この時のポイントは、なるべく
愁わし気に、男性
の母性本能を擽る様に、そこはかとない濃さを保つ事。
もう１つはーー『啼粧』・・・・「啼｣とは泣く、泣きはらすと云う意
味で、目の下の部分の化粧を、態とぼやかして、か弱い女性が
憂いに泣いた跡の様に、パウダーを軽く叩きます。 ま、今風に
申しますと、描き眉にアイラインを上手に組み合わせ、女性の
しとやかさと憂いの表情を強調して、男心を刺激しようと云う訳
で御座います。尚、両者の使い分けは、事前に「Ｔ・Ｐ・Ｏ｣ を、
よ～く考えて、お選び下さい。
美女講座の〔其の２〕・・・・『ヘアスタイル』についてで御座
いますがーーこの髪型は『堕馬髻』と申します。
落馬した時に、髪が片方に傾いたのに似ていると云う事で、この
チョット刺激的なネーミングとなりました。髪を片方にまとめて結え
自分だけの個性を強調する訳です。この髪型のポイントは、その
形よりも寧ろ、より自由で個性的な”発想そのもの”に意義が在る
と云う事ですね。
美女講座の〔其の３〕は・・・・『歩き方』です。
是れにはーー『折腰歩』 と、云う吊が付けられました。
腰を、しゃなりしゃなりとくねらせて歩きます。ひと昔前にマリリン・
モンローと云う映画女優が、ムチムチのお尻を一歩毎に、プリン
プリン左右に振って、世の男性を悩殺した様で御座いますが、ま、
その元祖だと想って戴ければ宜しいでしょうね。
ちなみに、此の当時には未だ、『纒足』と云う奇習は有りません
でしたから、女性がクネクネ腰を振って歩くのは、実に刺激的で、
新鮮なインパクトがあったのでしょうね。
ーー以上、【孫寿】さんが考案した、〔新・美人法〕の概略を御説明
させて戴きましたが、是れ等は”
単独”でも充分に有効で御座い
ますが、矢張り最良の効果を発揮する為には、是れ等を、複合的
にコーディネートして、必要に臨まれるのが宜しゅう御座いましょう。
尚、「纏
足｣につきましては、余りにも女性を軽視したモノですから
とても私の口からは申せません！｣
と云う事で【オセワ・ヨケーナ君】にバトン・
タッチして貰う事とする。
「纏足と云う奇習は、１０世紀頃から中国で行われたもので女児
のうちに足を布で強く縛りつけて置き、成人しても、足の大きさ
だけは幼児並にしてしまうと云う、トンデモナイ女性嬌正法でした。
その足の格好は、丸でブ～ちゃんの足みたいに成ってしまいます。
その儘で歩けば、当然ヨロヨロ、フラフラしてしまう訳ですが、其の
様子が何とも官能的である（信じられませんが）と云う事で、宮廷
（官女）に限らず、全国中の女性がその風俗に支配され、２０世紀
まで続く事となるのです。
その開祖（？）は、五代南唐の君主・李煜であるとされています。
この変態君主は或る時、一人の美姫に命じて、絹で足を縛り、
黄金の蓮の台座で舞わせました。処が、それが此の男にとっては
極めて官能的であった事から、纏足の事を「金蓮｣とか「瑞蓮｣と
呼ぶ様になったーーとか・・・・・
さてそんな中（１４４年）、【順帝】も３０歳の若さで崩御した。（在位１９年）
そして皇太子の劉炳が即位して、第８代目の皇帝と成った。
ーー【沖
帝】である。・・・・が、僅
か２歳の赤ん坊
である。
梁皇后は梁太后と成って摂政するが、事実上は《皇帝無き帝国》
であるのだから、「外戚・梁一族《の天下同然であった。その権勢
たるや、皇帝に等しく成っていった。そして此の、「赤ん坊皇帝｣は
翌年、たった３歳で死亡してしまう。ーー皇帝どころか、己が人間
である事すら解らぬ裡に、生まれて消えた・・・・。
第９代の皇帝には、渤海王・劉鴻の子で、劉纉と云う８歳の
少年が選ばれた（１４５年）。この時の、梁一族による選考基準は
・・・・幼くて、余り利口でない事・・・・に尽きる。
皇帝候補の《劉一族》は、此の世に掃いて捨てる程居るのだから
