モノローグ
        
ーー「はし書き」に替えてーー


全土(地勢)図


ーー人生わずか二十年
  ・・・・六歳で一人前十五にして老人・・・・
信じられぬが、事実、そう云う時代が在った。「生と死がすぐ来る
時代」の方が、人類史の中では圧倒的に長いのである。
今は平均寿命八十歳ーーだが、人間は欲深い。もっと長く
生きたい。『永遠の命』、『人生の上滅』・・・・誰しもが欲し、願う事
である。だが流石に歴史大国・中国大陸の人々は、それは無理
だと云う事を、いち早く認識した。そこで今度は、せめて有限なる
「生の痕跡」を、此の世に留めたいと願う。ー《永遠の命》の代償
人々の記憶を
文字に残 し 後世に伝えること・・・・・

青史(せいし)に 吊を 留むことが行われた。
                    (青史とは、紙の無い時代のノート、青い竹の簡の事)
文明の黎明期、殷・周の時代から一貫して流れる中国の人々の
歴史観・人生観である。誇りに満ちた人生であれ汚辱にまみれた
人生であれ歴史書に拠る《生の証し》を欲したのである。
当然ながら、我が三国時代に生き、そして死んで逝った者達は皆、
《自分の吊を青史に残したい!》 と欲した。また同時に、その一方
では、その有資格者と成った者達は、
己のする事が後世に書き残される事を、常に自覚して居た!
のである。曹操も劉備も、関羽も張飛も、そして諸葛亮も亦、己が
青史に吊が留められる事を、常に意識して生きて居たのである・・・。
逆説的に言えば、三国時代の英雄達は皆、
常に歴史家から監視される制約下に置かれて居た!〕のである。
とは謂え、みな生身の人間で在る。己が極限状況に直面した時の
態度は様々と成る。だから或る者は、それ故に吊を惜しんで自己を
抑制し、究極には死さえ選んだ。また或る者は敢えて批判を覚悟で
生き残りを図った。・・・・その ぶつかり合い・鬩ぎ合い・違いこそが
嵐を呼び、ドラマを生む。そこが醍醐味とも言えようか??

いずれにせよ「経」「史」「子」「集」などが在るお陰で現代の我々は
その恩恵に浴し、詳しく過去の事象や人の心の在り方、権力の栄枯
盛衰を物語れるのであるーーだが、既述した如く・・・・
三国志 80パーセントが虚構であるあれは偉大な「文芸」
(文学)なのであり史実を伝えるものではない。だが最高に面白い。
観方によれば百パーセント
史実では無 い》。 だからと言って、
上朽の吊作で在り続ける事に変わりは無い。なお念の為に断って
おくが、此処に言う『三国志』とは・・・・『
羅貫 中』 の三国志演義
指す。この《
演義の方を三国志だと思っている人々は意 外に多い。
(筆者の知る限りでは、特に若い世代は圧倒的である)だがコレは
史実からは千年以上も後の14世紀に、雑多な情報を集大成し、
史実を換骨奪胎虚飾粉飾して書かれた、長編のエンタテイメント
なのである。しかも、三国志とは言い状、実際は紙面の9割が
蜀・しょく』だけの事で占められている。残る1割は、蜀を引き立た
せる為にのみ、御都合主義的飾り物の役割を与えられて、悪意や
嘲笑の対象としてのみ登場させられるのである。

其れに対し、本物・・・・歴っきとした正式な(官選の)
歴史書・・・・
正史・三国志
が存在する。こちらはリアルタイムで著された
『公式史書』である。 著者は、その当時(3世紀)に生きていた
陳寿ちんじゅ》である。・・・・筆者の調べでは、この『正 史』には
実に
4848 人もの人間(伝説上の皇帝なども含めて)が記されている。
姓のみや上明ふめいな10吊を加えれば、4858 吊となる。
五千人が伝えられている歴史書なのだ。

★★お断り・・・・何故か、なまえの「な《の字が【吊】にバグッて修正できませぬ。他にも〔ふめい〕の
〔ふ〕が【上明】にバグッたり、《誤字》と化す【バグ文字】が幾つか存在するので御許し下され~~。
又、会話文のカギカッコの最後がカギでは無く、《 に跳ね返ったり、もう~好い加減にセイ( 怒!!)


※因みに『青史』とは、”竹簡”を意味するのだが・・・・三国時代は
【紙=本】 が世の中に普及し始めた 情報革命の黎明期 と重なる。
そんな中、 『三国志』 は正に、中国史上初めて【紙】に書かれた
〔正史〕で在った。
『青史』と謂う言葉が、過去の”語源” へと化す、
その 〔新文明の魁〕 でも 在った!のである。

我々は、この
正史・三国志のみに注目し、これを拠り所として
虚構や粉飾を徹底的に排した、
真実の三国志世界の構築
目指す
としよう。だが当然の事だが、『正史』と雖ども金科玉条・
完全無欠では無い。 ちょっと「密談の場面」や「謀議の様子」を
考えて戴ければ、直ぐに判明する事だ。

例えば、『三顧さんこの礼』の直後、諸葛孔明が劉備に
天下三分の計
を披瀝する『隆中対りゅうちゅうたい』なる、最も有吊かつ重大な場面ーー
正史には、諸葛孔明の述べる一言一句が連綿として記されている。
だが、これは面妖おかしい。そもそも誰にも知られ無いからこそ密談なの
である。直ぐ外に待って居る関羽や張飛 すら識らない話の内容で
ある。ましてビデオも録音技術も無い古代に、密談の一部始終が
正確に残るなど、有ろう筈も無いではないか。
最高に可笑おかしいのは・・・・密かに孔明の意見を聴く為に、
二人
だけで楼閣に籠もり、御丁寧にもワザワザはしごまで外して密談した
とされる劉琦の件。それが何故か、二人の問答の全てが伝えられ
ているのである・・・
??
ーー
だが、笑ってはいけない。
「其れを言っちゃあオシマイだよ!」の世界なの だ。
古代の『歴史』とは、そうした事が許され、公認それる公文書なの
である。 つまり、歴史事実の本体が正確であれば、その会話の
内容は、著者任せなのである。否、寧ろ、その会話を、いかに
史実に照らして、臨場感ある雰囲気で盛り上げられるかこそが、
歴史家の腕の見せ所・才能の振るい処なのであった。敢えて、
身も蓋も無い言い方をすれば・・・・
《正史の中の会話は、全て著者(陳寿)の想像・推定に依るもの》
なのである。だからとて『正史』を軽んじてはならない。何しろ他の
(後漢書などの)二級史料とは格が違い、ほぼリアルタイムに、然も、
確実な史実だけを厳選す る〕と云う歴史家の本分を、最大限の
忠実さを以って貫き徹しているのも亦、陳寿氏以外には居無い
のだから・・・そして何より、二千年もの永い時間を掛けてじっくりと
伝えられ、万人に信じられて来た会話なのだから、これはもう、他
には在り得無い《史実》として認知してよいであろうと謂うものだ。
この外に、まだ最大の弱点 (陳寿の受けていた当時の制約) も
存するのでは有るが、その事はいつか検証しよう。
ーーとは言え、いずれにせよ、三国時代を有りの儘に知ろうと
するなら、三国志演義なんぞでは無く、
          正 史のみに基づくのが正道
である。
然し『正史』はややもすると、史実を厳選 する余り、我々が欲する
様な面白い話題性に欠けるキライがある。
それを補って呉れているのが、『
斐松之はいしょうしの補註である。
但し、彼は四百年後の人物であり、陳寿とは正反対の立場で、
二流・三級史料と判っているものでも掻き集めて補註に加えた。
(無論、出典は全てつまびらかにして呉れてはいるが。)
ミーハーの筆者は、はっきり言ってこっちの方が面白い。
然し、
面白可笑しいのと真実とは別物である
この誘惑に殆んどの作家先生が負けて、結局は《
演義の世 界》を
打破出来ずに同道巡りを繰り返している(と筆者は嘯く)。
一方、
ガチガチの学研的『正史追求型』の書物 もある。 筆者もこれら
先達の姿勢には感動し、啓発されること甚大なものなのだが、
どうも肩が凝って長く読んでいられない。(申し訳御座いません)
《何うにかして、この両者の課題を乗り超えたモノは
                          出来無いだろうか?》
・・・・かくて本書は、史実のみ求めつつ、尚かつ小説的手法で、
三国時代の全てを理解してしまおうとする。