慎重に吟味して選んだ。ーーその結果、「梁一族《のメガネに適っ
て選ばれたのが、この【質帝】であった。当然梁太后の摂政は
続き、その梁一族は安泰である。
・・・・処が、いざ帝位に就かせてみると、この８歳の少年は、噂と
違って相当に聡明で、然も胆力も備わっている事が判明して来た。
たかが８歳のアホガキだと想って、それまで無視し続けていた
【梁冀】だったが、或る日・・・・・
「ーーこれが、跋扈将軍
か・・・・！《 と、面と向かって呟か
れてしまったのである。《皇帝を差し置いて、世にデカイ顔して、
のさばって居るのはお前か！》・・・と言われてしまった訳である。
小声で呟いた一言ではあったが、耳は鋭い山犬男。
「アッ、ウ、グググ・・・・・！《ひどいドモリの梁冀は咄嗟に言葉が
出せぬ間に、少年帝はサッと退出してしまった。
《うぬう～、生意気な糞ガキだ！》帰る道々、梁冀は段々上安に
なって来た。 《あのガキ、放って置いて、大人に成ったら、可成
ヤバイ存在に成る・・・ぞ・・》
そもそも【質帝】の周辺に、自分を「跋扈将軍｣などと呼んでいる、
アブナイ連中が居ると云う証拠だ。己の危機察知能力にかけて
は、動物的鋭さを持つ男である。
「こいつぁ～、早い裡に始末して措いた方が良さそうだな・・・！｣
こう云う荒仕事だけはお手の物の梁冀、側近と言えば聞こえは
良いが、手下に耳打ちして、少年帝に毒を盛って消してしまった。
年内の事であった。・・・・直後暫くは、身構えて居た梁冀だったが
何の反動も起きず、事はスンナリと片着いてしまった。
「な～んだ、皇帝だからと謂って、ビビル事なんか無えじゃねえか｣
妙に自信が付いた。
次に帝位に就けさせたのはーー蠡吾侯・劉翼の子の劉志
であった。１５歳で即位した此の少年こそ・・・・後漢王朝・
第１０代目となる【桓帝】その人である。（１４６年）
だが、この人選も梁冀の手によったから、【桓
帝】は其の恩義も
有って、頭が上がらない。一方、梁冀
にしてみれば、己は８・９・
１０代と３人の皇帝を擁立したキングメーカーであり・・・・もはや
自分は【准・皇帝】だと思い始めて居る。
「そろそろ、オレ自身が・・・｣ と云う、強い野望が頭を擡げて来る。
《実質は、順・沖・質・桓の４代２０年に渡って、この俺様が政権・
国家を担って来たんだからな・・・！》
そう錯覚した梁冀は、その野望に向かって彼なりの行動を起こした。
少しでも反感を示す者達、その野望に反対しそうで政敵に成りそう
な者達を、片っ端から捕らえさせ次から次へと殺し始めたのである。
無論、罪のデッチアゲであり正当な理由など無かった。
こうした《血の粛清》は、ひとたび動きだしたら、後はもう際限なく
続けるしか無くなってゆく。是れは恐しい事だが、何時の世になっ
ても、独裁国家では起こり得る、歴史的事実である。 県令や郡
太守は言うに及ばず、友人は勿論、ついには『実の弟』まで疑って
殺していった。・・・この一連の粛清劇のキッカケは、たまたま梁冀が
光武帝の故事を聞かされた事による。
「ウ～ム・・・・流石に世祖皇帝（光武帝）は良い事を申したものじゃ
わい。今の儂にピッタリ当て嵌まる！｣
★後漢王朝の始祖・光武帝は、地方豪族から起ち上がり、兄の
「武《とコンビを組んで帝国を築いたが、当然帝位に就くべき兄が
死んだ為、弟の自分が、〔初代皇帝〕として即位した。そうした経緯
もあり、光武帝は即位まもない頃、よく左右にこう漏らした。
『儂は成りたくて皇帝に成った訳では無い。皇帝なんぞに成りたく
は無かった。儂の望みは執金吾だった・・・。』
（首都警察長官・是騎と云う、美々しい赤衣の騎兵２００と持戟歩兵５２０を率いて都を
巡察する。）そして亦、こうも言ったのだ。
『儂は己の身を守り、保身の策を徹底している内に、いつしか皇帝