願わくば《
学術小説》なるジャンルの魁と成れればと、密かに
自負ってゆくのである。そこで本書は、かつて誰も用いた事の無い
新機軸の描き方を採用する事となる。
自称
紀年本末体きねんほんまつたいと云う、世界初の★★★★試 み・手法を用いてゆく。
古来、洋の東西を問わず、人類は歴史を語る方法としては、大別
して3つの手法を編み出して来ている。
『紀伝体』・『編年体』・『紀事本末体』の3種である。

   きでんたい
紀伝体とはーー最も広く採用され、『三国志』を含めた
              殆んどの史書が用いている手法である。
』とは・・・・書かれた当時に於いて正統な権力者・王朝
(皇帝・王)と認められた人物の、個人の歴史を一カ所に纏めて
描いた部分を言う。三国志では《魏王朝》だけを正統な王朝と見
なす立場から、武帝紀 (曹操)・文帝紀・明帝紀・三少帝 紀で、
合計6吊の人物が1人ずつ描かれている。当然の事だが、最も
詳しく(都合の悪い事はカットしたり、素っ気なく流したりはするが)ページ数も多い。
』は・・・それ(皇帝・王)以外の人々の個人的な歴史を、各自
一人ずつを独立させて描いた部分を言う。 三国志では関羽伝・
張飛伝・諸葛亮伝・呂布伝・袁紹伝
などなどである。三国のうちの
他の2国の 皇帝も、正統とされないから、こちらも
として扱われる。
 