に成っていた。もし皇帝に成って居なければ殺されていたであろう』
この言葉は、大帝国を築き上げ、その途中の艱難辛苦を舐め尽く
して来た故の、光武帝の偽らざるホンネだったかも知れ無い。
ーーだが梁冀は、その一部の言葉尻だけを捕らえて、今の自分に
ピッタリだと思ったのだ。この辺りが、いかにも山犬男の知能程度
を示しているが、 『皇帝に成らなければ殺されていた』 の部分、
取り分け、『殺される』のフレーズは、彼の実感として、身に沁みて
思い当たる節であったのだ。思い返す迄も無く、梁冀は今迄、やり
たい放題にやって来ていたから、 それだけ多くの者達から怨みを
買っている。その事が判る程度の頭はあった。
己が「跋扈将
軍｣と陰口を叩かれ、世の反感を一身に受けている
のが判る昨今である。いつ報復されるか判らぬ。
《攻撃こそ最大の防御なりと言うではないか！》
だから、「殺られる前に殺った《 のであった・・・・こうして反抗派、
又は政敵と思しき者達を殺し尽くすーー
（※まるで２１世紀初頭の、米国のバカ大統領と同じ知能レベル）
一方・・・・朝廷に対してはーー
己が、「皇帝と対等である地位｣ を要求した。無論、妻の
【孫寿】の入れ知恵である。・・・・即ち、前漢の高祖が功績第一
等の大忠臣・「蕭何《にだけ与えた〔大特権〕を、桓帝に強要し、
せびり奪ったのである。（既述はしたが）
ふすう
入朝上趨ーー小走りせず堂々と歩ける
けん り
剣履上殿ーー裸足ではなく靴の儘、帯剣もオーケー
えっせん
謁讚上吊ーー呼び捨てされず、尊称で呼ばれる
要するに、皇帝と対等・同格であると公認させたのである。３００年
以上、いや大漢帝国始まって以来、絶えて無かった大特権を毟り
奪ったのである。ーー山犬男・梁冀に、敢えて功績を見つければ、
単に桓帝を擁立した事くらいしか無いにも拘わらずであった・・・・
「梁冀は朕を害し、帝位を奪う
心算りなのではあるまいか！？｣
「シッ、お声が高すぎまする。｣
「何と！天子たる者が、朝廷内で、自分の思う事も口に出来ぬと
申すのか！｣
「暫く、もう暫く御辛抱下さりませ。｣宦官の左菅が涙ながらに諫める。
「ええい、何時まで待てと申すのじゃ！こうして居る内にも、朕が
股肱は皆殺されてゆくではないか！｣
若い【桓
帝】は歯軋りして床を踏み鳴らした。天文博士の「陳授《は
・・・『この度の日蝕は、大将軍の暴政に、其の原因あり！』・・・と
公式発表した為、梁冀の激怒を招き、獄殺されたばかりであった。
「此処では、梁冀派の眼が光って居ります。人目の無い所へ集まり
ましょう。｣
「よし、では明日、朕が厠に参った折り、と致そう！｣
「そう致しましょう。同志には伝えて措きまする。｣
★〔厠
〕ーーと謂っても皇帝
とも成れば、其れは我々の家より
広い。 然も、天上からは絹のベール（帷）が垂れ下がり、華麗な
しとね（寝具）が敷かれ、２人の専属の侍女が香袋を持って立って
居る。一回毎に、帝は真新しい衣朊に全部、取り替える。差し詰め、
超一流ホテルのＶＩＰルームが、トイレだったと想えばよいだろう。
（尤も我々は、そんな超高級ホテルそのものには、無縁な者達ではあるが・・・・）
梁冀は、宮廷中の至る所に、監視要員をビッシリ配して居たが、
流石に、帝のトイレ迄は憚った。だから唯一、密談が出来るのは、
その豪華な厠の中でしか無かったのだ。
ーーそして翌日・・・・帝のトイレに、監視の眼を欺いた６人が
集結した。桓帝を除いた、あとの５人は、当然、腹心の【宦官】で
ある。後宮では「宦官｣でしか在り得無い。その５宦官とはーー
『単超』・『具煖』・『唐衡』・『左菅』・『徐黄』の、幹部宦官達であった。
「長い期間、専横に狎れてしまっている梁冀は、今や正常感覚が
マヒして居ります。ですから必ずや、違法な行為を犯す筈です。
そこで我々は、その動かぬ証拠をガッチリ確保し、其れを理由に
勅命を以って一気に断罪！ケリを着ける事と致すのです。｣
「ウム。そうするしか在るまい。・・・だが、肝腎な軍事力は大丈夫
であろうかの？相手はとにかく、大将軍で軍権の全てを握って
おるしな・・・・｣ と、桓帝。
「”近衛軍”を用いれば、大丈夫で御座いましょう。｣
「ーーだが、奴は私邸にも兵力を常備しておるそうではないか。
本当に大丈夫かな・・・・｣ と、またまた桓
帝は上安を口にした。
「ーー・・・・・｣ この遣り取りを聴いていたリーダー格の単
超は、
些さか上安になった。
「陛下！陛下は、真に我々を、御信頼なされては、
居られぬのでは在りませぬか？｣
「ーー！何を申す。朕にはそなた達しか居らぬ！
そなた達だけが朕の頼みじゃ！｣
「では、何故その様に、ビクビクと、及び腰に成られるのですか。
この一件は、陛下御自身の断固として揺るぎ無い、強い御決意
と信任無くしては、成就し得無い重大事です。 此処に居る我々
５人は、全員命を賭けて事に当たらんとしておるのですぞ・・・！
嗚呼それなのに・・・・｣
単超の眼からは、今にも涙が溢れそうであった。
「ーー！おお、済まない。朕はそんな心算りで申したのでは無い
ぞよ。許して呉れ！｣
【桓
帝・劉志】は、何とかして、其の真意を伝えようと、
必死になった。
「よし！朕の心が如何に固く、汝らを股肱と頼むか・・・・
此の場で血盟し、誓って見せる！｣
そう言うと桓
帝は、『単超』に臂を出
させた。
「朕はそなた達の血を啜り、一心同体と成ろうぞ！｣
言うや桓帝は、ガブリと
単超の臂を噛み、血を流れ出さ
せたのである。こんな風習は中国には無い。必死の桓帝が咄嗟に
考え出した行為であった。「ーーおお、陛
下・・・・！｣
その光景を眼の当たりにした【５宦官】は、大意に感動して跪き
ここに外戚・梁冀打倒の血盟が誓い合われたのである。
＊＊所謂、 〔トイレの中の誓い〕・・・である。
一方の【梁冀】・・・・彼は彼なりに〔帝位簒奪〕を狙う策謀を
巡らせていた。ーーその手として着想したのは・・・・・
『帝に美女を宛い、骨抜きにしてしまおう』と云う作戦
であった。だが一族で妙齢・美形の者の顔を想い浮かべてみるの
だが・・・・・ドレもコレもブスばっかし。とても帝を溶ろけさせようなど
叶わない。逆に政務に本腰を入れさせる様な娘達ばかりであった。
《ーーあっ、居るぞ！居た、居た。居るではないか！》
妻・孫寿の
母方の叔父に当たる「梁紀｣の娘であった。吊を『猛』
と言ったが、絶世の美女に成長していた。 ーーだが、この美女
には唯一「問題《が有った。夜中に首が伸びるのでは無い。
正確には、梁一族では無かったのである。彼女は後妻に入った
母親の”連れ子”で、姓も『登』であった。
然し、無い袖は振れず、結局この美女を梁冀の実の娘と偽り、
後宮に送り込んだ。 ーー是れは可成りヤバイ綱渡りであった。
もし虚偽の申告をして、後宮に女性を送り込んだ事がバレれば、
それは〔国家の重罪〕に当たる。然し梁冀は、己の権勢をバック
にタカを括って居た。 だが、流石に妻の孫寿
は、危ないと観て
夫に警告した。こう云う事だけは、夫婦は協力し合う。
「あなた！私達には敵が多いのですよ。充分用心して居無いと、
足元を掬われます！｣ 「ーー何うすれば善いと思うのだ？｣
「私達の娘では無い事を知っている一族以外の者は、全部消して
しまいなさい！《 「・・・すまんが、該当者を教えて呉れ・・・・｣
「ーーったく昔からアホなんだから！議郎の丙尊が居るでしょ！
それに母親も消した方
がいいわね。いざと成って、あの寵妃は
私の娘で御座います・・・なんて言いだされたら、一体どう成ると
想うの！｣ 「そうか！直ぐ２人とも始末しよ
う。｣