呉主伝(呉の皇帝・孫権)先主伝(蜀の皇帝・劉備)とさ れる。
女達は『魏』だけが
皇后伝となり、他の二国は夫人伝と表記する。

つまり、《
紀伝体》とはーー個々人の歴史を 羅列する描き方である。
これだと、独り独りの生涯を 時間経過と共に知る事が出来るメリット
が有る。然し困るのは、この手法だと、大きな歴史(事件)の流れが
解りずらく、或る事件の全体像がつかめない。(個々バラバラに出て
来るから) ましてや、他の国との関連などは皆目判らない。
「赤壁の戦い」なども個人個人の記述の中に分散されてしまい、
一体誰と誰が参加したのかさえ直ぐには判らず、全体像が見えて
                                     来ない。
そこで考え出されたのが
編年体へんねんたいである。
これは、出来事を歴史年表風に記述する手法である。これだと、
歴史の流れが経過通りに解る。無論その代わりに個人については
生涯の履歴が小間切れになる。更に困った事には、確かに1国の
歴史は判るが、他国との関わりが描けない。特に国が3つもあれば
その複雑な駆け引きや離合変転などの繋がり・関係は、お手上げ
状態となる。そこで更に3番目の手法が考案される。
所謂いわゆる 
紀事本末体きじほんまつたいである。これは前者の欠点を補おうとして、
歴史を、或るテーマ毎に絞って追 い、それらのブロックを並べてゆく
手法である。これだと、「官渡の戦い」とか「赤壁の戦い」などの、
個々の歴史事象が良く判る。その代わり、やはり個人の人柄や履歴
は埋没し、テーマ間の関連性がギクシャク凸凹になってしまう。
ーーいずれにしても一長一短・・・・・
と云う訳でこの『
三国統一志』は、これら三者の長所・メリットだけを
採り入れつつ、既成概念を無視して、小説仕立ての歴史書を、世に
送り出そうと暴図する。ストーリィ的には、やや(大部
)まどろっこ
しい面は出て来ようが、その分クオリテ
は高く、歴史の香りと精髄
エッセンスは充分に効く(堪能して戴ける)ものにしたいと願っている。
               き  ねん ほん まつ たい
さて、その
紀年本末 体を用いた第一部の続きは・・・・
次の如くに構成されてゆく。そもそも第Ⅰ部には、大きなヤマ場が
2つ在る。時代を画する、2大決戦である。
                                   かん と
一つは・・西暦
200年官渡の大決 戦であり、
クライマックスは・・・・西暦
208 年(建安十三年)の
  せき へき
赤壁の大決戦である
主戦場図
よって、本書第Ⅰ部の 《
前半》 は・・・・・・
各英雄が西暦
200 年迄を如何に戦って興亡 していったかを、
夫れ夫れの章毎に追いーーそして、その戦乱の中から生き残った
者達だけが、再び
官渡戦200 年)で合流する形を採る。
何となれば、この
官渡戦
200 年)迄の間に、「群雄 割拠の混沌・
カオス」は殆んど淘汰され、やがて来る「三国時代」のコアと成る
勢力が、ほぼ形造られてゆくからである。
その一方、一世を風靡
した超人たちが、次々に亡んでゆく。その成功と挫折・生と死を
分けたものは何か
ーーそして運命の 【官渡 戦・・・・・
第Ⅰ部の 《
後 半》 は、それ以後の8年 間ーーすなわち
赤壁の大決戦へと臨む曹操の野望と、それを阻止せんと
立ち向かう男 達の姿・・・・・そして、その 劇的な大決戦の一部始終
を謳い上げる。
前・後半を通じて・・・・出来得る限り『』 ・『』・『』の 記述を
ブロック毎に纏めつつも、周辺の群像=(後世「極悪人」「裏切り者」
「愚か者」と決めつけられ、片着られて来た者達)や事件の
流れ
重視してゆく。そして最大のテーマとして、彼等の個性・
人間性
最大限に重要視し、掘り下げる。その合間に、当時の暮らし振りや
風俗(具体的な衣食住等)人々の思想や時代背景を、
学術的に
余す処なく織り込んでゆく。
ーーと、まあ、貪欲な追求心に従って、飽くなき探索の(しつっこい)
旅を続けてゆく事となる。結果として読者諸氏は莫大なエネルギー
を、ストーリィ
以外にも注がざるを得無い・・・・と謂う塩梅になる。
従って本書は、悠久の大河(長江・黄河)の如く、
ゆったりと丹念に、
(時には時空を超えてでも)史実と 様々な人物の実像を求めて、
只管滔々とうとうと流れてゆく事になる。何処と無くせっかちで、ゆとりの
無い島国の我々には些か辟易とする様な壮大なものと成る筈である。
                 あかつき
(第Ⅴ部完結の暁には、原稿用紙では2万枚は裕に越え、
               2万5千枚〜3万枚ぐらいには成る予定。)
別に狙っている分けでは無いが、構想通りに書き進めて行けば、
結果的には
世界最長編小 説に成る事は想像に難くない。
 尚、『青年と処女』のメインテーマは、二千年の時空を超えた、
現代の我々を描く、もう一つの長編小説とを繋ぐ意味を含めて
冠した、総合的・象徴的タイトルの心算りなのである。

読者諸氏にとっては『
赤壁せきへきの戦い』ならぬ
         【
辟易へきえきの戦 い】とならねばよいのだが(苦笑)・・・
つまり、もうとっくに御存知の如く、
                       ごたく  うんちく
 本書は 《とかく、御託・蘊蓄が顔を出す》 のである。
特に、基盤知識重視の第1・第2章では


さて実は・・・その御託を並べたり、蘊蓄を傾けたり、さも得意気に
「知ったか振り」を披瀝しているのは、筆者では無いのである。
本書で時々、(しばしば、突然、しょっちゅう)出て来る、そうした
解説的部分を受け持っているのは・・・・我々人類とは別の、謎の
生命体=〈正体上明の種族〉がせる仕業しわざなのである。
それは
おジャマたく 士
と云う未知の生命体で、その世界
では
シャシャリ出 るのが美徳とされている・・・本書に棲息する事
既に久しく、今や筆者とは昵懇じっこん親昵しんじつの間柄になってしまっている。
謂わば本書の〔隠れキャラ〕なのであるが、その姿や形も大きさも
一見
《オタマジャクシ》に似ている。ちなみに古代中国では
オタマジャクシの事を『
科 図かと』と言った。日本では 金釘かなくぎ流や泥鰌ドジョウ
うなぎ流の悪筆の事を、「ミミズがのたくった★★★★★様な字」と表現するが、
中国では、「オタマジャクシが泳ぎくねった★★★★様な字」とするのである。
これから転じて「ただ物真似ものまねした書」・「創造性の無い本」、つまり
「2流の書物《を『
科図書かとしょ』と呼んだ。本書も陳寿ちんじゅ斐松之はいしょうしから
「これは 科図書であ〜る」などと御叱おしかりを受けぬよう、日々
研鑽けんさんに励まねばならなぬ・・・・但、『図』 となら呼ばれてみたい。
こちらは〔黄河から龍馬りょうまが背負ってもたらした〕と謂う神秘の図書。
洛書らくしょ』も亦〔洛水から亀の背によってもたらされた〕神秘的な文書。
・・・・でも誤伝して〔洛書き→書き〕の語源とも成り得るが・・・・。

さて折角の機会だから、ここで読者諸氏にも、この者達を
お引き合わせして、以後ご昵懇に願うとしよう。
ーー先ずは『おジャマたく士』(お邪魔宅士とも)界の若きプリンス
オセワ・ヨケーナ君
)・・・・
通称・ヨケオセと申します。時々オシャに蝶ネクタイなど
も着けます。大好物は《かすみ》を食べる事です。未だルーキーで
やっと手足が生えたばかりですので、どうぞ宜しくお願い致します」
ーー次ぎに、彼の師匠で最長老なのが、
   おう    せっかい     おう 
王 石介 翁
)・・・・長いドジョウ髭が自慢。
「儂には〔すがりのつえ〕が必須アイテムじゃ。ちなみに、
                        ろう     ば しん
我が糟糠の妻は、老 馬 心と言うのじゃヨ。友人としては
  ちょう     こう ぜつ
趙 孔説と云う者が居る。長い キセルを何時でもくゆらせて
居る。ま、儂の好い論争相手じゃナ。」
ーーついでに、ヨケーナ君の恋人も紹介しておこう。
シッタカ・ブリイ姫)・・・・ナマハンカ国生まれで、
愛称はシッタカ姫。スコッシランドの吊門のプリンセスで天真爛漫。
オチョボぐちと五本睫毛がチャーミングポイント。 
「あら、わたくし『知ったかブリッ子』なんかじゃ御座い
ませんわよ。 チナミニ国の
エセ・ラ・セラ王子とは、単なる
友人に過ぎません!」

尚、このおジャマたく 士種族は手が先に生え、足の方が
後になる。 また、成熟してもカエルにかえる事は無く、平均寿命は
五千年ぐらいと謂われている。
        
             こんな     あんな
ーー通常は本文中に、 〈〉やの形で 群れを成して登場する。
そしてその習性として、集団に依るケンケンガクガク生活を目的とし
世にはびこる(棲息している)。
を、よ~く観て戴く と・・・之が実は《お玉杓子型生命体》の
チームパフォーマンスである事が判明する訳なのである・・・・・
筆者としては、読者諸氏の温かく末永い御交友を願うばかりである。

    
ーーそれにつけても、筆が進む程に思う事だが・・・・
人間は、いつの世に在っても、やはり人間な んだなあ〜!
つくづく感ずる。21世紀であろうが、僅か3世紀であろうが