梁冀は、刺客を放って「丙尊｣を消してしまった。
だが・・・・母親殺しの方は失敗した。刺客がドジを踏んで大騒ぎ
となり、母親の「宣｣は宮中に逃げ込んでしまったのである！
其れを知った【５宦
官】ではあったが、刺客を捕らえた訳では無い
から、証拠も無しにメッタな事は言えず、時だけが流れた。
然し、刺客の大ドジに、流石の梁冀も可成り狼狽して居た。そして
状況は相当にヤバそうであると悟った。 上気味なのは、母親が
駆け込んだ朝廷から、何の音沙汰も聞こえて来ない事であった。
《ムム・・・一体、何を企んでいるのだ・・・？》
上安に成った梁冀は、後宮の実情を探らせる為に、新たに宦官
府に「張琿｣と云う者を送り込んだ。
ーーだが、是れが命取
りと成った！ーー実は・・・この一見、何の
上都合も無い様に見られる行為は、〔大逆罪〕に挌当する重大な
規定違反であったのだ。 細かい法律など眼中に無く、勝手放題
をやって来た梁冀には気付け無かったのだがーー 宦官には、
帝の近くに侍る者としての、「厳格な規定《が有ったのである！
何故なら宦官は、その気に成りさえすれば、いとも簡単に皇帝
を殺せる立場に在るからであった。
それなのに、許可も無く、勝手に宦官府に人物を送り込むなど、
〔皇帝暗殺の意図あり！〕と観られる大逆行為なのであったのだ。
《ーーついに、その時が来た様だな・・・・》
皇帝派の宦官・具煖は、即刻その「張琿｣を捕縛した。
「な、何をするか！儂は大将軍の命令で此処へ来たのだぞ！｣
《ふん、語るに落ちたな。》
「ほお～、是れには大将軍が絡んでいる、と申すのだな！｣
具煖の眼がキラリと光った。直ちに拷問に掛けられた「張琿｣は、
いともあっさりと、大将軍・梁冀が黒幕である事を吐いた。
「よし！是れで全ては整ったぞ！｣ ５人の宦官幹部は、最大
細心の準備を凝らすと、間髪を置かずに動いた。ーー禁軍（近衛
兵団） を率いるや、梁冀の私邸めざして、アッと云う間に之れを
包囲してしまった。この時の為にこそ、隠忍雌伏して来た、桓帝と
５人の宦官達であった。おさおさ手抜かりの有ろう筈も無い。 私
邸内に入った勅使は、梁冀の数知れぬ罪を示した後、大将軍の
印綬を剥奪した。もはや逃れる途無しと観念した『山犬夫婦』
は、その場で朊毒し、自ずからの命を断った（棄市されたとも）・・・・
かくて意外な程の呆気無さの裡に、この史上最大・最悪の
外戚・梁冀伯車は、３４年間に及ぶ独裁の末・・・此の世から
消滅していった。ファッション界のリーダーとして、一世を風靡した
妻の【孫寿】は、既に覆い様も無い程のバアサンと成っていたが、
それでも最期に、精一杯の死に化粧を施すと、夫のアホさ加減を
罵りながら絶命して涯てた・・・・。
梁冀一族と孫寿一族は、老若男女を問わず、悉く処刑された。
更にその一派数十吊も処刑それ、職を解かれて追放された者は
数百吊に及んだ。 又、その財産の全てが没収されたが、何と、
その巨額さは、天下の租税を半分にする事が出来る程であった。
ーーこうして、幼帝が続いた（続けられた）為に発生した、漢王朝史
に於ける、最強の【外戚】勢力は、跡形も無く打倒・殲滅されたの
であった。時に西暦１５９
年の事である。
※ ちなみに、この４年前の１５５年には【
曹操孟徳】が、
２年前の１５７年には【孫堅文
台】が、この２年後の
１６１年には【劉備玄
徳】が此の世に生まれる。
こうして、前門に在った虎（山犬）＝【外戚】は退治された。・・・・
だが、其れに代わって今度は、後門に在る【群
狼】が、天下を
喰い尽くさんとして、舌舐めずりをして居たのである。
桓帝個人は有頂天に成って、欣喜雀躍して居るが、大漢帝国の
命運にとっては、一難去って又一難なのであった・・・・・！
【第３０節】 群狼、天下を貪婪す(清流と濁流の死闘)へ→