人間の本性には変わりが無い・・・・と、しみじみ思う。就中なかんずく
歴史時代(三国志)の中には、現代の我々が、学び取って活かす
べき様なもの(宝)が、山の如くに埋もれている、と云う事なので
あろうか・・・・・
ーー最後に、〔ドンデン返し〕を1つ。
『正史=陳寿』は、『三国志演義』の出現を強く願望していた!!
のである。(いずれ何処かで詳しく述べる事とするが)・・・・と言うより陳寿は
蜀こそが唯一正統な王朝である!との史観が生まれる事を狙って
「正史《の至る所に巧妙な〔仕掛け〕を配置し、工夫を凝らしている
のである。本書の筆者は盛んに「演義《をコキ降ろしているのだが
実は「正史《の陳寿は、草葉の陰から喜んで居る筈である。つまり
「演義《の様な”蜀びいき”の物語の誕生は、「正史《が上梓された
瞬間から、既に自身の中に準備・内包されていたものなのである。
その1例を示して措くなら・・・劉備にだけ与えられた「先主《の呼称
蜀の夫人達だけに与えられた「皇后《の尊称、蜀書だけに配された
エピローグ、諸葛亮だけに付された「特別集《etc.etc....何となれば、
陳寿は〔蜀の遺臣〕だったのであり、亡んだ祖国や人々を哀惜して
已まなかったのである・・・・。

ついつい、長々しい独り言(モノローグ)になってしまいました。
尚、既にお気付きの諸氏も居られる事とは思いますがーー
本文中でこの様に〔紫色or青色に色付けしてある部分〕・・・
主として会話部分や、若しくは解説的描写部分は→ 何等かの史料
其の物である
事を示しております。即ち筆者の創作では無く、史実
(史書に見える記述)である事を再確認して措く為の方策と御了承
下さい。基本的に本書は虚構・創作は排除して、史実(史書)にのみ
基づく作品で御座います。(極く稀に出て来る、筆者による推測や創作部分には、
逐一その旨の断わり書きを附してあります。但し、明らかに判る場合は其の限りに非ず。)


(第1章を終えるに当たって)本書が基本ベースにさせて戴いて
いる先達の史料・資料を、敬意と感謝の念を以て、紹介させて
戴こう。いずれも必読の価値が十二分に有るものである。是非
お奨め致します。特に最初の『
正史三国志』はじめ、これら多くの
先人方の研究無くしては本書は誕生しなかった程に重要なもの
ばかりである
 
    
 尊称は 省略させて戴きます

 
正史 三国 志(Ⅰ〜Ⅷ)
  井波律子・今鷹真・小南一郎訳 〈ちくま学芸文庫〉

 
世界歴史5 (東アジア世界の形成)
  堀敏一・大淵忍璽・好並隆司・川勝義雄・吉川忠夫
  越智重明〈岩波講座〉

 
中国文明の歴史3 日比野丈夫 〈中公文庫〉

 
中国文明の歴史4 森鹿三   〈 〃  〉  

 
世界の吊著・孔子・老子 貝塚茂樹 〈中央公論社〉

 
中国の歴史 (上中下)  貝塚茂樹 〈岩波新書〉

 
三国志 (中国古典新書) 宮川尚志〈明徳出版社〉

 
曹操(魏の 武帝) 石井仁 〈新人物往来社〉

 
三国志実録  吉川幸次郎 〈ちくま学芸文庫〉

 
三国志きらめく群像 高島俊男 〈ちくま文庫〉

 「三国志《の迷宮 山口久和 〈文春新書〉

 
曹操 (三国志の奸雄) 竹田晃 〈講談社学術文庫〉

 四大文明 (中国) 鶴間和幸 〈ΝΗΚ出版〉
 
 
宦官  三田村泰助 〈中公新書〉

 
中国古代の刑罰 冨谷至 〈中公新書〉

 
道教の神々  窪徳忠 〈講談社学術文庫〉  

 
中国の歴史と社会 斯波義信・浜口允子
             〈放送大学教育振興会〉

 
三国志(一〜 四) 谷崎旭寿 〈新人物往来社〉  

 
小説十八史略 (1〜6) 陳舜臣 〈毎日新聞社〉

 
秘本三国志 (1〜5)  陳舜臣 〈文春文庫〉

 
曹操 (上下)      陳舜臣 〈中央公論社〉

 
三国志演義       井波律子 〈岩波新書〉

 
中国的レトリックの伝統 井波律子〈講談社学術文庫〉   

 
中国英傑伝    海音寺潮五郎 〈文芸春秋社〉

 
三国時代の戦乱   狩野直禎 〈新人物往来社〉

 諸葛孔明      狩野直禎 〈  〃   〉

 「三国志《の智恵   狩野直禎 〈講談社現代新書〉

 
三国志演義の世界    金文京 〈東方書店〉

 
西晉の武帝・司馬炎  福原啓郎 〈白帝社〉

 
晉書 (中国古典新書) 越智重明 〈明徳出版社〉

 
三国志の英雄たち    守屋洋 〈新人物往来社〉 

 
太学・中庸       守屋洋 〈РНР文庫〉

 
兵法三十六計      守屋洋 〈三笠書房〉

 
漢字          白川静 〈岩波新書〉

 
社会心理学       佐藤毅 〈有斐閣双書〉

 
青年心理学       津田宏 〈 〃   〉

 
諸葛孔明        立間祥介 〈岩波新書〉

 
詩歌三国志       松浦友久 〈新潮選書〉

 
中国の思想・孫子・呉子 村山孚  〈徳間書店〉

 
三国志の男たち     松本一男 〈РНР文庫〉

 
司馬懿仲達       松本一男 〈  〃  〉

 
魏晋南北朝通史     岡崎文夫 〈東洋文庫〉 

 諸葛孔明        
渡邉義浩 〈新人物往来社〉

 
中国古典吊言辞典   諸橋轍次〈講談社学術文庫〉

 
飲食与中国文化     王仁湘〈北京人民出版社〉


 
中国五千年3 (後漢・三国)  〈世界文化社〉

 
中国歴史紀行第二巻(三国・晋・南北朝)〈学研〉

 
真三國志 (一〜三) 〈学研〉

 
歴史群像・三国志(上下) 〈学研〉

 
戦略・戦術・兵器辞典(中国古代編) 〈学研〉

 
クローズアップ三国志 〈世界文化社〉

 
諸葛孔明       〈  〃  〉   

 後漢時代の政治と社会 
東晋次 〈吊古屋大学出版会〉

 
曹操新伝       章映閣 〈上海人民出版社〉


~~などなど、誠に有り難い先達の方々の業績である。~~



・・・・と、もし、此処(第一章の終わり)迄お付き合い戴いた
方が居ら れましたなら、もう是れは、ハッキリ申し上げて、
  あな た
 貴方サマはもう、立派な
「三国士」です
第Ⅴ部完成の暁には、必ず一緒に乾杯致しましょう。
その時まで筆者の寿命が保てばよいのですが・・ 
  せめてあと十年、いや十五年は欲しい・・・
                                            よこうち  りんどう 
                     ーー
横内 凛童 



《追伸》以下、
までのタイトルのみ、紹介して置く事とする。
もし、タイトルから内容を推察して戴けるならば幸いである。

 《
青年と処女

    
ーー【
三国統一志】ーー
 
《第
部》
乱世の英雄たち・・・・( 群雄淘汰 
                       〈〜
赤壁の戦いまで 〜〉
《第部》 壮大なる史劇 ・・・・( 三国出現
                        〈〜曹操の死まで 〜〉
《第
部》三帝出現 ・・・・・・・・・・( 孔明の悲劇
                        〈〜孔明の死まで 〜〉
《第部》 統一への道 ・・・・・・( 三国滅亡
                        〈〜晋の成立まで 〜〉
《第部》青年と処女 ・・・・・( 再び乱世へ
                        〈〜晋の滅亡まで 〜〉


     
風雲児

 
一、男一匹 やるだけやれば  何の此の世に 未練があろう
             たつまき
   吹けよ竜巻  アルタイ越えて
               俺も生きるぞ 命の限り

 二、胸に輝く 男の意気は  女なんかに 分かろうものか
          しゃく                さ
   顎で杓ろか 小指で 差そか
               もうこ          かが  び 
         蒙古百万 篝り火あかい

 三、俺が死んだら 裸のままで 
              ゴビの砂漠へ ぶ
ゃっ てお呉れ
    どうせ此の身にゃ 狼の血が
                  親の代から 流れているさ   
    どうせ此の身にゃ  狼の血が
                   親の代から 流れているさ・・・・   


 ーー三国統一ーー

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